夏も近づく八十八夜。曇り空の一日となり今夜は雨になりそうである。
八十八は「米」にも当てはまり昔は稲の種蒔きをしたのだそうだ。
縁起の良い日とされ豊作を願ってのことだろう。
今は田植えが早くなり廃れかけた習わしなのかもしれない。
今朝はまた一大事。アクシデントと云うべきだろうか。
義父が早朝から下血があり急きょ病院へ向かった。
県立病院には二度と行きたくないと云い張り市内の内科を受診したが
検査の結果やはりまた十二指腸潰瘍とのこと。
小さな病院では処置が出来ず渋々であったが県立病院へ向かう。
また入院だろうか、点滴は絶対に嫌だと泣きそうな声であった。
それがお昼前のことでその後連絡が途絶え今に至っている。
携帯の電源は切っており私から連絡することも出来ない。
入院を免れ帰って来るかもしれないと4時まで待ったが帰らず
仕方なく後ろ髪を引かれるように帰路に就いた。
県立病院へ行くことも考えたが前回もそうだったように
例の女性が来ている可能性が大きい。
もし入院となってもここは頼るしかないだろうと思った。
鉢合わせをしてしまえば義父もきっと困ることだろう。
リハビリの日であったがそれどころではなくキャンセルした。
おまけに仕事の電話がひっきりなしに掛かって来る。
どうしてこんな日に限ってと恨みがましくも思う。
帰宅してからも電話がありどっと疲れに襲われていた。
とにかく明日のことと気分を入れ替えているが
あがけばあがくほど泥沼に足を取られそうであった。
一番辛いのは義父である。どんなにか焦っていることだろう。
田んぼどころではないのだ。一歩間違えば命取りになる。
夕飯時に夫と話していたのだがもしかしたら母の仕業かもしれない。
生前の母は義父の稲作に大反対していて言い争いが絶えなかったのだ。
母がそれほど執念深いとは思えないが
ちょっと悪戯心があっても不思議ではなかった。
それは考え過ぎだろうと夫と笑い飛ばしてしまったが
母はずっと見ているのだ。魂とはそう云うものだと私は思う。
しかしそんな母ならばきっと助けてくれるだろう。
私の苦労を見て見ぬふりなど決してしないはずである。
荒れ模様の五月の始まりであったが穏やかな日もきっとあるだろう。
そう信じて明日は明日の風に吹かれようではないか。
※以下今朝の詩
五月
風が薫る季節である 花々は精を尽くし咲き 蜜を求めて飛び交う蜂
やわらかで優しい風だ 過ぎた日の哀しみなど 些細なことなのだろう
樹々は若葉につつまれ それぞれの想いを語る 老いた樹は命を惜しみ 若い樹は未来を夢見る
薫ることは息であった 風に身を任せていると 途絶えることはあらず 風そのものとなって 空を舞い続けている
じゅうぶんに生きたのか 問えば問うほどに 季節は深まっていくばかり
寒からず暑からずで過ごし易い一日であった。
藤の花が散り始めたのかまるで貝殻のようである。
幼い子供なら一枚一枚手のひらに集めたことだろう。
椿は落ちる。馬酔木は枯れる。桜は散り藤も散る。
どんな花にも尽く時がありまた巡ってくる季節を待つ。
それは人にはとうてい叶わない自然界の摂理であった。
朝の道を職場に向かっていると田植えをしている義父の姿を見つける。
軽トラックで苗を運んでいるのは義父の友人であった。
田植えをするとは全く聞いていなかったので少し戸惑う。
今日の仕事の段取りがご破算になってしまいそうだった。
今更止める訳にも行かず諦めるしかないと思っていたのだが
10時過ぎにひょっこりと帰って来てくれてとてもほっとした。
けれども少し休むとまた田んぼへ代掻きに出掛けてしまう。
車検待ちの車があることを大急ぎで伝えるのが精一杯であった。
お昼過ぎには帰って来てくれたが今度はハウスの管理に出掛ける。
苗が枯れないように毎日水遣りをする必要があった。
毎日のことで手間が掛かるのでアルバイトの女性を雇っていたが
実家のお母さんが亡くなられたそうでしばらく休むのだそうだ。
こればかりは仕方なく義父が管理をしなければならなくなった。
3時になっても帰らず4時前になってやっと帰って来てくれる。
