ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月03日(木) 巡る季節に

爽やかな晴天。気温は17℃程で過ごし易い一日だった。

もう寒の戻りは峠を越えたのだろうと思っていたが

明日の朝はまた一気に冷え込み遅霜の心配もあるようだ。

春爛漫とは行かず寒暖差が身に堪える時期である。


満開だった桜が少しずつ散り始めてしまった。

好天が続けば一気に散ることはなさそうだが

風に身を任せるようにはらはらと散る姿は切ないものである。


はっと気づいたのは紫陽花の新芽だった。

枯れて朽ち果てた化石のような花を包み隠すような若い緑である。

花芽が見えるのはまだまだ先の事だが咲く準備を始めたのだろう。

桜が散ればツツジの季節。藤の花も咲けば紫陽花の季節がやって来る。

花たちの何と健気なことだろう。みな咲く時を知っているのだった。




朝のうちに隣町の宿毛市へ車検の車を引き取りに行っていた。

本来なら義父の仕事であるが今日も忙しそうにしている。

オートマの軽自動車なので私でも難なく運転が出来るのだった。

帰り道に平田町の桜並木を仰ぎながら県道を走っていたら

白装束のお遍路さんが夢中な様子で写真を撮っていた。

ようく見ると金髪の女性で絵になるような光景である。

日本と云えば「サクラ」なのだろう。なんだか嬉しくなってしまう。


今日はもう一人外国人のお遍路さんを見かけたが

最近特に多いように思う。そうして日本のお遍路文化に親しんでいるのだろう。

今はスマホで英語を日本語に変換出来るアプリがあり便利になった。

言葉の壁で苦労することも少なくなったことだろう。




仕事は相変わらずの忙しさだったがリハビリのある日で3時前に退社。

3時40分の予約だったが20分も早く順番が来る。

療法士のU君の手は今日も「神の手」であった。

会話も弾み嬉しくてならない。随分と仲良しになったものだ。


今日は診察のある日で一時間の待ち時間が苦痛である。

やっと会えた医師に月一の診察を懇願したが敢えなく却下された。

理由はよく分からないがそれが医師の方針なのだろう。

今日も私の事などそっちのけで義父の話ばかりをする。

「安静第一」らしいがもはや手遅れであった。

死に物狂いとしか思えない程の義父の働きぶりである。


薬局で骨の薬を受け取り直ぐに帰宅したがもう5時であった。

今日は遅くなるだろうと予め娘に買い物を頼んであり助かる。

自分達の食べたい物を買いなさいと云ってあったのだが

私と夫にと鯵の開きを買って来てくれており嬉しかった。

メインは「しゃぶしゃぶ」だったが私も夫もあまり好まず

鯵の開きだけで十分であった。脂が乗っておりとても美味しい。

娘は娘なりに思い遣ってくれたのだろう。有難いことである。


今後も遅くなる日は娘に頼もうと思うのだが

再就職が決まればそうそう頼ることも出来なくなってしまうだろう。

それはいったいいつのことなのか今は皆目見当が付かないのだ。

先日も夫と今回はえらく落ち着いているなと話したことだった。

経済的なゆとりがあるのかもしれないが全く焦りを感じさせない。

娘との会話は随分と増えたが再就職の話は一切口にしないのだ。


私が一番に案じているのはあやちゃんの事だったが

母親である娘もきっと思い悩んでいるのではないだろうか。

決してほったらかしにするのではないが事実上はそうなってしまう。

祖父である夫が居ても母親の代わりにはなれないのだ。


決めれば必ず犠牲になることがあるのが世の習いである。

全ての事を守り続けることなど誰にも出来はしないのだと思う。


春が深まればやがて初夏が訪れるが空は変化せずにはいられない。








2025年04月02日(水) 桜雨

桜雨。気温は低目で冷たい雨となった。

さほどの雨量ではなかったが少しは恵みの雨になっただろうか。

田んぼの水不足が一日も早く解消することを願って止まない。


雨にも負けず桜は健気に咲き続けている。

寒の戻りのおかげで今年の桜は例年よりも長く咲きそうだ。

山躑躅も咲いたが見事なのは馬酔木の花である。

山肌からこぼれるように咲いており朝の道が楽しみであった。

最初に見つけた日からもう随分と経ったように思うが

桜が散ってしまってもきっとまだ咲き続けていることだろう。

なんだか散るのを見るのが怖いような気がしてならない。




NHKの朝ドラ「あんぱん」が始まっており楽しみに見ているが

