曇りのち雨。本降りにはならず霧のような雨である。
雷雨注意報が出ておりこれから強く降り出すのかもしれない。
「花散らしの雨」になることだろう。
窓から見えていた対岸の山桜もとうとう散ってしまった。
寂しさよりも切なさである。言葉に出来ないような喪失感だった。
おそらく遠くに見えていたからだろう。仰ぎ見ることも出来ず
ただその薄桃色に心を惹かれていたのに違いない。
山里の桜も散り始めており既に葉桜になっている樹もある。
染井吉野の葉は緑ではなく赤茶けているのが特徴であった。
やがて夏が来れば緑に変わる。それこそが葉桜なのかもしれない。

工場は「オイル交換祭り」であった。予約なしの突然の来客である。
初めてのお客さんもあり断ることが出来なかった。
同僚の不機嫌を隠すように愛想を振り撒く。
それが良かったのか夏の車検の用命を頂くことが出来た。
商売は第一印象がとても大切であると改めて思う。
特に新規のお客さんはリピートに繋げていかなければならない。
雨が降り出した頃に義父が田んぼから帰って来てくれた。
まだまだやり残した作業があったのだろう少しご機嫌斜めである。
けれども渋々であったが工場の仕事を手伝ってくれて大助かりだった。
少しでも順調にと願う。焦りは禁物だと自分に云い聞かせていた。
同僚は今日もクレーム修理と格闘しておりとうとう4日目となる。
思うようには行かないものだがその苦労を労うばかりであった。
無償なので売上にはならない。ただ同僚の苦労だけが残る。
けれども何としても信頼を取り戻さなければいけないのだ。
午後思いがけない訃報が舞い込む。
若い頃に一緒に仕事をしていた郁子さんが亡くなった知らせだった。
今は喫茶店を経営しており時々店に訪れたことがあったが
それも足が遠のき20年以上も会っていなかった。
その歳月が恨めしいほどに心に突き刺さって来る。
いつも明るくて朗らかな人だった。私とはよく気が合ったのだ。
昨日トイレで倒れているところを家族が発見したのだそうだ。
そんなことがあってたまるものかと耳を疑うような出来事である。
また「ある日突然」だった。これほどのショックがあるだろうか。
「郁子さんが死んだ」その現実に必死で逆らおうとしている。
人の死に慣れてはいけないと思うが慣れずにはいられない。
そうして必ず「明日は我が身」だと思う。
怖ろしくてならず不安でいっぱいになってしまうのだ。
私も殺されるのだろうか。それは明日かもしれない。
まだまだ思い残すことばかりで途方に暮れるばかりであった。
覚悟
仄かに雨の匂いがする とうとう散る時が来た
覚悟をすれば心を決めて もう逆らってはならない
思い残すことなどありはせず 目を閉じて身をまかせている
雨を恨んではならない 空を恨んではならない
精一杯に咲いたのだ これほどの春はなく 満たされた季節であった
はらはらと散っていく それは潔くそれは尊い
花として生きてきたのだ その命を讃える時がきた
季節の掟に命を尽くす
今日も気温が高くなり初夏のような陽気となる。
もう「鯉のぼり」の季節なのかはたはたと風になびいていた。
高知県の鯉のぼりは全国的にも珍しく「フラフ」を立てるのが習いである。
大漁旗のような作りで大きく男子の名を書いてあるのが特徴であった。
昔は「初節句」を盛大に祝うのが習いであったが
今は家族のみで祝う家が多くなったようだ。
皿鉢料理が並ぶ大宴会など殆ど見られなくなった。
コロナ禍の影響もあるだろうが寂しいものである。
仕事は少しだけ捗った。義父が昨夜遅くに車検を済ませてくれていた。
ぐったりと疲れていただろうに無理をさせてしまったようだ。
朝食は食べたのだろうか今日も早朝から田んぼに出掛けていて留守である。
お昼に帰って来たが昼食もたべないままハウスの管理に出掛けた。
苗が枯れたら大変なことになり毎日の水遣りが必要である。
来週には田植えを予定していてどうか順調にと願うばかりであった。
同僚はクレーム修理に悪戦苦闘しており気の毒でならない。
7年前に修理をした車であるがずっとオイル漏れが続いていたとのこと。
気難しいお客さんで仕方なく無償で修理をすることになったのだ。
