朝のうちは曇っていたが次第に青空が見え始める。
日中は25℃の夏日となり陽射しが眩しい。
けれども爽やかな風のおかげで過ごし易い一日となった。
朝の山道の楽しみが増え野ばら、野あざみ、ウマノアシガタと咲く。
どれも野生の花たちでひっそりと咲いているのが好きだ。
特に野ばらの純白は清らかな乙女の風情で心がときめく。
野ばらと野あざみには棘がありウマノアシガタには毒がある。
そうして身を守り続けて来たのだろう。何と健気なことか。
もし野の花になれるのなら私は野あざみかもしれない。
花が終われば綿毛になり旅をするのも楽しみである。

さあ月曜日と気ばかり急いて職場に着いたが
義父は既に田んぼに出掛けておりもぬけの殻である。
車検の予約が入っており同僚と段取りをした。
先週からの大型車の修理がまだ終わっておらず
同僚はいささかご機嫌斜めであったが車検を優先しなければいけない。
その上に飛び込みのオイル交換が2台もあり増々機嫌が悪くなる。
私が口やかましく指図をするのも気に入らない様子であった。
けれども仕事をして「なんぼ」なのが商売ではないだろうか。
同僚は真面目だが時々投げ遣りになることがあり私は途方に暮れる。
車検整備が完了したのを見届けて3時に退社した。
後は義父次第だが昼食も食べずに頑張っているのだろう。
無責任と云ってしまえばそれまでだが思うようにはいかないものだ。
明日も明後日も車検の予約が入っている。さてどうしましょうか。
買い物を済ませ4時に帰宅したら夫は大相撲に夢中であった。
お風呂に入る時間も惜しみカラスの行水である。
娘と夕飯の支度をしていれば「おい、時間いっぱいだぞ」と叫ぶ。
注目の大の里と高安の取り組みであった。
一緒に見ないと機嫌を損ねるので炊事の手を止めて見入る。
大の里が勝てば大喝采である。ビールをごくごくと飲み干す夫であった。
晩酌はしているがまるで子供のようである。
夫の一番の楽しみなのだろう。それも微笑ましい姿だった。
夫の好きなことに興味を示す。それが夫婦円満の秘訣ではないだろうか。
男は単純だがその単純さが可愛らしいものである。
この日記を書き始めた時には茜色の空だったが
一時間もすればもう真っ暗闇の夜である。
星を見上げることもしなくなったがきっと輝いているのだろう。
ささやかな日課であった。書かずには眠ることも出来ない。
今日はSNSで詩人の紗野玲空さんと話すことが出来て嬉しかった。
「雑草という名の草花はありません」と云ってくれたのだ。
どれほど救われたことだろうか。私にも名があるのだと思った。
※以下今朝の詩
夏草
花園の雑草は刈られ 毒を撒かれることもある
若い緑であった 陽を浴びて輝く 背伸びなどせず 等身大で生きる
名はあるのだが 夏草と呼ばれた 生い茂ればもう 真夏にもなろう
うつくしい花達 自信にあふれた その姿を見れば 惨めにもなるが 嘆くことはない
在りのままを貫く 刈られても残る根
その根こそが命である
午後から雨の予報だったが思いがけずに晴れていた。
夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。
昨夜は母の夢を。内容はよく憶えていないが確かに母だった。
生きているのだ。私は未だに母の死が信じられずにいる。
今日も3時間ほど寝てしまったがまた母の夢を見た。
見たと云うより会ったのだ。その声が今も耳に残っている。
私は黒い服を着ており母になじられていた。
その母に私は食って掛かり憎々しく暴言を吐いているのだった。
ああまただと思う。どうしてもっと優しく出来ないのだろう。
「母の日」が頭から離れないのだった。
少女の頃から無くなれば良いとどれほど思ったことだろう。
それは母と再会した二十歳の頃も変わりはしなかった。
嫁いでからもう一人母が出来たが
貧しい暮らしをしており姑さんに何かを贈るのが苦しかった。
それでも何もしないわけにはいかずほんの気持ちを届ける。
感謝の気持ちなど微塵も無く義理を通すことしか頭になかった。