今朝はあまりにも辛いシーンに涙が出そうになった。

わずか7歳で母親に置き去りにされた少年の気持ちが痛い程に分かる。

それは13歳の私と重なりとても他人事には思えないのだった。


子を捨てる時、母親は「おんな」である。

私の母もそうして自分を貫こうとしたのだろう。

今更恨む気持ちはないが心の底から赦してはいないのだと思う。

もう過ぎた事だとどうして済まされようか。

私と弟は傷ついたがそれ以上に父が憐れでならなかった。





雨の中義父は田起こしに出掛けていた。

トラクターには屋根があるが濡れずには済まなかっただろう。

お昼になっても帰らず3時頃にやっと電話があった。

余程空腹だったのだろう田んぼまでお弁当を届けて欲しいと云うのだが

私は既に帰路に就いておりどうすることも出来なかった。

そう告げると残念がっていたが夕食まで我慢すると云い張る。

今夜は親戚のお通夜もあり食べる時間があるだろうか。

もしかしたらお通夜の事をすっかり忘れていたのかもしれない。

とにかく夢中である。何としても田植えまで漕ぎつけなくてはならない。


4時に帰宅。また夫と一緒に「子連れ狼」を見ていた。

大五郎役の男の子は今は26歳になっているらしいが

役者ではなくユーチューバーをしているのだそうだ。

演技力は抜群なので役者でないのが惜しいような気がする。

あれこれと夫に話し掛けていたら「黙って見ろや」と叱られてしまった。

ラストシーンでは雨の中を父と子が新たな旅に出たが

傘など差しているはずもなく大五郎が風邪を引くのではと心配になった。



夕食の支度はまた娘に頼りっぱなしである。

今夜は一口カツをこんがりと揚げてくれてとても美味しかった。

サニーマートの揚げ物の話になり「あれは酷かったな」と。

もう二度と食べたくはないのだがそれも娘次第である。

娘も勘づいたのか苦笑いをしていた。


何が良くて何が悪いのか最近は鈍感になっているように思う。

決断力も鈍り「こうだ」と決められないことが多い。

そうして増々老いて行くのだろう。自分ではどうする事も出来ない。

ただひたすら自分の信じた道を貫こうとしているのだが

それも良いのか悪いのか判断することが出来なくなった。


こうして書きながら生きることも死ぬことに等しいのかもしれない。



2025年04月01日(火) 23年目の春

曇り日。気温は15℃まで上がったが肌寒い一日だった。

今日から4月だと云うのに関東では雪が降ったそうだ。

満開の桜に雪である。どれ程戸惑ったことだろうか。

寒気は次第に緩むそうだが明日もまだ寒さの名残がありそうである。


山里では田植えの準備が着々と進んでいるが水不足とのこと。

義父はもちろんだが米農家さんは皆さん頭を悩ませている。

「水稲」であるからには水が無いと稲は育たないのだ。

最悪の場合は水枯れとなり稲が枯れてしまう恐れがある。

そろそろ菜種梅雨の頃だがまとまった雨が降って欲しいものだ。




経営はゼロからの出発であったが例の会社からの入金が無かった。

もしや倒産かと心配しながらおそるおそる電話を掛けてみたら

昨日は何か手違いがあったらしく送金が出来なかったのだそうだ。

今日午前中には必ず送金すると約束してくれほっと胸を撫で下ろす。

電話の声は明るかったが余程厳しい状態であるのが察せられた。

明日は我が身かもしれない。資金が底を尽けばもうお終いである。

そうなったらどう対処すれば良いのだろうと考えずにはいられない。


義父は早朝からハウスへ行っていたらしくお昼に帰って来た。

そのまま昼食も食べずに車検を2台仕上げてくれたが

空腹を気遣うと「食べる暇はないぞ」と云い放つ。

僅か数分でも時間を惜しみ忙しさを強調しているのだった。

「お腹が空いたら力が出んよ」と宥めやっと食べてくれほっとする。

首には痛々しくギブスを嵌めており辛抱しているのだろう。

田植えは14日に決めたそうであらあらと云う間である。

また友人達が手伝いに来てくれるらしいが義父は先頭に立たねばならない。

身体が資本であるがどれ程堪えるだろうかと気遣わずにはいられなかった。


義父を見送り3時過ぎに退社する。

夕食の献立を考えるのが楽しみでならない。

それも娘のおかげだろう。もう手を抜く必要がないのだ。

狡い考えかもしれないが「今のうち」としか思えない。


帰宅したら4時を過ぎていたが途中から「子連れ狼」を見る。

