| 2025年06月05日(木) |
まあこんなもんだろう |
二十四節気の「芒種」稲や麦など穂が出る植物の種を蒔く頃。
今は田植えが早くなったぶん種蒔きも早くなっている。
北海道でももう田植えが始まっているのだそうだ。
昔の人は節気に習い農作業をしていたのだろう。
子供の頃には田植えは6月、稲刈りは10月であった。
朝の道の「くちなし」はやはり間違いではなかった。
車を停めることは出来なかったが微かに芳香が漂う。
周りの若葉に包まれるように咲く姿は何とも可憐である。

今朝も出勤するなり義父の姿が見えておりほっとする。
今日は宿毛市で農機具の実演会があり見に行った。
何でも農機具を自動操縦するのだそうだ。
車もそうだが農機具までもがと驚く。
義父も興味津々の様子で良き気分転換となったことだろう。
働くばかりではなく楽しみも無くてはならない。
お昼には帰って来たが食欲が全く無いと云う。
少し動けば空腹にもなるだろうとそのまま田んぼに出掛けた。
気温は30℃あり熱中症の心配もあったが
止めても聞き入れるような義父ではない。
幸い1時間程で帰って来て何とか昼食を食べられたようだ。
義父の友人が地鶏の卵を沢山持って来てくれて有難いこと。
「卵かけご飯が美味いぞ」と笑顔を見せていた。
リハビリがある日だったので2時半過ぎに退社する。
一週間があっという間だった。U君も同じことを云う。
今日も腰を集中的に揉んでもらい痛いようで気持ち良い。
リハビリ後には診察もあり医師との会話が弾む。
手術はあまり高齢になると出来ないのだそうだ。
私は既に諦めており「このまま死んでもえいけん」と告げれば
「そんなあほなことを」と医師は苦笑いしていた。
先日の血液検査の結果も出ておりやはり白血球の数値が高い。
慢性的な喉の炎症と喫煙、肥満も原因のようだ。
こればかりはどうしようも出来ない。
病的な程の喫煙と食欲である。今更我慢することも出来なかった。
自分を否定することもなく「まあこんなもんだろう」と思う。
5時前に帰宅したら娘がカレーを作ってくれていた。
玄関にまで良い匂いが漂っていて嬉しくてならない。
カレーと云えば「らっきょう漬け」である。
先日から少しずつ食べているが日毎に美味しくなっていた。
夫も好きなので二人でポリポリと食べる。
カレーはお昼に作っていたそうでいつも以上に美味しかった。
平穏をそのまま絵に描いたような夜である。
めいちゃんの宿題が終わったようで「おかあさーん」と呼ぶ声。
開け放した窓からは夜風がそよそよと吹き込んで来る。
不思議なのは蛙ではなく虫の声が聴こえているのだった。
まるで夏の終りのような錯覚を感じる。
振り向けば母の遺影が微笑んでいた。
「お母ちゃんお疲れ、また明日も頑張ろうね」
母と共に過ごした一日がそうして終ろうとしている。
※以下今朝の詩
出勤
午前7時50分に家を出る 四万十大橋を渡り東へ向かう 伊豆田トンネルを抜けると 右側の山道へ入り峠道へと 猿や狸と出会うこともある
峠を越えると田園地帯が広がり 若い苗が朝風に靡くのを見る
毎朝必ず会うのは散歩中の老人 杖を両手に持ちよろけそうである 家は何処だろうといつも気になる
宮ノ川トンネルを抜けるともう直ぐ 職場の看板が見えるとほっとする
看板猫のみい太が走り寄って来る 彼はいつも空腹を訴えているのだ
タイムカードを押す いつも8時25分であった
熱い緑茶を飲めば臓腑に染み渡る
そうして私の一日が始まるのだった
爽やかな晴天。気温は30℃近くあったが風があり過ごし易い一日。
高知市内では31℃を超え今年初の真夏日だったようだ。
今朝は山影に咲く「くちなしの花」を見つける。
初夏に咲く花には違いないがまだ咲いているとは思ってもいなかった。
車の窓を開けていたが芳香は匂わず見間違いだったのかもしれない。
明日の朝もう一度確かめてみようと思っている。
くちなしの花は古くから縁起の悪い花だと云われていたらしい。
