ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年06月02日(月) 確かな息

朝のうちは曇り空であったが次第に雨が降り始める。

気温は20℃程と低目であったが少し蒸し暑さを感じた。


朝の土手の道には茅に代わり姫女苑が満開となる。

小さなマーガレットのような花で何とも可愛らしい。

野の花は不思議なもので花束にして持ち帰っても

花瓶の水を吸うことが出来ず直ぐに萎れてしまうのだった。

自然の環境でなければ生きて行けないのだろう。

だからむやみに手折ってはいけないのだと思う。


梅雨の季節が終り本格的な夏となると土手の除草作業が始まる。

大きな草刈り機が右往左往と土手を這うのだが

無残なことに姫女苑は薙ぎ倒される定めであった。

他の草に混ざりまるで干し草のような姿に変わる。

そうして姫女苑の季節は終りを遂げるのだった。

けれども根は強く残りまた巡ってくる初夏に咲くのである。


人間はどうだろう。薙ぎ倒されてしまえばもう命はない。

いつか必ず最後の季節がやって来る。





義父を気遣いながら山里の職場に着いたが

9時になると義父が姿を見せてくれてほっと一安心だった。

しかしまだ微熱があるらしく本調子ではなかった。

病院へ行くことを勧めたが断固として首を横に振る。

余程のことが無い限り「病院嫌い」を貫く人であった。


金曜日に車検整備が完了していた車があり検査をしてくれる。

書類を整えればもう義父の役目は終りであった。

その一時間が限度だったのだろう。その後直ぐにまた寝込んでしまう。

とにかく安静が一番である。むやみに声も掛けてはならない。


今年も田螺が異常発生し稲を食い荒らしているのだそうだ。

一刻も早く消毒をしなければ稲が全滅してしまうと云う。

雨が降ればそれも出来ず大きな焦りになっているようだった。

その上に体調の悪さが加わり思うように行かないことを嘆く。

苛立ちは募るばかりで何とも憐れでならない。


2時半に退社。義父に声を掛けたが眠っているようだった。

食事のこともあり例の女性が来てくれたらと願うが

何かあったのだろうか。強がっているようにしか見えない。

高齢者の独り暮らしである。やはり頼れる人が必要に思えた。



夕方から雨が本降りとなり今も降り続いている。

日が随分と長くなり窓の外はまだ薄っすらと明るい。

めいちゃんは宿題をしておりあやちゃんの姿は見えない。

娘夫婦だけの夕食も侘しいものだろう。


私は何となくくすぼっている。疲れているわけではないが

陽気に微笑むことが出来ない。いったい何が不安なのだろう。

チクチクと何かに刺されているような気がするのだ。

虫ではない。何か得体の知れない物が忍び込んで来る気配を感じる。


生きているのだろうかと思うがそこには確かに息があった。


※以下今朝の詩


       紫陽花

    六月の色は紫陽花青
    明るい青紫色のこと

    目に浮かぶのは大輪の花
    その鮮やかな色に心惹かれる

    梅雨空に咲き誇れば
    雨が優しく寄り添う
    晴れの日はまぶしく
    いっそうと輝きを増す

    散れない花であった
    落ちることも出来ない
    ただ朽ちて枯れるだけ
    やがては化石の花となる

    そんな宿命を受け止めて
    何と健気で逞しいことか

    花として生まれたからには
    その命を全うせねばならない

    季節を精一杯に生きている






