「若葉冷え」も何処へやら。今日は25℃に達し夏日となる。
全国的にも広い範囲で初夏の陽気だったようだ。
今年の春は短くすぐに暑い夏が訪れるかもしれない。
午前中、平田町の信用金庫まで行っていたのだが
それはそれは沢山のお遍路さんが歩いていた。
何とそのうち6人は外国人で驚く。
背の高い男性、金髪の女性もいた。
朝の山道では見かけなかったので山里の民宿泊だろうか。
山里には2軒の民宿があり宿泊客も多いと聞く。
「どぶろく」を振舞うのは「民宿くろうさぎ」で
外国人さんも昨夜は酔っぱらっていたかもしれない。
言葉は伝わらなくても楽しい夜を過ごしたことだろう。

仕事は一歩前進。今朝は義父が待機してくれており助かる。
おかげで車検が完了し納車することが出来た。
代金は明日にでも振り込んでくれるそうで夢のようである。
来週早々には大口の支払いがあり困り果てていたところだった。
同僚は大型車のクラッチ修理に集中しており
飛び込みの来客がないことを願うばかりである。
義父はまた田んぼであった。もうどうしようも出来ない。
仕事があるのは有難いことだが同僚一人ではとても手に負えないのだ。
整形外科のリハビリがある日で3時前に退社する。
療法士のU君の手は今日も「神の手」であった。
リハビリを終えサニーマートで買い物をしていたら
先日ご主人を亡くしたばかりの義理の叔母に会った。
お悔やみの言葉を述べたら「どうして知っちょるがよ」と云われた。
義父がお通夜もお葬式も行っていたのだから当然のことだが
「あんたは来てなかったよね」と念を押すように云うのである。
たとえ義理の仲でも参列するべきだったのだろうか。
母のお葬式ではお世話になったので恩を返すのが筋だったかもしれない。
なんだか責められているように感じ一気に気分が塞いでしまった。
帰宅して直ぐに夫に話したが私の思い過ごしだろうと云ってくれる。
おかげで少し気が楽になったが何とも後味の悪い出来事だった。
一切の血の繋がりがない。それは義父も同じであったが
夫婦も同じである。元々は赤の他人に他ならない。
母は義父と50年以上連れ添ったが叔母にとっては姉ではなかったのか。
もしかしたら突然転がり込んで来た厄介者だったのかもしれない。
しかも私のような連れ子もいて迷惑をかけてしまったのだろう。
亡くなった義叔父とは私の婚礼の時に初めて会ったきりだった。
義理の上に義理を重ね世間体を取り繕っただけなのだと思う。
今日のことで何だかそれを思い知ったような気がした。
さらりさらりと水に流さなければいけない。
みんなみんな縁あってこその仲なのに違いないのだ。
発芽
柔らかな土であった 必要なのは肥料と水 それから空である
農夫は季節を知り まるで我が子のように 種を蒔く
春の陽射しを浴び 薄っすらと汗をかき 吹き抜ける風に会う
困難もあるだろう 失望もあるだろう
けれども希望失くして どうして生きられようか
種として育つ春である 恵みの雨を待ちながら むくむくと息を放った
空がいっそう近くなる 頭をあげて手を伸ばす
もう芽である もう踏まれることはあるまい
※今のところ誰からも苦情や意見は届かず引き続き詩を掲載させて頂きます。 お目汚しをどうかお許し下さい。
朝は冷え込んだが日中は春らしい暖かさとなった。
また気温が下がる日があるかもしれないが
季節は春から初夏へと向かって行くことだろう。
昨夜「八重桜」のことを記したが関東でも咲いているようだ。
同じ八重桜でも種類が沢山ありとても覚えられない。
まるで若葉のような色をした桜もあり驚く。
こちらでは見たことがなく余程珍しい種類なのだろう。
染井吉野が散った後に「私も桜ですよ」と声が聞こえるようだ。

田植えは昨日で一段落したと思いきや今日も田植えだった。
昨日と同じ面々で今日も助けてもらったようだ。
お弁当は山里の店で買い求めたが義父は気に入らない様子である。
体裁が悪いと思ったのだろうか。決して豪華なお弁当ではなかった。
工場の仕事の段取りも一切相談出来ずまた直ぐに出掛けて行く。
明日も田植えだったら工場はもう限界である。
同僚も私もひたすら焦るばかりであった。
車検が完了しないと売上に繋がらず運転資金にもならないのだ。
無我夢中になっている義父にどうしてそれを告げられようか。
おそらく全て私の責任になってしまうことだろう。