「死人に口なし」を連想させるからだそうだ。
けれども花言葉は「優雅」で優しい花であった。
純白の絹のような花びら。触れずにはいられない花でもある。

義父がやっと平熱になり顔色も明るくなった。
しかしまだ食欲がなくまた2キロほど痩せてしまったようだ。
高齢になり痩せると筋肉も当然のように落ちるだろう。
体力勝負の日々だけあって心配は尽きない。
体調が良くなったせいか今日は上機嫌であった。
田んぼの見回りにも行かねばならず颯爽と出掛けて行く。
あれもこれもと動き回ればまた疲れも出て来るだろう。
くれぐれも無理をしないようにと告げるばかりであった。
お昼には帰って来て2時間ほど居室で休む。
それから車検場で整備完了の車を仕上げてくれた。
そんな順調が嬉しく私も遣り甲斐を感じすにはいられない。
書類を書き終えてから少し義父と話していたのだが
この半年の何と不運続きだったことだろう。
新年早々の怪我に始まり二度の入院。今回の発熱と続いた。
「何かの祟りだろうか、取り憑かれているのかもしれん」
それは笑い話ではなく心底身に沁みているように思われた。
「お祓いをしてもらおうか」義父は本気でそう云うのだった。
悪いことが続く時は誰にでもあるものだ。
どうして自分ばかりがと恨めしく思う時もある。
けれども決して悪いことばかりではない。
良いことが続く時もきっとあるのではないだろうか。
義父も母もそうして私も苦労の多い人生だった。
人生の歯車はそうして回り続けているのだろう。
ふと幸せを感じれば直ぐに消えてしまいそうで怖くなる。
大きな落とし穴があるのではないかと不安さえ感じるものだ。
ようは幸せに慣れていない。むしろ不幸に慣れているのだろう。
けれどもいったい何が足りないのだろうと思う。
こんなにも恵まれているのに何が不服だと云うのだろう。
「幸せ」は「仕合せ」とも書く。
日々糸を紡ぐように仕合せて生きて行かねばならない。
もし不運な境遇になっても仕合せた結果ではないだろうか。
※以下今朝の詩(日記の内容とは全くそぐいません)
転校生
山と田圃ばかりの村だった 何の前触れもなく突然に 父の転勤が決まり 引っ越すことになったのだ
56年前の6月の事である 中学生活にも慣れた頃だった
何と遠い道のりだったことか 海辺のちいさな町に辿り着く 海が鳴るのを初めて聴いた
同じ高知県なのに言葉が違う まるで異国のようにおもえた
誰とも話せない日々が続く 校舎の窓から海ばかりを見ていた
ある日隣のクラスの男の子に 呼び出され校舎の裏庭に行った
「俺のことどう思うちゅう?」 どうもこうもありはしない 見ず知らずの男の子であった
どうして恋など出来るだろう たとえどれほど海が鳴っても 海の一部になどなれはしない
紫陽花の季節であった 白い花が次第に青く染まる頃
私はもう独りぼっちではなかった
梅雨入りを思わすような小雨が降っていたが次第に曇り空となる。
夕方からすっかり晴れて今は夕焼雲が紅いお魚のようだ。
明日から数日は晴れるそうで梅雨入りはもう少し先のようである。
朝の道ではアマリリスがぐったりと項垂れており枯れ始めていた。
アマリリスも散れない花で茎にしがみついたまま朽ちて行く。
そんな定を嘆きもせずに球根はまた巡り来る季節を待つのだった。
私にも球根のようなものがあれば良いのだがどうなのだろう。
例えあったとしても嘆かわしく腐ってしまうのかもしれない。
永遠の命など在りはしないのだ。そんな夢を見ることも愚かなことである。

義父は今日もまだ微熱があり本調子ではなかった。
発熱からもう5日目である。どれほど体に堪えていることだろうか。
お昼過ぎに車検が一台。任務であるかのように仕上げてくれた。
その後またハウスへ行くと云って聞かない。
長靴を履いてしまえばもう止めることも出来なかった。
苛立ちと焦りのせいだろうか酷く不機嫌である。
