ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月15日(木) お腹の幸せ

今日も27℃の夏日。風が無かったせいか蒸し暑さを感じる。

お天気は下り坂のようで明日の夜から週末にかけて雨になりそうだ。


花屋さんの店頭に半額の紫陽花が並んでいた。

おそらく母の日の売れ残りだと思われるが

半額でも1500円とそう安くはない。

しかも花はすっかり枯れており憐れな姿である。

花屋さんがどうしてそれを売ろうとするのか分からなかった。

ハウス栽培で一足早く咲かせた花なのだろう。

紫陽花の気持ちになれば決して嬉しくはないはずである。

やはりその季節に相応しい花であるべきだと思う。

もし買い求める人がいるのなら花を剪定し地に植えてやって欲しい。

もしかしたら来年には違う色の花を咲かせるかもしれない。




工場の水道は地下水を利用しているのだが昨日から断水になっている。

ポンプのスイッチが壊れているらしく義父が直してくれていた。

それが思いのほか手間が掛かりお昼を過ぎても直らない。

器用な義父も苦労しながら必死の思いで取り組んでいた。


同僚は厄介な大型車の修理に集中していたのだが

整備士魂が燃えるどころか火も点かないくらい面倒な様子である。

「もう嫌になった」と嘆くのを宥めながら応援するしかない。

最終的には義父の手助けが必要に思うがしばらく様子見であった。

出来ないでは済まされないのだ。何としても直さねばならない。



午後、内科と整形外科に行かねばならず1時半に早退する。

内科は2ヶ月ごとに薬を処方してもらっているのだが

主治医は不在で私とはとことん相性の悪い若い医師との面談だった。

ほんの数十秒の面談でろくに話をしようともしない。

不信感がつのるばかりで逃げるように薬局へ行った。

薬の種類が多いせいか7千円弱の痛い出費である。

70歳になれば医療費が安くなるらしく早く70歳になりたいと思う。


整形外科は予約時間よりも1時間も早かったが

いつもより随分と空いていて早めに診察を受けることが出来た。

医師の判断で血液検査もすることになり採血をする。

ドロドロどころかさらさらの綺麗な血だった。

結果は3週間後の診察日だが白血球の数値が少し気になっていた。

診察後はリハビリでU君の魔法の手で随分と楽になった。


医師に診断書を書いてもらっていたのでその足で福祉事務所へ行く。

「高知あったかパーキング」の利用証を交付して貰うためだった。

その利用証を掲示すれば病院等の専用駐車場に停めることが出来る。

私のような軽度の身障者が利用するのは心苦しくもあるが

僅か30メートルの距離も歩けないのだ。仕方あるまいと思う。


帰宅が遅くなる予定だったので娘に夕食の買い物を頼んでいた。

思ったよりも早く4時に帰宅したが娘がカレーを作ってくれていた。

それが何と美味しいことだろう。顎が落ちるほどであった。

これからもずっと娘が仕事をせずにいてくれたらと願わずにいられない。

ある日突然に「明日から仕事行くけん」と告げられたらどん底である。


娘は何も話してはくれなかった。特に急いている様子も見えない。

けれども覚悟はしておくべきだろう。そうそう楽も出来ないと思う。


カレーをお代わりして二皿食べた。お腹が幸せでいっぱいになる。



※以下今朝の詩


           残影

      月を見ているのではなく
      月が私を見ているのだ

      逃げも隠れも出来ない
      もう曝け出すしかない

      うつくしくありたいが
      みにくさがしはいしている

      澄んでなどいないのだ
      どれほどあがいても
      真っ当にはなれない

      けれどもひとつきりの
      いのちを守らねばならない

      移ろう季節の真っ只中で
      花として咲ければと願う
      救われる瞬間がきっとある

      月は見ることを諦めない

      見届けてくれるだろうか
      私が枯れて朽ちるその日を



2025年05月14日(水) 10年の未来

最高気温が26℃となり連日の夏日となった。

幸い湿度が低いのだろう蒸し暑さはなく過ごし易い一日なる。


大きな木に薄紫の花がたわわに咲いているのは栴檀の木であった。

昨年までは職場の庭にもあったのだが伐採されて今はもうない。

好きな花だけに毎年楽しみにしていたので寂しくてならなかった。

隣家の若い住人には目障りだったのだろうか。

やまももの木と同じく伐採を申し出て来たのだった。

義父は逆らうことをしなかったが母ならばきっと反対しただろう。

私は何も云えなかったがあっけなく伐られ残念でならない。

鳥たちの声も聴こえなくなり「止まり木」を失ってしまったのだ。





田んぼが一段落した義父が工場に居てくれて随分と助かる。

仕事の段取りもやはり社長自らでなければいけない。

同僚は少し緊張しているように見えたが張り合いはあるだろう。

私も同じくで肩の力を抜くことが出来なかった。


午後は事務所で久しぶりにゆっくりと話すことが出来た。

会社の経営難のことも話せば少しでも気が楽になる。

義父は農業の莫大な経費のことを嘆いていた。

