ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月31日(木) 蝉しぐれ

とうとう7月も晦日。真夏の青空が広がっていた。

今日も猛暑日にはならなかったが

全国的には厳しい暑さとなり岡山県の高梁市では40℃を超えていたようだ。

各地の猛暑は他人事ではなく明日は我が身である。


心配していた津波警報は注意報に代わり今は関東から北日本のみとなった。

明日には全て解除になるだろう。もう少しの辛抱である。

幸い津波の被害はなかったようで何よりに思う。




娘がオクラの葉を切り落としてしまった。

それが良かったのか今朝は花が咲いておりほっとする。

花さえ咲けばきっと実になることだろう。

ほんの僅かの収穫であるが娘の楽しみになっているようだ。

来年には胡瓜や茄子もどうだろう。それも娘次第である。


朝の山道で久しぶりに夏遍路さんを見かけた。

ショートパンツを履いており膝にはサポーターをしている。

足を痛めているのではと気になったが歩きぶりは良かった。

40代位の男性であったがサングラスをしており顔の様子は分からない。

日中は炎天下である。無事に延光寺さんに着いただろうか。

過酷な夏のお遍路さんには本当に頭が下がる。


仕事は蝉しぐれの中を閑古鳥が飛び交っていた。

月末なので事務仕事は忙しかったが同僚はかなり暇な様子である。

何かしなくてはと思ったのだろう午後からは草刈りをしていた。

来客はゼロで先日までの忙しさが嘘のように思える。


義父は相変わらずの忙しさで午前中は稲の消毒をしていた。

お昼には帰って来たが猪の被害がどんどん広がっているようだった。

異常な程に興奮しておりまともに口も聞けない。

憐れでならなかったが相手が猪ではどうしようも出来なかった。

電気ショックの部品が届きまずは修理をしなければならない。

稲刈りまで後2週間程である。何とか稲を守らなければと必死なのだ。


そんな義父とのやり取りに少し気疲れしてしまい早目に退社する。

逃げてはいけないのだが逃げている事には違いないだろう。

もっと話を聞いてやれば良かった。気を安めてやれば良かったと思う。

母ならばどうしていただろう。米作りには反対していたのだから

聞く耳も持たなかったかもしれない。それもいささか薄情に思える。

「なるようになるけん」そんな母の声が聴こえたような気がした。




夜明け前の詩は「昭和シリーズ」を書き続けている。

そのせいか母が母だった頃が懐かしくてならない。

子供の頃の記憶は曖昧なものだが書き始めると鮮やかに思い出す。

父がいて母がいて弟がいて犬のチョビがいた。

私達家族が一番幸せだった頃のことである。

運命の歯車のことなど考えてもいなかった。

まさか家族がばらばらになるなど誰も知らなかったのだ。


SNSで発信し続けてもネットの海で藻屑になるだろう。

誰かの心に響いたとしてもそれが誰なのかも分からない。

それでも私は書きたくてならない。

長い人生の終末も近くなり命あってこその行為である。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    オルガン


