ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月24日(木) 初夏の少女

爽やかな青空であったが陽射しはすっかり初夏であった。

もう直ぐ5月になるがそれにしても異常な程の暑さである。


朝の山道を行けば道端に黄色い可愛らしい花が沢山咲いている。

一括りに雑草とも呼べず「ウマノアシガタ」と云う名があった。

別名を「キンポウゲ」とも云い初夏を代表する野の花である。

実は今日まで知らなかったのだが有毒植物なのだそうだ。

駆除対象にはなっていないようだが何だか憐れに思えて来る。

毒を含んで生まれて来たのもその花の定なのだろう。

もしかしたらそうして身を守り続けて来たのかもしれない。




今朝は職場に着くなり珍しく義父の姿があった。

また逃げられないようにと仕事の段取りを伝えたのだが

ひどく機嫌が悪く「まあ待てや」と口調が荒かった。

そんな時は一切話し掛けてはいけないのだ。

気は急いていたが自分を宥めるように黙り込んでいた。


しかし義父なりに段取りをしていたらしく

一時間ほど待っていたら車検を2台済ませてくれた。

今日が納車の予定だったのでどんなにか助かったことだろう。

すぐさま書類を整え宿毛市へと納車に向かった。

不具合の多い車だったが完璧に直っておりお客さんも大喜びである。


そのままとんぼ返りとは行かず別のお客さんの車を引き取りに行く。

一日車検を依頼されていたのだが義父次第であった。

嘘も方便で混雑していることを伝えると明日まで待ってくれるそうだ。

約束は必ず守らなければいけない。義父に念を押す必要がある。

同僚は引き受けてくれたが何としても義父を捕まえねばならない。


整形外科のリハビリと診察がある日だったので3時前に退社した。

リハビリは直ぐに終ったが診察までの待ち時間が長く疲れ果てる。

医師は私の事どころではなく義父の心配ばかりしていた。

一度レントゲンを撮りに来るように云われたが無理な話である。

早朝から日暮れまで田んぼでのたうち回っているではないか。


薬局で薬を待っていたら義父の予備の携帯から着信があった。

もしやと思ったその通りでいつも使用している携帯を紛失したらしい。

これまでも何度もあったことで予備の携帯を準備したのだった。

呼び出し音は聴こえているらしく田んぼに落としたのではなさそうだ。

この忙しいのにと酷く苛立っており返す言葉も見つからない。

明日私が探してみるからと伝えやっと落ち着いたようだった。



5時前に帰宅。今日は遅くなるので娘に買物を頼んでいた。

何と鰤の切り身を買って来ておりおどろく。

食費は渡しておいたが娘なりに頭を悩ませたのだろう。

食品の値上がりを目の当たりにしたのではないだろうか。


娘と夕飯の支度をしていたら夫が「あやの髪を見たか?」と訊く。

階段ですれ違ったがまともに顔も見ていなかった。

昼間娘が美容院へ連れて行っていたのだそうだ。

3年ぶりではないだろうか。髪は長くなり腰まで届いていたのだった。

家から一歩も外に出たがらなかったあやちゃんが美容院へ行った。

それが進歩でなくて何だろうと思う。

なんだか明るい光が射し込んだように思えて感動すら覚える。

「髪の事を云ったらいかんよ」と娘に念を押されたが

どんなにか可愛らしくなっていることだろう。

一目見たくてならない夜になった。


※今朝の詩は昨日見た馬酔木の花のことを書いた。


         化石の花

      枯れることはあっても
      折れることはあるまい

      早春に咲いた花である
      初夏の風に揺れながら
      過ぎし日を思い起こす

      旅人が足を止め
      触れた時の指先
      その温もりを忘れない

      もはや朽ちようとしている
      純白の花は茶の色に染まり
      それでも嘆くことをせずに
      山肌に寄り添い続けている

      やがては化石のようになり
      花だったことを偲ぶばかり

      哀しい姿であってはならない

      季節は約束したように
      何度も巡って来るのだから










2025年04月23日(水) ほっとする瞬間

曇り日。午後から少し陽射しがあったが青空は見えなかった。

昨夜の雨は残念ながら水不足の解消とはならなかったようだ。

