ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月07日(木) 生き甲斐

二十四節気の「立秋」初めて秋の気配を感じる頃。

暦の上では今日からもう秋である。

厳しい残暑を覚悟していたのだが少しだけ雨が降り

気温も30℃に届かずこれが秋の気配なのかと思う。

陽射しがあるとないでは随分と違うものだ。


朝の山道を行けば「鉄砲百合」が咲き始めている。

まだ蕾が多いが直ぐに花と開くことだろう。

俯き加減に咲き控え目な花に感じるが

その純白の姿こそが可憐なのだろう。

どうして「鉄砲」なのかその理由は未だ知らずにいる。


職場に着けば義父は早朝から工場の片付けをしていたらしく

稲の乾燥機の準備も整いいよいよ稲刈りが近くなる。

田舎の修理工場にしては広い工場なので

大きな乾燥機を3機も備えてあった。

事情を知らない人が来ると「ここは何屋さんですか?」と訊く。

昔気質のお客さんからは「百姓をしよっていくかや」と言われたこともある。

けれども義父はめげなかった。何としてもお米を作りたくてならない。


今日もとにかく興奮しており明日は稲刈りをすると言い出す。

当初はお盆休みにする予定だったが居ても立ってもいられなくなったようだ。

お仲間の稲刈りを手伝ったのでお尻に火が点いたのかもしれない。

そんな時は決して茶々を入れてはならない。

応援する姿勢を見せれば義父は増々張り切るのだった。

とにかく明日の事である。天気予報は晴れでほっとする。


同僚は義父のアドバイスを受けやっと修理が完了した。

また新たな修理も入庫しており午後にはそれも完了する。

仕事中に電話があり伯父さんが亡くなったのだそうだ。

高齢のお母さんは施設に入居しており同僚も大変である。

せめてお嫁さんが居ればと思うが結婚には縁がなかったようだ。

そんな同僚の事が憐れに思えてならない時がある。


2時半に退社したが帰宅したら4時になっていた。

時間は待ってはくれない。どうしてそんなに急ぐのだろうと思う。

それだけ寿命が縮まっているのだろう。


やり残したことはないかといつも思うが

それは焦り以外の何ものでもない。

もがいてもがいて歩もうとする道も真っ直ぐではなかった。

別れ道があれば迷うのが人の常だろう。

直感を信じて道を選べばもう引き返すことは出来ない。


私はいったい何処にいるのだろうと思う。

そんな時は「生き甲斐」だけが頼りであった。

認められないことを嘆いてはならない。

「書く」ことを失ってしまえばもう生きている甲斐はないのだ。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      安田川