午後、損保会社のO君が久しぶりに顔を見せてくれた。
特に用事が在る訳ではなく気分転換のようだった。
職場では煙草も吸えないそうで気が狂いそうだと嘆く。
おまけに女性ばかりの職場で尻に敷かれているのだそうだ。
どんなにか肩身が狭い思いをしていることだろう。
「またいつでも気晴らしに来たらえいよ」と告げると
嬉しそうに笑顔を見せ「うん、さいさい来るけん」と声が弾んでいた。
一時間程雑談をしていたが趣味が全く無いのだそうだ。
SNSを勧めると興味深そうにしていたが「けんど分からん」と云う。
スマホは持っているがまだ一度も見たことがないのだそうだ。
手取り足取り教えることも出来ずその話はご破算になった。
とにかくどんなに嫌な仕事でも働かなければ食べていけない。
転職も考えたが50代となるとそれも難しくなるだろう。
息子さんはまだ大学生で仕送りもしなければならなかった。
「また話そうや」お互いに声を掛け合い帰って行った。
私も直ぐ後を追うように帰路に就く。
なんだか会社に圧し潰されそうな危機感を感じていた。
切羽詰まっているのだ。もう崖っぷちに等しい。
何とかしなければならないが何とかなるのだろうか。
楽観視すればもっと前向きになれるのかもしれない。
帰宅して夫の顔を見るとほっとする。
あれこれと話せば心が随分と軽くなるのだった。
「コノヒトヲウシナイタクナイ」いつもいつもそう思う。
若葉
艶やかな若い緑に 陽射しはまんべんなく 降り注いでいる
老いた樹であった 骨のような枝先に 相応しいのだろうか 誰も教えてはくれない
もう子を宿ることは出来ず 命を育むことも叶いはしない
けれども生き永らえば 思いがけない奇跡に 巡り会うことが出来る
若さは眩しい 若さは尊い
老いを嘆くことよりも 空の一部になることを選ぶ
※ここ数日朝の詩を載せていますが賛否両論あると思います。 載せない方が良いと思う方は遠慮なくお知らせください。
自分では決められず「始めてしまったこと」に等しいです。
晴れの予報だったが余程大気が不安定だったのだろう。
午前中時雨れ冷たい北風が吹き荒れていた。
まるで冬が舞い戻って来たかのような一日となる。
染井吉野はすっかり葉桜になってしまったが
遅咲きの桜は八重桜だろうか。
枝先からこぼれ落ちるように咲いており何とも可愛らしい。
幾つもの花が寄り添うように咲き風が吹くと揺れるのだった。
純白の花もあれば桃色の花もある。種類が異なるのかもしれないが
桜の知識には疎く総じて八重桜だと思い込んでいる。
桜の仲間には違いなくしばらくは桜の季節が続くことだろう。

朝の青空はつかの間のこと悪天候になってしまったが
田植えは予定通りに行われ義父の友人が4人も来てくれていた。
冷たい時雨に濡れどんなにか辛かったことだろうか。
衣類は冬構えであったが誰も雨合羽を羽織っていなかったのだ。
私は何の役にも立たないがお昼のお弁当を頼まれていた。
宿毛市の「ほっかほっか亭」に5人分のお弁当を注文する。
山里でもお弁当は手に入るが皆さんほか弁を気に入っているようだ。
11時に予約していたので30分前に事務所を出るつもりだったが
急な来客があり直ぐには出られそうにない。
お昼に間に合わなかったら義父に叱られてしまうだろう。
仕方なく忙しい同僚の手を止め代わりに行ってもらった。
同僚は苦笑いをしていたが本日は田植えで緊急事態なのである。
お昼には5人が事務所に勢揃いしわいわいと賑やかであった。
義父は興奮しているのか誰よりも大きな声である。
先頭に立って張り切っているのが見て取れ闘志満々の様子だった。
肉体的に厳しいことを「骨が折れる」と云うが
義父は最初から首の骨が折れているのだった。
その上に死に物狂いになって無理を重ねている。
田植えは一日では終わらずまだまだこれからの苦労であった。
午後、平田町のお客さんから電話があり車のエンジンが掛からないと。
おそらくバッテリーの寿命だと思われたが明日まで待ってもらうことにした。
しかしお米を切らしており今夜の夕食の分が無いのだそうだ。
「買いに行きたかった」と嘆くのであまりにも憐れに思い
同僚に相談したら直ぐに出張してくれることになりほっとする。
高齢者の独り暮らしである。人助けも大切な仕事に思えた。
工場の仕事は車検尽くしでとても今週中には終われそうにない。
