寒の戻りが続いており今朝も真冬並みの寒さとなった。
日中も気温が上がらず暖房のお世話になるばかり。
この寒さも明日から次第に緩むそうでもう少しの辛抱だろう。
もしかしたら春を飛び越えて初夏になってしまうかもしれない。
朝に夕に窓を開けて川向の山を眺めている。
ぽつりぽつりであったが山桜が見えるのだった。
山の緑にそれは映えてほっこりと心が和む。
やがては散ってしまう花だがその儚さが尊く思える。

月末の資金繰りで頭がいっぱいの朝だった。
手持ちの現金は僅かで預金だけが頼りであったが
引き落としの出金ばかりで入金が全く無いのである。
今日が支払日の会社がありひたすら待ち続けていたが
3時近くなっても振込がなく途方に暮れる。
噂ではかなりの経営難に陥っているとのことだった。
何処の会社も同じなのだ。我が社だけではないのだと思う。
小口ではあったが集金が叶い現金を搔き集めて支払いを済ます。
そうしてまたゼロになった。もう何度目のゼロだろうか。
田起こしに行っていた義父に報告すれば「そうか」と笑い飛ばす。
また一から始めれば良いと云うことなのだろう。
それにしても経営は全て私任せで困った社長であった。
先週、車検場の機械に頭をぶつけてしまってまた首を痛めたようだ。
自分の不注意なのに同僚のせいにして散々文句を言っていた。
せっかく薄れ始めていた痛みがぶり返してしまい辛そうにしている。
それでも田んぼは諦めない。田植えまっしぐらの義父であった。
工場の仕事にも手を貸して欲しいのだが憐れに思えてならない。
いくら鉄人とは云えどれ程の無理をしていることだろうか。
4月になれば直ぐに田植えである。何としても順調にと願わずにいられない。
3時に退社。ラジオは懐メロばかりでそれもまた良しである。
「内山田洋とクールファイブ」を久しぶりに聴いた。
サニーマートへ着いたが専用駐車場が満車になっており
仕方なく一般の駐車場に停めたが杖なしではとても歩けない距離である。
「よいしょよいしょ」と掛け声を上げながらやっと店内に入った。
帰宅するとめいちゃんが庭先で靴を洗っている。
昨夜はとうとう会えないままだったので3日ぶりであった。
ぎゅっと抱きしめたいほど愛しくてならない。
半袖姿で靴を洗っていたので風邪を引くのではと気遣う。
高知は楽しかったそうだ。ドンキホーテにも行ったのだそうだ。
春休みの良き思い出になったことだろう。
夕食の支度は娘が殆どしてくれて何と楽をさせてもらった。
再就職の話はまだなくしばらくは主婦をしてくれそうである。
けれども油断は禁物である日突然もきっとあるだろう。
フルタイムではなくパートなら良いなと勝手に考えている。
夕食後、煙草を吸いながらまた山桜を眺めていた。
随分と日が長くなり6時を過ぎても外はまだ明るい。
切羽詰まったようなぎりぎりの一日であったが明日はもう4月である。
また心新たにゼロから始めようと闘志が湧いて来ているようだった。
もしゼロでなく余裕があればもっとのほほんとしていたことだろう。
それではいけないのだと漠然と思う。私は闘わなくてはいけない。
花冷え。陽射しはたっぷりとあったが風が冷たく感じられる。
気温も12℃止まりで先日来の気温に比べると10℃以上も低い。
桜は満開になっておりお花見に出かける人も多かったと思うが
この寒さではゆっくりと桜を愛でることも出来なかっただろう。
幸いしばらく雨の日はなさそうだが散り急ぐことがないことを願う。
子供達が幼い頃にはおにぎりを持ってお花見に出掛けたが
もう40年もの歳月が流れてしまった。
川仕事の最盛期の頃でお花見どころではない忙しさだったが
子供達の嬉しそうな笑顔が昨日のことのように目に浮かぶ。
暮しの為とは云えどれ程寂しい思いをさせたことだろう。
そんな川仕事に終止符を打った今であっても戻れない春であった。

今日もだらしなく寝てばかりの一日だった。