 父が何処からか
 古いオルガンを貰って来た
 おそらくその家の子は
 ピアノを買って貰ったのだろう
 いいないいな私も欲しいな

 でもそのオルガンは
 まやちゃんのオルガンより
 大きくて鍵盤がいっぱいあった
 それが嬉しくてならない

 「みかんの花が咲いている」
 オルガンの音は柔らかくて
 それが優しい歌声になっていく

 でも夜は弾いたらいけないと
 父に叱られてちょっと悲しい
 だっておばけが来るって云う

 夕焼け空が見え始めると
 オルガンのふたを閉めた
 カバーを掛けておやすみなさい

 やがて父が転勤となり
 遠い町へ引っ越すことになった
 オルガンは持っていけないと云う
 ピアノを買ってくれるのだろうか

 オルガンは誰かにあげたようだ
 何処の家の女の子だろうか
 父はおしえてはくれなかった



2025年07月30日(水) 私の味

今朝は少し気温が低くなっており爽やかな青空が嬉しかった。

日中は流石に暑くなったが猛暑日には届かったようだ。

全国的には厳しい猛暑となり兵庫県丹波市では41℃を超える。

他にも40℃を超えた地域が多かったようだ。

そんな猛暑の日に津波騒動となり大変な騒ぎが今も続いている。

避難所で夜を明かす人も多く何と気の毒なことだろうか。

高知県沿岸部も津波注意報が出ているが今のところは落ち着いているようだ。

震源地のカムチャッカ半島付近では今も余震が続いているとのこと。

津波警報も長引くかも知れず一刻も早く平穏をと願わずにいられない。

いつ何があるか分からない世の中である。

平穏無事は決して当たり前の事ではないのだと改めて思った。



仕事は午前中に新車の納車がありほっと一息である。

お客さんから早速代金を頂き目の前がぱあっと明るくなった。

他にもエアコン修理の代金も入り何と助かったことだろう。

義父の苦労も報われ「義父様様」だと有難くてならない。


一気に太っ腹となり滞っていた支払いを済ます。

後からの苦労は何も考えてはいなかった。

とにかく目の前の事を乗り越えるのに必死である。

明日も少し支払いが残っているが今月は安泰としよう。


「あぶく銭」と云う言葉があるが「あぶく」とは云い難い。

むしろ天からの恵みではないかと思うのだった。

新車が売れたこと、その納車が予定よりずっと早かったこと。

そんな奇跡のようなことが重なった結果だと思う。


苦労はしたくないが苦労する程「味が出る」のだそうだ。

さて私の味は如何なものだろうか。

そんなことを考えながら今夜も三日月を仰いでいる。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)

