最高気温が26℃となり連日の夏日となった。
幸い湿度が低いのだろう蒸し暑さはなく過ごし易い一日なる。
大きな木に薄紫の花がたわわに咲いているのは栴檀の木であった。
昨年までは職場の庭にもあったのだが伐採されて今はもうない。
好きな花だけに毎年楽しみにしていたので寂しくてならなかった。
隣家の若い住人には目障りだったのだろうか。
やまももの木と同じく伐採を申し出て来たのだった。
義父は逆らうことをしなかったが母ならばきっと反対しただろう。
私は何も云えなかったがあっけなく伐られ残念でならない。
鳥たちの声も聴こえなくなり「止まり木」を失ってしまったのだ。

田んぼが一段落した義父が工場に居てくれて随分と助かる。
仕事の段取りもやはり社長自らでなければいけない。
同僚は少し緊張しているように見えたが張り合いはあるだろう。
私も同じくで肩の力を抜くことが出来なかった。
午後は事務所で久しぶりにゆっくりと話すことが出来た。
会社の経営難のことも話せば少しでも気が楽になる。
義父は農業の莫大な経費のことを嘆いていた。
会社も困窮しており助けてやることも出来ない。
宝くじなど絶対に叶うはずのない夢である。
驚いたのは義父の考えでは後10年なのだそうだ。
会社も農業も続けると云い張り私は気が遠くなってしまった。
義父は92歳、私は79歳、同僚は72歳になってしまう。
命も心細いのにどうしてそれほど続けられるだろうかと思った。
しかし「やるっきゃない」の義父である。
精神力の強さは並大抵ではなかった。
命がけで貫こうとする強い意志が感じられる。
そんな義父をどうして見捨てられようかと思った。
誰一人欠けてはならない会社である。
難破船ならきっと辿り着く島があるのではないだろうか。
途方に暮れてはならない。強く逞しく生きていかねばならない。
その傍らで「死」はどんどん身近になっていくだろう。
覚悟を決めなければと思う。それは嘗てなかったような大きな山だった。
79歳の自分が想像出来ない。生きている保証も在りはしないのだ。
今日ほど生きたいと思ったことはない。
義父を残してどうして先に逝けようか。
※以下今朝の詩
信念
真っ直ぐに貫いている 折れることもあれば 倒れることもあった
茎には紅い血が流れ 花には蜜があふれる 葉は風に揺れるばかり
いったい何のためにと 生きる意味を問うている 永遠など在り得ないのに 儚さを糧にしようとした
命がけで貫いている 最期は燃え尽きるのか
誇る程の花ではないが 野辺の片隅で生きている
生きた証を残さねばならない
黄砂だろうか少し霞みがかった空であったが気温が高くなり
27℃の夏日となった。もうすっかり初夏の陽気である。
今朝はいつものように4時に起床し窓の外を見ておどろく。
何と燃えているように紅い月が見えていた。
川向の山の上である。まさに沈もうとしていたのだろう。
後から知ったのだが「フラワームーン」と名付けれた満月だったようだ。
午前1時45分に満月になったのだそうだ。
久しく月を見ることはなかったが何と幻想的な月だったことだろう。
満月の頃は大潮である。潮が引けば誰かが死に
潮が満ちれば誰かが生まれると云われている。
引力と人の命は深い関りがあるようだ。

田んぼの代掻きが一段落したそうで珍しく義父が居た。
次は田植えだが来週あたりに予定しているようである。
今はまだ早稲で全ての田植えが終わるのは来月らしい。
米作りの苦労は大きく気が遠くなりそうであった。
年始からの怪我に加え二度の入院と重なりどれほど焦ったことだろう。
けれどもその強靭な精神力には誰も敵わないと思う。
午前中にオーストラリアから移住して来ているコナン君が来てくれた。
先日初めての赤ちゃんが生まれたのだが心臓に欠陥があったのだそうだ。
生後10日で手術のため岡山の病院へ向かい大きな心配であった。
幸い手術は成功したが2か月の入院が必要とのこと。
コナン君は仕事があり後ろ髪を引かれるように帰って来たらしい。