車検のことは忘れてはおらず直ぐに取り掛かってくれ大助かりであった。
4時半になり同僚と納車に行き遅くなったことを深く詫びる。
新規のお客さんだったので気が気ではなかったが
気を損ねた様子も見られずむしろ上機嫌であった。
5時前に帰路に就いたがもう買い物をする時間もない。
娘に電話をしたら冷蔵庫にある物で間に合いそうだった。
峠道を下りながら何と慌ただしい一日だったことかと振り返る。
金策は何とかなり大口の支払いも無事に済ますことが出来た。
一時的に借金をしてしまったが直ぐに返済出来るだろう。
とにかく今日のことである。後は野となれ山となれなのだ。
商売には行き当たりばったりもなければならない。
例え落とし穴があろうと進まなければいけない道がある。
急場さえ凌いでいればまた穏やかな谷が見えて来るのではないだろうか。
カレンダーを5月にする。もうさらば4月であった。
母の遺影に手を合わせ「お疲れさま」と手を合わす。
※以下今朝の詩
晦日
はるなつあきふゆ どれほどの季節を 乗り越えて来たか
花は散り尽きた春 陽が燃え続けた夏 秋は空が高くなり 雪が舞う冷たい冬
晦日は約束を果たし 新しく契りをむすぶ
日々があってこそと 命の行く末を知った
終らなければ 始められない
もう振り向くのはよそう
雲一つない快晴。気温も暑さに届かず爽やかな一日だった。
朝のうちに買物に出ればホームセンターに人だかりが出来ている。
何事だろうとようく見れば夏野菜の苗を買い求める人達であった。
茄子、胡瓜、トマト、オクラやゴーヤの苗もあるようだった。
姑さんが残してくれた畑があるがもうすっかり荒れ果てている。
夫は野菜作りなど全く関心がなく私の足では耕すことも出来ない。
せめて庭先にプランターを並べてと毎年思うだけのことであった。
好きなのに行動が伴わない。そうして直ぐに諦めてしまうのだ。
夏になればご近所さんが必ず野菜を届けてくれるのだが
自分で作る野菜ならばどれほど楽しみなことだろうか。

「昭和の日」で祝日。昔は昭和天皇の誕生日であった。
火曜日に仕事が休みなのはどうにも手持ち無沙汰でいけない。
休みが嬉しいどころかむしろ苦しいと云っても過言ではないだろう。
おまけに明日はとうとう月末である。仕事の事が頭から離れなかった。
こんな有り様では来月の4連休が怖ろしくなるばかりである。
午前中はなるべく寝ないように心掛けていたが午後は力が尽きていた。
また3時間も寝てしまい怠惰の波に揉まれるばかりである。
とても不思議な夢を見た。隣に誰かが寝ているのだが
その人の指に口づけをし何と口に含んでしまったのだった。
いったい誰だろう。それは夫の指ではないのは確かである。
気恥ずかしさと後ろめたさで目が覚めた。
気のせいではなく胸が高まり熱く燃えているような午後の事である。
70歳が近くなった老いた我が身であるが
もしかしたらまだ「おんな」なのかもしれないと思う。
それは嫌悪にも等しく拭い去りたいような現実であった。
「ああ嫌だ、嫌だ」おんなはもう懲り懲りである。
若い頃には死ぬまで女でいたいと夢のように願っていたが
歳を重ねるごとにそれがどれ程愚かなことかと思い知るようになった。
私は「にんげん」でありたい。たったひとりの人間でありたい。
そうして今生を全うするのが私の夢である。
※以下今朝の詩
昭和
ミレービスケット アイスキャンデー ラムネとカルピス
お小遣いは10円 ビスケットは20枚 アイスは2本買えた
穴の開いていない5円玉 母の財布からそれを盗む アイスが2本買えるのだ 蝉しぐれが聞こえる 暑い夏の午後のこと
アイスを2本手に取ると 駄菓子屋のおじさんが 駄目だよと言うのだった
10円だと思っていたのは 穴の開いていない5円玉だったのだ
オレンジ色のアイスと 水色のアイスを食べたかったが どちらかを選ばねばならない
かなしみと後悔である もう二度と盗んではならない
涙のように汗を流しながら オレンジ色のアイスを食べた