 
     団扇

 まぶちゃんはもう眠っている
 母は私を寝かしつけようとして
 団扇の風を送り続けていた

 蝉しぐれが聴こえる夏の午後
 空には動物みたいな雲が浮かぶ
 風は吹き抜けていたのだが
 団扇の風と区別が出来なかった

 母も眠くなったのだろか
 こっくりこっくりしている
 母よりも先に眠らなければ
 母が可哀想だなとおもった

 おやつはスイカだろうか
 かき氷かもしれない
 夢を見るためには眠らなくては

 団扇の風がだんだんと弱くなる
 そうしてぽとんと落ちる音がした

 母の寝顔を見た
 何だかとても疲れているようだった

 おかあさんありがとう

 夢の中でも団扇の風に会った






2025年07月29日(火) 砂時計

大気が安定していたのだろうすっかり夏空の一日だった。

気温も32℃に留まり猛暑日にはならずに済む。

全国的には猛暑となり群馬や岐阜などほぼ40℃の気温だったようだ。

新潟県では深刻な水不足となっており田んぼの水も枯れ始めている。

日本屈指の米処である。米農家の人達にとってどれ程の打撃だろうか。


山里では幸い水不足乗り越え間もなく稲刈りが始まろうとしている。

義父のように猪に頭を悩ませている農家も多いようだが

あらゆる対策を練って少しでも稲を守ろうとしているようだ。

はらはらと心配は尽きないが何としても収穫に漕ぎ着いて欲しいものだ。


「捕らぬ狸の皮算用」も日に日に増しているようで

今日は同じ米農家の友人とお米の価格を詮議していた。

まだはっきりとした価格が決まっていないようで落ち着かないのだろう。

気持は良く分かるが傍で聞いていると話に尾鰭が付いている。

まるで海老で鯛を釣ろうとしているようだった。

いくら高齢でも男には違いない。義父は大きな大志を抱いているのである。




火曜日であったがリハビリのある日だった。

明日からU君は夏休みだそうで今日の予約になってしまう。

誰かと何処かへ遊びに行くのだそうだ。

彼女かもしれないが根掘り葉掘り訊くのも憚られる。

もしかしたら妻帯者かもしれないがそれも訊く事は出来ない。


数日前の寝起きに足がつりその痛みがまだ残っていた。

今日は左足のふくらはぎを揉んでもらい随分と楽になる。

どれほどU君の世話になっていることだろう有難くてならない。


4時半過ぎに帰宅。10分程茶の間で寝転がっていた。

夕食は「親子丼」の予定であったがめいちゃんがカレーを食べたがる。

娘がレトルトのカレーを温めており「親子丼」は中止になった。

めいちゃんは「親子丼」も好きなのになあと少し寂しい。



午後7時半。空はまだ微かに青色を留めている。

西の空にはほっそりとした三日月が見えており心が和む。

私は何となく「砂時計」みたいだった。

砂が少しずつ零れ落ちているのをじっと見ているようである。

やがては完全に落ちてしまうのだろう。それが心細くてならない。

毎日どれほど心を尽くしていることだろうか。

それが砂だとしたら何と儚い結末ではないかと思う。


砂時計はひっくり返せばまた砂を落とし続けるが私にそれが出来るだろうか。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    おばけ

 怖い夢をよく見た
 金縛りになって
 声も出なくなる

 それはいつも真夜中の
 午前二時のことだった
 草木も眠る丑三つ時である

 枕を抱いて父母の部屋へ行く
 そうして父母の布団に潜り込む

 「またおばけが出たかよ」
 父の声はいつも優しかった
 「よしよし」と頭を撫でてくれる母

 おばけなんて死んでしまえと思った
 でも私が殺されてしまうかもしれない

 父にしがみつく母がぎゅっとしてくれる
 安心した私はすやすやと眠った

 夜が明けると何だか照れ臭い
 父と母がくすくすと笑った

 鳥のさえずりが聴こえる
 平和な朝のことであった






2025年07月28日(月) 虹の朝

朝方にはにわか雨が降り直ぐに止んだが

丁度朝陽が射し始めた頃で大きな虹が見えていた。

まるで川の中から生まれたような虹で何とも幻想的である。

あやちゃんに見せたくなり寝ているのを起こしたが

酷く機嫌が悪く見せてやることが出来なかった。

一日中部屋に閉じ籠っていて窓を開けることもしない。

空を思い出して欲しかったがそれもお節介な老婆心だろうか。

虹を見れば心が動かされるのではないかと思ったが

心の扉は固くまるで鍵を掛けているようであった。



さあ月曜日と気負いつつ山里の職場に向かう。

義父は早朝から草刈りに行ったらしくもぬけの殻であった。

10時頃に帰って来たが稲刈り間近の田んぼが猪に荒らされているらしい。

「いもち病」のあとは猪との闘いである。

電気ショックの機械を備え付けていたのだが故障していたらしい。

猪は稲を食い荒らしのたうち回れば稲は食用にならないのだそうだ。

獣臭が残るそうでその田んぼは全滅となってしまうのだった。

何でも修理する義父のことで早速機械の部品を注文していた。

早くしないと手遅れになってしまうので必死の様相である。

田螺に始まりカメムシ、いもち病の後は猪と

小泉君はそんな米農家の現状を知っているのだろうかと思う。

赤字覚悟で食糧米を作っていることを心に留めて欲しいものだ。


工場の仕事は一段落しており今週は車検の予約も無かった。

閑古鳥を呼び寄せる訳にも行かず同僚は待機を続ける。

私は月末の資金繰りに頭を悩ませていたが

新車が一台売れて納車が30日に決まっていた。

その日にお客さんは即金で車代を支払ってくれるのだそうだ。

もちろんディーラーに支払わねばならないが約ひと月の猶予がある。

義父と相談して先にその代金を月末の資金に充てることにした。

後は野となれ山となれである。金は天下の回り物とはよく云ったものだ。

来月は来月でまた苦しくなりそうだが

とにかく目の前の壁を突破することなのだろう。


買い物を済ませ4時前に帰宅。今日は鮪を買うことが出来た。

娘に「今夜はお刺身があるよ」と告げたら「やったあ」と喜ぶ。

夫には「丸干し鰯」であった。何と安上がりなことだろう。

それでも文句も云わず喜んで食べてくれるのが嬉しい。

「居候三杯目にはそっと出し」と云う諺があるが

私と夫は贅沢も云わずひっそりと暮らしているのであった。


随分と日が短くなったように思えたが窓の外はまだ薄っすらと明るい。

川向の山が見え黒い雲がたなびいている。

明日はどんな風に会えるのだろう。

生きてこその明日を待ち侘びている夜であった。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      坂道

