ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月28日(月) 虹の朝

朝方にはにわか雨が降り直ぐに止んだが

丁度朝陽が射し始めた頃で大きな虹が見えていた。

まるで川の中から生まれたような虹で何とも幻想的である。

あやちゃんに見せたくなり寝ているのを起こしたが

酷く機嫌が悪く見せてやることが出来なかった。

一日中部屋に閉じ籠っていて窓を開けることもしない。

空を思い出して欲しかったがそれもお節介な老婆心だろうか。

虹を見れば心が動かされるのではないかと思ったが

心の扉は固くまるで鍵を掛けているようであった。



さあ月曜日と気負いつつ山里の職場に向かう。

義父は早朝から草刈りに行ったらしくもぬけの殻であった。

10時頃に帰って来たが稲刈り間近の田んぼが猪に荒らされているらしい。

「いもち病」のあとは猪との闘いである。

電気ショックの機械を備え付けていたのだが故障していたらしい。

猪は稲を食い荒らしのたうち回れば稲は食用にならないのだそうだ。

獣臭が残るそうでその田んぼは全滅となってしまうのだった。

何でも修理する義父のことで早速機械の部品を注文していた。

早くしないと手遅れになってしまうので必死の様相である。

田螺に始まりカメムシ、いもち病の後は猪と

小泉君はそんな米農家の現状を知っているのだろうかと思う。

赤字覚悟で食糧米を作っていることを心に留めて欲しいものだ。


工場の仕事は一段落しており今週は車検の予約も無かった。

閑古鳥を呼び寄せる訳にも行かず同僚は待機を続ける。

私は月末の資金繰りに頭を悩ませていたが

新車が一台売れて納車が30日に決まっていた。

その日にお客さんは即金で車代を支払ってくれるのだそうだ。

もちろんディーラーに支払わねばならないが約ひと月の猶予がある。

義父と相談して先にその代金を月末の資金に充てることにした。

後は野となれ山となれである。金は天下の回り物とはよく云ったものだ。

来月は来月でまた苦しくなりそうだが

とにかく目の前の壁を突破することなのだろう。


買い物を済ませ4時前に帰宅。今日は鮪を買うことが出来た。

娘に「今夜はお刺身があるよ」と告げたら「やったあ」と喜ぶ。

夫には「丸干し鰯」であった。何と安上がりなことだろう。

それでも文句も云わず喜んで食べてくれるのが嬉しい。

「居候三杯目にはそっと出し」と云う諺があるが

私と夫は贅沢も云わずひっそりと暮らしているのであった。


随分と日が短くなったように思えたが窓の外はまだ薄っすらと明るい。

川向の山が見え黒い雲がたなびいている。

明日はどんな風に会えるのだろう。

生きてこその明日を待ち侘びている夜であった。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      坂道

