朝の気温をそのままに日中は冷たい雨となった。
季節的にはもう「寒の戻り」とは云えないが
明日の朝は今朝よりも気温が下がるのだそうだ。
大雨ではなかったが断続的に降り続いたおかげで
田畑にとっては恵みの雨となったことだろう。
まだ田植えが完全に終わらない農家も多く
少しでも水不足が解消されたのではないだろうか。

晴耕雨読ではないが義父は久しぶりの骨休みであった。
朝の内から大月町の友人宅へと出掛けお昼になっても帰らない。
おそらく昼食を共にしていたのだろう。
車検整備が完了した車があり帰りを待っていたのだが
2時を過ぎても帰らず仕方なく私も帰路に就くことにした。
出掛ける前に一言告げておけば良かったのだがもう後の祭りであった。
せっかくの休みである。やいやいと急かすのも気が引けるものだ。
明日は休業なので車検は明後日になるが思うように行くだろうか。
義父次第であるのが私の悩みの種でもあった。
3時過ぎに帰宅。家族は皆揃っていたが何と静かなことだろう。
めいちゃんは遠足が中止となり早めに下校していた。
娘婿は体調不良で仕事を休んでいたのだった。
病院へ行っていたが原因不明とのことで心配でならない。
もしかしたら「潜水病」ではと思うのだが娘は何も云ってはくれなかった。
とにかく毎週末の「素潜り漁」である。身体に支障がないとは云い切れない。
家族なら心配するのが当たり前に思うのだが娘達にはそれが伝わらないのだ。
夕飯は娘達の好きな「しゃぶしゃぶ」にしたが夫と私はあまり好まない。
それでも娘達に合わすのが家族円満の秘訣のように思う。
その反対の時もあるが娘達のブーイングにも慣れてしまった。
仕事も順調とは行かず家庭でも少なからずわだかまりがある。
何もかも思い通りに行かないのが人生の常なのだろう。
そこで嘆いてしまえば生きる甲斐もないように思う。
「何だってかかってこいや」と乗り越えて行かねばならない。
先日の恩師の言葉を思い出していた。
「ミカちゃんはすごい頑張っているね」と云ってくれたのだが
私にはその自覚が殆ど無いに等しい。
少しも頑張ってなどいないのだ。ただ毎日あがいているだけである。
このまま一生報われることはないだろうとさえ思う。
努力が足らないと云ってしまえばそれまでだが
あがけばあがくほど得体の知れない焦りに襲われるのだった。
生きてこその夢ならばとことん生きてみたいのだが
「いのち」ほど心細く不安なものがあるだろうか。
※以下今朝の詩。
ゆらゆら
手のひらで包み込む そうしないと いつまでも揺れ続ける
もうおんなではないのに ふとおんなをおもいだす
季節は初夏になろうとして 若葉は風に揺れるばかり
どれほどのいのちだろうか 心細くてならないけれど 貫けば貫く程に見失う道
辿り着けば報われるのか 生きてみないとわからない
哀しみがゆれる 儚さがゆれる
もう風に身を任すしかない
| 2025年04月27日(日) |
生きてみないとわからない |
朝の寒さはつかの間のこと日中は5月並みの暖かさとなる。
夏日にはならなかったので過ごし易い一日だった。
ツツジが満開となり色とりどりの花に心が和む。
何年前のことだったか夫と愛媛の大洲市に行った時のこと
ちょうどツツジ祭りが行われていて感動したことを思い出す。
もう二度と足を延ばすこともないだろう。忘れられない花となった。
昨夜はこの日記を書き終えるなり小学生時代の恩師から電話があり
あまりにも思いがけず涙がこぼれそうになった。
先週の高知新聞を見てくれたそうで私の声を聞きたくなったらしい。
ずっと高知市内に在住していたが今は東京暮らしになっている。
もう高知新聞に目を通すこともないだろうと思い込んでいた。
けれども時々帰省しており過去の新聞を取り寄せているのだそうだ。
