明るい曇り日。気温は夏日となり今日も蒸し暑くなった。
山里の郵便局ではもう冷房を。役場や農協ではまだなので
節電を兼ねて窓を開け放し自然の風に吹かれていた。
そんな我慢も今月いっぱいではないだろうか。
ツツジの花はすっかり朽ち果ててしまったが
ここ数日の間にサツキの花が咲き始めている。
両者はよく似ていて見分けがつき難い花だが
春に咲くのがツツジ。初夏に咲くのがサツキである。
それとツツジよりもサツキの方が小ぶりの花だった。
我が家には土の庭がなくどちらも縁がないのだが
かつて姑さんの畑だった場所にかなり大きなサツキの木がある。
かれこれ40年程昔のこと近所に住んでいた伯父に貰った木だった。
盆栽が趣味の伯父が植え替えをしており間引いた苗を捨てると云う。
まだ小さな苗だったが一輪だけ花を付けていた。
捨てるには憐れでならず「私にちょうだい」と貰ったのだった。
さて何処に植えようと辺りを見回し姑さんの畑の隅に植える。
畑には邪魔にならないだろうと思ったのだが
姑さんはあまり良い顔をしなかったのを今でもよく憶えている。
歳月を経て小さな苗は立派な木となり毎年花を咲かせてくれた。
伯父は20年程前に亡くなったがまるで形見のように思っている。
誰かが刈らない限りは私の死後も咲き続けるだろう。

さあ月曜日と鼻息も荒く山里の職場に向かう朝だった。
例の良心市に「そら豆」が沢山並んでおり迷わずに買う。
塩茹でにして食べるのが好きで買わずにはいられなかった。
わくわくと嬉しくてならない。助手席のそら豆と一緒に出勤である。
義父は昨日また友人達に助けられ田植えを済ませたようだった。
最後の田植えは来月らしくしばらくは骨休みが出来そうである。
工場の仕事の段取りもしてくれてどれ程助かったことだろう。
しかし精神的なストレスだろうか同僚が胃痛を訴えていた。
あまりの忙しさに義父の指図を受けてパニックになったようだ。
早退させてやりたかったが義父の手前それが出来ない。
胃薬を飲ませ様子を見ていたが午後はかなり辛そうであった。
同僚に限らずマイペースが一番であるが思うようにはいかないものである。
来客があったが3時に退社。後のことは義父に任せた。
エアコンの修理が2台。今年も「エアコン祭り」が始まったようである。
こればかりは義父の専門でお神輿を担いでもらわなければならない。
4時に帰宅。夫と大相撲を観るのが楽しみであった。
大の里が9連勝。このまま一気に横綱になって欲しいものだ。
しかしまだ24歳の若さである。どれ程のプレッシャーかと気遣う。
明日はあしたの風が吹くらしいが私はいつだって心細い。
明日は特に大口の支払いがありどうなることやらと頭を悩ませている。
なるようになるらしいがいったいどんな結果が待っているのだろう。
まるで追い詰められた「崖っぷちの豚」のようである。
ぶーぶー泣き叫んでも誰も助けてはくれないのだ。
そうなればもう立ち向かうしかない。豚の腕の見せ所である。
筋肉だか脂肪だか見分けはつかない腕だが私はけっこう逞しい。
※以下今朝の詩
糸
強くなったり弱くなったり かつては真綿だったらしい
縒り続けていれば糸になり いまわたしの手元にある
陽に当ててみたり 水に濡らしてみたり 試行錯誤を繰り返せば よほど堪えるのだろう 切れてしまいそうになる
息を吹きかけてみる 指先でなぞるように その存在を確かめる
些細なことなのだろう どれほど大切にしても 弱くなれば途方に暮れ 強くなれば希望になる
どんよりとした曇り日。まるで梅雨入りしたかのような蒸し暑さだった。
少し動いただけで不快な汗が流れる。もう我慢が出来なくなり
とうとう扇風機を引っ張り出し暑さを凌いだ。
その扇風機の何と汚いことだろう。昨年洗わずに仕舞ってあったのだ。
面倒であったが各部を分解し水洗いをすれば綺麗に快適となる。
昨夜も蒸し暑く寝苦しかったので掛布団を夏用にした。
真夏になればエアコンを点けっぱなしにして寝るのだが
さすがにまだ早く布団で調整した方が良さそうだ。
5月も後半になったが本格的な夏となればどれほどの暑さだろうか。