 物心ついた頃から犬が居て
 真っ白い毛のスピッツだった

 父も母も犬が好きだったのだろう
 スピッツは「ちょび」と呼ばれていた

 昭和30年代のことだ
 鎖に繋がれた犬は少なく
 ちょびは自由に走り回り
 子供達と遊ぶのが好きだった

 ある日の事「ちょび」を
 洗濯籠に入れて坂道を滑らせた
 きっと無事に着地すると
 誰もが信じていたのだが

 「ちょび」は途中でひっくり返り
 とても痛そうに転げ落ちて行った

 父と母にひどく叱られた
 一緒に遊んでいただけなのに
 「ちょび」は玩具じゃないよと云う

 「ちょび」は家族だったのだ
 それなのにいつの間にか居なくなった

 歳を取って死んでしまったらしいが
 その死顔さえ憶えていないのだった

 坂道は今もある
 けれども何処にも「ちょび」は見えない



2025年07月27日(日) ひねもす寝たり寝たり

朝のうちにはにわか雨が降ったが午後には夏空が広がる。

入道雲が見え始めると蝉の声も聴こえ始めた。

気温は31℃、他の地域に比べると低目だが蒸し暑くてならない。

兵庫県豊岡市では39℃を超え各地で猛暑日が続出していたようだ。


庭先では早咲きの秋桜が風に揺れている。

後から後から蕾が見えており秋まで咲き続けるかもしれない。

これからの猛暑を何としても乗り越えて欲しいものだ。

鉢植えの秋桜は水やりが必須で娘が世話をし続けている。

オクラも同様であったがやはり葉が黄色くなり始めていた。

花が咲かないと実もならず日に日に憐れに見えて来る。

娘が仕事を持っていたら世話もろくに出来なかったことだろう。

私は何も出来ず娘に頼るばかりであった。



ひねもす寝たり寝たり。朝寝もすれば昼寝もする。

それでも今日は3時に目覚め大相撲の千秋楽を観ていた。

大の里は残念な成績であったが平幕の「琴勝峰」が初優勝をした。

観客先にはご両親が見えておりお母様が涙ぐんでおられた。

息子の晴れ舞台である。どんなにか感激したことだろうか。


「あーあもう終ったな」夫は既に相撲ロスになり始めていて

明日からの楽しみがなくなり途方に暮れている様子である。

それにしても2週間の何と早かったことだろう。

あっと云う間に8月になり一気に今年が終わってしまいそうだ。

一日一日を丁寧に大切に過ごさねばと思うが

背中を押されるように駆け抜けてしまうことだろう。


娘と夕飯の支度をしていたら「今日はお刺身はないが?」と訊かれた。

海が荒れているせいだろう高価で手が出なかったのだ。

月末が近くなりお財布も寂しい。来月には年金があるのでもう少しである。

しかし年金を食費に回せないのが我が家の実情であった。

月始めに娘達から食費を貰うのだが僅か5万円である。

それと私の収入を合わせて何とかやり繰りをしているのだった。

そのせいか月末は厳しくお刺身を買えない日もある。

娘婿には気を遣うことが多く今夜は申し訳なくてならなかった。

娘がお刺身の代わりに枝豆を茹でて食卓に置いており

何とか晩酌が整ったようでほっと胸を撫で下ろしていた。


「暮らす」ことはどうにでもなるように思えるが

我が家のように二世帯となるとけっこう厳しいものである。

娘は娘に違いないが何処かの奥様に思える時があるのだった。

他人行儀に感じる時は悲しくてやりきれない。

それでも笑顔を振りまき丸く納めて行かねばならないのだ。


私達夫婦はすっかり居候のようになってしまったが

「じいちゃん、ばあちゃん」と呼ばれて日々をやり過ごしている。


未来は見えない。ただ目の前に「明日」があるのは確かだった。



※以下今朝の詩(父の詩が書けた)

