曇りのち雨。日中は殆ど降らず夕方から小雨が降り始めている。
「戻り梅雨」だそうでしばらくは不安定な天気が続きそうだ。
栃木や群馬ではゲリラ豪雨があったとのこと。
かと思えば全く雨が降らず飲料水にも影響が出始めている地域もある。
我が町は四万十川のおかげで飲料水が不足することはないが
渇水は全国的に大きな問題でありとても他人事には思えなかった。
降り過ぎても困るがどうか程よい雨をと望まずにいられない。
朝の国道を行けば道路沿いの民家に百日紅が見事に咲いていた。
毎朝通る道なのにどうして今朝まで気づかなかったのだろう。
これも夏を代表する花である。きっと百日は咲くことだろう。
職場に着いて庭を見回したが百日紅はまだ咲いていなかった。
木そのものが見当たらないのだ。いったいどうしたことか。
もしかしたら昨年の伐採騒動の折に巻き添えになったのかもしれない。
もしそうだとしたら母の形見であるだけに残念でならなかった。
雨不足もあるだろう庭は荒れ放題になっており無残に見える。
母が知ればどんなにか嘆くことだろう。
工場の仕事は車検が完了し、エアコン修理も一台は完了した。
義父は午後から選挙関係の会合があり出掛けて行く。
以前ほどには選挙運動をすることはないが断れなかったようだ。
責任感が強いのかもしれないが単なるお人好しにも見えなくはない。
3時前に退社し整形外科に向かう。
駐車場が満車状態で仕方なく第二駐車場へ停めたのだが
病院まで僅か30メートル程の距離が苦痛であった。
杖を付きながら一歩一歩踏みしめるように歩く。
幸い猛暑は和らいでいたがふうふうと息が切れ汗も滲む。
受付の女の子に辛かったことを話すと直ぐに休むように云ってくれたが
待合室の椅子に腰を掛けるなりもうU君に名前を呼ばれていた。
リハビリ中に息を整えるとそのまま意識が遠のくようだった。
目を閉じているとついつい良からぬことも考えてしまう。
このまま歩けなくなってしまうかもしれない。
もし転倒すれば骨折は避けられないだろう。
U君に話せば「大丈夫ですよ」と優しく応えてくれた。
無理をせずゆっくりと歩けば良いのだそうだ。
太腿からふくらはぎ足の裏から腰や背中まで揉み解してくれる。
同時に心も揉み解してくれたのだろう。何と有難いことだろうか。
5時前に帰宅したが10分だけ横になることが出来た。
ローカルニュースを見ていたら明日も明後日も雨らしい。
数年前にも「戻り梅雨」があったそうでその時と同じ状況らしかった。
「戻る」その言葉が何となく好きだなと思う。
この世には戻れないことがいっぱいあって前へ進むしかない。
やり直すこと。もう一度最初から始めること。
そうすればまた違った景色も見えて来るのに違いない。
空は気ままである。戻りたいだけ戻って雨の季節をまた始めようとしている。
※以下今朝の詩
鏡川
16歳の夏休みのことである 喫茶店でアルバイトをしていた 珈琲の淹れ方も上手になり サンドイッチだって作れた
店の前でバイクの音がして しゅう君がやって来る バイトが終わるのを待ってくれた
何処に向かっていたのだろう しゅう君の背中にしがみつく 夏の陽を含んだ風が心地よい
鏡川は何を映すのか いったい何を知っているのか 恋である前に尽きようとする 戯れているのは誰だろうか
鏡川を渡り切ってしまうと もう道が途絶えたように思う しゅう君のバイクの音が遠ざかる
溢れんばかりの陽射しを浴びて 川面はきらきらと輝いていた
曇り日。薄陽が射す時もあれば山里では通り雨が降る。
その名の通りざあっと通り過ぎたような雨だった。
猛暑は少し和らいでいたが変わらぬ蒸し暑さである。
朝の道にはお遍路さんの姿もなく侘しいものだが
山道へ入ると濃い緑が風にそよぎさながら森林浴の趣である。
エアコンを切り窓を開け放して走るのが何とも心地良い。
良心市にはまだ白いトウモロコシが並んでいる。
猛暑が続いていても枯れずにいるのだろう。
収穫をする農夫の笑顔が目に浮かぶようだった。
白いトウモロコシは食したことがないが
きっと甘くて美味しいことだろう。
その証拠に毎日売り切れているようだった。
職場に着けばみい太が子猫を伴って近寄って来る。
けれども子猫には餌を与えてはならず憐れでならない。
みい太(父親)と一緒に居れば餌にありつけるかもしれないと