片言の日本語で「ダイジョウブ」と告げるのが精一杯である。
赤ちゃんは女の子で名前は「ニーナちゃん」だった。
どんなにか可愛らしいことだろう。早く会いたくてならない。
奥さんの車の修理を頼まれていたのだが直り次第に売却するとのこと。
余程暮らしに困っている様子が窺え可哀想でならなかった。
村の行政で助けてやれないものだろうかと願うばかりである。
若い二人がどうして山里に移住して来たのかは分からないが
縁あってこそである。どこか故郷に似ているのかもしれなかった。
満月の夜であるが窓からは見えない。
明日の夜明け前にはまた紅い月が見えることだろう。
潮は大きく引きそうしてひたひたと満ちていく。
「いのち」が揺らぐ。決して失ってはならないと強く思う。
お月さん桃色誰が云うた 海女が云うた 海女の口を引き裂け
高知県西部に古くから伝わる歌である。
※以下今朝の詩
紅い月
川向の山に落ちようとする 燃えているように紅い月だ
川面には火が灯る 魚達も目を覚まし 潮に身をまかせる
夜風が朝風に変わる頃 一筋の光が降りそそぐ 陽に押しやられるように 落ちていかねばならない
哀しみはそうして消える もう誰も苦しみはしない
夜が明けようとしている とうとう月は落ちてしまった
朝のうちは曇っていたが次第に青空が見え始める。
日中は25℃の夏日となり陽射しが眩しい。
けれども爽やかな風のおかげで過ごし易い一日となった。
朝の山道の楽しみが増え野ばら、野あざみ、ウマノアシガタと咲く。
どれも野生の花たちでひっそりと咲いているのが好きだ。
特に野ばらの純白は清らかな乙女の風情で心がときめく。
野ばらと野あざみには棘がありウマノアシガタには毒がある。
そうして身を守り続けて来たのだろう。何と健気なことか。
もし野の花になれるのなら私は野あざみかもしれない。
花が終われば綿毛になり旅をするのも楽しみである。

さあ月曜日と気ばかり急いて職場に着いたが
義父は既に田んぼに出掛けておりもぬけの殻である。
車検の予約が入っており同僚と段取りをした。
先週からの大型車の修理がまだ終わっておらず
同僚はいささかご機嫌斜めであったが車検を優先しなければいけない。
その上に飛び込みのオイル交換が2台もあり増々機嫌が悪くなる。
私が口やかましく指図をするのも気に入らない様子であった。
けれども仕事をして「なんぼ」なのが商売ではないだろうか。
同僚は真面目だが時々投げ遣りになることがあり私は途方に暮れる。
車検整備が完了したのを見届けて3時に退社した。
後は義父次第だが昼食も食べずに頑張っているのだろう。
無責任と云ってしまえばそれまでだが思うようにはいかないものだ。
明日も明後日も車検の予約が入っている。さてどうしましょうか。
買い物を済ませ4時に帰宅したら夫は大相撲に夢中であった。
お風呂に入る時間も惜しみカラスの行水である。
娘と夕飯の支度をしていれば「おい、時間いっぱいだぞ」と叫ぶ。
注目の大の里と高安の取り組みであった。
一緒に見ないと機嫌を損ねるので炊事の手を止めて見入る。
大の里が勝てば大喝采である。ビールをごくごくと飲み干す夫であった。
晩酌はしているがまるで子供のようである。
夫の一番の楽しみなのだろう。それも微笑ましい姿だった。
夫の好きなことに興味を示す。それが夫婦円満の秘訣ではないだろうか。
男は単純だがその単純さが可愛らしいものである。
この日記を書き始めた時には茜色の空だったが
一時間もすればもう真っ暗闇の夜である。
星を見上げることもしなくなったがきっと輝いているのだろう。
ささやかな日課であった。書かずには眠ることも出来ない。
今日はSNSで詩人の紗野玲空さんと話すことが出来て嬉しかった。
「雑草という名の草花はありません」と云ってくれたのだ。
どれほど救われたことだろうか。私にも名があるのだと思った。
※以下今朝の詩
夏草
花園の雑草は刈られ 毒を撒かれることもある