今思えば夫を産んでくれた人である。もっと感謝すべきだったのだ。
粗末な菓子折りを届けに行けば玄関に立派な胡蝶蘭が置いてある。
義弟のお嫁さんからの贈り物である。大きな引け目を感じずにいられない。
どうして「母の日」などあるのだろうとその時も思った。
我が家はひっそりとしており「母の日」など無縁に思っていたのだが
この日記を書き始めた頃、娘がショートケーキを持って来てくれた。
「ほれ母の日ぜ」と娘らしい一言が何とも嬉しくてならない。
甘さを控えた苺のショートケーキだった。いかん目頭が熱くなるやんか。
ゲンキンなもので「母の日」も好いものだなと思う。
母にも姑さんにも申し訳ないが私は恵まれているのだろう。
過ぎた日は変わらず心に残り続けているが
恨んではならず嘆いてもいけない。
私がこうして生きていられるのは誰よりも母のおかげだと思う。
※以下今朝の詩
母の日
母に会う 夢だとは思えないほど 母は生きていた
どうして「母の日」があるのか 13歳の少女には恨めしく 何と寂しい日だったことか いっそ死んでしまえばいいと 突き放すことしか出来なかった
歳月は流れるばかり 幾つもの季節を乗り越え もう何度目の夏だろうか
本当に母は死んでしまった 私がコロシテシマッタのか 心の底から赦すことをせず 母も詫びることをしなかった
母はどうしようもなく女だったのか 子を捨ててまで貫いた人生である
母の日は辛く寂しい なのにどうしてこんなにも 母が恋しいのだろうか
雨上がりの朝であったが思うようには晴れず
曇り空のまま一日が暮れようとしている。
夕風の何と心地良いことだろう。
まるで風が歌っているようである。
朝のうちはカーブスへ行っていたがその後は寝てばかり。
今日も4時間の昼寝で我ながら呆れ返っている。
読みかけの詩集や歌集が沢山あるのだが開こうともしない。
とにかく自室に籠ってしまうと煙草ばかり吸ってしまうのだった。
寝ていれば吸わなくて済む。何と云うご都合主義だろうか。
ふとこのまま死んでいくのだろうかと思う。
死んでしまえばもう二度と目を覚ますことはない。
夕飯は奮発してステーキにしたがポイントが貯まっていたので助かる。
四国電力の「よんでんポイント」は他社のポイントに還元出来るので
サニーマートのポイントに振り替えていた。2千ポイントは大きい。
2千円分の買い物が出来るとなれば当然のように太っ腹になる。
夫や娘達が「今日は何事ぞ」と驚いたのは云うまでもない。
母の日の前夜祭とでも云えば良かったのだろうか。
母の日と云えばサニーマートは花盛りであった。
花屋さんはもちろんのこと店頭にもずらりと花鉢が並んでいた。
カーネーションが主流だがミニ薔薇や紫陽花もあり心が躍る。
私は全く期待していないが贈られたらどんなにか嬉しいことだろう。
息子が高校生の頃のことだが親友のS君がミニ薔薇を贈ってくれたことがある。
S君は幼い頃に母親を亡くしており父子家庭であった。
我が家で夕食を食べてから一泊して帰ることも多かったのだ。
「おばちゃんいっつも有難う」と何と嬉しかったことだろう。
私にとっては我が子同然だった。S君のことは一生忘れられない。
母親のいない子は大勢いる。「母の日」ほど寂しい日があるだろうか。
失ってしまえば二度と還らない。長く生きていれば生きるほどに
どれ程の大切なものを失ってしまうのだろうか。
失って初めてその大切さに気付くことだってある。
最後には自分の命であるがどうしようもなく儚い。
思い残すことがあってはならないがそれが叶うとは限らないのだ。
私などは特に全う出来ないことの多さに途方に暮れてしまう。
中途半端に生きて来た。その結果ではないだろうか。
今からでも遅くはないかもしれないが心細くてならない。
※以下今朝の詩
雨がやんだら
むかしむかしのこと 雨がやんだらお別れなのね そんな歌があった 多感な14歳の少女には どうして別れてしまうのか 男とか女とかよく分からず けれども哀しい歌だなと思った
雨がやんだら男は出て行く 濡れたコートと濡れた体で そう約束していたのだろう 女は黙って涙を呑んでいた
