日中は曇り空であったが夕方から本降りの雨となる。
週末まで梅雨空が続き来週には青空が見えそうだ。
晴れたら晴れたでどんなにか暑くなることだろうか。
朝の山道で栗の花を見たがまだ落ちてはいなかった。
私の変な拘りかもしれないが本当に落ちるのか確かめてみたい。
もし散るのであれば「栗花落」があやふやな言葉になってしまう。
しかし散ることが落ちることだとすれば納得が行くだろう。
どちらにしても花が朽ち果てることには違いないのである。
山里の職場に着くと義父はもう田んぼに出掛けているようだった。
おそらく田植え前の代掻きをしているのだろう。
お昼になっても帰らず2時前に電話がありお弁当を届けた。
空腹を訴え食欲が出て来たことが何よりに思う。
予定通りに田植えが出来れば良いのだが日曜日も雨らしい。
少しでも早く楽をさせてやりたくてならない。
工場の仕事は忙しく同僚が一人で奮闘していた。
生憎部品が整わず順調とはいかなかったが
明日には完了するだろう。最後の車検は義父次第である。
リハビリのある日だったので2時半過ぎに退社する。
今日は何故か左足の痛みが酷く思うようにいかない。
U君が神の手で優しく揉みほぐしてくれる。
リハビリが終わると嘘のように痛みが楽になっていた。
最近は杖なしで歩くことが多くなり足に負担が掛かっているようだ。
やはり杖に頼った方が良いのではとU君が云う。
めいちゃんが今日も学校を休んでいたので気になってならない。
帰るなり夫に訊けば「元気そうだったぞ」と云いほっとした。
相変わらず娘は詳しく話してはくれなかった。
それだけ大したことではないのだろうと思うことにする。
驚いたのは二日続けて学校から宿題が届いていたことだった。
病欠の生徒にまで宿題を強要するのだろうか。
ゆっくりと休ませてやるのが「教育」ではないかと思う。
出来なかったら宿題を忘れたことになるのなら余りにも可哀想である。
しかしそれも過剰な老婆心だろう。娘には何も云えなかった。
「また余計なことを」と叱られるに決まっている。
これを書いているうちにすっかり辺りは暗くなり
雨音に添うように雷鳴がとどろいている。
何だかざわざわと落ち着かない夜になった。
早寝を心掛けており寝る前に短歌と俳句を詠むのが日課である。
ほろ酔っているせいか我ながら大胆な作が多い。
翌朝に読み返すと「なんじゃこりゃ」と思う程の駄作であった。
けれども他の誰でもない「これは私だ」といつも思う。
愚かだと後ろ指を差されようと貫くべきだろう。
そうそう時間は残っていない。いつだって私は「いま」を生きている。
※以下今朝の詩
わをん
何も書けそうにないから わいうえをん それは昔のことでいまは わをんと云うのだそうだ
わからないのわ これをみてのを しんでしまうのん
失くしてしまったら 言葉など綴れなくなる わがわたしであるなら をはわたしをあらわす んはなんだかせつない
どうでも良いことなど この世に在るだろうか
見て見ぬふりなど どうして出来ようか
綴ったところで 何も変わりはしないが いまここに生きている その事実を残したいだけ
霧のような雨が降ったりやんだり。
気温は25℃程であったが不快な程の蒸し暑さであった。
雑節では「入梅」栗の花が落ちる頃とされ「栗花落」(つゆり)ともう云う。
栗の花を多く見かけるが落ちるのではなく散るのだと思っていた。
毎朝の山道でも落ちている栗の花をかつて見たことがなかった。
それにしても日本語の奥ゆかしいこと。
私のように学のない者にはとても新鮮に心に響く。
仕事は予想通りの忙しさで車検が2台入庫する。
一台は建設会社のダンプカーで予約なしの飛び込みであった。
既に車検が切れており大至急仕上げて欲しいとのこと。
上得意の建設会社なので優先するべきだが
予約のお客さんを後回しにすることは出来なかった。
