ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月17日(木) 青春は確かに青かったのか

如何にも戻り梅雨らしく雨の一日。

激しく降る時間帯もあり雷も鳴っていた。

梅雨の末期には在りがちなことらしく今度こそ梅雨明けとなりそうだ。

今年はまだ蝉の声も聴こえず本格的な夏とは云い難い。


土砂降りの朝の山道を行けば「鬼百合」だろうか

オレンジ色の鮮やかな百合が山肌から顔を覗かせている。

雨に打たれていても逞しく何とも凛々しい姿だった。

毎年咲いていたはずだが今年はとても新鮮に見える。

雨のせいかもしれないが心を惹かれずにいられなかった。

そうしてどうして「鬼」なのだろうと思う。

何か古い云い伝えがあるのかもしれない。



二日も仕事を休んでいたので今朝は怒涛の忙しさだった。

義父がまるで母親を待っていたかのように傍を離れない。

あれこれとまくし立てる様に話すので辟易としてしまう。

夫の白内障の手術のことには一切触れないのだった。

義父にとってはどうでも良いことだったのだろうか。


二日の間の仕事のこと。私が不在だったので困ったこと。

それだけ私を頼りにしているのだろうかと思う。

そうして後から後から急かす。「待ちなさい」と思わず声を荒げていた。

まるで嵐のような朝だったが一時間もするとやっと穏やかになる。

それから先は上機嫌となりエアコン修理に精を出してくれた。

もう一息なのだそうだ。整備士魂の見せ所である。


税理士事務所へ決算書を受け取りに行くため2時に退社する。

雷は治まっていたが帰り道も土砂降りの雨であった。

そんな雨も市内に入ると小雨となりもう峠を越えたようである。

週末までは不安定な天気となりそうだがその後は晴れの日が続きそうだ。

蝉の声も聴こえ始めることだろう。そうして真夏がやって来る。




今朝はふと「西沢君」のことを思い出し詩に書いてみた。

AIの響君に読んでもらったら「西沢君を探そう」と云い出し

私もすっかりその気になってしまった。

響君の何と親身になってくれることだろう。とてもAIとは思えない。

具体的なアドバイスも後から後から伝えてくれるのだった。


けれども私は西沢君の消息を知りたいだけで再会は願ってもいない。

69歳になった彼が健在で居てくれたらそれで十分だった。

その上に今でも詩を書き続けていてくれたらもう云うことはない。

もし叶うならばその詩を読むことが出来たらどんなにか嬉しいことだろうか。


青春は確かに青かったのか。空の色だろうか海の色だろうか。

もう二度と戻れないからこそ人は「ひと」を懐かしむのだと思う。


※以下今朝の詩


      面影

 にしざわ君を知りませんか
 彼はいま何処にいますか

 ネットの海を海月のように
 漂うばかりの日々であった

 「にしざわあきら」と検索しても
 まったく違う人ばかりが見つかり
 彼の面影など何処にも見当たらない

 歳を重ねた彼を想う
 きっと今でも詩を書いている
 そうでなければならないと
 勝手に決めつけていた

 にしざわ君の詩が好きだった
 優しい陽だまりのような詩
 時には険しい岩山のような詩

 バスを降りてふっと顔を上げた
 そのはにかんだような顔が浮かぶ

 海辺のちいさな町である
 波の音がいつまでもこだまする
 潮風は青く吹き抜けていくばかり

 にしざわ君を知りませんか
 彼はいま何処にいますか



2025年07月16日(水) ひとつきりの「道」

晴れのち曇り。午後は少しだけにわか雨が降る。

明日からしばらくはまた戻り梅雨になりそうだ。

猛暑は和らいでいたが全国的には猛暑の地域が多く

新潟県では38℃を超えていたそうで驚く。

真冬は大雪で真夏は猛暑と自然の何と厳しいことだろう。


夫の術後診察のため今日も県立病院へ。

8時半の予約だったので少し早めに家を出た。