大型車の一般修理もありお客さんから催促があったばかりだった。
とにかく頭を下げて待ってもらうしかないが何とも心苦しいものだ。
義父を恨んでも仕方ないが義父の助けがあればと思わずにいられない。
じたばたしても何も変わらず2時過ぎに退社する。
市内は時雨れなかったそうで洗濯物も乾いていたそうだ。
めいちゃんの微熱は今朝には平熱になっていたが
母親に甘えたかったのだろう今日は学校を休んでいた。
昨夜は宿題どころではなかったのでそれも休んだ理由のようだった。
とにかく宿題が多いのだ。昔の子供には考えられないことである。
我が家は廃業したがまだ海苔養殖を続けている従兄弟が居て
貴重な青さ海苔を届けてくれたのだった。
今年は絶滅ではなかったようだがほんの僅かの収穫とのこと。
有難いより申し訳なくて決して無駄にしてはならない。
娘が天婦羅にしてくれ揚げたてをご馳走になった。
「四万十川の青さ海苔」もう二度と食べられないかもしれない。
夫も感慨深く思ったのだろう。もう私達は川漁師ではなかった。
歳月を振り返りながらまた新たな歳月へと歩み始めている。
「じゅうぶんに生きたのか」問いもせずに答えもせずに。
※今夜も今朝の詩を載せておきます。
春雷
空が引き裂かれるのを見た 稲妻が光り真っ二つになる
どちらを選べば良いのだろう まるで此岸と彼岸であった
激しい雨音が地面を叩き 項垂れるであろう花を想う 春として咲いたからには 何としても耐えねばならない
散る花もあれば落ちる花も それが定めと知り尽くせば もう身を任せるしかないのだ
打たれ強く在らねばならない 泣き顔を見せてはならない
凛として見上げる空には 引き裂かれた両方が在る
一瞬の光に命を輝かせていた
晴れのち曇り。気温は20℃に届かず風が冷たく感じた。
大気が不安定で上空に寒気があるとのこと
関東では雹が降ったそうでどんなにか戸惑ったことだろう。
四万十も雷雨の予報だったが雨は今のところ降っておらず
遠雷が響き渡っており不気味な夜となった。
「花冷え」にはもう遅く「若葉冷え」と云うべきだろうか。
この寒さは明日も続き春が後ずさりしそうである。
けれども確かに春であった。あちらこちらに春の花が咲き誇っている。

乗り慣れない代車で出勤したが新車なので緊張せずにはいられない。
もし事故でも起こしたら車を弁償しなければいけないのだそうだ。
どんなにオンボロ車でもやはり自分の愛車が一番である。
義父はまた田んぼに出掛けたのか今朝も姿が見えなかった。
しかしトラクターもあり軽トラックもあったので不思議でならない。
田んぼだと決めつけていたが行方不明である。
電話をすれば「何だ?」と叱られそうで掛けることも出来なかった。
お昼を過ぎても帰らず2時まで待ち早々と退社する。
サニーマートへ着くなり電話があり「いま帰ったぞ」と報告があった。
草刈り機を載せてあるトラックで出掛けていたらしい。
雨が降り出す前にと必死で畔の草刈りをしていたのだそうだ。
もちろん昼食も食べてはおらず「ちゃんと食べんといかんよ」と告げると
「よっしゃ、わかった」と機嫌が良く何だかほっとした。
明日は田植えの予定でまた友人達が手伝いに来てくれるのだそうだ。
張り切っており何としても順調にと願わずにはいられない。
決して一人では出来ないことで持つべきものは友人である。
60代70代と義父よりもずっと若い面々であった。

3時過ぎに帰宅。自室で一休みしてから夫と「三匹が斬る」を見る。
今日も最後には悪者が次々に斬られおそらく即死であろう。
いかにも悪役風の役者さんも倒れ方が上手くさすがだなと思う。
その他大勢の役者さんはいわゆる「大部屋役者」さんだろうか。
無名であっても斬られ方、死に方もなかなかのものである。
しかし人の死がまるで日常茶飯事であるのは考えさせられたことだった。
夕食のメインは「塩焼きぞば」だったが6人分の量はもの凄く
娘がまるで「ギャル曽根風」だと云って笑い転げていた。
私は大好きなので沢山食べたがめいちゃんの姿が見えない。
めいちゃんも大好物なので喜ぶ顔が見たかったのだが
下校後微熱が出たそうで二階で寝ているのだそうだ。
風邪の症状はなくもしかしたら知恵熱のようなものかもしれない。
5年生になってから児童会の副会長になってとても張り切っていた。