娘達は「行って来ます」の一言もなく高知市へと出掛けて行く。
あやちゃんのことなど少しも頭にないのだろう。
いくら引き籠りであってもあまりに憐れに思えてならなかった。
サニーマートへ買い物に行く時に声を掛けてみたが
「別に行きたくない」と云って素っ気ない返事だった。
昼食のこともあったが娘が何か買い置きをしていたらしい。
「あるから大丈夫」と鬱陶しそうに私の声を遮っていた。
夫が「そっとしておけ」と云うのでもうそれ以上声も掛けられない。
夕飯時も同じくで階下へ降りて来ていたが私達と一緒は気が進まないらしく
「大丈夫」の一点張りでまた二階へ駆け上がってしまった。
それにしても娘達の帰りの遅いこと。もうすぐ8時になろうとしている。
私達が居るからと安心しているのかもしれないが
もしあやちゃんが独りぼっちだったらどんなにか寂しいことだろう。
「大丈夫」を過信してはならない。それが本心とは限らないのだ。
学校へも行っていない出来損ないと思っているのならそれは大間違いである。
どうして行けなくなってしまったのか未だに誰も気づいてやれないのだ。
原因があるからこそ途惑い悩み辛い思いをしたのだろう。
ただそっと見守るだけでは何も解決しないように思う。
けれども娘達の方針に口出しは出来ず老婆心ばかりが疼くこの頃であった。
自立心は確かに育っていて今夜も冷凍パスタを温めていた。
私が手を貸そうとするとまた「大丈夫」と突き放すばかり。
娘達にそんなあやちゃんの健気さを見せてやりたかった。
まだ母親が必要な年頃なのだ。どうして気づこうとしないのだろう。
娘に電話をして帰宅時間を訊こうかと思ったがそれが出来ない。
「関係ないでしょ」と叱られるのが目に見えている。
ざわざわと落ち着かない気分だがひたすら帰りを待つしかないだろう。
家族でありながらそうでないような他人の顔などどうして出来ようか。
曇り日。午後には少しだけ陽射しがあった。
まさに「花曇り」と「花冷え」なのだろう。
気温は低目で肌寒さを感じる。
桜の季節には必ずと云って良い程「寒の戻り」があるものだ。
週末恒例であるが今朝も8時前から2時間程寝ていた。
仕事の疲れもあったのだろう異常な程の眠気である。
カーブスの日だったので夫が10時前に起こしてくれた。
少し出遅れてしまい駐車場が満車状態で困り果てる。
屋上駐車場にやっと停められエスカレーターで降りたが
一歩が踏み出せず危うく転倒するところだった。
足が不自由と云うだけで身の回りには危険がいっぱいである。
カーブスでは異常な程汗をかきコーチも驚いていた。
終ってから鏡を見ると確かに描いてあった眉が消えている。
それも愉快なことで思わず吹き出してしまう。
良き汗を流したのだろう。週一のリフレッシュであった。
午後もひたすら寝てばかり。何と目覚めたらもう4時である。
もっと有意義に過ごせないものかと思うが眠気には勝てなかった。
以前は暇さえあれば本を読んでいたのが嘘のようだ。
年を重ねるごとに億劫なことがどんどん増えていく。
寝る子は育つと云うがいったい私の何が育っているのだろうか。
時間はいくらあっても足らないように思うがその貴重な時間を
自ずから台無しにしているとしか思えない。
おそらくこのまま老いて行くのだろう。それも自業自得に他ならない。
詩や短歌は毎日書き続けておりそれなりに充実している。
今はSNSだけが頼りだがそれが自分の選んだ道なのだろう。
反響はないが反応はある。そうして足るを知るのが定めに思う。
もっと身の程を知るべきだろう。これ以上に望むことは何もない。
昨日からめいちゃんがプチ旅に出掛けており寂しい我が家だった。
声が聴こえないだけでまるで火が消えたように暗い。
高知市内の親戚の家に行っているのだが明日娘達が迎えに行くのだそうだ。
春休みの良き思い出になったことだろう。笑顔が待ち遠しくてならない。
あやちゃんは相変わらずで存在感は全く無いに等しい。