今日で3日目であるがまだ直らず同僚も焦り始めている。
今週はそのため車検の予約を受け入れなかったのだが
後回しにした分来週から月末まで予約でいっぱいになってしまった。
やってやれないことはないが何だか不安でならない。
順調とは限らずいつまたトラブルが起きるやもしれない。
今日はふっと工場を閉めることを考えていた。
義父も農業一筋ならどれ程楽だろうか。
私と同僚は失業するがそれでも構わないと思ったのだ。
資金繰りも追いつかず今こそ限界なのではないだろうか。
今のままでは苦労が報われるとは思えないのだ。
まさに嵐の海を彷徨う難破船である。
沈没すれば命さえも危ういことだろう。
それでもオールを漕ぎ続けている。いったい何処に向かっているのだろう。
義父には口が裂けても云えないことだった。
二足の草鞋を履きこなそうと必死なのである。
そんな義父に水を差すようなことをどうして云えようか。
とにかく耐えることなのだ。現状を受け止めなければいけない。
明日はあしたの風が吹くと何度言い聞かしてきたことか。
何処かの島に辿り着くような風であって欲しいものだ。
野薔薇(ノイバラ)
身を守るためである その棘はたくましく 強さの証でもあった
けれども心細いのはなぜ 不安なのはなぜだろうか
大河に夕陽が沈む頃 純白の花は紅く染まり 暮れていく空をおもう
誰も手折りはしない 凛とした命であった
行く末を案じてはならず いつだって明日を信じる
花びらとして散っても 思い残すことなどない
大河のほとりであった 永久の命が咲き誇っている
最高気温が23℃まで上がりすっかり春の陽気となった。
桜の花の何と健気なことだろう。はらはらと散りながらも
樹全体が微笑んでいるように見える。
最後の最後までとその命を燃やしているのだろう。
一足早く咲いた郵便局の大島桜は葉桜になってしまったが
緑の葉が陽射しを浴びてきらきらと輝いている。
そうして清々しい風が吹けば心がとても癒されるのだった。
散ったからと嘆くことなど何ひとつありはしないのだ。
仕事は今日も今日とて停滞したまま一歩も前へ進めない。
死に物狂いのように田んぼに出掛ける義父をどうして阻止出来ようか。
とにかく何としても田植えまで漕ぎ着かせてやりたかった。
工場は厄介なクレーム修理が入庫しており同僚が頭を悩ませている。
義父の助けがあればと思うがそれどころではなかった。
今日もお昼前に一度帰宅したが昼食も食べずにまた出掛けて行く。
80歳を超えた高齢者とは思えないパワーが漲っている。
午後からの何と気怠いことだろう。すっかりやる気を失くしてしまう。
頑張ろうにも頑張ることが無いのである。苦痛としか云いようがない。
2時になりもう帰ろうと思い逃げ出すように帰路に就いていた。
気分転換を兼ねて春物の衣類を買おうと郊外の「フジグラン」に行ったが
明日直ぐに着られそうな衣類が見つからずがっくりと肩を落とす。
そのままサニーマートまで行くつもりだったがたまには違う店でと思い
フジグランの食品館で夕食の材料を買い求めた。
しかし何処に何が陳列されているのか分からず歩き回るばかり。
カートを押していたが足が痛み始めやっとの思いであった。
やはり慣れているサニーマートが良かったのだと悔やまれる。
3時半に帰宅。「今日はえらく早いなあ」と夫が驚いていた。
「もう嫌になったけん」愚痴を聞いてくれる夫には感謝しかない。
話してしまえばもうストレスも消え失せていた。
2階の自室でアイスコーヒーを飲みながら煙草を二本吸う。
窓から見える山桜は今朝と変わりなく何だかとてもほっとした。
4時からは「子連れ狼」である。すっかり日課になったようだ。
大五郎が「ありがと」とにっこり微笑む顔が好きでたまらない。
23年前の時代劇だがどれ程の人が癒されたことだろう。
そうしてそんな時代劇を今も求めている人が多いのではないだろうか。
今日は入学式と始業式がありめいちゃんは5年生になった。
中学校のことは何も分からない。娘も何も言ってはくれなかった。
あやちゃんは在籍しており決して除外はされていないようだが
情報は全くなく何だか宙ぶらりんの中学生となった。
