今朝は霜注意報が出るほどの冷え込みとなる。
日中はよく晴れていたが風が冷たく感じられた。
国道沿いの白木蓮を仰ぎながら山里の職場に向かう。
祭日なのでいつもよりずっと交通量が少ない。
山道も対向車がなくスムーズに峠を越す。
工場は午前中に車検整備が完了していたが
義父が多忙のため車検が出来ずひたすら帰りを待っていた。
昼下がりにお客さんが「牡丹餅」を持って来てくれる。
手作りの牡丹餅などもう何年も食べたことがなかった。
餡子も小豆から煮たそうでそれはそれは美味しそう。
義父にへと届けてくれたのだが一個だけ頂くことにした。
何とも懐かしく祖母の牡丹餅を思い出す。
母も大好きだったので事務所の遺影の前にお供えした。
お客さんも「良かった、良かった」と喜んでくれる。
2時過ぎにやっと義父が帰って来てくれて車検に取り掛かったが
昼食も食べておらずどんなにか空腹だったことだろう。
牡丹餅を一個だけ平らげ「これは美味いな」と大喜びである。
車検は2台あり一台はスムーズに完了したが
二台目はヘッドライトを改造しており車検に適合しない。
これは最近の流行りなのか若いお客さんに多かった。
ホームセンター等で手軽に購入出来るらしい。
ハロゲン球には「車検対応」と記されているが実は違法なのだ。
仕方なくお客さんに相談し標準のハロゲン球と交換する。
同僚は急ぎの一般修理と格闘しており義父の手によるものだった。
やっと車検が完了したがもう4時である。
随分と遅くなってしまったが義父と書類作成に取り掛かった。
帰宅が遅くなりそうなので娘に電話したら大丈夫とのこと。
家事は娘に任せとにかく「今日の事」をと精を尽くす。
5時に退社。山里の食料品店で卵だけ買って帰る。
峠道を下り国道が見え始めるととてもほっとした。
5時半過ぎに帰宅したら夫は大相撲を観ながら既にビールである。
娘が冷蔵庫にあるものであれこれと作ってくれていた。
まだ少し腹痛があるとのことで無理をさせてしまったようだ。
めいちゃんも無事に帰宅しており何よりに思う。
昨夜は心配したが特に異変はなく元気そのものである。
今週一杯異変がなければもう大丈夫だろう。
あやちゃんは寝ているのか夕飯時にも姿を見せなかった。
もしかしたら卒業式の事で悩んでいるのかもしれない。
私の思い過ごしかもしれないが老婆心が疼くのだった。
その卒業式も明後日になった。どんなにか複雑な心境だろうか。
けれども誰も無理強いはしていない。出席しなくても良いのだと思う。
真っ赤なランドセルを背負って入学した時を思い出す。
いったい誰に今の現実が想像出来ただろうか。
繊細な少女の心に宿る葛藤を未だ誰も知らずにいる。
春だからと咲く必要は決してないのではないだろうか。
弥生つめたい風。陽射しはたっぷりとあったが冬の寒さが続いている。
そんな寒さも明日までだそうで明後日からは一気に春らしくなるようだ。
東京では名残り雪、高知も山間部では雪が降っていた。
そうして季節が真っ二つに引き裂かれていくのだろう。
桜の開花予想は23日と思い込んでいたが高知は25日らしい。
高知よりも先に東京の桜が咲くそうで何だか不思議でならない。
蕾はまだ固いが今か今かと春を待ち侘びているようだ。
山里では田んぼに水が張られるようになり田植えの準備が進んでいる。
義父はすっかり焦り始めており気が気ではない様子。
早い農家では4月の上旬に田植えを始めるのだそうだ。
稲の成長は凄まじく8月にはもう稲刈りとなる。
米不足で今年は高値が予想されその期待は大きかった。
消費者にとっては安いに越したことはないが米農家の苦労を思うと
少しでも高値でなければその苦労は報われないのだと思う。

工場の仕事は少しずつ順調に捗っているが今日は車検が出来なかった。
