ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月08日(木) だましだまし

概ね晴れ。五月の風の何と爽やかなことだろう。

まだ扇風機もエアコンも要らず自然の風が一番に思う。


朝の道の良心市にスナップエンドウが並んでおり買い求めた。

一パック百円の安さである。おまけにとても新鮮であった。

鍵付きの料金箱などなく小さなマグカップを置いてあるのだ。

それでこその良心市ではないだろうか。


ふと辺りを見回すと民家の庭先に真紅のアマリリスが咲いていた。

毎年目にする花で今年も咲いてくれたのだと嬉しい。

昨日は気が付かなかったので咲いたばかりかもしれない。

アマリリスは品種改良をされ今は色んな種類があるが

昔ながらの真紅のアマリリスが一番好ましく思う。

ちなみに昔は「ラッパ草」と呼んでいたようだ。



義父は今日も田んぼへ。とても病み上がりとは思えない。

昨日からの疲れも出ておらず生き生きと元気であった。

とにかく全ての田んぼの代掻きを終えなければいけない。

そうして田植えまで漕ぎつけたらやっと一段落となる。

無我夢中になっている姿はやはり鉄人にしか思えない。

まるで「心配無用」と背中に書いているようであった。


お昼には一度帰宅し私の車に玄米を積み込んでくれる。

もうこれで高いお米を買わずに済み何と助かったことだろう。

順調に行けば8月には新米が獲れるが

まだ昨年のお米が沢山残っているのだそうだ。

「遠慮することはないぞ」と云ってくれてほっと嬉しかった。


30キロの玄米は精米すると25キロとなるが

それでも我が家の2ヶ月分の主食となる。

世間では米不足が深刻な問題となっておりこれほどの恵みはない。

義父が苦労して作ったお米である。こんなに有難いことはなかった。



2週間ぶりのリハビリに行くため2時半過ぎに退社する。

実は昨日県立病院で歩き過ぎたせいか昨夜は痛みが酷く眠れなかった。

痛み止めはもう長いこと服用しておらず薬には頼りたくはない。

療法士のU君にそのことを話すといつもとは違う施術をしてくれた。

足ではなく腰と背中を集中的に揉みほぐしてくれ何とも心地よい。

無理に歩こうとすると腰や背中に負担が掛かるのだそうだ。

私の場合は体重もあり余計に負担を掛けていたのだろう。

随分と楽になりおかげで今夜はぐっすりと眠れそうである。


だましだましの日々が続いているようにも思うが

自分を騙すのも必要に思う。辛くても大丈夫と云い聞かす。

しんどくてもまだまだこれからと暗示を掛けて行くのだった。

そうでなければとっくに圧し潰されていただろう。

騙すのは噓をつくのとは違う。騙されるのは私以外の誰でもなかった。



※以下今朝の詩


          バトン

       緑濃く艶やかな葉に
       花芽を添える季節だ

       夏が立ち春を仕舞えば
       花達はそれぞれの手に
       渡すバトンを持っている

       朽ち果てた花もあろう
       目を反らす人も多いが
       見届けてやらねばならない

       最後の力を振り絞って
       震える手でバトンを渡す

       受け取ったからには
       花として生きるしかない

       夏の花はその健気さを
       真心として愛に変える

       バトンを握りしめていた
       そうして始まる夏がある



2025年05月07日(水) 枯れない花

黄砂の影響だろうか霞みがかった空だった。

気温はほぼ夏日だったが風があり過ごし易い一日となる。

五日ぶりの朝の山道は清々しく山の緑が目に沁みるようだ。

山里の最初の民家に差し掛かると道路に白い花びらが敷き詰められていた。

見事に咲いていたオオデマリもとうとう散り始めたようである。

今日よりも明日と散り急ぐのは何とも切ないものだった。



9時頃義父から電話があり午前中に退院の許可が下りたとのこと。

よほど嬉しかったのだろう。声は明るく弾んでいた。

10時には来て欲しいと云われ仕事どころではなくなり

大急ぎで車で15分程の県立病院へと向かう。

連休明けのせいか駐車場が満車状態で困り果てていたら