冬の間は寒さに耐えたが果たしてこの夏を耐えられるのかと思う。

歳のせいか最近食べ物の好みが変わり無性にらっきょうが食べたい。
それとご飯である。今朝も大盛のご飯をがつがつと食べた。
昨日はJAの直販所へ行き「洗いらっきょう」を2キロ買って来る。
簡単にらっきょう酢で漬けたのだが早く食べたくてたまらない。
最短でも3日は必要らしいが我慢出来ずに少し味見をしてみた。
しかしやはりまだ早かったようであまり美味しいとは云えない。
あと2日の辛抱である。ご飯が3杯くらい食べられそうだ。
そんな有り様なので当然のように太り続けている。
しばらく会わなかった人には別人のように見えるらしい。
そうして醜態をさらけ出しているのだが自分では気にしていなかった。
70歳が近くなりガリガリに痩せているよりずっと良いと思う。
おかげでムチムチとしており皴も目立たないのである。
週末は殆ど寝ていることが多いが今日は例外だった。
昨日寝過ぎたせいもあるが横になっても眠くならなかったのだ。
午後は夫とテレビを見て過ごす。2時にはもう大相撲中継が始まっていた。
明日からはまた仕事なので身体慣らしになったことだろう。
仕事のことは忘れているようでやはり気になっているようだ。
また山あり谷ありの日々が待っている。一歩でも前へ進もうと思う。
あと10年である。今まで見えなかったゴールが見えて来たのだ。
くたばるわけにはいかない。倒れるわけにはいかない。
※以下今朝の詩
平行線
ひとつであること ふたつであること
転がしたり並べたりしているが たったひとつきりにはなれない
かと云って捨てることは出来ず 欲張りなおんなの姿が見える
これ以上でも これ以下でもない
失ってしまえば空っぽになる
花が散れば種を残すが 朽ちたままの花もある
どちらの生き方も尊く 花であることに違いない
交わることのない道を ひたすらに歩き続ける 辿り着けば救われるだろう
たったひとつきりになりたい
小雨が降ったり止んだり。気温はそう高くなかったが蒸し暑さを感じる。
昨日は九州南部が梅雨入りとのこと四国も直ぐに後を追うだろう。
梅雨もなくてはならず日本はそうして水に恵まれているのだそうだ。
豪雨の被害も多いが耐え忍ばねばならないのだろう。
梅雨と云えば紫陽花の季節だが花芽が見え始めたようだ。
あと2週間もすれば色づくことだろう。楽しみなことである。
蒸し暑さのせいか不快な程に汗が流れる。
まだ扇風機も出しておらずひたすら耐えた一日だった。
カーブスではエアコンに加え扇風機も回っていたが汗が止まらない。
脂肪が燃えているとは思えず太った体を持て余していた。
あと10年は続けたい。いやもっと90歳までと思う。
そうして少しでも体力を維持出来たらと願うばかりであった。
死んでしまえばそれまでだが生きている限りのことだ。
昼食にはローソンの「冷やし中華」を食べた。
夏ならではのことで美味しさに心が浮き立つ。
夫はビールを。私はノンアルビールを飲む。
午後はお決まりの昼寝であったが今日も寝過ぎてしまった。
4時に目覚め自室でアイスコーヒーを飲み煙草を吸う。
こんこんと咳が止まらなくなる。それでも吸わずにはいられない。
何と不健康なことだろうと我ながら嫌気が差していた。
自分では自制出来ない。立派な「依存症」だと思う。
娘達は夕食不要とのこと。夫と大相撲を観ながら焼き肉を食べた。
先日の残り物であったがまるで冷凍室の「宝物」である。
二人きりだと楽だなと夫と顔を見合わせながら喜んでいた。
風の強い一日だったが夜風はぴたっと静まっている。
雨は止んでいて明日は少し陽射しがあるようだった。
また怠惰に過ごすしかないだろう。それも良しと思う。
詩も短歌も平行線を辿っていてこれ以上もこれ以下もない。
ずば抜けてなどいないのだ。それは愚かなあがきにも等しい。
けれどもあがけるうちが花だろう。枯れてしまえばもうお終いである。
あがいて結果を出す。その結果こそが私の「いのち」なのだと思う。
※以下今朝の詩
五月雨
雨混じりの風が吹いている 窓を開ければ生暖かい声が まるで噂話をしているよう
