ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年03月24日(月) 桜便りに母心

曇り日。陽射しは無かったが気温は20℃に達していた。

晴れていたら夏日になっていたことだろう。

山里の桜も蕾が膨らみ始め明日にでも開花しそうである。

今日は東京が開花。能登の被災地は4月9日の予想であった。


田植えの準備は着々と進んでいるが困ったことに水不足なのだそうだ。

まとまった雨が降ってくれないと田んぼに水が張れない。

今日も米農家のお客さんが順調に田植えまで漕ぎつけるかと嘆いていた。


義父は毎朝ハウスの稲苗の管理に行っており

ぐんぐんと育っている苗に焦り始めている様子である。

その上に今日はまた高知市で理事会があり朝食も食べずに出掛けた。

せめてもと栄養ドリンクを手渡し見送ったことだった。


工場は今日も忙しく同僚が一人で頑張ってくれていたが

午後に警察署から電話があり驚く。

お客さんの大型車が走行不能となり県道で立ち往生しているとのこと。

警察官が交通整理をしているので早急に動かして欲しいと要請があった。

義父は会議中であったが連絡が取れ同僚が現場へ駆け付ける。

どうやらクラッチが焼け付いているようで匂いが出ていたようだ。

会社の運搬車で牽引に行き何とか路肩まで動かすことが出来る。

後は明日義父に任せ工場まで牽引することになった。

林業のお客さんはすっかり困り果てており気の毒でならない。

工場は車検の予約でいっぱいになっており直ぐに修理出来そうにないのだ。

何とかしてやらねば。段取りで頭を悩ますことになった。

同僚一人では手に負えないことは見えており義父の助けが必要だが

田植えの事で頭がいっぱいになっているので困ったものである。

しかし彼は社長である。ここは優先順位を考えて貰わねばならない。


気ばかりが急いていたが残業をしても何も変わらなかった。

とにかく明日のことにして定時で帰路に就く。

少しパニック気味になっていたせいかラジオの「石川さゆり」が好かった。

「さよならあなた私は帰ります」と口ずさみながら帰る。


帰宅したら大相撲ロスの夫がぼんやりと佇んでいた。

なんだか憐れでならない午後4時である。

仕事帰りの息子も久しぶりに顔を見せてくれたが

疲れもあったのだろう愚痴と弱音の嵐であった。

けい君が春休みとなり昼食の準備に困っているのだそうだ。

もう6年生になるのだものカップ麺くらい作れるはずなのだが

息子がわざわざ昼休みに帰宅していると聞きおどろく。

まだ春休みが始まったばかりなのに「俺はもうしんどい」と嘆く。

市のシルバー人材センタに頼めば家政婦さんを雇えるらしく

息子が帰宅してから電話で提案してみたらへらへらと笑い飛ばすのだった。

息子はただ弱音を吐きたかっただけなのだ。

愚痴を聞いて欲しかっただけだったのだ。


娘と夫に話せば「それを真に受けたのか」と大笑いされてしまう。

けれども辛そうな息子の力になりたいのが母心でなくて何だろう。

男手一つで家庭を守り子供を育てて行くことがどれほど大変なことか。

たとえそれが息子が選んだ道であっても気遣わすにはいられない。


息子もけい君もやがて逞しくなるだろう。

父と母はそうして老いていく定めである。







2025年03月23日(日) 光と影

彼岸明け。最高気温が23℃まで達し汗ばむ程の陽気となる。

暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものだ。

隣町の宿毛市では全国一の早さで桜が開花したそうである。

ぱあっと目の前が明るくなるようなニュースであった。

四万十市もすぐ後を追うだろう。わくわくと楽しみでならない。


今朝は寒さが和らいでおり春物の衣服を着た。

まだ寒の戻りがあるかもしれないが思い切って衣替えをする。

去年はいったい何を着ていたのだろうと思うが

押し入れから出して見ればけっこうな衣装持ちであった。

春の装いとなれば気分も晴れやかに明るくなることだろう。



午前中に市街地の商店街へ。昔からある老舗の精肉店である。

ノロ騒動で夫の誕生日祝いをしていなかったので今夜は焼き肉であった。

娘のお腹の調子もすっかり良くなり大賛成である。

精肉店のご主人も奥様もとても愛想が良く何とも好ましい。

「お花見にも行かないと、お肉も食べんといかんね」と笑い合った。

商売人はこれでなくてはと思う。笑顔こそが基本なのだ。



午後はしばらく寝ていたが3時頃から大相撲の千秋楽を観る。

相撲好きの夫が興奮しておりそれもまた愉快な光景であった。

5時を過ぎれば高安と大の里の優勝決定戦となり手に汗を握る。