緊張も疲れも出たのだろう。頑張り過ぎたのに違いない。
「大丈夫?」と声を掛けたら真っ赤な顔をして「大丈夫じゃない」と。
ちゃんと正直に云えることはとても大切なことだと思う。
強がってはいけないのだ。辛い時はちゃんとそう伝えなければいけない。
明日の朝まで様子を見ることになったが
「行ってきまーす」と元気な声がきっと聞けますように。
※日記の内容にはそぐわないのですが今朝書いた詩を載せておきます。
かごめかごめ
夜明けの晩に鶴と亀が滑るのは 不吉な知らせなのだそうだ
かごめかごめ 籠目の中に居る鳥は誰だろう 子を宿っているらしいが やがて卵を産む日が来る
月夜であってはならない 耐えながら新月を待っている そうして籠目の外に出るのだ
子等には真っ青な空を 春の優しい陽射しを 爽やかな風を授けたい
かごめかごめ
振り向いてはならない 後ろの正面を見てはならない
雨のち晴れ。午後から気温が下がり少し肌寒くなった。
昨夜からの雨はまとまった雨量となり恵みの雨となったことだろう。
何処の田んぼも水不足で義父も含め米農家さんは頭を悩ましている。
「穀雨」まではまだ一週間あるが水不足が解消されることを祈るばかりだ。
とうとう「花散らしの雨」となり殆どの桜が散ってしまったようだ。
それも定めであり嘆くことは何ひとつありはしない。
樹齢百年を超えた桜木もある。また巡りくる季節のために生きて行く。
見届けるためにはとにかく長生きをすることだろう。
しかし「定命」がある限り最後の春がきっと訪れるのだ。
「生きたい」願いほど儚い夢はないのかもしれない。

朝のうちに本格的に衣替えをした。
去年は何を着ていたのだろうと思うがけっこう衣装持ちである。
母の形見もあり袖を通すのが楽しみでならない。
特に母が好んで着ていた服は懐かしくて愛着があった。
母を着れば供養にもなるだろう。薄情な娘の罪滅ぼしでもある。
午後はまたごろごろと寝てばかりだったが
3時には目を覚まし夕方まで自室で過ごす。
暇つぶしに昨年の5月の日記を読んでいた。
つい一年前の事なのに記憶は随分と薄れており
お客さんの事など書いていてもそれが誰なのか分からない。
義父の田植えは第三段まであったようで今年もそうなることだろう。
仕事は決して順調ではなかったのだ。よく乗り越えて来たものだと思う。
一日一日を縫うように過ごしている。かと云って何も完成していない。
一枚の布はあっても針に糸を通せなかったり
その糸もそうそう多くは在りはしなかったのだろう。
そうしてゴールは見えない。それは今も同じことである。
けれども書きながら生きて来た。それを誇りに思いたい。
書き残すことで少しでも前へ進めたのではないだろうか。
今日があったから明日があるとは限らないが
奇跡のように夜が明ければ与えられた命がある。
その掛け替えのない命を全うしなければならない。
散って終わりではない。散ってこそ始められることがきっとある。
運命
間違いではない 正しく雨が降っている
残り花に降り注げば もう跡形もなかった
間違いではない 正しく風が吹いている
しがみつく術も知らず 見届けるように散った
どれほどの誇りも もう敵いはしない 運命であろうか 儚さを思い知る
しっかりと根を張り 土と共に生きるだろう
また巡り来る季節に 花として咲くために
晴れのち曇り。今夜遅くには雨になりそうだ。
今度こそ「花散らしの雨」になるかもしれない。
つつじの花が咲き始めれば藤の花も咲き始める。
花たちはそうして季節を繋いでくれるのだった。
誰の指図も受けない。ただ咲く時を知っているのだろう。
工場の仕事が気掛かりでならなかったがお休みを頂く。
心苦しくてならないが「カーブス休暇」であった。
筋トレ中にお客さんから3回も着信がある。
そうなればカーブスどころではなくなり集中出来なかった。
休んでいる私が悪いのだと思う。仕方ないことなのだろう。
カーブスを終え買い物を済ませてからダイハツへ向かった。
やっと部品が整ったようでパワーウインドウの修理である。
プロの手に掛かれば今度こそ完璧に直ると信じるしかない。
それにしても窓の開かない車の何と不便だったことだろう。
気温が高くなれば暑くエアコンを点けなければいけなかった。
午後は例の如くでごろごろと寝てばかりである。
怠惰を貪るのにも少々飽きてしまった。
