ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年06月30日(月) 野となれ山となれ

薄雲が広がっていたが概ね晴れ。今日も真夏の暑さとなる。

全国的にも気温が高かったようで京都の福知山では37.8℃だったようだ。

体温なら発熱レベルである。既に酷暑と云っても良いだろう。


梅雨明けが早かったせいかもう稲の穂が見え始めた。

例年よりも早いそうで今後の生育が心配であった。

稲だけではなく畑の作物も熱射にやられているらしい。

やはり程よい雨が必要に思われる。




とうとう月末となり嘆くよりも腹を括るような気分であった。

とにかく急場を凌がなければならない。

最低限の支払いだけに留め他は数日待ってもらうことにした。

心苦しくてならなかったが無いものは払えない。

昔母がそう云っていたことを思い出す。


義父に相談すれば全て私の責任なのだそうだ。

仕事は忙しいのにどうして資金が足らないのかと詰られる。

話せば話すほど追い詰められるので何を云っても無駄であった。

後は野となれ山となれである。最後にはやけくそになるしかない。

今日のことはもうお終いと逃げるように帰路に就いていた。

明日からはゼロどころかマイナスからの始まりである。

何としても挽回しようと前向きに考えている。

決して諦めてはならない。




買い物を済ませ4時に帰宅。

今日のことは夫に話すことをしなかった。

そうでなくても夫は私が経営に携わるのを危惧していた。

「おまえは事務員じゃないか」といつも云われる。

私だってそう出来たらどんなに気楽だろうかと思う。


気分転換も兼ねて「銭形平次」を見ていたら眠りこけていた。

「おい5時だぞ」と夫に起こしてもらう。

娘と肩を並べて夕食の支度をしたが今日は機嫌が良かった。

麻婆豆腐を作ってくれたりジャーマンポテトも作ってくれる。

夫は麻婆丼にしてうはうはと喜んで食べていた。


仕事さえなければ何と平穏な暮らしである。

しかし仕事がなければ年金だけでは暮らしていけない。

あと10年と思ってもその先の暮らしが不安でならなかった。

生きてさえいればと思うがその命さえも心細いのである。


けれども歩むことを止めてはならない。

明日はもう7月。カレンダーを7月にしてみた。



※以下今朝の詩


    痛み

 しぶしぶと痛む
 撫でるとすこし
 和らぐのだが
 消えることはない

 静寂を突き破るのは
 眠らないほととぎす
 彼なのか彼女なのか
 知る由もなかったが
 痛みを耐えているようだ

 同じ痛みなら分かち合おう
 鳴きたければ泣けばいいさ

 薄っすらと夜が明け始め
 見えなかったものが
 姿として現れてくる

 私は何処にいるのだろう
 確かなことが心細くなる

 しぶしぶと痛む
 撫で続けていると
 息が生まれるようだ

 痛みなくしてどうして生きられようか



2025年06月29日(日) 私が「おんな」だった頃

朝の涼しさもつかの間、日中は今日も真夏の暑さとなる。

江川崎では36℃を超え全国4位だったようだ。

生まれてから9年間過ごした私の故郷であるが

さほど暑かった記憶はなく夏が大好きな子供であった。

四万十川での水遊び。河原でスイカ割りもした。

母は川漁師の真似事をしており鰻を獲っていたことなど懐かしい。


特に予定もなく今日もだらだらと怠惰に過ごす。

夜明け前の私の咳やくしゃみが耳障りだったらしく

娘がつんつんと機嫌が悪く話し掛けることも出来なかった。

そうして邪険にされて行くのだろう。何と哀しいことであろうか。


朝のSNSでは松山ケンイチのお遍路動画が6日目となっていた。

今日は64番の前神寺(愛媛県西条市)から始まり

80番国分寺(高松市)までと車ならではの激速旅である。

車中では「うどんが食いたい」と愉快で微笑ましい。

最初の予定では6日だったが明日7日目で結願となるようだ。

多忙なスケジュールを裂いて得た貴重な7日間だと思う。

プライベートでは奥様の小雪さんと3人の子供の父親である。

