ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月14日(月) 藁にも縋る

雨が降ったり止んだり。山里では激しい雷雨があった。

雷は危険だが田畑には恵みの雨となったことだろう。


関東沖を北上している台風5号は北日本に接近しており

明日には上陸しそうである。

台風に慣れない地域のことで大きな災害に繋がらないことを祈る。

海水温が高いせいだろうか今年の台風は予想に反しているようだ。



内科の薬が今朝で切れてしまったので病院に電話したら

面談のみでは処方箋を出せないと云われた。

すったもんだと散々文句を云ってみたが断固として許してくれない。

先月血圧の薬を増やしてもらったので経過観察が必要らしかった。

11時までに来院するように云われもう仕事どころではなくなる。

義父と同僚に訳を話し大急ぎで病院へ向かった。


主治医は人気の名医だけあってそれは大勢の患者さんである。

しかも月曜日は予約制になっており飛び入りは後回しなのだそうだ。

なんとしても薬を貰わなければならない。その一心でひたすら待つ。

やっと順番が来た時にはもう午後1時になっていた。

精も根も疲れ果ててぐったりである。何のための病院だろうと思う。


それでも主治医の優しい顔を見ればほっとして気が抜けたようになった。

おまけに血圧は正常値で狐につままれたようである。

早朝の血圧が異常に高いのは寝不足かもしれないと先月には云われたが

早寝早起きを心掛けており寝不足の自覚が全くなかった。

他に考えられる原因はやはり喫煙と肥満ではないだろうか。

医師も頷いていたがそればかりはどうすることも出来ない。

もう我慢はしないと決めており今更どうして我慢が出来ようか。


すると医師がそれで精神的なストレスは無くなるが

身体には大きな負担となりストレスを掛け続けているのだと云う。

心を守るか身体を守るかなのだ。もちろんどちらも守りたいが

今の私では到底無理な話であった。もう途方に暮れるしかない。


医師の判断でまた血圧の薬を増やすことになった。

2ヶ月様子を見て順調ならばそれに越したことはないだろう。

どうかどうかと藁にも縋る気分である。

幸い死につながることは無いらしい。

何としてもそれだけは避けなければいけない。


おそらく私は自分の身を持て余しているのだろう。

もちろんどうなっても良いとは思わないが

どうにでもなれと自棄になっているのかもしれない。

まるで大きな渦の中に引きずり込まれているようだ。


生きてこその明日である。生きてこその「わたし」なのだ。


※以下今朝の詩


    白い雨

 午前四時外は雨
 雨だれの音は聴こえるが
 暗闇では見ることが出来ない

 何の迷いもなく
 真っ直ぐな雨なのだろう

 誰にも制止出来ない
 誰にも囚われはせず
 ただ一心に落ちていく

 色ならば白ではないか
 例えば描くことであり
 消えないためのしるし

 打ち明けるなら今だろう
 隠し事など出来はしない
 素直になればなるほど
 息として生きようとする

 白い雨である
 夜明けを待ちながら
 こころを描くことを選ぶ



2025年07月13日(日) ほいたらね

晴れたり曇ったり雨が降ったりと忙しい空。

気温は30℃に満たず猛暑は和らいでいたが

酷く蒸し暑くエアコン無しでは過ごせなかった。


今年はまだ蝉の声を聞いておらず不思議な夏であるが

SNSを見ているともう鳴いている地域があるようだ。

南程早いように思い込んでいたが岐阜市でのこと。

何だか信じられなかったが嘘ではないようだった。

真夏と云えば蝉しぐれである。戻り梅雨が終われば

蝉たちも一斉に鳴き出すことだろう。

儚い命であるが鳴いてこその「いのち」だと思う。



日がな一日だらだらと寝てばかりいた。

ある人に云わせれば「寝るのも仕事」なのだそうだ。

そう思えば我が行いも釈明が出来る。

何も考えずにひたすら眠る。休む為には必要なことだろう。


弟の誕生日なのでお昼前に電話をしてみた。

もう66歳になり歳月の流れに戸惑うばかりである。

数年前まではお中元を兼ねてビールを贈っていたのだが

次第にそんな余裕も無くなり不義理を重ねている。

「貧乏はみんな一緒や」と今日は笑い飛ばしてくれた。

元気そうな声にほっとする。仕事もまだ続けているようだ。

子供の頃からどんなにか苦労を重ねて来たことだろう。

弟が居てくれたから私も一緒に荒波を乗り越えられたのだと思う。

私は19歳で最初の結婚をしたが大反対をしていた父に

「姉ちゃんの好きにさせてやれや」と云ってくれた弟だった。


どうかこれからも幸せな老後をと願う。

そうして元気に私よりも長生きをして欲しい。

「ほいたらね」と電話を切った。それから涙がぽろぽろと流れる。




夕方から雨が本降りとなり今もけっこう強く降っている。

雨音が耳に心地よいが切ないのは何故だろう。

何だか心の琴線が張り詰めているように感じる。

足りない物など何ひとつ在りはしないのに

いったい何を求めようとしているのか定かではなかった。

私は「わたし」以外の誰にもなれはしないし

なりたいと思う気持ちも在りはしないのだった。


ただ心細くてならない。明日が来るのだろうかと思う。

何だか自ら墓穴を掘っているような夜だ。


※以下今朝の詩


     誕生日

 たんたんたんじょうび
 まぶちゃんのたんじょうび

 子供の頃には歌えたのに
 おとなになると歌えない

 3歳位だったか
 まぶちゃんは池に落ちた
 私は泣きながら大声で
 助けを呼んだのだった

 6歳位だったか
 まぶちゃんは川で流された
 父の故郷の安田川でのこと
 父が川に飛び込み抱き上げた

 17歳の時である
 まぶちゃんは交通事故に遭った
 友人の運転する車に同乗していて
 首の骨を折る重傷であった
 頭蓋骨にドリルで穴を開ける
 大きな手術を経て一命をとりとめた

