ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月05日(月) こどもの日

二十四節気の「立夏」暦の上では夏の始まりとされ

緑がいっそう濃くなり陽射しが眩しくなる頃である。


川向かいのパン屋さんの庭にそれは見事な藤棚があったのだが

今日前を通るともう藤の面影さえ見えなかった。

立夏を知っているかのように儚く散ってしまったのだろう。

何だか目の前に「現実」を突き付けられたような衝撃を感じる。

散ってこその夏である。夏の花は何処で息をしているのだろう。



入院中の義父からは連絡がなかったが落ち着いているのだろうと

敢えてこちらから電話もせずに一日が暮れてしまった。

もう少しの辛抱である。順調に快復することをひたすら願うばかりであった。





連休も3日目となれば苦痛としか云いようがない。

一日の何と長いことだろう。

今日は気分転換を兼ねて夫の夏物のズボンを買いに行く。

余程思いがけなかったのか夫は子供のように喜んでいた。

定員さんにウエストを測って貰ったら何と100センチもある。

大きいサイズの専門店ではないので探すのに一苦労であった。

若い男性の定員さんが二人係で探してくれてやっと見つかる。

裾上げは無料で助かり20分程で仕上がった。

夏用の帽子も買う。我が夫ながらよく似合っていて惚れ惚れとする。

ズボン二枚とベルト、帽子で5200円の安さであった。

私の衣服と比べると何と安上がりなことだろう。

その上に夫が上機嫌となれば大きな得をしたように思う。


その上機嫌を良いことに昼食を誘ったら直ぐに了解してくれる。

西へと車を走らせ「一風」でいつものラーメンセットを食べた。

最近食が細くなった夫はやっとの思いで食べたようだ。

大食いの私には丁度良い量で何とも幸せな気分である。

「これで連休はおしまい」と思わず呟いていた。

欲を云えばきりがないのだ。これ以上望むことなど何もない。


帰宅後はひたすら眠る。久しぶりに母の夢を見た。

一緒に仕事をしている夢だったが言い争うことはなかった。

ほのぼのと穏やかな夢で母が懐かしくてならない。


「こどもの日」でもあり娘達はかつての海苔の作業場でBBQとのこと。

作業場は娘達がすっかり手を施しもはや別荘のようになっている。

生け簀もあり伊勢海老やアワビも育てているのだった。


あやちゃんは例の如くでお留守番であったが

部屋の灯りも点けず毛布にすっぽりと包まっていた。

その姿があまりにも憐れに思い声を掛けたが

「行きたくないけん行かなかっただけじゃん」と荒い声が返って来る。

娘達も最初から諦めており誘うこともしなかったのだ。

けれども誘ってやって欲しかった。それが老婆心である。

あやちゃんは寂しいとは一言も云わないが本心は誰も知らない。

背中を押してはならないが背中にそっと手を載せてやりたいものだ。


※以下今朝の詩(息子が初めて歩いた日のこと)