そんな時はなるべく会話を避けるのが一番であった。
2時を過ぎても帰らず待っても仕方なく思い退社する。
自動車専用道路を時速90キロで走っていたのだが
後続の大型車が車間距離を詰めて来て恐怖心を感じる。
「煽り運転」なのだろうか。初めての経験であった。
サニーマートまで帰り着くと何とほっとしたことだろう。
タイミング良く半額品をゲットしすっかり笑顔になっていた。
ふとお米売り場を見たが備蓄米は売っていなかった。
大手のイオン系のスーパーなら売っているのかもしれないが
サニーマートは高知県のみの中小企業である。
我が家は義父の作ったお米を食べているので買う必要はないが
先月は義父の入院もあり仕方なく3回程買ったことがあった。
特売のお米は美味しくないので少し高めのブランド米を買う。
美味しいお米を食べ慣れていると当然のことだろう。
だからなのか備蓄米には大きな抵抗がある。
もし義父のお米が無くなっても決して買うことはないだろう。
義父に云わせれば「飼料米」以下なのだそうだ。
古米ならともかく古古古米などとても食べようとは思わない。
お国も報道も消費者のことばかりで生産者は話題にも上がらない。
手間暇かけてどれ程の苦労をして米作りをしていることだろうか。
後2ヶ月もすれば収穫だが百円でも高い値でなければ報われない。
それはお米に限らず農作物全般に通じることだと思う。
野菜の値段は今は少し落ち着いて安くなって来ているが
高い時期にはそれなりの理由があったからなのだ。
高い高いと文句を言うのは大間違いだと思う。
家計は相変わらず苦しいが義父のお米に助けられている。
もし買わなければいけなかったら大きな痛手となったことだろう。
炊きたてのご飯に昆布の佃煮を載せて食べるのが最近のブームであった。
義父が苦労して作ったお米である。朝に晩にと感謝せずにはいられない。
今は苦境に立たされているがどうか無事に収穫できることを祈っている。
※以下今朝の詩
音符
雨だれの音が耳に心地よい まるで空が歌っているよう
音符のような雨粒が踊り 五線紙を埋めていくのだ
もう弾かなくなったピアノ 子犬のワルツが聴こえて来る いつも同じところで間違えた
わたしは完璧にはなれない 出来損ないの玩具のように 螺子が巻けなくなっている
少し動いては立ち止まった 人生なんてきっとそんなもの
相応しくないのかもしれない もう音符のようには踊れない
それでいて歌いたがるのだ 謳歌するために生きている
朝のうちは曇り空であったが次第に雨が降り始める。
気温は20℃程と低目であったが少し蒸し暑さを感じた。
朝の土手の道には茅に代わり姫女苑が満開となる。
小さなマーガレットのような花で何とも可愛らしい。
野の花は不思議なもので花束にして持ち帰っても
花瓶の水を吸うことが出来ず直ぐに萎れてしまうのだった。
自然の環境でなければ生きて行けないのだろう。
だからむやみに手折ってはいけないのだと思う。
梅雨の季節が終り本格的な夏となると土手の除草作業が始まる。
大きな草刈り機が右往左往と土手を這うのだが
無残なことに姫女苑は薙ぎ倒される定めであった。
他の草に混ざりまるで干し草のような姿に変わる。
そうして姫女苑の季節は終りを遂げるのだった。
けれども根は強く残りまた巡ってくる初夏に咲くのである。
人間はどうだろう。薙ぎ倒されてしまえばもう命はない。
いつか必ず最後の季節がやって来る。

義父を気遣いながら山里の職場に着いたが
9時になると義父が姿を見せてくれてほっと一安心だった。
しかしまだ微熱があるらしく本調子ではなかった。
病院へ行くことを勧めたが断固として首を横に振る。
余程のことが無い限り「病院嫌い」を貫く人であった。
金曜日に車検整備が完了していた車があり検査をしてくれる。
書類を整えればもう義父の役目は終りであった。
その一時間が限度だったのだろう。その後直ぐにまた寝込んでしまう。
