ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月26日(月) 奥様は68歳

曇り日。朝の肌寒さをそのままに日中も低目の気温であった。

先日来の夏日、真夏日に比べると随分と過ごし易い。

明日からはまた夏日になるとのこと。体調を崩してしまいそうだ。


今朝の山道では猿に遭遇する。その直ぐ後には狸である。

以前には猪の親子を見かけたこともありいかにも田舎らしい。

猿は悪さをし民家に吊るしてある玉葱を齧るのだそうだ。

次から次へと齧るそうで民家の住民も頭を悩ませている。

山里ならではのことで野生動物と共存しながらの暮らしであった。


紫陽花が少しずつ色づき始めた。今朝は水色の紫陽花を見つける。

峠道へ差し掛かる前の集落でのこと道路際に沢山植えられており

ちょっとした「紫陽花街道」であり色づけばそれは見事である。

また朝の楽しみが増えた。今日よりも明日と咲き始めることだろう。





義父は元気そうに見えるが先日から頻りに「しんどい」と云う。

一気に5キロも体重が落ちたそうでそのせいかもしれないが

とにかく退院後も休みなく農作業に精を出し過ぎたのだろう。

今はやっと一段落しており少しずつ休養を取っているが

よほど疲れが溜まっていたのだろう。思うように楽にはならないようだ。


今日は富士薬品のM君が来てくれたので義父の相談をしたら

疲れに良く効くサプリメントがあるのだそうだ。

高麗人参とすっぽん、黒酢と黒にんにくが配合されているらしい。

高価なサプリであったが義父の為にと購入することにした。

義父は出掛けていたがきっと喜ぶだろうと信じて止まない。


しかし義父は喜ばなかった。子供のように「すっぽんは嫌だ」と云い張る。

確かにすっぽんのエキスが入っているが味がする訳でもなかった。

「亀だぞ、あの亀だぞ」と大声を上げて喚き散らすのである。

誰も亀を食せとは云っていないのに義父には亀の姿しか目に浮かばないのだ。

これには私も参ってしまい無理強いは出来なかった。

代金も支払っており今更返品も出来ず親身になってくれたM君にも申し訳ない。

仕方なく60日分を私が飲むことになった。

ゼリー状のサプリで蜂蜜も入っているのでけっこう美味しい。

これならば続けられるだろう。今以上に元気になるに違いない。

それにしても義父の強情さはまるで笑い話のようであった。

しかし何の手立てもせずに放りっぱなしには出来ない。

疲労回復に効く他のサプリを探してみようと思っている。

ちなみにM君は私と義父が夫婦だとずっと思い込んでいたようだ。

それだけ義父が若々しく私が老けて見えるのだろう。

M君に限らず初対面の人は私を「奥さん」と呼ぶことが多い。


母は18歳で私を産んだがその頃の義父は13歳だったことになる。

だから私と義父は13歳の年の差であった。

夫婦だとしても決して不思議ではないだろう。

けれども私は夫がもう直ぐ82歳なのはどうしても我慢出来ない。

想像も出来ず何よりも現実の夫に申し訳なくてならないのだった。

生さぬ仲の間柄であっても義父にはずっと「お父さん」でいて欲しい。


もし義父が亡くなれば喪主は私が務めようともう決めている。


※以下今朝の詩


         季節

     春の名残だろうか
     ひんやりとした朝

     夏は途惑いながら
     身を細めるしかない

     何処からだろうと思う
     線引きの出来ない季節
     空が真っ二つになれば
     どちらを選べばいいのか

     せめぎ合えばくるしい
     命までも心細くなる

     散り尽くした花は緑に
     咲き始めた花は紫色に
     風は分け隔てなく吹く

     千切ることなど
     どうして出来ようか






2025年05月25日(日) 感動しかない

雨上がりの晴天だったが強風が吹き荒れ肌寒い一日となる。

蒸し暑さが無かったので運動会には最適だったようだ。

生憎昨日の大雨で校庭がぬかるんでおり一時間遅れで開催される。

予定した競技も3競技程省かれたが十分に楽しめた。

何よりも子供たちの元気な姿に感動を覚える。