義父はそれどころではない様子で血眼になって田植えの準備に追われている。
そんな義父に「今日は今日の事をね」と声を掛けたら笑顔を見せてくれた。
あれもこれもと気が急いていたのだろう。気が楽になったのに違いない。
明日は春分の日で祭日であったが仕事をすることにした。
私の一存であったがとても休んではいられない状態である。
同僚が渋々ながら頷いてくれとてもほっとした。
とにかく臨機応変に仕事をこなしていかなければいけない。
誰かが段取りをしなければ一歩も先に進めないのだ。
「明日があるさ」と2時過ぎに退社した。
娘の体調も気になり早めに帰宅した方が良さそうであった。
帰宅したら娘が洗濯物を畳んでくれておりほっと一安心する。
まだ腹痛があるらしく本調子ではなかったが二人で夕飯を作った。
めいちゃんはふた従姉妹のまあちゃんの家にお泊りに行くことになり
夕食を食べ終わるなり嬉しそうに出掛けて行く。
まさかと思ったがもし突然の嘔吐に襲われたらと心配でならない。
まあちゃんのお母さんにも迷惑を掛けてしまうだろう。
どうか何事も無く楽しい夜を過ごして欲しいと願うばかりであった。
娘は止めなかったのだ。きっとそんな不安もなかったのだろう。
心配性の私だけがはらはらとしているだけなのかもしれない。
ここ数日のノロ騒動で平穏無事が決して当たり前ではないことを
思い知らされたような気がしている。
コロナ、インフルと乗り越えてきたがまさかノロとは思ってもいなかった。
家族の健康を第一に考えているがいつ落とし穴があるか分からない。
桜の季節がやってくれば皆が元気に春を満喫出来ることだろう。
今日も冬型の気圧配置。朝のうち晴れていたが午後から雨となった。
もう少し気温が低ければまた雪になっていたことだろう。
桜の開花予想日は23日だったか冬の最後のあがきだと思われる。
午前中に外回りの仕事があり近くの「星ヶ丘公園」へ寄ってみた。
冬の間は訪れることもなかったがすっかり春の装いにおどろく。
早咲きの桜は「河津桜」なのだそうだ。薄桃色の花が満開である。
その傍らには「雪柳」が純白の花を風になびかせていた。
まるで別世界のようであり身も心も春一色となっていく。
職場のすぐ近くにあるのに遠のいていた足がふと憎らしく思う。
公園内には珍しい草花も多くありまたきっと思いがけない出会いがあるだろう。

義父は高知市内で理事会があり朝から出掛けていた。
同僚と二人のらりくらりと仕事をする。
それでも工場の仕事は順調に捗り何よりだった。
法務局へ行く用事があり2時に退社したが待ち時間が長かったので
帰宅はいつもとさほど変わらない時間であった。
洗濯物を畳み終え炬燵に潜り込み大相撲を観る。
とうとう娘が昨夜発熱。嘔吐は無かったが腹痛を訴えていた。
我が家で無事なのはめいちゃん一人となってしまう。
それにしても感染力の何と強いことだろう。
一番小さいめいちゃんが無事なのが奇跡のように思える。
何としてもこのまま守ってやりたい気持ちでいっぱいになった。
娘婿もあやちゃんもまだ本調子ではなく
胃に優しい夕食をとそれなりに準備していたが
娘が寝込んでいるせいか娘婿もあまり気が進まないようだった。
「後から食べるけん」そう言ったきり部屋から出て来ない。
あやちゃんもめいちゃんもやはり母親が必要なのだろう。
私は娘の代わりにはなれないのだなと今夜ほど思ったことはない。
今朝は涙を流しながら登校の準備をしていためいちゃんだった。
その泣き顔が今も目に浮かび可哀想でならない。
たかが「ほたるいか」ではなかった。
今日も店頭に沢山並んでいたがもう二度と買うものかと思う。
どうかどうか我が家に平穏が帰って来ますように。
彼岸の入りには必ずと云って良いほど「寒の戻り」がある。
此岸と彼岸が最も近くなる頃である。季節が引き裂かれるのかもしれない。