「何とかならないか」と義父の機嫌が悪くなる。
同僚一人ではとても手に負えない有様であった。
義父の小言は続き挙句には同僚を蔑むような言動をする。
私が庇えば増々機嫌が悪くなるので絶対に反論してはならない。
義父が手伝いさえすれば済むことだが口が裂けても云えなかった。
一生懸命に精を出してくれている同僚が憐れでならない。
私のストレスなど些細なこと。同僚のストレスはもっと大きい。
義父がハウスに出掛けたのでその隙に逃げるように帰路に就いた。
明日を思い煩うことなかれである。きっと何とかなるだろう。
帰宅すればめいちゃんが発熱で学校を休んでいたらしい。
昨夜から熱があったらしいが娘は何も云ってくれなかった。
コロナの心配もあったが病院には連れて行かなかったそうだ。
「ただの風邪やと思うよ」とケロッとしている母親である。
あまり心配し過ぎてもいかず明日まで様子見であった。
幸い熱は下がっているようで今夜熱が出なければもう大丈夫だろう。
孫達が幼い頃には発熱はしょっちゅうのことで
仕事を休めない娘の代わりに私と夫が小児科へよく連れて行った。
それが当たり前の頃があったのだ。随分と遠い日のことのように思う。
今では熱があっても知らせてもくれなくなり寂しいことである。
いつものように夫と先に夕食を済ませた。
私はもう6人分の食器を洗うこともなくなり楽になったが
ひとつ屋根の下に暮らす別々の家族のようである。
それはこの先も続くだろうしやがては別居も在り得るだろう。
その覚悟はもう出来ておりもういつでも構わないと思っている。
同居を始めてもう直ぐ11年になろうとしている。
いつまでも昔のままではいられないのだ。
※以下今朝の詩
試練
もう幾日目の雨だろう 止まない雨は在りもせず 終らない梅雨も在りはしない
紫陽花は艶々と輝いているが 梔子は錆びたように枯れる
雨の季節を生きることは 試練でもあるのだろう
空の顔色を窺いながら 負け惜しみのように呟く いくらでも試しなさいと
項垂れた野花であろうか 泥濘の地に埋もれながら 食いしばっている命であった
雨だからこそとおもう 雨だからこそ生きている
曇り日。時おり気にならない程の霧雨が降る。
気温は27℃と高くなり梅雨特有の蒸し暑さであった。
らっきょうが食べたくてならず今朝は10粒ほど。
食べ過ぎになるが我慢が出来なかった。
一日5粒までとはあんまりことではないかと思う。
これまで食べたいだけ食べて来たが胃腸は元気である。
いつものように出勤し急ぎの仕事だけ済ます。
病院に電話をしたら11時までに受付をとのこと。
やはり主治医の診察は午前中のみであった。
義父の姿が見えなかったので同僚に伝言を頼み病院へ向かう。
待ち時間が長くなりそうなのでパンを齧りながらであった。
11時には診察が始まり医師の何と穏やかな笑顔だろう。
さっそく血圧を測ってもらったが128と平常値であった。
「自信を持ちなさい」と云われ救われたような気持になる。
身体の力が一気に抜けふにゃけてしまいそうだった。
しかし家では高い血圧が続いていたのは事実であり
これまでの薬に加え夜の分を追加してもらうことになった。
しばらくは様子見であるがきっと落ち着くのではないだろうか。
とにかくストレスを溜めないことだそうだ。
禁煙やダイエットなど考えなくても良いと云われる。
吸いたいだけ吸い食べたいだけ食べても良いと云うことだろう。
そんなことを云ってくれる医師が他にいるだろうかと思う。
若い頃からずっと長いことお世話になっている尊敬する医師であった。
特に更年期障害で鬱になった時にはどれほど救われたことだろう。
ゆっくりと買い物をし1時には帰宅していた。
平日の午後にお昼寝が出来るのが有難くてならない。
すぐに眠くなり3時過ぎまでぐっすりと寝る。
