最高気温は25℃と夏日に達していたが
爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。
一年中こんな気候ならどんなにか良いだろうか。
しかし夏がなければ秋は来ず冬がなければ春は来ない。
遅咲きの八重桜は散り始めてしまったが
今度はツツジの花があちらこちらに見られるようになった。
特に国道沿いに植えてあるツツジは見事である。
山里ではドウダンツツジ、キリシマツツジも見られ心が和む。
ドウダンツツジは鈴蘭の花に似て何とも可愛らしい。
キリシマツツジははっとするような真紅であった。
ツツジの種類は沢山あるらしいがとても覚えられない。
まだ咲き始めたばかりであるがGW頃が見頃ではないだろうか。

昨夜は仕事の事で頭がいっぱいになっており気ばかり急いていた。
大口の支払いがあったが資金が足らなかったのだ。
義父に相談しても何も変わりはしないだろう。
苦肉の策で支払いを待ってもらことにして急場を逃れる。
しかし月末には必ず支払わなければ今後の取引が出来なくなるのだった。
仕事は後から後からあるのに売上金の回収が追いつかない。
催促はしてはならずひたすら待つしかなかった。
早朝から田んぼに行っていた義父が2時頃帰って来る。
お弁当を買いに走って急いで昼食を食べさせた。
また直ぐに出掛けるだろうと諦めていたのだが
思いがけずに大型車の車検を済ませてくれて大助かりだった。
不具合が多く何と2ヶ月近く預かっていた車である。
お客さんは急がないと云ってくれていたが一度催促があった。
いくら使用しない車であってもあまりにも待たせたのだろう。
今後の信用にも繋がり二度とあってはならないことである。
義父が常に待機してくれていたら在り得ないことだったが
その義父は同僚に責任を押し付けようとしていた。
自分の非を絶対に認めないのが義父の大きな短所である。
4時前に退社。同僚に声を掛けたが頗る機嫌が悪い。
一生懸命に働いてくれているのに義父は労うこともしないのだ。
それでは同僚も報われないだろう。何だか憐れでならなかった。
せめてお給料を上げてやりたかったがそんな余裕もないのだ。
5時前に帰宅。もう横になる時間もない。
娘とめいちゃんが四万十川へ川海老を獲りに行っていたらしく
バケツを提げて得意顔で帰って来た。
まだ赤ちゃんの海老だがけっこう沢山いておどろく。
ぴちぴちと跳ねているのを揚げるのは可哀想であったが
娘は手早く片栗粉をまぶし「海老せんべい」を作る。
誰に習ったのだろう。私は教えた記憶がなかった。
そもそも娘と一緒に川海老を獲りに行ったことがあっただろうか。
もしかしたら亡き姑かもと思う。娘はおばあちゃんっ子だったから。
川仕事に追われるばかりで娘と遊んだ記憶もない。
どんなにか寂しい思いをさせたことだろう。
宿題を見てやったことも学校の話も聞いたことがなかった。
それなのにすくすくと成長したのは姑さんのおかげだと思う。
私自身は姑さんとの良い思い出が殆どないのだが
娘にとっては大好きなおばあちゃんだったのだ。
※日記の内容とはかけ離れていますが今朝の詩を載せておきます。
波
とうとう尽いてしまったのか 言葉の波が退くばかりである
潮が引いてしまえば 川底の岩が剥き出しになり 僅かの水を求めて魚が群れる
どのような境遇であっても 生き永らえねばならない 干からびてしまえばもう 息さえも出来ないだろう
ここは汽水域である 真水と海水が混ざり合い 沖からの風が吹き抜ける
どれほど生きて来たことか 言葉に出来ないのが苦しい
独りきりではないはずなのに どうして寂しく心細いのだろう
風あってこその波である ゆらゆらと揺れながら 失くした言葉を探し続けている
二十四節気の「穀雨」穀物を潤す雨が降る頃であるが
明け方まで降っていた小雨は長続きしなかった。
米農家さんは水不足に頭を悩ませるばかりである。
災害級の雨になっても困るがまとまった雨量を願っていることだろう。