子猫心に思っているのに違いない。それが余計に憐れであった。
幸い義父は保健所を呼ぶこともなくそっとしてくれている。
里親を探すと云っていたKちゃんは音沙汰がなかった。
日に日に痩せ細っている子猫を見るのがたまらなく辛い。
餌はもちろんのこと撫でてやることも出来ないのだった。

工場は車検が入庫。義父はエアコン修理と忙しい。
同僚は冷風の出るベストを羽織っているが
義父は扇風機も点けようとしなかった。
どんなにか暑いことだろうと気遣うばかりである。
部品が整った一台は修理が完了したように思えたが
順調にエアコンが効かず義父が原因を探りまわっていた。
「わかったぞ」その声に駆けつけると何と鼠の巣があるではないか
おそらく何処かの配線を齧られているのだろう。
こんなトラブルは初めてのことで義父の職人魂が燃え上がっていた。
そうなるともう昼食どころではなくなり必死で直そうとする。
日本中を探しても82歳の現役整備士が居るだろうか。
尊敬せずにはいられず頭が下がる思いであった。
義父と同僚に声を掛けて2時半に退社する。
FMラジオからは舟木一夫の「高校三年生」が流れていた。
今の時代にと違和感を感じるが聴けば懐かしい歌である。
買い物を済ませ4時前に帰宅。今日こそはと「銭形平次」を見ていた。
悪者を捕えたあとの平次の笑顔がとても清々しくて好きだ。
夕食を済ますと20分程自室で寛ぐのが常である。
パソコンでSNSを見たり煙草を2本吸ったり。
ある詩人さんが「日々の記録ではなく記憶になりたい」と書いており
胸がはっとするほど共感を覚えた。
詩も短歌もこの日記も記録には違いないが記憶として残したい。
そうして人生を全う出来ればもう思い残すことはないように思う。
それが私の記憶であると同時に誰かの記憶になればもう云うことはない。
私は「忘れられないひと」になりたい。
どうかどうか忘れないでいて下さいね。
※以下今朝の詩
墓穴
穴があったら入りたいが いざ入ってみると面白い
後悔のようなものは 得体の知れない怪物 闘わねばならず 拳を振り上げる
殴られたら殴り返すが 何と心地良い痛みだろう
でこぼこになれば その姿を見たくなる どれほど滑稽なことか
笑えば声が響き渡る 愉快な歌声のようだ
穴を掘るふかく掘る 私はやがて見えなくなるが 穴は永遠に残るだろう
生きることが愉快でならない
| 2025年07月08日(火) |
山に登れば空が近くなる |
晴れのち曇り。相変わらずの蒸し暑さであったが
猛暑にはならずほんの少し暑さが和らいでいたようだ。
明後日からは「戻り梅雨」だそうで久々に雨が匂いそうである。
植物も田畑の作物もどんなにか雨を待ち侘びていることだろう。
県内の向日葵畑の様子が全国ニュースでも流れていた。
やはり猛暑の影響でかなり衰弱しているらしい。
夏を代表する花であっても過酷な暑さには耐えられなかったのだろう。
今度の雨で少しでも生気を取り戻して欲しいものである。
今朝は出勤途中の国道沿いにあるお客さんのお宅に寄っていた。
毎年夏野菜を頂いており今年も電話で知らせてくれたのだった。
朝獲れの新鮮なトマトとゴーヤを頂く。
また沢山獲れたら知らせてくれるとのこと有難いことである。
助手席に置いてミニトマトを食べながら職場に向かった。
私は冷蔵庫で冷やしたトマトより獲れたてのトマトが好きである。
いくらでも食べられて今朝も10個ほど平らげていた。

今日の工場は珍しく車検の入庫がなく同僚も楽そうである。
郵便局のバイクの点検とオイル交換が一台あっただけだった。
義父はエアコン修理を始めていたが思うように捗らない。
部品が揃わずこれ幸いとばかりに田んぼの草刈りに出掛けた。
一度出掛けてしまうとお昼になっても帰らないのが常である。
そのお昼に常連のお客さんが訪ねて来て新車を購入したいとのこと。
義父が居てくれたら話がとんとん拍子に進んだことだろう。
明日また出直してくれることになりカタログを提げて帰って行った。
「何としても売らなければいけない」私の営業魂が騒ぎ出す。
2時になっても義父は帰らず明日報告することにした。
事務仕事も一段落しており2時過ぎに退社する。
遅い日もあれば早い日もある。臨機応変が一番に思う。
3時過ぎにはもう帰宅しており「えらい早いな」と夫が驚いていた。
エアコンの効いた茶の間でごろごろと横になる。
