ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月14日(月) 遠雷

晴れのち曇り。気温は20℃に届かず風が冷たく感じた。

大気が不安定で上空に寒気があるとのこと

関東では雹が降ったそうでどんなにか戸惑ったことだろう。

四万十も雷雨の予報だったが雨は今のところ降っておらず

遠雷が響き渡っており不気味な夜となった。


「花冷え」にはもう遅く「若葉冷え」と云うべきだろうか。

この寒さは明日も続き春が後ずさりしそうである。

けれども確かに春であった。あちらこちらに春の花が咲き誇っている。




乗り慣れない代車で出勤したが新車なので緊張せずにはいられない。

もし事故でも起こしたら車を弁償しなければいけないのだそうだ。

どんなにオンボロ車でもやはり自分の愛車が一番である。


義父はまた田んぼに出掛けたのか今朝も姿が見えなかった。

しかしトラクターもあり軽トラックもあったので不思議でならない。

田んぼだと決めつけていたが行方不明である。

電話をすれば「何だ?」と叱られそうで掛けることも出来なかった。

お昼を過ぎても帰らず2時まで待ち早々と退社する。

サニーマートへ着くなり電話があり「いま帰ったぞ」と報告があった。

草刈り機を載せてあるトラックで出掛けていたらしい。

雨が降り出す前にと必死で畔の草刈りをしていたのだそうだ。

もちろん昼食も食べてはおらず「ちゃんと食べんといかんよ」と告げると

「よっしゃ、わかった」と機嫌が良く何だかほっとした。


明日は田植えの予定でまた友人達が手伝いに来てくれるのだそうだ。

張り切っており何としても順調にと願わずにはいられない。

決して一人では出来ないことで持つべきものは友人である。

60代70代と義父よりもずっと若い面々であった。





3時過ぎに帰宅。自室で一休みしてから夫と「三匹が斬る」を見る。

今日も最後には悪者が次々に斬られおそらく即死であろう。

いかにも悪役風の役者さんも倒れ方が上手くさすがだなと思う。

その他大勢の役者さんはいわゆる「大部屋役者」さんだろうか。

無名であっても斬られ方、死に方もなかなかのものである。

しかし人の死がまるで日常茶飯事であるのは考えさせられたことだった。


夕食のメインは「塩焼きぞば」だったが6人分の量はもの凄く

娘がまるで「ギャル曽根風」だと云って笑い転げていた。

私は大好きなので沢山食べたがめいちゃんの姿が見えない。

めいちゃんも大好物なので喜ぶ顔が見たかったのだが

下校後微熱が出たそうで二階で寝ているのだそうだ。

風邪の症状はなくもしかしたら知恵熱のようなものかもしれない。

5年生になってから児童会の副会長になってとても張り切っていた。

緊張も疲れも出たのだろう。頑張り過ぎたのに違いない。


「大丈夫?」と声を掛けたら真っ赤な顔をして「大丈夫じゃない」と。

ちゃんと正直に云えることはとても大切なことだと思う。

強がってはいけないのだ。辛い時はちゃんとそう伝えなければいけない。

明日の朝まで様子を見ることになったが

「行ってきまーす」と元気な声がきっと聞けますように。


※日記の内容にはそぐわないのですが今朝書いた詩を載せておきます。


         かごめかごめ


     夜明けの晩に鶴と亀が滑るのは
     不吉な知らせなのだそうだ

     かごめかごめ
     籠目の中に居る鳥は誰だろう
     子を宿っているらしいが
     やがて卵を産む日が来る

     月夜であってはならない
     耐えながら新月を待っている
     そうして籠目の外に出るのだ

     子等には真っ青な空を
     春の優しい陽射しを
     爽やかな風を授けたい

     かごめかごめ

     振り向いてはならない
     後ろの正面を見てはならない



2025年04月13日(日) 日々を縫う

雨のち晴れ。午後から気温が下がり少し肌寒くなった。