雨上がりの曇り日。気温はさほど上がらず過ごし易い一日だった。
藤の花、モッコウバラ、山吹の花が生き生きとして見える。
お向かいさんの庭には紫陽花の葉が青々と輝いていた。
朝刊が届くのを待ち兼ねて開く。そうしていつも失望するのだが
今朝は文芸欄に俳句と短歌が入選しており何とも嬉しかった。
踏みにじられるばかりではなかったのだ。救われる時もきっとある。
どれほど励みになったことだろう。努力が報われたような気がした。
夫は文芸欄に目を通す人ではなかったが報告すると喜んでくれ
なんだか父親のように思えてならなかった。
父ばかりではないのだ。母もきっと喜んでくれたに違いない。
しかしここで有頂天になってはならない。
今後も尚いっそう努力を怠ってはならないのだと思う。
私はいつだって身の程を知っている。

市長選の投票を済ませ久しぶりに「一風」へ行った。
夫は白内障の影響か運転を渋っていたのだが
一度却下をしてから思い直してくれたようだった。
もしかしたら今朝のご褒美かもしれないと心が浮き立つ。
「一風」はお昼に法事の宴会が入っていて大忙しの様子だったが
30分待ちで美味しい炒飯とラーメンを食べることが出来た。
「余は満足であるぞ」お腹を撫でながら帰路に就く。
車中での夫との会話も弾み二人とも上機嫌であった。
帰宅すると一気に眠気が襲って来てまたお昼寝である。
今日も4時半まで眠ってしまい我ながら呆れるばかりだった。
明日からは仕事なのでお昼寝も出来なくなる。
寝溜め失くしてどうして闘えようかと自分を宥めていた。
夕飯は初物の筍。高価であったがサニーマートで買い求める。
以前はご近所さんからよく頂いていたがここ数年届かなくなった。
高齢化もあるのだろう。筍を掘るのも大変な苦労である。
私は筍が大好物で毎日食べても飽きない。
お鍋の中を見れば明日も食べられそうでウキウキとしている。
午後8時。窓を開け放しているが夜風の気配もなかった。
星も月も見えず空は眠っているように見える。
吸いたいだけ煙草を吸い焼酎三昧の夜であった。
明日からの仕事の事が頭から離れないが
眠りに就く前に短歌を三首詠むのが日課である。
身の程を知り尽くしていても詠まずにはいられなかった。
糧
何を糧に生きているのか ことばの花に訊いている
老いるばかりのこの身には 添える花さえ見つからず ただもがくばかりの日々
春は深まり初夏の風が吹く 仰ぐ陽射しには光がやどる
このままでいいのだろうか 命の蝋燭は揺らぐばかりで 心細くてならないけれど
仰ぐことを止めてしまえば 一歩も前へ進めないだろう
一輪の花として生きてみよう 枯れることを怖れてはならない
ことばは糧であろうか 失くしてしまえば生きていけない
連日の夏日となりすっかり初夏の陽気であった。
明日は少し気温が下がるとのこと。
少しでも快適に過ごしたいものである。
庭先のチューリップの花が終わり寂しくなった。
今朝は鉢ごと見えなくなっており不思議に思っていたら
娘が庭の隅に移動させており来年に備えていた。
以前には球根を掘り出していたがそのままが良さそうである。
そうして生きている命をそっと見守りたいと思う。
朝のうちまた2時間ほど眠ってしまい9時半に目覚める。
10時にダイハツへ車を引き取りに行く約束をしていた。
さすがにディーラーである。故障個所は完璧に直っている。
やはり乗り慣れた愛車が一番だなと嬉しかった。
少し遅れたが次はカーブスへ向かう。
冷房が効いており扇風機も回っていて快適である。
薄っすらと汗をかいたが扇風機の風が何とも心地よい。
昼食後は美容院へ。お昼なら空いているだろうと思った通り
直ぐに順番が来てカットとカラーをしてもらう。
ぼさぼさの白髪頭が見違えるようになった。
美容院へ行くと生まれ変わったような気分になる。
2ヶ月ごとなので2センチの憂鬱があったのだろう。
帰宅するなり倒れ込むようにまた眠る。
