ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月22日(木) 鳩ぽっぽ

午前中はにわか雨が降った時間帯があったが午後には青空が見える。

陽射しがあると一気に気温が高くなり30℃の真夏日となった。

風もなく何と蒸し暑い一日だったことだろう。


朝の道の良心市にまた沢山のそら豆が並んでいた。

食べたくてならなかったが家族には不評なので諦めてしまう。

枝豆よりも美味しいと思うのだが孫達も食べてはくれない。

買って帰れば娘に叱られてしまうだろう。



職場に着くなり訃報が舞い込む。義父の従兄弟が亡くなった知らせだった。

確か母と同い年ではなかっただろうか。もう高齢には違いない。

お葬式の段取り等を義父に任せたいと頼ってくれたのだが

今日は最後の田植えの「種籾」を撒く予定を組んでおり

また友人達が手伝いに来てくれることになっていた。

従兄弟の家族に何と云って断ったのだろう。

「それどころじゃない」といささかご機嫌斜めの義父であった。

本来ならお葬式を優先するべきである。それが人の道に思えるが

義父の頭の中は米作りに支配されていると云っても過言ではなかった。

今回に限らず義父はよほど頼りがいのある人物らしい。

それだけ信頼されていることをもっと喜ぶべきに思うのだが

「どいつもこいつも」と声を荒げているのだった。

挙句には「何かに取り憑かれているかもしれん」と嘆くのであった。

あまりの忙しさに平常心を失っていたのだろうと思われる。

お通夜、お葬式と続くが身を粉にしても尽くす義父であった。



リハビリのある日だったので2時半過ぎに退社したが

今日は待ち時間が長く病院を出たのが4時過ぎであった。

夕飯のメニューも思い浮かばず半額品ばかりカゴに放り込む。

娘が何とかしてくれるだろうとひたすら頼るばかりであった。

こんな時に娘が居てくれるとどれほど助かることだろう。

幸いと云って良いのか再就職の話は一切まだない。


娘達の夕食時、あやちゃんが「くくっと」鳩ぽっぽになっていた。

両親と10年後の話をしていたらしくあやちゃんの未来である。

「株でもやって稼げや」と父親。

「それがええねえ」と母親。

あやちゃんはそれが面白かったらしく笑い転げていた。

10年後は23歳のあやちゃんに会えるのだ。

私も仕事を全うし穏やかな老後が待っているかもしれないと思う。

「のっぺらぼう」ではいられないのだ。しっかりと見届けなければ。


あやちゃんの10年、私の10年と未来への道が続いている。


※以下今朝の詩


        穴

    すっぽりと抜け落ちた
    穴のようなものである

    昔まだ子供だった頃
    三角定規の丸い穴から
    青い空を見たことがある

    その穴は一つでは足らず
    やがてシャボン玉のように
    透明な穴になり空を舞った

    おとなになれば穴は深く
    落ちてしまうと這い上がれない
    もがき苦しむことを覚えたのだ

    けれども見上げればいつだって
    青い空がどこまでも続いている

    どうしようもなく途方に暮れた時
    自ら穴を掘ることを覚えた
    泥だらけになってしまったが
    不思議と守られているような
    まあるくてあたたかい穴だった