冬の痛みはどれ程のものだろう。あがき苦しみながら去って行くようだ。
今朝は山里に着くなり小雪が舞い始め驚く。
強風に煽られ空を切るように降っていた。
午後には陽射しがあったが何とも冷たい一日であった。
体調はまずまずでまだ少し胃に不快感があったが
仕事の事で頭がいっぱいになっており休むわけにはいかない。
なんとしても月末を乗り越えねばと気ばかり急いていた。
しかし思うようには行かないもので順調には程遠いスタートである。
同僚や義父の助けがなければ到底無理な話であった。
後から後から難題が降りかかって来て頭を悩ますばかりである。
午後にはすっかり気力がなくなってしまい早目に退社した。
帰宅するなりあやちゃんに声を掛けたが眠っていたようだ。
娘に訊けば順調に快復しているようでほっと胸を撫で下ろす。
娘婿も昨夜から嘔吐が始まり今日は仕事を休んでいた。
すべて私の蒔いた種で心苦しくてならない。
幸い娘とめいちゃんは無事で「どうかどうか」と祈るばかり。
今日は夫の73歳の誕生日であったがお祝いどころではなかった。
夫もそれは承知であったがせめてもと好物の「八宝菜」を作る。
めいちゃんが「お手紙」を書いてくれて何と嬉しそうな顔。
目を細めて読んでいる横顔はとても幸せそうだった。
めいちゃんがなんだか天使のように思える。
亡き母も生きていれば87歳の誕生日であった。
今頃は黄泉の国で飲み友達と酒盛りをしていることだろう。
先立った友の多いこと。決して寂しくはないのだと思う。
ふと思うのは「ゆるやかな坂」であった。
私も歩んで行かねばならずやがては黄泉の国へと辿り着く。
桜の季節だろうか。坂には花弁が散り始めているだろう。
生きた証を見納めるように振り向いているのかもしれない。
雨のち晴れ。午後から強風となり気温が下がり始めている。
明日は彼岸の入りだが寒の戻りがありそうだ。
金曜日に帰宅するなり突然の嘔吐があり
夜には発熱、その後下痢となり寝込んでしまっていた。
嘔吐は何の前触れもなく襲って来て驚く。
茶の間や寝室の床を汚してしまい夫に迷惑をかけてしまう。
熱は微熱であったが下痢は水便でこれも間に合わず大変な有り様。
昨日は意を決して病院へ行っていたが「感染性胃腸炎」とのこと。
一番代表的なのは「ノロウィルス」なのだそうだ。
数日前の夫も私と全く同じ症状だったので感染したのだろう。
実は夫の食べ残した「ほか弁」をもったいないと食べてしまっていた。
食あたりそのものが感染するとは思ってもいなかったのだ。
病院では詳しい説明がなかったのでネットで調べてみたら
ノロウィルスは牡蠣などの二枚貝に多く含まれているのだそうだ。
夫の場合は「ほたるいか」だったが鮮度が落ちていたので
菌が繁殖していたのではないかと思われる。
どちらにせよ半額のほたるいかに飛びついた私が悪かったのだ。
昨夜のうちに症状は軽くなり今朝は少しだけ朝食が食べられる。
それが美味しいと思えたからもう大丈夫だろう。
しかし困ったことに今度はあやちゃんに感染してしまったようだ。
空気感染はしないそうなのでおそらくトイレが原因だと思われる。
私が便器を消毒さえしていれば感染は防げただろう。
何と迂闊な事で娘に散々叱られてしまった。
おまけに今日はめいちゃんのダンス発表会がある日で
嘔吐を繰り返しているあやちゃんを残して出掛けてしまう。
病院へ連れて行く必要はない薬も飲まさないで良いと言う。
辛さは私自身が一番知っており可哀想でならなかったが
余計なことをすればまた娘に叱られてしまうだろう。
布団を汚したりズボンを汚したりしていたが一切手出しが出来ない。
「お母さんが帰るまで待つけん」と何と健気なことだろう。
発表会は4時には終わっていたはずだが娘達の帰宅は遅かった。