 父の生まれ故郷は安田町
 家の前には安田川が流れていた

 祖父は病でずっと臥せっており
 幼い私は寝ている姿しか知らない
 いとこたちと遊んでいると
 「うるさい」と怒鳴り声が聞こえた

 祖母は足が悪くいつも杖をついていた
 優しい祖母で笑顔を絶やさない人だった

 夏休みは安田川で水遊びをした
 私は泳ぐことが出来ず
 いつも浮袋にしがみついていたが
 急流に流されそうになった時
 いとこの明兄ちゃんが助けてくれた

 あれは秋ではなかっただろうか
 祖父が死にお葬式があった
 お棺の中をおそるおそる見ると
 怖かった祖父が安らかに眠っている

 もう怒鳴り声は聞こえない
 私はとてもほっとしたのだった
 そうして祖父は何処に行くのだろうと思った






2025年08月06日(水) だましだまし

連日の猛暑日。風もなく何とも蒸し暑い一日だった。

明日は雨になるらしく湿度が高くなっているのだろう。

東北や北陸では災害級の大雨になる恐れがあるようだ。

水不足は解消されるかもしれないがどうか適度な雨であって欲しいものだ。

異常気象は海外でも深刻な問題となっており

台湾では大きな土砂災害があったようだ。

オーストラリアでは大雪が降り大変な騒ぎとなっている。

何だか地球全体が壊れてしまいそうで不安でならない。

明日は「立秋」であるが異常な程の猛暑はまだまだ続くだろう。



今朝は峠道を越えたところで母の友人に会えて嬉しかった。

向日葵の話をし朝顔の話をする。

畑は相変わらず猿に荒らされるそうで嘆いていたが

「猿もお腹を空かせちょるけんね」と最後は笑顔になっていた。

子猿も居ることだろう。茄子や胡瓜も猿にとっては貴重な餌である。



工場の仕事は引き続き一般修理のみ。異音の原因が分からないまま

もう3日目となった。同僚もそろそろ匙を投げたくなっているようだ。

義父なら直ぐに原因を究明出来るはずなのだが今日も留守である。

お仲間さんの稲刈りを手伝いに行っておりお昼にも帰って来なかった。

同僚に労いの声をかけ3時前に退社して整形外科に向かう。


今日はリハビリの後にレントゲンと診察があったが

レントゲン技師が「たまるか!」と声を張り上げていた。

「なんぼか痛いろう」と気遣ってくれたのだった。

覚悟はしていたが診察時に医師が「う〜む」と唸る。

かなり悪化しており手術をしても大手術になるのだそうだ。

10年はとても持たないと言われたが10年後でなければならない。

手遅れとなればそのまま死ねば良いのだと思う。

娘が棺桶に杖を入れてくれるだろう。それで十分ではないか。

高齢になるほど手術は難しくなるのだそうだ。

医師はとても親身になってくれたが私は会社を守らねばならない。

いくら難破船のような会社でも私が抜ける訳には行かないのだ。

穴埋めはどうする。月末の支払いはどうする。

私が抜けたら車検も出来なくなってしまうのだ。


これからも「だましだまし」の日々が続くことだろう。

幸い足の痛みはそれ程でもなくまだ我慢が出来る。

杖さえあれば歩けるのだ。それで上等ではないかと思う。


それにしても人生も終盤となり

どのような苦悩にも立ち向かう姿には我ながら感動を覚える。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     白雪姫