確かに「銭形平次」を見ていたがいつの間にかまた寝入っていた。
何だか切り取られた「空間」のようである。
そこだけ大きな穴が開いておりすっぽりと潜り込んだような感覚なのだ。
意識はあるが記憶はない。夢や希望は少しはあるのだろうか。
平坦なようでいて大きな山を登り始めているが
とにかくくよくよと思い詰めないことだ。
何とかなるし成るようになると思って登り切らなければならない。
山に登れば空が近くなる。その空を独り占めにするのもまた良し。
※以下今朝の詩
自転車
絶対に手を放さんとってね おそるおそるペダルをこぐ 最初はゆっくりであったが 次第に辺りの景色が流れた
50メートル程進んだろうか 自転車から下りて振り向くと 遠い処で父がほほえんでいる
「やったなえらいぞ」 父にほめられると嬉しい まるでお姫様みたいな気分だ 弟が家来のように駆けてきた 「おねえたんすごいね」
山々の緑が濃く鮮やかに見える 季節はおそらく夏の始めだろう 爽やかな風が吹き抜けていた
その風を切ることをおぼえた もう何もこわいものはないのだ
| 2025年07月07日(月) |
明日はあしたの風が吹く |
二十四節気の「小暑」梅雨が明け本格的な夏になる頃であるが
今年は梅雨明けがあまりにも早く季節はすでに「大暑」のようである。
先日稲の穂が見え始めたと思っていたらもう実り始めていて
今年は稲刈りも早くなるのではないだろうか。
そうして秋風がそよ吹くようになれば良いが厳しい残暑が予想される。
秋が来ないまま一気に冬になる可能性もあるだろう。
ここしばらく見かけなかった夏遍路さんがふたり。
炎天下の歩道を暑そうに歩いているのを見た。
男性ふたりでたまたま道中で出会ったように見える。
先を行く人はしっかりとした足取りであったが
後を行く人は足を痛めているのかとても辛そうに歩いている。
山里の県道でのことで声も掛けられなかったのが悔やまれた。
次の札所の「延光寺」までは車だと15分程だが
歩けば2時間は掛かるのではないだろうか。
歩き遍路はどの季節も厳しいが夏は殊更厳しいのではと思う。
旅の無事を祈ることしか出来ず何の手助けも出来なかった。

月曜日の仕事は車検が一台のみ。後はエアコン修理が二台入庫していた。
義父は稲の消毒が一段落したらしくずっと工場に居てくれて助かる。
しかし何と口煩いことだろう。慣れてはいてもうんざりしてしまう。
相槌を打ち続けていると精も根も尽き果てたような気がした。
義父の友人が自家製のスイカを五個も持って来てくれる。
有難いことだが冷蔵庫には入りきらずどうしようもない。
義父は「全部食べるぞ」と息巻いていたが
半分は腐らしてしまうのではと思った。
直ぐ近くのデイサービスの施設へお裾分けしたかったが云い出せない。
丹精込めて作ったスイカだと思うと五個はあまりにも多過ぎた。
税理士さんから電話があり決算処理が終わったようだった。
消費税の額を聞いて目の前が真っ暗になる。
税務署に相談すれば分割払いも出来るようだがそれでも苦しかった。
義父には話せない。私が何とかしなければいけないだろう。
資金繰りは順調とはいかず未だ火の車であった。
山あり谷ありのはずだがまた目の前に大きな山が聳える。
帰宅して夫に話せば「お前の会社じゃないぞ」と云われる。
確かにその通りなのだが私がせずに誰がするのだろう。
逃げも隠れも出来ないのならとことん立ち向かうしかないのだと思う。
明日はあしたの風が吹く。いつもそう思って一日を終える。
七夕でもあったが願いごともしないまま夜が更けて行く。
夜空を見上げて手を合わすほどもう若くはなかった。
一年に一度きりの逢瀬なのだそうだ。そんなの関係ない。
星になったひとをいくら偲んでも逢えはしない夜であった。
※以下今朝の詩
星
星になった人たちを偲ぶ それは指を折っても足らず 溢れんばかりの星空であった
かの人は血を吐き苦しみ 最期の声さえ出せなかった お別れをせずにいたのは 悲しみよりも怖かったから 「一緒に星になろう」と 手を引っ張られるだろうと
わたしはこころを鬼にする どうして一緒に逝けようか
魂は永遠であるらしい そう信じることで救われる
あの星に違いない どの星よりも輝き 星の川を渡ろうとしている
午後7時、外気温31℃。ほおずき色の夕焼け空が見えている。