あまりに遅いので電話すれば外食をしているとのこと。
それにはすっかり呆れてしまいあやちゃんが憐れでならなかった。
どんなにか首を長くして待っていたことだろうか。
普段から我慢強いあやちゃんだがとても心細かったと思う。
一切の口出しは禁止である。娘達の方針に逆らってはならない。
幸い発熱はなく今は嘔吐も下痢も治まっているようだが
元を正せば全て私が原因の事で心苦しくてならない。
どうかもうこれ以上の感染が広がりませんように。
ただただ祈るばかりの夜になった。
追記:毎日が日課の日記が二日も書けずご心配をお掛けしました。
寒暖差が激しく体調を崩し易い時期です。
皆様もどうかお気をつけてお過ごし下さい。
いつも読んで頂き本当に有難うございます。
少し体調を崩しています。
明日の夜には日記再開出来たらと願っていますが
本調子でなければお休みするかもしれません。
曇り日であったが気温は20℃近くなり春らしい一日。
梅の花は満開となっており仄かに風を匂わせていた。
桜の開花予想日は23日とのこと。後10日である。
帰り道に平田町の桜並木を仰げば小さな蕾が見えていた。
希望でなくて何だろうと思う。日に日に膨らむことだろう。
今朝は夫の熱が下がっておりほっと安堵する。
少しであったが朝食も食べることが出来た。
しかし下痢が始まったようでやはり食あたりだったようだ。
悪い事ばかり考えていたので救われたような気分になる。
正露丸で下痢は治まるだろうといつも通りに山里の職場に向かった。
義父も胃の調子が良くなっており至って元気である。
午前中に車検を2台済ませてくれて大助かりだった。
工場にはまた大型車が入庫しており車検整備待ちの車が3台もある。
同僚は一生懸命にやってくれているが今週中にはとても無理だろう。
お客さんにはそれぞれ代車を貸しているがそれも限界かもしれない。
苦情がないことを祈るばかりで気は急き焦る気持ちが高まる。
もう一人整備士が居れば助かるがお給料を支払う余裕がない。
義父は検査員なので車検整備を行ってはいけない規則になっている。
私が勤め始めた37年前には5人も整備士が居たのが嘘のようだ。
世の中の景気も良かったのだろう。仕事もいくらでもあった時代である。
整形外科のリハビリと診察がある日で2時半過ぎに退社した。
骨密度の検査がありついこの前もしたのにと技師に伝えたら
何と前回は昨年の9月だったそうで驚く。
月日の経つのが何と早いことだろうか。
「骨粗しょう症」は殆ど改善されていなかった。
カルシウムが足らないのかも知れないが喫煙が一番の原因かもしれない。
それは医師には言えなかった。言えばきっと叱られたことだろう。
いつものように骨を強くする薬を処方してもらい病院を後にした。
もう5時前になっており買い物は諦め「ほか弁」に走る。
6人分のおかずを買い求め大急ぎで家路に就いた。
夫の下痢は少し治まっていたがビールはまだ早いようだ。
ほか弁の焼き肉を美味しそうに食べてくれたのでもう大丈夫だろう。
めいちゃんが学校で手紙を書いたらしく照れ臭そうに手渡してくれた。
「おじいちゃん」「おばあちゃん」ととても丁寧な字である。
私の手紙には朝晩の挨拶の事が書いてあった。
おばあちゃんのように進んで言えるようになりたいのだそうだ。
それはとても大切な事と締めくくってあった。
もうすぐ5年生である。その手紙に随分と成長した事を感じる。
毎晩の「おやすみい」毎朝の「おはようさん」
めいちゃんは学校へ行く時大きな声で「行って来まあす」と言う。
「は〜い行ってらっしゃい」私と夫も大きな声で応える。
日常のほんのささやかな事だがそれが幸せでなくて何だろう。
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