「終わる」ことを知ったのは それから三年後のことだった 恋の詩を書き綴ったノートは もう誰にも読んでもらえない
雨がやんだら雲が遠ざかり 切り絵のような青空が見える
まるで天使のような陽射しが 降り注ぐ瞬間を見たのだった
雨の一日。気温は上がらず春先のような肌寒さを感じる。
風も強くまるで嵐のようでもあった。
かなりまとまった雨となり水不足は解消されたようだ。
まだ水を張っていない田んぼにも十分に行き渡るだろう。
晴耕雨読とは行かず義父は今日も田んぼだった。
キャビン付きの中古トラクターを買ったので嬉しくてならず
出掛けた切りお昼になっても帰って来ない。
まるで子供の玩具である。面白くてたまらないようだ。
入院中のロスを挽回しようと躍起になっているのだが
いくら鉄人でも81歳の高齢であることを忘れてはならない。
事務仕事は午前中で一段落し午後は来客もなく暇を弄ぶ。
同僚は大型車の厄介な修理と格闘していたのだが
私が「もう嫌になったけん帰る」と告げれば
「俺も嫌になったけん帰りたい」と顔を見合わせ笑い合った。
「あなたも早く帰って来てね」「晩ご飯は何が食べたい?」と
冗談も程々にせずに愉快極まりない午後2時のことだった。
降りしきる雨の道をライトを点灯し走り抜ける。
何か温かい物が食べたい。そうだ豚汁にしようと思いつく。
メニューが決まると買い物も楽だが何と云うことでしょう。
肝心の豚肉を買い忘れたまま家に帰り着いてしまった。
近所の地場産店へ買いに行ったが肉類は全て売り切れていた。
何も買わずに帰るのも気が引けあんパンを買って帰る。
最近朝ドラの影響か無性にあんパンが食べたくなるのだった。
娘が冷凍庫の中を探してくれて何とか豚肉が見つかる。
おかげで予定通りに豚汁を作ることが出来た。
鰆の切り身も買っていたので塩焼きにしたら鰤にそっくりである。
脂がのっており鰤よりも美味しいくらいだった。
あやちゃんがその鰆を食べていた。鰆を食べるのは初めてである。
「あやちゃん、そのお魚美味しいろ?鰤みたいなね」と
うっかり口を滑らしてしまい娘に睨まれてしまう。
あやちゃんは好物の鰤だと思って食べていたのだそうだ。
機嫌を損ねるのではと思ったが「もう食べたけん」と笑ってくれた。
なんとほっとしたことだろう。鰆さまさまであった。
穏やかな夕暮れ時である。めいちゃんが窓の外を見て「まだ明るい」と。
いつの間にか随分と日が長くなったようだ。
雨は降り続いているが明日は晴れるらしい。
気温も高くなり夏日になる予報であった。
今日よりも10℃以上高くなり寒暖差が身に堪えそうだ。
今週は3日しか仕事がなく何となく物足らないが
休みとなればまた怠惰を貪ることになるだろう。
そうして生き永らえている。人生はまだまだこれからだと思う。
※以下今朝の詩
声
ひそひそと雨の声が聴こえる 噂話だろうか悪口だろうか
気にしない気にしない 云いたい奴には云わせておけ
崩れ落ちそうなのは心の壁 どれほど精を尽くしても 報われることはなかった
季節は移ろい夏の色に染まる その扉の前に呆然と立つばかり
相応しいとかそうでないとか どうして決めてしまうのだろう
私は「わたし」であるべきなのだ 胸を張り堂々と生きねばならない
雨の声は夏の声である ずいぶんと生き永らえて来たようだ
概ね晴れ。五月の風の何と爽やかなことだろう。
まだ扇風機もエアコンも要らず自然の風が一番に思う。
朝の道の良心市にスナップエンドウが並んでおり買い求めた。
一パック百円の安さである。おまけにとても新鮮であった。
鍵付きの料金箱などなく小さなマグカップを置いてあるのだ。
それでこその良心市ではないだろうか。
ふと辺りを見回すと民家の庭先に真紅のアマリリスが咲いていた。
毎年目にする花で今年も咲いてくれたのだと嬉しい。
昨日は気が付かなかったので咲いたばかりかもしれない。
アマリリスは品種改良をされ今は色んな種類があるが
昔ながらの真紅のアマリリスが一番好ましく思う。