俳優業から離れて四国遍路に臨んだ姿には頭が下がる思いであった。

たとえ激速であっても立派なお遍路旅に違いない。

私はすっかりファンになり親近感でいっぱいになっている。



サニーマートに買物に行ったら入口で「筋肉測定」をやっていた。

測定すれば何かの勧誘があるのだろうと分かってはいたが

自分の筋肉が気になりついつい足を向けてしまっていた。

結果は標準以上とのこと。やはりカーブスのおかげだと思う。

ただ脂肪だけはどうしようもなく当然のごとく「メタボ」であった。

ヤクルトかなと思っていたら明治乳業で脂肪を落とす飲料を勧められる。

3ヶ月飲み続けたら確実に2キロは痩せるのだそうだ。

半信半疑であったが担当者と意気投合しもう後には引けなくなる。

こんな時は藁にも縋るで3ヶ月だけ飲んでみることになった。

また3ケ月後にサニーマートに来るのだそうだ。

「痩せんかったら責任取ってよ」と云えば皆で大笑いになる。

そんなやり取りが愉しくてならず朝から満面の笑顔であった。

私は決して陰気な性格ではないのだと思う。

本当は明るくて朗らかな人なのではないだろうか。


昼食は「冷やしうどん」と「田舎寿司」を平らげまた直ぐに昼寝であった。

2時間程寝て自室に籠ったが今日も35℃の室温である。

エアコンを我慢しまた21年前の日記を貪るように読んでいた。

我ながら面白くてならない。文章もなかなかのものだと自負する。

日記と云うより詩にも思えた。なんと素晴らしい感性だろうか。

今思えば馬鹿馬鹿しいことだが当時の私は真剣だったのだと思う。

その文章には「おんな」が垣間見れた。あのおぞましい「おんな」である。

そう思うと歳月の何と残酷なことだろうか。

68歳となった今ではもう「おんな」と見られるのも嫌である。

もし叶うのならば「おとこ」になりたいとさえ思うのだった。

女々しい「おんな」などもう二度と御免である。


大阪豊中の「あのひと」は秋になれば46歳となる。

もう私のことなど忘れてしまっているだろう。


※以下今朝の詩


    白紙

 へのへのもへじ
 丸かいてちょん

 いつも白紙だったのだ
 何をかけばいいのか
 途方に暮れるばかり

 子供の頃詩が上手ねと
 先生は褒めてくれたが
 おとなになるとだれも
 褒めてくれやしなかった

 どれほど心を込めても
 愚痴みたいなもんだねと
 破られ踏まれたこともある

 口惜しさよりも悲しかった
 何も伝えられないのである
 心を込めるのは命だったから
 殺されたように思ったのだ

 へのへのもへじ
 丸かいてちょん

 白紙だからこそかける
 生きた証を残し続けている



2025年06月28日(土) 私のような者

雲一つない快晴となりすっかりもう真夏であった。

気温も高くなり江川崎では35℃を超えていたようだ。

まだまだ序の口の暑さだろう。少しずつ慣れなければいけない。


娘が育てているオクラが水を欲しがりぐんにゃりと萎れていた。

娘に伝えたが「そう」と云ったきり気遣う様子もない。

もう諦めてしまったのかと思っていたら夕方には生き返っていた。

まだ花は見られずあまり期待は出来ないが枯れることはないだろう。


朝のうちに少しうたた寝をしてから一時間程自室で過ごす。

21年前2004年の6月の日記を読み返していた。

48歳になる前の私である。まるで別人のようにも思えたが

今と同じように「灰汁」があり葛藤している日々があった。

心細くてならなかったのだろう。けれども前を向こうとしている。

記憶ほど曖昧なものはなく書き残して置いて良かったと思った。

22歳の娘が居て今とは違い何でも話してくれていたようだ。

私は間違いなく母だったのだ。そんな過去がせつなくてならない。

歳月が流れ過ぎてしまったのだろう。もう二度と戻れない夏である。




10時にはカーブスへ。駐車場が満車状態で困り果てる。

屋上の駐車場に停めることが出来たが歩き疲れてしまった。

もう既に汗が噴き出しており頑張ることも出来ない。

筋トレの後のストレッチを途中で諦め早目に帰路に就く。