2025年06月01日(日) 平穏の仮面

快晴となり気温は夏日となったが蒸し暑さはなく過ごし易い一日となる。

扇風機も不要で開け放した窓からの涼風が何とも爽やかであった。

昨日の夜からもうカレンダーを6月にしており

今月の色は「紫陽花青」なのだそうだ。

6月の季語でもあり何と風情のある色の呼び名であろうか。


今年は気温が高いせいだろうかお向かいの紫陽花はまだ色がない。

我が家には紫陽花が無いので毎年楽しみにしている紫陽花だった。


憐れに思うのは花屋さんの紫陽花で未だに枯れた紫陽花を並べている。

母の日の頃からなのでもう随分と日にちが経った。

半額のものもあれば2700円の値札が付いているものもある。

愛でるのはあまりにも無残で紫陽花が可哀想でならない。

母の日商戦でおそらくハウスで栽培したのに違いないが

そこまでして無理やりに咲かせる必要があったのだろうか。

しかも売られているのである。それは処分にも等しかった。




今日も最低限の家事だけで殆ど寝てばかりの一日だった。

起きているとひっきりなしに煙草を吸ってしまう。

寝ていれば吸わなくても良いので好都合にも思える。

日記を読み返していると一昨年の6月には禁煙外来に通っていたようだ。

挙句には「禁煙鬱」となり精神的に辛かったことを記してある。

再び禁煙外来に通うことも考えたが余程の勇気が必要に思う。

正直云って自信がなかった。失敗したことがずっと尾を引いている。

もう我慢しないと決めてから気は嘘のように楽になったが

どうしようも出来ない落とし穴の中でもがいているようにも思える。

この先いったいどうなるのだろう。吸いながら死ぬのかもしれない。




山里の義父が気になり電話をしてみたが

まだ微熱があるにも関わらずハウスへ苗の様子を見に行くと云う。

一日でも水遣りを怠れば苗が枯れてしまうのだった。

全盛期に比べると僅かな苗でありもう助っ人は断っていた。

再び頼んでみるように告げたがもう今更云えないらしい。

ハウスの中は40℃程の高温であり熱中症の心配もあった。

しかし義父は気丈にも「大丈夫やけん」と云い張る。


夕方になり電話があり「俺のアイスを知らんか?」と訊かれた。

先日お客さんからバニラアイスを頂き事務所の冷蔵庫に入れてあったが

先週私が義父の分も食べてしまっていたのだった。

ひたすら謝れば怒りはしなかったがとても残念そうな口ぶりである。

食欲が全く無いらしくアイスなら食べられそうだったらしい。

ハウスで暑い思いをしたのだろう。何とも気の毒でならなかった。

つい例の女性の名を告げてしまったが今回は知らせていないとのこと。

知っていれば必ずアイスを届けてくれただろうにと思うが

義父にも思うところがあるのだろう。要らぬ口を叩いてはならない。


コロナの心配もあったが鼻声になっておりただの風邪のようであった。

「明日は仕事をせんといかん」と気丈な様子である。

無理をさせてはいけないが結局は無理を強いてしまうだろう。

心苦しくてならないが義父の思うようにさせてやりたいと思う。


平穏には仮面がある。そのように見せかけていざとなれば陥れる。

長いこと生きているとそんな場面にも多く関わらざるを得ない。

「こんなはずではなかった」と何度呟いたことだろう。

けれどもその度にすくっと立ち上がりまた前を向き歩み続けて来た。

人生もまんざらではない。苦もあれば楽もあるのが愉しいものだ。


※以下今朝の詩(お目汚しでしかありません)
 

