ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月07日(月) あんたも馬鹿ね

最高気温が20℃を超え春らしい陽気となる。

風は春風そのもので桜吹雪が見られた。

地面は薄桃色の花びらに埋もれていたが

その花びらは何処に運ばれて行くのだろう。


山つつじも満開となり山肌を桃色に染めている。

つつじの仲間なのでやがては枯れてしまうのだろうか。

桜のように潔く散ってしまいたいのかもしれない。


季節は春爛漫である。陽射しを浴びる全てのものが輝いて見える。





さあ月曜日とやる気満々で職場に着いたのだが

義父は既に田んぼに出掛けており工場の仕事どころではなかった。

土曜日に車検整備を終えた大型車があったが検査が出来ない。

お昼に帰って来たが昼食を終えるとまた直ぐに出掛けて行く。

要らぬ口は叩いてはならず黙って見送るしかなかった。


困り果てたのはまた資金が底を尽いてしまっていた。

預金をありったけ引いたがそれでも足りないのだ。

自転車操業なので車検の売上が無いと前へ進むことが出来ない。

義父のせいにしてはいけないが何だか恨めしくなった。

義父はきっと私のせいにするだろう。やり繰りが下手なのだと。


お昼休憩も取らず四苦八苦していたらお客さんが支払いに来てくれた。

全額ではなく内金であったがおかげで今日の支払いが出来る。

母が助けてくれたのに違いない。そうして見守ってくれているのだ。

今日は何とかなった。明日はまた明日の風に吹かれるしかない。


2時に退社しまた「大吉」へ向かう。

まるで貧乏人のあがきのようであったが査定だけでもと思っていた。

生前の母が趣味で切手収集をしており正に遺品である。

しかし査定の結果、実際の切手の値段より安くなるとのこと。

納得のいかない話だが買い取り業者では当たり前のことらしい。

そこで初めて自分が何と愚かな行為をしているのかと気づいた。

母に申し訳なくてならない。高値なら売ってしまったことだろう。

「やめて」母の声が聞こえたような気がして涙が出そうになった。

母の宝物だったのだ。一枚一枚眺めながら微笑む母の姿が見えた。


「大吉」の査定員さんは今日も愛想が良かったが

余程お金に困っている貧乏人に見えたことだろう。

おそらく3日も続けて来店したのは私だけだと思う。

欲に目がくらんだのか。何と憎らしい欲だろうか。

切手の収集ブックを胸に抱くようにして家路に就いたことだった。


帰宅するなり母の遺影に手を合わせたのは云うまでもない。

「あんたも馬鹿ね」と母は可笑しそうに笑っていた。


金は天下の回り物と云うが家計は何とかなっていても

会社は火の車でこの先どうなる事やらと不安で一杯になる。

ゼロを挽回してもまた直ぐにゼロになってしまうのだ。

私はいったいいつまで試されるのだろうか。

ふっとはらはらと散ってしまいたくなった。

      
         花びら

     風に身をまかせている
     逆らうことをせず
     しがみつきもせず

     はらはらと散れば
     ゆらゆらと飛んで
     辿り着く場所がある

     水面なら浮かぼう
     野辺なら埋もれよう
     肩ならば寄り添おう

     尽いたとて嘆きはせず
     ただ空となり生きる

     見届けてはくれまいか
     健気に精一杯に咲いた花を



2025年04月06日(日) 山桜

雨上がりの爽やかな晴天。気温も高くなり春の陽気となった。

昨夜の雨のせいだろうか対岸の山桜が少し散ったようだ。

僅かに残る薄桃色の花が健気に咲いているのが見えた。


庭先の桜草はずいぶんと長く咲いており心を和ませてくれる。

雨に打たれて倒れていたのをそっと手を添えて直す。

花として生まれたからには生きたくてならないのだ。



今朝も心を弾ませながら「大吉」へと向かう。

バーバリーのコート、年代物のカメラと腕時計、夫の勲章等を持参する。

勲章は夫が消防団に所属していた時に頂いた物で6個もあった。

「そんなもんが売れるはずないじゃないか」と夫は笑い飛ばす。

査定の間どきどきわくわくしていたが所詮捕らぬ狸の皮算用である。

バーバリーのコートが僅か5百円と聞き衝撃が走った。

けれども箪笥の肥やしである。捨てるよりもずっと良いのだろう。

勲章は諦めようと思っていたが何と買い取ってくれるとのこと。

総額で2千5百円であったが夕食代にはなりそうである。