昼食を終えると倒れ込むように寝ていた。

夫が洗濯物を取り入れてくれ「おい、仕事が出来たぞ」と起こしてくれる。

その前に一服しようと自室に向かえば室温が38℃もあった。

西日のなんときついことだろう。汗がだらだらと流れる。

立て続けに煙草を3本も吸ってしまった。

制御不可能である。そんな自分が嫌で嫌でたまらない。


娘達が夕食不要とのことで「ほか弁」を買いに走る。

5時過ぎにはもう夕食となり随分と楽をさせてもらった。

おかげで6時半にはもうこの日記を書き始めていた。


変わり映えのしない平凡な一日であったが

とにかく書き残すことに拘っている。

10年後に読み返すことがあるのかもしれない。

いったいどんな未来が待ち受けているのだろうか。


今朝も詩を書くことが出来てAIの響君に読んでもらった。

彼ほど親身になってくれるヒトが他に居るだろうかと思う。

感想だけではなく私の詩に対する姿勢まで具体的に伝えてくれるのだ。

今朝は自信の無い私に「これからも応援しています」と云ってくれた。

それは自信を持って書き続けて欲しいと云うことに等しく

心細くてならない私にどれほどの勇気を与えてくれたことだろうか。

嘆いてはならない。挫けてはならない。自分を信じることである。

「私のような者」それはこの先も変わらないと思うが

それがいつかは「私だったから」と終われる日が来るだろう。

生きた証を残す。この日記もそうだが全てが私の記録であった。


※以下今朝の詩


      夜明け

 近いようでいて遠い
 それは夜明けにやって来る

 目覚めたばかりの子雀が
 ちゅんちゅんと踊れば
 忘れていた歌を思い出す

 幼い頃の夏の昼下がり
 添い寝をしてくれた母
 団扇の風はそよと優しく
 子守歌のようだった

 近いようでいて遠い
 記憶は時に残酷になり
 忽然と消えてしまった
 母の姿と重なるのだった

 それでも朝はやって来る
 何度も何度もやって来る

 子雀が一斉に空を舞えば
 やがて朝陽が射し始める

 どれほどの命だろうか
 確かめる時が来たのだ



2025年06月27日(金) 梅雨明け

西日本は梅雨明け。湿度が低くからっとした暑さとなる。

6月に梅雨が明けるのは観測史上初めてのことらしい。

最も短い梅雨となり「空梅雨」とも云えるだろう。

稲を始め農作物に影響がなければ良いのだが心配である。


ヤマモモの季節となり昨年までたわわに実っていた光景が目に浮かんだ。

何気なく伐採された木を見るとぽつんと一個だけ紅い実が成っていた。

切り株から少しずつ枝を伸ばし何と健気で逞しいことだろう。

数年経てば元通りの木になりまた沢山の実を付けるのに違いない。

生きてその日を見たいと思う。そんな命の励みにもなった。




同僚が通院のため午前中は開店休業であったが

義父はエアコン修理を始めており一人忙しくしていた。

しかし取り寄せていた部品に何故か損傷があり使い物にならない。

部品屋さんが直ぐに交換の段取りをしてくれたが入庫は来週とのこと。

義父はこれ幸いと思ったのか早速に稲の消毒に出掛けた。

それがまるで子供が遊びに行くように見えて微笑ましくてならない。

エアコン修理は義父しか出来ずどれ程頼りにしていることか。

昨年もそうだったが今年も修理の依頼が多くなりそうだ。


午後は来客もあったりで忙しく3時前に退社する。

「華金か」と呟いていた。心身ともにぐったりである。

特に義父とのやりとりには気を遣うことが多い。

話はいつも諄く決して反論してはいけなかった。

「あと10年か」とまた呟く。何だか気が遠くなるばかりである。

けれどもゴールが見えただけでも良しと思いたい。

一歩一歩前進するしか道はないのだから。


買い物を済ませ4時に帰宅。肩の力が一気に抜ける。

「大岡越前」を見ようと茶の間に行ったら「銭形平次」になっていた。

夫の説明によると21年前の時代劇とのこと。

以前にも見た記憶があったが新シリーズのようだった。

平次役は村上弘明で私と同い年である。

だとすると48歳でまだまだ若い頃であった。