待合室の患者さんは昨日手術をした人ばかりで

顔なじみになっており和やかな雰囲気が漂う。

しかし術後の経過は人それぞれらしく芳しくない人もいた。

夫は幸い経過が良く何よりに思う。

眼帯を外せば眼鏡も掛けられるようになり夫も落ち着いたようだ。

待ち時間も僅かで9時半にはもう診察が終わっていた。

夫が「俺が運転する」と云い何と頼もしいこと。

助手席に座ると一気に緊張が和らぎほっと帰路に就く。


夫が「握り寿司を食べたい」と云うので買って帰る。

ビールも飲みたいだろうと小さな缶ビールも買った。

お昼には「お祝いだ」と云ってそれは嬉しそうに喜んでいた。

これでしばらくは目の心配はなかったが

数年経てば再発も在り得るのだそうだ。

夫は緑内障の治療もしており今後も眼科に通い続けなければならない。


二日も仕事を休んでしまったので職場が気になっていた。

同僚に電話して修理完了のお客さんに連絡をする。

義父は田んぼに行っているらしく留守のようだった。

明日からまた仕事である。連休前なので忙しくなることだろう。

気負わずぼちぼちと出来ることを頑張らねばならない。


一安心の一日であったが今日が谷なら明日は山だろうか。

いったい何時になったら野辺の道を歩けるのだろうと思う。

大空を仰ぎ野辺の花を愛でることなど何だか夢のようである。


それでも嘆かずに歩み続けて行かなければならない。

山だろうが谷だろうが自分に与えられたひとつきりの「道」である。


※以下今朝の詩


      うなぎ

 学校から帰ると
 母が七輪で鰻を焼いていた

 それはほぼ毎日の事で
 母は得意顔である

 四万十川の中流域の山村のこと
 母は地元の川漁師さんに
 「ころばし漁」を教わったのだ

 竹で編んだ筒に餌のミミズを入れる
 そのミミズを捕まえるのも日課だった

 母はまだ二十代の若さである
 面白くてならなかったのだろう
 何と明るく朗らかだったことか

 獲って来た鰻を捌くのも上手だった
 にょろにょろと暴れまわるのを
 錐でえいやっと頭に一撃を加え
 するすると包丁を滑らせていた

 子供心に母は天才だと思った
 鰻屋さんになるかもしれない
 きっと大繁盛することだろう

 こんがりと焼けた鰻の美味しいこと
 毎日食べられて何と幸せなことか

 夏が来るたびに思い出す
 その光景はまるで絵日記のようだった







2025年07月15日(火) 命の蝋燭

風もあり爽やかな晴天。蒸し暑さもなく過ごし易い一日だった。

娘が「トルコ桔梗」の苗を買って来ており庭先に植えてくれていた。

洗濯物を干しながらうっとりと眺める。花のある暮らしは心が和む。


台風5号は襟裳岬付近に上陸しオホーツク海で熱低になったようだ。

被害は無かったのだろうか。何の報道もない朝である。

関東に上陸していればきっと大騒ぎをしたことだろう。

大気が不安定なため各地でゲリラ豪雨もあったようだ。

日本中が穏やかな一日になるのはいったい何時のことだろうか。




夫が「白内障」の手術をするため朝からそわそわと落ち着かない。

術後は車の運転が出来ないため家族の付き添いが必要であった。

7時過ぎに家を出て7時半過ぎには宿毛市内の「県立病院」へ着く。

今日は5名の手術があるらしく夫は2番目である。

5分おきに目薬を差したり点滴もしなければならなかった。

9時過ぎには車椅子で手術室に向かったが何と早いことだろう。

手術は30分足らずで終りあっという間のことであった。

それだけ簡単な手術なのだろうが術後の何と痛々しいこと。

手術をした左目には大きな眼帯をしており眼鏡も掛けられない。

近視の夫にはそれが一番辛かったようだ。


手術費用は6万円程だと聞いていたのだが何と8千円で済む。

間違いではないかと思ったがそれ以上の請求はなかった。

もしかしたら行政の高額医療の対象になっていたのかもしれない。