2025年05月21日(水) のっぺらぼう

二十四節気の「小満」すべての命が満ち満ちていく頃。

いかにも初夏らしい節気ではないだろうか。

雨の一日となり今も降り続いているがその雨さえも生き生きとしている。


かなりの雨量となり田んぼの水不足は完全に解消されたが

今度は植えたばかりの稲が水没しているのだそうだ。

水の管理は難しくそのまま様子を見るしかないようである。

雨が降らなければ困る。雨が降り過ぎても困るのだった。

稲の成長は早くあと三ヶ月もすればもう稲刈りである。

台風の心配もあり無事に収穫に辿り着くよう願うばかりであった。




午前中に例の大型車のお客さんが来店し義父と今後の策を練る。

やはりエンジン交換しかないようだがお客さんは悩んでいた。

いっそ諦めて中古のダンプを購入しようかとも云う。

そうなればこれまで費やした労賃は水の泡であった。

会社も大損となり取り返しがつかなくなるだろう。

義父はそれを一番に危惧しており必死で修理を勧めていた。

お客さんは70歳を過ぎており一存では決められないとのこと。

後継者の息子さんと相談してからどちらかに決めることになった。

長いこと商売をしていると大きな壁は付き物である。

どうか順調に決着が付くことをひたすら祈るしかない。


事務仕事は決算に向けて少しずつ準備をしているが

4月分の帳尻が合わなかった原因が分かり始めて来た。

車検費用の預り金の記帳ミスのようである。

4月分だけなので直ぐに判明するはずなのだが思うようにいかない。

しばらくは頭を悩ますことになりそうだった。

36年前には経理の「け」の字も知らなかった私である。

そんな私に一から教えてくれたのは母であった。

その当時は今のようにパソコンはなく全て手書きだったのだ。

我ながらよく努力したと思う。それも母あってのことである。



仕事は基本好きであり天職のようにも思っている。

事務畑に種を蒔き今まで育てて来たのだろう。

しかし花畑とは限らない。雑草だってはびこっている。

その雑草を抜くこともせずに費やした歳月であった。


10年後、職を失った私はいったいどうすれば良いのだろう。

最近よくそう考えるようになった。

のっぺらぼうではないが目も口もあるのだろうか。

もしかしたら頭も無くなってしまっているかもしれない。

わずか10年後の未来にもう途方に暮れようとしている。


※以下今朝の詩


         小満

     しくしくと泣いている
     いったい何があったのか
     空に訊いても応えはない

     夏の始まりの雨である
     田畑を潤し野に降り注ぐ
     恵みの雨なのに違いない

     すべての命が輝くころ
     誰一人欠けてはならず
     みなに等しい雨であった

     涙であってはならない
     それが哀しみであるなら
     癒される時がきっと来る

     止まない雨などないのだ

     雨上がりの陽射しを待つ
     きらきらと輝くいのちに
     ふさわしい夏が訪れる






2025年05月20日(火) おかげさん

晴れたり曇ったり。ほぼ真夏日の気温となり蒸し暑さを感じる。

全国的にも真夏日の処が多く山梨では34℃を超えたようだ。

まだ5月のこと。異常気象としか思えない暑さである。

これから梅雨の季節となるが梅雨が明ければ猛暑となることだろう。

まだ先の事と思っていても季節はどんどん進んでいく。

職場もとうとう冷房無しではいられなくなった。

一度頼ってしまうと毎日となりまた光熱費に頭を悩ますことになるだろう。

それは我が家も同じであるが今のところ扇風機で凌げている。



大口の支払いがある日だったが思いがけずに大口の振込入金があった。

何と助かったことだろう。大船に乗ったような気分になる。

おかげで取引先に迷惑を掛けずに済み肩の荷が一気に下りていた。

何とかなるものなのだ。前途を悲観してはならないと思う。

義父には報告しなかったが元々何も知らないのでその必要はなかった。

かつての母がそうだったようにお金の苦労は全て私が背負うしかない。


工場の仕事は順調に見えて実は大きな難題を抱えている。

同僚が幾日も手掛けた大型車の修理が台無しになってしまったのだ。

最悪の場合はエンジンを交換せねばならず莫大な修理代となるだろう。

もう同僚はお手上げ状態となり義父が後始末をすることになった。

義父が社長の顔になっている。何と頼もしいことだろうか。


同僚の胃痛は少し治まったようだが今日も元気が無かった。

日頃からの気の弱さが祟っているとしか思えない。

もう60歳を過ぎており憐れでならなかった。

もしかしたら仕事を辞めたくなっているのかもしれないが

それだけは何としても考え直してもらわねばならない。

一人でも欠けたら会社は即刻に潰れてしまうだろう。

皆がぎりぎりの瀬戸際にいる。それを限界に繋げてはならないのだ。



今日も4時に帰宅。直ぐにばたんきゅうと寝転んでいた。

大相撲を観ていたつもりだったがうたた寝をしていたようだ。