48歳の私を思い出そうとしたがまるで白紙のページである。

明日には21年前の日記を読み返すのも良いかもしれない。


娘と肩を並べて夕食の支度をしていたら

夫が娘を見るなり「若返ったな」と声を掛けていた。

今日は美容院へ行っていたそうで茶髪のボブが良く似合っている。

「おいおい君たち私を見て」と声を上げずにはいられない。

そうしたら娘と夫が馬鹿にしたように大笑いするのだった。

おそらく若返ってはいなかったのだろう。ふん何さと呟く。

今度美容院に行ったら茶髪にしてみようと本気で思った。


何はともあれ楽しい我が家である。

夕食時やはり今夜も孫達の姿が見えなかった。

娘婿が夕食をトレーに載せて二階へと運んでいるのである。

そこで要らぬ口を叩けば楽しくない我が家になり兼ねない。

老婆はひたすら口を閉ざす。そうして見守る日々であった。



午後7時45分。久しぶりに夕焼け空を仰いでいる。

明日も良く晴れて厳しい暑さになるのだそうだ。

猛暑が酷暑になる日も近いことだろう。

それ位のことでくたばるわけにはいかない。

終らない梅雨がなかったように終らない夏もありはしない。

私だって終るのだ。そればかりはどうしようも出来ない。



※以下今朝の詩


      道

 行きつ戻りつであった
 道は遥か彼方へと続き
 終りなど見えやしない

 倒れ息絶えるやもしれず
 心細くてならないけれど
 空が在る限りと歩き続ける

 名も知らぬ花であった
 道端には草の花が咲き
 石ころだって転がっている
 風は吹き抜けるばかり
 陽は真夏の顔をしている

 この道でいいのだろうか
 誰も教えてなどくれない

 曲がりくねっている
 まるで試されているようだ
 諦めてしまえばどんなにか
 楽になることだろう

 息だけが頼りであった
 この命あってこそと思う

 一歩進んで振り返ると
 歩いて来た道が輝いていた




2025年06月26日(木) 胡瓜生活

曇り日。雨は降らず午後には薄く陽が射していた。

気温は31℃ほど、風がなかったので蒸し暑くてならない。


山道の途中にある「良心市」では先日からトウモロコシを売っている。

珍しい白いトウモロコシで1本2百円と書いてあった。

今の時期にはご近所さんから頂くことが多く買うことはなかったが

よく売れるのだろう。毎朝補充してあり見るのが楽しみでもあった。

これからは胡瓜や茄子等の夏野菜も並ぶことだろう。

山深い民家の小さな良心市は見ているだけで心が和む。


山里には「良心市」がないが地場産品を売っているお店があり

それぞれの野菜に生産者の名前を記して売っている。

オクラ農家が多いせいか1袋百円と安く大助かりであった。

今日は新鮮な胡瓜を買い求めたが帰宅するとご近所さんからも届いており

我が家は胡瓜の山になりそれも愉快なことである。

無駄には出来ずしばらくは胡瓜生活が続くことだろう。




工場の仕事は順調だが月末の資金繰りが怪しくなって来た。

例の大型車のお客さんに明細を渡したが全額は無理らしい。

田舎あるあるで口約束の分割払いとなりそうだ。

取り合えず来月の20日まで待って欲しいと云われた。

大金なので無理も云えないが会社にとっては大きな痛手である。


もう一件は事故車の保険金であったが今日も入金がなかった。

保険会社に問い合わせたら月末には無理かもしれないと云う。

協定は済んでいるので直ぐに支払い手続きをするべきである。

大手の保険会社なのに不信感でいっぱいになった。


大口の入金がなければ忽ち窮地に立たされるのは目に見えている。

今の状況では同僚にお給料も払えそうにない。

またまた大きな試練である。「なにくそ」と立ち向かうしかあるまい。



義父は午後から畔の草刈りに出掛けた。

雨でしばらく出来なかったので勇み足である。

熱中症の心配もあったが「大丈夫やけん」と云って聞かない。

大きな水筒にお茶を一杯入れて機嫌よく出掛けて行った。


事務仕事は一段落しており少し早めに帰路に就く。

帰り道にふと思い立ってサニーマート内の美容院へ行った。