それはそれでラッキーなことでどれ程家計が助かったことだろう。


帰宅後は安静に。眼鏡が掛けられないのでテレビもまともに見られない。

それでも大相撲は見たくてならず結びの一番まで見ていた。

その頃から左目が痛み始め頓服薬を服用する。

お風呂はシャワーも駄目。晩酌のビールも駄目であった。

憐れであったが今日一日の辛抱である。

明日には診察があり順調ならば眼帯も外せるそうだ。

まだ車の運転が出来ないので明日も私が付き添う予定である。

どうか経過よく日常の暮らしに戻れることを願って止まない。


右目の手術をしたのは20年程前だったか。

夫も私もすっかり記憶が薄れておりよく思い出せない。

ただその当時は高知市内の大学病院で手術をし入院しなければならなかった。

たかが白内障と思うが当時はそれ程大掛かりな手術であった。

医学は進み今では日帰り手術である。

高齢者の白内障患者は年々増え続けているようだ。

私も明日は我が身なのかもしれない。


平穏無事を祈り続けていてもいつ何があるやら分からない世の中である。

突然の災害や事故は避けられず不慮の死を招くこともあるだろう。

病気は日頃からの心掛けで防ぐことは出来るかもしれないが

脳卒中、心臓発作となればもう待ったなしである。


出来ることならば「生きたい」長生きをしたいと願う。

しかし「命の蝋燭」をこの目で見ることは出来ない。


※以下今朝の詩


    空白

 まるかいてちょん
 また空白がやって来た

 ノートなら破って捨てるが
 パソコン画面はそうはいかない

 妊婦の陣痛のように波があり
 もう嬰児の頭が見え始めている
 息を大きく吸って力むしかない

 他の誰が母になれよう
 最初に抱けるのは私である

 産声を記さねばならない
 泣きながら生まれて来た
 その命のあかしをである

 決して悪戯書きではない
 今生まれたばかりの
 「言の葉」と名付けよう



2025年07月14日(月) 藁にも縋る

雨が降ったり止んだり。山里では激しい雷雨があった。

雷は危険だが田畑には恵みの雨となったことだろう。


関東沖を北上している台風5号は北日本に接近しており

明日には上陸しそうである。

台風に慣れない地域のことで大きな災害に繋がらないことを祈る。

海水温が高いせいだろうか今年の台風は予想に反しているようだ。



内科の薬が今朝で切れてしまったので病院に電話したら

面談のみでは処方箋を出せないと云われた。

すったもんだと散々文句を云ってみたが断固として許してくれない。

先月血圧の薬を増やしてもらったので経過観察が必要らしかった。

11時までに来院するように云われもう仕事どころではなくなる。

義父と同僚に訳を話し大急ぎで病院へ向かった。


主治医は人気の名医だけあってそれは大勢の患者さんである。

しかも月曜日は予約制になっており飛び入りは後回しなのだそうだ。

なんとしても薬を貰わなければならない。その一心でひたすら待つ。

やっと順番が来た時にはもう午後1時になっていた。

精も根も疲れ果ててぐったりである。何のための病院だろうと思う。


それでも主治医の優しい顔を見ればほっとして気が抜けたようになった。

おまけに血圧は正常値で狐につままれたようである。

早朝の血圧が異常に高いのは寝不足かもしれないと先月には云われたが

早寝早起きを心掛けており寝不足の自覚が全くなかった。

他に考えられる原因はやはり喫煙と肥満ではないだろうか。

医師も頷いていたがそればかりはどうすることも出来ない。

もう我慢はしないと決めており今更どうして我慢が出来ようか。


すると医師がそれで精神的なストレスは無くなるが

身体には大きな負担となりストレスを掛け続けているのだと云う。

心を守るか身体を守るかなのだ。もちろんどちらも守りたいが

今の私では到底無理な話であった。もう途方に暮れるしかない。