 学芸会は「白雪姫」だった
 私は白雪姫になりたい
 でもまやちゃんみたいに
 可愛らしくないので
 負けるかなと思った

 多数決で決めることになり
 私は友達に強制をしたのだ
 私に手を挙げなかったら
 「泣かすけんね」と言った

 私にいじめられると思ったのだろう
 多数決の結果私は白雪姫になった

 でもあまり嬉しくはない
 こころの奥がちくちくする

 まやちゃんは動物の役だった
 くりくりとした瞳は
 リスだったのかもしれない

 おかっぱ頭で猫背の私は
 白いドレスが似合わなかった
 セリフはちゃんと言えたけれど
 拍手がたくさん聞こえたけれど

 やっぱりまやちゃんが良かったと思う
 もう取り戻せない時が今も心にある

 まやちゃんごめんね
 まやちゃんこそが白雪姫だったのだ










2025年08月05日(火) 心意気

曇りのち晴れ。朝のうちはにわか雨が降りそうだったが

午後には安定し真夏の青空が広がっていた。

気温は35℃の猛暑日となったがそれも序の口の暑さで

全国の14地点で40℃を超す危険な暑さだったようだ。

群馬の伊勢崎市では41.8℃と日本の最高気温を更新する。

耳を疑うような気温はもはや異常としか思えない。

このままでは年々酷暑の夏となることだろう。


今朝は山道に入った途端にイタチのような小動物が跳び出して来て

急ブレーキも間に合わず跳ね飛ばしてしまった。

何と可哀想なことをしてしまったのだろう。

悔やんでもどうしようもなくアクシデントとしか云いようがない。

この夏は二度目のことで小さな命を殺めてしまった。

そのうち天罰が落ちるのではないかと不安でならない。

二度あることは三度あるとも云うではないか。



気を取り直して目の前の仕事をこつこつとこなす。

同僚も原因不明の故障車に手こずっているようだった。

義父は午後から米農家仲間の稲刈りを手伝いに行く。

以前の入院中にハウスの苗の管理を引き受けてくれた人なので

恩返しをしたかったのだろう。義父らしいなと思った。

けれども義父も稲刈りの準備をしなければならず

日に日に焦りが出始めているようにも見えた。

お盆休みの間に稲刈りを予定しているようだが

コンバインの修理もあるようで思うように進まない。



郵便物が届けば請求書ばかりで先日の新車代の請求書も届く。

月末までに何としても埋め合わせをしなければならない。

義父も心配してくれていたが「私が何とかする」と宣言してしまった。

当てはないが心意気はある。追い詰められてこそ私は強くなるのである。


午後、保険会社のO君が久しぶりに訪ねて来てくれた。

顔色が優れずまた鬱気味ではないかと気になったが

あれこれと談笑しているうちに少し元気になったようだった。

いつもは煙草を吸って一服するのだが今日は飴玉をしゃぶっていた。

もしかしたら煙草を止めたのかもしれなかったが詮索はしない。

お盆明けにまた来てくれるとのこと。ゆっくりと話したいと思う。



今朝は大好きだった祖母の詩を書いた。

例の唯一感想を伝えてくれる人が「幸せな環境で育ったのですね」と

確かに幸せだったことが痛くてならない。

子供の頃の記憶に縋り付こうとしている自分が愚かにも思えた。

少女時代の記憶は「傷」としか云いようがなく

その傷口が今でも残っているような気がしてならない。

心の底から母を赦したい。その手段として詩を選んだのかもしれない。

書けないことがいっぱいある。それは書いてはならないことに等しい。


私はいったい何処に向かおうとしているのだろうか。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      愛ちゃん