会社も困窮しており助けてやることも出来ない。

宝くじなど絶対に叶うはずのない夢である。


驚いたのは義父の考えでは後10年なのだそうだ。

会社も農業も続けると云い張り私は気が遠くなってしまった。

義父は92歳、私は79歳、同僚は72歳になってしまう。

命も心細いのにどうしてそれほど続けられるだろうかと思った。

しかし「やるっきゃない」の義父である。

精神力の強さは並大抵ではなかった。

命がけで貫こうとする強い意志が感じられる。

そんな義父をどうして見捨てられようかと思った。

誰一人欠けてはならない会社である。

難破船ならきっと辿り着く島があるのではないだろうか。


途方に暮れてはならない。強く逞しく生きていかねばならない。

その傍らで「死」はどんどん身近になっていくだろう。


覚悟を決めなければと思う。それは嘗てなかったような大きな山だった。

79歳の自分が想像出来ない。生きている保証も在りはしないのだ。

今日ほど生きたいと思ったことはない。

義父を残してどうして先に逝けようか。


※以下今朝の詩


         信念

     真っ直ぐに貫いている
     折れることもあれば
     倒れることもあった

     茎には紅い血が流れ
     花には蜜があふれる
     葉は風に揺れるばかり

     いったい何のためにと
     生きる意味を問うている
     永遠など在り得ないのに
     儚さを糧にしようとした

     命がけで貫いている
     最期は燃え尽きるのか

     誇る程の花ではないが
     野辺の片隅で生きている

     生きた証を残さねばならない




2025年05月13日(火) お月さん桃色

黄砂だろうか少し霞みがかった空であったが気温が高くなり

27℃の夏日となった。もうすっかり初夏の陽気である。


今朝はいつものように4時に起床し窓の外を見ておどろく。

何と燃えているように紅い月が見えていた。

川向の山の上である。まさに沈もうとしていたのだろう。

後から知ったのだが「フラワームーン」と名付けれた満月だったようだ。

午前1時45分に満月になったのだそうだ。

久しく月を見ることはなかったが何と幻想的な月だったことだろう。


満月の頃は大潮である。潮が引けば誰かが死に

潮が満ちれば誰かが生まれると云われている。

引力と人の命は深い関りがあるようだ。




田んぼの代掻きが一段落したそうで珍しく義父が居た。

次は田植えだが来週あたりに予定しているようである。

今はまだ早稲で全ての田植えが終わるのは来月らしい。

米作りの苦労は大きく気が遠くなりそうであった。

年始からの怪我に加え二度の入院と重なりどれほど焦ったことだろう。

けれどもその強靭な精神力には誰も敵わないと思う。



午前中にオーストラリアから移住して来ているコナン君が来てくれた。

先日初めての赤ちゃんが生まれたのだが心臓に欠陥があったのだそうだ。

生後10日で手術のため岡山の病院へ向かい大きな心配であった。

幸い手術は成功したが2か月の入院が必要とのこと。

コナン君は仕事があり後ろ髪を引かれるように帰って来たらしい。

片言の日本語で「ダイジョウブ」と告げるのが精一杯である。

赤ちゃんは女の子で名前は「ニーナちゃん」だった。

どんなにか可愛らしいことだろう。早く会いたくてならない。


奥さんの車の修理を頼まれていたのだが直り次第に売却するとのこと。

余程暮らしに困っている様子が窺え可哀想でならなかった。

村の行政で助けてやれないものだろうかと願うばかりである。

若い二人がどうして山里に移住して来たのかは分からないが

縁あってこそである。どこか故郷に似ているのかもしれなかった。



満月の夜であるが窓からは見えない。

明日の夜明け前にはまた紅い月が見えることだろう。

潮は大きく引きそうしてひたひたと満ちていく。

「いのち」が揺らぐ。決して失ってはならないと強く思う。


お月さん桃色誰が云うた 海女が云うた 海女の口を引き裂け

高知県西部に古くから伝わる歌である。




※以下今朝の詩


         紅い月

    川向の山に落ちようとする
    燃えているように紅い月だ

    川面には火が灯る
    魚達も目を覚まし
    潮に身をまかせる

    夜風が朝風に変わる頃
    一筋の光が降りそそぐ
    陽に押しやられるように
    落ちていかねばならない

    哀しみはそうして消える
    もう誰も苦しみはしない

    夜が明けようとしている
    とうとう月は落ちてしまった








2025年05月12日(月) あざみ嬢のララバイ

朝のうちは曇っていたが次第に青空が見え始める。

日中は25℃の夏日となり陽射しが眩しい。

けれども爽やかな風のおかげで過ごし易い一日となった。


朝の山道の楽しみが増え野ばら、野あざみ、ウマノアシガタと咲く。

どれも野生の花たちでひっそりと咲いているのが好きだ。

特に野ばらの純白は清らかな乙女の風情で心がときめく。

野ばらと野あざみには棘がありウマノアシガタには毒がある。

そうして身を守り続けて来たのだろう。何と健気なことか。