義父から電話があったが心配している様子は全く無く
明日の仕事の段取りであった。また忙しくなりそうである。
娘と肩を並べて夕食の支度。この上なく元気であった。
あやちゃんが塩鮭を食べてくれて嬉しかった。
両親との会話も弾んでおり随分と明るくなったように感じる。
いったいどんな未来が待っているのだろうかと思うが
ゆっくりと少しずつ前へ向かっているのだろう。
老婆心を奮い立たせてはいけない。とにかく見守ることである。
雨は降りそうで降らず日が暮れようとしている。
今日は息子の46歳の誕生日であったが
夜勤なのだろうか電話は繋がらなかった。
どうか健康で日々の事を精一杯にと願う母である。
どれほど歳月が流れても母は母であり続けたい。
※以下今朝の詩
幽霊
母の夢を見た 幽霊やけんねとくすっと笑い まるで悪戯っ子のようにはしゃぐ
パチンコ居酒屋カラオケ 行きたい処がいっぱいである 紅い口紅がよく似合っていた
そんな母を追い駆けまわる 「ここにおらんといかんよ」 云い聞かせても直ぐに逃げる
母の両手を握れば 何と温かいことだろう とても幽霊には思えない
生きているのだなと思った 息をし熱い血が流れている
お茶目な幽霊が愛しくてならない
梅雨らしく清く正しく雨が降る。
日中は強く降る時間帯もあったが今は小雨であった。
九州指宿ではかなりの雨量だったらしく道路の冠水など
おそらく田畑にも被害があったのではと思われる。
今後も線状降水帯が発生する恐れがあり油断は出来ない。
降りしきる雨に嬉々としているのは紫陽花である。
いっそうと色濃くなり梅雨の季節を彩ってくれるだろう。
月曜日。仕事は順調に滑り出し目の前が明るい。
義父の体調もすっかり良くなり仕事に精を出していた。
昨日のうちに全ての代掻きが終わったとのこと。
後は予定通りに田植えが終わればやっと楽になるだろう。
義父はトラクターの修理を。同僚はエンジン取り付けの作業であった。
義父が工場にいるせいか同僚は気が抜けない様子である。
「そろそろ面白くなったろう」と声を掛けたら苦笑いしていた。
それを聞いた義父の何と愉快そうな笑顔だったことか。
義父が手を貸さないのはやはり腕試しだったようだ。
同僚もそうして自信を付けて行くのだと思う。
やってやれないことなど在りはしないのだ。
私は決算の準備をしていたが少し頑張り過ぎたようだった。
後は明日にしようと定時で終わらせてもらう。
3時半には帰宅しており茶の間で横になっていたが
眠気に襲われることもなく4時から「三匹が斬る」を見ていた。
それから娘と夕食の支度を始めたのだが何となく首のあたりが重い。
念のためにと血圧を測ったら上が178もあり驚く。
最近朝の血圧が高めで気になっていたのだが夜は落ち着いていた。
「肩凝りじゃないか」と夫に云われそうかもしれないと思う。
しかし気になってならず頓服の安定剤を2錠服用した。
すると30分もしないうちに血圧が下がり随分と楽になる。
ゲンキンなもので夕食もいつも通りの大食いであった。
あまり神経質になってもいけないが明日は病院へ行ってみようかと思う。
主治医は午前中だけの診察なので10時までは仕事が出来るだろう。
朝から休むことは出来ず臨機応変にと思っている。
身体の不調ほど不安なことはなかった。早目の受診が肝心であろう。
午後7時35分。まだ外は薄っすらと明るい。
ぽつんぽつんと雨だれの音が耳に心地よい夜であった。
※以下今朝の詩
記憶
何処に行こうか 此処ではない場所
けれども 何処にも行けはしない
遠い日の夏を思い出している 燃えるような猛暑日であった 私は駅のホームに佇み 旅立つ人に手を振っていた
もう二度と会うことはない その現実が切なくてならない
熱を帯びた風が吹き抜け 汗ばむ額を撫でようとする どんな顔をしているのだろう 鏡など何処にもなかったのだ