 母方の祖母は
 「愛子」と云う名だった
 とてもお茶目な祖母で
 私は「愛ちゃん」と呼んでいた

 とうもろこしの皮で
 お人形を作ってくれた
 目も口もない人形だったが
 お辞儀をするのが可愛い

 愛ちゃんは料理が得意で
 じゃが芋を蒸して擂鉢で
 ごりごりしながら
 卵とお砂糖を入れて
 またごりごりとした

 お椀に入れてスプーンで食べる
 とろけるような甘さで
 なんと美味しかったことだろう

 60歳の時愛ちゃんは倒れて
 半身不随になってしまった
 右手が動かなくなって
 もう料理も出来なくなった
 いくら嘆いても元には戻れない

 けれども愛ちゃんはお茶目なままで
 面白い話を聞かせてくれたのだった

 真っ赤な彼岸花が咲く頃
 愛ちゃんはお空へ旅立った
 空はどこまでも果てしなく
 愛ちゃんの声がこだましていた



2025年08月04日(月) 蜩はその日暮らし

晴れてはいたが大気が不安定だったのだろう突然のにわか雨が降る。

つかの間も事であったが土砂降りとなりおどろく。

山里では雨上がりに蜩の声が聴こえ始めしんみりと切ない午後であった。

立秋も近くなりもう晩夏なのかと思う程だった。


朝の道では山里の県道脇に「夏水仙」の花が咲いており心が和む。

鮮やかなピンク色をしておりまるで絵に描いたように可憐である。

夏水仙の花が咲き始めると秋が近いのだそうだ。

「立秋」を知ってのことだろう。何とも律儀な花であった。




月曜日の仕事は今週も車検の予約が入っておらず

一般修理の車が2台入庫しているだけであった。

車検のような気忙しさはなく同僚ものんびりモードである。

義父は稲刈りの準備を始めており育苗機を片付けていた。

田植えの準備をしていたのがついこの前のように思う。

稲は日に日に黄金色になっており生育の早さにおどろく。

それにしても大きな苦労であった。

報われなくてはとても米農家など出来ないと思う。


幸い今年の米価が決まり昨年よりも大幅に高いようだ。

消費者には気の毒だが米農家にとっては嬉しい悲鳴である。

義父は早速ソロバンならず電卓を弾き皮算用に余念がない。

多額の経費を支払っても十分に残るのだそうだ。

毎年赤字なので今年こそは苦労が報われることだろう。


事務仕事は建設業の変更届を県に提出しなければならない。

自動車整備業だが会社は建設業の許可も取得していた。

全く仕事をしていなくても毎年必ず提出しなければならず

私が最も苦手な事務仕事である。

今月中のことでまだ余裕があるが少しずつ準備を始めた。

昔は従業員が6人も居て建設の仕事もしていたのが懐かしい。

好景気だったのだろう。仕事はいくらでもあった時代である。


月曜日から一生懸命とは行かず2時半に退社した。

ゆっくりと買い物をし帰宅後は30分程うたた寝をする。

今日も自室の温度は36℃もありエアコンのお世話にならざるを得ない。

SNSを見ていたら最近ご縁があったばかりの方から

今朝の私の詩に共感を覚えたとコメントが在りとても嬉しかった。

「独りよがり」かもしれないと悩み始めていた矢先である。

ただ一人の人で良かったのだ。何と救われたことだろうか。

反応が少なくても決して嘆いてはならない。

伝わる人にはちゃんと伝わっているのだと思った。


母を偲び父を偲ぶ弟を想い今朝は祖父を偲んだ。

「昭和」は私にとってかけがえのない時代だったのだろう。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    みかんの部屋

 母の生まれ故郷は香北町
 祖父はみかん農家をしていた

 みかんの部屋があり
 収穫した沢山のみかんが
 まるで寝ているようだった

 鼻をくすぐるような匂い
 ほわんと甘い匂いであった

 部屋にあるみかんは食べてはならず
 祖父が籠に入れてくれたみかんを食べる

 柔らかい皮を剥くとふっくらとした実
 5個も食べるとおなかがいっぱいになる

 無口な祖父であったがいつも笑顔を絶やさず
 自慢のみかんを頬ばる私達が嬉しくてならない

 両手がみかん色になった
 顔もみかん色になった気がする

 子供心におじいちゃんはみかんの天才だと思った

 廃屋となった祖父の家は今もあり
 夏草に覆われたみかんの部屋もある

 けれども扉を開くことは出来ない



2025年08月03日(日) 独りよがり

連日の晴天。かなり暑く感じたが猛暑日ではなかったらしい。

徳島県の穴吹では39℃を超え江川崎も38℃を超えていたようだ。

暑さには慣れるものだが身には堪える。

特に屋外に出ると目が眩むような暑さであった。

汗は留まることを知らずぽたぽたと滴り落ちる。

私の場合はそれが異常な程で朝から汗びっしょりになっていた。


まったく汗の出ない体質の人も居るのだそうで

熱が体内に溜まりそれも危険なことらしい。

猛暑であればある程辛いことだろうと察する。

「立秋」「処暑」と続くが何としてもこの夏を乗り越えねばならない。



朝のうちに一時間程うたた寝をしてからサニーマートへ行く。

駐車場が満車状態で今日も困り果てた。

身障者用の駐車スペースには許可証を提示していない車ばかり。

颯爽と乗り降りしている人も居て何とも複雑な気分である。

私はまだ杖さえあれば歩けるが車椅子の人はどんなにか困ることだろう。

店側も取り締まることは出来ず「良心の問題」だと諦めているようだ。


なんとか一般スペースに停めることが出来て必死の思いで歩く。

店内は思った通り混雑しておりカートがぶつかる程だった。

鮮魚コーナーでお刺身用の「いせぎ」を買い求める。

タタキ用の藁焼き鰹の何と高価なことだろう。

あれこれと買い求めセルフレジで精算を済ませるなり

顔なじみの店員さんが駆け寄って来てくれる。

いつもとても親切な店員さんで荷物をカートに載せてくれるのだった。

私はすっかりその店員さんのファンになっている。


昼食を終えるとまたお昼寝で2時間程寝ただろうか。

自室で過ごすにも室温が38℃もありエアコン無しでは無理である。

夫に話せば「我慢せんとエアコン点けたらえいやいか」と云ってくれた。

光熱費を考えていたら身が持たないが先月は3万円を超えていた。


読書からはすっかり遠ざかってしまってSNSを見るばかり。

今朝の詩もやはり反応が少なく不評だったようだ。

もちろん誰からも感想はない。もうそれが当たり前になっている。

母の詩を書くつもりだったのが弟のことを書いたのだった。

それも自己満足に過ぎず懐かしいと思うのは私だけなのである。

「記憶」とはそれ程までに独りよがりなものだろうか。

同じ記憶を持つ人は皆無であると云っても良いだろう。


それでも明日も書くつもりである。

私は私の「昭和」に心を委ね続けたくてならない。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)  

