ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月04日(月) 蜩はその日暮らし

晴れてはいたが大気が不安定だったのだろう突然のにわか雨が降る。

つかの間も事であったが土砂降りとなりおどろく。

山里では雨上がりに蜩の声が聴こえ始めしんみりと切ない午後であった。

立秋も近くなりもう晩夏なのかと思う程だった。


朝の道では山里の県道脇に「夏水仙」の花が咲いており心が和む。

鮮やかなピンク色をしておりまるで絵に描いたように可憐である。

夏水仙の花が咲き始めると秋が近いのだそうだ。

「立秋」を知ってのことだろう。何とも律儀な花であった。




月曜日の仕事は今週も車検の予約が入っておらず

一般修理の車が2台入庫しているだけであった。

車検のような気忙しさはなく同僚ものんびりモードである。

義父は稲刈りの準備を始めており育苗機を片付けていた。

田植えの準備をしていたのがついこの前のように思う。

稲は日に日に黄金色になっており生育の早さにおどろく。

それにしても大きな苦労であった。

報われなくてはとても米農家など出来ないと思う。


幸い今年の米価が決まり昨年よりも大幅に高いようだ。

消費者には気の毒だが米農家にとっては嬉しい悲鳴である。

義父は早速ソロバンならず電卓を弾き皮算用に余念がない。

多額の経費を支払っても十分に残るのだそうだ。

毎年赤字なので今年こそは苦労が報われることだろう。


事務仕事は建設業の変更届を県に提出しなければならない。

自動車整備業だが会社は建設業の許可も取得していた。

全く仕事をしていなくても毎年必ず提出しなければならず

私が最も苦手な事務仕事である。

今月中のことでまだ余裕があるが少しずつ準備を始めた。

昔は従業員が6人も居て建設の仕事もしていたのが懐かしい。

好景気だったのだろう。仕事はいくらでもあった時代である。


月曜日から一生懸命とは行かず2時半に退社した。

ゆっくりと買い物をし帰宅後は30分程うたた寝をする。

今日も自室の温度は36℃もありエアコンのお世話にならざるを得ない。

SNSを見ていたら最近ご縁があったばかりの方から

今朝の私の詩に共感を覚えたとコメントが在りとても嬉しかった。

「独りよがり」かもしれないと悩み始めていた矢先である。

ただ一人の人で良かったのだ。何と救われたことだろうか。

反応が少なくても決して嘆いてはならない。

伝わる人にはちゃんと伝わっているのだと思った。


母を偲び父を偲ぶ弟を想い今朝は祖父を偲んだ。

「昭和」は私にとってかけがえのない時代だったのだろう。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    みかんの部屋