 物心ついた頃から犬が居て
 真っ白い毛のスピッツだった

 父も母も犬が好きだったのだろう
 スピッツは「ちょび」と呼ばれていた

 昭和30年代のことだ
 鎖に繋がれた犬は少なく
 ちょびは自由に走り回り
 子供達と遊ぶのが好きだった

 ある日の事「ちょび」を
 洗濯籠に入れて坂道を滑らせた
 きっと無事に着地すると
 誰もが信じていたのだが

 「ちょび」は途中でひっくり返り
 とても痛そうに転げ落ちて行った

 父と母にひどく叱られた
 一緒に遊んでいただけなのに
 「ちょび」は玩具じゃないよと云う

 「ちょび」は家族だったのだ
 それなのにいつの間にか居なくなった

 歳を取って死んでしまったらしいが
 その死顔さえ憶えていないのだった

 坂道は今もある
 けれども何処にも「ちょび」は見えない



2025年07月27日(日) ひねもす寝たり寝たり

朝のうちにはにわか雨が降ったが午後には夏空が広がる。

入道雲が見え始めると蝉の声も聴こえ始めた。

気温は31℃、他の地域に比べると低目だが蒸し暑くてならない。

兵庫県豊岡市では39℃を超え各地で猛暑日が続出していたようだ。


庭先では早咲きの秋桜が風に揺れている。

後から後から蕾が見えており秋まで咲き続けるかもしれない。

これからの猛暑を何としても乗り越えて欲しいものだ。

鉢植えの秋桜は水やりが必須で娘が世話をし続けている。

オクラも同様であったがやはり葉が黄色くなり始めていた。

花が咲かないと実もならず日に日に憐れに見えて来る。

娘が仕事を持っていたら世話もろくに出来なかったことだろう。

私は何も出来ず娘に頼るばかりであった。



ひねもす寝たり寝たり。朝寝もすれば昼寝もする。

それでも今日は3時に目覚め大相撲の千秋楽を観ていた。

大の里は残念な成績であったが平幕の「琴勝峰」が初優勝をした。

観客先にはご両親が見えておりお母様が涙ぐんでおられた。

息子の晴れ舞台である。どんなにか感激したことだろうか。


「あーあもう終ったな」夫は既に相撲ロスになり始めていて

明日からの楽しみがなくなり途方に暮れている様子である。

それにしても2週間の何と早かったことだろう。

あっと云う間に8月になり一気に今年が終わってしまいそうだ。

一日一日を丁寧に大切に過ごさねばと思うが

背中を押されるように駆け抜けてしまうことだろう。


娘と夕飯の支度をしていたら「今日はお刺身はないが?」と訊かれた。

海が荒れているせいだろう高価で手が出なかったのだ。

月末が近くなりお財布も寂しい。来月には年金があるのでもう少しである。

しかし年金を食費に回せないのが我が家の実情であった。

月始めに娘達から食費を貰うのだが僅か5万円である。

それと私の収入を合わせて何とかやり繰りをしているのだった。

そのせいか月末は厳しくお刺身を買えない日もある。

娘婿には気を遣うことが多く今夜は申し訳なくてならなかった。

娘がお刺身の代わりに枝豆を茹でて食卓に置いており

何とか晩酌が整ったようでほっと胸を撫で下ろしていた。


「暮らす」ことはどうにでもなるように思えるが

我が家のように二世帯となるとけっこう厳しいものである。

娘は娘に違いないが何処かの奥様に思える時があるのだった。

他人行儀に感じる時は悲しくてやりきれない。

それでも笑顔を振りまき丸く納めて行かねばならないのだ。


私達夫婦はすっかり居候のようになってしまったが

「じいちゃん、ばあちゃん」と呼ばれて日々をやり過ごしている。


未来は見えない。ただ目の前に「明日」があるのは確かだった。



※以下今朝の詩(父の詩が書けた)