とにかく安静が一番である。むやみに声も掛けてはならない。
今年も田螺が異常発生し稲を食い荒らしているのだそうだ。
一刻も早く消毒をしなければ稲が全滅してしまうと云う。
雨が降ればそれも出来ず大きな焦りになっているようだった。
その上に体調の悪さが加わり思うように行かないことを嘆く。
苛立ちは募るばかりで何とも憐れでならない。
2時半に退社。義父に声を掛けたが眠っているようだった。
食事のこともあり例の女性が来てくれたらと願うが
何かあったのだろうか。強がっているようにしか見えない。
高齢者の独り暮らしである。やはり頼れる人が必要に思えた。
夕方から雨が本降りとなり今も降り続いている。
日が随分と長くなり窓の外はまだ薄っすらと明るい。
めいちゃんは宿題をしておりあやちゃんの姿は見えない。
娘夫婦だけの夕食も侘しいものだろう。
私は何となくくすぼっている。疲れているわけではないが
陽気に微笑むことが出来ない。いったい何が不安なのだろう。
チクチクと何かに刺されているような気がするのだ。
虫ではない。何か得体の知れない物が忍び込んで来る気配を感じる。
生きているのだろうかと思うがそこには確かに息があった。
※以下今朝の詩
紫陽花
六月の色は紫陽花青 明るい青紫色のこと
目に浮かぶのは大輪の花 その鮮やかな色に心惹かれる
梅雨空に咲き誇れば 雨が優しく寄り添う 晴れの日はまぶしく いっそうと輝きを増す
散れない花であった 落ちることも出来ない ただ朽ちて枯れるだけ やがては化石の花となる
そんな宿命を受け止めて 何と健気で逞しいことか
花として生まれたからには その命を全うせねばならない
季節を精一杯に生きている
快晴となり気温は夏日となったが蒸し暑さはなく過ごし易い一日となる。
扇風機も不要で開け放した窓からの涼風が何とも爽やかであった。
昨日の夜からもうカレンダーを6月にしており
今月の色は「紫陽花青」なのだそうだ。
6月の季語でもあり何と風情のある色の呼び名であろうか。
今年は気温が高いせいだろうかお向かいの紫陽花はまだ色がない。
我が家には紫陽花が無いので毎年楽しみにしている紫陽花だった。
憐れに思うのは花屋さんの紫陽花で未だに枯れた紫陽花を並べている。
母の日の頃からなのでもう随分と日にちが経った。
半額のものもあれば2700円の値札が付いているものもある。
愛でるのはあまりにも無残で紫陽花が可哀想でならない。
母の日商戦でおそらくハウスで栽培したのに違いないが
そこまでして無理やりに咲かせる必要があったのだろうか。
しかも売られているのである。それは処分にも等しかった。

今日も最低限の家事だけで殆ど寝てばかりの一日だった。
起きているとひっきりなしに煙草を吸ってしまう。
寝ていれば吸わなくても良いので好都合にも思える。
日記を読み返していると一昨年の6月には禁煙外来に通っていたようだ。
挙句には「禁煙鬱」となり精神的に辛かったことを記してある。
再び禁煙外来に通うことも考えたが余程の勇気が必要に思う。
正直云って自信がなかった。失敗したことがずっと尾を引いている。
もう我慢しないと決めてから気は嘘のように楽になったが
どうしようも出来ない落とし穴の中でもがいているようにも思える。
この先いったいどうなるのだろう。吸いながら死ぬのかもしれない。

山里の義父が気になり電話をしてみたが
まだ微熱があるにも関わらずハウスへ苗の様子を見に行くと云う。
一日でも水遣りを怠れば苗が枯れてしまうのだった。
全盛期に比べると僅かな苗でありもう助っ人は断っていた。
再び頼んでみるように告げたがもう今更云えないらしい。
ハウスの中は40℃程の高温であり熱中症の心配もあった。
しかし義父は気丈にも「大丈夫やけん」と云い張る。
夕方になり電話があり「俺のアイスを知らんか?」と訊かれた。
先日お客さんからバニラアイスを頂き事務所の冷蔵庫に入れてあったが
先週私が義父の分も食べてしまっていたのだった。