身障者用のスペースに停めるようにと守衛さんが誘導してくれた。

車椅子の患者さんも多いだろうに何と助かったことだろう。


義父は既に身支度を整え子供のように待っていた。

会計を済ませ領収書を見せないと退院出来ない決まりになっている。

そうでなければ私が出向く必要はなかったのだが

ここは全ての経理を任されている私の出番であった。


前回の入院時には足腰がすっかり弱っていた義父だったが

今回はしっかりしており駐車場まで颯爽と歩く。

体力を保つために気力で乗り越えた結果だろう。


11時には山里まで帰り着いていたのだが義父の素早いこと。

昼食を食べ終わるなりトラクターの準備をし田んぼへと向かう。

無理は禁物と云い聞かせたがもう聞く耳も持たない有様であった。

まるで鎖から解放された子犬のようである。

喜び勇んで跳び回っているようにしか見えない。

そうなればもう繋ぐのは不可能である。好きなようにさせるしかない。

無理を重ねれば再発も在り得ることで気が気ではないが

義父の精神力にはとても敵わなかった。


何はともあれ予定通りに退院できたことを喜ぶべきだろう。

後のことは野となれ山となれと思うしかなかった。


義父の入院費に会社の資金を使ってしまったので

またゼロになってしまった。

もう何度目のゼロだろう。慣れたのかあまり苦には思わない。

工場の仕事は後を絶たないのできっと挽回出来るだろう。

何とかするのではなく何とかなるものなのだ。


ほんの少しの気疲れ。それもまたよしと思う。

する仕事があるのは有難く明日も精を尽くして見せよう。

試されているうちが花である。私はまだ枯れる訳にはいかない。


※以下今朝の詩


         花のいのち


      春の花が散り枯れていく
      尽きることは切ないが
      また巡り来る季節がある

      純白の花を茶色に染めて
      無残で憐れにも見えるが
      泣いている花があるだろうか

      風に逆らうこともせず
      ただ受け止める夏である
      花を失くせば緑が萌えて
      いっそうに輝くのだった

      見て見ぬふりをしてはならない

      花として全うした命である
      最後まで見届けてやりたい

      花に重ねる命が在る限りに









2025年05月06日(火) 厄介な老婆心

雨のち曇り。昨夜からの雨は恵みの雨になったのだろうか。

義父の田んぼが気になってならない。

毎日の見回りを欠かさなかっただけに余計にそう思う。


今朝は農家仲間の人から電話があり水の心配をしてくれたが

私に何が出来ようか。仕方なく義父の入院を伝えた。

義父に話せば焦りが募るばかりだろう。

けれども報せなければ何も知らなかったと気を悪くするに違いない。

迷った末に報せたが「もういい」と投げ遣りな返事だった。


明日こそは退院と決めつけているのだが

今日は主治医が休みで相談も出来なかったとのこと。

苛立ちは募る一方で不機嫌な声音だった。

精神力は人一倍強い義父であったがさすがに参っている様子である。

とにかく辛抱をと伝えることしか出来ず無力感しかなかった。




連休もやっと最終日。もうこりごりに思う。

仕事の事など忘れてのんびりと過ごしていたつもりだが

武者震いをするように気が急いてならなかった。

今日は休業にも関わらず車検の予約が入って来る。

耳の不自由なお客さんでショートメールからであった。

まずは日にちを決めなければならず明日連絡をすることになる。


午前中は起きていたが午後はまた寝てばかりだった。

この連休中の昼寝時間を計算すると丸二日寝ていたことになる。

異常としか云いようがないが眠気には勝てなかった。

寝る子は育つと云うが私の場合はひたすら太っているようだ。


夕食時、珍しく夫と娘婿が一緒に晩酌を始めた。

夫の何と嬉しそうな顔。会話も弾み賑やかな夕食となる。

一緒に暮らし始めた頃は毎晩の事だったので懐かしくもあった。

もう11年目なのか、歳月の流れはとてつもなく早い。


娘からお小言ではないが昨夜の事で少し苦言を受けた。

あやちゃんが「おばあちゃんはうるさい」と怒っていたのだそうだ。