夕飯は素麺ではなく「ひやむぎ」にしてみた。

桃色や緑の麺が混ざっており何だか子供のように嬉しい。

素麺では味わえないような懐かしさがあった。

おそらく子供の頃に母がよく茹でてくれたのだろう。

記憶は曖昧であるが母と暮らした日々が確かにあったのだ。


母は死んでしまったが毎日私と一緒に仕事をしている。

思いがけない事がある度に母のおかげだなと思う。

今日もそうだった。きっと母が助けてくれたのに違いない。

魂は強い。魂は負けない。魂は生きているのだと思う。


※以下今朝の詩


          うさぎ

      片方の耳を失ったのは
      いつのことだったのか
      もう忘れてしまったが
      真夜中に疼く時がある

      ずきずきとそれは叫び
      命も心細くなるばかり

      確かに聴こえているのは
      囁くような風の声である
      いつの間にか春ではなく
      夏の風が吹き抜けていた

      過ぎたことなどもう
      どうだっていいのだ

      草の原を駆けていく
      若い緑の真っ只中を

      どれ程の疼きであっても
      生きてさえいればと思う











2025年05月19日(月) 崖っぷちの豚

明るい曇り日。気温は夏日となり今日も蒸し暑くなった。

山里の郵便局ではもう冷房を。役場や農協ではまだなので

節電を兼ねて窓を開け放し自然の風に吹かれていた。

そんな我慢も今月いっぱいではないだろうか。


ツツジの花はすっかり朽ち果ててしまったが

ここ数日の間にサツキの花が咲き始めている。

両者はよく似ていて見分けがつき難い花だが

春に咲くのがツツジ。初夏に咲くのがサツキである。

それとツツジよりもサツキの方が小ぶりの花だった。


我が家には土の庭がなくどちらも縁がないのだが

かつて姑さんの畑だった場所にかなり大きなサツキの木がある。

かれこれ40年程昔のこと近所に住んでいた伯父に貰った木だった。

盆栽が趣味の伯父が植え替えをしており間引いた苗を捨てると云う。

まだ小さな苗だったが一輪だけ花を付けていた。

捨てるには憐れでならず「私にちょうだい」と貰ったのだった。

さて何処に植えようと辺りを見回し姑さんの畑の隅に植える。

畑には邪魔にならないだろうと思ったのだが

姑さんはあまり良い顔をしなかったのを今でもよく憶えている。


歳月を経て小さな苗は立派な木となり毎年花を咲かせてくれた。

伯父は20年程前に亡くなったがまるで形見のように思っている。

誰かが刈らない限りは私の死後も咲き続けるだろう。





さあ月曜日と鼻息も荒く山里の職場に向かう朝だった。

例の良心市に「そら豆」が沢山並んでおり迷わずに買う。

塩茹でにして食べるのが好きで買わずにはいられなかった。

わくわくと嬉しくてならない。助手席のそら豆と一緒に出勤である。


義父は昨日また友人達に助けられ田植えを済ませたようだった。

最後の田植えは来月らしくしばらくは骨休みが出来そうである。

工場の仕事の段取りもしてくれてどれ程助かったことだろう。

しかし精神的なストレスだろうか同僚が胃痛を訴えていた。

あまりの忙しさに義父の指図を受けてパニックになったようだ。

早退させてやりたかったが義父の手前それが出来ない。

胃薬を飲ませ様子を見ていたが午後はかなり辛そうであった。

同僚に限らずマイペースが一番であるが思うようにはいかないものである。


来客があったが3時に退社。後のことは義父に任せた。

エアコンの修理が2台。今年も「エアコン祭り」が始まったようである。

こればかりは義父の専門でお神輿を担いでもらわなければならない。


4時に帰宅。夫と大相撲を観るのが楽しみであった。

大の里が9連勝。このまま一気に横綱になって欲しいものだ。

しかしまだ24歳の若さである。どれ程のプレッシャーかと気遣う。



明日はあしたの風が吹くらしいが私はいつだって心細い。

明日は特に大口の支払いがありどうなることやらと頭を悩ませている。

なるようになるらしいがいったいどんな結果が待っているのだろう。

まるで追い詰められた「崖っぷちの豚」のようである。

ぶーぶー泣き叫んでも誰も助けてはくれないのだ。

そうなればもう立ち向かうしかない。豚の腕の見せ所である。

筋肉だか脂肪だか見分けはつかない腕だが私はけっこう逞しい。



※以下今朝の詩

          糸

     強くなったり弱くなったり
     かつては真綿だったらしい

     縒り続けていれば糸になり
     いまわたしの手元にある

     陽に当ててみたり
     水に濡らしてみたり
     試行錯誤を繰り返せば
     よほど堪えるのだろう
     切れてしまいそうになる

     息を吹きかけてみる
     指先でなぞるように
     その存在を確かめる

     些細なことなのだろう
     どれほど大切にしても
     弱くなれば途方に暮れ
     強くなれば希望になる

         