朝の気温をそのままに日中は冷たい雨となった。
季節的にはもう「寒の戻り」とは云えないが
明日の朝は今朝よりも気温が下がるのだそうだ。
大雨ではなかったが断続的に降り続いたおかげで
田畑にとっては恵みの雨となったことだろう。
まだ田植えが完全に終わらない農家も多く
少しでも水不足が解消されたのではないだろうか。

晴耕雨読ではないが義父は久しぶりの骨休みであった。
朝の内から大月町の友人宅へと出掛けお昼になっても帰らない。
おそらく昼食を共にしていたのだろう。
車検整備が完了した車があり帰りを待っていたのだが
2時を過ぎても帰らず仕方なく私も帰路に就くことにした。
出掛ける前に一言告げておけば良かったのだがもう後の祭りであった。
せっかくの休みである。やいやいと急かすのも気が引けるものだ。
明日は休業なので車検は明後日になるが思うように行くだろうか。
義父次第であるのが私の悩みの種でもあった。
3時過ぎに帰宅。家族は皆揃っていたが何と静かなことだろう。
めいちゃんは遠足が中止となり早めに下校していた。
娘婿は体調不良で仕事を休んでいたのだった。
病院へ行っていたが原因不明とのことで心配でならない。
もしかしたら「潜水病」ではと思うのだが娘は何も云ってはくれなかった。
とにかく毎週末の「素潜り漁」である。身体に支障がないとは云い切れない。
家族なら心配するのが当たり前に思うのだが娘達にはそれが伝わらないのだ。
夕飯は娘達の好きな「しゃぶしゃぶ」にしたが夫と私はあまり好まない。
それでも娘達に合わすのが家族円満の秘訣のように思う。
その反対の時もあるが娘達のブーイングにも慣れてしまった。
仕事も順調とは行かず家庭でも少なからずわだかまりがある。
何もかも思い通りに行かないのが人生の常なのだろう。
そこで嘆いてしまえば生きる甲斐もないように思う。
「何だってかかってこいや」と乗り越えて行かねばならない。
先日の恩師の言葉を思い出していた。
「ミカちゃんはすごい頑張っているね」と云ってくれたのだが
私にはその自覚が殆ど無いに等しい。
少しも頑張ってなどいないのだ。ただ毎日あがいているだけである。
このまま一生報われることはないだろうとさえ思う。
努力が足らないと云ってしまえばそれまでだが
あがけばあがくほど得体の知れない焦りに襲われるのだった。
生きてこその夢ならばとことん生きてみたいのだが
「いのち」ほど心細く不安なものがあるだろうか。
※以下今朝の詩。
ゆらゆら
手のひらで包み込む そうしないと いつまでも揺れ続ける
もうおんなではないのに ふとおんなをおもいだす
季節は初夏になろうとして 若葉は風に揺れるばかり
どれほどのいのちだろうか 心細くてならないけれど 貫けば貫く程に見失う道
辿り着けば報われるのか 生きてみないとわからない
哀しみがゆれる 儚さがゆれる
もう風に身を任すしかない
| 2025年04月27日(日) |
生きてみないとわからない |
朝の寒さはつかの間のこと日中は5月並みの暖かさとなる。
夏日にはならなかったので過ごし易い一日だった。
ツツジが満開となり色とりどりの花に心が和む。
何年前のことだったか夫と愛媛の大洲市に行った時のこと
ちょうどツツジ祭りが行われていて感動したことを思い出す。
もう二度と足を延ばすこともないだろう。忘れられない花となった。
昨夜はこの日記を書き終えるなり小学生時代の恩師から電話があり
あまりにも思いがけず涙がこぼれそうになった。
先週の高知新聞を見てくれたそうで私の声を聞きたくなったらしい。
ずっと高知市内に在住していたが今は東京暮らしになっている。
もう高知新聞に目を通すこともないだろうと思い込んでいた。
けれども時々帰省しており過去の新聞を取り寄せているのだそうだ。
小学4年生の時の担任だったからもうかれこれ60年の歳月が流れた。
その間一度も会ったことはないのに私のことを忘れないでいてくれる。
せめて電話番号だけでもと取り交わしたのも随分と昔のことだった。
新聞に私の短歌が出る度に電話やメールをしてくれ嬉しかった。