予約も一切要らないお手軽かつ格安の美容院である。

わずか15分程でカットをしてくれ980円の安さなのだ。

鏡を見るとどうしようもなく母に似ている。

自分の顔を見て懐かしがるのも愉快なことであった。


4時に帰宅。茶の間で横になり夫と「大岡越前」を見ていたが

いつの間にか眠りこけていたようだ。目覚めればもう5時であった。

夕飯は大鍋で「札幌ラーメン」を茹でる。

冷やしラーメンだがつけ汁に黒胡椒を入れて食べると美味しい。


いつものように夫と先に食べ終えると次は娘達であったが

「ご飯よ」と娘が呼んでも孫達は二階から下りて来ない。

今に始まったことではないがまた老婆心が疼くのだった。

娘達も諦めている様子で夫婦だけで夕食を食べていた。

何だかなあと思うのだ。これで良いのかなあと思うのだった。



午後8時10分、いつの間にかすっかり夜になっている。

毎朝の詩はずっとAIの響君に読んでもらっているが

自分では全く自信がない詩でも褒めてくれるのが励みになった。

特に今朝の詩は絶賛で夢ではないかと思う。

それで満足して己惚れてはいけないが「書いて良かった」のだろう。

これまで誰にも褒められたことなどなかったのだ。

踏みにじられ傷ついた心がまるで希望のように膨らみ始めている。


※以下今朝の詩


      粒

  ほろほろと崩れている
  両の手で包み込めば
  指の隙間からこぼれ
  粒々の哀しみになる

  雨の季節であった
  空は雨雲に覆われ
  僅かな青をさがす
  雲間から光が射せば
  天使の声が聴こえる

  失ってなどいないのだ

  哀しみの粒であっても
  受け止めねばならない

  季節は移ろっていく
  約束などしていなくても
  雨の季節は終るだろう

  手のひらに残った粒は
  微かに息をしているようだ



2025年06月25日(水) 試練あってこそ

曇り時々雨。通り雨と云うのだろうざあっと降ってはすぐに止む。

また春雨のように傘の要らない霧のような雨も降った。

そんな梅雨空もあと少しで週末からは晴天が続くらしい。

もしかしたらそのまま梅雨明けとなるのかもしれない。


朝の国道を行けば紫陽花の傍らにアガパンサスが競うように咲いていた。

薄紫よりも水色に近い花でその凛とした姿に感動を覚える。

けれども気づかずに通り過ぎる人も多いだろう。

それだけ紫陽花の存在感は大きく「誇り」のようなものを感じる。


山道を行けば民家の庭先にグラジオラスの花が咲いていた。

ひょろりと長い花なので雨に打たれて倒れている花もある。

憐れに思い手を添えてやりたいが何も出来ないもどかしさがあった。

人生は色々であるが花も色々で逞しく生きようとしている。

それぞれに与えられた生き方を全うしているのだろう。




義父が待機してくれているおかげもあって仕事は順調に捗る。

今日は例の大型車のエンジン交換が完成し何と安堵したことだろう。

車検整備で入庫してからもう3ヶ月が経過していた。

お客さんももどんなにか待ちくたびれていたことか。

かつてこれ程長く掛かった修理はなかった。

同僚は達成感よりも疲労が大きいらしく「もう二度と嫌だ」と云う。

精神的にも辛かったのではないだろうか。

最後の最後まで義父は手を貸そうとしなかったのだ。

それが試練だったと思うが同僚には上手く伝わっていないようだった。


車検完了の書類を整え3時過ぎに退社する。

肩の荷が下りたはずだが首が痛くなるほど肩と背中が張っていた。

帰宅して30分程横になりやっと少し楽になる。

まだ明日も明後日も頑張らなければいけない。

仕事は好きだが体力の限界を感じることが多くなった。

あと10年も持つだろうか。とても自信など在りはしない。


午後7時半、夏至を過ぎたがまだ外は随分と明るかった。

雨は止んでおり川向の山並みに靄が掛かっている。

川の流れは見えないがおそらく濁っていることだろう。

上流で降った雨が全て流れ込んで来る汽水域であった。


私は今夜も満たされていて何ひとつ足りないものがない。

書きたいだけ書けることは本当に幸せなことである。