ちなみに昔は「ラッパ草」と呼んでいたようだ。

義父は今日も田んぼへ。とても病み上がりとは思えない。
昨日からの疲れも出ておらず生き生きと元気であった。
とにかく全ての田んぼの代掻きを終えなければいけない。
そうして田植えまで漕ぎつけたらやっと一段落となる。
無我夢中になっている姿はやはり鉄人にしか思えない。
まるで「心配無用」と背中に書いているようであった。
お昼には一度帰宅し私の車に玄米を積み込んでくれる。
もうこれで高いお米を買わずに済み何と助かったことだろう。
順調に行けば8月には新米が獲れるが
まだ昨年のお米が沢山残っているのだそうだ。
「遠慮することはないぞ」と云ってくれてほっと嬉しかった。
30キロの玄米は精米すると25キロとなるが
それでも我が家の2ヶ月分の主食となる。
世間では米不足が深刻な問題となっておりこれほどの恵みはない。
義父が苦労して作ったお米である。こんなに有難いことはなかった。
2週間ぶりのリハビリに行くため2時半過ぎに退社する。
実は昨日県立病院で歩き過ぎたせいか昨夜は痛みが酷く眠れなかった。
痛み止めはもう長いこと服用しておらず薬には頼りたくはない。
療法士のU君にそのことを話すといつもとは違う施術をしてくれた。
足ではなく腰と背中を集中的に揉みほぐしてくれ何とも心地よい。
無理に歩こうとすると腰や背中に負担が掛かるのだそうだ。
私の場合は体重もあり余計に負担を掛けていたのだろう。
随分と楽になりおかげで今夜はぐっすりと眠れそうである。
だましだましの日々が続いているようにも思うが
自分を騙すのも必要に思う。辛くても大丈夫と云い聞かす。
しんどくてもまだまだこれからと暗示を掛けて行くのだった。
そうでなければとっくに圧し潰されていただろう。
騙すのは噓をつくのとは違う。騙されるのは私以外の誰でもなかった。
※以下今朝の詩
バトン
緑濃く艶やかな葉に 花芽を添える季節だ
夏が立ち春を仕舞えば 花達はそれぞれの手に 渡すバトンを持っている
朽ち果てた花もあろう 目を反らす人も多いが 見届けてやらねばならない
最後の力を振り絞って 震える手でバトンを渡す
受け取ったからには 花として生きるしかない
夏の花はその健気さを 真心として愛に変える
バトンを握りしめていた そうして始まる夏がある
黄砂の影響だろうか霞みがかった空だった。
気温はほぼ夏日だったが風があり過ごし易い一日となる。
五日ぶりの朝の山道は清々しく山の緑が目に沁みるようだ。
山里の最初の民家に差し掛かると道路に白い花びらが敷き詰められていた。
見事に咲いていたオオデマリもとうとう散り始めたようである。
今日よりも明日と散り急ぐのは何とも切ないものだった。
9時頃義父から電話があり午前中に退院の許可が下りたとのこと。
よほど嬉しかったのだろう。声は明るく弾んでいた。
10時には来て欲しいと云われ仕事どころではなくなり
大急ぎで車で15分程の県立病院へと向かう。
連休明けのせいか駐車場が満車状態で困り果てていたら
身障者用のスペースに停めるようにと守衛さんが誘導してくれた。
車椅子の患者さんも多いだろうに何と助かったことだろう。
義父は既に身支度を整え子供のように待っていた。
会計を済ませ領収書を見せないと退院出来ない決まりになっている。
そうでなければ私が出向く必要はなかったのだが
ここは全ての経理を任されている私の出番であった。
前回の入院時には足腰がすっかり弱っていた義父だったが
今回はしっかりしており駐車場まで颯爽と歩く。
体力を保つために気力で乗り越えた結果だろう。
11時には山里まで帰り着いていたのだが義父の素早いこと。
昼食を食べ終わるなりトラクターの準備をし田んぼへと向かう。
無理は禁物と云い聞かせたがもう聞く耳も持たない有様であった。
まるで鎖から解放された子犬のようである。
喜び勇んで跳び回っているようにしか見えない。
そうなればもう繋ぐのは不可能である。好きなようにさせるしかない。
無理を重ねれば再発も在り得ることで気が気ではないが