独りぼっちで居てもそっとしておくべきだったのだろう。

老婆心とは何と厄介なものだろうと改めて思った。

あやちゃんにとっては大きなお世話に他ならないのだ。


見守る事と放任する事とは違うのだと思う。

私から見ると娘は放任主義にも見えるのだが

あやちゃんの繊細な心を必死で守ろうとしているのだろう。

私はその繊細な心のドアを叩いてしまったのだと思う。

心配でならないのは信じていないことに等しい。

きっと乗り越えられると信じることが一番大切なことなのだ。


あやちゃんの笑い声が聞こえる穏やかな夜のこと。


※以下今朝の詩

   
          早苗

       ぽったんぽぽたん
       雨が歌っているようだ

       早苗は水を求めている
       声は嗄れてもう歌えない
       そよ吹く風に揺れながら
       好きだった歌を思い出す

       鳥にはなれやしないのだ
       まして雨になどなれない
       夢のように願うことで
       救われる時もあるだろう

       ぽったんぽぽたん
       軽やかな歌声を聴きながら
       夢の続きを追い求めていた

       遥かな空の彼方には
       きっと辿り着く場所がある

       早苗の声に耳を澄ます時が来た




2025年05月05日(月) こどもの日

二十四節気の「立夏」暦の上では夏の始まりとされ

緑がいっそう濃くなり陽射しが眩しくなる頃である。


川向かいのパン屋さんの庭にそれは見事な藤棚があったのだが

今日前を通るともう藤の面影さえ見えなかった。

立夏を知っているかのように儚く散ってしまったのだろう。

何だか目の前に「現実」を突き付けられたような衝撃を感じる。

散ってこその夏である。夏の花は何処で息をしているのだろう。



入院中の義父からは連絡がなかったが落ち着いているのだろうと

敢えてこちらから電話もせずに一日が暮れてしまった。

もう少しの辛抱である。順調に快復することをひたすら願うばかりであった。





連休も3日目となれば苦痛としか云いようがない。

一日の何と長いことだろう。

今日は気分転換を兼ねて夫の夏物のズボンを買いに行く。

余程思いがけなかったのか夫は子供のように喜んでいた。

定員さんにウエストを測って貰ったら何と100センチもある。

大きいサイズの専門店ではないので探すのに一苦労であった。

若い男性の定員さんが二人係で探してくれてやっと見つかる。

裾上げは無料で助かり20分程で仕上がった。

夏用の帽子も買う。我が夫ながらよく似合っていて惚れ惚れとする。

ズボン二枚とベルト、帽子で5200円の安さであった。

私の衣服と比べると何と安上がりなことだろう。

その上に夫が上機嫌となれば大きな得をしたように思う。


その上機嫌を良いことに昼食を誘ったら直ぐに了解してくれる。

西へと車を走らせ「一風」でいつものラーメンセットを食べた。

最近食が細くなった夫はやっとの思いで食べたようだ。

大食いの私には丁度良い量で何とも幸せな気分である。

「これで連休はおしまい」と思わず呟いていた。

欲を云えばきりがないのだ。これ以上望むことなど何もない。


帰宅後はひたすら眠る。久しぶりに母の夢を見た。

一緒に仕事をしている夢だったが言い争うことはなかった。

ほのぼのと穏やかな夢で母が懐かしくてならない。


「こどもの日」でもあり娘達はかつての海苔の作業場でBBQとのこと。

作業場は娘達がすっかり手を施しもはや別荘のようになっている。

生け簀もあり伊勢海老やアワビも育てているのだった。


あやちゃんは例の如くでお留守番であったが

部屋の灯りも点けず毛布にすっぽりと包まっていた。

その姿があまりにも憐れに思い声を掛けたが

「行きたくないけん行かなかっただけじゃん」と荒い声が返って来る。

娘達も最初から諦めており誘うこともしなかったのだ。

けれども誘ってやって欲しかった。それが老婆心である。

あやちゃんは寂しいとは一言も云わないが本心は誰も知らない。

背中を押してはならないが背中にそっと手を載せてやりたいものだ。


※以下今朝の詩(息子が初めて歩いた日のこと)