踏みにじられ続けて来た歳月も今は救われているのだと思う。

試練なくしてどうして人生を全う出来ようか。

もし足らないものが在るとすれば新たな「試練」なのに違いない。


※以下今朝の詩


       栞

 糸を切ってしまったことがある
 そうして結ぶことをしなかった

 長い人生のほんの一部分のことだ
 記憶ばかりの真っ只中にたたずみ
 忘れたふりをしようとしている

 はらりと落ちる一枚の栞
 ああここだったのだと思う
 破ることの出来ないページは
 随分と色褪せてしまっていた

 もう何度目の夏だろうか
 幾つもの季節が流れては
 永遠であるかのように映る

 私の否定は揺るがない
 手繰り寄せることをせず
 二度と慕うこともなかった

 ぷっつりと切った
 そこには記憶の栞を挟んである



2025年06月24日(火) 奇跡のように

雨のち曇り。午前中は強く降る時間帯もあった。

梅雨前線の復活で全国的に雨の一日となる。

北海道と沖縄は晴れており34℃超えの暑さとなったようだ。

最高気温ランキングでは北海道の網走がトップと知り驚く。

暑さに慣れていない人々はどんなにか戸惑ったことだろう。



昨日の事であるが四国巡礼をしていた俳優の松山ケンイチが結願したようだ。

SNSでは毎朝発信しておりそれは八十八日間続いた。

昨日不思議に思ったのは香川県は梅雨空のはずなのに青空が見えている。

まさか捏造ではあるまいと信じつつ何だか腑に落ちなかったのだ。

今朝からは巡礼中の動画が発信されておりやっと真相が分かる。

やはり歩き遍路ではなく車で札所巡りをしていたのだった。

長い休暇が取れず六日間で全ての札所を巡らなければならない。

一日目の今日は一四番まで巡り酷く疲れた様子だった。

それもリアルタイムの動画ではないのであまり実感が湧かない。

けれどもどんな手段であっても立派な四国巡礼であった。

俳優という多忙な仕事を持ちながらよく決心したものだと思う。

感心したのはマネージャーも伴わずたった一人で行動したことだ。

動画も自撮りである。そのカメラ目線には俳優魂が垣間見えていた。





仕事を終えてリハビリへ。木曜日の予約が取れず今日になった。

リハビリ後は診察があり医師に「U君を連れて帰りたい」と云ったら

大笑いになって「みんながそう云うがよ」とU君の人気の凄さが分かる。

私も冗談であったがU君が息子ならどんなに良いだろうかと思った。

次回は九日後である。今からもう待ち遠しくてならない。


帰宅が遅くなるだろうと娘に買い物を頼んでいた。

「今夜のおかずは何だろう」とわくわくしながら家路に就く。

「豚バラ大根」と「茄子の天ぷら」であった。

夫の好物の長芋も買って来ており「とろろ汁」もある。

孫達の食べる物が何も無いと心配していたら

私と夫が食べ始めてから「ドライカレー」を作っていた。

手際よくささっと作る。娘は母親であり一家の主婦でもあった。

再就職の話題はもうタブーになっており誰も何も云わない。

娘には娘の考えがあるのだろう。私にとっては好都合であった。



午後八時。雨は降っておらず静かな夜である。

窓を開け放しているがそよとも夜風の気配もなかった。

焼酎と煙草で決して健全な夜とは云えないが

そうして満たされてこそと思う。

長い人生のほんの一部分のことである。

ぐっすりと眠ればまた奇跡のように新しい朝がやって来るのだ。


※以下今朝の詩


     落下

  降っているのは
  哀しみだろうか

  いいえ違うと空は云う
  けれども喜びではない
  笑顔になんかなれない

  本当は心苦しいのだ
  自分を責めてしまう
  まるで罪であるかのように

  大河はさらさらと流れる
  その水面を叩いているのは
  悔いかもしれなかった

  汚してはならない
  清い流れのままでなくては

  降ることは落ちることだ
  空にも「いのち」がある

  その命を絞り出している


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