小学4年生の時の担任だったからもうかれこれ60年の歳月が流れた。
その間一度も会ったことはないのに私のことを忘れないでいてくれる。
せめて電話番号だけでもと取り交わしたのも随分と昔のことだった。
新聞に私の短歌が出る度に電話やメールをしてくれ嬉しかった。
「頑張ってね」といつも励ましてくれてどれほど救われたことだろう。
その先生ももう83歳になったのだそうだ。
けれども何と若々しい声だろう。背筋の伸びた颯爽とした姿が目に浮かぶ。
弱音を吐く私に「まだまだこれからよ」と励ましてくれたのだ。
生きている限りである。何としても人生を全うしなければならない。
書くことが生きることなら書きながら死ぬことも出来るだろう。
そうして「これが私ですよ」と書き残して逝かねばならない。
それがどれほど愚かで儚いことであっても貫くために生きている。
花は散り朽ちても根を張り種を残すことが出来るのだから。
※以下今朝の詩
日にち薬
夜明け前のひと時が好きだ 息を数えていると何だか むくむくと心が動き出す
一粒の薬をのむ それは今日のために 神様が下さったもの
どんな一日になるのか 生きてみないとわからない
溢れんばかり陽射しを浴び 花のように生きていきたい
夜が明ければ薬が効き出す まるで一粒の奇跡のように
失ったことがあったのだろうか 歳月は彼方へと去り 新しい一日が始まる
ひんやりとした朝であったが日中は爽やかな晴天となる。
週間予報ではしばらく朝の寒さが続きそうだった。
愛用のちゃんちゃんこはもう少し仕舞わない方が良いだろう。
今朝は温風ヒーターが必要な肌寒さであった。
俳優の松山ケンイチが四国遍路に挑んでおり
SNSで毎朝報告があり楽しみにしている。
今朝は二十九番札所の国分寺であった。
高知県南国市に在るお寺だが私は一度も参拝したことはなく
見どころの多い古刹と聞き興味が湧かずにはいられなかった。
土佐路は札所から札所までの距離が遠いため
足を痛めるお遍路さんが多いらしい。
松山さんが歩き遍路なのかは定かではないが道中を気遣う。
やがては高知県西部に辿り着くことだろう。
もしかしたらその姿が見られるかもしれなかった。
それにしても忙しい俳優業の傍らによく決心したものだと思う。
長期の休暇を取るのも並大抵ではなかっただろう。
これまでのイメージが一転し尊敬せずにはいられなかった。

同僚が通院のため会社は臨時休業を決め気兼ねなく休むことが出来る。
今朝はアラームが鳴っても起きられず辛い程の眠気であった。
「春眠暁を覚えず」とは正にこの事である。
老体にムチを打ち過ぎたのだろうダル重の朝であった。
朝ドラを見終わってからそのまま2時間ほど眠る。
気の早い夫が炬燵を片付けてしまっており毛布にくるまっていた。
それでも寒く何だか目覚めが悪くしんどくてならない。
それからカーブスに向かったが本調子ではなかった。
お仲間さんが声を掛けてくれ何と90歳のお仲間さんが居るとのこと。
「ほら、あの人よ」と教えてくれたがその姿を見て驚く。
背筋は真っ直ぐに伸びており颯爽とした姿はとても90歳には見えない。
「私達も頑張らんといかんね」と互いに励まし合ったことだった。
しかし90歳まで生きていられるだろうか。
そんな不安が真っ先に浮かび心細くてならないのだ。
けれども励みにはなったのだろう。気が付けばもう怠さはなかった。
薄っすらと心地よく汗を流し別人になったように帰路に就く。
昼食後はまた毛布にくるまり3時半まで眠っていた。
内容は忘れてしまったが若い頃の夢を見ていたようだ。
ほんわかとした夢で心地よく目覚めることが出来る。
夢の中では足の痛みもないのだからこそ「夢」なのだろう。