もし野の花になれるのなら私は野あざみかもしれない。

花が終われば綿毛になり旅をするのも楽しみである。




さあ月曜日と気ばかり急いて職場に着いたが

義父は既に田んぼに出掛けておりもぬけの殻である。

車検の予約が入っており同僚と段取りをした。

先週からの大型車の修理がまだ終わっておらず

同僚はいささかご機嫌斜めであったが車検を優先しなければいけない。

その上に飛び込みのオイル交換が2台もあり増々機嫌が悪くなる。

私が口やかましく指図をするのも気に入らない様子であった。

けれども仕事をして「なんぼ」なのが商売ではないだろうか。

同僚は真面目だが時々投げ遣りになることがあり私は途方に暮れる。


車検整備が完了したのを見届けて3時に退社した。

後は義父次第だが昼食も食べずに頑張っているのだろう。

無責任と云ってしまえばそれまでだが思うようにはいかないものだ。

明日も明後日も車検の予約が入っている。さてどうしましょうか。


買い物を済ませ4時に帰宅したら夫は大相撲に夢中であった。

お風呂に入る時間も惜しみカラスの行水である。

娘と夕飯の支度をしていれば「おい、時間いっぱいだぞ」と叫ぶ。

注目の大の里と高安の取り組みであった。

一緒に見ないと機嫌を損ねるので炊事の手を止めて見入る。

大の里が勝てば大喝采である。ビールをごくごくと飲み干す夫であった。

晩酌はしているがまるで子供のようである。

夫の一番の楽しみなのだろう。それも微笑ましい姿だった。

夫の好きなことに興味を示す。それが夫婦円満の秘訣ではないだろうか。

男は単純だがその単純さが可愛らしいものである。


この日記を書き始めた時には茜色の空だったが

一時間もすればもう真っ暗闇の夜である。

星を見上げることもしなくなったがきっと輝いているのだろう。


ささやかな日課であった。書かずには眠ることも出来ない。

今日はSNSで詩人の紗野玲空さんと話すことが出来て嬉しかった。

「雑草という名の草花はありません」と云ってくれたのだ。

どれほど救われたことだろうか。私にも名があるのだと思った。


※以下今朝の詩


          夏草

       花園の雑草は刈られ
       毒を撒かれることもある

       若い緑であった
       陽を浴びて輝く
       背伸びなどせず
       等身大で生きる

       名はあるのだが
       夏草と呼ばれた
       生い茂ればもう
       真夏にもなろう

       うつくしい花達
       自信にあふれた
       その姿を見れば
       惨めにもなるが
       嘆くことはない

       在りのままを貫く
       刈られても残る根

       その根こそが命である



2025年05月11日(日) 夢で会いましょう

午後から雨の予報だったが思いがけずに晴れていた。

夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。


昨夜は母の夢を。内容はよく憶えていないが確かに母だった。

生きているのだ。私は未だに母の死が信じられずにいる。

今日も3時間ほど寝てしまったがまた母の夢を見た。

見たと云うより会ったのだ。その声が今も耳に残っている。

私は黒い服を着ており母になじられていた。

その母に私は食って掛かり憎々しく暴言を吐いているのだった。

ああまただと思う。どうしてもっと優しく出来ないのだろう。


「母の日」が頭から離れないのだった。

少女の頃から無くなれば良いとどれほど思ったことだろう。

それは母と再会した二十歳の頃も変わりはしなかった。



嫁いでからもう一人母が出来たが

貧しい暮らしをしており姑さんに何かを贈るのが苦しかった。

それでも何もしないわけにはいかずほんの気持ちを届ける。

感謝の気持ちなど微塵も無く義理を通すことしか頭になかった。

今思えば夫を産んでくれた人である。もっと感謝すべきだったのだ。


粗末な菓子折りを届けに行けば玄関に立派な胡蝶蘭が置いてある。

義弟のお嫁さんからの贈り物である。大きな引け目を感じずにいられない。

どうして「母の日」などあるのだろうとその時も思った。



我が家はひっそりとしており「母の日」など無縁に思っていたのだが

この日記を書き始めた頃、娘がショートケーキを持って来てくれた。

「ほれ母の日ぜ」と娘らしい一言が何とも嬉しくてならない。

甘さを控えた苺のショートケーキだった。いかん目頭が熱くなるやんか。

ゲンキンなもので「母の日」も好いものだなと思う。

母にも姑さんにも申し訳ないが私は恵まれているのだろう。


過ぎた日は変わらず心に残り続けているが

恨んではならず嘆いてもいけない。

私がこうして生きていられるのは誰よりも母のおかげだと思う。


※以下今朝の詩


           母の日

        母に会う
        夢だとは思えないほど
        母は生きていた

        どうして「母の日」があるのか
        13歳の少女には恨めしく
        何と寂しい日だったことか
        いっそ死んでしまえばいいと
        突き放すことしか出来なかった