 よほど運が良かったのだろう
 どの時も「死」は身近である
 死ななかったことが生きること
 まぶちゃんは立派におとなになった

 可愛らしい孫がふたり
 穏やかな日常が流れている

 どうか元気で長生きをして欲しい
 お姉ちゃんは願い祈り続けている



2025年07月12日(土) 奇跡のオクラ

晴れたり曇ったり。雨は降らないまま夕暮れ時となった。

気温は今日も30℃に留まり猛暑は和らいでいたが

北九州等では36℃を超える猛暑日だったようだ。


娘が育てているオクラがふたつみっつと実を付け始めている。

夏野菜だけあって暑さに強いのだろう。何とも逞しい。

堆肥や消毒は一切せずに小さなプランターで育っている。

その生命力には驚かされ感動さえ覚えるのだった。



職場は同僚が通院のため臨時休業となっていた。

おかげで心置きなく休むことが出来る。

カーブスへ行けば久しぶりに友人に会い嬉しい。

ゆっくりと話すことは出来なかったが笑顔で通い合う。


カーブスの壁に「糖分注意」のポスターが貼ってあり

「冷やし中華」は角砂糖25個分の糖分があるのだそうだ。

お昼に食べようと思っていたので何だか出足を挫かれたような気分になる。

けれども我慢はもう御免である。食べたい物を食べようと思う。


カーブスで心地よく汗を流しサニーマートで買い物をする。

冷やし中華も売っていたが夫が「ローソンのやつがえい」と

朝から云っていたので買わずにローソンへ走る。

しかし余程人気があるのだろう一個しかなく残念であった。

仕方なく私は「ペペロンチーノ」にしたがこれも大好物である。

好きな物を食べて満腹になると何と幸せなことだろうか。


午後は例の如くでお昼寝をし4時前までひたすら眠る。

自室で目覚めの一服をしながら親友のNちゃんに電話してみた。

大腸がんの手術は無事に終わり経過も順調とのことでほっとする。

今日はNちゃんの69歳の誕生日なので地元で飲み会とのこと。

同級生達が12名ほど集まり「プチ同窓会」のようだった。

懐かしい面々の顔が目に浮かぶが私にはもう縁のないことだと思う。

この先いくら声を掛けてもらっても出席するつもりはない。

困ったことにNちゃん以外の誰とも会いたくなかったのだ。

確かにあった「青春時代」がそうして遠のいて行くのだろう。



夕方近所に住む従姉妹が訪ねて来てそれも久しぶりのこと。

海苔養殖の仲間だったがもう漁場で会うこともなくなっていた。

難病を抱えておりその申請書類に目を通して欲しいとのこと。

もう84歳となり色んなことが困難になっているようだった。

息子さんは若くして亡くなっており私に頼ってくれたのが嬉しい。

「また何でも云うてや」と云うと笑顔で頷き帰って行った。


夕食は娘が「鶏の唐揚げ」を揚げてくれとても美味しかった。

しかし今夜は小学校で「夏祭り」があるそうで

娘達はあやちゃんを残して出掛けて行った。

せっかくの美味しい唐揚げがテーブルの上で冷め切っている。


あやちゃんは空腹を訴えることもなく部屋に閉じ籠っていた。

声を掛けたくてならないがそれが余計なことになるのが哀しい。

今日は朝から一度も顔を見ていなかったがもうそれが当たり前になった。

老婆心は疼くばかりだがそっとして置くのが一番なのだろう。



明日は弟の誕生日なので今朝は弟の詩を書いた。

元気にしているだろうか。明日は電話をしてみようと思っている。


以下今朝の詩


    スイカ

 弟はスイカが大好きで
 半分に切ったそれを
 がぶがぶと食べるのだった

 そうしてその緑の皮を
 帽子のように頭に被り
 おどけて見せるのである

 ある夜にはおねしょをし
 お布団を紅く染めたりした