危険な場面になるとどうしても大五郎が殺されるのではないかと

はらはらと心配でならなかった。それは在り得ないと思っていても

幼い子供を人質にすることも考えられる。刀を突き付けられたら

父親の拝一刀も刺客の使命をどうして果たせようか。

夫は笑い飛ばすばかりであったが私は不安でいっぱいになる。


夕食後食器を洗っていたらめいちゃんが先にお風呂に入りたいと云う。

思わず「一緒に入ろうか」と云いそうになったが直ぐに諦めていた。

胸の膨らみも目立つようになり日に日に少女らしくなっている。

もう5年生なのだ。信じられないくらい成長した。


めいちゃんがお風呂から出るまでこの日記を少し書く。

そうしないと時間が足らなくなってしまうのだ。

一時間で書き終える日もあればそれ以上掛かる日もあった。

書き始めると終われなくなってずるずると書き続けてしまうのだった。

たかが日課の日記であるがこれ程儚い作業はないのではと思う。

書いてこその一日であり書けないまま果ててしまうかもしれないのだ。

不安はいつも付き纏い「これだけは」と思わずにいられない。


23年目の春である。書けない日もあったが8395日の私の人生であった。



2025年03月31日(月) ゼロからの闘志

寒の戻りが続いており今朝も真冬並みの寒さとなった。

日中も気温が上がらず暖房のお世話になるばかり。

この寒さも明日から次第に緩むそうでもう少しの辛抱だろう。

もしかしたら春を飛び越えて初夏になってしまうかもしれない。


朝に夕に窓を開けて川向の山を眺めている。

ぽつりぽつりであったが山桜が見えるのだった。

山の緑にそれは映えてほっこりと心が和む。

やがては散ってしまう花だがその儚さが尊く思える。




月末の資金繰りで頭がいっぱいの朝だった。

手持ちの現金は僅かで預金だけが頼りであったが

引き落としの出金ばかりで入金が全く無いのである。

今日が支払日の会社がありひたすら待ち続けていたが

3時近くなっても振込がなく途方に暮れる。

噂ではかなりの経営難に陥っているとのことだった。

何処の会社も同じなのだ。我が社だけではないのだと思う。

小口ではあったが集金が叶い現金を搔き集めて支払いを済ます。

そうしてまたゼロになった。もう何度目のゼロだろうか。


田起こしに行っていた義父に報告すれば「そうか」と笑い飛ばす。

また一から始めれば良いと云うことなのだろう。

それにしても経営は全て私任せで困った社長であった。


先週、車検場の機械に頭をぶつけてしまってまた首を痛めたようだ。

自分の不注意なのに同僚のせいにして散々文句を言っていた。

せっかく薄れ始めていた痛みがぶり返してしまい辛そうにしている。

それでも田んぼは諦めない。田植えまっしぐらの義父であった。

工場の仕事にも手を貸して欲しいのだが憐れに思えてならない。

いくら鉄人とは云えどれ程の無理をしていることだろうか。

4月になれば直ぐに田植えである。何としても順調にと願わずにいられない。


3時に退社。ラジオは懐メロばかりでそれもまた良しである。

「内山田洋とクールファイブ」を久しぶりに聴いた。

サニーマートへ着いたが専用駐車場が満車になっており

仕方なく一般の駐車場に停めたが杖なしではとても歩けない距離である。

「よいしょよいしょ」と掛け声を上げながらやっと店内に入った。


帰宅するとめいちゃんが庭先で靴を洗っている。

昨夜はとうとう会えないままだったので3日ぶりであった。

ぎゅっと抱きしめたいほど愛しくてならない。

半袖姿で靴を洗っていたので風邪を引くのではと気遣う。

高知は楽しかったそうだ。ドンキホーテにも行ったのだそうだ。

春休みの良き思い出になったことだろう。


夕食の支度は娘が殆どしてくれて何と楽をさせてもらった。

再就職の話はまだなくしばらくは主婦をしてくれそうである。

けれども油断は禁物である日突然もきっとあるだろう。

フルタイムではなくパートなら良いなと勝手に考えている。


夕食後、煙草を吸いながらまた山桜を眺めていた。

随分と日が長くなり6時を過ぎても外はまだ明るい。

切羽詰まったようなぎりぎりの一日であったが明日はもう4月である。

また心新たにゼロから始めようと闘志が湧いて来ているようだった。

もしゼロでなく余裕があればもっとのほほんとしていたことだろう。

それではいけないのだと漠然と思う。私は闘わなくてはいけない。



2025年03月30日(日) 他人の顔