        こどもの日

      はじめて歩いた日は
      土手の緑が萌える頃
      そよ吹く風に支えられ
      ひよこのように歩いた

      きみの夢は何だろう
      おおきくなったらね
      未来は空のように広く
      果てしなく続いている

      苦労などさせたくはない
      涙を流す日がないように
      母は祈り続けてきたのだ

      よちよちと歩くその一歩が
      希望でなくてなんだろう

      きみは空を仰いでいた
      きらきらと輝く瞳には
      初夏の風が見えるようだ











2025年05月04日(日) みどりの日

雲一つない快晴。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

長いこと咲いてくれた桜草もとうとう散り始める。

右隣の奥さんは茎を切り落とさず来年まで残して置くのだそうだ。

とにかく手を入れてはいけないらしい。そっとするべき花である。

私は花の知識に疎いが右隣の奥さんは花博士のような人だった。



入院中の義父はやっとお粥が食べられるようになったとのこと。

今朝はスープも付いておりよほど嬉しかったのだろう。

声も弾んでおり嘆くこともせず私も目の前が明るくなった。

連休明けには退院が出来るかもしれないがそればかりは勝手が出来ず

医師の判断に任せるしかない。やはり俎板の上の鯉である。

大きな失望と焦りであるが義父の身体を一番に重んじるべきだろう。





午後けたたましくサイレンが鳴り響き近くの平野地区で火災があった。

元消防団長の夫は居ても立ってもいられなくなり現場を見に行くと云う。

現役の消防団員である娘婿は既に消火活動に向かっていた。

平野地区は海の見える高台にあり今は高級住宅地であったが

火災は昔からある住宅らしく隣家にも火が燃え移っているようだった。

野次馬などもっての外である。現場周辺は沢山の消防車であった。

興奮していた夫もやっと我に帰り邪魔は禁物と気づいたようである。


3時間ほど燃え続けただろうか。4時頃鎮火の防災放送が流れた。

帰宅した娘婿に聞けば3棟の住宅が全焼したらしい。

何と気の毒なことだろう。何もかも焼け尽くされてしまったのだ。

せめて住民の命だけは無事であって欲しいと願うばかりであった。


いつ何があるか分からない世の中である。

火災は日頃から用心していれば防げるが延焼は免れようがない。

台風や地震ともなれば決して逆らうことも出来ないのだ。

自然災害が起こる度に明日は我が身だと思う。

如何にして身を守るかだが何ととてつもなく大きな不安だろうか。


「笑点」が終われば「ちびまる子ちゃん」があり「サザエさん」がある。

日曜日の夜はこの上なく平和であった。

けれどもそんな平和とは全くかけ離れている人が居ることを忘れてはならない。

せめて朝の光だけは分け隔てなく降り注ぐべきなのだ。


※以下今朝の詩

    
        みどりの日

      こころが豊かになる
      ほんのりと緑が匂う
      それはある日の野辺

      若草は陽を浴びて
      きらきらと輝いている

      踏まれた日もあった
      冷たい霜に覆われた日も
      けれども嘆くことをせず
      空を仰ぎ続けて来たのだ

      そうして訪れた春である
      願いはきっと叶うだろう

      草として生きて来た
      小さな花だって咲く
      それはまるで夢のよう

      ゆらゆらと風になびく
      空はどこまでもあおい









2025年05月03日(土) 未来へ

若葉冷えを思わす朝であったが日中はすっかり初夏の陽気となる。

盛りを越えたツツジが少しずつ枯れ始めた。

椿のように花ごと落ちているのもあれば

茶色に染まり木にしがみついている花もある。

おそらく種類が違うのだろうがよく分からなかった。

どちらにせよツツジの季節が終わろうとしているのだ。



入院3日目となった義父はひたすら嘆くばかりである。

田植えどころではなくなりその失望はとても大きい。

おまけに絶食を強いられており何も口に出来ないのだそうだ。

飲まず食わずである。その辛さは並大抵のことではないだろう。

とにかく辛抱をと宥めるばかりだが何とも憐れでならなかった。





あやちゃん13歳の誕生日である。