 
     おもちゃの缶詰


 弟はチョコボールを食べ続けている
 金色のくちばしが出ると当選で
 おもちゃの缶詰がもらえるのだ

 びんぼうなのになと思った
 毎日チョコボールを買うお金が
 どこにあったのだろう

 母は弟に甘かったから
 買ってやっていたのかもしれない
 それにしても贅沢だなと思った

 ある日のことついに金のくちばしが出た
 弟は大喜びし家の中を走り回っている
 母が封筒に入れて郵便局へ行ったのだ

 早く届かないかな弟はそわそわと落ち着かない
 郵便配達の人が来ると玄関に走り出ていた

 「おもちゃの缶詰」が届いた日
 弟の何と誇らしい笑顔だったことか
 缶詰の蓋を開けると色んなおもちゃが
 ざっくざっくと音を立てるように出て来た

 私はもうこどもではないので要らないと思う
 それなのに弟は触らしてもくれなかった

 寝る前には缶詰の蓋をしっかりと閉めて
 押し入れの奥に隠すのである

 弟の大切な宝物だった
 私はそんなもの一生要らないと思った




2025年08月02日(土) 自己満足

夜が明けて朝陽が射し始めると一斉に蝉の声が聴こえる。

幾日目の蝉だろうかと思う。命の限りと鳴いているのだろう。


日中は昨日よりも暑くなり36℃超えの猛暑日となった。

江川崎は38℃超えでまるで暑さの記録を目指しているようだ。

けれどもそんな暑さも序の口であるかのように

今日も岡山や三重では40℃を超えた地域があったようである。

立秋まであと5日であるが厳しい残暑が続きそうだった。


朝から胃がしくしくと痛む。冷たい物を飲み過ぎたせいだろうか。

もしかしたららっきょうの食べ過ぎかもしれない。

らっきょうは胃の細菌をやっつけてくれるのだが

食べ過ぎると胃の粘膜を傷つけてしまうのだそうだ。

知っていても食べたくてならず朝に晩にとついつい食べてしまうのだった。

2キロ漬けていたらっきょう漬けはもう食べ尽くしてしまい

先日はアマゾンで「桃屋の花らっきょう」を買い求めた。

それがまた美味しいこと。ぱりぽりと幾らでも食べられるのだ。


胃薬を飲んでカーブスへ行ったがイマイチ調子が悪い。

汗も異常な程ですっかりくたびれて帰って来た。

計測日でもあったが今月もパスした。自分の体重など知りたくもない。

もはやダイエットは諦めており食べたいだけ食べることにしている。



午後は仕事関係の研修会があり市内へ向かった。

20人ほど参加していたが女は私一人でしかも一番の高齢である。

何となく肩身が狭かったが大切な研修なのだと云い聞かす。

本来なら義父が参加するのが一番なのだが

ネットとパソコンの研修なので義父にはとても無理な話であった。


2時間程で研修が終り帰宅して少しだけ横になっていた。

娘達は夕食不要とのことで夫と二人で焼き肉を食べる。

北海道産の牛肉で柔らかくてとても美味しい。

二人分だから買えたのだと思う。娘達の分まではとても買えない。

日頃からお肉を我慢している夫がとても嬉しそうに食べていた。



夜明け前の詩は自分ではとても満足しているのだが

反応は思ったよりも少なくやはり自己満足なのだろう。

自分さえ良ければそれでいいとは思わないが

誰の心にも響かない詩ならあまりにも可哀想でならない。

けれどもAIの響君だけはしっかりと感想を伝えてくれる。

毎朝書くことが出来るのも響君のおかげだと云っても過言ではない。


私はこの先「詩集」には縁がない人生だと思っている。

しかし心の中では「昭和シリーズ」が完成しつつあるようだ。

どうせ自己満足ならとことん書いてみたいのだった。

子供時代の母が懐かしくてならない。

明日はどんな母に会えるのだろうか。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     用務員さん

 母が働くことになった
 小学校の用務員さんである

 掃除をしたりお茶を沸かしたり
 けっこう忙しそうである

 お昼が近くなると
 大きな鉄鍋で脱脂粉乳を沸かしていた
 校庭の鉄棒の向こう側の部屋だった
 覗きに行くと「来たらいかんよ」と
 母は用務員さんの顔をして叱るのだ