ねえねえ知っている? ううん知りたくはないの
初夏の花が枯れたこと 沢山の種を残したこと やがては真夏の花が咲くこと
本当は知りたかったのだ ほんの少しの希望がある けれども私なんかにと思う
惨めであってはならない 誰にも等しく季節は巡る
降り注いではくれまいか 私は濡れてみたかった 真夏の花になるために
| 2025年05月16日(金) |
花が散れば実にもなる |
曇り日。気温は24℃と過ごし易い一日だった。
今夜遅くには雨になるらしい。
辺りの山々を黄な粉色に染めていた椎の花が見えなくなった。
おそらく散ってしまったのだろう。山の緑がいっそう濃くなる。
椎の実が成るのは秋だがきっと沢山の実がなることだろう。
子供の頃には椎の実を炒って食べたことも懐かしい。
花はアマリリスが盛り。これも子供の頃から見慣れた初夏の花である。
大金鶏菊は黄色の可愛らしい花だが特定外来植物に指定されており
絶滅を目指し駆除対象の花であった。繁殖力がとても強いのだそうだ。
これは子供の頃には見かけなかった花でいつ頃日本に来たのだろう。
花には罪はないが駆除専門の業者まであると聞きおどろく。
無残に思われるが日本の植物を守るためには仕方ないことであった。

義父は高知市で会合があり8時半には既に出掛けていた。
帰りは夜になるだろう。一気に肩の力が抜ける。
同僚も同じくで何となくのほほんとして見えた。
水道の蛇口をひねればちゃんと水が出る。
さすが義父だなと思った。昨日のうちに直してくれたのだ。
やる時はとことんやる。そんな義父を尊敬せずにはいられない。
今月は決算月なので帳簿の記帳をしていたのだが
4月分の帳尻が会わず頭を悩ませていた。
それも「現金」である。確かにゼロだったのに残高があまりにも多い。
使途不明金にするには納得が行かずきっと大きなミスがあるのだろう。
長年経理をやって来たがこんなことは初めてであった。
あれこれと考えていたが頭がパニックになりもう嫌になってしまう。
例の如くで同僚に「嫌になったけん帰る」と告げ逃げるように帰って来た。
3時半には帰宅していたが大相撲を観ながら寝てしまったようだ。
ごうごうと大きな鼾をかいていたらしく夫は呆れ返っていた。
精も根も尽き果てるとはこのことだろう。疲れには勝てなくなった。
いやしかし後10年である。一気に自信が無くなってしまいそうだ。
「やれば出来る」らしいがそもそも「やる」気力に乏しい。
仕事に一生を捧げるほどの大志も抱けなかった。
そうなればもう「なるようになるだろう」と客観的に考えるしかない。
私は何になるのだろうかと途方に暮れるばかりであった。
花が散れば実にもなるが私の実はほんの一粒かもしれない。
※以下今朝の詩
夜明け
夜風が朝風に変わる頃 闇の中から声が聴こえる
おいでおいでこっちへおいで
まさかあの世ではあるまい 私は息を確かめている
あたらしくなりたかった 老いた身にも花を添える 初夏の花は凛々と咲き 健気に風に吹かれている
闇を追いやるように夜が明ける 心細くてならなかったいのちが 息を紡ぎ始めているようだった
おいでおいでこっちへおいで
耳を塞げばただ風になるばかり 始まりはいつもそうである どれほどあたらしくなったことか
今日も27℃の夏日。風が無かったせいか蒸し暑さを感じる。
お天気は下り坂のようで明日の夜から週末にかけて雨になりそうだ。
花屋さんの店頭に半額の紫陽花が並んでいた。
おそらく母の日の売れ残りだと思われるが
半額でも1500円とそう安くはない。
しかも花はすっかり枯れており憐れな姿である。
花屋さんがどうしてそれを売ろうとするのか分からなかった。
ハウス栽培で一足早く咲かせた花なのだろう。
紫陽花の気持ちになれば決して嬉しくはないはずである。
やはりその季節に相応しい花であるべきだと思う。
もし買い求める人がいるのなら花を剪定し地に植えてやって欲しい。
もしかしたら来年には違う色の花を咲かせるかもしれない。

工場の水道は地下水を利用しているのだが昨日から断水になっている。