かと云って何もする気になれない。困ったものである。
娘達が夕食不要と云い残しダンス教室へと出掛けて行く。
めいちゃんは余程ダンスが好きなのだろう嬉しくてならない様子だった。
好きなことを貫いて欲しいと願う。将来が楽しみでならない。
ステーキを焼いていたのであやちゃんに声を掛けたが
「お母さんが帰るまで待つ」と云って聞かない。
それはとても素っ気ない声で何だか拒否されているように感じた。
とにかく干渉してはならない。そっとしておくべきなのだ。
もう待つことにも慣れてしまったのだろう。
それを憐れに思うのが老婆心でなくて何だろうと思う。
夫と話していれば平日は時々散歩に出掛けているのだそうだ。
それも娘が出掛けている時だけのことらしい。
そうして夫の居る茶の間に来てはあれこれとおしゃべりをするのだそうだ。
母親である娘も祖母である私も知らないあやちゃんがそこに居た。
土手の道で川風に吹かれている姿を想う。
春の陽射しの眩しさに目を細めていることだろう。
窓
はるさんは中学生になったが まだ一度も学校に行っていない
一年何組かも知らない 担任の先生も知らない クラスメートも知らない
満開だった桜の花がはらはらと散り始めた 窓を開けると優しい風がまるで友達のようである
「なつさん」と呼んでみたが声は届かなかったようだ 学校へ行けば隣の席なのだろう もしかしたら親友になれるかも
どんな顔をしているのだろう 笑うと笑窪がとても可愛いのだ
窓の外はきらきらと輝いている はるさんは独りぼっちだったが 少しも寂しさを感じなかった
もう三度目の春のことである
雨上がりの朝。日中は次第に晴れて25℃の夏日となった。
昨夜の雨は小雨だったおかげで花散らしの雨にはならなかったようだ。
桜はまだ残っておりその健気な姿に感動を覚える。
潔く散り急ぐことはあるまい。ゆっくりと散れば良いのだ。
朝の国道を行けば柿の木畑があり若い緑が目に眩しい。
しっとりと雨に濡れたせいだろうきらきらと輝いていた。
もう若葉の季節なのだ。あらゆる植物が芽吹き始めている。
春が匂う。なんだか天の国ではないかと思うほどに。

仕事は相も変わらず順調とは云い難い。義父はまた田んぼであった。
同僚のクレーム修理も5日目となりまだ完了の目途が立たない。
最初は2日の予定だったのでスケジュールが大幅に狂う。
来週からは毎日車検の予約が入っておりどうなることだろうか。
義父の助けがなければパニックになってしまいそうだ。
あれこれと思い悩んでも何も変わらずとにかく前へ進まねばならない。
2時過ぎに退社。義父が帰っていたがどうしても云い出せない事があった。
昨年の新米からずっと我が家のお米を貰い受けていたのだが
あまりにも虫が良すぎるのではないかと思い始めた。
娘とは云え義理の仲である。少しは遠慮も考えなくてはいけない。
お米の価格が高騰しており家計には響くが今回は買うことにした。
何だか義父の苦労をむしり取るような気がしたのだった。
3時過ぎに帰宅したが夫が珍しく出掛けており不思議に思う。
4時前には帰って来たが何と川船が売れたのだそうだ。
仲介してくれた人に3万円支払い5万円の収入がある。
借金をしてやっと手に入れた川船だったがもう惜しくはなかった。
長い歳月を共に働きその恩は言葉では言い尽くせない。
しかし廃業した以上はもう不要な船であった。
断捨離にも等しいが廃船にするよりはずっと良いだろう。
人手に渡っても四万十川は永遠に流れ続けている。
海苔の作業場は娘婿に譲りもう殆どの物を処分した。
乾燥機が残っているがこれは思うように買い手が付かない。
海苔の収穫自体が廃れてしまった今では無理もないだろう。
手放すこと。処分すること。それは別れにも等しかった。
真丸(まことまる)
その川船は「真丸」 とうとう別れの時が来た
どれ程の苦労だったことか 歳月は潮のように満ちて引く
夜明けを待ち兼ねて漕ぎ出す 朝陽が射せば川面を染めて 冷たい風が吹き抜けていく
舳先に座っていると水しぶきが 川面を切るように踊るのを見た
漁場に着くと船は大きく息をし ただひたすらに豊漁を願う
共に生きて来たのだろう かけがえのない船であった
手放せば別れの時である 歳月は宝物だったのかもしれない
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