若い緑であった 陽を浴びて輝く 背伸びなどせず 等身大で生きる
名はあるのだが 夏草と呼ばれた 生い茂ればもう 真夏にもなろう
うつくしい花達 自信にあふれた その姿を見れば 惨めにもなるが 嘆くことはない
在りのままを貫く 刈られても残る根
その根こそが命である
午後から雨の予報だったが思いがけずに晴れていた。
夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。
昨夜は母の夢を。内容はよく憶えていないが確かに母だった。
生きているのだ。私は未だに母の死が信じられずにいる。
今日も3時間ほど寝てしまったがまた母の夢を見た。
見たと云うより会ったのだ。その声が今も耳に残っている。
私は黒い服を着ており母になじられていた。
その母に私は食って掛かり憎々しく暴言を吐いているのだった。
ああまただと思う。どうしてもっと優しく出来ないのだろう。
「母の日」が頭から離れないのだった。
少女の頃から無くなれば良いとどれほど思ったことだろう。
それは母と再会した二十歳の頃も変わりはしなかった。
嫁いでからもう一人母が出来たが
貧しい暮らしをしており姑さんに何かを贈るのが苦しかった。
それでも何もしないわけにはいかずほんの気持ちを届ける。
感謝の気持ちなど微塵も無く義理を通すことしか頭になかった。
今思えば夫を産んでくれた人である。もっと感謝すべきだったのだ。
粗末な菓子折りを届けに行けば玄関に立派な胡蝶蘭が置いてある。
義弟のお嫁さんからの贈り物である。大きな引け目を感じずにいられない。
どうして「母の日」などあるのだろうとその時も思った。
我が家はひっそりとしており「母の日」など無縁に思っていたのだが
この日記を書き始めた頃、娘がショートケーキを持って来てくれた。
「ほれ母の日ぜ」と娘らしい一言が何とも嬉しくてならない。
甘さを控えた苺のショートケーキだった。いかん目頭が熱くなるやんか。
ゲンキンなもので「母の日」も好いものだなと思う。
母にも姑さんにも申し訳ないが私は恵まれているのだろう。
過ぎた日は変わらず心に残り続けているが
恨んではならず嘆いてもいけない。
私がこうして生きていられるのは誰よりも母のおかげだと思う。
※以下今朝の詩
母の日
母に会う 夢だとは思えないほど 母は生きていた
どうして「母の日」があるのか 13歳の少女には恨めしく 何と寂しい日だったことか いっそ死んでしまえばいいと 突き放すことしか出来なかった
歳月は流れるばかり 幾つもの季節を乗り越え もう何度目の夏だろうか
本当に母は死んでしまった 私がコロシテシマッタのか 心の底から赦すことをせず 母も詫びることをしなかった
母はどうしようもなく女だったのか 子を捨ててまで貫いた人生である
母の日は辛く寂しい なのにどうしてこんなにも 母が恋しいのだろうか
雨上がりの朝であったが思うようには晴れず
曇り空のまま一日が暮れようとしている。
夕風の何と心地良いことだろう。
まるで風が歌っているようである。
朝のうちはカーブスへ行っていたがその後は寝てばかり。
今日も4時間の昼寝で我ながら呆れ返っている。
読みかけの詩集や歌集が沢山あるのだが開こうともしない。
とにかく自室に籠ってしまうと煙草ばかり吸ってしまうのだった。
寝ていれば吸わなくて済む。何と云うご都合主義だろうか。
ふとこのまま死んでいくのだろうかと思う。
死んでしまえばもう二度と目を覚ますことはない。
夕飯は奮発してステーキにしたがポイントが貯まっていたので助かる。
四国電力の「よんでんポイント」は他社のポイントに還元出来るので
サニーマートのポイントに振り替えていた。2千ポイントは大きい。
2千円分の買い物が出来るとなれば当然のように太っ腹になる。
夫や娘達が「今日は何事ぞ」と驚いたのは云うまでもない。
母の日の前夜祭とでも云えば良かったのだろうか。
母の日と云えばサニーマートは花盛りであった。