もし学校に行けるようになってもどんなにか戸惑うことだろうか。
クラスメイトの顔も知らないのだ。余程の勇気が必要に思う。
旅立ちの春であるが咲けなかった花もあるだろう。
けれども決して枯れはしない。みんなみんな生きているのだから。
若葉
ひとつきりの実もない 過ぎた日の秋をおもう
鳥と戯れることもなく 寂しい季節であった
木枯らしに晒された冬 枝先には雪が積もった
寒さにふるえながら 優しい陽射しを待つ
嘆いてはならない 悲観してはならない 涙を流すこともなかった
辺りの樹々が花を咲かす 何と誇らしい姿だろうか
「だいじょうぶよ」 風が春の声を運んで来る頃 むくむくと枝先に命が宿る
それは若い緑であった どれほど待ったことだろう
きらきらと輝く新しいいのち
最高気温が20℃を超え春らしい陽気となる。
風は春風そのもので桜吹雪が見られた。
地面は薄桃色の花びらに埋もれていたが
その花びらは何処に運ばれて行くのだろう。
山つつじも満開となり山肌を桃色に染めている。
つつじの仲間なのでやがては枯れてしまうのだろうか。
桜のように潔く散ってしまいたいのかもしれない。
季節は春爛漫である。陽射しを浴びる全てのものが輝いて見える。

さあ月曜日とやる気満々で職場に着いたのだが
義父は既に田んぼに出掛けており工場の仕事どころではなかった。
土曜日に車検整備を終えた大型車があったが検査が出来ない。
お昼に帰って来たが昼食を終えるとまた直ぐに出掛けて行く。
要らぬ口は叩いてはならず黙って見送るしかなかった。
困り果てたのはまた資金が底を尽いてしまっていた。
預金をありったけ引いたがそれでも足りないのだ。
自転車操業なので車検の売上が無いと前へ進むことが出来ない。
義父のせいにしてはいけないが何だか恨めしくなった。
義父はきっと私のせいにするだろう。やり繰りが下手なのだと。
お昼休憩も取らず四苦八苦していたらお客さんが支払いに来てくれた。
全額ではなく内金であったがおかげで今日の支払いが出来る。
母が助けてくれたのに違いない。そうして見守ってくれているのだ。
今日は何とかなった。明日はまた明日の風に吹かれるしかない。
2時に退社しまた「大吉」へ向かう。
まるで貧乏人のあがきのようであったが査定だけでもと思っていた。
生前の母が趣味で切手収集をしており正に遺品である。
しかし査定の結果、実際の切手の値段より安くなるとのこと。
納得のいかない話だが買い取り業者では当たり前のことらしい。
そこで初めて自分が何と愚かな行為をしているのかと気づいた。
母に申し訳なくてならない。高値なら売ってしまったことだろう。
「やめて」母の声が聞こえたような気がして涙が出そうになった。
母の宝物だったのだ。一枚一枚眺めながら微笑む母の姿が見えた。
「大吉」の査定員さんは今日も愛想が良かったが
余程お金に困っている貧乏人に見えたことだろう。
おそらく3日も続けて来店したのは私だけだと思う。
欲に目がくらんだのか。何と憎らしい欲だろうか。
切手の収集ブックを胸に抱くようにして家路に就いたことだった。
帰宅するなり母の遺影に手を合わせたのは云うまでもない。
「あんたも馬鹿ね」と母は可笑しそうに笑っていた。
金は天下の回り物と云うが家計は何とかなっていても
会社は火の車でこの先どうなる事やらと不安で一杯になる。
ゼロを挽回してもまた直ぐにゼロになってしまうのだ。
私はいったいいつまで試されるのだろうか。
ふっとはらはらと散ってしまいたくなった。
花びら
風に身をまかせている 逆らうことをせず しがみつきもせず
はらはらと散れば ゆらゆらと飛んで 辿り着く場所がある
水面なら浮かぼう 野辺なら埋もれよう 肩ならば寄り添おう
尽いたとて嘆きはせず ただ空となり生きる
見届けてはくれまいか 健気に精一杯に咲いた花を
雨上がりの爽やかな晴天。気温も高くなり春の陽気となった。
昨夜の雨のせいだろうか対岸の山桜が少し散ったようだ。
僅かに残る薄桃色の花が健気に咲いているのが見えた。
庭先の桜草はずいぶんと長く咲いており心を和ませてくれる。
雨に打たれて倒れていたのをそっと手を添えて直す。
花として生まれたからには生きたくてならないのだ。