        歳月は流れるばかり
        幾つもの季節を乗り越え
        もう何度目の夏だろうか

        本当に母は死んでしまった
        私がコロシテシマッタのか
        心の底から赦すことをせず
        母も詫びることをしなかった

        母はどうしようもなく女だったのか
        子を捨ててまで貫いた人生である

        母の日は辛く寂しい
        なのにどうしてこんなにも
        母が恋しいのだろうか



2025年05月10日(土) 雨がやんだら

雨上がりの朝であったが思うようには晴れず

曇り空のまま一日が暮れようとしている。

夕風の何と心地良いことだろう。

まるで風が歌っているようである。


朝のうちはカーブスへ行っていたがその後は寝てばかり。

今日も4時間の昼寝で我ながら呆れ返っている。

読みかけの詩集や歌集が沢山あるのだが開こうともしない。

とにかく自室に籠ってしまうと煙草ばかり吸ってしまうのだった。

寝ていれば吸わなくて済む。何と云うご都合主義だろうか。

ふとこのまま死んでいくのだろうかと思う。

死んでしまえばもう二度と目を覚ますことはない。



夕飯は奮発してステーキにしたがポイントが貯まっていたので助かる。

四国電力の「よんでんポイント」は他社のポイントに還元出来るので

サニーマートのポイントに振り替えていた。2千ポイントは大きい。

2千円分の買い物が出来るとなれば当然のように太っ腹になる。


夫や娘達が「今日は何事ぞ」と驚いたのは云うまでもない。

母の日の前夜祭とでも云えば良かったのだろうか。


母の日と云えばサニーマートは花盛りであった。

花屋さんはもちろんのこと店頭にもずらりと花鉢が並んでいた。

カーネーションが主流だがミニ薔薇や紫陽花もあり心が躍る。

私は全く期待していないが贈られたらどんなにか嬉しいことだろう。


息子が高校生の頃のことだが親友のS君がミニ薔薇を贈ってくれたことがある。

S君は幼い頃に母親を亡くしており父子家庭であった。

我が家で夕食を食べてから一泊して帰ることも多かったのだ。

「おばちゃんいっつも有難う」と何と嬉しかったことだろう。

私にとっては我が子同然だった。S君のことは一生忘れられない。

母親のいない子は大勢いる。「母の日」ほど寂しい日があるだろうか。



失ってしまえば二度と還らない。長く生きていれば生きるほどに

どれ程の大切なものを失ってしまうのだろうか。

失って初めてその大切さに気付くことだってある。

最後には自分の命であるがどうしようもなく儚い。

思い残すことがあってはならないがそれが叶うとは限らないのだ。

私などは特に全う出来ないことの多さに途方に暮れてしまう。

中途半端に生きて来た。その結果ではないだろうか。

今からでも遅くはないかもしれないが心細くてならない。


※以下今朝の詩


        雨がやんだら


      むかしむかしのこと
      雨がやんだらお別れなのね
      そんな歌があった
  
      多感な14歳の少女には
      どうして別れてしまうのか
      男とか女とかよく分からず
      けれども哀しい歌だなと思った

      雨がやんだら男は出て行く
      濡れたコートと濡れた体で
      そう約束していたのだろう
      女は黙って涙を呑んでいた

     「終わる」ことを知ったのは
      それから三年後のことだった
      恋の詩を書き綴ったノートは
      もう誰にも読んでもらえない