「まあこんなもんですね」査定員の青年と笑い合い何と愉快であった。


昼食に下田にあるお好み焼き屋「どんぐり村」に予約した。

テイクアウトで「オム焼きそば」と「豚玉」を注文する。

初めての来店であったが先日ユーチューブで見て気になっていたのだ。

店主の何と愛想の良いこと、とても朗らかで明るい人であった。

代金は何と2千5百円で笑いが止まらない。

今日の臨時収入はそうしてお腹に収まった。

とても美味しかったのでリピート間違いなしである。

しかしもう売る物は何もない。それでもまた食べなくてはならない。


お腹が破裂しそうなくらい満腹になりもう寝るしかなかった。

3時頃に一度目を覚ましたがまた寝てしまいとうとう4時半である。

洗濯物を畳み終えたら夕食の支度が待っていた。

娘が出掛けており帰宅が遅かったが「すき焼き」なので大丈夫。

5時半には煮えて夫の晩酌が始まっていた。


夕食後の煙草を吸いながら対岸の山桜を眺めていた。

日に日に散ってしまうだろう。何とも切ないものである。

この四万十のほとりに嫁いでもう半世紀が近くなったが

今年ほど山桜に心が惹かれたことはなかった。

老いてこそのゆとりが出来たのかもしれないが

今まで気づこうともしなかった歳月が惜しくてならない。

やがて最後の春が来るが私は一本の山桜で在りたい。


         山桜


     対岸の山を仄かに彩る
     その薄桃色に心を委ねた

     大河はゆったりと流れ
     川船が遡って行けば
     水しぶきにはっとする

     半世紀近い歳月が流れ
     終の棲家に訪れた春
     子は父になり母になった

     桜であることに違いない
     辺りの緑はいっそう濃く
     若葉が風に匂う頃だった

     咲いたからには貫こう
     誇らしく生きていこう

     やがて散ってしまっても
     また訪れる春がきっとある

     空が近くなり雲が流れる 
     風に吹かれながら咲いた
     一本の桜木である



2025年04月05日(土) 思い出を売る

曇り日。陽射しはなかったが暖かい一日となった。

来週からは気温が高くなりいよいよ春本番となりそうである。

まだ桜の咲いていない地域でも開花のニュースが流れるだろう。


窓を開けて対岸の山桜を見るのが日課になっているが

今朝もほんのりとその薄桃色に心を和ませていた。

散り急ぐこともなくなんと健気なことだろう。

我が家の庭先も花盛りになっており癒されるばかり。

特に娘が植えてくれたチューリップは何とも可愛らしい。



朝ドラ再放送の「ちょっちゃん」を見終わってから2時間程寝ていた。

決して睡眠不足ではないのだがもう週末の恒例となっている。

肩の力を抜いてとろりとろり眠るのが心地よくてならない。


10時からカーブスだったが同じ店内に「大吉」が査定に来ており

若い頃の指輪やネックレス、ピアス等を持参する。

どれも思い出深い品であったがもう身に着けることも無くなった。

これも断捨離だと思う。値が付くとは思えず捨てるような気持であった。

そのうち孫達にとも思っていたが今の若者は喜ばないのだそうだ。

大吉の査定員さんから貰っても直ぐに売りに来る人が多いと聞く。

「何ともせつない時代ですね」と嘆かわしそうに呟いていた。


指輪が良かったのか思いがけずに全部で1万5千円の値が付く。

高額買取と聞いていたがまさか売れるとは思ってもいなかった。

思い出を売ったのだろう。若き日の私を捨てたのに等しい。


古いカメラや時計、ブランド品の洋服等も買い取ってくれるそうで

明日また来店することにした。これで一気に断捨離が出来そうだ。

思い残すことなど何ひとつありはしない。




昼食後も直ぐに眠くなり3時過ぎまで寝ていた。

夫はすっかり呆れ返り「だから太るんだ」とほざくばかりである。

うっかりしていたのは昨日届いた詩集の代金を送金していなかった。

SNSで知り合った詩人さんが送り届けてくれた貴重な詩集である。

届き次第に送金の約束をしていたので今日中に送金しなければならない。

大急ぎで川向の郵便局へ行ったがATMは午前中のみであった。

仕方なくサニーマートのATMまで走りやっと送金を済ます。

ささやかな繋がりであるがその詩人さんにはいつも励まされている。

私の拙い詩をいつも読んでくれており何と有難いことだろうか。



この日記を書き始めてから春雷が鳴り響き雨が降り始めた。

雨音は耳に心地よくうっとりとするような春の宵である。