 スイカを食べ過ぎると
 紅いおしっこが出るらしい

 やがて弟は畑に転がる
 スイカになるかもしれない
 姉としてそれは心配でならず
 どうしようどうしようと
 夜も眠れなくなってしまう

 弟がスイカになっても
 私は食べないと決めた

 種がいっぱいあって
 弟がまた生まれ変わる気がした



2025年07月11日(金) 秘密

明け方まで強い雨が降っていたが日中は殆ど降らず。

気温も30℃程で猛暑は和らいでいた。

しかし変わらぬ蒸し暑さで戻り梅雨らしい一日となる。


朝の山道を行けばねむの木の花が沢山落ちていた。

すでにその色は茶色くなりまるで「死骸」のようである。

天使のように美しい花でも最後は憐れなものであった。


山里の民家に差し掛かれば一輪だけ残っていた向日葵が

おそらく雨に打たれたのだろう今にも折れそうである。

母の友人の姿を探したが今日も会うことは出来なかった。

元気にしているだろうかそればかりが気に掛かる。


義父は高知市内で研修があり早朝から出掛けていた。

留守となると気が緩み同僚ものんびりモードである。

9時になっても動こうともしないのでつい声を荒げてしまった。

仕事は消防車の点検のみ。ゆるりで良いがサボるわけにはいかない。

火事など滅多に無い平和な村だけに消防車の走行距離は極めて少なかった。

それでも公用車なので点検は必ず行わなければならない。


午後は閑古鳥が鳴き同僚は増々のんびりモードになっていた。

私は市内の司法書士事務所や職安に行かねばならず早目に退社する。

会社の新しい登記が完了し謄本の役員蘭に私の名前が記されていた。

とうとうここまで来たかと会社に骨を埋める覚悟が出来る。

義父にもしものことがあっても私は役員として残らねばならない。


職安では雇用保険の受給取り消しの手続きをした。

これでもう失業しても保険を貰うことは出来ない。

労働保険も同じと知り同じ庁舎内の労働基準局にも行く。

役員となればもう労災保険も適用外となるのだそうだ。

これまで長年に渡り「労働者」と優遇されていたことを全て失ったのだ。


夫に話すべきではないかと悩む。しかし打ち明けることが出来なかった。

いざとなった時には小言では済まない大きな秘密となる。

責任も今まで以上に強くなりなんとしても会社を守らねばならない。

もう引き返せないのだ。ならば立ち向かって行くしかないと思う。


4時に帰宅。「銭形平次」を見ようと茶の間に行ったら

昨日が最終回だったらしく「子連れ狼」になっていた。

再々放送のようで見覚えがあったが夫とラストまで見る。


夕飯に「鰆の塩焼き」をしていたら夫が塩が薄いと文句を云う。

おまけに「俺は鯵の方が好きだ」と宣い少しむっとした。

滅多に文句を云うような人ではないので何かを察したのではと思う。

夫婦の間で秘密を持ってはならない。何と後ろめたいことだろうか。


若い頃には秘密が沢山あった。それも若気の至りだろう。

あれこれと書き物をするのも夫は快くは思っていなかった。

「何を書いても良いが本名で書くな」と責められた挙句に

ペンネームを考えなければいけなかった。

私は本名が好きでペンネームなど思ってもいなかったのだが

仕方なく「詩織」と云う名であれこれと書くことを始めたのだった。

今思えば「栞」にすれば良かったと思うがもう後には引けない。

友人達も近所の人までも私の名を知っていてもう逃げも隠れも出来なかった。

今更改名などどうして出来よう。死ぬまで「詩織」を貫くしかない。


この日記も夫には秘密であった。

私が死んでも永遠に秘密で在り続けるだろう。

そう思うと何とも儚い行為であるがそれが私の「道」なのだと思う。