        こどもの日

      はじめて歩いた日は
      土手の緑が萌える頃
      そよ吹く風に支えられ
      ひよこのように歩いた

      きみの夢は何だろう
      おおきくなったらね
      未来は空のように広く
      果てしなく続いている

      苦労などさせたくはない
      涙を流す日がないように
      母は祈り続けてきたのだ

      よちよちと歩くその一歩が
      希望でなくてなんだろう

      きみは空を仰いでいた
      きらきらと輝く瞳には
      初夏の風が見えるようだ











2025年05月04日(日) みどりの日

雲一つない快晴。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

長いこと咲いてくれた桜草もとうとう散り始める。

右隣の奥さんは茎を切り落とさず来年まで残して置くのだそうだ。

とにかく手を入れてはいけないらしい。そっとするべき花である。

私は花の知識に疎いが右隣の奥さんは花博士のような人だった。



入院中の義父はやっとお粥が食べられるようになったとのこと。

今朝はスープも付いておりよほど嬉しかったのだろう。

声も弾んでおり嘆くこともせず私も目の前が明るくなった。

連休明けには退院が出来るかもしれないがそればかりは勝手が出来ず

医師の判断に任せるしかない。やはり俎板の上の鯉である。

大きな失望と焦りであるが義父の身体を一番に重んじるべきだろう。





午後けたたましくサイレンが鳴り響き近くの平野地区で火災があった。

元消防団長の夫は居ても立ってもいられなくなり現場を見に行くと云う。

現役の消防団員である娘婿は既に消火活動に向かっていた。

平野地区は海の見える高台にあり今は高級住宅地であったが

火災は昔からある住宅らしく隣家にも火が燃え移っているようだった。

野次馬などもっての外である。現場周辺は沢山の消防車であった。

興奮していた夫もやっと我に帰り邪魔は禁物と気づいたようである。


3時間ほど燃え続けただろうか。4時頃鎮火の防災放送が流れた。

帰宅した娘婿に聞けば3棟の住宅が全焼したらしい。

何と気の毒なことだろう。何もかも焼け尽くされてしまったのだ。

せめて住民の命だけは無事であって欲しいと願うばかりであった。


いつ何があるか分からない世の中である。

火災は日頃から用心していれば防げるが延焼は免れようがない。

台風や地震ともなれば決して逆らうことも出来ないのだ。

自然災害が起こる度に明日は我が身だと思う。

如何にして身を守るかだが何ととてつもなく大きな不安だろうか。


「笑点」が終われば「ちびまる子ちゃん」があり「サザエさん」がある。

日曜日の夜はこの上なく平和であった。

けれどもそんな平和とは全くかけ離れている人が居ることを忘れてはならない。

せめて朝の光だけは分け隔てなく降り注ぐべきなのだ。


※以下今朝の詩

    
        みどりの日

      こころが豊かになる
      ほんのりと緑が匂う
      それはある日の野辺

      若草は陽を浴びて
      きらきらと輝いている

      踏まれた日もあった
      冷たい霜に覆われた日も
      けれども嘆くことをせず
      空を仰ぎ続けて来たのだ

      そうして訪れた春である
      願いはきっと叶うだろう

      草として生きて来た
      小さな花だって咲く
      それはまるで夢のよう

      ゆらゆらと風になびく
      空はどこまでもあおい









2025年05月03日(土) 未来へ

若葉冷えを思わす朝であったが日中はすっかり初夏の陽気となる。

盛りを越えたツツジが少しずつ枯れ始めた。

椿のように花ごと落ちているのもあれば

茶色に染まり木にしがみついている花もある。

おそらく種類が違うのだろうがよく分からなかった。

どちらにせよツツジの季節が終わろうとしているのだ。



入院3日目となった義父はひたすら嘆くばかりである。

田植えどころではなくなりその失望はとても大きい。

おまけに絶食を強いられており何も口に出来ないのだそうだ。

飲まず食わずである。その辛さは並大抵のことではないだろう。

とにかく辛抱をと宥めるばかりだが何とも憐れでならなかった。





あやちゃん13歳の誕生日である。

「おめでとう」と告げれば「ありがと」と朝からとても機嫌が良い。