         おんな


     おんなのような夢を見た
     嫌だなと思いながら
     何故か胸がときめく

     死んだはずのかあ君が
     真っ白いスーツを着て
     刑事のはずなのに
     やくざみたいだった

     逃げる私を追い駆けて来る
     今更恋に落ちる訳にはいかない

     逮捕されて手錠を掛けるのか
     それだけは避けなければならない

     見たこともないような山道を
     落石を避けながら走った
     振り向けばかあ君がいる
     懐かしいような笑顔だった

     もうおんなにはなりたくない
     捕まってたまるものかと走る

     胸が痛くてたまらないのだ











2025年05月31日(土) 思う存分に

雲一つない青空。夏日となったが爽やかな風が吹き抜けていた。

洗濯物を干すのが嬉しくてならない。主婦冥利に尽きる。


函館の五稜郭公園では藤の花が見頃とのこと。

田植えも始まっているそうで如何にも初夏らしい。

厳しい寒さを乗り越えてこその歓喜の季節であろう。


最低限の家事だけで寝てばかりの一日だった。

玄関先の花が枯れてしまったので夏苗を買い求めようと

思うだけで行動に移せない。困ったものである。

娘が多肉植物を育てていてほっこりと心が和むばかりであった。



朝のうちはカーブスへ。今日は駐車場に空きがあり助かる。

「あったかパーキング」の許可のおかげであった。

一台のみのスペースなので車椅子の人には申し訳ないが

早い者勝ちだと思ういささか非常識な私であった。


筋トレを始めるなり心拍数が異常に高くなる。

コーチやお仲間さんに心配を掛けたが何とかノルマを達成した。

体力が無いのが一番だが太り過ぎも原因かもしれない。

とにかく身体が重くてどうしようもないのだった。


お昼には田舎寿司とたこ焼きを食べる。異常な程の食欲であった。

そうして直ぐに寝てしまうので肥満にならざる得ない。

喫煙はもちろんだがとにかく「我慢」することが出来ないのだ。

随分と落ちぶれたものだと思うがそれを許す自分がいた。


結局4時まで寝てしまい半日を無駄に過ごす。

残り少ない人生なのにとその無駄を責めようともしない。

読みかけの詩集や歌集が山ほどあるのだがいったいいつ読むのだろう。


そのくせ活字中毒なのか自分の過去の日記を読むことが多い。

今日は4時から5時まで昨年の初冬の日記を読み返していた。

つい半年余り前の日記なのに随分と昔のように思う。

それだけ記憶があいまいになり忘れていることが多いのだろう。

「人生の記録」と云うほど大層なものではない。

ただ過ぎ去った日々が愛しく思う。書き残して良かったと思うのだ。


あやちゃんからの願いを受け止めSNSのリンクを外してしまえば

もう個人を特定出来なくなり良い意味で自由になった。

思う存分に書きたいことが書けるようになったのだと思う。

恥も外聞もない。ありのままの暮らしを公にしている。

僅か20人足らずの読者であるが何と有難いことだろう。

毎日欠かさず投票をしてくれる人もいて今月もランクイン出来た。

それが励みでなくて何だろう。読者あってこそのこの日記である。

最後の日まで書き続けたいと一心に願わすにいられなかった。


間抜けで愚かな私であるがこんなにも生きている。

それを誇りに思えるように日々精進したいものである。


※以下今朝の詩


          夜明け

      川向の山が姿を現す
      風はひんやりと吹く

      波立っているだろう
      川面はざわめいていて
      魚達が躍っているだろう

      雀だろうかその囀りは
      まるで歌のようである
      ちちちちと合唱が始まる

      終の棲家の窓辺に居て
      幾度目の朝だろうか
      白み始めた空には
      希望が垣間見える

      私は詩のようなものを
      書いているのだが
      雀のようには歌えない
      けれども書かずにいられない

      五月が尽く日であるが
      真っ新な夜明けであった







2025年05月30日(金) 主なくとも花は咲く

ぽつぽつと小雨降る一日。気温は20℃に満たず肌寒さを感じた。

北海道札幌では27℃とすっかりもう初夏である。

高知も明日は良く晴れて初夏らしい気温になりそうだ。


職場の直ぐ前に誰も住んでいない大きな家があるのだが

管理を頼まれている人が居て時々草引き等をしている。

春には桜の木を伐採した家で庭にはもう樹木は一本もない。


今日はっとしたのはその家のブロック塀沿いに沢山のどくだみの花。

辺りの草は綺麗に引かれているのだがどくだみだけ残してあった。

十薬とも呼ばれれっきとした薬草である。

その可憐な純白の花はまるで十字架のようだ。

管理をしている人がそれを承知で残してくれたのだろう。

花を思い遣る優しい心の持ち主に違いない。

主なくとも花は咲く。ほんのりと心温まる風景であった。




今朝は雨にも関わらず義父の姿が見えなかった。

ポストの朝刊もそのままで気にはなっていたのだが

居室の上り口にはいつも履いている作業靴が揃えてあった。

日頃の疲れが出てゆっくりと寝ているのだろうと思う。

しかし午後1時を過ぎても一向に姿を見せないのだった。

もしや倒れているのでは。その上に最悪の事態まで頭を過る。

とにかくと電話をしてみたが呼び出し音が鳴り続けるばかりだった。

「これはいけない」と思い居室に向かって大声で義父を呼んだ。

そうしたらか細い声が聴こえ発熱で寝込んでいるらしい。

今思えば様子を見に行くべきだった。もう後の祭りになってしまったが

一瞬コロナかもしれないと思ったのだ。接触してはいけないと。

薄情な娘である。病院へ連れて行ってやれば良かったのにと思う。


後ろ髪を引かれるように帰路に就く。義父が心配でならなかった。

けれどもそこで例の女性の顔が目に浮かんでいた。

きっと駆け付けて来てくれるだろうと思ったのだ。

そう思えばもう私の出る幕は無いに等しい。

複雑な気持であったがここは成り行きに任せるしかない。


強靭な肉体と精神力のある義父であったが歳には勝てないのだと思う。

先日からの疲れも尾を引き免疫力も下がっているのだろう。

一昨年コロナに罹った時も高熱が続いたことを思い出していた。


平穏無事とは行かなかった一日であったが

月末の仕事は何とか乗り越えられた。

来週にはもう6月である。またゼロからの出発が待っている。

それにしてもいったい何に背中を押されているのだろう。

あっという間の一週間。駆け抜けたようなひと月であった。


※以下今朝の詩(マンネリ化しており申し訳ありません)