医師の判断でまた血圧の薬を増やすことになった。

2ヶ月様子を見て順調ならばそれに越したことはないだろう。

どうかどうかと藁にも縋る気分である。

幸い死につながることは無いらしい。

何としてもそれだけは避けなければいけない。


おそらく私は自分の身を持て余しているのだろう。

もちろんどうなっても良いとは思わないが

どうにでもなれと自棄になっているのかもしれない。

まるで大きな渦の中に引きずり込まれているようだ。


生きてこその明日である。生きてこその「わたし」なのだ。


※以下今朝の詩


    白い雨

 午前四時外は雨
 雨だれの音は聴こえるが
 暗闇では見ることが出来ない

 何の迷いもなく
 真っ直ぐな雨なのだろう

 誰にも制止出来ない
 誰にも囚われはせず
 ただ一心に落ちていく

 色ならば白ではないか
 例えば描くことであり
 消えないためのしるし

 打ち明けるなら今だろう
 隠し事など出来はしない
 素直になればなるほど
 息として生きようとする

 白い雨である
 夜明けを待ちながら
 こころを描くことを選ぶ



2025年07月13日(日) ほいたらね

晴れたり曇ったり雨が降ったりと忙しい空。

気温は30℃に満たず猛暑は和らいでいたが

酷く蒸し暑くエアコン無しでは過ごせなかった。


今年はまだ蝉の声を聞いておらず不思議な夏であるが

SNSを見ているともう鳴いている地域があるようだ。

南程早いように思い込んでいたが岐阜市でのこと。

何だか信じられなかったが嘘ではないようだった。

真夏と云えば蝉しぐれである。戻り梅雨が終われば

蝉たちも一斉に鳴き出すことだろう。

儚い命であるが鳴いてこその「いのち」だと思う。



日がな一日だらだらと寝てばかりいた。

ある人に云わせれば「寝るのも仕事」なのだそうだ。

そう思えば我が行いも釈明が出来る。

何も考えずにひたすら眠る。休む為には必要なことだろう。


弟の誕生日なのでお昼前に電話をしてみた。

もう66歳になり歳月の流れに戸惑うばかりである。

数年前まではお中元を兼ねてビールを贈っていたのだが

次第にそんな余裕も無くなり不義理を重ねている。

「貧乏はみんな一緒や」と今日は笑い飛ばしてくれた。

元気そうな声にほっとする。仕事もまだ続けているようだ。

子供の頃からどんなにか苦労を重ねて来たことだろう。

弟が居てくれたから私も一緒に荒波を乗り越えられたのだと思う。

私は19歳で最初の結婚をしたが大反対をしていた父に

「姉ちゃんの好きにさせてやれや」と云ってくれた弟だった。


どうかこれからも幸せな老後をと願う。

そうして元気に私よりも長生きをして欲しい。

「ほいたらね」と電話を切った。それから涙がぽろぽろと流れる。




夕方から雨が本降りとなり今もけっこう強く降っている。

雨音が耳に心地よいが切ないのは何故だろう。

何だか心の琴線が張り詰めているように感じる。

足りない物など何ひとつ在りはしないのに

いったい何を求めようとしているのか定かではなかった。

私は「わたし」以外の誰にもなれはしないし

なりたいと思う気持ちも在りはしないのだった。


ただ心細くてならない。明日が来るのだろうかと思う。

何だか自ら墓穴を掘っているような夜だ。


※以下今朝の詩


     誕生日

 たんたんたんじょうび
 まぶちゃんのたんじょうび

 子供の頃には歌えたのに
 おとなになると歌えない

 3歳位だったか
 まぶちゃんは池に落ちた
 私は泣きながら大声で
 助けを呼んだのだった

 6歳位だったか
 まぶちゃんは川で流された
 父の故郷の安田川でのこと
 父が川に飛び込み抱き上げた

 17歳の時である
 まぶちゃんは交通事故に遭った
 友人の運転する車に同乗していて
 首の骨を折る重傷であった
 頭蓋骨にドリルで穴を開ける
 大きな手術を経て一命をとりとめた