今朝も心を弾ませながら「大吉」へと向かう。
バーバリーのコート、年代物のカメラと腕時計、夫の勲章等を持参する。
勲章は夫が消防団に所属していた時に頂いた物で6個もあった。
「そんなもんが売れるはずないじゃないか」と夫は笑い飛ばす。
査定の間どきどきわくわくしていたが所詮捕らぬ狸の皮算用である。
バーバリーのコートが僅か5百円と聞き衝撃が走った。
けれども箪笥の肥やしである。捨てるよりもずっと良いのだろう。
勲章は諦めようと思っていたが何と買い取ってくれるとのこと。
総額で2千5百円であったが夕食代にはなりそうである。
「まあこんなもんですね」査定員の青年と笑い合い何と愉快であった。
昼食に下田にあるお好み焼き屋「どんぐり村」に予約した。
テイクアウトで「オム焼きそば」と「豚玉」を注文する。
初めての来店であったが先日ユーチューブで見て気になっていたのだ。
店主の何と愛想の良いこと、とても朗らかで明るい人であった。
代金は何と2千5百円で笑いが止まらない。
今日の臨時収入はそうしてお腹に収まった。
とても美味しかったのでリピート間違いなしである。
しかしもう売る物は何もない。それでもまた食べなくてはならない。
お腹が破裂しそうなくらい満腹になりもう寝るしかなかった。
3時頃に一度目を覚ましたがまた寝てしまいとうとう4時半である。
洗濯物を畳み終えたら夕食の支度が待っていた。
娘が出掛けており帰宅が遅かったが「すき焼き」なので大丈夫。
5時半には煮えて夫の晩酌が始まっていた。
夕食後の煙草を吸いながら対岸の山桜を眺めていた。
日に日に散ってしまうだろう。何とも切ないものである。
この四万十のほとりに嫁いでもう半世紀が近くなったが
今年ほど山桜に心が惹かれたことはなかった。
老いてこそのゆとりが出来たのかもしれないが
今まで気づこうともしなかった歳月が惜しくてならない。
やがて最後の春が来るが私は一本の山桜で在りたい。
山桜
対岸の山を仄かに彩る その薄桃色に心を委ねた
大河はゆったりと流れ 川船が遡って行けば 水しぶきにはっとする
半世紀近い歳月が流れ 終の棲家に訪れた春 子は父になり母になった
桜であることに違いない 辺りの緑はいっそう濃く 若葉が風に匂う頃だった
咲いたからには貫こう 誇らしく生きていこう
やがて散ってしまっても また訪れる春がきっとある
空が近くなり雲が流れる 風に吹かれながら咲いた 一本の桜木である
曇り日。陽射しはなかったが暖かい一日となった。
来週からは気温が高くなりいよいよ春本番となりそうである。
まだ桜の咲いていない地域でも開花のニュースが流れるだろう。
窓を開けて対岸の山桜を見るのが日課になっているが
今朝もほんのりとその薄桃色に心を和ませていた。
散り急ぐこともなくなんと健気なことだろう。
我が家の庭先も花盛りになっており癒されるばかり。
特に娘が植えてくれたチューリップは何とも可愛らしい。
朝ドラ再放送の「ちょっちゃん」を見終わってから2時間程寝ていた。
決して睡眠不足ではないのだがもう週末の恒例となっている。
肩の力を抜いてとろりとろり眠るのが心地よくてならない。
10時からカーブスだったが同じ店内に「大吉」が査定に来ており
若い頃の指輪やネックレス、ピアス等を持参する。
どれも思い出深い品であったがもう身に着けることも無くなった。
これも断捨離だと思う。値が付くとは思えず捨てるような気持であった。
そのうち孫達にとも思っていたが今の若者は喜ばないのだそうだ。
大吉の査定員さんから貰っても直ぐに売りに来る人が多いと聞く。
「何ともせつない時代ですね」と嘆かわしそうに呟いていた。
指輪が良かったのか思いがけずに全部で1万5千円の値が付く。
高額買取と聞いていたがまさか売れるとは思ってもいなかった。
思い出を売ったのだろう。若き日の私を捨てたのに等しい。
古いカメラや時計、ブランド品の洋服等も買い取ってくれるそうで
明日また来店することにした。これで一気に断捨離が出来そうだ。
思い残すことなど何ひとつありはしない。

昼食後も直ぐに眠くなり3時過ぎまで寝ていた。