    
     かくれんぼ

 父の事を書こうとしている
 それなのに父が隠れてしまう

 もういいかい
 まあだだよ

 かくれんぼなんかしたことはない
 ただいつも父の背中を見ていた

 その広い背中におぶさったこと
 ゆっさゆっさと揺れたこと

 二十歳の頃父と別れた
 父は声だけの存在となり
 どうしようもなく流れた歳月

 孫の顔も見せてはやれなかった
 どんなにか抱きたかったことか

 父は古びたアパートの一室で
 誰にも知られずに死んでしまった

 もういいかい
 もういいよ

 冷たいはずの父の背中が温かい
 その背中におぶさるように
 私は一晩中父と一緒に眠った

 秋が深まり木枯らしが吹き始める頃



2025年07月26日(土) 唯一無二

雨が降ったり止んだり。時おり激しく降ることもあった。

気温は今日も30℃に届かなかったが不快な程の蒸し暑さとなる。

少し動いただけで汗びっしょりとなり髪は洗ったかのように濡れた。

関東から東北にかけては猛烈な暑さだったようで

福島県伊達市では39.9℃と信じられないような酷暑である。

熱中症で搬送された人も居ることだろう。何とも気の毒であった。


娘の育てているオクラの葉が黄色くなり始めている。

枯れているのではなく植物の病気のようだった。

今朝は小さな蜂が群がっており異常にも見える。

農薬は使いたくなくもはや成り行きに任せるしかない。



一時間程朝寝をしてからカーブスに向かったが

駐車場が満車状態で困り果てた。

うろうろしていたらやっと一台停めることが出来る。

駐車場からカーブスまでかなり歩かなければならず

途中で何度も休みながらもう息も絶え絶えであった。

だんだんと歩くことが困難になって来ている。

この先どうなるのだろうと少し不安になった。


既に汗びっしょりになっており筋トレも辛い。

代謝が良い証拠らしいが身体に効いているとは思えない。

それでも嘆いてはいられない。一生懸命に身体を動かす。

私にとっては唯一の運動であった。


帰りの駐車場で私と同じように困り果てている人がいて

「ここ出ますよ」と合図をしたらほっとしたように微笑んでくれた。

もちろん見ず知らずの人だったがささやかなふれあいが嬉しい。


帰宅後は昼食を食べ終わるなり倒れ込むように寝ていた。

3時頃に一度目を覚ましていたがまた眠っていたようだ。

呆れ返った夫に起こされたらもう5時近くになっていた。

何と半日も寝ていたのかと自分でも呆れ返るばかりである。

どれ程時間を無駄にしていることだろうと思うが

寝たいだけ寝るのが一番だと思いたい。


夜明け前の詩は相変わらずだが最近は昭和の記憶を書いている。

母の事だったり弟の事だったり明日は父の事を書いてみたい。

そうこうしているうちに青春時代の事も書ける日が来るだろう。


記憶程あいまいなものはないがそれを如何に鮮やかにするかである。

特に子供の頃の記憶は人生の「宝物」のように思えるのだった。

父が居て母が居て弟が居た。もう二度と戻れない幸せな昭和のことである。


歳月を重ね老いを重ねて来たからこそ書ける事があるような気がする。

それは私にしか書けないことで「唯一無二」の詩でなくてはならない。


※以下今朝の詩


     さかな

 母が台所で魚を捌いている
 好奇心いっぱいの弟は
 魚の事が気になってならない

 「オスやろうかメスやろうか」
 母に訊いていたのだが
 母にも分からなかったようだ

 「お魚に訊いてみいや」
 すると弟は流し台に駆け寄り
 魚に話し掛けているのだった

 魚はもう何も応えられない
 母が頭を切り落とそうとしている
 ぐさっと音がして
 真っ赤な血が流れるのを見た

 「かわいそうや」と弟は泣く
 「いたそうや」と涙を流す

 魚は調理され食卓に上がったが