その笑顔を見るだけでほっと救われたような気持ちになった。

大きな葛藤もあるだろう。苦悩を抱えたままの日々である。

どうすれば良いのかその答えも分からないままであった。


娘が家に居るようになってから随分と明るくなったように思う。

やはりまだ母親が必要な年頃である。娘も感じているようだった。

そのせいか積極的に新しい仕事を探しているようにも見えない。

あやちゃんが一番に求めていることなのかもしれなかった。


長女として生まれ私達にとっては初孫であったが

それは目に入れても痛くない程に可愛くてならなかった。

成長を願いどれ程愛情を注いで来たことだろう。

今のように不登校になるなど誰も思ってもいなかった。


そんなあやちゃんにだって未来がある。

少女から大人になるのだ。それが未来でなくて何だろうと思う。

恋をする日も来るだろう。愛する人に巡り会う日も。

そうしてやがては母親になる日がきっと来るのに違いない。


見守ることを投げ出してはならないのだ。

今日明日のことではない。長い目で見待ってやらねばならない。

そうして何よりも傷つけてはならないのだと思う。


あやちゃんは決して独りぼっちではなかった。

家族一丸となり寄り添いながら守り続けて行きたい。


※以下今朝の詩


           底

      どん底ではあるまい
      微かに清い水がある
 
      五月の空は澄み渡り
      陽射しは分け隔てなく
      降り注ぐばかりである

      大河はゆったりと流れ
      海の声に耳を澄ませる
      希は絶たれはしないのだ

      もがきくるしみあがく
      そんな愚かさもやがて
      報われる日が来るだろう

      底を生きていればこそ
      仰ぐことが出来るのだ

      水面の上には確かに
      五月の空が輝いている




2025年05月02日(金) おつむにおむつ

明け方まで雨が降っていたが夜明けと共に青空になる。

まずまずの雨量だったので恵みの雨となったことだろう。

山里では明日からの連休中に殆どの田植えが終わりそうである。

義父の田んぼはまだ半分以上残っておりどうなることやらと心配であった。


早朝にやっと義父から連絡がありやはり入院になったとのこと。

余程容態が悪かったのか昨夜は集中治療室で夜を明かしたらしい。

どんなにか心細く不安だったことだろう。

まるでまな板の上の鯉のような状態である。


幸い下血は止まっているがまだ精密検査が必要とのこと。

連休明けまで退院は無理だろうとひたすら嘆いていた。

もし早めに退院出来ても直ぐに無理をするに決まっている。

頭の中は田んぼのことでいっぱいになっているようだ。

前回の入院の時も帰るなりの農作業であった。

その後もずっと死に物狂いに働いで来たのである。

いくら気が張っていても老体には厳しかったのに違いない。

絶対安静とのこと。今回は何としてもそれを守って欲しいと願う。


同僚の協力があり工場の仕事は一段落着いた。

義父からは7回も着信がありあれこれと気掛かりだったのだろう。

飼い猫の心配もしておりそれは義父の友人が引き受けてくれた。

とにかく何も心配はいらないと伝えるのが精一杯であった。


明日から4日間の連休である。私も仕事のことを忘れてしまいたい。

山あり谷ありならば谷川のせせらぎに耳を澄ませていよう。

そうしてまた山を越えて行く。決して挫けてはならない。


四万十川の土手には白いチガヤの穂が見え始めた。

野薊も咲き始めすっかり初夏の装いである。

季節はそうして移り変わって行くのだった。


※以下今朝の詩


         おむつ

      さてどうしましょう
      おつむがおむつになった

      おしっことうんちで
      おつむはよごれている

      清々しい五月が始まり
      新しい息が生まれたが
      吹き抜ける風に訊けば
      見つからない事ばかり

      希望は夢にひとしい
      叶えるための努力を
      惜しんではならない

      ひとつきりのおつむ
      いちまいきりのおむつ

      どうして捨てられようか
      どれほど汚れてしまっても
      嘆いてはならないのだ




2025年05月01日(木) 風薫る五月

夏も近づく八十八夜。曇り空の一日となり今夜は雨になりそうである。

八十八は「米」にも当てはまり昔は稲の種蒔きをしたのだそうだ。

縁起の良い日とされ豊作を願ってのことだろう。