全校生徒80人足らずの小さな小学校であった。

マンモス校だと孫の姿も見つけられないことが多いが

めいちゃんは直ぐに見つかり終始目が離せない。

普段はめったに履かない紅い靴下がよく目立っていた。


競技は百メートル走から始まり何とめいちゃんは一番であった。

男の子も一緒に走っていたのに凄い頑張りようである。

嬉しくてならず千切れんばかりに拍手をした。


ふと自分が子供の頃を思い出す。かけっこはいつも一番だった。

今では考えられないことだが郡の陸上大会で優勝したこともある。

その貴重なDNAが遺伝しているのかもしれないと思った。

足が不自由になり歩くこともままならなくなった今だからこそである。

こんな私にも駆け抜けた子供の頃があったのだと懐かしくてならない。


毎年恒例の「一輪車パレード」「よさこいソーラン踊り」もあり

昨年よりもいっそうと成長した姿も感動的であった。

もうそれも来年で最後になるのかと思うと感慨深い。

ずっとずっと小学生で居てくれたらなと思う程だった。


隣の応援席にあやちゃんの同級生が二人来ていて

すっかりイケメンの中学生になっているのに驚く。

弟や妹の応援に来ていたのだろう。何とも懐かしい顔であった。

あやちゃんは今日もお留守番を申し出て「行ってらっしゃい」と

皆を送り出してくれたのだった。「一緒に行かんかね」と告げれば

「なんか今日は体調が悪いけん」と笑い飛ばしていた。

本当は行きたかったのかもしれないと老婆心は思う。

けれども娘に云わせればそれは余計なことなのだそうだ。

触れてはいけないことが多過ぎてまた疼き始める老婆心であった。

「余計なこと」と云われるのが一番辛く「どうして、どうして」と思う。

思い遣るこころはそうして行き場を失ってしまうのだった。



この日記を書き始めた時には茜色の夕焼け空だったが

一時間もすればもう真っ暗闇である。

明日の朝は気温が下がり少し肌寒くなるのだそうだ。

春の名残はそうして夏とせめぎ合っているのだろう。


私はいったい何とせめぎ合っているのかと思う。

もしかしたら私の中にもう一人の「わたし」がいるのかもしれない。


※以下今朝の詩


         野辺


     野辺の片隅である
     降り続いていた雨がやみ
     爽やかな風が心地よい

     項垂れてはいられず
     真っ直ぐに空を仰ぐ
     濡れた体に相応しい
     優しい風であった

     「雑草」と云う名の草はなく
     草であることを誇りにおもう

     たったひとりのひとでいい
     私の名を呼んでくれまいか

     ずいぶんと生き永らえてきた
     野辺に咲けばいのちがにおう

     どこまでも続く空である
     わたし以外の誰が
     わたしになれようか




2025年05月24日(土) ささやかな一日

雨、風ともに強く嵐のような一日だった。

夕方になりやっと雨が止みほっと空を仰いでいる。

大雨のため列車が運休となったりダムの放流もあったようだ。

これから本格的な梅雨を迎えるが災害等に繋がらないことを願う。


お天気は次第に回復とのこと。明日は運動会が出来そうである。

めいちゃんの成長した姿を見るのが楽しみでならない。



朝のうちにカーブスへ向かったが駐車場が満車状態だった。

近隣の施設に停めることも考えたが傘と杖ではとても歩けそうにない。

しばらく待機していてやっと「あったかパーキング」に停めることが出来た。

許可を取っていて良かったと思う。人目を気にせず堂々と駐車出来る。


蒸し暑さのせいもあり今日も汗びっしょりとなる。

俯けば汗が滴り落ちるほどで異常な汗であった。

ふうふうと息が切れ心拍数も高くなり無理は出来ない。

もう十分だと思い少し早めに切り上げて帰って来た。


昼食にローソンの冷やし中華を食べお昼寝体制に入ったが

お客さんから2回も着信がありその度に跳び起きる。

同僚に対応を頼み終えまたとろとろと寝るばかりだった。

3時頃からは大相撲を観る。十両の「草野」が強い。

まだ大銀杏も結えていないが来場所からは幕内なのだそうだ。