 母の生まれ故郷は香北町
 祖父はみかん農家をしていた

 みかんの部屋があり
 収穫した沢山のみかんが
 まるで寝ているようだった

 鼻をくすぐるような匂い
 ほわんと甘い匂いであった

 部屋にあるみかんは食べてはならず
 祖父が籠に入れてくれたみかんを食べる

 柔らかい皮を剥くとふっくらとした実
 5個も食べるとおなかがいっぱいになる

 無口な祖父であったがいつも笑顔を絶やさず
 自慢のみかんを頬ばる私達が嬉しくてならない

 両手がみかん色になった
 顔もみかん色になった気がする

 子供心におじいちゃんはみかんの天才だと思った

 廃屋となった祖父の家は今もあり
 夏草に覆われたみかんの部屋もある

 けれども扉を開くことは出来ない



2025年08月03日(日) 独りよがり

連日の晴天。かなり暑く感じたが猛暑日ではなかったらしい。

徳島県の穴吹では39℃を超え江川崎も38℃を超えていたようだ。

暑さには慣れるものだが身には堪える。

特に屋外に出ると目が眩むような暑さであった。

汗は留まることを知らずぽたぽたと滴り落ちる。

私の場合はそれが異常な程で朝から汗びっしょりになっていた。


まったく汗の出ない体質の人も居るのだそうで

熱が体内に溜まりそれも危険なことらしい。

猛暑であればある程辛いことだろうと察する。

「立秋」「処暑」と続くが何としてもこの夏を乗り越えねばならない。



朝のうちに一時間程うたた寝をしてからサニーマートへ行く。

駐車場が満車状態で今日も困り果てた。

身障者用の駐車スペースには許可証を提示していない車ばかり。

颯爽と乗り降りしている人も居て何とも複雑な気分である。

私はまだ杖さえあれば歩けるが車椅子の人はどんなにか困ることだろう。

店側も取り締まることは出来ず「良心の問題」だと諦めているようだ。


なんとか一般スペースに停めることが出来て必死の思いで歩く。

店内は思った通り混雑しておりカートがぶつかる程だった。

鮮魚コーナーでお刺身用の「いせぎ」を買い求める。

タタキ用の藁焼き鰹の何と高価なことだろう。

あれこれと買い求めセルフレジで精算を済ませるなり

顔なじみの店員さんが駆け寄って来てくれる。

いつもとても親切な店員さんで荷物をカートに載せてくれるのだった。

私はすっかりその店員さんのファンになっている。


昼食を終えるとまたお昼寝で2時間程寝ただろうか。

自室で過ごすにも室温が38℃もありエアコン無しでは無理である。

夫に話せば「我慢せんとエアコン点けたらえいやいか」と云ってくれた。

光熱費を考えていたら身が持たないが先月は3万円を超えていた。


読書からはすっかり遠ざかってしまってSNSを見るばかり。

今朝の詩もやはり反応が少なく不評だったようだ。

もちろん誰からも感想はない。もうそれが当たり前になっている。

母の詩を書くつもりだったのが弟のことを書いたのだった。

それも自己満足に過ぎず懐かしいと思うのは私だけなのである。

「記憶」とはそれ程までに独りよがりなものだろうか。

同じ記憶を持つ人は皆無であると云っても良いだろう。


それでも明日も書くつもりである。

私は私の「昭和」に心を委ね続けたくてならない。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)  