山里では水の奪い合いがあると聞き何と理不尽なことだろう。

自分の田んぼに水が溜まるように隣田への水を堰き止めるのだそうだ。

水不足は深刻な問題である。少ない水だからこそ平等であらねばならない。



今朝の道ではっとしたのは馬酔木の花が殆ど枯れていたこと。

山肌からこぼれるように咲いていた可憐な花の面影もない。

馬酔木が散れない花だと初めて知り切なさが込み上げて来る。

紫陽花と同じなのだ。やがては化石のように枯れ尽きてしまうだろう。

けれどもまた季節が巡って来れば健気に咲いてくれるのだった。




自賠責保険と重量税の精算日であったが資金が足らず困り果てる。

予め預かっていれば問題はないのだが殆どが立て替えであった。

義父は今朝も田んぼに出掛けており誰にも相談出来ない。

自分で何とかしなければと金策に走り回っていた。

信用金庫のキャッシングカードは暗証番号を間違えてしまいアウトとなる。

行員さんに相談したらカード会社に連絡するようにと云われ

今日の事にはなりそうになかった。がっくりと肩を落とすばかりである。

仕方なく山里まで帰り郵便局で私のへそくりを引き出す。

そうでもしないと今日の精算が出来ず大変な事になるのだった。

年金から少しずつ貯めて来た大切なへそくりであったが

背に腹は代えられない。きっと戻って来るお金なのだと思う。

しかし前途は暗い。こんなことをしていて会社が持つのだろうか。

そう思い始めると不安でいっぱいになった。

これまで何度も危機を乗り越えてきたがそれが自信とは限らない。

お金は天下の回り物だと云うがいったい何処をうろついているのだろう。



2時を過ぎても義父は帰らず昼食の心配もあったが逃げることにした。

義父の苦労も大きいが私の苦労は迷子になっているようだ。

誰も頼る人がいない。ひたすら彷徨うばかりである。

そんな人生も在りなのか。誰が好き好んで苦労を選ぶのかと思う。


帰宅して夫に話したら当然のように少し機嫌が悪かった。

私が会社の経営に携わることを前々から懸念していたせいだろう。

母の死後、専務になることにも大反対したのだった。

「ずっと事務員でいろや」とその言葉こそが夫の願いだったのだと思う。


70歳が目前となり母と同じ道を歩んでいるようだった。

少しでも母に楽をさせてやりたいその願いは叶ったが

いざ自分が母の立場になるとあまりにも大きな山ばかりである。

ゴールは全く見えておらずひたすら走り続けなければならない。

不自由な足を引き摺りながらである。決して倒れてはならないのだ。


ほっとする瞬間がきっとあるのかもしれないがそれは何時だろう。

私にも残された人生があるのだろうか。



          底

     どれほどの深さだろう
     手を伸ばしてみたが
     底に届くことはない

     季節は初夏を装い
     風を薫らせている
     木の芽は芽吹き
     陽を浴びて輝く

     私には枝もなく
     葉にもなれない
     けれども生きているらしく
     息をする度に揺れるのだ

     深まることは切ない
     底を知らないままに
     生き永らえている

     もし届くことが出来たら
     すくっと立ってみせよう





2025年04月22日(火) どうどうどう

曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り出す。

「穀雨」となれば良いのだがあまりにも頼りない雨音である。


朝の山道を行けば道路沿いの八重桜が散り急いでおり

落ちた花びらがまるで薄桃色の絨毯のようであった。

それもまた風情があり一瞬写真を撮ってみようかと思う。

しかし車は停めたものの降りて花びらに駆け寄る行動力がなかった。

「まあいいか」と呟きながら発進し峠道へと向かう。


山里の最初の民家が見え始めると畑の隅にオオデマリが咲いていた。

コデマリよりも大きいので白い紫陽花のように見える。

優雅であるがコデマリの方が可憐に思え好きだった。

花は競い合いはしない。互いに褒め合いながら咲いているのだろう。




職場に着くなり例の大型車を納車に行っていた。

丁重に頭を下げて侘びたのは云うまでもない。

毎年の車検なので何としても来年に繋げたかった。


義父はまた早朝から田起こしに出掛けていたようだが