夫は何でも知っていてそれは得意そうに解説をしてくれる。


娘達が夕食不要とのことであり合わせの夕食だった。

そろそろ食べ頃ではと「らっきょう漬け」を出してみたが

まだあまり美味しくなくもう少し置いた方が良いのかもしれない。

2キロも漬けてしまったのだ。美味しくなってくれなければ困る。


「行って来まーす」めいちゃんが元気な声でダンス教室へ行った。

最近はジャズダンスも始めたようで楽しくてならない様子である。

娘夫婦も一緒に出掛けあやちゃんはまたお留守番となった。

干渉すると嫌がるので声を掛けることも出来ない。

今日は朝から一度も顔を見ていなかった。

老婆心は疼くばかりで何だか心を鬼にしているような気がする。



窓の外はすっかり暗くなり爽やかな夜風が心地よい。

特に変わり映えのしない平凡な一日であったが

その平凡こそが「平穏」に違いなかった。

大きな穴がぽっかりと空いていてその穴を埋める術がない。

幸せで胸が一杯とは無縁のようにも思える。


ささやかな一日である。欲などこれっぽっちもありはしない。

ぐっすりと眠ればまた「あたらしい一日」が始まる。


※以下今朝の詩


        独り言

    つぶやくような雨音
    独り言なのだろうか
    空は孤独であるらしい

    明朗ではいられない
    たとえ青い空であっても
    哀しみは絶えなかった

    光り輝けば影となる
    その真っ只中にいて
    踏み続けているのだ

    さらりと水に流せば
    どれ程救われるだろう
    失ってしまえばもう
    拘ることもありはしない

    雨ならば訊ねよう
    生き方を知っているなら
    おしえてはくれまいか

    いのちが呟いている
    独りぼっちにはさせたくない



2025年05月23日(金) あっけらかん

朝は晴れていたが次第に雲が広がる。

まだ梅雨入りの発表はないが明日は大雨になりそうだ。

降り過ぎることなく適度な雨であって欲しいものである。


明日はめいちゃんの運動会があるのだが延期になるだろう。

日曜日に出来なかったら月曜日になるのだそうだ。

楽しみにしているだけにお天気の回復を祈るばかりである。

我が家の輝く星である。期待に応えようとどれほど頑張っていることか。

努力家であり姉の分もと張り切っている様子が頼もしかった。

その上に姉を気遣う気持ちもあり健気で優しい子である。





今朝は義父の従兄弟の家に弔問に行こうと思っていたのだが

家のすぐ近くまで行ってから思い留まってしまった。

日頃から親しくさせて貰っていても遠慮するべきかもしれない。

「ごめんなさい」と手を合わせてそのまま職場へと向かった。

愕然と人の死に慣れてしまっている自分を感じる。

いったいこれまで幾人の人を見送ったことだろう。

それだけ死は身近になり哀しみにも鈍感になっている気がする。

昨日の義父もおそらく同じ気持ちだったのだろう。



仕事はぼちぼちの忙しさであったが大変なミスをしてしまっていた。

タイヤ交換のお客さんのタイヤがサイズ違いだったのだ。

注文する際によく確認しなかった私のせいである。

義父に散々叱られ「おまえはボケたのか」とまで云われた。

確かにボケたのかもしれないと思う。それがショックでならない。

幸いお客さんは月曜日まで待ってくれることになり一件落着となった。

しかしこんな初歩的なミスは二度とあってはならないのだ。

歳のせいにしてはいけない。もっと気を引き締めなければと思う。


午後2時を過ぎてから車検が一台完了し書類を作成する。

義父が居てくれると手順も捗り大助かりであった。

ただ口煩いのが玉に瑕だがそれも今に始まったことではなく

「社長」なのだと思えば当然のことである。

月末には例の大型車の中古エンジンが届く予定であった。

義父はすっかり社長の顔になり大いに張り切っている。


4時半に帰宅。気疲れもなく至って元気であった。

月末に向けてもうひと踏ん張り頑張ろうと思う。

遺影の母に手を合わせ「母さんお疲れ」と声を掛ける。

母は何とあっけらかんとした笑顔なのだろう。

「なるようになるけん」いつもそう語り掛けてくれるのだった。