最近は母の夢を見ることが殆ど無くなったが
昨夜もここに記したようにとても身近な存在であった。
きっと魂が安らいでいるのだろう。成仏したのに違いない。
私も母を心の底から赦すことが出来たのかもしれなかった。
歳月は「薬」である。その薬があってこそ明日を生きられるのだと思う。
※以下、今朝の詩。
若葉
若葉冷えなのだろうか きりりとした寒さである
引き締まるこころには 一本の老木がそびえていて 息を紡ぎながら夜明けを待つ
相応しい朝になるのだろう いつだって新しくなれる
枝先の若葉はこどもたち その愛しさに胸を熱くし ただひたすらに守ろうとする
過ちがあってはならない 正しさの行方を追うばかり
樹齢は定かではないが 随分と生き永らえて来た
いくつもの朝と季節を越え 若葉となればもう 今日を生きるしかない
曇り日であったが爽やかな風が吹いていた。
上空に寒気があるのだろうか明日の朝は少し冷え込みそうだ。
日中との寒暖差が激しいのはまだ春の名残なのだろう。
しかし陽射しはもう初夏である。風が薫る五月も近い。
朝の山道をを行けば若葉が目に沁みるように眩しかった。
もう冬枯れている木は見当たらず新緑の季節である。
もこもこと山が動いているように見えるのは椎の木の花らしい。
黄色とは呼べず黄な粉のような色をしている。
巨大なブロッコリーのようにも見えるが緑ではなかった。
椎の木の花が沢山咲いた年には大きな台風が来ると云う。
本当の事なのかは分からないがそんな言い伝えがある。
昔の人々が実際に経験して来たことなのだろう。

8時半前には職場に着いていたが今朝も義父の姿があった。
9時頃までは居てくれたが紛失した携帯電話が余程気になるらしく
昨日行っていた田んぼの周辺を探してみると云い残し飛び出して行った。
しかしやはり見つからなかったのか肩を落として帰って来る。
「もうそんな暇はない」すっかり諦めた様子でまた他の田んぼへ行く。
トラクターで代掻きを済ませないと田植えが出来ないのだ。
何とか見つけられないものかとドコモショップへ相談してみる。
義父の電話機にGPS機能が付いていれば探すことが出来るらしい。
店員さんが調べてくれていたがその最中に来客があった。
何と驚いたことに手には義父の電話機を持っているではないか。
自宅のすぐ裏が義父の田んぼで今朝裏庭で見つけたのだそうだ。
昨日作業をしている義父を見かけたのでそうに違いないと思ったらしい。
何と有難いことだろう。一刻も早く義父に報せてやりたかった。
しかし予備の電話を鳴らしても一向に繋がらない。
トラクターの音が大きいので着信音に気づかないのだろう。
例の如くでお昼になっても帰って来なかった。
急ぎの車検が入っていたので2時半には帰って欲しいと伝えてあったが
3時になっても帰らず意を決して田んぼに探しに行くことにした。
しかしあちらこちらに田んぼがあり何処に居るのか見当が付かない。
そうなればもう自分の直感だけが頼りであった。
私の直感はよく当たるのだがそれも母譲りである。
母は予知能力のようなものがあり霊感も強い人であった。
「絶対にあそこだ」そう信じて車を走らせる。
思った通りであった。義父のトラクターが直ぐに見つかる。
真っ先に携帯電話が見つかったことを話すとそれは大喜びしていた。
それから長靴のまま私の車に乗せ工場へとまっしぐらである。
4時前には車検が完了し同僚が宿毛市まで納車に行ってくれた。
お客さんとの約束を果たせ何とほっとしたことだろう。
義父も上機嫌でまた田んぼまで送り届けた。
日が暮れるまでには終わりそうとのこと。無我夢中の農作業である。
ずっと順調ではなかった仕事だが今日の達成感は大きい。
自分の直感を信じた結果だが何よりも母のおかげなのだと思った。