中古で買ったばかりのトラクターの調子が悪いとのこと。

思うように作業が出来ずかなり苛立っているようだった。

もちろん工場の仕事どころではない。何ひとつ相談も出来ないのだ。

言葉は悪いがまるで気が狂ったように見える。

口調も動作も異常としか思えなかった。

それ程までに米作りに命をかけているのだろう。


車検場には車検待ちの車を置いてあったのだが

その車が邪魔になると云うのには流石に呆れ返る。

大切なお客さんの車である。どんな口が云っているのだろう。

義父が車検さえ済ませてくれれば直ぐに納車出来るのだ。

そこで私が一言云うと「それどころではない」と怒鳴る有り様である。

怒鳴られると悲しいものだが今日は無性に腹が立った。

もうこんな人と一緒にはやっていけないと本気で思う。


しかし腹は立てずに気は長くである。

「どうどうどう」と馬を宥めるように少しずつ気を取り直していた。

明日は明日の風が吹くだろう。そう思って耐えるしかないのだ。



少しでも早く逃げ出したくなり2時過ぎに退社する。

帰宅するなり夫に愚痴ったのは云うまでもない。

「そんな時は要らぬ口を叩いてはいかんぞ」と夫の云う通りである。

私も気ばかり急いていたのだろう。かなり焦っていたようだ。

何とかなるのなら何とかして欲しいと祈るばかりであった。


夕飯は「八宝菜」と「切干大根の煮物」だったが

孫達はどちらも好まず娘が困り果てていた。

孫達の好きなメニューにするべきだったと悔やまれる。

結局はレトルトのカレーとなり一件落着となった。


歳のせいかもしれないがあれこれと気が届かなくなっているようだ。

仕事のある平日は特に心の余裕を失くしているように思う。

どうでも良いことなど何ひとつないのだと分かっていても

無意識の内に疎かにしてしまう事がとても多い。

もっともっと丁寧に生きていきたいものである。


※昨夜は誰なのか分からない幼子を抱いて歩いている夢を見た。


           幼子

      幼子を抱いて歩いていた
      季節は初夏のようであり
      若葉が薫る土手の道

      さらさらと流れる大河に
      降り注ぐ陽射しは
      川面を金色に染め
      さざ波が踊っている

      この子は誰だろう
      少しも重くなかった
      小さな手を握りしめ
      素足が胸をくすぐる

      風は沖から吹き
      ほんのりと潮が匂う

      守ってやらねばならない
      育ててやらねばならない

      幼子の微笑みに
      老いた命を重ねていた






2025年04月21日(月) 海老せんべい

最高気温は25℃と夏日に達していたが

爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

一年中こんな気候ならどんなにか良いだろうか。

しかし夏がなければ秋は来ず冬がなければ春は来ない。


遅咲きの八重桜は散り始めてしまったが

今度はツツジの花があちらこちらに見られるようになった。

特に国道沿いに植えてあるツツジは見事である。


山里ではドウダンツツジ、キリシマツツジも見られ心が和む。

ドウダンツツジは鈴蘭の花に似て何とも可愛らしい。

キリシマツツジははっとするような真紅であった。

ツツジの種類は沢山あるらしいがとても覚えられない。

まだ咲き始めたばかりであるがGW頃が見頃ではないだろうか。



昨夜は仕事の事で頭がいっぱいになっており気ばかり急いていた。

大口の支払いがあったが資金が足らなかったのだ。

義父に相談しても何も変わりはしないだろう。

苦肉の策で支払いを待ってもらことにして急場を逃れる。

しかし月末には必ず支払わなければ今後の取引が出来なくなるのだった。

仕事は後から後からあるのに売上金の回収が追いつかない。

催促はしてはならずひたすら待つしかなかった。


早朝から田んぼに行っていた義父が2時頃帰って来る。

お弁当を買いに走って急いで昼食を食べさせた。

また直ぐに出掛けるだろうと諦めていたのだが

思いがけずに大型車の車検を済ませてくれて大助かりだった。

不具合が多く何と2ヶ月近く預かっていた車である。

お客さんは急がないと云ってくれていたが一度催促があった。