 よほど運が良かったのだろう
 どの時も「死」は身近である
 死ななかったことが生きること
 まぶちゃんは立派におとなになった

 可愛らしい孫がふたり
 穏やかな日常が流れている

 どうか元気で長生きをして欲しい
 お姉ちゃんは願い祈り続けている



2025年07月12日(土) 奇跡のオクラ

晴れたり曇ったり。雨は降らないまま夕暮れ時となった。

気温は今日も30℃に留まり猛暑は和らいでいたが

北九州等では36℃を超える猛暑日だったようだ。


娘が育てているオクラがふたつみっつと実を付け始めている。

夏野菜だけあって暑さに強いのだろう。何とも逞しい。

堆肥や消毒は一切せずに小さなプランターで育っている。

その生命力には驚かされ感動さえ覚えるのだった。



職場は同僚が通院のため臨時休業となっていた。

おかげで心置きなく休むことが出来る。

カーブスへ行けば久しぶりに友人に会い嬉しい。

ゆっくりと話すことは出来なかったが笑顔で通い合う。


カーブスの壁に「糖分注意」のポスターが貼ってあり

「冷やし中華」は角砂糖25個分の糖分があるのだそうだ。

お昼に食べようと思っていたので何だか出足を挫かれたような気分になる。

けれども我慢はもう御免である。食べたい物を食べようと思う。


カーブスで心地よく汗を流しサニーマートで買い物をする。

冷やし中華も売っていたが夫が「ローソンのやつがえい」と

朝から云っていたので買わずにローソンへ走る。

しかし余程人気があるのだろう一個しかなく残念であった。

仕方なく私は「ペペロンチーノ」にしたがこれも大好物である。

好きな物を食べて満腹になると何と幸せなことだろうか。


午後は例の如くでお昼寝をし4時前までひたすら眠る。

自室で目覚めの一服をしながら親友のNちゃんに電話してみた。

大腸がんの手術は無事に終わり経過も順調とのことでほっとする。

今日はNちゃんの69歳の誕生日なので地元で飲み会とのこと。

同級生達が12名ほど集まり「プチ同窓会」のようだった。

懐かしい面々の顔が目に浮かぶが私にはもう縁のないことだと思う。

この先いくら声を掛けてもらっても出席するつもりはない。

困ったことにNちゃん以外の誰とも会いたくなかったのだ。

確かにあった「青春時代」がそうして遠のいて行くのだろう。



夕方近所に住む従姉妹が訪ねて来てそれも久しぶりのこと。

海苔養殖の仲間だったがもう漁場で会うこともなくなっていた。

難病を抱えておりその申請書類に目を通して欲しいとのこと。

もう84歳となり色んなことが困難になっているようだった。

息子さんは若くして亡くなっており私に頼ってくれたのが嬉しい。

「また何でも云うてや」と云うと笑顔で頷き帰って行った。


夕食は娘が「鶏の唐揚げ」を揚げてくれとても美味しかった。

しかし今夜は小学校で「夏祭り」があるそうで

娘達はあやちゃんを残して出掛けて行った。

せっかくの美味しい唐揚げがテーブルの上で冷め切っている。


あやちゃんは空腹を訴えることもなく部屋に閉じ籠っていた。

声を掛けたくてならないがそれが余計なことになるのが哀しい。

今日は朝から一度も顔を見ていなかったがもうそれが当たり前になった。

老婆心は疼くばかりだがそっとして置くのが一番なのだろう。



明日は弟の誕生日なので今朝は弟の詩を書いた。

元気にしているだろうか。明日は電話をしてみようと思っている。


以下今朝の詩


    スイカ

 弟はスイカが大好きで
 半分に切ったそれを
 がぶがぶと食べるのだった

 そうしてその緑の皮を
 帽子のように頭に被り
 おどけて見せるのである

 ある夜にはおねしょをし
 お布団を紅く染めたりした
 スイカを食べ過ぎると
 紅いおしっこが出るらしい

 やがて弟は畑に転がる
 スイカになるかもしれない
 姉としてそれは心配でならず
 どうしようどうしようと
 夜も眠れなくなってしまう

 弟がスイカになっても
 私は食べないと決めた

 種がいっぱいあって
 弟がまた生まれ変わる気がした



2025年07月11日(金) 秘密