今は田植えが早くなり廃れかけた習わしなのかもしれない。



今朝はまた一大事。アクシデントと云うべきだろうか。

義父が早朝から下血があり急きょ病院へ向かった。

県立病院には二度と行きたくないと云い張り市内の内科を受診したが

検査の結果やはりまた十二指腸潰瘍とのこと。

小さな病院では処置が出来ず渋々であったが県立病院へ向かう。

また入院だろうか、点滴は絶対に嫌だと泣きそうな声であった。

それがお昼前のことでその後連絡が途絶え今に至っている。

携帯の電源は切っており私から連絡することも出来ない。


入院を免れ帰って来るかもしれないと4時まで待ったが帰らず

仕方なく後ろ髪を引かれるように帰路に就いた。

県立病院へ行くことも考えたが前回もそうだったように

例の女性が来ている可能性が大きい。

もし入院となってもここは頼るしかないだろうと思った。

鉢合わせをしてしまえば義父もきっと困ることだろう。


リハビリの日であったがそれどころではなくキャンセルした。

おまけに仕事の電話がひっきりなしに掛かって来る。

どうしてこんな日に限ってと恨みがましくも思う。

帰宅してからも電話がありどっと疲れに襲われていた。


とにかく明日のことと気分を入れ替えているが

あがけばあがくほど泥沼に足を取られそうであった。

一番辛いのは義父である。どんなにか焦っていることだろう。

田んぼどころではないのだ。一歩間違えば命取りになる。


夕飯時に夫と話していたのだがもしかしたら母の仕業かもしれない。

生前の母は義父の稲作に大反対していて言い争いが絶えなかったのだ。

母がそれほど執念深いとは思えないが

ちょっと悪戯心があっても不思議ではなかった。

それは考え過ぎだろうと夫と笑い飛ばしてしまったが

母はずっと見ているのだ。魂とはそう云うものだと私は思う。

しかしそんな母ならばきっと助けてくれるだろう。

私の苦労を見て見ぬふりなど決してしないはずである。


荒れ模様の五月の始まりであったが穏やかな日もきっとあるだろう。

そう信じて明日は明日の風に吹かれようではないか。


※以下今朝の詩


          五月

       風が薫る季節である
       花々は精を尽くし咲き
       蜜を求めて飛び交う蜂

       やわらかで優しい風だ
       過ぎた日の哀しみなど
       些細なことなのだろう

       樹々は若葉につつまれ
       それぞれの想いを語る
       老いた樹は命を惜しみ
       若い樹は未来を夢見る

       薫ることは息であった
       風に身を任せていると
       途絶えることはあらず
       風そのものとなって
       空を舞い続けている

       じゅうぶんに生きたのか
       問えば問うほどに
       季節は深まっていくばかり







2025年04月30日(水) 野となれ山となれ

寒からず暑からずで過ごし易い一日であった。

藤の花が散り始めたのかまるで貝殻のようである。

幼い子供なら一枚一枚手のひらに集めたことだろう。


椿は落ちる。馬酔木は枯れる。桜は散り藤も散る。

どんな花にも尽く時がありまた巡ってくる季節を待つ。

それは人にはとうてい叶わない自然界の摂理であった。



朝の道を職場に向かっていると田植えをしている義父の姿を見つける。

軽トラックで苗を運んでいるのは義父の友人であった。

田植えをするとは全く聞いていなかったので少し戸惑う。

今日の仕事の段取りがご破算になってしまいそうだった。

今更止める訳にも行かず諦めるしかないと思っていたのだが

10時過ぎにひょっこりと帰って来てくれてとてもほっとした。

けれども少し休むとまた田んぼへ代掻きに出掛けてしまう。

車検待ちの車があることを大急ぎで伝えるのが精一杯であった。


お昼過ぎには帰って来てくれたが今度はハウスの管理に出掛ける。

苗が枯れないように毎日水遣りをする必要があった。

毎日のことで手間が掛かるのでアルバイトの女性を雇っていたが

実家のお母さんが亡くなられたそうでしばらく休むのだそうだ。

こればかりは仕方なく義父が管理をしなければならなくなった。


3時になっても帰らず4時前になってやっと帰って来てくれる。

車検のことは忘れてはおらず直ぐに取り掛かってくれ大助かりであった。

4時半になり同僚と納車に行き遅くなったことを深く詫びる。

新規のお客さんだったので気が気ではなかったが

気を損ねた様子も見られずむしろ上機嫌であった。