桜が散ってしまうかもしれないがそれも定の雨だろう。

桜雨に心を委ねる。そうしてまた季節が移り変わって行く。



2025年04月04日(金) 私はわたし

二十四節気の「清明」すべてのものが清らかで生き生きとする頃。

空は雲一つなく澄み渡り爽やかな風が吹き抜けていた。

陽射しを浴びた桜の花がきらきらと輝いて見える。

何と清々しいことだろう。一年で一番好ましい季節であった。


山道の集落に在る良心市には「タラの芽」と「新玉葱」が並んでいる。

タラの芽は好きだがつい先日食べたばかりなので今朝は新玉葱を買う。

三個で百円の安さである。何と有難いことだろうか。

それも新鮮で葉が生き生きとしており朝採りに違いなかった。

辺りは見渡す限りの畑である。つい玉葱は何処だろうと探してしまう。

すぐ傍らの民家には芝桜が植えられておりまるで花の絨毯のようであった。

畑仕事をしながら花も育てているのだろう。その優しさが伝わって来る。





仕事は今日も順調とは云い難く困難な事ばかりであった。

昨日私が引き取って来た車も不具合が多く同僚が頭を悩ませていた。

義父の助けが欲しかったが今朝も早朝から田んぼに出掛けている。

おまけに今日は親戚のお葬式があり参列しなければならなかった。

義父の妹に当たる叔母のご主人が亡くなったのだが

癌を患っており長い闘病生活送っていたのだった。

養生相叶わず残念でならないが叔母はどれ程気を落としていることか。

日頃から朗らかな叔母だけにその心痛を気遣わずにはいられない。


お昼前になっても義父が帰らずお葬式の時間が気になるばかり。

義父の姉に当たる伯母に訊いたら1時45分からなのだそうだ。

それならば十分に間に合うだろうとひたすら帰りを待っていた。


間もなく義父が帰って来たが朝食も食べていないとのこと。

伯母がお弁当を届けてくれており大急ぎの昼食であった。

30分もしないうちに喪服に着替えた義父が出掛けて行く。

田んぼの作業がまだ残っていて気が気ではない様子であったが

義弟が亡くなったのだ。少しでも叔母の力になって欲しいと願う。


週給の同僚のお給料を何とか整え3時に退社した。

新玉葱が手に入ったので今夜は「親子丼」である。

後は冷凍餃子であったが夫が「そろそろ手作り餃子が食べたい」と云う。

それをきっかけに娘に再就職の話を切り出してみたが

「なんで?」と話を逸らそうとするのだった。

母にも母の心構えが必要であり予定だけでも知りたいことを話すと

全く相手にしてくれず笑って誤魔化すばかりであった。

それはまだ何も決めていないと判断するべきなのだろうか。

猶予期間があるのならそれに越したことはないと思う。



友達の家に遊びに行っていためいちゃんが帰宅したが

昼間娘と美容院へ行っていたそうで長い髪をばっさり切っていた。

我が孫ながら何と可愛らしいことだろう。まるで市松人形のようである。

残念ながらあやちゃんは行きたがらなかったようだ。

とにかく家から一歩も外に出ようとはしないのだった。

「あやちゃんも切ったら良かったのに」その一言が云えない。

なんだか腫れ物に触るような夕暮れ時となってしまった。

けれどもにこにしながら親子丼を食べている姿の微笑ましいこと。

まるで「私はわたし」と胸を張っているように見えた。


「その時」はきっと訪れるだろうと信じて止まない。

春風が待っている。もう直ぐ13歳になろうとしている少女のことを。









2025年04月03日(木) 巡る季節に

爽やかな晴天。気温は17℃程で過ごし易い一日だった。

もう寒の戻りは峠を越えたのだろうと思っていたが

明日の朝はまた一気に冷え込み遅霜の心配もあるようだ。

春爛漫とは行かず寒暖差が身に堪える時期である。


満開だった桜が少しずつ散り始めてしまった。

好天が続けば一気に散ることはなさそうだが

風に身を任せるようにはらはらと散る姿は切ないものである。


はっと気づいたのは紫陽花の新芽だった。

枯れて朽ち果てた化石のような花を包み隠すような若い緑である。

花芽が見えるのはまだまだ先の事だが咲く準備を始めたのだろう。

桜が散ればツツジの季節。藤の花も咲けば紫陽花の季節がやって来る。

花たちの何と健気なことだろう。みな咲く時を知っているのだった。




朝のうちに隣町の宿毛市へ車検の車を引き取りに行っていた。

本来なら義父の仕事であるが今日も忙しそうにしている。

オートマの軽自動車なので私でも難なく運転が出来るのだった。