大の里はこれまで2回も優勝経験があるが高安は悲願の初優勝だった。

何としても勝たせてやりたかったが優勝は大の里の手に渡る。

現実はとても厳しい。勝負の世界とはそう云うものなのだろう。


誕生日のお祝いとは名ばかりで夫と二人だけでハラミを焼いて食べる。

家族6人が揃って夕食を食べることは全くなくなっていた。

それも慣れてしまえばどうと云うこともなく美味しさには変わりない。

夫が嬉しそうに食べている姿こそが幸せに思えた。

やがては夫婦二人暮らしになるのだろう。予行練習のようなものである。



気分は春でありながら何となく物悲しさを感じるのは何故だろう。

ふと来年の春も生きているのだろうかと思う。

光が溢れるほど影になる。心細くてならないのだった。

生きて貫きたい事があるほど不安が襲って来るこの頃である。


彼岸が明ける。その彼岸とはいったい何処にあるのだろう。



2025年03月22日(土) ポテトサラダ

穏やかな晴天。最高気温は20℃を超え汗ばむ程の陽気となる。

庭先の桜草やビオラが辛そうに水を欲しがっていた。

葉牡丹には花が咲き今にも蝶々が飛んで来そうである。

むくむくと何かが動き始めているがその正体は分からない。

もしや私も春になろうとしているのだろうか。


朝ドラ「カーネーション」の最終回を見終わり感慨に浸る。

再放送であったがこれ程心に残るドラマがかつてあっただろうか。

老いることを怖れてはならない。それ以上に死を怖れてはならない。

そこにはきっと思い残すことのない人生があるのだろう。



10時からはカーブスであったが心地よく汗を流す。

私の汗はやはり異常のようで扇風機が欲しくてならなかった。

身体の中に灰汁のような物があり蒸発しているとしか思えない。

綺麗さっぱりである。そうして心も浄化されて行く。



午後はひたすら寝て過ごしていたが玄関のチャイムが鳴り

あやちゃんの担任の先生が花束を届けてくれた。

もう二度と会うことも叶わないだろうにあやちゃんは姿を見せない。

応対に出た娘は涙ぐんでいたようだった。

娘にとっても辛い一日だったことだろう。

これまでどんな思いで見守って来たことか。その心中を察する。


「卒業祝い」どころではなかったがせめてもとあやちゃんの好きな

ポテトサラダを作った。茹で卵の黄身を裏ごしして載せる。

娘とめいちゃんはダンス教室があり5時半には出掛けて行った。

夫と先に夕食を済ませていたがあやちゃんも空腹だったのだろう。

鶏の唐揚げとポテトサラダをこっそり子供部屋へ運んでいた。

独りぼっちの夕食であるが慣れているとは云わせたくはなかった。


やっと卒業式が終わった。あやちゃんはもう小学生ではない。

どれほど思い悩んでいたことだろうか。解放されたのだと思いたい。

中学生になっても葛藤は続くだろうがほんの少し羽ばたくことが出来る。

誰も無理強いはしないのだ。自分の選んだ道を進んで欲しいと願う。


今日の陽気で桜の蕾も一気に膨らんだことだろう。

咲かないことを選ぶことがどうして出来ようか。

咲けるのに咲かないことを選ぼうとしている12歳の少女がいる。







2025年03月21日(金) かくれんぼ

朝の肌寒さもつかの間、日中は19℃まで気温が上がり

すっかり春の陽気に思えたが何故か風だけは冷たかった。

おそらく冬がかくれんぼをしていたのだろう。

「もういいかい?」「まあだだよ」と声が聴こえる。



今朝は義父の友人夫婦が勢揃いして何と6人も来てくれていた。

稲の発芽がどんどん進んでおり育苗機からハウスへと移動する。

それが終わればまた新たに種籾を蒔く仕事が待っていた。

義父一人ではとても無理な作業である。

6人もの助っ人にどれほど助けられたことだろうか。

義父は上機嫌でいつも以上に張り切っている様子だった。

持つべきものは友人か、これも義父の人望の厚さであろう。


工場は車検整備が一段落しており今日は定期点検が2台だった。

どちらも公用車で3ヶ月ごとに必ず点検を行っている。

一般のお客さんには殆ど点検をする人が居なくなった昨今であるが

公用車ともなれば法律を守るのが当然のことだろう。

おかげで商売繁盛である。大型車となれば尚更の事だった。


整形外科のリハビリがある日で3時前に退社する。

ラジオからは「桜」に因んだ歌が次々に流れていた。

誰もが桜の季節を待ち望んでいるのだろう。


今日は診察の無い日だったので医師とスマホ越しに面談をしたが

義父の事を気遣ってくれとても心配していた。

田植えの準備を始めていることを話すと「それはいかんぞ」と言う。

首の骨が折れているのにとんでもない事だと言うのだった。