此処ではない場所とは きっと見知らぬ町だろう
夏の記憶が遠ざかっていく あれから何度目の夏だろうか
曇り時々雨。空はどんよりと重い。
九州北部と四国地方が梅雨入りしたとみられるとのこと。
何だかあやふやな気象庁の発表であった。
夜明け前、またしきりに虫の声が聴こえる。
「季節はずれ」と云う詩を書いてしまったが
何となく気になり後から調べてみた。
「夏に鳴く虫」で検索すれば目から鱗である。
コウロギやキリギリス等の秋の虫は夏にも鳴くのだそうだ。
命在るものである。当然のことなのだろう。
「季節はずれ」と決めつけていたことが誤りであることが分かる。
季節に関わりなく鳴きたい時に鳴く。それが自然の摂理であろう。
人もそうでなければならない。泣きたい時には泣けば良いのだ。
ただ虫たちは悲しくて鳴いているのではない。
それは精一杯の命の「息」のようなものなのだろう。

このところ娘が庭いじりに精を出していて
あれこれと種を蒔いていたのだが
オクラが発芽しもう15センチ程に伸びている。
「食べるようになるか分からんよ」と笑っているのだが
もう少し育てば花が咲くかもしれない。
娘はとても楽しみにしている様子で世話をし続けている。
実は私もオクラの苗を買って来ようかと思っていたのだった。
思うだけで実行には移せずすっかり諦めてしまっていた。
娘のように種を蒔くことなど思ってもいなかっただけに
娘の発想が頼もしく嬉しくてならないのだった。
どうか花が咲きますように。そうしてオクラが成りますように。

昨夜寝付きが悪かったせいもあり今日は二時間程のお昼寝。
これまでいくら寝ても夜に響くことはなかったのだが
眠れないのは流石に辛く戒めにもなったようだった。
かと云って特に何をする訳でもなく自室でだらだらと過ごす。
ひっきりなしに煙草を吸ってしまうので自分でもうんざりしていた。
これではいけないと思い茶の間に行き夫とテレビを見る。
「信長協奏曲」と「ポツンと一軒家」を見た。
眠くなることもなく最後まで見終わる。どちらも見応えがあった。
夕飯には「ポテトサラダ」を作る。
お向かいの奥さんが新じゃが芋を沢山持って来てくれたのだ。
家庭菜園ではあるが色んな野菜を作っており尊敬せずにはいられない。
買物に行っても野菜を買うことは殆どないだろう。
家計がどれ程助かることだろうと娘と話したことだった。
荒れ果ててはいるが姑さんの残してくれた畑があるので
娘に家庭菜園を勧めてみたがそこまではしたくないのだそうだ。
けれども今はその気が無くても近い将来にはと期待している。
「家庭菜園」は私の夢でもあった。何と遠ざかってしまったことだろう。
辺りはすっかり暗くなりぽつぽつと雨が降り始めている。
明日は大雨になるそうでそれも梅雨らしさなのだろう。
これから雨の日が多くなるが「心には太陽」をと思う。
どれ程降り続いても止まない雨はない。
明るく笑顔で過ごしていきたいものだ。
※以下今朝の詩
季節はずれ
虫の声が聴こえる まるで秋のようだ
こおろぎだろうか その姿は見えない 夏草の繁みのなか 季節外れであっても 生きているのだろう
私だって鳴きたい そうすれば誰かが 耳を澄ませてくれる
こんな処で生きているのか さぞかし寂しいことだろう
季節の掟を守れなくなった けれども疎外されはしない
声を限りに鳴き続ける たとえ雨の季節であっても これほどの命があるだろうか
曇りの予報であったが思いがけずに晴れる。
洗濯物を乾燥機に入れてしまい残念でならない。
明日からしばらくは雨の日が続きそうで
四国地方も梅雨入りとなりそうである。
以前にも記したが梅雨はなくてはならない季節であった。
日本ほど水に恵まている国はないのだそうだ。
その分水害も多い。豪雨にならないことを祈るばかりである。