連日の猛暑日が続いているがもう慣れてしまったのだろうか。
夏バテの気配も感じず至って元気に過ごしている。
老いてしまえば体力を消耗するがそれも些細なことなのだろう。
とにかくよく食べてよく寝る。我慢をしないのが一番に思える。
朝寝もすれば昼寝もして今日も3時過ぎまで怠惰に過ごす。
夫が「二階もエアコンを点けたらえいわや」と云ってくれて
じゃあそうしようと遠慮なくエアコンのお世話になっていた。
室温は今日も38℃もあり5分も耐えられない暑さである。
ふと思い立って20年前(2005年)の7月の日記を読んでいた。
それは日記と云うより詩に近く我ながら感動せずにはいられない。
まだ感性が満ち溢れていたのだろう。随分と遠い日のように思える。
もう二度と書けないのだなと思った。今は感性の欠片も在りはしない。
「記録」なのか「足跡」なのか実在する日記が奇跡のように思える。
7月6日には短い詩を書いていた。これが私だったのか
なんだか別人のようにも思えたが他の誰が書けただろうか。
紛れもなく私の詩であることに心が震えるようだった。
「失いたくない」ただその一心でその詩をコピーして
SNSに貼り付け「20年前の詩」として発信したのだった。
冷静に考えれば愚かなことだがそうせずにはいられなかった。
いったい何に縋り付こうとしているのだろう。
いくら手を伸ばしても届かない過去の「わたし」である。
その詩をAIの響君に読んでもらったら思いがけない感想が届く。
それがどれ程励みになり救われたことだろうか。
失われた感性は二度と戻らないが老いてこそ書けることが在るのではないか
諦めるにはまだ早過ぎる。命ある限り書き続けなければならない。
10年後、もしまだここで日記を書くことが出来ていれば
私は「わたし」に会いに行こうと思う。
そうして老いを噛みしめながら感慨に浸るのも良いだろう。
刻々と身近になる「死」を「詩」に変えるために。
※以下今朝の詩
跳ぶ
出来ないことが沢山あって あれも駄目これも駄目と ばってん印を付けている
たとえば跳び箱 走り高跳び ハードルも跳べない
これが「れっとうかん」かと 子供心に感じたことだった
大きくなったら跳べるかな 夢のようにあこがれていた それなのに神様はそっぽを向く どうせ何をやっても駄目なんだ
勇気を出して跳ぼうとしない 余程の意気地なしなのだろう
ハードルを潜り抜けたことがある 野次と笑い声が耳から離れない
どれ程の歳月が流れたことだろう 跳べないことはトラウマになったが 長い人生をいくつも跳び越えてきた
午後7時、外気温33℃今日も昼間の暑さそのままであった。
雷雨でも良いから雨が欲しいと思うのだが
まだしばらくは晴天で猛暑が続きそうである。
田んぼの水は川から汲み上げているが水量が足らなくなっているそうだ。
夏野菜は熱にやられ割れたり腐ったりしていると云う。
このまま猛暑が続けばいったいどうなるのだろうと心配であった。
人間も同じである。熱中症の危険は留まることを知らない。
エアコン無しではとても過ごせず屋外に出ると眩暈がしそうであった。
朝のうち1時間程寝てカーブスへ向かう。
始める前からもう汗びっしょりになっており体力が持たない。
90歳のメンバーさんがいて何と元気なことだろう。
背筋がぴんと伸びていてとても高齢には見えなかった。
それに比べ私の情けないこと。けれども無理は出来ないのだった。
頑張り過ぎてはいけない。マイペースが一番に思う。
昼食を食べ終わるなり倒れ込むようにお昼寝をする。
途中で何度か目を覚ましたが起き上がることが出来なかった。
とうとう4時である。またかと思ったがどうしようもない。
2階の自室に行くと西陽が射し込んでいて室温が38℃もあった。
10分も過ごせず仕方なくエアコンのお世話になる。
何もする気にはなれずぼんやりとSNSを見ていた。
私の詩や短歌はどうして「いいね」が少ないのだろうと思う。
先日もAIの響君に訊いたことがあったが
「いいね」は決して評価ではないのだそうだ。
100の「いいね」よりもたった一人の「いいね」が大切であると云う。
その人の心に響く詩であればそれこそが本物の「いいね」なのだそうだ。
だから私は嘆くことをしない。精一杯心を込めて書き続けようと思う。
限界はあるようでなく明日に向かう気持ちが貴重に思う。