何と目覚めたら4時半になっており我ながら呆れ返る。
夫は私以上に呆れており「異常だ」と苦笑いしていた。
朝の2時間を合わすと5時間も眠っていたことになる。
洗濯物を畳み終えるともう夕食の支度であったが
娘が率先してやってくれて大助かりだった。
持つべきものは娘であるがそのうち新しい仕事も決まるだろう。
身勝手なことだがずっと家に居てくれたらと願ってしまう。
6時からダンス教室があり娘とめいちゃんが出掛けて行った。
夕食は帰ってから食べるそうであやちゃんも待っている。
もう慣れてしまったのだろう。空腹を訴えることもなかった。
静かな夜である。なんだか気が遠くなってしまいそうだ。
こうして書きながらも煙草ばかり吸っておりどうしようもない。
おそらく死ぬまで吸い続けることだろう。
毎朝の詩は自己満足に過ぎずそれでも書かずにはいられない。
いったい私は何処に向かっているのだろう。
心細くてならないが書きながら死ねれば本望に思う。
見届けてやらねばならない。あがくように咲いてしまった花である。
無名
名も知らぬ花であった 丘をたんぽぽ色に染め 若草と寄り添っている
優しい風に吹かれていると 何故かぽろりと涙がこぼれ 死んでしまった母をおもう
燕が飛び交う空であった その青さに心が救われる 空はどこまでも広いのだ
名が欲しいのではない ただ見つけて欲しいと願う ささやかな春である こんなにも生きているのに
踏まれてはならない 千切られてはならない
鏡のような空に映る かけがえのない命であった
曇り日であったがほぼ夏日となり蒸し暑さを感じる。
全国的にも夏日の処が多く島根では何と真夏日だったそうだ。
熱中症で搬送された人もいるらしくまだ4月なのにと驚く。
このまま季節が夏になるとは思えないが異常な暑さであった。
シャガの花。藤の花と咲き如何にも初夏らしい花たちである。
特に自然に群生している藤の花の何と見事なことだろう。
今日は真っ白い藤の花を見つけ感動せずにはいられなかった。
大木に絡みつくように咲いているのだがまるで大きな藤の木に見える。
最初は馬酔木と見間違ったがその純白はとても可憐な花であった。

早朝義父から電話がありもう田んぼの畔で草刈りをしているとのこと。
工場の仕事が余程気になっていたのだろう今日の指示であった。
大型車のクラッチ修理を午前中に済まさなければいけないと云い
車検整備や一般修理は全て断るようにとのお達しだった。
その口調は威厳に満ちておりさすが社長だなと思わせる。
職場に着くなり同僚に指示し予約のお客さんに断りを入れた。
幸い気を損ねる人は一人もおらず救われたような気持になる。
10時には大型車のお客さんが息子さんとやって来て
とにかく午後から使いたいから必ず直して欲しいと懇願された。
林業を営んでおり故障以来材木を運べなくてとても困っている様子。
さすがにもう限界なのだろう。気の毒でならなかった。
お客さん親子はそのまま居座り車の傍から離れようとしない。
同僚の緊張した顔を見るのもまた気の毒であった。
マイペースではいられないのだ。タイムリミットが迫っている。
私は何も出来ずただはらはらしながら見守っていたのだが
11時を過ぎた頃思いがけずに義父が帰って来てくれた。
そうして車の下に潜り込むなり手早く修理を始めてくれたのだった。
同僚には申し訳ないが義父の何と手早いことだろう。
同じ熟練工でも年季の入りようが全く違うのだ。
11時50分になっていた。「出来たぞ」と義父の声が響く。
お客さんは大喜びで直ぐに山林の現場に向かって行った。
しかしそれで一段落とは行かず午後からは半日車検である。
大型車の修理が済むまで長いこと待たせていたお客さんがいたのだった。
建設業を営んでおり現場の仕事に支障が出ているとのこと。
「みんな仕事をせんといかんがぞ」義父の一喝がある。
同僚のげっそりとやつれた顔。彼はプレッシャーにとても弱い。
ストレスにも弱く数年前には鬱病も患っていた。