           声

     眠らない鳥が頻りに鳴いている
     羽根は雨にしっとりと濡れ
     暗闇に映す姿も心許ない

     空が天である限りつらぬく
     生きるための叫びであった

     きっと誰かに届くだろう
     耳を澄ます誰かのために
     歌にはならない声を放つ

     貶められてはならない
     蔑まれてはならない

     生きた証であるならば
     声は息にも等しいのだ

     薄っすらと夜が明けて来た
     濡れた羽根に風が寄り添う

     果てしない空である
     何処までも飛べるだろう

     声は掛け替えのない命である



2025年05月29日(木) 枇杷の種

雨のち曇り。朝のうちは地面を叩きつけるような大雨だった。

そんな雨も次第に弱まり今は静かな夕暮れ時である。

不如帰が夜を待ち兼ねるように頻りに鳴くばかり。

予報では明日も雨とのこと。おそらく走り梅雨なのだろう。


枇杷の実が随分と色づきそろそろ食べ頃のようだ。

サニーマートの店頭で売っているのは高級な果実である。

わざわざ買って食べる人がいるのだろうかと思う。

やはり枇杷は木から千切って無造作に食べるのが好ましい。

子供の頃にはそれが当たり前だったが今の子供は見向きもしなくなった。

そもそも庭や畑の隅に枇杷を植えている家が少なくなったのだろう。

枇杷の実は甘くて美味しいが私は種が苦手である。

種の無い枇杷があればと無理なことを願わずにいられない。




仕事は今日も車検が一台のみ。雨のせいか他の来客は無かった。

車検をなるべく早く済ませ例のエンジン交換に取り掛からねばならない。

正規の工賃では9時間の仕事であったが同僚の場合は2日掛かりそうだ。

今週中に終わらせなければまた来週から車検の予約が入っている。

義父は執刀医にも関わらず一切手を貸そうとしないのだった。

もしかしたら同僚の腕を試しているのかもしれない。


実質的には明日が月末となるので資金繰りの段取りがあったが

今月はぎりぎり何とかなりそうである。

最終的にはゼロになってもまた一から始めれば良い。

仕事さえあれば挽回は出来る。それが希望でなくて何だろう。

お金の苦労にもすっかり慣れてしまってもはや貧乏のプロである。


毎週木曜日はリハビリのある日で少し早めに退社した。

雨の日はキャンセルが多いのでもしやと期待していたのだが

結局は予約時間通りとなり30分待たねばならなかった。

待合室でスマホを操作している人の何と多いことだろう。

最近では高齢者のスマホも珍しくはない。

私はガラケーなのでポケットから取り出すことも出来なかった。

私もみっともないが高齢者のスマホもみっともないと思っている。

負け惜しみだろうかとも思うが私はガラケーで十分であった。


4時過ぎに帰宅。「夏井いつきの365日季語手帳」が届いていた。

俳句は若い頃に少し齧ったことがあったが今は初心者である。

70の手習いではないが最近少しずつ詠み始めている。

きっかけはSNSだが季語に興味を持ったのだった。

俳句を発信している人が多くはっと心を動かされることが多い。

特に「お花の父」さんの俳句は誰よりも素晴らしいと思う。

知らなかった季語にどれほど心を惹かれていることだろう。


詩に短歌それに俳句と欲張りな私であり

どれも未熟で他人様の目を汚すばかりであったが

残り少ない人生である。好きなことを貫いてみたいのだった。

種の無い枇杷が無いからこそ私は種を残したいと思う。


※以下今朝の詩


       走り梅雨

     雨が近づいている
     急がずにゆっくりと
     忍び足のようである

     ざわざわと騒ぐ空
     雨雲は躊躇っている