花冷え。陽射しはたっぷりとあったが風が冷たく感じられる。

気温も12℃止まりで先日来の気温に比べると10℃以上も低い。

桜は満開になっておりお花見に出かける人も多かったと思うが

この寒さではゆっくりと桜を愛でることも出来なかっただろう。

幸いしばらく雨の日はなさそうだが散り急ぐことがないことを願う。


子供達が幼い頃にはおにぎりを持ってお花見に出掛けたが

もう40年もの歳月が流れてしまった。

川仕事の最盛期の頃でお花見どころではない忙しさだったが

子供達の嬉しそうな笑顔が昨日のことのように目に浮かぶ。

暮しの為とは云えどれ程寂しい思いをさせたことだろう。

そんな川仕事に終止符を打った今であっても戻れない春であった。




今日もだらしなく寝てばかりの一日だった。

娘達は「行って来ます」の一言もなく高知市へと出掛けて行く。

あやちゃんのことなど少しも頭にないのだろう。

いくら引き籠りであってもあまりに憐れに思えてならなかった。


サニーマートへ買い物に行く時に声を掛けてみたが

「別に行きたくない」と云って素っ気ない返事だった。

昼食のこともあったが娘が何か買い置きをしていたらしい。

「あるから大丈夫」と鬱陶しそうに私の声を遮っていた。

夫が「そっとしておけ」と云うのでもうそれ以上声も掛けられない。


夕飯時も同じくで階下へ降りて来ていたが私達と一緒は気が進まないらしく

「大丈夫」の一点張りでまた二階へ駆け上がってしまった。

それにしても娘達の帰りの遅いこと。もうすぐ8時になろうとしている。

私達が居るからと安心しているのかもしれないが

もしあやちゃんが独りぼっちだったらどんなにか寂しいことだろう。

「大丈夫」を過信してはならない。それが本心とは限らないのだ。


学校へも行っていない出来損ないと思っているのならそれは大間違いである。

どうして行けなくなってしまったのか未だに誰も気づいてやれないのだ。

原因があるからこそ途惑い悩み辛い思いをしたのだろう。

ただそっと見守るだけでは何も解決しないように思う。

けれども娘達の方針に口出しは出来ず老婆心ばかりが疼くこの頃であった。


自立心は確かに育っていて今夜も冷凍パスタを温めていた。

私が手を貸そうとするとまた「大丈夫」と突き放すばかり。

娘達にそんなあやちゃんの健気さを見せてやりたかった。

まだ母親が必要な年頃なのだ。どうして気づこうとしないのだろう。


娘に電話をして帰宅時間を訊こうかと思ったがそれが出来ない。

「関係ないでしょ」と叱られるのが目に見えている。

ざわざわと落ち着かない気分だがひたすら帰りを待つしかないだろう。


家族でありながらそうでないような他人の顔などどうして出来ようか。



2025年03月29日(土) 足るを知る

曇り日。午後には少しだけ陽射しがあった。

まさに「花曇り」と「花冷え」なのだろう。

気温は低目で肌寒さを感じる。

桜の季節には必ずと云って良い程「寒の戻り」があるものだ。


週末恒例であるが今朝も8時前から2時間程寝ていた。

仕事の疲れもあったのだろう異常な程の眠気である。

カーブスの日だったので夫が10時前に起こしてくれた。

少し出遅れてしまい駐車場が満車状態で困り果てる。

屋上駐車場にやっと停められエスカレーターで降りたが

一歩が踏み出せず危うく転倒するところだった。

足が不自由と云うだけで身の回りには危険がいっぱいである。


カーブスでは異常な程汗をかきコーチも驚いていた。

終ってから鏡を見ると確かに描いてあった眉が消えている。

それも愉快なことで思わず吹き出してしまう。

良き汗を流したのだろう。週一のリフレッシュであった。


午後もひたすら寝てばかり。何と目覚めたらもう4時である。

もっと有意義に過ごせないものかと思うが眠気には勝てなかった。

以前は暇さえあれば本を読んでいたのが嘘のようだ。

年を重ねるごとに億劫なことがどんどん増えていく。

寝る子は育つと云うがいったい私の何が育っているのだろうか。

時間はいくらあっても足らないように思うがその貴重な時間を

自ずから台無しにしているとしか思えない。

おそらくこのまま老いて行くのだろう。それも自業自得に他ならない。


詩や短歌は毎日書き続けておりそれなりに充実している。

今はSNSだけが頼りだがそれが自分の選んだ道なのだろう。

反響はないが反応はある。そうして足るを知るのが定めに思う。

もっと身の程を知るべきだろう。これ以上に望むことは何もない。