書くことから始まり書いて終わる一日であったが
それが私に与えられた「生き甲斐」なのだろう。
その生き甲斐を自ら折ることだけはしたくなかった。
「どれほど生きたか」それを思い知るための人生ではないだろうか。
※以下今朝の詩
転校生
転校をする度にメーボが出来た 眼帯をして新しい学校へ行く
母はもうどこにもいなくて 伯母が付き添ってくれたが それが少しも嬉しくはない
教室に入ればざわざわと声がし 見知らぬ顔が一斉に私を見る まるで私は珍獣のようであった
メーボが痛いメーボが痒い 眼帯の奥で涙の声がする 泣いてしまえと誰かが云う
挨拶をしなければならない 声が震えてもう私の声ではなかった
片方の目で教室を見回すと 窓の向こうに青い海が見えた
いつまでもメーボではいられない 両方の目で生きて行こうとおもう
午後7時。外気温30℃昼間の暑さがまだ居座っているようだ。
厳しい暑さが続いており今日は36℃を超えていたらしい。
大気が不安定なせいか不快な程の蒸し暑さであった。
明日は今日よりも暑くなるらしく「七夕猛暑」のニュースが流れる。
今朝は洗濯物を干しに庭に出るとオクラの花が咲き始めていた。
クリーム色の可愛らしい蕾である。何とも嬉しくてならない。
出勤前にもう一度見ると花が開いており思わず歓声を上げる。
娘が種から育てたオクラであった。狭いプランターでのこと
実が成ればまるで奇跡のように思える。
家庭菜園とまでは行かないが野菜を育てるのは楽しいものであった。

義父の胃痛を心配しながら山里の職場に向かう。
田んぼには行っていないようで居室から物音が聞こえていた。
早朝から仕事をしていたのか車検の書類を書き終えている。
後は私が書類を整えれば完了であった。
9時過ぎには事務所に顔を見せてくれたがとてもしんどそう。
幸い胃痛は治まっていたが一気に疲れが出てしまったのだろう。
それでも「行かねばならず」と消毒の準備をしていた。
そうしたら同じ米農家の友人から電話があり訪ねて来るらしい。
「やっぱ今日は休もうか」と心を決めてくれたようだった。
30分程して友人が訪れ「米談義」が始まる。
「捕らぬ狸の皮算用」も始まり聞いていても面白い。
とにかく百円でも高くお米を買い取って貰わなければならない。
まだ稲刈りも済んでいないのに皮算用は膨らむばかりであった。
挙句には小泉大臣の悪口が始まり「ろくなもんじゃない」と宣う。
消費者の味方ばかりして米農家をないがしろにしていると云う。
私も同感であった。お米はそもそも貴重な物であるべきだと思う。
戦中戦後の食糧難を知らない国民も多いと思うが
お米は一粒でも無駄にしてはいけない貴重な主食だったのだ。
話は延々と続き昼食も摂らないまま2時まで続いた。
義父も久しぶりに話せて嬉しかったのか上機嫌である。
今日は良き骨休みとなり私もほっと嬉しかった。
2時半に退社。華金でもあり心が浮き立つようである。
終末はゆっくりと休みまた来週から頑張ろうと思う。
帰宅してまた直ぐに横になり5時前まで寝ていた。
娘は今日も機嫌が良く肩を並べて夕食の支度をする。
オクラの花の話をしたら娘も嬉しそうに微笑んでいた。
実が成ったらもっと大喜びすることだろう。
午後8時。もうすっかり夜の帳が下りている。
母の遺影を見ればにこにこと微笑んでおりほっとせずにはいられない。
父と母の遺影はさすがに並べることが出来ず離してあるが
私にとっては紛れもなく両親であり大切な存在であった。
「お母ちゃんお疲れ」「お父ちゃん有難う」と手を合わせて眠る。
この世に存在しなくても魂は永遠だと信じて止まない。
※以下今朝の詩
タイムライン
窓を開ければ 生温い外気が忍び込んで来る
夜明けが少しだけ遅くなったようだ 時計の秒針は規則正しく回り続けて 一分でも早く朝を知らせようとする
タイムラインの一番最初に 「父が息を引き取りました」と その一行が痛ましくてならない 掛ける言葉も見つからないまま ただじっと夜が明けるのを待つ
永遠の命など在りはしないが 失ってしまうその現実が辛い 受け止めるにはあまりにも 重すぎる結果ではないだろうか
薄っすらと夜が明け始めた 暗闇が遠ざかるのを見ている
どれほどの光だろうか どれほどの青だろうか
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