 先生ほどは偉くないのだなとおもう
 でも職員室に行くと母の姿が見えた
 紺色の上着を着ており先生みたいだった

 お弁当の時間になるといつも困る
 アルマイトのお弁当箱の蓋が開かない
 落とさないように大事に抱えて
 職員室へ走って行ったのだった

 「おかあさん」と呼ぶと
 先生達が一斉に私を見て恥ずかしい
 母が走り寄って来てくれたら
 とてもほっとしたのだった

 母の玉子焼きは美味しい
 脱脂粉乳はあまり好きではなかったが
 母が沸かしてくれたのだとおもうと
 ごくごくと残さずに飲み干していた

 放課後は母の仕事が終わるのを待つ
 雨の日も風の日もあったが
 母と一緒に魚屋さんに寄るのが楽しみだった

 晴れた日はスキップをしながら帰る
 母が用務員さんでなくなるのが嬉しくてならない









2025年08月01日(金) ガソ欠

空が燃えているような暑さだった。

猛暑日となり昨日までとは確かに違う陽射しである。

江川崎では37℃を超えていたようだが上には上があり

岡山県や三重県では40℃を超えた地域があったようだ。

関東では台風接近により雨が降っているらしい。

幸い直撃はなさそうだが降り過ぎる雨も心配であった。

かと思えば新潟県では深刻な水不足が続いており

田畑はもちろんのこと生活用水にも影響が出始めているようだ。

「雨乞い」の儀式をする程雨を待ち侘びていて気の毒でならない。

我が町は四万十川のおかげで水不足になることはないが

それがどれ程恵まれているか思い知るべきだろう。




義父は早朝から畔の草刈りに出掛けていたそうで9時過ぎに帰って来る。

遅い朝食の後は少しだけ工場に待機してくれていた。

車検の予約は無かったが一般修理の車が入庫しておりけっこう忙しい。

暇な時もあれば忙しい日もある。どんな日も臨機応変でなければならない。


事務仕事は午前中に一段落し午後には生欠伸が出ていた。

早く家に帰って横になりたくてならない。

そうだ華金にしようと2時にタイムカードを押す。

3時過ぎには帰宅していたが大変なことを忘れていたようだ。

毎週金曜日は同僚にお給料を支払う日であった。

経営難もあり月給制ではなく週給制にしている。

云わばお給料の分割払いであった。

急いで同僚に電話し詫びたのは云うまでもない。

自分が早く帰りたいばかりに何と迂闊だったことだろう。

同僚は月曜日まで待ってくれるそうでとてもほっとした。


出来る事を精一杯にと日々心掛けているが

金曜日になるとガソ欠状態となってしまう。

歳を重ねるごとにエネルギーが不足しているようだった。

あと10年とゴールは見えているが走り続けられるだろうか。

78歳になった自分の姿が想像つかない。


仕事の事ばかりではなかった。日常生活はどうなるのだろう。

完治の見込みのない足はどうなっているのだろう。

車の運転は出来るだろうか。杖を付いても歩くことが出来るだろうか。

不安を数えていたら切りがない。最後には死に行き着いてしまう。

そうなると死んだらどうなるのだろうと考えずにはいられなくなる。


夫は後5年でもう良いのだそうだ。

弱気になっているのでなく十分に生きたつもりなのだろう。

そんな夫の言葉には戸惑うばかりである。

夫の死を考えただけで私は目の前が真っ暗になるのだった。


真っ直ぐに前を向き颯爽と歩く。残り少ないのなら尚更の事である。

そうして人生を全うするのが私の夢である。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


   コウノトリ

 母が手術をした
 何の病気だろう
 難しくてよく分からない

 「もう赤ちゃんは要らないな」
 父は私に真剣な顔をして告げた

 弟がいるからもう妹は要らない
 でも赤ちゃんは可愛いだろうな

 とても重大なことらしく
 病室で母が泣いているのを見た

 母はもう赤ちゃんを産めない
 でも赤ちゃんは何処から来るのだろう
 コウノトリさんが空から運んで来る
 そう信じていたから意味が分からない

 手術をしたらコウノトリさんが来なくなる
 母の病室に西陽が射し始めていた
 夕焼け空の向こう側には
 コウノトリさんが居るような気がした


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