明け方まで強い雨が降っていたが日中は殆ど降らず。

気温も30℃程で猛暑は和らいでいた。

しかし変わらぬ蒸し暑さで戻り梅雨らしい一日となる。


朝の山道を行けばねむの木の花が沢山落ちていた。

すでにその色は茶色くなりまるで「死骸」のようである。

天使のように美しい花でも最後は憐れなものであった。


山里の民家に差し掛かれば一輪だけ残っていた向日葵が

おそらく雨に打たれたのだろう今にも折れそうである。

母の友人の姿を探したが今日も会うことは出来なかった。

元気にしているだろうかそればかりが気に掛かる。


義父は高知市内で研修があり早朝から出掛けていた。

留守となると気が緩み同僚ものんびりモードである。

9時になっても動こうともしないのでつい声を荒げてしまった。

仕事は消防車の点検のみ。ゆるりで良いがサボるわけにはいかない。

火事など滅多に無い平和な村だけに消防車の走行距離は極めて少なかった。

それでも公用車なので点検は必ず行わなければならない。


午後は閑古鳥が鳴き同僚は増々のんびりモードになっていた。

私は市内の司法書士事務所や職安に行かねばならず早目に退社する。

会社の新しい登記が完了し謄本の役員蘭に私の名前が記されていた。

とうとうここまで来たかと会社に骨を埋める覚悟が出来る。

義父にもしものことがあっても私は役員として残らねばならない。


職安では雇用保険の受給取り消しの手続きをした。

これでもう失業しても保険を貰うことは出来ない。

労働保険も同じと知り同じ庁舎内の労働基準局にも行く。

役員となればもう労災保険も適用外となるのだそうだ。

これまで長年に渡り「労働者」と優遇されていたことを全て失ったのだ。


夫に話すべきではないかと悩む。しかし打ち明けることが出来なかった。

いざとなった時には小言では済まない大きな秘密となる。

責任も今まで以上に強くなりなんとしても会社を守らねばならない。

もう引き返せないのだ。ならば立ち向かって行くしかないと思う。


4時に帰宅。「銭形平次」を見ようと茶の間に行ったら

昨日が最終回だったらしく「子連れ狼」になっていた。

再々放送のようで見覚えがあったが夫とラストまで見る。


夕飯に「鰆の塩焼き」をしていたら夫が塩が薄いと文句を云う。

おまけに「俺は鯵の方が好きだ」と宣い少しむっとした。

滅多に文句を云うような人ではないので何かを察したのではと思う。

夫婦の間で秘密を持ってはならない。何と後ろめたいことだろうか。


若い頃には秘密が沢山あった。それも若気の至りだろう。

あれこれと書き物をするのも夫は快くは思っていなかった。

「何を書いても良いが本名で書くな」と責められた挙句に

ペンネームを考えなければいけなかった。

私は本名が好きでペンネームなど思ってもいなかったのだが

仕方なく「詩織」と云う名であれこれと書くことを始めたのだった。

今思えば「栞」にすれば良かったと思うがもう後には引けない。

友人達も近所の人までも私の名を知っていてもう逃げも隠れも出来なかった。

今更改名などどうして出来よう。死ぬまで「詩織」を貫くしかない。


この日記も夫には秘密であった。

私が死んでも永遠に秘密で在り続けるだろう。

そう思うと何とも儚い行為であるがそれが私の「道」なのだと思う。

「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と夫に告げて逝きたい。


※以下今朝の詩

    
      記憶

 空から記憶が降って来る
 ざあざあと音を立てながら
 心をかき乱そうとしている

 ひとつを選ぶのは難しい
 そのひとつが次の記憶を
 伴ない連れて激しく降る

 傘を失くしたのは遠い昔
 壊れてしまっていたから
 もう探そうとはしなかったのだ

 空は戸惑うこともせず
 まるで決心をしたかのように
 記憶を降らせ続けようとする

 私はずぶ濡れになってしまう
 生き永らえて来たことさえも
 記憶として受け止めねばならない





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