しかしいったい誰に義父を止めることが出来るだろうか。

とにかく米作りを止めさせることなど到底無理な話である。

もはや義父は鉄人であった。決して老いぼれの老人ではない。


4時半に帰宅。娘が洗濯物を畳んでくれており大助かりである。

つかの間であったが夫と大相撲を観ていた。

優勝は高安だろうか。千秋楽が楽しみでならない。


夕飯には娘がシチューを作ってくれた。

私と夫は先に食べ始めていたが「おばあ出来たよ」と器に入れてくれる。

最近の娘はとても優しく会話も随分と多くなった。

けれども再就職の話は一切しない。それほど焦ってもいないようだった。

今更ながら病院の勤務がよほど辛かったのではないかと思われる。

何も話してはくれなかったが母親だからこそ感じることがあった。

いつまでも無職とはいかないだろうが今度は好きな仕事に恵まれて欲しい。


夕食後、めいちゃんが明日着ていく服に迷っていた。

卒業式なので在校生の送辞もあり生徒会福会長の責任も大きい。

緊張するかもしれないが立派にやり遂げることを願って止まない。

姉であるあやちゃん不在の卒業式であっても寂しくはないだろう。

もしかしたらあやちゃんの複雑な心境を一番理解しているのではと思う。

幼い頃からずっとずっと仲良しの姉妹だったのだ。

今ではふれあう姿も見られなくなったが一心同体なのかもしれなかった。


明日も春の陽気とのこと。桜の蕾も一気に膨らむことだろう。

寂しい思いをする人がどうか一人もいませんように。





2025年03月20日(木) 牡丹餅

今朝は霜注意報が出るほどの冷え込みとなる。

日中はよく晴れていたが風が冷たく感じられた。

国道沿いの白木蓮を仰ぎながら山里の職場に向かう。

祭日なのでいつもよりずっと交通量が少ない。

山道も対向車がなくスムーズに峠を越す。



工場は午前中に車検整備が完了していたが

義父が多忙のため車検が出来ずひたすら帰りを待っていた。

昼下がりにお客さんが「牡丹餅」を持って来てくれる。

手作りの牡丹餅などもう何年も食べたことがなかった。

餡子も小豆から煮たそうでそれはそれは美味しそう。

義父にへと届けてくれたのだが一個だけ頂くことにした。

何とも懐かしく祖母の牡丹餅を思い出す。

母も大好きだったので事務所の遺影の前にお供えした。

お客さんも「良かった、良かった」と喜んでくれる。


2時過ぎにやっと義父が帰って来てくれて車検に取り掛かったが

昼食も食べておらずどんなにか空腹だったことだろう。

牡丹餅を一個だけ平らげ「これは美味いな」と大喜びである。


車検は2台あり一台はスムーズに完了したが

二台目はヘッドライトを改造しており車検に適合しない。

これは最近の流行りなのか若いお客さんに多かった。

ホームセンター等で手軽に購入出来るらしい。

ハロゲン球には「車検対応」と記されているが実は違法なのだ。

仕方なくお客さんに相談し標準のハロゲン球と交換する。

同僚は急ぎの一般修理と格闘しており義父の手によるものだった。


やっと車検が完了したがもう4時である。

随分と遅くなってしまったが義父と書類作成に取り掛かった。

帰宅が遅くなりそうなので娘に電話したら大丈夫とのこと。

家事は娘に任せとにかく「今日の事」をと精を尽くす。


5時に退社。山里の食料品店で卵だけ買って帰る。

峠道を下り国道が見え始めるととてもほっとした。

5時半過ぎに帰宅したら夫は大相撲を観ながら既にビールである。

娘が冷蔵庫にあるものであれこれと作ってくれていた。

まだ少し腹痛があるとのことで無理をさせてしまったようだ。


めいちゃんも無事に帰宅しており何よりに思う。

昨夜は心配したが特に異変はなく元気そのものである。

今週一杯異変がなければもう大丈夫だろう。


あやちゃんは寝ているのか夕飯時にも姿を見せなかった。

もしかしたら卒業式の事で悩んでいるのかもしれない。

私の思い過ごしかもしれないが老婆心が疼くのだった。

その卒業式も明後日になった。どんなにか複雑な心境だろうか。

けれども誰も無理強いはしていない。出席しなくても良いのだと思う。


真っ赤なランドセルを背負って入学した時を思い出す。

いったい誰に今の現実が想像出来ただろうか。

繊細な少女の心に宿る葛藤を未だ誰も知らずにいる。


春だからと咲く必要は決してないのではないだろうか。







2025年03月19日(水) 明日があるさ

弥生つめたい風。陽射しはたっぷりとあったが冬の寒さが続いている。

そんな寒さも明日までだそうで明後日からは一気に春らしくなるようだ。

東京では名残り雪、高知も山間部では雪が降っていた。

そうして季節が真っ二つに引き裂かれていくのだろう。