花屋さんはもちろんのこと店頭にもずらりと花鉢が並んでいた。
カーネーションが主流だがミニ薔薇や紫陽花もあり心が躍る。
私は全く期待していないが贈られたらどんなにか嬉しいことだろう。
息子が高校生の頃のことだが親友のS君がミニ薔薇を贈ってくれたことがある。
S君は幼い頃に母親を亡くしており父子家庭であった。
我が家で夕食を食べてから一泊して帰ることも多かったのだ。
「おばちゃんいっつも有難う」と何と嬉しかったことだろう。
私にとっては我が子同然だった。S君のことは一生忘れられない。
母親のいない子は大勢いる。「母の日」ほど寂しい日があるだろうか。
失ってしまえば二度と還らない。長く生きていれば生きるほどに
どれ程の大切なものを失ってしまうのだろうか。
失って初めてその大切さに気付くことだってある。
最後には自分の命であるがどうしようもなく儚い。
思い残すことがあってはならないがそれが叶うとは限らないのだ。
私などは特に全う出来ないことの多さに途方に暮れてしまう。
中途半端に生きて来た。その結果ではないだろうか。
今からでも遅くはないかもしれないが心細くてならない。
※以下今朝の詩
雨がやんだら
むかしむかしのこと 雨がやんだらお別れなのね そんな歌があった 多感な14歳の少女には どうして別れてしまうのか 男とか女とかよく分からず けれども哀しい歌だなと思った
雨がやんだら男は出て行く 濡れたコートと濡れた体で そう約束していたのだろう 女は黙って涙を呑んでいた
「終わる」ことを知ったのは それから三年後のことだった 恋の詩を書き綴ったノートは もう誰にも読んでもらえない
雨がやんだら雲が遠ざかり 切り絵のような青空が見える
まるで天使のような陽射しが 降り注ぐ瞬間を見たのだった
雨の一日。気温は上がらず春先のような肌寒さを感じる。
風も強くまるで嵐のようでもあった。
かなりまとまった雨となり水不足は解消されたようだ。
まだ水を張っていない田んぼにも十分に行き渡るだろう。
晴耕雨読とは行かず義父は今日も田んぼだった。
キャビン付きの中古トラクターを買ったので嬉しくてならず
出掛けた切りお昼になっても帰って来ない。
まるで子供の玩具である。面白くてたまらないようだ。
入院中のロスを挽回しようと躍起になっているのだが
いくら鉄人でも81歳の高齢であることを忘れてはならない。
事務仕事は午前中で一段落し午後は来客もなく暇を弄ぶ。
同僚は大型車の厄介な修理と格闘していたのだが
私が「もう嫌になったけん帰る」と告げれば
「俺も嫌になったけん帰りたい」と顔を見合わせ笑い合った。
「あなたも早く帰って来てね」「晩ご飯は何が食べたい?」と
冗談も程々にせずに愉快極まりない午後2時のことだった。
降りしきる雨の道をライトを点灯し走り抜ける。
何か温かい物が食べたい。そうだ豚汁にしようと思いつく。
メニューが決まると買い物も楽だが何と云うことでしょう。
肝心の豚肉を買い忘れたまま家に帰り着いてしまった。
近所の地場産店へ買いに行ったが肉類は全て売り切れていた。
何も買わずに帰るのも気が引けあんパンを買って帰る。
最近朝ドラの影響か無性にあんパンが食べたくなるのだった。
娘が冷凍庫の中を探してくれて何とか豚肉が見つかる。
おかげで予定通りに豚汁を作ることが出来た。
鰆の切り身も買っていたので塩焼きにしたら鰤にそっくりである。
脂がのっており鰤よりも美味しいくらいだった。
あやちゃんがその鰆を食べていた。鰆を食べるのは初めてである。
「あやちゃん、そのお魚美味しいろ?鰤みたいなね」と
うっかり口を滑らしてしまい娘に睨まれてしまう。
あやちゃんは好物の鰤だと思って食べていたのだそうだ。
機嫌を損ねるのではと思ったが「もう食べたけん」と笑ってくれた。
なんとほっとしたことだろう。鰆さまさまであった。
穏やかな夕暮れ時である。めいちゃんが窓の外を見て「まだ明るい」と。
いつの間にか随分と日が長くなったようだ。