    
     かくれんぼ

 父の事を書こうとしている
 それなのに父が隠れてしまう

 もういいかい
 まあだだよ

 かくれんぼなんかしたことはない
 ただいつも父の背中を見ていた

 その広い背中におぶさったこと
 ゆっさゆっさと揺れたこと

 二十歳の頃父と別れた
 父は声だけの存在となり
 どうしようもなく流れた歳月

 孫の顔も見せてはやれなかった
 どんなにか抱きたかったことか

 父は古びたアパートの一室で
 誰にも知られずに死んでしまった

 もういいかい
 もういいよ

 冷たいはずの父の背中が温かい
 その背中におぶさるように
 私は一晩中父と一緒に眠った

 秋が深まり木枯らしが吹き始める頃



2025年07月26日(土) 唯一無二

雨が降ったり止んだり。時おり激しく降ることもあった。

気温は今日も30℃に届かなかったが不快な程の蒸し暑さとなる。

少し動いただけで汗びっしょりとなり髪は洗ったかのように濡れた。

関東から東北にかけては猛烈な暑さだったようで

福島県伊達市では39.9℃と信じられないような酷暑である。

熱中症で搬送された人も居ることだろう。何とも気の毒であった。


娘の育てているオクラの葉が黄色くなり始めている。

枯れているのではなく植物の病気のようだった。

今朝は小さな蜂が群がっており異常にも見える。

農薬は使いたくなくもはや成り行きに任せるしかない。



一時間程朝寝をしてからカーブスに向かったが

駐車場が満車状態で困り果てた。

うろうろしていたらやっと一台停めることが出来る。

駐車場からカーブスまでかなり歩かなければならず

途中で何度も休みながらもう息も絶え絶えであった。

だんだんと歩くことが困難になって来ている。

この先どうなるのだろうと少し不安になった。


既に汗びっしょりになっており筋トレも辛い。

代謝が良い証拠らしいが身体に効いているとは思えない。

それでも嘆いてはいられない。一生懸命に身体を動かす。

私にとっては唯一の運動であった。


帰りの駐車場で私と同じように困り果てている人がいて

「ここ出ますよ」と合図をしたらほっとしたように微笑んでくれた。

もちろん見ず知らずの人だったがささやかなふれあいが嬉しい。


帰宅後は昼食を食べ終わるなり倒れ込むように寝ていた。

3時頃に一度目を覚ましていたがまた眠っていたようだ。

呆れ返った夫に起こされたらもう5時近くになっていた。

何と半日も寝ていたのかと自分でも呆れ返るばかりである。

どれ程時間を無駄にしていることだろうと思うが

寝たいだけ寝るのが一番だと思いたい。


夜明け前の詩は相変わらずだが最近は昭和の記憶を書いている。

母の事だったり弟の事だったり明日は父の事を書いてみたい。

そうこうしているうちに青春時代の事も書ける日が来るだろう。


記憶程あいまいなものはないがそれを如何に鮮やかにするかである。

特に子供の頃の記憶は人生の「宝物」のように思えるのだった。

父が居て母が居て弟が居た。もう二度と戻れない幸せな昭和のことである。


歳月を重ね老いを重ねて来たからこそ書ける事があるような気がする。

それは私にしか書けないことで「唯一無二」の詩でなくてはならない。


※以下今朝の詩


     さかな

 母が台所で魚を捌いている
 好奇心いっぱいの弟は
 魚の事が気になってならない

 「オスやろうかメスやろうか」
 母に訊いていたのだが
 母にも分からなかったようだ

 「お魚に訊いてみいや」
 すると弟は流し台に駆け寄り
 魚に話し掛けているのだった

 魚はもう何も応えられない
 母が頭を切り落とそうとしている
 ぐさっと音がして
 真っ赤な血が流れるのを見た

 「かわいそうや」と弟は泣く
 「いたそうや」と涙を流す

 魚は調理され食卓に上がったが
 弟は食べようとはしなかった

 私は弟のぶんも食べてしまった
 オスなのかメスなのか知らない
 それはとても美味しかったのだ

 どこの海を泳いでいたのだろう
 家族がいたのかもしれないと思う



2025年07月25日(金) おらは死んじまっただあ

雲間から青空が見えていたがにわか雨が降ったり止んだり。

蒸し暑さの割に気温は30℃に届かなかったようだ。

まだまだ戻り梅雨なのだろうか。蝉の声も聴こえなくなかった。