生前一緒に仕事をしていた頃はいがみ合ってばかりいたが

今は「一心同体」である。私が泣けば母も泣くので私は決して泣かない。


※以下今朝の詩


         ほととぎす

       眠れないのではなく
       眠らない鳥であった

       暗闇に鳴き声が響く
       てっぺんかけたかと
       語り掛けるような声

       夜風がひゅるりと
       吹き抜けていく
       流れる雲は見えず
       風の行方を知らない

       独りぼっちなのだろうか
       切なさが込み上げてくる

       憐れにも思えてきて
       寄り添うことを選んだ
       その声こそが命である

       眠ってはならないと
       決めたのは誰だろう
       風ならばその理由を知りたい



2025年05月22日(木) 鳩ぽっぽ

午前中はにわか雨が降った時間帯があったが午後には青空が見える。

陽射しがあると一気に気温が高くなり30℃の真夏日となった。

風もなく何と蒸し暑い一日だったことだろう。


朝の道の良心市にまた沢山のそら豆が並んでいた。

食べたくてならなかったが家族には不評なので諦めてしまう。

枝豆よりも美味しいと思うのだが孫達も食べてはくれない。

買って帰れば娘に叱られてしまうだろう。



職場に着くなり訃報が舞い込む。義父の従兄弟が亡くなった知らせだった。

確か母と同い年ではなかっただろうか。もう高齢には違いない。

お葬式の段取り等を義父に任せたいと頼ってくれたのだが

今日は最後の田植えの「種籾」を撒く予定を組んでおり

また友人達が手伝いに来てくれることになっていた。

従兄弟の家族に何と云って断ったのだろう。

「それどころじゃない」といささかご機嫌斜めの義父であった。

本来ならお葬式を優先するべきである。それが人の道に思えるが

義父の頭の中は米作りに支配されていると云っても過言ではなかった。

今回に限らず義父はよほど頼りがいのある人物らしい。

それだけ信頼されていることをもっと喜ぶべきに思うのだが

「どいつもこいつも」と声を荒げているのだった。

挙句には「何かに取り憑かれているかもしれん」と嘆くのであった。

あまりの忙しさに平常心を失っていたのだろうと思われる。

お通夜、お葬式と続くが身を粉にしても尽くす義父であった。



リハビリのある日だったので2時半過ぎに退社したが

今日は待ち時間が長く病院を出たのが4時過ぎであった。

夕飯のメニューも思い浮かばず半額品ばかりカゴに放り込む。

娘が何とかしてくれるだろうとひたすら頼るばかりであった。

こんな時に娘が居てくれるとどれほど助かることだろう。

幸いと云って良いのか再就職の話は一切まだない。


娘達の夕食時、あやちゃんが「くくっと」鳩ぽっぽになっていた。

両親と10年後の話をしていたらしくあやちゃんの未来である。

「株でもやって稼げや」と父親。

「それがええねえ」と母親。

あやちゃんはそれが面白かったらしく笑い転げていた。

10年後は23歳のあやちゃんに会えるのだ。

私も仕事を全うし穏やかな老後が待っているかもしれないと思う。

「のっぺらぼう」ではいられないのだ。しっかりと見届けなければ。


あやちゃんの10年、私の10年と未来への道が続いている。


※以下今朝の詩


        穴

    すっぽりと抜け落ちた
    穴のようなものである

    昔まだ子供だった頃
    三角定規の丸い穴から
    青い空を見たことがある

    その穴は一つでは足らず
    やがてシャボン玉のように
    透明な穴になり空を舞った

    おとなになれば穴は深く
    落ちてしまうと這い上がれない
    もがき苦しむことを覚えたのだ

    けれども見上げればいつだって
    青い空がどこまでも続いている

    どうしようもなく途方に暮れた時
    自ら穴を掘ることを覚えた
    泥だらけになってしまったが
    不思議と守られているような
    まあるくてあたたかい穴だった