帰り道に平田町の桜並木を仰ぎながら県道を走っていたら

白装束のお遍路さんが夢中な様子で写真を撮っていた。

ようく見ると金髪の女性で絵になるような光景である。

日本と云えば「サクラ」なのだろう。なんだか嬉しくなってしまう。


今日はもう一人外国人のお遍路さんを見かけたが

最近特に多いように思う。そうして日本のお遍路文化に親しんでいるのだろう。

今はスマホで英語を日本語に変換出来るアプリがあり便利になった。

言葉の壁で苦労することも少なくなったことだろう。




仕事は相変わらずの忙しさだったがリハビリのある日で3時前に退社。

3時40分の予約だったが20分も早く順番が来る。

療法士のU君の手は今日も「神の手」であった。

会話も弾み嬉しくてならない。随分と仲良しになったものだ。


今日は診察のある日で一時間の待ち時間が苦痛である。

やっと会えた医師に月一の診察を懇願したが敢えなく却下された。

理由はよく分からないがそれが医師の方針なのだろう。

今日も私の事などそっちのけで義父の話ばかりをする。

「安静第一」らしいがもはや手遅れであった。

死に物狂いとしか思えない程の義父の働きぶりである。


薬局で骨の薬を受け取り直ぐに帰宅したがもう5時であった。

今日は遅くなるだろうと予め娘に買い物を頼んであり助かる。

自分達の食べたい物を買いなさいと云ってあったのだが

私と夫にと鯵の開きを買って来てくれており嬉しかった。

メインは「しゃぶしゃぶ」だったが私も夫もあまり好まず

鯵の開きだけで十分であった。脂が乗っておりとても美味しい。

娘は娘なりに思い遣ってくれたのだろう。有難いことである。


今後も遅くなる日は娘に頼もうと思うのだが

再就職が決まればそうそう頼ることも出来なくなってしまうだろう。

それはいったいいつのことなのか今は皆目見当が付かないのだ。

先日も夫と今回はえらく落ち着いているなと話したことだった。

経済的なゆとりがあるのかもしれないが全く焦りを感じさせない。

娘との会話は随分と増えたが再就職の話は一切口にしないのだ。


私が一番に案じているのはあやちゃんの事だったが

母親である娘もきっと思い悩んでいるのではないだろうか。

決してほったらかしにするのではないが事実上はそうなってしまう。

祖父である夫が居ても母親の代わりにはなれないのだ。


決めれば必ず犠牲になることがあるのが世の習いである。

全ての事を守り続けることなど誰にも出来はしないのだと思う。


春が深まればやがて初夏が訪れるが空は変化せずにはいられない。








2025年04月02日(水) 桜雨

桜雨。気温は低目で冷たい雨となった。

さほどの雨量ではなかったが少しは恵みの雨になっただろうか。

田んぼの水不足が一日も早く解消することを願って止まない。


雨にも負けず桜は健気に咲き続けている。

寒の戻りのおかげで今年の桜は例年よりも長く咲きそうだ。

山躑躅も咲いたが見事なのは馬酔木の花である。

山肌からこぼれるように咲いており朝の道が楽しみであった。

最初に見つけた日からもう随分と経ったように思うが

桜が散ってしまってもきっとまだ咲き続けていることだろう。

なんだか散るのを見るのが怖いような気がしてならない。




NHKの朝ドラ「あんぱん」が始まっており楽しみに見ているが

今朝はあまりにも辛いシーンに涙が出そうになった。

わずか7歳で母親に置き去りにされた少年の気持ちが痛い程に分かる。

それは13歳の私と重なりとても他人事には思えないのだった。


子を捨てる時、母親は「おんな」である。

私の母もそうして自分を貫こうとしたのだろう。

今更恨む気持ちはないが心の底から赦してはいないのだと思う。

もう過ぎた事だとどうして済まされようか。

私と弟は傷ついたがそれ以上に父が憐れでならなかった。





雨の中義父は田起こしに出掛けていた。

トラクターには屋根があるが濡れずには済まなかっただろう。

お昼になっても帰らず3時頃にやっと電話があった。

余程空腹だったのだろう田んぼまでお弁当を届けて欲しいと云うのだが

私は既に帰路に就いておりどうすることも出来なかった。

そう告げると残念がっていたが夕食まで我慢すると云い張る。

今夜は親戚のお通夜もあり食べる時間があるだろうか。

もしかしたらお通夜の事をすっかり忘れていたのかもしれない。

とにかく夢中である。何としても田植えまで漕ぎつけなくてはならない。


4時に帰宅。また夫と一緒に「子連れ狼」を見ていた。

大五郎役の男の子は今は26歳になっているらしいが