心配でならなかったが何としても遣り遂げて貰わなければいけない。
励ませばプレッシャーになる。宥めつつ見守るしかなかった。
ブレーキとタイヤの不具合があり私は平田町の部品屋へと走る。
義父は中古タイヤを取りに四万十市内まで走ってくれた。
新品タイヤの在庫はあったがお客さんは中古を希望していたのだった。
なるべく安く仕上げてやらねばならない。義父はそれを一番に考えている。
皆で協力した甲斐があって4時前に車検が完了する。
書類を整えていたらもう4時半になっていた。
夕飯の買い物どころではなくなり娘に電話を入れて大急ぎで帰路に就く。
朝の峠道を今度は下る。その時に純白の藤の花を見つけたのだった。
慌ただしい一日であったが何とも心が癒される帰り道であった。
山あり谷ありの日々である。今日は大きな山を越えたが
谷が続いているとは限らない。また山が聳えていることだろう。 谷川のせせらぎに耳を澄ますそんなほっとする瞬間を待っている。
綿毛
ふわりと空になる 何処に行くのだろう 果てしない空である
夢は遥かに 遠くの野辺 幼子の手に 包まれた日
春であることを誇り 咲いたことを喜ぶ 枯れ草の嘆きなど 些細なことである
ふわりと空になる 青く澄み渡った旅 生きてさえいれば きっと叶う夢がある
何処に根付くのだろう 想いはあふれ風に訊く
「若葉冷え」も何処へやら。今日は25℃に達し夏日となる。
全国的にも広い範囲で初夏の陽気だったようだ。
今年の春は短くすぐに暑い夏が訪れるかもしれない。
午前中、平田町の信用金庫まで行っていたのだが
それはそれは沢山のお遍路さんが歩いていた。
何とそのうち6人は外国人で驚く。
背の高い男性、金髪の女性もいた。
朝の山道では見かけなかったので山里の民宿泊だろうか。
山里には2軒の民宿があり宿泊客も多いと聞く。
「どぶろく」を振舞うのは「民宿くろうさぎ」で
外国人さんも昨夜は酔っぱらっていたかもしれない。
言葉は伝わらなくても楽しい夜を過ごしたことだろう。

仕事は一歩前進。今朝は義父が待機してくれており助かる。
おかげで車検が完了し納車することが出来た。
代金は明日にでも振り込んでくれるそうで夢のようである。
来週早々には大口の支払いがあり困り果てていたところだった。
同僚は大型車のクラッチ修理に集中しており
飛び込みの来客がないことを願うばかりである。
義父はまた田んぼであった。もうどうしようも出来ない。
仕事があるのは有難いことだが同僚一人ではとても手に負えないのだ。
整形外科のリハビリがある日で3時前に退社する。
療法士のU君の手は今日も「神の手」であった。
リハビリを終えサニーマートで買い物をしていたら
先日ご主人を亡くしたばかりの義理の叔母に会った。
お悔やみの言葉を述べたら「どうして知っちょるがよ」と云われた。
義父がお通夜もお葬式も行っていたのだから当然のことだが
「あんたは来てなかったよね」と念を押すように云うのである。
たとえ義理の仲でも参列するべきだったのだろうか。
母のお葬式ではお世話になったので恩を返すのが筋だったかもしれない。
なんだか責められているように感じ一気に気分が塞いでしまった。
帰宅して直ぐに夫に話したが私の思い過ごしだろうと云ってくれる。
おかげで少し気が楽になったが何とも後味の悪い出来事だった。
一切の血の繋がりがない。それは義父も同じであったが
夫婦も同じである。元々は赤の他人に他ならない。
母は義父と50年以上連れ添ったが叔母にとっては姉ではなかったのか。
もしかしたら突然転がり込んで来た厄介者だったのかもしれない。
しかも私のような連れ子もいて迷惑をかけてしまったのだろう。
亡くなった義叔父とは私の婚礼の時に初めて会ったきりだった。
義理の上に義理を重ね世間体を取り繕っただけなのだと思う。
今日のことで何だかそれを思い知ったような気がした。
さらりさらりと水に流さなければいけない。
みんなみんな縁あってこその仲なのに違いないのだ。