雨は降り続いているが明日は晴れるらしい。
気温も高くなり夏日になる予報であった。
今日よりも10℃以上高くなり寒暖差が身に堪えそうだ。
今週は3日しか仕事がなく何となく物足らないが
休みとなればまた怠惰を貪ることになるだろう。
そうして生き永らえている。人生はまだまだこれからだと思う。
※以下今朝の詩
声
ひそひそと雨の声が聴こえる 噂話だろうか悪口だろうか
気にしない気にしない 云いたい奴には云わせておけ
崩れ落ちそうなのは心の壁 どれほど精を尽くしても 報われることはなかった
季節は移ろい夏の色に染まる その扉の前に呆然と立つばかり
相応しいとかそうでないとか どうして決めてしまうのだろう
私は「わたし」であるべきなのだ 胸を張り堂々と生きねばならない
雨の声は夏の声である ずいぶんと生き永らえて来たようだ
概ね晴れ。五月の風の何と爽やかなことだろう。
まだ扇風機もエアコンも要らず自然の風が一番に思う。
朝の道の良心市にスナップエンドウが並んでおり買い求めた。
一パック百円の安さである。おまけにとても新鮮であった。
鍵付きの料金箱などなく小さなマグカップを置いてあるのだ。
それでこその良心市ではないだろうか。
ふと辺りを見回すと民家の庭先に真紅のアマリリスが咲いていた。
毎年目にする花で今年も咲いてくれたのだと嬉しい。
昨日は気が付かなかったので咲いたばかりかもしれない。
アマリリスは品種改良をされ今は色んな種類があるが
昔ながらの真紅のアマリリスが一番好ましく思う。
ちなみに昔は「ラッパ草」と呼んでいたようだ。

義父は今日も田んぼへ。とても病み上がりとは思えない。
昨日からの疲れも出ておらず生き生きと元気であった。
とにかく全ての田んぼの代掻きを終えなければいけない。
そうして田植えまで漕ぎつけたらやっと一段落となる。
無我夢中になっている姿はやはり鉄人にしか思えない。
まるで「心配無用」と背中に書いているようであった。
お昼には一度帰宅し私の車に玄米を積み込んでくれる。
もうこれで高いお米を買わずに済み何と助かったことだろう。
順調に行けば8月には新米が獲れるが
まだ昨年のお米が沢山残っているのだそうだ。
「遠慮することはないぞ」と云ってくれてほっと嬉しかった。
30キロの玄米は精米すると25キロとなるが
それでも我が家の2ヶ月分の主食となる。
世間では米不足が深刻な問題となっておりこれほどの恵みはない。
義父が苦労して作ったお米である。こんなに有難いことはなかった。
2週間ぶりのリハビリに行くため2時半過ぎに退社する。
実は昨日県立病院で歩き過ぎたせいか昨夜は痛みが酷く眠れなかった。
痛み止めはもう長いこと服用しておらず薬には頼りたくはない。
療法士のU君にそのことを話すといつもとは違う施術をしてくれた。
足ではなく腰と背中を集中的に揉みほぐしてくれ何とも心地よい。
無理に歩こうとすると腰や背中に負担が掛かるのだそうだ。
私の場合は体重もあり余計に負担を掛けていたのだろう。
随分と楽になりおかげで今夜はぐっすりと眠れそうである。
だましだましの日々が続いているようにも思うが
自分を騙すのも必要に思う。辛くても大丈夫と云い聞かす。
しんどくてもまだまだこれからと暗示を掛けて行くのだった。
そうでなければとっくに圧し潰されていただろう。
騙すのは噓をつくのとは違う。騙されるのは私以外の誰でもなかった。
※以下今朝の詩
バトン
緑濃く艶やかな葉に 花芽を添える季節だ
夏が立ち春を仕舞えば 花達はそれぞれの手に 渡すバトンを持っている
朽ち果てた花もあろう 目を反らす人も多いが 見届けてやらねばならない
最後の力を振り絞って 震える手でバトンを渡す
受け取ったからには 花として生きるしかない
夏の花はその健気さを 真心として愛に変える
バトンを握りしめていた そうして始まる夏がある
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