ひたすら謝れば怒りはしなかったがとても残念そうな口ぶりである。
食欲が全く無いらしくアイスなら食べられそうだったらしい。
ハウスで暑い思いをしたのだろう。何とも気の毒でならなかった。
つい例の女性の名を告げてしまったが今回は知らせていないとのこと。
知っていれば必ずアイスを届けてくれただろうにと思うが
義父にも思うところがあるのだろう。要らぬ口を叩いてはならない。
コロナの心配もあったが鼻声になっておりただの風邪のようであった。
「明日は仕事をせんといかん」と気丈な様子である。
無理をさせてはいけないが結局は無理を強いてしまうだろう。
心苦しくてならないが義父の思うようにさせてやりたいと思う。
平穏には仮面がある。そのように見せかけていざとなれば陥れる。
長いこと生きているとそんな場面にも多く関わらざるを得ない。
「こんなはずではなかった」と何度呟いたことだろう。
けれどもその度にすくっと立ち上がりまた前を向き歩み続けて来た。
人生もまんざらではない。苦もあれば楽もあるのが愉しいものだ。
※以下今朝の詩(お目汚しでしかありません)
おんな
おんなのような夢を見た 嫌だなと思いながら 何故か胸がときめく
死んだはずのかあ君が 真っ白いスーツを着て 刑事のはずなのに やくざみたいだった
逃げる私を追い駆けて来る 今更恋に落ちる訳にはいかない
逮捕されて手錠を掛けるのか それだけは避けなければならない
見たこともないような山道を 落石を避けながら走った 振り向けばかあ君がいる 懐かしいような笑顔だった
もうおんなにはなりたくない 捕まってたまるものかと走る
胸が痛くてたまらないのだ
雲一つない青空。夏日となったが爽やかな風が吹き抜けていた。
洗濯物を干すのが嬉しくてならない。主婦冥利に尽きる。
函館の五稜郭公園では藤の花が見頃とのこと。
田植えも始まっているそうで如何にも初夏らしい。
厳しい寒さを乗り越えてこその歓喜の季節であろう。
最低限の家事だけで寝てばかりの一日だった。
玄関先の花が枯れてしまったので夏苗を買い求めようと
思うだけで行動に移せない。困ったものである。
娘が多肉植物を育てていてほっこりと心が和むばかりであった。
朝のうちはカーブスへ。今日は駐車場に空きがあり助かる。
「あったかパーキング」の許可のおかげであった。
一台のみのスペースなので車椅子の人には申し訳ないが
早い者勝ちだと思ういささか非常識な私であった。
筋トレを始めるなり心拍数が異常に高くなる。
コーチやお仲間さんに心配を掛けたが何とかノルマを達成した。
体力が無いのが一番だが太り過ぎも原因かもしれない。
とにかく身体が重くてどうしようもないのだった。
お昼には田舎寿司とたこ焼きを食べる。異常な程の食欲であった。
そうして直ぐに寝てしまうので肥満にならざる得ない。
喫煙はもちろんだがとにかく「我慢」することが出来ないのだ。
随分と落ちぶれたものだと思うがそれを許す自分がいた。
結局4時まで寝てしまい半日を無駄に過ごす。
残り少ない人生なのにとその無駄を責めようともしない。
読みかけの詩集や歌集が山ほどあるのだがいったいいつ読むのだろう。
そのくせ活字中毒なのか自分の過去の日記を読むことが多い。
今日は4時から5時まで昨年の初冬の日記を読み返していた。
つい半年余り前の日記なのに随分と昔のように思う。
それだけ記憶があいまいになり忘れていることが多いのだろう。
「人生の記録」と云うほど大層なものではない。
ただ過ぎ去った日々が愛しく思う。書き残して良かったと思うのだ。
あやちゃんからの願いを受け止めSNSのリンクを外してしまえば
もう個人を特定出来なくなり良い意味で自由になった。
思う存分に書きたいことが書けるようになったのだと思う。
恥も外聞もない。ありのままの暮らしを公にしている。
僅か20人足らずの読者であるが何と有難いことだろう。