会話もなければ顔さえも見れない日が続いている。
けれども可愛い孫には変わりなく気配を感じるだけで良かった。
春休みをどんな気持ちで過ごしているのだろう。
2年間切ることをしなかった髪はもう腰のあたりまで伸びている。
その長い髪こそが唯一あやちゃんの「あかし」なのかもしれない。
花曇りの一日。気温は20℃まで上がり過ごし易かった。
民家の畑には菜の花が咲き大根の白い花も見える。
もう冬野菜の時期は終ったのだろう。
次は夏野菜である。胡瓜、茄子、トマト等楽しみなことだ。
峠道を越え山里の最初の集落を通り過ぎた処にトンネルがあるのだが
その入り口付近に二人連れのお遍路さんが居て一人は座り込んでいた。
外国人の男女であったが心配になり声を掛けずにいられない。
「大丈夫ですか?」さて英語では何と言えば良いのだろう。
咄嗟に「ユアオッケイ?」と車を停め駆け寄って行く。
するとそれが通じたのか女性のお遍路さんが「オッケイ」と応えてくれた。
男性のお遍路さんは靴下を脱いでおり真っ赤に腫れた足を見せている。
酷い靴擦れらしく血豆が出来ているようだった。
「どうか無理をしないで下さいね」その一言が英語で言えない。
何ともどかしいことだろう。「オッケイ」ばかりを繰り返す。
すると辛そうにしていた男性のお遍路さんがにっこりと微笑んでくれた。
それが大丈夫の合図だったのだろう。もう心配はなさそうだった。
「グッバイ」と声を掛けて車に戻れば二人が手を振ってくれていた。
思い切って声を掛けて良かったのだなと思う。何とも清々しい朝のこと。
今日は仕事中にも外国人のお客さんの家を訪ねていた。
車検証を届けに行っていたのだがコナンは仕事に出掛けていて留守である。
奥さんのキャットは臨月になっており大きなお腹を庇うようにしていた。
部屋にはベビーベットを据えており何と微笑ましいことだろう。
赤ちゃんは女の子だそうでそれはそれは楽しみにしているようだ。
けれども初産で不安なこともあるだろうと気遣わずにはいられない。
キャットは随分と日本語が話せるようになっており車検証の説明もする。
ダッシュボードに保管するようにと伝えたら「ハイワカッタ」と頷く。
車検時には車検証を紛失していたので説明は大切なことだった。
出産予定日は来月の28日とのこと。ちょうどあとひと月である。
何かお祝いをしたくてならない。もちろん赤ちゃんにも会いたかった。
若い二人が故郷を離れ日本に永住するのは並大抵のことではない。
それも都会ではなく田舎の小さな山村であった。
古民家に暮らしているが不便なことも多いのではと察する。
大きな地震でも来れば忽ち潰れてしまいそうな古い家だった。
村ではリフォームをした空家を貸し出しているが
もしかしたら家賃が高いのかもしれない。
仕事を探すのも大変でコナンは農園で働いているのだった。
生まれて来る赤ちゃんのために必死の思いをしていることだろう。
村の行政が少しでも助けてやれないものかと思う。
コナンもキャットもれっきとした村民なのだ。

今日は早めに帰れたので夫と「子連れ狼」を見ていた。
大五郎の見ている目の前で刺客の役目を果たす拝一刀であったが
幼い心にそんな父の姿がどんな風に映っているのか気になった。
「時代劇」の一言では済まされない何とも複雑な思いである。
私があれこれと口出しをすると夫は白けるらしい。
「たかがテレビじゃないか」と今日も飽きれたように笑い飛ばしていた。
朝の道の「良心市」で今年初の「タラの芽」を買い求める。
娘が早速天婦羅にしてくれて何と美味しかったことだろう。
天つゆよりも塩が良くいくらでも食べられる。
この季節ならではの旬の味ほど幸せなことはないのだと思う。。
夕食後、自室の母の遺影に手を合わせ「今週もお疲れ様」と手を合わせた。
母のおかげで乗り越えられた日々である。
雨が降ったり止んだり。午後には時おり雷雨となった。
山林火災の起きている今治、岡山の雨が気になっていたが