2025年05月21日(水) のっぺらぼう

二十四節気の「小満」すべての命が満ち満ちていく頃。

いかにも初夏らしい節気ではないだろうか。

雨の一日となり今も降り続いているがその雨さえも生き生きとしている。


かなりの雨量となり田んぼの水不足は完全に解消されたが

今度は植えたばかりの稲が水没しているのだそうだ。

水の管理は難しくそのまま様子を見るしかないようである。

雨が降らなければ困る。雨が降り過ぎても困るのだった。

稲の成長は早くあと三ヶ月もすればもう稲刈りである。

台風の心配もあり無事に収穫に辿り着くよう願うばかりであった。




午前中に例の大型車のお客さんが来店し義父と今後の策を練る。

やはりエンジン交換しかないようだがお客さんは悩んでいた。

いっそ諦めて中古のダンプを購入しようかとも云う。

そうなればこれまで費やした労賃は水の泡であった。

会社も大損となり取り返しがつかなくなるだろう。

義父はそれを一番に危惧しており必死で修理を勧めていた。

お客さんは70歳を過ぎており一存では決められないとのこと。

後継者の息子さんと相談してからどちらかに決めることになった。

長いこと商売をしていると大きな壁は付き物である。

どうか順調に決着が付くことをひたすら祈るしかない。


事務仕事は決算に向けて少しずつ準備をしているが

4月分の帳尻が合わなかった原因が分かり始めて来た。

車検費用の預り金の記帳ミスのようである。

4月分だけなので直ぐに判明するはずなのだが思うようにいかない。

しばらくは頭を悩ますことになりそうだった。

36年前には経理の「け」の字も知らなかった私である。

そんな私に一から教えてくれたのは母であった。

その当時は今のようにパソコンはなく全て手書きだったのだ。

我ながらよく努力したと思う。それも母あってのことである。



仕事は基本好きであり天職のようにも思っている。

事務畑に種を蒔き今まで育てて来たのだろう。

しかし花畑とは限らない。雑草だってはびこっている。

その雑草を抜くこともせずに費やした歳月であった。


10年後、職を失った私はいったいどうすれば良いのだろう。

最近よくそう考えるようになった。

のっぺらぼうではないが目も口もあるのだろうか。

もしかしたら頭も無くなってしまっているかもしれない。

わずか10年後の未来にもう途方に暮れようとしている。


※以下今朝の詩


         小満

     しくしくと泣いている
     いったい何があったのか
     空に訊いても応えはない

     夏の始まりの雨である
     田畑を潤し野に降り注ぐ
     恵みの雨なのに違いない

     すべての命が輝くころ
     誰一人欠けてはならず
     みなに等しい雨であった

     涙であってはならない
     それが哀しみであるなら
     癒される時がきっと来る

     止まない雨などないのだ

     雨上がりの陽射しを待つ
     きらきらと輝くいのちに
     ふさわしい夏が訪れる






2025年05月20日(火) おかげさん

晴れたり曇ったり。ほぼ真夏日の気温となり蒸し暑さを感じる。

全国的にも真夏日の処が多く山梨では34℃を超えたようだ。

まだ5月のこと。異常気象としか思えない暑さである。

これから梅雨の季節となるが梅雨が明ければ猛暑となることだろう。

まだ先の事と思っていても季節はどんどん進んでいく。

職場もとうとう冷房無しではいられなくなった。

一度頼ってしまうと毎日となりまた光熱費に頭を悩ますことになるだろう。

それは我が家も同じであるが今のところ扇風機で凌げている。



大口の支払いがある日だったが思いがけずに大口の振込入金があった。

何と助かったことだろう。大船に乗ったような気分になる。

おかげで取引先に迷惑を掛けずに済み肩の荷が一気に下りていた。

何とかなるものなのだ。前途を悲観してはならないと思う。

義父には報告しなかったが元々何も知らないのでその必要はなかった。

かつての母がそうだったようにお金の苦労は全て私が背負うしかない。


工場の仕事は順調に見えて実は大きな難題を抱えている。

同僚が幾日も手掛けた大型車の修理が台無しになってしまったのだ。

最悪の場合はエンジンを交換せねばならず莫大な修理代となるだろう。

もう同僚はお手上げ状態となり義父が後始末をすることになった。

義父が社長の顔になっている。何と頼もしいことだろうか。


同僚の胃痛は少し治まったようだが今日も元気が無かった。

日頃からの気の弱さが祟っているとしか思えない。

もう60歳を過ぎており憐れでならなかった。

もしかしたら仕事を辞めたくなっているのかもしれないが

それだけは何としても考え直してもらわねばならない。

一人でも欠けたら会社は即刻に潰れてしまうだろう。

皆がぎりぎりの瀬戸際にいる。それを限界に繋げてはならないのだ。



今日も4時に帰宅。直ぐにばたんきゅうと寝転んでいた。

大相撲を観ていたつもりだったがうたた寝をしていたようだ。

夕飯は素麺ではなく「ひやむぎ」にしてみた。

桃色や緑の麺が混ざっており何だか子供のように嬉しい。

素麺では味わえないような懐かしさがあった。

おそらく子供の頃に母がよく茹でてくれたのだろう。

記憶は曖昧であるが母と暮らした日々が確かにあったのだ。


母は死んでしまったが毎日私と一緒に仕事をしている。

思いがけない事がある度に母のおかげだなと思う。

今日もそうだった。きっと母が助けてくれたのに違いない。

魂は強い。魂は負けない。魂は生きているのだと思う。


※以下今朝の詩


          うさぎ

      片方の耳を失ったのは
      いつのことだったのか
      もう忘れてしまったが
      真夜中に疼く時がある

      ずきずきとそれは叫び
      命も心細くなるばかり

      確かに聴こえているのは
      囁くような風の声である
      いつの間にか春ではなく
      夏の風が吹き抜けていた

      過ぎたことなどもう
      どうだっていいのだ

      草の原を駆けていく
      若い緑の真っ只中を

      どれ程の疼きであっても
      生きてさえいればと思う










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