2025年05月18日(日) 夏支度

どんよりとした曇り日。まるで梅雨入りしたかのような蒸し暑さだった。

少し動いただけで不快な汗が流れる。もう我慢が出来なくなり

とうとう扇風機を引っ張り出し暑さを凌いだ。

その扇風機の何と汚いことだろう。昨年洗わずに仕舞ってあったのだ。

面倒であったが各部を分解し水洗いをすれば綺麗に快適となる。


昨夜も蒸し暑く寝苦しかったので掛布団を夏用にした。

真夏になればエアコンを点けっぱなしにして寝るのだが

さすがにまだ早く布団で調整した方が良さそうだ。

5月も後半になったが本格的な夏となればどれほどの暑さだろうか。

冬の間は寒さに耐えたが果たしてこの夏を耐えられるのかと思う。




歳のせいか最近食べ物の好みが変わり無性にらっきょうが食べたい。

それとご飯である。今朝も大盛のご飯をがつがつと食べた。

昨日はJAの直販所へ行き「洗いらっきょう」を2キロ買って来る。

簡単にらっきょう酢で漬けたのだが早く食べたくてたまらない。

最短でも3日は必要らしいが我慢出来ずに少し味見をしてみた。

しかしやはりまだ早かったようであまり美味しいとは云えない。

あと2日の辛抱である。ご飯が3杯くらい食べられそうだ。


そんな有り様なので当然のように太り続けている。

しばらく会わなかった人には別人のように見えるらしい。

そうして醜態をさらけ出しているのだが自分では気にしていなかった。

70歳が近くなりガリガリに痩せているよりずっと良いと思う。

おかげでムチムチとしており皴も目立たないのである。


週末は殆ど寝ていることが多いが今日は例外だった。

昨日寝過ぎたせいもあるが横になっても眠くならなかったのだ。

午後は夫とテレビを見て過ごす。2時にはもう大相撲中継が始まっていた。

明日からはまた仕事なので身体慣らしになったことだろう。

仕事のことは忘れているようでやはり気になっているようだ。

また山あり谷ありの日々が待っている。一歩でも前へ進もうと思う。

あと10年である。今まで見えなかったゴールが見えて来たのだ。

くたばるわけにはいかない。倒れるわけにはいかない。


※以下今朝の詩


          平行線

       ひとつであること
       ふたつであること

       転がしたり並べたりしているが
       たったひとつきりにはなれない

       かと云って捨てることは出来ず
       欲張りなおんなの姿が見える

       これ以上でも
       これ以下でもない

       失ってしまえば空っぽになる

       花が散れば種を残すが
       朽ちたままの花もある

       どちらの生き方も尊く
       花であることに違いない

       交わることのない道を
       ひたすらに歩き続ける
       辿り着けば救われるだろう

       たったひとつきりになりたい



2025年05月17日(土) 平行線

小雨が降ったり止んだり。気温はそう高くなかったが蒸し暑さを感じる。

昨日は九州南部が梅雨入りとのこと四国も直ぐに後を追うだろう。

梅雨もなくてはならず日本はそうして水に恵まれているのだそうだ。

豪雨の被害も多いが耐え忍ばねばならないのだろう。


梅雨と云えば紫陽花の季節だが花芽が見え始めたようだ。

あと2週間もすれば色づくことだろう。楽しみなことである。



蒸し暑さのせいか不快な程に汗が流れる。

まだ扇風機も出しておらずひたすら耐えた一日だった。

カーブスではエアコンに加え扇風機も回っていたが汗が止まらない。

脂肪が燃えているとは思えず太った体を持て余していた。

あと10年は続けたい。いやもっと90歳までと思う。

そうして少しでも体力を維持出来たらと願うばかりであった。

死んでしまえばそれまでだが生きている限りのことだ。


昼食にはローソンの「冷やし中華」を食べた。

夏ならではのことで美味しさに心が浮き立つ。

夫はビールを。私はノンアルビールを飲む。


午後はお決まりの昼寝であったが今日も寝過ぎてしまった。

4時に目覚め自室でアイスコーヒーを飲み煙草を吸う。

こんこんと咳が止まらなくなる。それでも吸わずにはいられない。

何と不健康なことだろうと我ながら嫌気が差していた。

自分では自制出来ない。立派な「依存症」だと思う。


娘達は夕食不要とのこと。夫と大相撲を観ながら焼き肉を食べた。

先日の残り物であったがまるで冷凍室の「宝物」である。

二人きりだと楽だなと夫と顔を見合わせながら喜んでいた。