役者ではなくユーチューバーをしているのだそうだ。

演技力は抜群なので役者でないのが惜しいような気がする。

あれこれと夫に話し掛けていたら「黙って見ろや」と叱られてしまった。

ラストシーンでは雨の中を父と子が新たな旅に出たが

傘など差しているはずもなく大五郎が風邪を引くのではと心配になった。



夕食の支度はまた娘に頼りっぱなしである。

今夜は一口カツをこんがりと揚げてくれてとても美味しかった。

サニーマートの揚げ物の話になり「あれは酷かったな」と。

もう二度と食べたくはないのだがそれも娘次第である。

娘も勘づいたのか苦笑いをしていた。


何が良くて何が悪いのか最近は鈍感になっているように思う。

決断力も鈍り「こうだ」と決められないことが多い。

そうして増々老いて行くのだろう。自分ではどうする事も出来ない。

ただひたすら自分の信じた道を貫こうとしているのだが

それも良いのか悪いのか判断することが出来なくなった。


こうして書きながら生きることも死ぬことに等しいのかもしれない。



2025年04月01日(火) 23年目の春

曇り日。気温は15℃まで上がったが肌寒い一日だった。

今日から4月だと云うのに関東では雪が降ったそうだ。

満開の桜に雪である。どれ程戸惑ったことだろうか。

寒気は次第に緩むそうだが明日もまだ寒さの名残がありそうである。


山里では田植えの準備が着々と進んでいるが水不足とのこと。

義父はもちろんだが米農家さんは皆さん頭を悩ませている。

「水稲」であるからには水が無いと稲は育たないのだ。

最悪の場合は水枯れとなり稲が枯れてしまう恐れがある。

そろそろ菜種梅雨の頃だがまとまった雨が降って欲しいものだ。




経営はゼロからの出発であったが例の会社からの入金が無かった。

もしや倒産かと心配しながらおそるおそる電話を掛けてみたら

昨日は何か手違いがあったらしく送金が出来なかったのだそうだ。

今日午前中には必ず送金すると約束してくれほっと胸を撫で下ろす。

電話の声は明るかったが余程厳しい状態であるのが察せられた。

明日は我が身かもしれない。資金が底を尽けばもうお終いである。

そうなったらどう対処すれば良いのだろうと考えずにはいられない。


義父は早朝からハウスへ行っていたらしくお昼に帰って来た。

そのまま昼食も食べずに車検を2台仕上げてくれたが

空腹を気遣うと「食べる暇はないぞ」と云い放つ。

僅か数分でも時間を惜しみ忙しさを強調しているのだった。

「お腹が空いたら力が出んよ」と宥めやっと食べてくれほっとする。

首には痛々しくギブスを嵌めており辛抱しているのだろう。

田植えは14日に決めたそうであらあらと云う間である。

また友人達が手伝いに来てくれるらしいが義父は先頭に立たねばならない。

身体が資本であるがどれ程堪えるだろうかと気遣わずにはいられなかった。


義父を見送り3時過ぎに退社する。

夕食の献立を考えるのが楽しみでならない。

それも娘のおかげだろう。もう手を抜く必要がないのだ。

狡い考えかもしれないが「今のうち」としか思えない。


帰宅したら4時を過ぎていたが途中から「子連れ狼」を見る。

危険な場面になるとどうしても大五郎が殺されるのではないかと

はらはらと心配でならなかった。それは在り得ないと思っていても

幼い子供を人質にすることも考えられる。刀を突き付けられたら

父親の拝一刀も刺客の使命をどうして果たせようか。

夫は笑い飛ばすばかりであったが私は不安でいっぱいになる。


夕食後食器を洗っていたらめいちゃんが先にお風呂に入りたいと云う。

思わず「一緒に入ろうか」と云いそうになったが直ぐに諦めていた。

胸の膨らみも目立つようになり日に日に少女らしくなっている。

もう5年生なのだ。信じられないくらい成長した。


めいちゃんがお風呂から出るまでこの日記を少し書く。

そうしないと時間が足らなくなってしまうのだ。

一時間で書き終える日もあればそれ以上掛かる日もあった。

書き始めると終われなくなってずるずると書き続けてしまうのだった。

たかが日課の日記であるがこれ程儚い作業はないのではと思う。

書いてこその一日であり書けないまま果ててしまうかもしれないのだ。

不安はいつも付き纏い「これだけは」と思わずにいられない。


23年目の春である。書けない日もあったが8395日の私の人生であった。


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