昨夜からの雨はまとまった雨量となり恵みの雨となったことだろう。

何処の田んぼも水不足で義父も含め米農家さんは頭を悩ましている。

「穀雨」まではまだ一週間あるが水不足が解消されることを祈るばかりだ。


とうとう「花散らしの雨」となり殆どの桜が散ってしまったようだ。

それも定めであり嘆くことは何ひとつありはしない。

樹齢百年を超えた桜木もある。また巡りくる季節のために生きて行く。

見届けるためにはとにかく長生きをすることだろう。

しかし「定命」がある限り最後の春がきっと訪れるのだ。

「生きたい」願いほど儚い夢はないのかもしれない。




朝のうちに本格的に衣替えをした。

去年は何を着ていたのだろうと思うがけっこう衣装持ちである。

母の形見もあり袖を通すのが楽しみでならない。

特に母が好んで着ていた服は懐かしくて愛着があった。

母を着れば供養にもなるだろう。薄情な娘の罪滅ぼしでもある。


午後はまたごろごろと寝てばかりだったが

3時には目を覚まし夕方まで自室で過ごす。

暇つぶしに昨年の5月の日記を読んでいた。

つい一年前の事なのに記憶は随分と薄れており

お客さんの事など書いていてもそれが誰なのか分からない。

義父の田植えは第三段まであったようで今年もそうなることだろう。

仕事は決して順調ではなかったのだ。よく乗り越えて来たものだと思う。

一日一日を縫うように過ごしている。かと云って何も完成していない。

一枚の布はあっても針に糸を通せなかったり

その糸もそうそう多くは在りはしなかったのだろう。

そうしてゴールは見えない。それは今も同じことである。


けれども書きながら生きて来た。それを誇りに思いたい。

書き残すことで少しでも前へ進めたのではないだろうか。


今日があったから明日があるとは限らないが

奇跡のように夜が明ければ与えられた命がある。

その掛け替えのない命を全うしなければならない。

散って終わりではない。散ってこそ始められることがきっとある。


         
           運命

       間違いではない
       正しく雨が降っている

       残り花に降り注げば
       もう跡形もなかった

       間違いではない
       正しく風が吹いている

       しがみつく術も知らず
       見届けるように散った

       どれほどの誇りも
       もう敵いはしない
       運命であろうか
       儚さを思い知る

       しっかりと根を張り
       土と共に生きるだろう

       また巡り来る季節に
       花として咲くために



2025年04月12日(土) 窓を開けて

晴れのち曇り。今夜遅くには雨になりそうだ。

今度こそ「花散らしの雨」になるかもしれない。

つつじの花が咲き始めれば藤の花も咲き始める。

花たちはそうして季節を繋いでくれるのだった。

誰の指図も受けない。ただ咲く時を知っているのだろう。



工場の仕事が気掛かりでならなかったがお休みを頂く。

心苦しくてならないが「カーブス休暇」であった。

筋トレ中にお客さんから3回も着信がある。

そうなればカーブスどころではなくなり集中出来なかった。

休んでいる私が悪いのだと思う。仕方ないことなのだろう。


カーブスを終え買い物を済ませてからダイハツへ向かった。

やっと部品が整ったようでパワーウインドウの修理である。

プロの手に掛かれば今度こそ完璧に直ると信じるしかない。

それにしても窓の開かない車の何と不便だったことだろう。

気温が高くなれば暑くエアコンを点けなければいけなかった。


午後は例の如くでごろごろと寝てばかりである。

怠惰を貪るのにも少々飽きてしまった。

かと云って何もする気になれない。困ったものである。


娘達が夕食不要と云い残しダンス教室へと出掛けて行く。

めいちゃんは余程ダンスが好きなのだろう嬉しくてならない様子だった。