義父の精神力にはとても敵わなかった。
何はともあれ予定通りに退院できたことを喜ぶべきだろう。
後のことは野となれ山となれと思うしかなかった。
義父の入院費に会社の資金を使ってしまったので
またゼロになってしまった。
もう何度目のゼロだろう。慣れたのかあまり苦には思わない。
工場の仕事は後を絶たないのできっと挽回出来るだろう。
何とかするのではなく何とかなるものなのだ。
ほんの少しの気疲れ。それもまたよしと思う。
する仕事があるのは有難く明日も精を尽くして見せよう。
試されているうちが花である。私はまだ枯れる訳にはいかない。
※以下今朝の詩
花のいのち
春の花が散り枯れていく 尽きることは切ないが また巡り来る季節がある
純白の花を茶色に染めて 無残で憐れにも見えるが 泣いている花があるだろうか
風に逆らうこともせず ただ受け止める夏である 花を失くせば緑が萌えて いっそうに輝くのだった
見て見ぬふりをしてはならない
花として全うした命である 最後まで見届けてやりたい
花に重ねる命が在る限りに
雨のち曇り。昨夜からの雨は恵みの雨になったのだろうか。
義父の田んぼが気になってならない。
毎日の見回りを欠かさなかっただけに余計にそう思う。
今朝は農家仲間の人から電話があり水の心配をしてくれたが
私に何が出来ようか。仕方なく義父の入院を伝えた。
義父に話せば焦りが募るばかりだろう。
けれども報せなければ何も知らなかったと気を悪くするに違いない。
迷った末に報せたが「もういい」と投げ遣りな返事だった。
明日こそは退院と決めつけているのだが
今日は主治医が休みで相談も出来なかったとのこと。
苛立ちは募る一方で不機嫌な声音だった。
精神力は人一倍強い義父であったがさすがに参っている様子である。
とにかく辛抱をと伝えることしか出来ず無力感しかなかった。

連休もやっと最終日。もうこりごりに思う。
仕事の事など忘れてのんびりと過ごしていたつもりだが
武者震いをするように気が急いてならなかった。
今日は休業にも関わらず車検の予約が入って来る。
耳の不自由なお客さんでショートメールからであった。
まずは日にちを決めなければならず明日連絡をすることになる。
午前中は起きていたが午後はまた寝てばかりだった。
この連休中の昼寝時間を計算すると丸二日寝ていたことになる。
異常としか云いようがないが眠気には勝てなかった。
寝る子は育つと云うが私の場合はひたすら太っているようだ。
夕食時、珍しく夫と娘婿が一緒に晩酌を始めた。
夫の何と嬉しそうな顔。会話も弾み賑やかな夕食となる。
一緒に暮らし始めた頃は毎晩の事だったので懐かしくもあった。
もう11年目なのか、歳月の流れはとてつもなく早い。
娘からお小言ではないが昨夜の事で少し苦言を受けた。
あやちゃんが「おばあちゃんはうるさい」と怒っていたのだそうだ。
独りぼっちで居てもそっとしておくべきだったのだろう。
老婆心とは何と厄介なものだろうと改めて思った。
あやちゃんにとっては大きなお世話に他ならないのだ。
見守る事と放任する事とは違うのだと思う。
私から見ると娘は放任主義にも見えるのだが
あやちゃんの繊細な心を必死で守ろうとしているのだろう。
私はその繊細な心のドアを叩いてしまったのだと思う。
心配でならないのは信じていないことに等しい。
きっと乗り越えられると信じることが一番大切なことなのだ。
あやちゃんの笑い声が聞こえる穏やかな夜のこと。
※以下今朝の詩
早苗
ぽったんぽぽたん 雨が歌っているようだ
早苗は水を求めている 声は嗄れてもう歌えない そよ吹く風に揺れながら 好きだった歌を思い出す
鳥にはなれやしないのだ まして雨になどなれない 夢のように願うことで 救われる時もあるだろう
ぽったんぽぽたん 軽やかな歌声を聴きながら 夢の続きを追い求めていた
遥かな空の彼方には きっと辿り着く場所がある
早苗の声に耳を澄ます時が来た
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