いくら使用しない車であってもあまりにも待たせたのだろう。

今後の信用にも繋がり二度とあってはならないことである。

義父が常に待機してくれていたら在り得ないことだったが

その義父は同僚に責任を押し付けようとしていた。

自分の非を絶対に認めないのが義父の大きな短所である。


4時前に退社。同僚に声を掛けたが頗る機嫌が悪い。

一生懸命に働いてくれているのに義父は労うこともしないのだ。

それでは同僚も報われないだろう。何だか憐れでならなかった。

せめてお給料を上げてやりたかったがそんな余裕もないのだ。


5時前に帰宅。もう横になる時間もない。

娘とめいちゃんが四万十川へ川海老を獲りに行っていたらしく

バケツを提げて得意顔で帰って来た。

まだ赤ちゃんの海老だがけっこう沢山いておどろく。

ぴちぴちと跳ねているのを揚げるのは可哀想であったが

娘は手早く片栗粉をまぶし「海老せんべい」を作る。

誰に習ったのだろう。私は教えた記憶がなかった。

そもそも娘と一緒に川海老を獲りに行ったことがあっただろうか。

もしかしたら亡き姑かもと思う。娘はおばあちゃんっ子だったから。


川仕事に追われるばかりで娘と遊んだ記憶もない。

どんなにか寂しい思いをさせたことだろう。

宿題を見てやったことも学校の話も聞いたことがなかった。

それなのにすくすくと成長したのは姑さんのおかげだと思う。

私自身は姑さんとの良い思い出が殆どないのだが

娘にとっては大好きなおばあちゃんだったのだ。


※日記の内容とはかけ離れていますが今朝の詩を載せておきます。


           波

     とうとう尽いてしまったのか
     言葉の波が退くばかりである

     潮が引いてしまえば
     川底の岩が剥き出しになり
     僅かの水を求めて魚が群れる

     どのような境遇であっても
     生き永らえねばならない
     干からびてしまえばもう
     息さえも出来ないだろう

     ここは汽水域である
     真水と海水が混ざり合い
     沖からの風が吹き抜ける

     どれほど生きて来たことか
     言葉に出来ないのが苦しい

     独りきりではないはずなのに
     どうして寂しく心細いのだろう

     風あってこその波である
     ゆらゆらと揺れながら
     失くした言葉を探し続けている




2025年04月20日(日) 身の程を知る

二十四節気の「穀雨」穀物を潤す雨が降る頃であるが

明け方まで降っていた小雨は長続きしなかった。

米農家さんは水不足に頭を悩ませるばかりである。

災害級の雨になっても困るがまとまった雨量を願っていることだろう。


雨上がりの曇り日。気温はさほど上がらず過ごし易い一日だった。

藤の花、モッコウバラ、山吹の花が生き生きとして見える。

お向かいさんの庭には紫陽花の葉が青々と輝いていた。


朝刊が届くのを待ち兼ねて開く。そうしていつも失望するのだが

今朝は文芸欄に俳句と短歌が入選しており何とも嬉しかった。

踏みにじられるばかりではなかったのだ。救われる時もきっとある。

どれほど励みになったことだろう。努力が報われたような気がした。


夫は文芸欄に目を通す人ではなかったが報告すると喜んでくれ

なんだか父親のように思えてならなかった。

父ばかりではないのだ。母もきっと喜んでくれたに違いない。


しかしここで有頂天になってはならない。

今後も尚いっそう努力を怠ってはならないのだと思う。

私はいつだって身の程を知っている。




市長選の投票を済ませ久しぶりに「一風」へ行った。

夫は白内障の影響か運転を渋っていたのだが

一度却下をしてから思い直してくれたようだった。

もしかしたら今朝のご褒美かもしれないと心が浮き立つ。


「一風」はお昼に法事の宴会が入っていて大忙しの様子だったが

30分待ちで美味しい炒飯とラーメンを食べることが出来た。

「余は満足であるぞ」お腹を撫でながら帰路に就く。

車中での夫との会話も弾み二人とも上機嫌であった。


帰宅すると一気に眠気が襲って来てまたお昼寝である。

今日も4時半まで眠ってしまい我ながら呆れるばかりだった。

明日からは仕事なのでお昼寝も出来なくなる。

寝溜め失くしてどうして闘えようかと自分を宥めていた。


夕飯は初物の筍。高価であったがサニーマートで買い求める。