「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と夫に告げて逝きたい。


※以下今朝の詩

    
      記憶

 空から記憶が降って来る
 ざあざあと音を立てながら
 心をかき乱そうとしている

 ひとつを選ぶのは難しい
 そのひとつが次の記憶を
 伴ない連れて激しく降る

 傘を失くしたのは遠い昔
 壊れてしまっていたから
 もう探そうとはしなかったのだ

 空は戸惑うこともせず
 まるで決心をしたかのように
 記憶を降らせ続けようとする

 私はずぶ濡れになってしまう
 生き永らえて来たことさえも
 記憶として受け止めねばならない






2025年07月10日(木) 戻り梅雨

曇りのち雨。日中は殆ど降らず夕方から小雨が降り始めている。

「戻り梅雨」だそうでしばらくは不安定な天気が続きそうだ。

栃木や群馬ではゲリラ豪雨があったとのこと。

かと思えば全く雨が降らず飲料水にも影響が出始めている地域もある。

我が町は四万十川のおかげで飲料水が不足することはないが

渇水は全国的に大きな問題でありとても他人事には思えなかった。

降り過ぎても困るがどうか程よい雨をと望まずにいられない。



朝の国道を行けば道路沿いの民家に百日紅が見事に咲いていた。

毎朝通る道なのにどうして今朝まで気づかなかったのだろう。

これも夏を代表する花である。きっと百日は咲くことだろう。


職場に着いて庭を見回したが百日紅はまだ咲いていなかった。

木そのものが見当たらないのだ。いったいどうしたことか。

もしかしたら昨年の伐採騒動の折に巻き添えになったのかもしれない。

もしそうだとしたら母の形見であるだけに残念でならなかった。

雨不足もあるだろう庭は荒れ放題になっており無残に見える。

母が知ればどんなにか嘆くことだろう。


工場の仕事は車検が完了し、エアコン修理も一台は完了した。

義父は午後から選挙関係の会合があり出掛けて行く。

以前ほどには選挙運動をすることはないが断れなかったようだ。

責任感が強いのかもしれないが単なるお人好しにも見えなくはない。



3時前に退社し整形外科に向かう。

駐車場が満車状態で仕方なく第二駐車場へ停めたのだが

病院まで僅か30メートル程の距離が苦痛であった。

杖を付きながら一歩一歩踏みしめるように歩く。

幸い猛暑は和らいでいたがふうふうと息が切れ汗も滲む。

受付の女の子に辛かったことを話すと直ぐに休むように云ってくれたが

待合室の椅子に腰を掛けるなりもうU君に名前を呼ばれていた。

リハビリ中に息を整えるとそのまま意識が遠のくようだった。

目を閉じているとついつい良からぬことも考えてしまう。

このまま歩けなくなってしまうかもしれない。

もし転倒すれば骨折は避けられないだろう。


U君に話せば「大丈夫ですよ」と優しく応えてくれた。

無理をせずゆっくりと歩けば良いのだそうだ。

太腿からふくらはぎ足の裏から腰や背中まで揉み解してくれる。

同時に心も揉み解してくれたのだろう。何と有難いことだろうか。


5時前に帰宅したが10分だけ横になることが出来た。

ローカルニュースを見ていたら明日も明後日も雨らしい。

数年前にも「戻り梅雨」があったそうでその時と同じ状況らしかった。


「戻る」その言葉が何となく好きだなと思う。

この世には戻れないことがいっぱいあって前へ進むしかない。

やり直すこと。もう一度最初から始めること。

そうすればまた違った景色も見えて来るのに違いない。


空は気ままである。戻りたいだけ戻って雨の季節をまた始めようとしている。



※以下今朝の詩


     鏡川