好きなことを貫いて欲しいと願う。将来が楽しみでならない。


ステーキを焼いていたのであやちゃんに声を掛けたが

「お母さんが帰るまで待つ」と云って聞かない。

それはとても素っ気ない声で何だか拒否されているように感じた。

とにかく干渉してはならない。そっとしておくべきなのだ。

もう待つことにも慣れてしまったのだろう。

それを憐れに思うのが老婆心でなくて何だろうと思う。


夫と話していれば平日は時々散歩に出掛けているのだそうだ。

それも娘が出掛けている時だけのことらしい。

そうして夫の居る茶の間に来てはあれこれとおしゃべりをするのだそうだ。

母親である娘も祖母である私も知らないあやちゃんがそこに居た。


土手の道で川風に吹かれている姿を想う。

春の陽射しの眩しさに目を細めていることだろう。



            窓

      はるさんは中学生になったが
      まだ一度も学校に行っていない

      一年何組かも知らない
      担任の先生も知らない
      クラスメートも知らない

      満開だった桜の花がはらはらと散り始めた
      窓を開けると優しい風がまるで友達のようである

      「なつさん」と呼んでみたが声は届かなかったようだ
      学校へ行けば隣の席なのだろう
      もしかしたら親友になれるかも

      どんな顔をしているのだろう
      笑うと笑窪がとても可愛いのだ

      窓の外はきらきらと輝いている
      はるさんは独りぼっちだったが
      少しも寂しさを感じなかった

      もう三度目の春のことである



2025年04月11日(金) 春の別れ

雨上がりの朝。日中は次第に晴れて25℃の夏日となった。

昨夜の雨は小雨だったおかげで花散らしの雨にはならなかったようだ。

桜はまだ残っておりその健気な姿に感動を覚える。

潔く散り急ぐことはあるまい。ゆっくりと散れば良いのだ。


朝の国道を行けば柿の木畑があり若い緑が目に眩しい。

しっとりと雨に濡れたせいだろうきらきらと輝いていた。

もう若葉の季節なのだ。あらゆる植物が芽吹き始めている。

春が匂う。なんだか天の国ではないかと思うほどに。




仕事は相も変わらず順調とは云い難い。義父はまた田んぼであった。

同僚のクレーム修理も5日目となりまだ完了の目途が立たない。

最初は2日の予定だったのでスケジュールが大幅に狂う。

来週からは毎日車検の予約が入っておりどうなることだろうか。

義父の助けがなければパニックになってしまいそうだ。

あれこれと思い悩んでも何も変わらずとにかく前へ進まねばならない。



2時過ぎに退社。義父が帰っていたがどうしても云い出せない事があった。

昨年の新米からずっと我が家のお米を貰い受けていたのだが

あまりにも虫が良すぎるのではないかと思い始めた。

娘とは云え義理の仲である。少しは遠慮も考えなくてはいけない。

お米の価格が高騰しており家計には響くが今回は買うことにした。

何だか義父の苦労をむしり取るような気がしたのだった。


3時過ぎに帰宅したが夫が珍しく出掛けており不思議に思う。

4時前には帰って来たが何と川船が売れたのだそうだ。

仲介してくれた人に3万円支払い5万円の収入がある。

借金をしてやっと手に入れた川船だったがもう惜しくはなかった。

長い歳月を共に働きその恩は言葉では言い尽くせない。

しかし廃業した以上はもう不要な船であった。

断捨離にも等しいが廃船にするよりはずっと良いだろう。

人手に渡っても四万十川は永遠に流れ続けている。


海苔の作業場は娘婿に譲りもう殆どの物を処分した。

乾燥機が残っているがこれは思うように買い手が付かない。

海苔の収穫自体が廃れてしまった今では無理もないだろう。


手放すこと。処分すること。それは別れにも等しかった。


         
          真丸(まことまる)