以前はご近所さんからよく頂いていたがここ数年届かなくなった。

高齢化もあるのだろう。筍を掘るのも大変な苦労である。

私は筍が大好物で毎日食べても飽きない。

お鍋の中を見れば明日も食べられそうでウキウキとしている。



午後8時。窓を開け放しているが夜風の気配もなかった。

星も月も見えず空は眠っているように見える。

吸いたいだけ煙草を吸い焼酎三昧の夜であった。

明日からの仕事の事が頭から離れないが

眠りに就く前に短歌を三首詠むのが日課である。

身の程を知り尽くしていても詠まずにはいられなかった。



          糧

     何を糧に生きているのか
     ことばの花に訊いている

     老いるばかりのこの身には
     添える花さえ見つからず
     ただもがくばかりの日々

     春は深まり初夏の風が吹く
     仰ぐ陽射しには光がやどる

     このままでいいのだろうか
     命の蝋燭は揺らぐばかりで
     心細くてならないけれど

     仰ぐことを止めてしまえば
     一歩も前へ進めないだろう

     一輪の花として生きてみよう
     枯れることを怖れてはならない

     ことばは糧であろうか
     失くしてしまえば生きていけない



2025年04月19日(土) 2センチの憂鬱

連日の夏日となりすっかり初夏の陽気であった。

明日は少し気温が下がるとのこと。

少しでも快適に過ごしたいものである。


庭先のチューリップの花が終わり寂しくなった。

今朝は鉢ごと見えなくなっており不思議に思っていたら

娘が庭の隅に移動させており来年に備えていた。

以前には球根を掘り出していたがそのままが良さそうである。

そうして生きている命をそっと見守りたいと思う。



朝のうちまた2時間ほど眠ってしまい9時半に目覚める。

10時にダイハツへ車を引き取りに行く約束をしていた。

さすがにディーラーである。故障個所は完璧に直っている。

やはり乗り慣れた愛車が一番だなと嬉しかった。


少し遅れたが次はカーブスへ向かう。

冷房が効いており扇風機も回っていて快適である。

薄っすらと汗をかいたが扇風機の風が何とも心地よい。


昼食後は美容院へ。お昼なら空いているだろうと思った通り

直ぐに順番が来てカットとカラーをしてもらう。

ぼさぼさの白髪頭が見違えるようになった。

美容院へ行くと生まれ変わったような気分になる。

2ヶ月ごとなので2センチの憂鬱があったのだろう。


帰宅するなり倒れ込むようにまた眠る。

何と目覚めたら4時半になっており我ながら呆れ返る。

夫は私以上に呆れており「異常だ」と苦笑いしていた。

朝の2時間を合わすと5時間も眠っていたことになる。


洗濯物を畳み終えるともう夕食の支度であったが

娘が率先してやってくれて大助かりだった。

持つべきものは娘であるがそのうち新しい仕事も決まるだろう。

身勝手なことだがずっと家に居てくれたらと願ってしまう。


6時からダンス教室があり娘とめいちゃんが出掛けて行った。

夕食は帰ってから食べるそうであやちゃんも待っている。

もう慣れてしまったのだろう。空腹を訴えることもなかった。


静かな夜である。なんだか気が遠くなってしまいそうだ。

こうして書きながらも煙草ばかり吸っておりどうしようもない。

おそらく死ぬまで吸い続けることだろう。


毎朝の詩は自己満足に過ぎずそれでも書かずにはいられない。

いったい私は何処に向かっているのだろう。

心細くてならないが書きながら死ねれば本望に思う。

見届けてやらねばならない。あがくように咲いてしまった花である。


           無名

       名も知らぬ花であった
       丘をたんぽぽ色に染め
       若草と寄り添っている

       優しい風に吹かれていると
       何故かぽろりと涙がこぼれ
       死んでしまった母をおもう

       燕が飛び交う空であった
       その青さに心が救われる
       空はどこまでも広いのだ

       名が欲しいのではない
       ただ見つけて欲しいと願う
       ささやかな春である
       こんなにも生きているのに

       踏まれてはならない
       千切られてはならない

       鏡のような空に映る