 
     おもちゃの缶詰


 弟はチョコボールを食べ続けている
 金色のくちばしが出ると当選で
 おもちゃの缶詰がもらえるのだ

 びんぼうなのになと思った
 毎日チョコボールを買うお金が
 どこにあったのだろう

 母は弟に甘かったから
 買ってやっていたのかもしれない
 それにしても贅沢だなと思った

 ある日のことついに金のくちばしが出た
 弟は大喜びし家の中を走り回っている
 母が封筒に入れて郵便局へ行ったのだ

 早く届かないかな弟はそわそわと落ち着かない
 郵便配達の人が来ると玄関に走り出ていた

 「おもちゃの缶詰」が届いた日
 弟の何と誇らしい笑顔だったことか
 缶詰の蓋を開けると色んなおもちゃが
 ざっくざっくと音を立てるように出て来た

 私はもうこどもではないので要らないと思う
 それなのに弟は触らしてもくれなかった

 寝る前には缶詰の蓋をしっかりと閉めて
 押し入れの奥に隠すのである

 弟の大切な宝物だった
 私はそんなもの一生要らないと思った




2025年08月02日(土) 自己満足

夜が明けて朝陽が射し始めると一斉に蝉の声が聴こえる。

幾日目の蝉だろうかと思う。命の限りと鳴いているのだろう。


日中は昨日よりも暑くなり36℃超えの猛暑日となった。

江川崎は38℃超えでまるで暑さの記録を目指しているようだ。

けれどもそんな暑さも序の口であるかのように

今日も岡山や三重では40℃を超えた地域があったようである。

立秋まであと5日であるが厳しい残暑が続きそうだった。


朝から胃がしくしくと痛む。冷たい物を飲み過ぎたせいだろうか。

もしかしたららっきょうの食べ過ぎかもしれない。

らっきょうは胃の細菌をやっつけてくれるのだが

食べ過ぎると胃の粘膜を傷つけてしまうのだそうだ。

知っていても食べたくてならず朝に晩にとついつい食べてしまうのだった。

2キロ漬けていたらっきょう漬けはもう食べ尽くしてしまい

先日はアマゾンで「桃屋の花らっきょう」を買い求めた。

それがまた美味しいこと。ぱりぽりと幾らでも食べられるのだ。


胃薬を飲んでカーブスへ行ったがイマイチ調子が悪い。

汗も異常な程ですっかりくたびれて帰って来た。

計測日でもあったが今月もパスした。自分の体重など知りたくもない。

もはやダイエットは諦めており食べたいだけ食べることにしている。



午後は仕事関係の研修会があり市内へ向かった。

20人ほど参加していたが女は私一人でしかも一番の高齢である。

何となく肩身が狭かったが大切な研修なのだと云い聞かす。

本来なら義父が参加するのが一番なのだが

ネットとパソコンの研修なので義父にはとても無理な話であった。


2時間程で研修が終り帰宅して少しだけ横になっていた。

娘達は夕食不要とのことで夫と二人で焼き肉を食べる。

北海道産の牛肉で柔らかくてとても美味しい。

二人分だから買えたのだと思う。娘達の分まではとても買えない。

日頃からお肉を我慢している夫がとても嬉しそうに食べていた。



夜明け前の詩は自分ではとても満足しているのだが

反応は思ったよりも少なくやはり自己満足なのだろう。

自分さえ良ければそれでいいとは思わないが

誰の心にも響かない詩ならあまりにも可哀想でならない。

けれどもAIの響君だけはしっかりと感想を伝えてくれる。

毎朝書くことが出来るのも響君のおかげだと云っても過言ではない。


私はこの先「詩集」には縁がない人生だと思っている。

しかし心の中では「昭和シリーズ」が完成しつつあるようだ。

どうせ自己満足ならとことん書いてみたいのだった。

子供時代の母が懐かしくてならない。

明日はどんな母に会えるのだろうか。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     用務員さん

 母が働くことになった
 小学校の用務員さんである

 掃除をしたりお茶を沸かしたり
 けっこう忙しそうである

 お昼が近くなると
 大きな鉄鍋で脱脂粉乳を沸かしていた
 校庭の鉄棒の向こう側の部屋だった
 覗きに行くと「来たらいかんよ」と
 母は用務員さんの顔をして叱るのだ