毎日欠かさず投票をしてくれる人もいて今月もランクイン出来た。
それが励みでなくて何だろう。読者あってこそのこの日記である。
最後の日まで書き続けたいと一心に願わすにいられなかった。
間抜けで愚かな私であるがこんなにも生きている。
それを誇りに思えるように日々精進したいものである。
※以下今朝の詩
夜明け
川向の山が姿を現す 風はひんやりと吹く
波立っているだろう 川面はざわめいていて 魚達が躍っているだろう
雀だろうかその囀りは まるで歌のようである ちちちちと合唱が始まる
終の棲家の窓辺に居て 幾度目の朝だろうか 白み始めた空には 希望が垣間見える
私は詩のようなものを 書いているのだが 雀のようには歌えない けれども書かずにいられない
五月が尽く日であるが 真っ新な夜明けであった
ぽつぽつと小雨降る一日。気温は20℃に満たず肌寒さを感じた。
北海道札幌では27℃とすっかりもう初夏である。
高知も明日は良く晴れて初夏らしい気温になりそうだ。
職場の直ぐ前に誰も住んでいない大きな家があるのだが
管理を頼まれている人が居て時々草引き等をしている。
春には桜の木を伐採した家で庭にはもう樹木は一本もない。
今日はっとしたのはその家のブロック塀沿いに沢山のどくだみの花。
辺りの草は綺麗に引かれているのだがどくだみだけ残してあった。
十薬とも呼ばれれっきとした薬草である。
その可憐な純白の花はまるで十字架のようだ。
管理をしている人がそれを承知で残してくれたのだろう。
花を思い遣る優しい心の持ち主に違いない。
主なくとも花は咲く。ほんのりと心温まる風景であった。

今朝は雨にも関わらず義父の姿が見えなかった。
ポストの朝刊もそのままで気にはなっていたのだが
居室の上り口にはいつも履いている作業靴が揃えてあった。
日頃の疲れが出てゆっくりと寝ているのだろうと思う。
しかし午後1時を過ぎても一向に姿を見せないのだった。
もしや倒れているのでは。その上に最悪の事態まで頭を過る。
とにかくと電話をしてみたが呼び出し音が鳴り続けるばかりだった。
「これはいけない」と思い居室に向かって大声で義父を呼んだ。
そうしたらか細い声が聴こえ発熱で寝込んでいるらしい。
今思えば様子を見に行くべきだった。もう後の祭りになってしまったが
一瞬コロナかもしれないと思ったのだ。接触してはいけないと。
薄情な娘である。病院へ連れて行ってやれば良かったのにと思う。
後ろ髪を引かれるように帰路に就く。義父が心配でならなかった。
けれどもそこで例の女性の顔が目に浮かんでいた。
きっと駆け付けて来てくれるだろうと思ったのだ。
そう思えばもう私の出る幕は無いに等しい。
複雑な気持であったがここは成り行きに任せるしかない。
強靭な肉体と精神力のある義父であったが歳には勝てないのだと思う。
先日からの疲れも尾を引き免疫力も下がっているのだろう。
一昨年コロナに罹った時も高熱が続いたことを思い出していた。
平穏無事とは行かなかった一日であったが
月末の仕事は何とか乗り越えられた。
来週にはもう6月である。またゼロからの出発が待っている。
それにしてもいったい何に背中を押されているのだろう。
あっという間の一週間。駆け抜けたようなひと月であった。
※以下今朝の詩(マンネリ化しており申し訳ありません)
声
眠らない鳥が頻りに鳴いている 羽根は雨にしっとりと濡れ 暗闇に映す姿も心許ない
空が天である限りつらぬく 生きるための叫びであった
きっと誰かに届くだろう 耳を澄ます誰かのために 歌にはならない声を放つ
貶められてはならない 蔑まれてはならない
生きた証であるならば 声は息にも等しいのだ
薄っすらと夜が明けて来た 濡れた羽根に風が寄り添う
果てしない空である 何処までも飛べるだろう
声は掛け替えのない命である
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