 弟は食べようとはしなかった

 私は弟のぶんも食べてしまった
 オスなのかメスなのか知らない
 それはとても美味しかったのだ

 どこの海を泳いでいたのだろう
 家族がいたのかもしれないと思う



2025年07月25日(金) おらは死んじまっただあ

雲間から青空が見えていたがにわか雨が降ったり止んだり。

蒸し暑さの割に気温は30℃に届かなかったようだ。

まだまだ戻り梅雨なのだろうか。蝉の声も聴こえなくなかった。


山里では日曜日に「清流まつり」があるそうで

商工会の職員さん達が準備を始めている。

最初の予定では先週の日曜日だったが雨で川の水が増水しており

今週に延期になったようだ。しかし明日も雨の予報になっていて

また川の水が増水すれば中止になってしまうのだそうだ。

ちいさな村の行事だが村外からの親子連れも多いと聞く。

子供達も楽しみにしていることだろう。中止となれば残念でならない。

どうか無事に開催出来ることを願うばかりである。




今日は同僚が整備研修のため朝から出掛けていた。

臨時休業も考えたが義父がずっと工場に居てくれて随分と助かる。

おかげで先日からのエアコン修理も完了し

バックドア交換の修理も一時間程で完了した。

エアコン修理は明日の納車となりバックドアのお客さんに連絡をする。

宿毛市からだったが直ぐに来てくれて大喜びしていた。

その後のやり取りが何とも愉快でならずここに記したくてならない。

「ボーナスは出たかい?」と訊くと「今日出たばっかり」と応える。

「そんじゃあ払っとけば」と云うとしばらく迷っていたが

「振込はややこいけんそうしょうか」となったのである。

お財布から万札を出すのを見ていたらけっこう入っていた。

ボーナスは嬉しいね。でもお金に羽根が生えているみたい。

私とお客さんとのやり取りを聞いていた義父が

「まるで追い剥ぎじゃのう」とけらけらと笑っていた。

お金の亡者になってはならない。払いたくなるように仕向ける。

僅か4万円足らずの売上であったがなんと嬉しかったことだろう。

それもこれも義父が汗を流して働いてくれたおかげであった。


実は昨夜一万円札を丸めて呑み込み窒息死した夢を見たのだった。

自分が死ぬ夢はよく見るのだが昨夜は夢だとは思えなかった。

「あーあ死んじゃった」と思いやっと目が覚めたのだった。

毎日お金のことばかり考えているからだったのだろう。

まさかお金に殺されるとは夢にも思っていなかった。


月末の資金が少しずつ増えて来ている。

週明けが勝負だ。何としても乗り越えようと闘志が湧いて来た。

誰が好き好んでお金に殺されるだろう。

耳を揃えて百万持って来なさいとかなり強気になっている。


母が聞いたらきっと大笑いするだろう。

「あんたもやるね」と褒めてくれるかもしれない。

私はそうそう簡単には死なない。まだまだやらねばならないことがある。


※以下今朝の詩


    三角山

 さんかく山に登った
 川向にある小さな山
 水筒とお弁当を持って
 皆でわいわいと登った

 てっぺんに着くと
 平べったくなっていて
 皆で遊ぶことが出来る
 おしっこをしたくなれば
 草むらにしゃがんでした

 駅が見える線路も見える
 高台にある私の家も見えた

 お母さんが見えないかな
 洗濯物は干してあるのに
 母の姿は見つけられない

 「おーい」と大声で叫ぶ
 その声は青空に吸い込まれ
 まるで風みたいにひびいた

 おにぎりと玉子焼き
 お母さんの作ってくれたお弁当は
 この世でいちばん美味しいと思う

 さんかく山は今もある
 駅だってちゃんとある

 それなのに私の家は
 もう何処にも見えなかった


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