夫はすっかり呆れ返り「だから太るんだ」とほざくばかりである。
うっかりしていたのは昨日届いた詩集の代金を送金していなかった。
SNSで知り合った詩人さんが送り届けてくれた貴重な詩集である。
届き次第に送金の約束をしていたので今日中に送金しなければならない。
大急ぎで川向の郵便局へ行ったがATMは午前中のみであった。
仕方なくサニーマートのATMまで走りやっと送金を済ます。
ささやかな繋がりであるがその詩人さんにはいつも励まされている。
私の拙い詩をいつも読んでくれており何と有難いことだろうか。
この日記を書き始めてから春雷が鳴り響き雨が降り始めた。
雨音は耳に心地よくうっとりとするような春の宵である。
桜が散ってしまうかもしれないがそれも定の雨だろう。
桜雨に心を委ねる。そうしてまた季節が移り変わって行く。
二十四節気の「清明」すべてのものが清らかで生き生きとする頃。
空は雲一つなく澄み渡り爽やかな風が吹き抜けていた。
陽射しを浴びた桜の花がきらきらと輝いて見える。
何と清々しいことだろう。一年で一番好ましい季節であった。
山道の集落に在る良心市には「タラの芽」と「新玉葱」が並んでいる。
タラの芽は好きだがつい先日食べたばかりなので今朝は新玉葱を買う。
三個で百円の安さである。何と有難いことだろうか。
それも新鮮で葉が生き生きとしており朝採りに違いなかった。
辺りは見渡す限りの畑である。つい玉葱は何処だろうと探してしまう。
すぐ傍らの民家には芝桜が植えられておりまるで花の絨毯のようであった。
畑仕事をしながら花も育てているのだろう。その優しさが伝わって来る。

仕事は今日も順調とは云い難く困難な事ばかりであった。
昨日私が引き取って来た車も不具合が多く同僚が頭を悩ませていた。
義父の助けが欲しかったが今朝も早朝から田んぼに出掛けている。
おまけに今日は親戚のお葬式があり参列しなければならなかった。
義父の妹に当たる叔母のご主人が亡くなったのだが
癌を患っており長い闘病生活送っていたのだった。
養生相叶わず残念でならないが叔母はどれ程気を落としていることか。
日頃から朗らかな叔母だけにその心痛を気遣わずにはいられない。
お昼前になっても義父が帰らずお葬式の時間が気になるばかり。
義父の姉に当たる伯母に訊いたら1時45分からなのだそうだ。
それならば十分に間に合うだろうとひたすら帰りを待っていた。
間もなく義父が帰って来たが朝食も食べていないとのこと。
伯母がお弁当を届けてくれており大急ぎの昼食であった。
30分もしないうちに喪服に着替えた義父が出掛けて行く。
田んぼの作業がまだ残っていて気が気ではない様子であったが
義弟が亡くなったのだ。少しでも叔母の力になって欲しいと願う。
週給の同僚のお給料を何とか整え3時に退社した。
新玉葱が手に入ったので今夜は「親子丼」である。
後は冷凍餃子であったが夫が「そろそろ手作り餃子が食べたい」と云う。
それをきっかけに娘に再就職の話を切り出してみたが
「なんで?」と話を逸らそうとするのだった。
母にも母の心構えが必要であり予定だけでも知りたいことを話すと
全く相手にしてくれず笑って誤魔化すばかりであった。
それはまだ何も決めていないと判断するべきなのだろうか。
猶予期間があるのならそれに越したことはないと思う。
友達の家に遊びに行っていためいちゃんが帰宅したが
昼間娘と美容院へ行っていたそうで長い髪をばっさり切っていた。
我が孫ながら何と可愛らしいことだろう。まるで市松人形のようである。
残念ながらあやちゃんは行きたがらなかったようだ。
とにかく家から一歩も外に出ようとはしないのだった。
「あやちゃんも切ったら良かったのに」その一言が云えない。
なんだか腫れ物に触るような夕暮れ時となってしまった。
けれどもにこにしながら親子丼を食べている姿の微笑ましいこと。
まるで「私はわたし」と胸を張っているように見えた。
「その時」はきっと訪れるだろうと信じて止まない。
春風が待っている。もう直ぐ13歳になろうとしている少女のことを。
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