「おめでとう」と告げれば「ありがと」と朝からとても機嫌が良い。

その笑顔を見るだけでほっと救われたような気持ちになった。

大きな葛藤もあるだろう。苦悩を抱えたままの日々である。

どうすれば良いのかその答えも分からないままであった。


娘が家に居るようになってから随分と明るくなったように思う。

やはりまだ母親が必要な年頃である。娘も感じているようだった。

そのせいか積極的に新しい仕事を探しているようにも見えない。

あやちゃんが一番に求めていることなのかもしれなかった。


長女として生まれ私達にとっては初孫であったが

それは目に入れても痛くない程に可愛くてならなかった。

成長を願いどれ程愛情を注いで来たことだろう。

今のように不登校になるなど誰も思ってもいなかった。


そんなあやちゃんにだって未来がある。

少女から大人になるのだ。それが未来でなくて何だろうと思う。

恋をする日も来るだろう。愛する人に巡り会う日も。

そうしてやがては母親になる日がきっと来るのに違いない。


見守ることを投げ出してはならないのだ。

今日明日のことではない。長い目で見待ってやらねばならない。

そうして何よりも傷つけてはならないのだと思う。


あやちゃんは決して独りぼっちではなかった。

家族一丸となり寄り添いながら守り続けて行きたい。


※以下今朝の詩


           底

      どん底ではあるまい
      微かに清い水がある
 
      五月の空は澄み渡り
      陽射しは分け隔てなく
      降り注ぐばかりである

      大河はゆったりと流れ
      海の声に耳を澄ませる
      希は絶たれはしないのだ

      もがきくるしみあがく
      そんな愚かさもやがて
      報われる日が来るだろう

      底を生きていればこそ
      仰ぐことが出来るのだ

      水面の上には確かに
      五月の空が輝いている




2025年05月02日(金) おつむにおむつ

明け方まで雨が降っていたが夜明けと共に青空になる。

まずまずの雨量だったので恵みの雨となったことだろう。

山里では明日からの連休中に殆どの田植えが終わりそうである。

義父の田んぼはまだ半分以上残っておりどうなることやらと心配であった。


早朝にやっと義父から連絡がありやはり入院になったとのこと。

余程容態が悪かったのか昨夜は集中治療室で夜を明かしたらしい。

どんなにか心細く不安だったことだろう。

まるでまな板の上の鯉のような状態である。


幸い下血は止まっているがまだ精密検査が必要とのこと。

連休明けまで退院は無理だろうとひたすら嘆いていた。

もし早めに退院出来ても直ぐに無理をするに決まっている。

頭の中は田んぼのことでいっぱいになっているようだ。

前回の入院の時も帰るなりの農作業であった。

その後もずっと死に物狂いに働いで来たのである。

いくら気が張っていても老体には厳しかったのに違いない。

絶対安静とのこと。今回は何としてもそれを守って欲しいと願う。


同僚の協力があり工場の仕事は一段落着いた。

義父からは7回も着信がありあれこれと気掛かりだったのだろう。

飼い猫の心配もしておりそれは義父の友人が引き受けてくれた。

とにかく何も心配はいらないと伝えるのが精一杯であった。


明日から4日間の連休である。私も仕事のことを忘れてしまいたい。

山あり谷ありならば谷川のせせらぎに耳を澄ませていよう。

そうしてまた山を越えて行く。決して挫けてはならない。


四万十川の土手には白いチガヤの穂が見え始めた。

野薊も咲き始めすっかり初夏の装いである。

季節はそうして移り変わって行くのだった。


※以下今朝の詩


         おむつ

      さてどうしましょう
      おつむがおむつになった

      おしっことうんちで
      おつむはよごれている

      清々しい五月が始まり
      新しい息が生まれたが
      吹き抜ける風に訊けば
      見つからない事ばかり

      希望は夢にひとしい
      叶えるための努力を
      惜しんではならない

      ひとつきりのおつむ
      いちまいきりのおむつ

      どうして捨てられようか
      どれほど汚れてしまっても
      嘆いてはならないのだ



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