おそらく母の直感だったのだろう。私を導いてくれたのに違いない。
事務所の母の遺影に手を合わせ「母さんやったね」と声を掛けた。
毎朝「今日も一緒に頑張ろうね」「困った時には助けてね」と
声を掛けてから出掛けるのが日課であった。
母は決して死んでなどいない。ずっと私を見守ってくれているのだ。
※以下今朝の詩
風
強い風が吹いている 南からだろうか 西からだろうか 風にも名があるらしいが 何と呼べばいいのだろう
さわさわと若葉の声がする もう春ではいられなくなり 風は夏の手紙を届けに来た
もしや連れ去ってしまうのか 見失うその前に心に問うばかり
大切なものならば守りたい 風に逆らってでも守り抜く
風の声が心に沁みる やがては風そのものになる
すこうし痛い すこうし哀しい
爽やかな青空であったが陽射しはすっかり初夏であった。
もう直ぐ5月になるがそれにしても異常な程の暑さである。
朝の山道を行けば道端に黄色い可愛らしい花が沢山咲いている。
一括りに雑草とも呼べず「ウマノアシガタ」と云う名があった。
別名を「キンポウゲ」とも云い初夏を代表する野の花である。
実は今日まで知らなかったのだが有毒植物なのだそうだ。
駆除対象にはなっていないようだが何だか憐れに思えて来る。
毒を含んで生まれて来たのもその花の定なのだろう。
もしかしたらそうして身を守り続けて来たのかもしれない。

今朝は職場に着くなり珍しく義父の姿があった。
また逃げられないようにと仕事の段取りを伝えたのだが
ひどく機嫌が悪く「まあ待てや」と口調が荒かった。
そんな時は一切話し掛けてはいけないのだ。
気は急いていたが自分を宥めるように黙り込んでいた。
しかし義父なりに段取りをしていたらしく
一時間ほど待っていたら車検を2台済ませてくれた。
今日が納車の予定だったのでどんなにか助かったことだろう。
すぐさま書類を整え宿毛市へと納車に向かった。
不具合の多い車だったが完璧に直っておりお客さんも大喜びである。
そのままとんぼ返りとは行かず別のお客さんの車を引き取りに行く。
一日車検を依頼されていたのだが義父次第であった。
嘘も方便で混雑していることを伝えると明日まで待ってくれるそうだ。
約束は必ず守らなければいけない。義父に念を押す必要がある。
同僚は引き受けてくれたが何としても義父を捕まえねばならない。
整形外科のリハビリと診察がある日だったので3時前に退社した。
リハビリは直ぐに終ったが診察までの待ち時間が長く疲れ果てる。
医師は私の事どころではなく義父の心配ばかりしていた。
一度レントゲンを撮りに来るように云われたが無理な話である。
早朝から日暮れまで田んぼでのたうち回っているではないか。
薬局で薬を待っていたら義父の予備の携帯から着信があった。
もしやと思ったその通りでいつも使用している携帯を紛失したらしい。
これまでも何度もあったことで予備の携帯を準備したのだった。
呼び出し音は聴こえているらしく田んぼに落としたのではなさそうだ。
この忙しいのにと酷く苛立っており返す言葉も見つからない。
明日私が探してみるからと伝えやっと落ち着いたようだった。
5時前に帰宅。今日は遅くなるので娘に買物を頼んでいた。
何と鰤の切り身を買って来ておりおどろく。
食費は渡しておいたが娘なりに頭を悩ませたのだろう。
食品の値上がりを目の当たりにしたのではないだろうか。
娘と夕飯の支度をしていたら夫が「あやの髪を見たか?」と訊く。
階段ですれ違ったがまともに顔も見ていなかった。
昼間娘が美容院へ連れて行っていたのだそうだ。
3年ぶりではないだろうか。髪は長くなり腰まで届いていたのだった。
家から一歩も外に出たがらなかったあやちゃんが美容院へ行った。