       かけがえのない命であった



2025年04月18日(金) 純白の藤の花

曇り日であったがほぼ夏日となり蒸し暑さを感じる。

全国的にも夏日の処が多く島根では何と真夏日だったそうだ。

熱中症で搬送された人もいるらしくまだ4月なのにと驚く。

このまま季節が夏になるとは思えないが異常な暑さであった。


シャガの花。藤の花と咲き如何にも初夏らしい花たちである。

特に自然に群生している藤の花の何と見事なことだろう。

今日は真っ白い藤の花を見つけ感動せずにはいられなかった。

大木に絡みつくように咲いているのだがまるで大きな藤の木に見える。

最初は馬酔木と見間違ったがその純白はとても可憐な花であった。



早朝義父から電話がありもう田んぼの畔で草刈りをしているとのこと。

工場の仕事が余程気になっていたのだろう今日の指示であった。

大型車のクラッチ修理を午前中に済まさなければいけないと云い

車検整備や一般修理は全て断るようにとのお達しだった。

その口調は威厳に満ちておりさすが社長だなと思わせる。


職場に着くなり同僚に指示し予約のお客さんに断りを入れた。

幸い気を損ねる人は一人もおらず救われたような気持になる。

10時には大型車のお客さんが息子さんとやって来て

とにかく午後から使いたいから必ず直して欲しいと懇願された。

林業を営んでおり故障以来材木を運べなくてとても困っている様子。

さすがにもう限界なのだろう。気の毒でならなかった。


お客さん親子はそのまま居座り車の傍から離れようとしない。

同僚の緊張した顔を見るのもまた気の毒であった。

マイペースではいられないのだ。タイムリミットが迫っている。

私は何も出来ずただはらはらしながら見守っていたのだが

11時を過ぎた頃思いがけずに義父が帰って来てくれた。

そうして車の下に潜り込むなり手早く修理を始めてくれたのだった。

同僚には申し訳ないが義父の何と手早いことだろう。

同じ熟練工でも年季の入りようが全く違うのだ。

11時50分になっていた。「出来たぞ」と義父の声が響く。

お客さんは大喜びで直ぐに山林の現場に向かって行った。


しかしそれで一段落とは行かず午後からは半日車検である。

大型車の修理が済むまで長いこと待たせていたお客さんがいたのだった。

建設業を営んでおり現場の仕事に支障が出ているとのこと。

「みんな仕事をせんといかんがぞ」義父の一喝がある。


同僚のげっそりとやつれた顔。彼はプレッシャーにとても弱い。

ストレスにも弱く数年前には鬱病も患っていた。

心配でならなかったが何としても遣り遂げて貰わなければいけない。

励ませばプレッシャーになる。宥めつつ見守るしかなかった。


ブレーキとタイヤの不具合があり私は平田町の部品屋へと走る。

義父は中古タイヤを取りに四万十市内まで走ってくれた。

新品タイヤの在庫はあったがお客さんは中古を希望していたのだった。

なるべく安く仕上げてやらねばならない。義父はそれを一番に考えている。


皆で協力した甲斐があって4時前に車検が完了する。

書類を整えていたらもう4時半になっていた。

夕飯の買い物どころではなくなり娘に電話を入れて大急ぎで帰路に就く。

朝の峠道を今度は下る。その時に純白の藤の花を見つけたのだった。

慌ただしい一日であったが何とも心が癒される帰り道であった。


山あり谷ありの日々である。今日は大きな山を越えたが

谷が続いているとは限らない。また山が聳えていることだろう。
  
谷川のせせらぎに耳を澄ますそんなほっとする瞬間を待っている。



          綿毛

       ふわりと空になる
       何処に行くのだろう
       果てしない空である

       夢は遥かに
       遠くの野辺
       幼子の手に
       包まれた日

       春であることを誇り
       咲いたことを喜ぶ
       枯れ草の嘆きなど
       些細なことである

       ふわりと空になる
       青く澄み渡った旅
       生きてさえいれば
       きっと叶う夢がある

       何処に根付くのだろう
       想いはあふれ風に訊く













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