発芽
柔らかな土であった 必要なのは肥料と水 それから空である
農夫は季節を知り まるで我が子のように 種を蒔く
春の陽射しを浴び 薄っすらと汗をかき 吹き抜ける風に会う
困難もあるだろう 失望もあるだろう
けれども希望失くして どうして生きられようか
種として育つ春である 恵みの雨を待ちながら むくむくと息を放った
空がいっそう近くなる 頭をあげて手を伸ばす
もう芽である もう踏まれることはあるまい
※今のところ誰からも苦情や意見は届かず引き続き詩を掲載させて頂きます。 お目汚しをどうかお許し下さい。
朝は冷え込んだが日中は春らしい暖かさとなった。
また気温が下がる日があるかもしれないが
季節は春から初夏へと向かって行くことだろう。
昨夜「八重桜」のことを記したが関東でも咲いているようだ。
同じ八重桜でも種類が沢山ありとても覚えられない。
まるで若葉のような色をした桜もあり驚く。
こちらでは見たことがなく余程珍しい種類なのだろう。
染井吉野が散った後に「私も桜ですよ」と声が聞こえるようだ。

田植えは昨日で一段落したと思いきや今日も田植えだった。
昨日と同じ面々で今日も助けてもらったようだ。
お弁当は山里の店で買い求めたが義父は気に入らない様子である。
体裁が悪いと思ったのだろうか。決して豪華なお弁当ではなかった。
工場の仕事の段取りも一切相談出来ずまた直ぐに出掛けて行く。
明日も田植えだったら工場はもう限界である。
同僚も私もひたすら焦るばかりであった。
車検が完了しないと売上に繋がらず運転資金にもならないのだ。
無我夢中になっている義父にどうしてそれを告げられようか。
おそらく全て私の責任になってしまうことだろう。
午後、損保会社のO君が久しぶりに顔を見せてくれた。
特に用事が在る訳ではなく気分転換のようだった。
職場では煙草も吸えないそうで気が狂いそうだと嘆く。
おまけに女性ばかりの職場で尻に敷かれているのだそうだ。
どんなにか肩身が狭い思いをしていることだろう。
「またいつでも気晴らしに来たらえいよ」と告げると
嬉しそうに笑顔を見せ「うん、さいさい来るけん」と声が弾んでいた。
一時間程雑談をしていたが趣味が全く無いのだそうだ。
SNSを勧めると興味深そうにしていたが「けんど分からん」と云う。
スマホは持っているがまだ一度も見たことがないのだそうだ。
手取り足取り教えることも出来ずその話はご破算になった。
とにかくどんなに嫌な仕事でも働かなければ食べていけない。
転職も考えたが50代となるとそれも難しくなるだろう。
息子さんはまだ大学生で仕送りもしなければならなかった。
「また話そうや」お互いに声を掛け合い帰って行った。
私も直ぐ後を追うように帰路に就く。
なんだか会社に圧し潰されそうな危機感を感じていた。
切羽詰まっているのだ。もう崖っぷちに等しい。
何とかしなければならないが何とかなるのだろうか。
楽観視すればもっと前向きになれるのかもしれない。
帰宅して夫の顔を見るとほっとする。
あれこれと話せば心が随分と軽くなるのだった。
「コノヒトヲウシナイタクナイ」いつもいつもそう思う。
若葉
艶やかな若い緑に 陽射しはまんべんなく 降り注いでいる
老いた樹であった 骨のような枝先に 相応しいのだろうか 誰も教えてはくれない
もう子を宿ることは出来ず 命を育むことも叶いはしない
けれども生き永らえば 思いがけない奇跡に 巡り会うことが出来る
若さは眩しい 若さは尊い
老いを嘆くことよりも 空の一部になることを選ぶ
※ここ数日朝の詩を載せていますが賛否両論あると思います。 載せない方が良いと思う方は遠慮なくお知らせください。
自分では決められず「始めてしまったこと」に等しいです。
晴れの予報だったが余程大気が不安定だったのだろう。
午前中時雨れ冷たい北風が吹き荒れていた。
まるで冬が舞い戻って来たかのような一日となる。
染井吉野はすっかり葉桜になってしまったが