鎮火のニュースは流れないまま日が暮れてしまう。
誰もが土砂降りの雨を望んでいることだろう。
催花雨になったのか桜は一気に満開に近くなった。
山里の郵便局には純白の桜が咲いており「大島桜」とのこと。
ソメイヨシノよりも少し花が大きく見応えのある桜であった。
何よりも真っ白な花の何と綺麗なことだろう。
どの桜よりも誇らしく咲いているように見える。

雨のため義父が工場に待機してくれており大助かりだった。
朝のうちに車検を完了させその後大月町まで車検の車を取りに行ってくれる。
予約外であったが今日中に車検を済ませなければいけなかった。
同僚は昨日から整備中の車がありとても手に負えない。
すると義父が「俺がやる」と云ってくれ直ぐに整備に取り掛かる。
何と手早いことだろう。2時間もしないうちに整備が完了していた。
それから車検であったが来客があり直ぐには出来そうにない。
私は残業覚悟で待っていたがあっという間に3時を過ぎていた。
4時に退社。いつもより随分と遅くなってしまったが
娘が家に居てくれるのでとても心強い。
買い物も以前のように出来合いのお惣菜を買うこともなくなり
それだけ娘を頼りにしているのだろう。
今日は半額の赤カレイとステーキ肉を買って帰る。
変な組み合わせだが私はお肉よりもお魚が食べたかったのだ。
加齢のせいかもしれないが夫はお魚よりもお肉を好む。
今夜も夫と先に食べたがステーキばかり食べるのではらはらした。
いつものことだが後から食べる娘達の事は全く頭にないようだ。
カレイの煮付けはとても美味であったが夫は一切箸を付けなかった。
お昼休憩も無く8時間近くぶっ続けで仕事をしたせいか
今夜はいささか疲れているようで身体が怠くてしょうがない。
土曜日は休めそうなのでもうひと踏ん張りである。
山あり谷ありで今日は谷だったのかもしれない。
谷川の水も温み川辺には緑の若草が萌える頃。
私はひたすら歩き続けておりほんの少し雨に濡れていた。
春雷は季節を引き裂くのだそうだ。
冬の後姿を見届ければ春爛漫の季節がやって来る。
最高気温が29℃を超え3月の気温としては過去にない記録だったようだ。
異常気象としか思えず今年の夏も酷暑になることだろう。
いつの間にか梅の花が散ってしまい白木蓮も散り始めている。
けれども桜はぽつぽつと咲き始め山ツツジも山肌に見えるようになった。
散れば儚いものだが花達は次々にバトンを渡しているようだ。
それは永久に続く自然の営みなのであろう。
だからこそ散ったことを嘆いてはならない。
人の命も同じである。魂は輪廻転生を繰り返して行くのだった。

今朝は義父の姿が見えず居室で倒れているのではと気遣う。
来客があり声を掛けたが返事はなく増々心配になった。
それが電話をしてみれば田んぼで草刈りをしているとのこと。
早朝から出掛けたらしくどおりで姿が見えなかったはずである。
お昼には帰って来たが工場の仕事どころではなかった。
明日は雨の予報なので今日中に草刈りを終えたいと云う。
晴耕雨読ではないが今日は農耕日にしてやりたかった。
とにかくやれるだけの事をするようにと伝え送り出した午後である。
思いがけない程の暑さになり熱中症の心配もあったが
あれこれと気遣うよりも義父の底力を信じようと思う。
2時半に退社し整形外科のリハビリに向かう。
今日も医師が義父を気遣ってくれ決して無理をさせないようにと云う。
骨折している首の骨が治らずそのままになってしまうかもしれないのだそうだ。
そうなれば手術しかないと云うので何だか怖ろしくなってしまった。
義父に伝えても何も変わらないだろう。余計に我武者羅になりそうである。
田植えの準備を進めておりどうしてそれを止められようか。
買い物を済ませ4時半に帰宅。庭先の花が増えており驚く。
なんとチューリップの花も咲いていた。
昼間娘があれこれと苗を買って来て植えてくれたようだった。