        その川船は「真丸」
        とうとう別れの時が来た

        どれ程の苦労だったことか
        歳月は潮のように満ちて引く

        夜明けを待ち兼ねて漕ぎ出す
        朝陽が射せば川面を染めて
        冷たい風が吹き抜けていく

        舳先に座っていると水しぶきが
        川面を切るように踊るのを見た

        漁場に着くと船は大きく息をし
        ただひたすらに豊漁を願う

        共に生きて来たのだろう
        かけがえのない船であった

        手放せば別れの時である
        歳月は宝物だったのかもしれない



2025年04月10日(木) 葉桜

曇りのち雨。本降りにはならず霧のような雨である。

雷雨注意報が出ておりこれから強く降り出すのかもしれない。

「花散らしの雨」になることだろう。


窓から見えていた対岸の山桜もとうとう散ってしまった。

寂しさよりも切なさである。言葉に出来ないような喪失感だった。

おそらく遠くに見えていたからだろう。仰ぎ見ることも出来ず

ただその薄桃色に心を惹かれていたのに違いない。


山里の桜も散り始めており既に葉桜になっている樹もある。

染井吉野の葉は緑ではなく赤茶けているのが特徴であった。

やがて夏が来れば緑に変わる。それこそが葉桜なのかもしれない。




工場は「オイル交換祭り」であった。予約なしの突然の来客である。

初めてのお客さんもあり断ることが出来なかった。

同僚の不機嫌を隠すように愛想を振り撒く。

それが良かったのか夏の車検の用命を頂くことが出来た。

商売は第一印象がとても大切であると改めて思う。

特に新規のお客さんはリピートに繋げていかなければならない。


雨が降り出した頃に義父が田んぼから帰って来てくれた。

まだまだやり残した作業があったのだろう少しご機嫌斜めである。

けれども渋々であったが工場の仕事を手伝ってくれて大助かりだった。

少しでも順調にと願う。焦りは禁物だと自分に云い聞かせていた。


同僚は今日もクレーム修理と格闘しておりとうとう4日目となる。

思うようには行かないものだがその苦労を労うばかりであった。

無償なので売上にはならない。ただ同僚の苦労だけが残る。

けれども何としても信頼を取り戻さなければいけないのだ。



午後思いがけない訃報が舞い込む。

若い頃に一緒に仕事をしていた郁子さんが亡くなった知らせだった。

今は喫茶店を経営しており時々店に訪れたことがあったが

それも足が遠のき20年以上も会っていなかった。

その歳月が恨めしいほどに心に突き刺さって来る。

いつも明るくて朗らかな人だった。私とはよく気が合ったのだ。

昨日トイレで倒れているところを家族が発見したのだそうだ。

そんなことがあってたまるものかと耳を疑うような出来事である。

また「ある日突然」だった。これほどのショックがあるだろうか。

「郁子さんが死んだ」その現実に必死で逆らおうとしている。


人の死に慣れてはいけないと思うが慣れずにはいられない。

そうして必ず「明日は我が身」だと思う。

怖ろしくてならず不安でいっぱいになってしまうのだ。

私も殺されるのだろうか。それは明日かもしれない。

まだまだ思い残すことばかりで途方に暮れるばかりであった。


          
         覚悟

     仄かに雨の匂いがする
     とうとう散る時が来た  

     覚悟をすれば心を決めて
     もう逆らってはならない

     思い残すことなどありはせず
     目を閉じて身をまかせている

     雨を恨んではならない
     空を恨んではならない

     精一杯に咲いたのだ
     これほどの春はなく
     満たされた季節であった

     はらはらと散っていく
     それは潔くそれは尊い

     花として生きてきたのだ
     その命を讃える時がきた

     季節の掟に命を尽くす



2025年04月09日(水) 難破船

今日も気温が高くなり初夏のような陽気となる。

もう「鯉のぼり」の季節なのかはたはたと風になびいていた。

高知県の鯉のぼりは全国的にも珍しく「フラフ」を立てるのが習いである。

大漁旗のような作りで大きく男子の名を書いてあるのが特徴であった。


昔は「初節句」を盛大に祝うのが習いであったが

今は家族のみで祝う家が多くなったようだ。

皿鉢料理が並ぶ大宴会など殆ど見られなくなった。

コロナ禍の影響もあるだろうが寂しいものである。



仕事は少しだけ捗った。義父が昨夜遅くに車検を済ませてくれていた。

ぐったりと疲れていただろうに無理をさせてしまったようだ。

朝食は食べたのだろうか今日も早朝から田んぼに出掛けていて留守である。

お昼に帰って来たが昼食もたべないままハウスの管理に出掛けた。

苗が枯れたら大変なことになり毎日の水遣りが必要である。

来週には田植えを予定していてどうか順調にと願うばかりであった。


同僚はクレーム修理に悪戦苦闘しており気の毒でならない。

7年前に修理をした車であるがずっとオイル漏れが続いていたとのこと。

気難しいお客さんで仕方なく無償で修理をすることになったのだ。

今日で3日目であるがまだ直らず同僚も焦り始めている。

今週はそのため車検の予約を受け入れなかったのだが

後回しにした分来週から月末まで予約でいっぱいになってしまった。

やってやれないことはないが何だか不安でならない。

順調とは限らずいつまたトラブルが起きるやもしれない。


今日はふっと工場を閉めることを考えていた。

義父も農業一筋ならどれ程楽だろうか。

私と同僚は失業するがそれでも構わないと思ったのだ。

資金繰りも追いつかず今こそ限界なのではないだろうか。

今のままでは苦労が報われるとは思えないのだ。


まさに嵐の海を彷徨う難破船である。

沈没すれば命さえも危ういことだろう。

それでもオールを漕ぎ続けている。いったい何処に向かっているのだろう。


義父には口が裂けても云えないことだった。

二足の草鞋を履きこなそうと必死なのである。

そんな義父に水を差すようなことをどうして云えようか。


とにかく耐えることなのだ。現状を受け止めなければいけない。

明日はあしたの風が吹くと何度言い聞かしてきたことか。

何処かの島に辿り着くような風であって欲しいものだ。


        
        野薔薇(ノイバラ)