それが進歩でなくて何だろうと思う。
なんだか明るい光が射し込んだように思えて感動すら覚える。
「髪の事を云ったらいかんよ」と娘に念を押されたが
どんなにか可愛らしくなっていることだろう。
一目見たくてならない夜になった。
※今朝の詩は昨日見た馬酔木の花のことを書いた。
化石の花
枯れることはあっても 折れることはあるまい
早春に咲いた花である 初夏の風に揺れながら 過ぎし日を思い起こす
旅人が足を止め 触れた時の指先 その温もりを忘れない
もはや朽ちようとしている 純白の花は茶の色に染まり それでも嘆くことをせずに 山肌に寄り添い続けている
やがては化石のようになり 花だったことを偲ぶばかり
哀しい姿であってはならない
季節は約束したように 何度も巡って来るのだから
曇り日。午後から少し陽射しがあったが青空は見えなかった。
昨夜の雨は残念ながら水不足の解消とはならなかったようだ。
山里では水の奪い合いがあると聞き何と理不尽なことだろう。
自分の田んぼに水が溜まるように隣田への水を堰き止めるのだそうだ。
水不足は深刻な問題である。少ない水だからこそ平等であらねばならない。
今朝の道ではっとしたのは馬酔木の花が殆ど枯れていたこと。
山肌からこぼれるように咲いていた可憐な花の面影もない。
馬酔木が散れない花だと初めて知り切なさが込み上げて来る。
紫陽花と同じなのだ。やがては化石のように枯れ尽きてしまうだろう。
けれどもまた季節が巡って来れば健気に咲いてくれるのだった。

自賠責保険と重量税の精算日であったが資金が足らず困り果てる。
予め預かっていれば問題はないのだが殆どが立て替えであった。
義父は今朝も田んぼに出掛けており誰にも相談出来ない。
自分で何とかしなければと金策に走り回っていた。
信用金庫のキャッシングカードは暗証番号を間違えてしまいアウトとなる。
行員さんに相談したらカード会社に連絡するようにと云われ
今日の事にはなりそうになかった。がっくりと肩を落とすばかりである。
仕方なく山里まで帰り郵便局で私のへそくりを引き出す。
そうでもしないと今日の精算が出来ず大変な事になるのだった。
年金から少しずつ貯めて来た大切なへそくりであったが
背に腹は代えられない。きっと戻って来るお金なのだと思う。
しかし前途は暗い。こんなことをしていて会社が持つのだろうか。
そう思い始めると不安でいっぱいになった。
これまで何度も危機を乗り越えてきたがそれが自信とは限らない。
お金は天下の回り物だと云うがいったい何処をうろついているのだろう。
2時を過ぎても義父は帰らず昼食の心配もあったが逃げることにした。
義父の苦労も大きいが私の苦労は迷子になっているようだ。
誰も頼る人がいない。ひたすら彷徨うばかりである。
そんな人生も在りなのか。誰が好き好んで苦労を選ぶのかと思う。
帰宅して夫に話したら当然のように少し機嫌が悪かった。
私が会社の経営に携わることを前々から懸念していたせいだろう。
母の死後、専務になることにも大反対したのだった。
「ずっと事務員でいろや」とその言葉こそが夫の願いだったのだと思う。
70歳が目前となり母と同じ道を歩んでいるようだった。
少しでも母に楽をさせてやりたいその願いは叶ったが
いざ自分が母の立場になるとあまりにも大きな山ばかりである。
ゴールは全く見えておらずひたすら走り続けなければならない。
不自由な足を引き摺りながらである。決して倒れてはならないのだ。
ほっとする瞬間がきっとあるのかもしれないがそれは何時だろう。
私にも残された人生があるのだろうか。
底
どれほどの深さだろう 手を伸ばしてみたが 底に届くことはない
季節は初夏を装い 風を薫らせている 木の芽は芽吹き 陽を浴びて輝く