「頑張ってね」といつも励ましてくれてどれほど救われたことだろう。
その先生ももう83歳になったのだそうだ。
けれども何と若々しい声だろう。背筋の伸びた颯爽とした姿が目に浮かぶ。
弱音を吐く私に「まだまだこれからよ」と励ましてくれたのだ。
生きている限りである。何としても人生を全うしなければならない。
書くことが生きることなら書きながら死ぬことも出来るだろう。
そうして「これが私ですよ」と書き残して逝かねばならない。
それがどれほど愚かで儚いことであっても貫くために生きている。
花は散り朽ちても根を張り種を残すことが出来るのだから。
※以下今朝の詩
日にち薬
夜明け前のひと時が好きだ 息を数えていると何だか むくむくと心が動き出す
一粒の薬をのむ それは今日のために 神様が下さったもの
どんな一日になるのか 生きてみないとわからない
溢れんばかり陽射しを浴び 花のように生きていきたい
夜が明ければ薬が効き出す まるで一粒の奇跡のように
失ったことがあったのだろうか 歳月は彼方へと去り 新しい一日が始まる
ひんやりとした朝であったが日中は爽やかな晴天となる。
週間予報ではしばらく朝の寒さが続きそうだった。
愛用のちゃんちゃんこはもう少し仕舞わない方が良いだろう。
今朝は温風ヒーターが必要な肌寒さであった。
俳優の松山ケンイチが四国遍路に挑んでおり
SNSで毎朝報告があり楽しみにしている。
今朝は二十九番札所の国分寺であった。
高知県南国市に在るお寺だが私は一度も参拝したことはなく
見どころの多い古刹と聞き興味が湧かずにはいられなかった。
土佐路は札所から札所までの距離が遠いため
足を痛めるお遍路さんが多いらしい。
松山さんが歩き遍路なのかは定かではないが道中を気遣う。
やがては高知県西部に辿り着くことだろう。
もしかしたらその姿が見られるかもしれなかった。
それにしても忙しい俳優業の傍らによく決心したものだと思う。
長期の休暇を取るのも並大抵ではなかっただろう。
これまでのイメージが一転し尊敬せずにはいられなかった。

同僚が通院のため会社は臨時休業を決め気兼ねなく休むことが出来る。
今朝はアラームが鳴っても起きられず辛い程の眠気であった。
「春眠暁を覚えず」とは正にこの事である。
老体にムチを打ち過ぎたのだろうダル重の朝であった。
朝ドラを見終わってからそのまま2時間ほど眠る。
気の早い夫が炬燵を片付けてしまっており毛布にくるまっていた。
それでも寒く何だか目覚めが悪くしんどくてならない。
それからカーブスに向かったが本調子ではなかった。
お仲間さんが声を掛けてくれ何と90歳のお仲間さんが居るとのこと。
「ほら、あの人よ」と教えてくれたがその姿を見て驚く。
背筋は真っ直ぐに伸びており颯爽とした姿はとても90歳には見えない。
「私達も頑張らんといかんね」と互いに励まし合ったことだった。
しかし90歳まで生きていられるだろうか。
そんな不安が真っ先に浮かび心細くてならないのだ。
けれども励みにはなったのだろう。気が付けばもう怠さはなかった。
薄っすらと心地よく汗を流し別人になったように帰路に就く。
昼食後はまた毛布にくるまり3時半まで眠っていた。
内容は忘れてしまったが若い頃の夢を見ていたようだ。
ほんわかとした夢で心地よく目覚めることが出来る。
夢の中では足の痛みもないのだからこそ「夢」なのだろう。
最近は母の夢を見ることが殆ど無くなったが
昨夜もここに記したようにとても身近な存在であった。
きっと魂が安らいでいるのだろう。成仏したのに違いない。
私も母を心の底から赦すことが出来たのかもしれなかった。
歳月は「薬」である。その薬があってこそ明日を生きられるのだと思う。
※以下、今朝の詩。
若葉
若葉冷えなのだろうか きりりとした寒さである
引き締まるこころには 一本の老木がそびえていて 息を紡ぎながら夜明けを待つ
相応しい朝になるのだろう いつだって新しくなれる
枝先の若葉はこどもたち その愛しさに胸を熱くし ただひたすらに守ろうとする