       身を守るためである
       その棘はたくましく
       強さの証でもあった

       けれども心細いのはなぜ
       不安なのはなぜだろうか

       大河に夕陽が沈む頃
       純白の花は紅く染まり
       暮れていく空をおもう

       誰も手折りはしない
       凛とした命であった

       行く末を案じてはならず
       いつだって明日を信じる

       花びらとして散っても
       思い残すことなどない

       大河のほとりであった
       永久の命が咲き誇っている




2025年04月08日(火) 宙ぶらりん

最高気温が23℃まで上がりすっかり春の陽気となった。

桜の花の何と健気なことだろう。はらはらと散りながらも

樹全体が微笑んでいるように見える。

最後の最後までとその命を燃やしているのだろう。


一足早く咲いた郵便局の大島桜は葉桜になってしまったが

緑の葉が陽射しを浴びてきらきらと輝いている。

そうして清々しい風が吹けば心がとても癒されるのだった。

散ったからと嘆くことなど何ひとつありはしないのだ。



仕事は今日も今日とて停滞したまま一歩も前へ進めない。

死に物狂いのように田んぼに出掛ける義父をどうして阻止出来ようか。

とにかく何としても田植えまで漕ぎ着かせてやりたかった。

工場は厄介なクレーム修理が入庫しており同僚が頭を悩ませている。

義父の助けがあればと思うがそれどころではなかった。

今日もお昼前に一度帰宅したが昼食も食べずにまた出掛けて行く。

80歳を超えた高齢者とは思えないパワーが漲っている。


午後からの何と気怠いことだろう。すっかりやる気を失くしてしまう。

頑張ろうにも頑張ることが無いのである。苦痛としか云いようがない。

2時になりもう帰ろうと思い逃げ出すように帰路に就いていた。


気分転換を兼ねて春物の衣類を買おうと郊外の「フジグラン」に行ったが

明日直ぐに着られそうな衣類が見つからずがっくりと肩を落とす。

そのままサニーマートまで行くつもりだったがたまには違う店でと思い

フジグランの食品館で夕食の材料を買い求めた。

しかし何処に何が陳列されているのか分からず歩き回るばかり。

カートを押していたが足が痛み始めやっとの思いであった。

やはり慣れているサニーマートが良かったのだと悔やまれる。


3時半に帰宅。「今日はえらく早いなあ」と夫が驚いていた。

「もう嫌になったけん」愚痴を聞いてくれる夫には感謝しかない。

話してしまえばもうストレスも消え失せていた。


2階の自室でアイスコーヒーを飲みながら煙草を二本吸う。

窓から見える山桜は今朝と変わりなく何だかとてもほっとした。


4時からは「子連れ狼」である。すっかり日課になったようだ。

大五郎が「ありがと」とにっこり微笑む顔が好きでたまらない。

23年前の時代劇だがどれ程の人が癒されたことだろう。

そうしてそんな時代劇を今も求めている人が多いのではないだろうか。



今日は入学式と始業式がありめいちゃんは5年生になった。

中学校のことは何も分からない。娘も何も言ってはくれなかった。

あやちゃんは在籍しており決して除外はされていないようだが

情報は全くなく何だか宙ぶらりんの中学生となった。

もし学校に行けるようになってもどんなにか戸惑うことだろうか。

クラスメイトの顔も知らないのだ。余程の勇気が必要に思う。


旅立ちの春であるが咲けなかった花もあるだろう。

けれども決して枯れはしない。みんなみんな生きているのだから。


       
         若葉

      ひとつきりの実もない
      過ぎた日の秋をおもう

      鳥と戯れることもなく
      寂しい季節であった

      木枯らしに晒された冬
      枝先には雪が積もった

      寒さにふるえながら
      優しい陽射しを待つ

      嘆いてはならない
      悲観してはならない
      涙を流すこともなかった

      辺りの樹々が花を咲かす
      何と誇らしい姿だろうか

      「だいじょうぶよ」
      風が春の声を運んで来る頃
      むくむくと枝先に命が宿る

      それは若い緑であった
      どれほど待ったことだろう

      きらきらと輝く新しいいのち











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