風の強い一日だったが夜風はぴたっと静まっている。

雨は止んでいて明日は少し陽射しがあるようだった。

また怠惰に過ごすしかないだろう。それも良しと思う。


詩も短歌も平行線を辿っていてこれ以上もこれ以下もない。

ずば抜けてなどいないのだ。それは愚かなあがきにも等しい。

けれどもあがけるうちが花だろう。枯れてしまえばもうお終いである。

あがいて結果を出す。その結果こそが私の「いのち」なのだと思う。


※以下今朝の詩


           五月雨

      雨混じりの風が吹いている
      窓を開ければ生暖かい声が
      まるで噂話をしているよう

      ねえねえ知っている?
      ううん知りたくはないの

      初夏の花が枯れたこと
      沢山の種を残したこと
      やがては真夏の花が咲くこと

      本当は知りたかったのだ
      ほんの少しの希望がある
      けれども私なんかにと思う

      惨めであってはならない
      誰にも等しく季節は巡る

      降り注いではくれまいか
      私は濡れてみたかった
      真夏の花になるために



2025年05月16日(金) 花が散れば実にもなる

曇り日。気温は24℃と過ごし易い一日だった。

今夜遅くには雨になるらしい。


辺りの山々を黄な粉色に染めていた椎の花が見えなくなった。

おそらく散ってしまったのだろう。山の緑がいっそう濃くなる。

椎の実が成るのは秋だがきっと沢山の実がなることだろう。

子供の頃には椎の実を炒って食べたことも懐かしい。


花はアマリリスが盛り。これも子供の頃から見慣れた初夏の花である。

大金鶏菊は黄色の可愛らしい花だが特定外来植物に指定されており

絶滅を目指し駆除対象の花であった。繁殖力がとても強いのだそうだ。

これは子供の頃には見かけなかった花でいつ頃日本に来たのだろう。

花には罪はないが駆除専門の業者まであると聞きおどろく。

無残に思われるが日本の植物を守るためには仕方ないことであった。




義父は高知市で会合があり8時半には既に出掛けていた。

帰りは夜になるだろう。一気に肩の力が抜ける。

同僚も同じくで何となくのほほんとして見えた。


水道の蛇口をひねればちゃんと水が出る。

さすが義父だなと思った。昨日のうちに直してくれたのだ。

やる時はとことんやる。そんな義父を尊敬せずにはいられない。


今月は決算月なので帳簿の記帳をしていたのだが

4月分の帳尻が会わず頭を悩ませていた。

それも「現金」である。確かにゼロだったのに残高があまりにも多い。

使途不明金にするには納得が行かずきっと大きなミスがあるのだろう。

長年経理をやって来たがこんなことは初めてであった。

あれこれと考えていたが頭がパニックになりもう嫌になってしまう。

例の如くで同僚に「嫌になったけん帰る」と告げ逃げるように帰って来た。


3時半には帰宅していたが大相撲を観ながら寝てしまったようだ。

ごうごうと大きな鼾をかいていたらしく夫は呆れ返っていた。

精も根も尽き果てるとはこのことだろう。疲れには勝てなくなった。

いやしかし後10年である。一気に自信が無くなってしまいそうだ。


「やれば出来る」らしいがそもそも「やる」気力に乏しい。

仕事に一生を捧げるほどの大志も抱けなかった。

そうなればもう「なるようになるだろう」と客観的に考えるしかない。

私は何になるのだろうかと途方に暮れるばかりであった。


花が散れば実にもなるが私の実はほんの一粒かもしれない。


※以下今朝の詩


           夜明け

       夜風が朝風に変わる頃
       闇の中から声が聴こえる

       おいでおいでこっちへおいで

       まさかあの世ではあるまい
       私は息を確かめている

       あたらしくなりたかった
       老いた身にも花を添える
       初夏の花は凛々と咲き
       健気に風に吹かれている

       闇を追いやるように夜が明ける
       心細くてならなかったいのちが
       息を紡ぎ始めているようだった

       おいでおいでこっちへおいで

       耳を塞げばただ風になるばかり
       始まりはいつもそうである
       どれほどあたらしくなったことか


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