山里では日曜日に「清流まつり」があるそうで

商工会の職員さん達が準備を始めている。

最初の予定では先週の日曜日だったが雨で川の水が増水しており

今週に延期になったようだ。しかし明日も雨の予報になっていて

また川の水が増水すれば中止になってしまうのだそうだ。

ちいさな村の行事だが村外からの親子連れも多いと聞く。

子供達も楽しみにしていることだろう。中止となれば残念でならない。

どうか無事に開催出来ることを願うばかりである。




今日は同僚が整備研修のため朝から出掛けていた。

臨時休業も考えたが義父がずっと工場に居てくれて随分と助かる。

おかげで先日からのエアコン修理も完了し

バックドア交換の修理も一時間程で完了した。

エアコン修理は明日の納車となりバックドアのお客さんに連絡をする。

宿毛市からだったが直ぐに来てくれて大喜びしていた。

その後のやり取りが何とも愉快でならずここに記したくてならない。

「ボーナスは出たかい?」と訊くと「今日出たばっかり」と応える。

「そんじゃあ払っとけば」と云うとしばらく迷っていたが

「振込はややこいけんそうしょうか」となったのである。

お財布から万札を出すのを見ていたらけっこう入っていた。

ボーナスは嬉しいね。でもお金に羽根が生えているみたい。

私とお客さんとのやり取りを聞いていた義父が

「まるで追い剥ぎじゃのう」とけらけらと笑っていた。

お金の亡者になってはならない。払いたくなるように仕向ける。

僅か4万円足らずの売上であったがなんと嬉しかったことだろう。

それもこれも義父が汗を流して働いてくれたおかげであった。


実は昨夜一万円札を丸めて呑み込み窒息死した夢を見たのだった。

自分が死ぬ夢はよく見るのだが昨夜は夢だとは思えなかった。

「あーあ死んじゃった」と思いやっと目が覚めたのだった。

毎日お金のことばかり考えているからだったのだろう。

まさかお金に殺されるとは夢にも思っていなかった。


月末の資金が少しずつ増えて来ている。

週明けが勝負だ。何としても乗り越えようと闘志が湧いて来た。

誰が好き好んでお金に殺されるだろう。

耳を揃えて百万持って来なさいとかなり強気になっている。


母が聞いたらきっと大笑いするだろう。

「あんたもやるね」と褒めてくれるかもしれない。

私はそうそう簡単には死なない。まだまだやらねばならないことがある。


※以下今朝の詩


    三角山

 さんかく山に登った
 川向にある小さな山
 水筒とお弁当を持って
 皆でわいわいと登った

 てっぺんに着くと
 平べったくなっていて
 皆で遊ぶことが出来る
 おしっこをしたくなれば
 草むらにしゃがんでした

 駅が見える線路も見える
 高台にある私の家も見えた

 お母さんが見えないかな
 洗濯物は干してあるのに
 母の姿は見つけられない

 「おーい」と大声で叫ぶ
 その声は青空に吸い込まれ
 まるで風みたいにひびいた

 おにぎりと玉子焼き
 お母さんの作ってくれたお弁当は
 この世でいちばん美味しいと思う

 さんかく山は今もある
 駅だってちゃんとある

 それなのに私の家は
 もう何処にも見えなかった



2025年07月24日(木) 苦しゅうはないぞ

曇りのち晴れ。午前中はほんの少しにわか雨が降った。

猛暑は和らいでいたが陽射しはとても強く感じる。

今日も北海道の帯広等では信じられないような猛暑だったようだ。

沖縄は暑いイメージがあるが海風のおかげで過ごし易いらしい。

同じ高知県でも足摺岬や室戸岬の気温が低いのと同じことなのだろう。


あちらこちらで百日紅の花を見かけるようになったが

やはり母の育てていた百日紅は一向に咲く気配がない。

木があった辺りには夏草が生い茂っており木の無事を確かめられないのだ。

枯れたとは考えられずやはり伐採騒動の巻き添えになったのだろう。

毎年咲いていただけに何とも残念でならない。

母の口紅の色だったのだ。母の笑顔のような花であった。



工場の仕事は車検が一段落し後はエアコン修理を残すのみである。

同僚は一息ついていたが義父は厄介な修理に手こずっていた。

午前中のにわか雨で農作業は諦めていたがそれも憐れに思える。

「いもち病」がどんどん広がっており気が気ではないのだろう。