過ちがあってはならない 正しさの行方を追うばかり
樹齢は定かではないが 随分と生き永らえて来た
いくつもの朝と季節を越え 若葉となればもう 今日を生きるしかない
曇り日であったが爽やかな風が吹いていた。
上空に寒気があるのだろうか明日の朝は少し冷え込みそうだ。
日中との寒暖差が激しいのはまだ春の名残なのだろう。
しかし陽射しはもう初夏である。風が薫る五月も近い。
朝の山道をを行けば若葉が目に沁みるように眩しかった。
もう冬枯れている木は見当たらず新緑の季節である。
もこもこと山が動いているように見えるのは椎の木の花らしい。
黄色とは呼べず黄な粉のような色をしている。
巨大なブロッコリーのようにも見えるが緑ではなかった。
椎の木の花が沢山咲いた年には大きな台風が来ると云う。
本当の事なのかは分からないがそんな言い伝えがある。
昔の人々が実際に経験して来たことなのだろう。

8時半前には職場に着いていたが今朝も義父の姿があった。
9時頃までは居てくれたが紛失した携帯電話が余程気になるらしく
昨日行っていた田んぼの周辺を探してみると云い残し飛び出して行った。
しかしやはり見つからなかったのか肩を落として帰って来る。
「もうそんな暇はない」すっかり諦めた様子でまた他の田んぼへ行く。
トラクターで代掻きを済ませないと田植えが出来ないのだ。
何とか見つけられないものかとドコモショップへ相談してみる。
義父の電話機にGPS機能が付いていれば探すことが出来るらしい。
店員さんが調べてくれていたがその最中に来客があった。
何と驚いたことに手には義父の電話機を持っているではないか。
自宅のすぐ裏が義父の田んぼで今朝裏庭で見つけたのだそうだ。
昨日作業をしている義父を見かけたのでそうに違いないと思ったらしい。
何と有難いことだろう。一刻も早く義父に報せてやりたかった。
しかし予備の電話を鳴らしても一向に繋がらない。
トラクターの音が大きいので着信音に気づかないのだろう。
例の如くでお昼になっても帰って来なかった。
急ぎの車検が入っていたので2時半には帰って欲しいと伝えてあったが
3時になっても帰らず意を決して田んぼに探しに行くことにした。
しかしあちらこちらに田んぼがあり何処に居るのか見当が付かない。
そうなればもう自分の直感だけが頼りであった。
私の直感はよく当たるのだがそれも母譲りである。
母は予知能力のようなものがあり霊感も強い人であった。
「絶対にあそこだ」そう信じて車を走らせる。
思った通りであった。義父のトラクターが直ぐに見つかる。
真っ先に携帯電話が見つかったことを話すとそれは大喜びしていた。
それから長靴のまま私の車に乗せ工場へとまっしぐらである。
4時前には車検が完了し同僚が宿毛市まで納車に行ってくれた。
お客さんとの約束を果たせ何とほっとしたことだろう。
義父も上機嫌でまた田んぼまで送り届けた。
日が暮れるまでには終わりそうとのこと。無我夢中の農作業である。
ずっと順調ではなかった仕事だが今日の達成感は大きい。
自分の直感を信じた結果だが何よりも母のおかげなのだと思った。
おそらく母の直感だったのだろう。私を導いてくれたのに違いない。
事務所の母の遺影に手を合わせ「母さんやったね」と声を掛けた。
毎朝「今日も一緒に頑張ろうね」「困った時には助けてね」と
声を掛けてから出掛けるのが日課であった。
母は決して死んでなどいない。ずっと私を見守ってくれているのだ。
※以下今朝の詩
風
強い風が吹いている 南からだろうか 西からだろうか 風にも名があるらしいが 何と呼べばいいのだろう
さわさわと若葉の声がする もう春ではいられなくなり 風は夏の手紙を届けに来た
もしや連れ去ってしまうのか 見失うその前に心に問うばかり
大切なものならば守りたい 風に逆らってでも守り抜く
風の声が心に沁みる やがては風そのものになる
すこうし痛い すこうし哀しい
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