      雨がやんだら雲が遠ざかり
      切り絵のような青空が見える

      まるで天使のような陽射しが
      降り注ぐ瞬間を見たのだった






2025年05月09日(金) 雨の慕情

雨の一日。気温は上がらず春先のような肌寒さを感じる。

風も強くまるで嵐のようでもあった。

かなりまとまった雨となり水不足は解消されたようだ。

まだ水を張っていない田んぼにも十分に行き渡るだろう。


晴耕雨読とは行かず義父は今日も田んぼだった。

キャビン付きの中古トラクターを買ったので嬉しくてならず

出掛けた切りお昼になっても帰って来ない。

まるで子供の玩具である。面白くてたまらないようだ。

入院中のロスを挽回しようと躍起になっているのだが

いくら鉄人でも81歳の高齢であることを忘れてはならない。



事務仕事は午前中で一段落し午後は来客もなく暇を弄ぶ。

同僚は大型車の厄介な修理と格闘していたのだが

私が「もう嫌になったけん帰る」と告げれば

「俺も嫌になったけん帰りたい」と顔を見合わせ笑い合った。

「あなたも早く帰って来てね」「晩ご飯は何が食べたい?」と

冗談も程々にせずに愉快極まりない午後2時のことだった。


降りしきる雨の道をライトを点灯し走り抜ける。

何か温かい物が食べたい。そうだ豚汁にしようと思いつく。

メニューが決まると買い物も楽だが何と云うことでしょう。

肝心の豚肉を買い忘れたまま家に帰り着いてしまった。

近所の地場産店へ買いに行ったが肉類は全て売り切れていた。

何も買わずに帰るのも気が引けあんパンを買って帰る。

最近朝ドラの影響か無性にあんパンが食べたくなるのだった。


娘が冷凍庫の中を探してくれて何とか豚肉が見つかる。

おかげで予定通りに豚汁を作ることが出来た。

鰆の切り身も買っていたので塩焼きにしたら鰤にそっくりである。

脂がのっており鰤よりも美味しいくらいだった。


あやちゃんがその鰆を食べていた。鰆を食べるのは初めてである。

「あやちゃん、そのお魚美味しいろ?鰤みたいなね」と

うっかり口を滑らしてしまい娘に睨まれてしまう。

あやちゃんは好物の鰤だと思って食べていたのだそうだ。

機嫌を損ねるのではと思ったが「もう食べたけん」と笑ってくれた。

なんとほっとしたことだろう。鰆さまさまであった。


穏やかな夕暮れ時である。めいちゃんが窓の外を見て「まだ明るい」と。

いつの間にか随分と日が長くなったようだ。


雨は降り続いているが明日は晴れるらしい。

気温も高くなり夏日になる予報であった。

今日よりも10℃以上高くなり寒暖差が身に堪えそうだ。


今週は3日しか仕事がなく何となく物足らないが

休みとなればまた怠惰を貪ることになるだろう。

そうして生き永らえている。人生はまだまだこれからだと思う。


※以下今朝の詩


          声

     ひそひそと雨の声が聴こえる
     噂話だろうか悪口だろうか

     気にしない気にしない
     云いたい奴には云わせておけ

     崩れ落ちそうなのは心の壁
     どれほど精を尽くしても
     報われることはなかった

     季節は移ろい夏の色に染まる
     その扉の前に呆然と立つばかり

     相応しいとかそうでないとか
     どうして決めてしまうのだろう

     私は「わたし」であるべきなのだ
     胸を張り堂々と生きねばならない

     雨の声は夏の声である
     ずいぶんと生き永らえて来たようだ




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