庭先は見違えるように花盛りとなりすっかり春の装いである。
黄砂と花粉は飛んでいたが穏やかな昼下がりの光景が目に浮かんだ。
仕事を持っていたらとてもそんな余裕など無かったことだろう。
再就職はまだ決まらないがずっと家に居て欲しいとつい思ってしまう。
夕飯はあまりの暑さにお素麺にした。喉越しも良くとても美味しい。
孫達が大喜びで沢山食べてくれて嬉しかった。
家族の美味しい顔ほど幸せなことはない。
義父から電話があり今日の暑さであハウスの稲苗が枯れてしまったとのこと。
余程ショックだったのだろう酷い嘆きようであった。
こればかりはどうすることも出来ずひたすら宥めるばかりである。
その上に例の大型車のクラッチ調整に行くと云うのだった。
上手く調整出来れば工場まで走らすことが出来るのだ。
私の段取りが悪かったのだろう。昼間のうちに同僚に行かせるべきだった。
しかし義父との連携も全く出来なかった一日のことである。
「もう疲れて死にそうな」義父の弱々しい声が耳から離れない。
生きてさえいれば明日がある。順調に好転することもきっとある。
みんなみんな精一杯なのだ。何ひとつ疎かになどしていない。
「神様、仏様、お母様」である。どうかどうか助けて下さい。
最高気温が26℃まで達しまるで初夏のような陽気となる。
黄砂と花粉の影響だろうぼんやりと霞がかった空であった。
明日もまた同様とのこと。洗濯物の外干しが出来そうにない。
週末には寒の戻りがあり「花冷え」となりそうである。
「花曇り」「花散らしの雨」どれも桜の季節の奥ゆかしい日本語だった。
今朝も出勤すると義父の友人達が勢揃いしており
また育苗機の苗をハウスに運ぶのだそうだ。
義父はそわそわと落ち着かず工場の仕事の事も話せなかった。
昨日の大型車も路肩に停めたきりで牽引どころではない様子。
お客さんの身になればほったらかしにされたような気分だろう。
気の毒でならなかったが義父を急かすことも出来なかった。
同僚も車検整備を頑張ってくれていたが飛び込みのお客さんが多い。
予約制にしてあっても急な修理を断ることが出来なかった。
わざわざ宿毛市から来てくれたお客さんもいて
出直して来て欲しいなどとどうして云えるだろうか。
仕方なく車検整備は滞り今日の予約の車検整備は明日に持ち越さねばならない。
私がいくらあがいてもどうしようも出来ないことであった。
「何とかなるだろう」と自分に云い聞かせても「どうなるのだろう」と思う。
着実に前へ進んでいる実感が少しも湧いて来ないのだった。
何だか荒海で転覆してしまいそうな危機感を感じずにいられない。
あれこれと思い悩んでも何も解決はせず今日も定時で退社した。
自動車専用道路を時速90キロで走り抜ける。
ラジオからは好きな曲も流れずむしゃくしゃしていたようだ。
帰宅したらお向かいの奥さんが新鮮な野菜を届けてくれていた。
新玉葱、ほうれん草、サラダ菜もあり嬉しくてならない。
買えば高値の野菜ばかり家庭菜園は素晴らしいことである。
お向かいの奥さんがまるで神様のように思えたのだった。
夫は茶の間でぼんやりと「子連れ狼」を見ていた。
大五郎の何と可愛らしいことだろう。
残虐なシーンが多いが大五郎のおかげで安心して見ていられる。
けれどももし大五郎が殺されてしまったらと思わずにはいられなかった。
それは決してないのだと夫が笑い飛ばしてくれほっとする。
今日もたくさんの悪者が惨殺されたが
「ちゃん」と駆け寄る大五郎の笑顔に救われる思いだった。
幼い子供の笑顔には不思議な力が宿っている。
そのあどけなさにほっと微笑む人も多いだろう。
大人だって微笑むことは出来るのだ。
けれども愛想笑いであったり思惑を纏った笑いもある。
心の底から純粋に微笑めば心にも花が咲く季節なのではないだろうか。
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