職場は休みではなかったが同僚も午前中は通院であった。
いつも私だけ休ませてもらっており心苦しかったが
今日は気兼ねなくゆっくりと休むことが出来る。
朝ドラ「チョっちゃん」を見てから一時間ほど朝寝をした。
毎朝眠気と闘っているだけに随分と気が休まる。
もう週末の恒例となっており起きて活動することはない。
10時にはカーブスへ。久しぶりに友人と一緒になり嬉しかった。
SNSを通じて仲良くなった友人で余程縁があったのだろう。
昔からの友人のようによく気が合う。
ご主人とも仲良くさせてもらっていたが2年前の夏に病死した。
亡くなる数日前まで毎朝SNSを発信していたのが嘘のようである。
病魔と闘いながら気丈に振舞っていたのだろう。
毎朝の発信は平穏そのもので「死」を連想することは一度もなかった。
覚悟はしていたとは云え彼女の傷心は大きく心が痛んでならなかった。
励ますことは出来ずただ共に悲しみに寄り添うことを選ぶ。
最愛の人を亡くすことはまるで深い闇の底の現実でしかない。
そんな彼女がカーブスへ通い始め随分と明るくなった。
身体を動かすと心も動くのだ。傷も少しずつ癒えて行く。
今日も一生懸命に筋トレに励んでおりその姿に感動さえ覚える。
日にち薬が効いているのだ。その薬が絶えることはない。
お昼に冷やし中華とバッテラ寿司を平らげまたお昼寝をする。
再婚する夢を見た。その段取りを夫がしてくれたのだ。
奇妙な夢であったがどんな新婚生活が始まるのだろうとわくわくする。
途中で何度か目が覚めたが結局4時まで寝ていた。
先日アマゾンに注文していた「氷結」がまだ届いておらず
「やまと運輸」に問い合わせしたら何と荷物が行方不明とのこと。
大阪堺から発送しているが四万十営業所にはまだ不着だと云う。
あってはならないことだが運送会社を責めても始まらない。
ロボットの仕事ではないのだ。大勢の人の手あってのことである。
やまと運輸のドライバーの人から折り返し電話があり
アマゾンに相談すれば新たに発送してくれるはずだと教えてくれる。
代金も不要とのこと何と助かるアドバイスであった。
早速アマゾンに連絡し再発送の手続きをしてもらった。
迅速丁寧な対応でさすがアマゾンだなと感心するばかりである。
もし遅れて先の荷物が届いても返す必要はないのだそうだ。
そうすると2ケースの氷結となり飲み放題である。
「やったあ、もうけたかも」もうすっかりその気になっていた。
今夜も虫の声が響き渡っておりまるで秋のようである。
季節外れではあるが虫達も精一杯に生きているのだろう。
これから梅雨の季節、猛暑の夏を乗り越えて全うする命であった。
私も鳴けるだろうか。時々声を張り上げて鳴いてしまいたい夜がある。
※以下今朝の詩
駅
午後6時なると駅に 蒸気機関車が着いた その雄大な姿を眺め 子供等は家路に就く
ばいばいまたあしたね 晩ご飯はなんやろうね
しばらくすると 蒸気機関車は出発する 宇和島だろうか 松山だろうか それは見知らぬ町であった
小さな駅には売店があり ガムやチョコを売っていた お小遣いを貯めてそれを買う チョコは滅多に食べられなくて 子供心に何と幸せだったことか
線路は行き止まりになっていて そこには真っ黒い石炭の山がある 冬には豆炭を探すのが日課であった
私の分と弟の分ふたつの豆炭 母がお風呂の焚き口に入れてくれる 真っ赤に焼けたそれは行火になった
もう帰ることはあるまいが 小さな駅は今もそこにある 夏には向日葵が咲くのだそうだ
概ね晴れ。夕方から雲り空となった。
日中の気温は今日も30℃に近くなり蒸し暑さを感じる。
朝の山道で今朝は栗の花が咲いているのを見つけた。
写真では紹介できないがクリーム色をした細長い花である。
そんな優雅な花がイガ栗になるとは想像もつかない。
栗の花が咲き始めると梅雨の季節が近いのだそうだ。