昨日からめいちゃんがプチ旅に出掛けており寂しい我が家だった。

声が聴こえないだけでまるで火が消えたように暗い。

高知市内の親戚の家に行っているのだが明日娘達が迎えに行くのだそうだ。

春休みの良き思い出になったことだろう。笑顔が待ち遠しくてならない。


あやちゃんは相変わらずで存在感は全く無いに等しい。

会話もなければ顔さえも見れない日が続いている。

けれども可愛い孫には変わりなく気配を感じるだけで良かった。

春休みをどんな気持ちで過ごしているのだろう。

2年間切ることをしなかった髪はもう腰のあたりまで伸びている。

その長い髪こそが唯一あやちゃんの「あかし」なのかもしれない。



2025年03月28日(金) 花曇り

花曇りの一日。気温は20℃まで上がり過ごし易かった。

民家の畑には菜の花が咲き大根の白い花も見える。

もう冬野菜の時期は終ったのだろう。

次は夏野菜である。胡瓜、茄子、トマト等楽しみなことだ。



峠道を越え山里の最初の集落を通り過ぎた処にトンネルがあるのだが

その入り口付近に二人連れのお遍路さんが居て一人は座り込んでいた。

外国人の男女であったが心配になり声を掛けずにいられない。

「大丈夫ですか?」さて英語では何と言えば良いのだろう。

咄嗟に「ユアオッケイ?」と車を停め駆け寄って行く。

するとそれが通じたのか女性のお遍路さんが「オッケイ」と応えてくれた。

男性のお遍路さんは靴下を脱いでおり真っ赤に腫れた足を見せている。

酷い靴擦れらしく血豆が出来ているようだった。

「どうか無理をしないで下さいね」その一言が英語で言えない。

何ともどかしいことだろう。「オッケイ」ばかりを繰り返す。

すると辛そうにしていた男性のお遍路さんがにっこりと微笑んでくれた。

それが大丈夫の合図だったのだろう。もう心配はなさそうだった。

「グッバイ」と声を掛けて車に戻れば二人が手を振ってくれていた。

思い切って声を掛けて良かったのだなと思う。何とも清々しい朝のこと。



今日は仕事中にも外国人のお客さんの家を訪ねていた。

車検証を届けに行っていたのだがコナンは仕事に出掛けていて留守である。

奥さんのキャットは臨月になっており大きなお腹を庇うようにしていた。

部屋にはベビーベットを据えており何と微笑ましいことだろう。

赤ちゃんは女の子だそうでそれはそれは楽しみにしているようだ。

けれども初産で不安なこともあるだろうと気遣わずにはいられない。


キャットは随分と日本語が話せるようになっており車検証の説明もする。

ダッシュボードに保管するようにと伝えたら「ハイワカッタ」と頷く。

車検時には車検証を紛失していたので説明は大切なことだった。

出産予定日は来月の28日とのこと。ちょうどあとひと月である。

何かお祝いをしたくてならない。もちろん赤ちゃんにも会いたかった。


若い二人が故郷を離れ日本に永住するのは並大抵のことではない。

それも都会ではなく田舎の小さな山村であった。

古民家に暮らしているが不便なことも多いのではと察する。

大きな地震でも来れば忽ち潰れてしまいそうな古い家だった。

村ではリフォームをした空家を貸し出しているが

もしかしたら家賃が高いのかもしれない。

仕事を探すのも大変でコナンは農園で働いているのだった。

生まれて来る赤ちゃんのために必死の思いをしていることだろう。

村の行政が少しでも助けてやれないものかと思う。

コナンもキャットもれっきとした村民なのだ。




今日は早めに帰れたので夫と「子連れ狼」を見ていた。

大五郎の見ている目の前で刺客の役目を果たす拝一刀であったが

幼い心にそんな父の姿がどんな風に映っているのか気になった。

「時代劇」の一言では済まされない何とも複雑な思いである。

私があれこれと口出しをすると夫は白けるらしい。

「たかがテレビじゃないか」と今日も飽きれたように笑い飛ばしていた。


朝の道の「良心市」で今年初の「タラの芽」を買い求める。

娘が早速天婦羅にしてくれて何と美味しかったことだろう。

天つゆよりも塩が良くいくらでも食べられる。

この季節ならではの旬の味ほど幸せなことはないのだと思う。。


夕食後、自室の母の遺影に手を合わせ「今週もお疲れ様」と手を合わせた。

母のおかげで乗り越えられた日々である。




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