 16歳の夏休みのことである
 喫茶店でアルバイトをしていた
 珈琲の淹れ方も上手になり
 サンドイッチだって作れた

 店の前でバイクの音がして
 しゅう君がやって来る
 バイトが終わるのを待ってくれた

 何処に向かっていたのだろう
 しゅう君の背中にしがみつく
 夏の陽を含んだ風が心地よい

 鏡川は何を映すのか
 いったい何を知っているのか
 恋である前に尽きようとする
 戯れているのは誰だろうか

 鏡川を渡り切ってしまうと
 もう道が途絶えたように思う
 しゅう君のバイクの音が遠ざかる

 溢れんばかりの陽射しを浴びて
 川面はきらきらと輝いていた











2025年07月09日(水) 記録ではなく記憶

曇り日。薄陽が射す時もあれば山里では通り雨が降る。

その名の通りざあっと通り過ぎたような雨だった。

猛暑は少し和らいでいたが変わらぬ蒸し暑さである。


朝の道にはお遍路さんの姿もなく侘しいものだが

山道へ入ると濃い緑が風にそよぎさながら森林浴の趣である。

エアコンを切り窓を開け放して走るのが何とも心地良い。


良心市にはまだ白いトウモロコシが並んでいる。

猛暑が続いていても枯れずにいるのだろう。

収穫をする農夫の笑顔が目に浮かぶようだった。

白いトウモロコシは食したことがないが

きっと甘くて美味しいことだろう。

その証拠に毎日売り切れているようだった。


職場に着けばみい太が子猫を伴って近寄って来る。

けれども子猫には餌を与えてはならず憐れでならない。

みい太(父親)と一緒に居れば餌にありつけるかもしれないと

子猫心に思っているのに違いない。それが余計に憐れであった。

幸い義父は保健所を呼ぶこともなくそっとしてくれている。

里親を探すと云っていたKちゃんは音沙汰がなかった。

日に日に痩せ細っている子猫を見るのがたまらなく辛い。

餌はもちろんのこと撫でてやることも出来ないのだった。



工場は車検が入庫。義父はエアコン修理と忙しい。

同僚は冷風の出るベストを羽織っているが

義父は扇風機も点けようとしなかった。

どんなにか暑いことだろうと気遣うばかりである。

部品が整った一台は修理が完了したように思えたが

順調にエアコンが効かず義父が原因を探りまわっていた。

「わかったぞ」その声に駆けつけると何と鼠の巣があるではないか

おそらく何処かの配線を齧られているのだろう。

こんなトラブルは初めてのことで義父の職人魂が燃え上がっていた。

そうなるともう昼食どころではなくなり必死で直そうとする。

日本中を探しても82歳の現役整備士が居るだろうか。

尊敬せずにはいられず頭が下がる思いであった。


義父と同僚に声を掛けて2時半に退社する。

FMラジオからは舟木一夫の「高校三年生」が流れていた。

今の時代にと違和感を感じるが聴けば懐かしい歌である。


買い物を済ませ4時前に帰宅。今日こそはと「銭形平次」を見ていた。

悪者を捕えたあとの平次の笑顔がとても清々しくて好きだ。


夕食を済ますと20分程自室で寛ぐのが常である。

パソコンでSNSを見たり煙草を2本吸ったり。

ある詩人さんが「日々の記録ではなく記憶になりたい」と書いており

胸がはっとするほど共感を覚えた。

詩も短歌もこの日記も記録には違いないが記憶として残したい。

そうして人生を全う出来ればもう思い残すことはないように思う。

それが私の記憶であると同時に誰かの記憶になればもう云うことはない。

私は「忘れられないひと」になりたい。

どうかどうか忘れないでいて下さいね。


※以下今朝の詩


     墓穴

 穴があったら入りたいが
 いざ入ってみると面白い

 後悔のようなものは
 得体の知れない怪物