四国も来週早々には梅雨入りの発表がありそうである。
自然の植物と季節の関りは軽視できない深みがあるようだ。
そうして知らせてくれていることを忘れてはならない。

義父は日毎に元気を取り戻しており今日も動き回っていた。
最後の田植えを15日に決めたらしく代掻きにも精を出す。
また友人達が駆け付けて来てくれることだろう。
義父一人では到底無理な米作りであった。
その分義父も友人達に尽くす。助け合いの精神あってこそのことだった。
工場では同僚が大型車のエンジン脱着をやっと完了させる。
難しく複雑な作業だけあってその苦労は並大抵ではなかった。
本音はとても嫌だったのだそうだ。私もどれ程宥めたことだろう。
義父は厳しく云うばかりで何とも憐れな日々であった。
来週には中古エンジンを取り付ける作業が待っている。
私も励ましながら応援してやりたいと思う。
工場の仕事も義父の体調も順調になっており肩の荷が下りたようだ。
今日は金曜日でもあり少し早めに2時で終わらせてもらう。
疲れは感じず何だかウキウキと心も身体も軽かった。
サニーマートで買い物を済ませ3時にはもう帰宅する。
あまりに早い帰宅で夫が驚いていた。
二階の自室に上がると室温が32℃近くあり思わず声が出る。
開け放した窓からはそよとも風が吹き込んでいなかったのだ。
夕食前から「らっきょう」を食べ始めたら箸が止まらない。
娘は匂いを嫌がるが食べたくてならなかったのだ。
夕食時にも食べたので全部で20粒ぐらい食べたように思う。
このまま食べ続けたら2キロのらっきょうも直ぐに無くなりそうだ。
食後ふと気になって「らっきょうの効能」について調べてみた。
血行促進、疲労回復、高血圧の予防にもなるようだ。
しかし最後には「食べ過ぎ注意」と書かれておりはっと驚く。
強い殺菌作用があるため胃の粘膜を刺激するのだそうだ。
胃もたれや下痢の原因にもなると書かれており衝撃が走る。
一日に3〜5粒が適量だとも書いてあった。
どうしよう20粒も食べてしまった。食べ過ぎにも程がある。
胃弱だと云うのに何と無茶なことをしてしまったのだろう。
今更後悔しても遅くとにかく明日から気を付けなければいけない。
調べることをしなかったらきっと食べたいだけ食べたことだろう。
それにしてもネットの便利なこと。
SNS等を見ていても解らない言葉があると直ぐ調べる癖が付いた。
それだけ無知な証拠でもあるが70の手習いである。
調べても直ぐに忘れてしまうので手帳に書き記すことにした。
それがどんどん増えていく。凄いな私と自己満足が募るのであった。
生きてさえいれば学ぶことが出来るだろう。
そう思うとまだまだこれからなのだと思えるようになった。
もっともっと「知らないこと」に出会いたい。
例えば「死後の世界」とか。「魂の行方」とか。
※以下今朝の詩のようなもの
帰宅
6時間のパートである 余程忙しくない限り 2時半に仕事を終える
帰りは朝の山道ではなく 自動車専用道路を走る 時速90キロが心地よい
ラジオは「FMはたらんど」 三橋美智也とか島倉千代子とか かなり高齢者向きの曲ばかり 母ならば喜ぶだろうなと思う
買物はいつもサニーマート 3時になると半額品が多い 片っ端から籠に放り込む セルフレジで精算を済ますと 店員さんがカートに載せてくれる どれほど助かっていることだろう
4時に帰宅すると夫が外に出て来て 荷物を台所まで運び込んでくれる 毎日のことで有難くてならない
アイスコーヒーを飲みつつ煙草を吸う 窓の外は西に傾いた陽であふれている
土手の道を散歩する犬の姿が可愛い 夏草が風に揺れているのも好きだ
今日もよく頑張ったのだなと 空に向かって深呼吸をする
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