     風は踊り子のようだ

     皆が一斉に集まれば
     仲間外れもあるだろう
     独りぼっちはさびしい
     真っ先に泣いてしまいそう

     涙であってはならない

     雨として貫こうとする
     落ちるのではない
     潤すためであった

     もう少しあと少しである



2025年05月28日(水) ひっそりと咲く

晴れたり曇ったり。午後は気温が高くなり蒸し暑さを感じた。

明日は雨らしく夕陽も雲に隠れている。

梅雨入りは6月の初旬とのことまた雨の日が続くことだろう。


山里は見渡す限りの緑であった。植えられた稲はぐんぐん伸びている。

風が吹くと一斉になびくのだがまるで緑の波のようだった。

義父にとっては我が子のようなもので愛しくてならない様子である。

無農薬とは行かず病気から守るために農薬を散布せねばならないが

年々価格が上がっており頭を悩ませている。

政府は消費者のことばかりで生産者に救いの手は届かない。

たとえ赤字であっても米は作らなければならないのだ。

日本中の米農家が生産を止めてしまったら大変なことになるだろう。

少しでも高値で買い取って貰わなければ報われないのだ。




仕事はまずまず順調。昨日の車検整備も朝のうちに仕上がる。

検査を済ませ書類を整えてから義父は農作業に出掛けた。

アマゾンに注文していた高麗人参も届き上機嫌の義父であった。


午後は工場の仕事が途切れ同僚も私も手持ち無沙汰となる。

例の大型車のエンジンが届いたが義父の指示が必要であった。

人間だと心臓移植の大手術である。執刀医無くしてどうして出来よう。

義父の帰りを待っていたが2時になっても帰って来なかった。

私も何だか嫌になってしまい早目に退社する。

同僚も掛かりつけの内科へ薬を貰いに行くことになった。


3時過ぎに義父から電話があり「誰もおらんぞ」と機嫌が悪い。

同僚が病院へ行ったことは話したが大型車の事が気になったのだろう。

先ずはエンジンを脱着しなければならないが全く手を付けていなかった。

「いったい何をしよったがぞ」と同僚を責める口ぶりである。

義父の指示待ちをしていただけに同僚が憐れでならなかった。

また明日が思いやられるが義父次第だと思うことにする。


平穏はそう長くは続かない。谷川沿いを歩いていても直ぐに大きな山がある。

その山を登り切らなければ何も達成出来ないのだった。

皆で力を合わせ励まし合うこともままならず限界は常に身近にある。

かと云って誰一人倒れてはならず過酷な道のりであった。


私は谷川沿いにひっそりと咲く花を見つける。

その場から離れずずっと見ていたいような可憐な花だった。

名も知らぬ花であったが何と優しい姿だったことだろう。


※以下今朝の詩


          味

      苦労はしたくない
      けれども
      苦労した人ほど味が出る

      塩辛いのか苦いのか
      酸っぱいのか甘いのか
      こくがあり美味いのか

      私の苦労など些細なこと
      もしかしたら
      苦労とは呼べないかも知れない

      深く傷ついた少女の頃
      私ほど可哀想な人はいない
      そう思えば惨めでならなかった

      けれども
      季節は何事もなかったように
      冬の記憶を消し去ろうとする

      いったいどんな味なのだろう
      千切るのか砕くのか
      何の手立ても在りはしないが

      私の味はいっそうと濃くなる








2025年05月27日(火) 社長、高麗人参はお安くなりません

朝のうちは曇っていたが次第に青空となり気温も高くなる。