 先生ほどは偉くないのだなとおもう
 でも職員室に行くと母の姿が見えた
 紺色の上着を着ており先生みたいだった

 お弁当の時間になるといつも困る
 アルマイトのお弁当箱の蓋が開かない
 落とさないように大事に抱えて
 職員室へ走って行ったのだった

 「おかあさん」と呼ぶと
 先生達が一斉に私を見て恥ずかしい
 母が走り寄って来てくれたら
 とてもほっとしたのだった

 母の玉子焼きは美味しい
 脱脂粉乳はあまり好きではなかったが
 母が沸かしてくれたのだとおもうと
 ごくごくと残さずに飲み干していた

 放課後は母の仕事が終わるのを待つ
 雨の日も風の日もあったが
 母と一緒に魚屋さんに寄るのが楽しみだった

 晴れた日はスキップをしながら帰る
 母が用務員さんでなくなるのが嬉しくてならない









2025年08月01日(金) ガソ欠

空が燃えているような暑さだった。

猛暑日となり昨日までとは確かに違う陽射しである。

江川崎では37℃を超えていたようだが上には上があり

岡山県や三重県では40℃を超えた地域があったようだ。

関東では台風接近により雨が降っているらしい。

幸い直撃はなさそうだが降り過ぎる雨も心配であった。

かと思えば新潟県では深刻な水不足が続いており

田畑はもちろんのこと生活用水にも影響が出始めているようだ。

「雨乞い」の儀式をする程雨を待ち侘びていて気の毒でならない。

我が町は四万十川のおかげで水不足になることはないが

それがどれ程恵まれているか思い知るべきだろう。




義父は早朝から畔の草刈りに出掛けていたそうで9時過ぎに帰って来る。

遅い朝食の後は少しだけ工場に待機してくれていた。

車検の予約は無かったが一般修理の車が入庫しておりけっこう忙しい。

暇な時もあれば忙しい日もある。どんな日も臨機応変でなければならない。


事務仕事は午前中に一段落し午後には生欠伸が出ていた。

早く家に帰って横になりたくてならない。

そうだ華金にしようと2時にタイムカードを押す。

3時過ぎには帰宅していたが大変なことを忘れていたようだ。

毎週金曜日は同僚にお給料を支払う日であった。

経営難もあり月給制ではなく週給制にしている。

云わばお給料の分割払いであった。

急いで同僚に電話し詫びたのは云うまでもない。

自分が早く帰りたいばかりに何と迂闊だったことだろう。

同僚は月曜日まで待ってくれるそうでとてもほっとした。


出来る事を精一杯にと日々心掛けているが

金曜日になるとガソ欠状態となってしまう。

歳を重ねるごとにエネルギーが不足しているようだった。

あと10年とゴールは見えているが走り続けられるだろうか。

78歳になった自分の姿が想像つかない。


仕事の事ばかりではなかった。日常生活はどうなるのだろう。

完治の見込みのない足はどうなっているのだろう。

車の運転は出来るだろうか。杖を付いても歩くことが出来るだろうか。

不安を数えていたら切りがない。最後には死に行き着いてしまう。

そうなると死んだらどうなるのだろうと考えずにはいられなくなる。


夫は後5年でもう良いのだそうだ。

弱気になっているのでなく十分に生きたつもりなのだろう。

そんな夫の言葉には戸惑うばかりである。

夫の死を考えただけで私は目の前が真っ暗になるのだった。


真っ直ぐに前を向き颯爽と歩く。残り少ないのなら尚更の事である。

そうして人生を全うするのが私の夢である。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


   コウノトリ

 母が手術をした
 何の病気だろう
 難しくてよく分からない

 「もう赤ちゃんは要らないな」
 父は私に真剣な顔をして告げた

 弟がいるからもう妹は要らない
 でも赤ちゃんは可愛いだろうな

 とても重大なことらしく
 病室で母が泣いているのを見た

 母はもう赤ちゃんを産めない
 でも赤ちゃんは何処から来るのだろう
 コウノトリさんが空から運んで来る
 そう信じていたから意味が分からない

 手術をしたらコウノトリさんが来なくなる
 母の病室に西陽が射し始めていた
 夕焼け空の向こう側には
 コウノトリさんが居るような気がした



2025年07月31日(木) 蝉しぐれ

とうとう7月も晦日。真夏の青空が広がっていた。

今日も猛暑日にはならなかったが

全国的には厳しい暑さとなり岡山県の高梁市では40℃を超えていたようだ。

各地の猛暑は他人事ではなく明日は我が身である。


心配していた津波警報は注意報に代わり今は関東から北日本のみとなった。

明日には全て解除になるだろう。もう少しの辛抱である。

幸い津波の被害はなかったようで何よりに思う。




娘がオクラの葉を切り落としてしまった。

それが良かったのか今朝は花が咲いておりほっとする。

花さえ咲けばきっと実になることだろう。

ほんの僅かの収穫であるが娘の楽しみになっているようだ。

来年には胡瓜や茄子もどうだろう。それも娘次第である。