5時前に帰路に就いたがもう買い物をする時間もない。

娘に電話をしたら冷蔵庫にある物で間に合いそうだった。

峠道を下りながら何と慌ただしい一日だったことかと振り返る。


金策は何とかなり大口の支払いも無事に済ますことが出来た。

一時的に借金をしてしまったが直ぐに返済出来るだろう。

とにかく今日のことである。後は野となれ山となれなのだ。

商売には行き当たりばったりもなければならない。

例え落とし穴があろうと進まなければいけない道がある。

急場さえ凌いでいればまた穏やかな谷が見えて来るのではないだろうか。


カレンダーを5月にする。もうさらば4月であった。

母の遺影に手を合わせ「お疲れさま」と手を合わす。


※以下今朝の詩


           晦日

        はるなつあきふゆ
        どれほどの季節を
        乗り越えて来たか

        花は散り尽きた春
        陽が燃え続けた夏
        秋は空が高くなり
        雪が舞う冷たい冬

        晦日は約束を果たし
        新しく契りをむすぶ

        日々があってこそと
        命の行く末を知った

        終らなければ
        始められない

        もう振り向くのはよそう




          



2025年04月29日(火) たったひとりで

雲一つない快晴。気温も暑さに届かず爽やかな一日だった。


朝のうちに買物に出ればホームセンターに人だかりが出来ている。

何事だろうとようく見れば夏野菜の苗を買い求める人達であった。

茄子、胡瓜、トマト、オクラやゴーヤの苗もあるようだった。


姑さんが残してくれた畑があるがもうすっかり荒れ果てている。

夫は野菜作りなど全く関心がなく私の足では耕すことも出来ない。

せめて庭先にプランターを並べてと毎年思うだけのことであった。

好きなのに行動が伴わない。そうして直ぐに諦めてしまうのだ。

夏になればご近所さんが必ず野菜を届けてくれるのだが

自分で作る野菜ならばどれほど楽しみなことだろうか。




「昭和の日」で祝日。昔は昭和天皇の誕生日であった。

火曜日に仕事が休みなのはどうにも手持ち無沙汰でいけない。

休みが嬉しいどころかむしろ苦しいと云っても過言ではないだろう。

おまけに明日はとうとう月末である。仕事の事が頭から離れなかった。

こんな有り様では来月の4連休が怖ろしくなるばかりである。


午前中はなるべく寝ないように心掛けていたが午後は力が尽きていた。

また3時間も寝てしまい怠惰の波に揉まれるばかりである。

とても不思議な夢を見た。隣に誰かが寝ているのだが

その人の指に口づけをし何と口に含んでしまったのだった。

いったい誰だろう。それは夫の指ではないのは確かである。


気恥ずかしさと後ろめたさで目が覚めた。

気のせいではなく胸が高まり熱く燃えているような午後の事である。


70歳が近くなった老いた我が身であるが

もしかしたらまだ「おんな」なのかもしれないと思う。

それは嫌悪にも等しく拭い去りたいような現実であった。

「ああ嫌だ、嫌だ」おんなはもう懲り懲りである。


若い頃には死ぬまで女でいたいと夢のように願っていたが

歳を重ねるごとにそれがどれ程愚かなことかと思い知るようになった。


私は「にんげん」でありたい。たったひとりの人間でありたい。

そうして今生を全うするのが私の夢である。


※以下今朝の詩

  
        昭和


     ミレービスケット
     アイスキャンデー
     ラムネとカルピス

     お小遣いは10円
     ビスケットは20枚
     アイスは2本買えた

     穴の開いていない5円玉
     母の財布からそれを盗む
     アイスが2本買えるのだ
     蝉しぐれが聞こえる
     暑い夏の午後のこと

     アイスを2本手に取ると
     駄菓子屋のおじさんが
     駄目だよと言うのだった

     10円だと思っていたのは
     穴の開いていない5円玉だったのだ

     オレンジ色のアイスと
     水色のアイスを食べたかったが
     どちらかを選ばねばならない

     かなしみと後悔である
     もう二度と盗んではならない

     涙のように汗を流しながら
     オレンジ色のアイスを食べた



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