桜の開花予想は23日と思い込んでいたが高知は25日らしい。

高知よりも先に東京の桜が咲くそうで何だか不思議でならない。

蕾はまだ固いが今か今かと春を待ち侘びているようだ。


山里では田んぼに水が張られるようになり田植えの準備が進んでいる。

義父はすっかり焦り始めており気が気ではない様子。

早い農家では4月の上旬に田植えを始めるのだそうだ。

稲の成長は凄まじく8月にはもう稲刈りとなる。

米不足で今年は高値が予想されその期待は大きかった。

消費者にとっては安いに越したことはないが米農家の苦労を思うと

少しでも高値でなければその苦労は報われないのだと思う。




工場の仕事は少しずつ順調に捗っているが今日は車検が出来なかった。

義父はそれどころではない様子で血眼になって田植えの準備に追われている。

そんな義父に「今日は今日の事をね」と声を掛けたら笑顔を見せてくれた。

あれもこれもと気が急いていたのだろう。気が楽になったのに違いない。


明日は春分の日で祭日であったが仕事をすることにした。

私の一存であったがとても休んではいられない状態である。

同僚が渋々ながら頷いてくれとてもほっとした。

とにかく臨機応変に仕事をこなしていかなければいけない。

誰かが段取りをしなければ一歩も先に進めないのだ。


「明日があるさ」と2時過ぎに退社した。

娘の体調も気になり早めに帰宅した方が良さそうであった。

帰宅したら娘が洗濯物を畳んでくれておりほっと一安心する。

まだ腹痛があるらしく本調子ではなかったが二人で夕飯を作った。

めいちゃんはふた従姉妹のまあちゃんの家にお泊りに行くことになり

夕食を食べ終わるなり嬉しそうに出掛けて行く。

まさかと思ったがもし突然の嘔吐に襲われたらと心配でならない。

まあちゃんのお母さんにも迷惑を掛けてしまうだろう。

どうか何事も無く楽しい夜を過ごして欲しいと願うばかりであった。

娘は止めなかったのだ。きっとそんな不安もなかったのだろう。

心配性の私だけがはらはらとしているだけなのかもしれない。


ここ数日のノロ騒動で平穏無事が決して当たり前ではないことを

思い知らされたような気がしている。

コロナ、インフルと乗り越えてきたがまさかノロとは思ってもいなかった。

家族の健康を第一に考えているがいつ落とし穴があるか分からない。


桜の季節がやってくれば皆が元気に春を満喫出来ることだろう。



2025年03月18日(火) 春なのに

今日も冬型の気圧配置。朝のうち晴れていたが午後から雨となった。

もう少し気温が低ければまた雪になっていたことだろう。

桜の開花予想日は23日だったか冬の最後のあがきだと思われる。


午前中に外回りの仕事があり近くの「星ヶ丘公園」へ寄ってみた。

冬の間は訪れることもなかったがすっかり春の装いにおどろく。

早咲きの桜は「河津桜」なのだそうだ。薄桃色の花が満開である。

その傍らには「雪柳」が純白の花を風になびかせていた。

まるで別世界のようであり身も心も春一色となっていく。

職場のすぐ近くにあるのに遠のいていた足がふと憎らしく思う。

公園内には珍しい草花も多くありまたきっと思いがけない出会いがあるだろう。




義父は高知市内で理事会があり朝から出掛けていた。

同僚と二人のらりくらりと仕事をする。

それでも工場の仕事は順調に捗り何よりだった。

法務局へ行く用事があり2時に退社したが待ち時間が長かったので

帰宅はいつもとさほど変わらない時間であった。

洗濯物を畳み終え炬燵に潜り込み大相撲を観る。


とうとう娘が昨夜発熱。嘔吐は無かったが腹痛を訴えていた。

我が家で無事なのはめいちゃん一人となってしまう。

それにしても感染力の何と強いことだろう。

一番小さいめいちゃんが無事なのが奇跡のように思える。

何としてもこのまま守ってやりたい気持ちでいっぱいになった。


娘婿もあやちゃんもまだ本調子ではなく

胃に優しい夕食をとそれなりに準備していたが

娘が寝込んでいるせいか娘婿もあまり気が進まないようだった。

「後から食べるけん」そう言ったきり部屋から出て来ない。

あやちゃんもめいちゃんもやはり母親が必要なのだろう。

私は娘の代わりにはなれないのだなと今夜ほど思ったことはない。


今朝は涙を流しながら登校の準備をしていためいちゃんだった。

その泣き顔が今も目に浮かび可哀想でならない。


たかが「ほたるいか」ではなかった。

今日も店頭に沢山並んでいたがもう二度と買うものかと思う。


どうかどうか我が家に平穏が帰って来ますように。


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