昼食も食べるように促したが「食べとうない」と云い張る。

あれこれと考えていて精神的に参っているように思えた。

いつもパワフルな義父が何だか小さく見えてならない。


私は相変わらず資金繰りに明け暮れていて

今日は思い切って預金の全額を引き出す。

そうして置かないと明日は共済保険等の引き落としがあるので

残高が無くなってしまうのだった。

引き落としが不可能な場合には後日に振込用紙が届くことになっている。

とにかく先延ばしに出来る支払いは手を打っておかなければならない。

これは我ながら良いアイデアだったと思う。

後は引き出した現金を上手に回していけば良いのだった。

「苦しゅうはないぞ」思わず声が出ていた。

いつまでも穴倉にはいられない。今こそ光を求める時である。

何とかするのではなく何事も「何とかなる」のだと信じたい。


会社は難破船には違いないがまだ帆はあり風になびいている。

風さえあればきっと何処かの島に辿り着くだろう。

そこには砂浜が広がっており私は素足になるのだった。

杖を付きながらでもきっと歩くことが出来るのに違いない。


※以下今朝の詩


    泥団子

 泥団子を作った
 最初は柔らかくて
 上手く丸められない

 雪だるまを作るみたいに
 土の上でころころと転がす

 小さな泥団子が少しずつ
 大きくなるのがうれしい

 まやちゃんとまさし君
 誰の泥団子が一番なのか
 競い合っていたのだった

 保育園の床下に隠した
 ねずみにかじられるかも
 まさし君は心配していたが
 毎日無事を確かめるのが楽しい

 泥団子は日に日に固くなり
 唾をつけて擦ると光るのである

 泥だったのにとおもう
 手を汚し服を汚したけれど
 何だか宝物のようであった

 落とせば割れてしまうだろう
 そんな儚さを誰も知らなかった



2025年07月23日(水) 腹を括る

にわか雨の心配もなくすっかり夏の空であった。

陽射しがきつく感じたが気温は33℃に留まり猛暑を免れる。

北海道の網走では38℃を超えていたそうで驚く。

極寒の土地だけに猛暑は厳しく自然の何と容赦ないことか。

これも異常気象なのだろう。まるで地球が壊れてしまいそうだ。


朝の峠道を上り詰めた所で道路の補修工事が始まっている。

ほんの僅かな区間だが片側一方通行となっていた。

対向車は毎朝見かける車ばかりで通勤途中であるらしい。

私のように山里に向かう者もあれば市内に向かう者もある。

山道は涼しくしかも近道なので利用者も多い。


頭が下がるのは二人の警備員さんだった。

赤い旗と白い旗を持ち交通整理をしている。

それも一日中のこと。いくら山道でも炎天下には違いない。

警備員さんはトイレにも行けないのだと聞いたことがある。

じゃあどうしているかと云うと「おむつ」をしているのだそうだ。

そんなことがあるものかと耳を疑ったが本当のことらしい。


けれども真夏は熱中症の危険があり工事にも休憩が伴う。

その間にトイレをしたり水分補給をしているのだろう。

それにしても大変な仕事である。私は毎朝会釈を欠かさない。



仕事は今日も目まぐるしい程の忙しさだった。

車検整備が後を絶たず同僚も一生懸命である。

おまけにオーバーヒートをしたお客さんも来てくれた。

エアコンも効かなくなっており厄介な修理となりそうである。

代車は不要とのことでお宅まで送り届けたのだが

そのお客さんは私が若い頃に憧れていたY君だったのである。

緊張で胸がパクパクする。車中の会話もしどろもどろであった。

Y君に腕の染みを見られたかもしれない。頭の白髪もである。

Y君も白髪頭であったがきりりっとした顔立ちは昔と変わらない。

歳月は時に残酷でもあるがそんな歳月を埋める手立てはないのだった。

恋に恋をしていた頃が遠ざかる。私もY君も何と若かったことだろう。


現実は厳しく今日も資金繰りに頭を悩ます。

じわじわと月末が近づいているがもうどうしようもなかった。

諦めるのではなく「腹を括る」しかないのだと思う。

「腹を切る」のではないので命に別状はないだろう。


難破船が島を目指している。とにかく櫓を漕ぎ続けなければいけない。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     昭和その4