 闘わねばならず
 拳を振り上げる

 殴られたら殴り返すが
 何と心地良い痛みだろう

 でこぼこになれば
 その姿を見たくなる
 どれほど滑稽なことか

 笑えば声が響き渡る
 愉快な歌声のようだ

 穴を掘るふかく掘る
 私はやがて見えなくなるが
 穴は永遠に残るだろう

 生きることが愉快でならない








2025年07月08日(火) 山に登れば空が近くなる

晴れのち曇り。相変わらずの蒸し暑さであったが

猛暑にはならずほんの少し暑さが和らいでいたようだ。

明後日からは「戻り梅雨」だそうで久々に雨が匂いそうである。

植物も田畑の作物もどんなにか雨を待ち侘びていることだろう。


県内の向日葵畑の様子が全国ニュースでも流れていた。

やはり猛暑の影響でかなり衰弱しているらしい。

夏を代表する花であっても過酷な暑さには耐えられなかったのだろう。

今度の雨で少しでも生気を取り戻して欲しいものである。


今朝は出勤途中の国道沿いにあるお客さんのお宅に寄っていた。

毎年夏野菜を頂いており今年も電話で知らせてくれたのだった。

朝獲れの新鮮なトマトとゴーヤを頂く。

また沢山獲れたら知らせてくれるとのこと有難いことである。

助手席に置いてミニトマトを食べながら職場に向かった。

私は冷蔵庫で冷やしたトマトより獲れたてのトマトが好きである。

いくらでも食べられて今朝も10個ほど平らげていた。




今日の工場は珍しく車検の入庫がなく同僚も楽そうである。

郵便局のバイクの点検とオイル交換が一台あっただけだった。

義父はエアコン修理を始めていたが思うように捗らない。

部品が揃わずこれ幸いとばかりに田んぼの草刈りに出掛けた。

一度出掛けてしまうとお昼になっても帰らないのが常である。


そのお昼に常連のお客さんが訪ねて来て新車を購入したいとのこと。

義父が居てくれたら話がとんとん拍子に進んだことだろう。

明日また出直してくれることになりカタログを提げて帰って行った。

「何としても売らなければいけない」私の営業魂が騒ぎ出す。

2時になっても義父は帰らず明日報告することにした。


事務仕事も一段落しており2時過ぎに退社する。

遅い日もあれば早い日もある。臨機応変が一番に思う。

3時過ぎにはもう帰宅しており「えらい早いな」と夫が驚いていた。

エアコンの効いた茶の間でごろごろと横になる。

確かに「銭形平次」を見ていたがいつの間にかまた寝入っていた。

何だか切り取られた「空間」のようである。

そこだけ大きな穴が開いておりすっぽりと潜り込んだような感覚なのだ。

意識はあるが記憶はない。夢や希望は少しはあるのだろうか。


平坦なようでいて大きな山を登り始めているが

とにかくくよくよと思い詰めないことだ。

何とかなるし成るようになると思って登り切らなければならない。


山に登れば空が近くなる。その空を独り占めにするのもまた良し。



※以下今朝の詩

    
    自転車


 絶対に手を放さんとってね
 おそるおそるペダルをこぐ
 最初はゆっくりであったが
 次第に辺りの景色が流れた

 50メートル程進んだろうか
 自転車から下りて振り向くと
 遠い処で父がほほえんでいる

 「やったなえらいぞ」
 父にほめられると嬉しい
 まるでお姫様みたいな気分だ
 弟が家来のように駆けてきた
 「おねえたんすごいね」

 山々の緑が濃く鮮やかに見える
 季節はおそらく夏の始めだろう
 爽やかな風が吹き抜けていた

 その風を切ることをおぼえた
 もう何もこわいものはないのだ








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