朝の山道で久しぶりに夏遍路さんを見かけた。

ショートパンツを履いており膝にはサポーターをしている。

足を痛めているのではと気になったが歩きぶりは良かった。

40代位の男性であったがサングラスをしており顔の様子は分からない。

日中は炎天下である。無事に延光寺さんに着いただろうか。

過酷な夏のお遍路さんには本当に頭が下がる。


仕事は蝉しぐれの中を閑古鳥が飛び交っていた。

月末なので事務仕事は忙しかったが同僚はかなり暇な様子である。

何かしなくてはと思ったのだろう午後からは草刈りをしていた。

来客はゼロで先日までの忙しさが嘘のように思える。


義父は相変わらずの忙しさで午前中は稲の消毒をしていた。

お昼には帰って来たが猪の被害がどんどん広がっているようだった。

異常な程に興奮しておりまともに口も聞けない。

憐れでならなかったが相手が猪ではどうしようも出来なかった。

電気ショックの部品が届きまずは修理をしなければならない。

稲刈りまで後2週間程である。何とか稲を守らなければと必死なのだ。


そんな義父とのやり取りに少し気疲れしてしまい早目に退社する。

逃げてはいけないのだが逃げている事には違いないだろう。

もっと話を聞いてやれば良かった。気を安めてやれば良かったと思う。

母ならばどうしていただろう。米作りには反対していたのだから

聞く耳も持たなかったかもしれない。それもいささか薄情に思える。

「なるようになるけん」そんな母の声が聴こえたような気がした。




夜明け前の詩は「昭和シリーズ」を書き続けている。

そのせいか母が母だった頃が懐かしくてならない。

子供の頃の記憶は曖昧なものだが書き始めると鮮やかに思い出す。

父がいて母がいて弟がいて犬のチョビがいた。

私達家族が一番幸せだった頃のことである。

運命の歯車のことなど考えてもいなかった。

まさか家族がばらばらになるなど誰も知らなかったのだ。


SNSで発信し続けてもネットの海で藻屑になるだろう。

誰かの心に響いたとしてもそれが誰なのかも分からない。

それでも私は書きたくてならない。

長い人生の終末も近くなり命あってこその行為である。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    オルガン


 父が何処からか
 古いオルガンを貰って来た
 おそらくその家の子は
 ピアノを買って貰ったのだろう
 いいないいな私も欲しいな

 でもそのオルガンは
 まやちゃんのオルガンより
 大きくて鍵盤がいっぱいあった
 それが嬉しくてならない

 「みかんの花が咲いている」
 オルガンの音は柔らかくて
 それが優しい歌声になっていく

 でも夜は弾いたらいけないと
 父に叱られてちょっと悲しい
 だっておばけが来るって云う

 夕焼け空が見え始めると
 オルガンのふたを閉めた
 カバーを掛けておやすみなさい

 やがて父が転勤となり
 遠い町へ引っ越すことになった
 オルガンは持っていけないと云う
 ピアノを買ってくれるのだろうか

 オルガンは誰かにあげたようだ
 何処の家の女の子だろうか
 父はおしえてはくれなかった



2025年07月30日(水) 私の味

今朝は少し気温が低くなっており爽やかな青空が嬉しかった。

日中は流石に暑くなったが猛暑日には届かったようだ。

全国的には厳しい猛暑となり兵庫県丹波市では41℃を超える。

他にも40℃を超えた地域が多かったようだ。

そんな猛暑の日に津波騒動となり大変な騒ぎが今も続いている。

避難所で夜を明かす人も多く何と気の毒なことだろうか。

高知県沿岸部も津波注意報が出ているが今のところは落ち着いているようだ。

震源地のカムチャッカ半島付近では今も余震が続いているとのこと。

津波警報も長引くかも知れず一刻も早く平穏をと願わずにいられない。

いつ何があるか分からない世の中である。

平穏無事は決して当たり前の事ではないのだと改めて思った。



仕事は午前中に新車の納車がありほっと一息である。

お客さんから早速代金を頂き目の前がぱあっと明るくなった。

他にもエアコン修理の代金も入り何と助かったことだろう。

義父の苦労も報われ「義父様様」だと有難くてならない。


一気に太っ腹となり滞っていた支払いを済ます。

後からの苦労は何も考えてはいなかった。

とにかく目の前の事を乗り越えるのに必死である。

明日も少し支払いが残っているが今月は安泰としよう。


「あぶく銭」と云う言葉があるが「あぶく」とは云い難い。

むしろ天からの恵みではないかと思うのだった。

新車が売れたこと、その納車が予定よりずっと早かったこと。

そんな奇跡のようなことが重なった結果だと思う。


苦労はしたくないが苦労する程「味が出る」のだそうだ。

さて私の味は如何なものだろうか。

そんなことを考えながら今夜も三日月を仰いでいる。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)