 「よんばんよんばん」
 女の人の声が聴こえて
 「もしもし」と電話に出る

 真っ黒い電話機であった
 ダイヤルはなく
 黒い螺子のようなものを
 ぐるぐると回すと
 交換手の女の人が出て
 相手の番号を呼んでくれるのだ

 一番は確か村役場であったが
 子供が電話をすることはない

 父の仕事用の電話である
 子供心に父は偉いのだなと思った

 友達の家には電話はない
 それが当たり前だった時代

 遊びに行く時は自転車で走った
 約束も何も出来なかったのだ

 「よんばんよんばん」
 今は誰の声も聴こえない
 父も母も何処にいるのだろう



2025年07月22日(火) 金は天下の回り物

二十四節気の「大暑」一年で最も暑い頃である。

季節は盛夏であり「立秋」までは厳しい暑さが続くことだろう。

四万十市は34℃と猛暑日にこそならなかったが

京都の福知山では39℃と危険な暑さだったようだ。

体温にしても高熱並みの暑さである。どれ程身に堪えたことだろう。


3日ぶりの山里。稲の穂が一段と実り始めている。

早植えの田んぼと遅植えの田んぼのコントラストが目に鮮やかであった。

本格的な稲刈りは8月中旬頃になるらしい。

義父は今日も暑い最中に稲の消毒に出掛けた。

「いもち病」がどんどん広がっているのだそうだ。

それも義父の田んぼばかりらしく腑に落ちなかったが

それだけ他の田んぼより消毒が遅かったようだ。

思うように高価な農薬が買えなかったらしく何とも憐れでならない。

会社に余裕があれば少しでも助けてやれたのにと残念であった。


大口の支払いがある日だったが月末まで待ってもらうことにする。

社会保険料は督促状が来ておりありったけの資金をはたいた。

このままでは月末の支払いもお先真っ暗である。

それなのに仕事の何と忙しいことだろう。

今日も予約外のお客さんが突然来店し車検を引き受けた。

高齢のお客さんに「予約制」と云っても通じないことが多い。

免許返納間近となれば車は大切な「足」である。

今日のお客さんもこれが最後の車検だからと云って聞かない。


午後には車検が完了し同僚は次の車検整備に掛かる。

明日も予約が入っておりまた同僚に頑張ってもらわねばならない。

正に「貧乏暇なし」である。働いても働いても報われないのだ。


軽自動車の車検は6万円弱で収まるが売上は2万円程だった。

それだけ必要経費が掛かる。お国に納める重量税等である。

安価に収まるのは不備が無かった車だけで

ブレーキ等に不備があると部品代も修理費も掛かることになる。

文句を云うお客さんは殆どいないが

あまり高額になると分割払いになってしまうのだった。

会社はローンを扱っていないので毎月の入金を待つばかりである。

それも田舎ならではのこと。ディーラーでは考えられないことだった。

毎月請求書は出せない。そうこうしているうちに会社は火の車になるのである。


うんちくを書き綴ってしまったがこれが我が社の現状であった。

「お金は天下の回り物」と云うが回らないお金もあるのだ。

如何にして引き寄せるかだが私の腕では敵わないことが多い。

そこで「負けてなるものか」といきり立つのだが上手くいかない。

それよりも「何とかなるだろう」と思うのが一番なのだろう。


今だからこそ母の苦労が身に沁みる。

母の越えて来た荒海が今は私の目の前に広がっているようだ。


※以下今朝の詩(また弟の詩を書いた)


     唐辛子

 まぶちゃんが唐辛子を食べた
 友達と畑の近くで遊んでいて
 真っ赤なそれを口に入れたのだ

 ひいひいと泣き叫んでいる
 私は大急ぎで母を呼びに行った

 母はまぶちゃんを叱りながら
 水を飲ませうがいをさせては
 畑のものを勝手に採ってはいけない
 たとえ美味しそうに見えても
 甘いとは限らないのだとさとす

 まぶちゃんはお腹が空いていたのだろうか
 私がお菓子を分けてやらなかったから
 真っ赤なそれを食べてしまったのに違いない

 まぶちゃんごめんね
 お姉ちゃんが意地悪だったね

 爽やかな風が吹き抜ける午後のこと
 あれはもう秋だったのだろう
 空には鰯雲がいっぱい広がっていた










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