ポンプのスイッチが壊れているらしく義父が直してくれていた。
それが思いのほか手間が掛かりお昼を過ぎても直らない。
器用な義父も苦労しながら必死の思いで取り組んでいた。
同僚は厄介な大型車の修理に集中していたのだが
整備士魂が燃えるどころか火も点かないくらい面倒な様子である。
「もう嫌になった」と嘆くのを宥めながら応援するしかない。
最終的には義父の手助けが必要に思うがしばらく様子見であった。
出来ないでは済まされないのだ。何としても直さねばならない。
午後、内科と整形外科に行かねばならず1時半に早退する。
内科は2ヶ月ごとに薬を処方してもらっているのだが
主治医は不在で私とはとことん相性の悪い若い医師との面談だった。
ほんの数十秒の面談でろくに話をしようともしない。
不信感がつのるばかりで逃げるように薬局へ行った。
薬の種類が多いせいか7千円弱の痛い出費である。
70歳になれば医療費が安くなるらしく早く70歳になりたいと思う。
整形外科は予約時間よりも1時間も早かったが
いつもより随分と空いていて早めに診察を受けることが出来た。
医師の判断で血液検査もすることになり採血をする。
ドロドロどころかさらさらの綺麗な血だった。
結果は3週間後の診察日だが白血球の数値が少し気になっていた。
診察後はリハビリでU君の魔法の手で随分と楽になった。
医師に診断書を書いてもらっていたのでその足で福祉事務所へ行く。
「高知あったかパーキング」の利用証を交付して貰うためだった。
その利用証を掲示すれば病院等の専用駐車場に停めることが出来る。
私のような軽度の身障者が利用するのは心苦しくもあるが
僅か30メートルの距離も歩けないのだ。仕方あるまいと思う。
帰宅が遅くなる予定だったので娘に夕食の買い物を頼んでいた。
思ったよりも早く4時に帰宅したが娘がカレーを作ってくれていた。
それが何と美味しいことだろう。顎が落ちるほどであった。
これからもずっと娘が仕事をせずにいてくれたらと願わずにいられない。
ある日突然に「明日から仕事行くけん」と告げられたらどん底である。
娘は何も話してはくれなかった。特に急いている様子も見えない。
けれども覚悟はしておくべきだろう。そうそう楽も出来ないと思う。
カレーをお代わりして二皿食べた。お腹が幸せでいっぱいになる。
※以下今朝の詩
残影
月を見ているのではなく 月が私を見ているのだ
逃げも隠れも出来ない もう曝け出すしかない
うつくしくありたいが みにくさがしはいしている
澄んでなどいないのだ どれほどあがいても 真っ当にはなれない
けれどもひとつきりの いのちを守らねばならない
移ろう季節の真っ只中で 花として咲ければと願う 救われる瞬間がきっとある
月は見ることを諦めない
見届けてくれるだろうか 私が枯れて朽ちるその日を
最高気温が26℃となり連日の夏日となった。
幸い湿度が低いのだろう蒸し暑さはなく過ごし易い一日なる。
大きな木に薄紫の花がたわわに咲いているのは栴檀の木であった。
昨年までは職場の庭にもあったのだが伐採されて今はもうない。
好きな花だけに毎年楽しみにしていたので寂しくてならなかった。
隣家の若い住人には目障りだったのだろうか。
やまももの木と同じく伐採を申し出て来たのだった。
義父は逆らうことをしなかったが母ならばきっと反対しただろう。
私は何も云えなかったがあっけなく伐られ残念でならない。
鳥たちの声も聴こえなくなり「止まり木」を失ってしまったのだ。

田んぼが一段落した義父が工場に居てくれて随分と助かる。
仕事の段取りもやはり社長自らでなければいけない。
同僚は少し緊張しているように見えたが張り合いはあるだろう。
私も同じくで肩の力を抜くことが出来なかった。
午後は事務所で久しぶりにゆっくりと話すことが出来た。
会社の経営難のことも話せば少しでも気が楽になる。
義父は農業の莫大な経費のことを嘆いていた。
会社も困窮しており助けてやることも出来ない。
宝くじなど絶対に叶うはずのない夢である。
驚いたのは義父の考えでは後10年なのだそうだ。