私には枝もなく 葉にもなれない けれども生きているらしく 息をする度に揺れるのだ
深まることは切ない 底を知らないままに 生き永らえている
もし届くことが出来たら すくっと立ってみせよう
曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り出す。
「穀雨」となれば良いのだがあまりにも頼りない雨音である。
朝の山道を行けば道路沿いの八重桜が散り急いでおり
落ちた花びらがまるで薄桃色の絨毯のようであった。
それもまた風情があり一瞬写真を撮ってみようかと思う。
しかし車は停めたものの降りて花びらに駆け寄る行動力がなかった。
「まあいいか」と呟きながら発進し峠道へと向かう。
山里の最初の民家が見え始めると畑の隅にオオデマリが咲いていた。
コデマリよりも大きいので白い紫陽花のように見える。
優雅であるがコデマリの方が可憐に思え好きだった。
花は競い合いはしない。互いに褒め合いながら咲いているのだろう。

職場に着くなり例の大型車を納車に行っていた。
丁重に頭を下げて侘びたのは云うまでもない。
毎年の車検なので何としても来年に繋げたかった。
義父はまた早朝から田起こしに出掛けていたようだが
中古で買ったばかりのトラクターの調子が悪いとのこと。
思うように作業が出来ずかなり苛立っているようだった。
もちろん工場の仕事どころではない。何ひとつ相談も出来ないのだ。
言葉は悪いがまるで気が狂ったように見える。
口調も動作も異常としか思えなかった。
それ程までに米作りに命をかけているのだろう。
車検場には車検待ちの車を置いてあったのだが
その車が邪魔になると云うのには流石に呆れ返る。
大切なお客さんの車である。どんな口が云っているのだろう。
義父が車検さえ済ませてくれれば直ぐに納車出来るのだ。
そこで私が一言云うと「それどころではない」と怒鳴る有り様である。
怒鳴られると悲しいものだが今日は無性に腹が立った。
もうこんな人と一緒にはやっていけないと本気で思う。
しかし腹は立てずに気は長くである。
「どうどうどう」と馬を宥めるように少しずつ気を取り直していた。
明日は明日の風が吹くだろう。そう思って耐えるしかないのだ。
少しでも早く逃げ出したくなり2時過ぎに退社する。
帰宅するなり夫に愚痴ったのは云うまでもない。
「そんな時は要らぬ口を叩いてはいかんぞ」と夫の云う通りである。
私も気ばかり急いていたのだろう。かなり焦っていたようだ。
何とかなるのなら何とかして欲しいと祈るばかりであった。
夕飯は「八宝菜」と「切干大根の煮物」だったが
孫達はどちらも好まず娘が困り果てていた。
孫達の好きなメニューにするべきだったと悔やまれる。
結局はレトルトのカレーとなり一件落着となった。
歳のせいかもしれないがあれこれと気が届かなくなっているようだ。
仕事のある平日は特に心の余裕を失くしているように思う。
どうでも良いことなど何ひとつないのだと分かっていても
無意識の内に疎かにしてしまう事がとても多い。
もっともっと丁寧に生きていきたいものである。
※昨夜は誰なのか分からない幼子を抱いて歩いている夢を見た。
幼子
幼子を抱いて歩いていた 季節は初夏のようであり 若葉が薫る土手の道
さらさらと流れる大河に 降り注ぐ陽射しは 川面を金色に染め さざ波が踊っている
この子は誰だろう 少しも重くなかった 小さな手を握りしめ 素足が胸をくすぐる
風は沖から吹き ほんのりと潮が匂う
守ってやらねばならない 育ててやらねばならない
幼子の微笑みに 老いた命を重ねていた
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