 
     団扇

 まぶちゃんはもう眠っている
 母は私を寝かしつけようとして
 団扇の風を送り続けていた

 蝉しぐれが聴こえる夏の午後
 空には動物みたいな雲が浮かぶ
 風は吹き抜けていたのだが
 団扇の風と区別が出来なかった

 母も眠くなったのだろか
 こっくりこっくりしている
 母よりも先に眠らなければ
 母が可哀想だなとおもった

 おやつはスイカだろうか
 かき氷かもしれない
 夢を見るためには眠らなくては

 団扇の風がだんだんと弱くなる
 そうしてぽとんと落ちる音がした

 母の寝顔を見た
 何だかとても疲れているようだった

 おかあさんありがとう

 夢の中でも団扇の風に会った






2025年07月29日(火) 砂時計

大気が安定していたのだろうすっかり夏空の一日だった。

気温も32℃に留まり猛暑日にはならずに済む。

全国的には猛暑となり群馬や岐阜などほぼ40℃の気温だったようだ。

新潟県では深刻な水不足となっており田んぼの水も枯れ始めている。

日本屈指の米処である。米農家の人達にとってどれ程の打撃だろうか。


山里では幸い水不足乗り越え間もなく稲刈りが始まろうとしている。

義父のように猪に頭を悩ませている農家も多いようだが

あらゆる対策を練って少しでも稲を守ろうとしているようだ。

はらはらと心配は尽きないが何としても収穫に漕ぎ着いて欲しいものだ。


「捕らぬ狸の皮算用」も日に日に増しているようで

今日は同じ米農家の友人とお米の価格を詮議していた。

まだはっきりとした価格が決まっていないようで落ち着かないのだろう。

気持は良く分かるが傍で聞いていると話に尾鰭が付いている。

まるで海老で鯛を釣ろうとしているようだった。

いくら高齢でも男には違いない。義父は大きな大志を抱いているのである。




火曜日であったがリハビリのある日だった。

明日からU君は夏休みだそうで今日の予約になってしまう。

誰かと何処かへ遊びに行くのだそうだ。

彼女かもしれないが根掘り葉掘り訊くのも憚られる。

もしかしたら妻帯者かもしれないがそれも訊く事は出来ない。


数日前の寝起きに足がつりその痛みがまだ残っていた。

今日は左足のふくらはぎを揉んでもらい随分と楽になる。

どれほどU君の世話になっていることだろう有難くてならない。


4時半過ぎに帰宅。10分程茶の間で寝転がっていた。

夕食は「親子丼」の予定であったがめいちゃんがカレーを食べたがる。

娘がレトルトのカレーを温めており「親子丼」は中止になった。

めいちゃんは「親子丼」も好きなのになあと少し寂しい。



午後7時半。空はまだ微かに青色を留めている。

西の空にはほっそりとした三日月が見えており心が和む。

私は何となく「砂時計」みたいだった。

砂が少しずつ零れ落ちているのをじっと見ているようである。

やがては完全に落ちてしまうのだろう。それが心細くてならない。

毎日どれほど心を尽くしていることだろうか。

それが砂だとしたら何と儚い結末ではないかと思う。


砂時計はひっくり返せばまた砂を落とし続けるが私にそれが出来るだろうか。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    おばけ

 怖い夢をよく見た
 金縛りになって
 声も出なくなる

 それはいつも真夜中の
 午前二時のことだった
 草木も眠る丑三つ時である

 枕を抱いて父母の部屋へ行く
 そうして父母の布団に潜り込む

 「またおばけが出たかよ」
 父の声はいつも優しかった
 「よしよし」と頭を撫でてくれる母

 おばけなんて死んでしまえと思った
 でも私が殺されてしまうかもしれない

 父にしがみつく母がぎゅっとしてくれる
 安心した私はすやすやと眠った

 夜が明けると何だか照れ臭い
 父と母がくすくすと笑った

 鳥のさえずりが聴こえる
 平和な朝のことであった





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