会社も農業も続けると云い張り私は気が遠くなってしまった。
義父は92歳、私は79歳、同僚は72歳になってしまう。
命も心細いのにどうしてそれほど続けられるだろうかと思った。
しかし「やるっきゃない」の義父である。
精神力の強さは並大抵ではなかった。
命がけで貫こうとする強い意志が感じられる。
そんな義父をどうして見捨てられようかと思った。
誰一人欠けてはならない会社である。
難破船ならきっと辿り着く島があるのではないだろうか。
途方に暮れてはならない。強く逞しく生きていかねばならない。
その傍らで「死」はどんどん身近になっていくだろう。
覚悟を決めなければと思う。それは嘗てなかったような大きな山だった。
79歳の自分が想像出来ない。生きている保証も在りはしないのだ。
今日ほど生きたいと思ったことはない。
義父を残してどうして先に逝けようか。
※以下今朝の詩
信念
真っ直ぐに貫いている 折れることもあれば 倒れることもあった
茎には紅い血が流れ 花には蜜があふれる 葉は風に揺れるばかり
いったい何のためにと 生きる意味を問うている 永遠など在り得ないのに 儚さを糧にしようとした
命がけで貫いている 最期は燃え尽きるのか
誇る程の花ではないが 野辺の片隅で生きている
生きた証を残さねばならない
黄砂だろうか少し霞みがかった空であったが気温が高くなり
27℃の夏日となった。もうすっかり初夏の陽気である。
今朝はいつものように4時に起床し窓の外を見ておどろく。
何と燃えているように紅い月が見えていた。
川向の山の上である。まさに沈もうとしていたのだろう。
後から知ったのだが「フラワームーン」と名付けれた満月だったようだ。
午前1時45分に満月になったのだそうだ。
久しく月を見ることはなかったが何と幻想的な月だったことだろう。
満月の頃は大潮である。潮が引けば誰かが死に
潮が満ちれば誰かが生まれると云われている。
引力と人の命は深い関りがあるようだ。

田んぼの代掻きが一段落したそうで珍しく義父が居た。
次は田植えだが来週あたりに予定しているようである。
今はまだ早稲で全ての田植えが終わるのは来月らしい。
米作りの苦労は大きく気が遠くなりそうであった。
年始からの怪我に加え二度の入院と重なりどれほど焦ったことだろう。
けれどもその強靭な精神力には誰も敵わないと思う。
午前中にオーストラリアから移住して来ているコナン君が来てくれた。
先日初めての赤ちゃんが生まれたのだが心臓に欠陥があったのだそうだ。
生後10日で手術のため岡山の病院へ向かい大きな心配であった。
幸い手術は成功したが2か月の入院が必要とのこと。
コナン君は仕事があり後ろ髪を引かれるように帰って来たらしい。
片言の日本語で「ダイジョウブ」と告げるのが精一杯である。
赤ちゃんは女の子で名前は「ニーナちゃん」だった。
どんなにか可愛らしいことだろう。早く会いたくてならない。
奥さんの車の修理を頼まれていたのだが直り次第に売却するとのこと。
余程暮らしに困っている様子が窺え可哀想でならなかった。
村の行政で助けてやれないものだろうかと願うばかりである。
若い二人がどうして山里に移住して来たのかは分からないが
縁あってこそである。どこか故郷に似ているのかもしれなかった。
満月の夜であるが窓からは見えない。
明日の夜明け前にはまた紅い月が見えることだろう。
潮は大きく引きそうしてひたひたと満ちていく。
「いのち」が揺らぐ。決して失ってはならないと強く思う。
お月さん桃色誰が云うた 海女が云うた 海女の口を引き裂け
高知県西部に古くから伝わる歌である。
※以下今朝の詩
紅い月
川向の山に落ちようとする 燃えているように紅い月だ
川面には火が灯る 魚達も目を覚まし 潮に身をまかせる
夜風が朝風に変わる頃 一筋の光が降りそそぐ 陽に押しやられるように 落ちていかねばならない
哀しみはそうして消える もう誰も苦しみはしない
夜が明けようとしている とうとう月は落ちてしまった
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