遅咲きの桜は八重桜だろうか。
枝先からこぼれ落ちるように咲いており何とも可愛らしい。
幾つもの花が寄り添うように咲き風が吹くと揺れるのだった。
純白の花もあれば桃色の花もある。種類が異なるのかもしれないが
桜の知識には疎く総じて八重桜だと思い込んでいる。
桜の仲間には違いなくしばらくは桜の季節が続くことだろう。

朝の青空はつかの間のこと悪天候になってしまったが
田植えは予定通りに行われ義父の友人が4人も来てくれていた。
冷たい時雨に濡れどんなにか辛かったことだろうか。
衣類は冬構えであったが誰も雨合羽を羽織っていなかったのだ。
私は何の役にも立たないがお昼のお弁当を頼まれていた。
宿毛市の「ほっかほっか亭」に5人分のお弁当を注文する。
山里でもお弁当は手に入るが皆さんほか弁を気に入っているようだ。
11時に予約していたので30分前に事務所を出るつもりだったが
急な来客があり直ぐには出られそうにない。
お昼に間に合わなかったら義父に叱られてしまうだろう。
仕方なく忙しい同僚の手を止め代わりに行ってもらった。
同僚は苦笑いをしていたが本日は田植えで緊急事態なのである。
お昼には5人が事務所に勢揃いしわいわいと賑やかであった。
義父は興奮しているのか誰よりも大きな声である。
先頭に立って張り切っているのが見て取れ闘志満々の様子だった。
肉体的に厳しいことを「骨が折れる」と云うが
義父は最初から首の骨が折れているのだった。
その上に死に物狂いになって無理を重ねている。
田植えは一日では終わらずまだまだこれからの苦労であった。
午後、平田町のお客さんから電話があり車のエンジンが掛からないと。
おそらくバッテリーの寿命だと思われたが明日まで待ってもらうことにした。
しかしお米を切らしており今夜の夕食の分が無いのだそうだ。
「買いに行きたかった」と嘆くのであまりにも憐れに思い
同僚に相談したら直ぐに出張してくれることになりほっとする。
高齢者の独り暮らしである。人助けも大切な仕事に思えた。
工場の仕事は車検尽くしでとても今週中には終われそうにない。
大型車の一般修理もありお客さんから催促があったばかりだった。
とにかく頭を下げて待ってもらうしかないが何とも心苦しいものだ。
義父を恨んでも仕方ないが義父の助けがあればと思わずにいられない。
じたばたしても何も変わらず2時過ぎに退社する。
市内は時雨れなかったそうで洗濯物も乾いていたそうだ。
めいちゃんの微熱は今朝には平熱になっていたが
母親に甘えたかったのだろう今日は学校を休んでいた。
昨夜は宿題どころではなかったのでそれも休んだ理由のようだった。
とにかく宿題が多いのだ。昔の子供には考えられないことである。
我が家は廃業したがまだ海苔養殖を続けている従兄弟が居て
貴重な青さ海苔を届けてくれたのだった。
今年は絶滅ではなかったようだがほんの僅かの収穫とのこと。
有難いより申し訳なくて決して無駄にしてはならない。
娘が天婦羅にしてくれ揚げたてをご馳走になった。
「四万十川の青さ海苔」もう二度と食べられないかもしれない。
夫も感慨深く思ったのだろう。もう私達は川漁師ではなかった。
歳月を振り返りながらまた新たな歳月へと歩み始めている。
「じゅうぶんに生きたのか」問いもせずに答えもせずに。
※今夜も今朝の詩を載せておきます。
春雷
空が引き裂かれるのを見た 稲妻が光り真っ二つになる
どちらを選べば良いのだろう まるで此岸と彼岸であった
激しい雨音が地面を叩き 項垂れるであろう花を想う 春として咲いたからには 何としても耐えねばならない
散る花もあれば落ちる花も それが定めと知り尽くせば もう身を任せるしかないのだ
打たれ強く在らねばならない 泣き顔を見せてはならない
凛として見上げる空には 引き裂かれた両方が在る
一瞬の光に命を輝かせていた
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