夏日の割に暑さを感じず爽やかな風が吹き抜けていた。


毎朝四万十大橋を渡る前に土手の道を通るのだが

茅(チガヤ」の白い穂が寄り添うように風に揺れている。

何と表現すれば良いのだろう「チロチロ」と声が聴こえるようだった。

川面には朝陽が射し始める。まるで絵のような風景である。


子供時代は山間部で育ったが列車が通る山村であった。

線路脇にそれは沢山の茅が群生していた。

私達はそれを「ガム」と呼んでいたのだった。

白い穂を千切り口に含みガムのように噛むのである。

大人たちに咎められたこともなくそれが「遊び」の一環だったのだろう。

どんな味がしたのか憶えてはいないが決して不味いものではなかった。

もちろんお腹を壊すこともなかったので当然初夏の楽しみとなる。

お菓子などまともに食べられなかった時代のことであった。




義父が高知市へ出張し同僚とのらりくらりと仕事をする。

車検の予約が入っていたがいつまで待っても来店がない。

難聴のお客さんなのでショートメールをしてみたが返事もなかった。

思うように行かないもので結局半日を無駄にしてしまう。

お昼休みにやっと来てくれたがメールは見てなかったようだ。

会話は一方的で「急がないから」と言い残し代車に乗って帰って行く。

しかし急がなければならない。以前に代車で自損事故を起こしていた。

義父次第だが明日は完了するだろう。どうか順調にと願うばかりである。


午後は来客も無かったので同僚に留守番を頼み2時半に退社した。

義父の帰りはおそらく夜になるだろう。

長距離運転の疲れが出るだろうと気掛かりでならない。

今朝は出掛けに「高麗人参」を飲んでみたいと云うので早速注文した。

アマゾンの定期購入で一割引きであったがそれでもけっこう高い。

けれども義父がそれで元気になって来れれば安い物である。

アマゾンの便利なのは「お急ぎ便」があることで明日にはもう届くようだ。


4時前に帰宅。相撲ロスの夫の何と憐れなことだろう。

退屈極まりない様子でぼんやりとテレビを見ていた。

4時からは私も一緒に「三匹が斬る」を見る。

坂上忍が出ていてまだ少年のような顔に驚くばかりであった。

みんなみんな年を取るのだなと思う。そればかりはどうしようも出来ない。


私にもやっと仕事のゴールが見え始めて老いの覚悟も整った。

よぼよぼのお婆さんになってもパソコンに向かっていることだろう。

「ある日突然」は決してあってはならないのだと思う。

とことん人生を全うしてからあの世に旅立ちたいものである。


※以下今朝の詩


         直ちゃん


    「あったかパーキング」に駐車して
     杖を付きながら20メートルあるく

     直ちゃんを見つけて手を挙げたが
     私が誰か分からなかったようだ

     10年ぶりの再会であった
     歳月の何と悪戯なことだろう

     直ちゃんは白髪の紳士であったが
     私はさながら老婆のていである

     「よっこらしょ」と椅子に腰掛け
     二人でブラックコーヒを飲んだ

     懐かしい思い出話より近況ばかり
    「俺、癌になっちまってさ」
     直ちゃんの東京言葉は変わらない

     6月になれば手術をするのだそうだ
     深刻になってはいけないと思う
     かと云ってどうして笑い飛ばせようか

     潮騒に満ち溢れた海辺の町であった
     もう少年と少女には戻れないだろう

    「またきっと会おうな」
     直ちゃんの笑顔が切なくてならない

     最後かもしれないと思う
     降り始めた雨はほんの少し暖かい


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加