午前中は今日も霧雨。午後には止み薄く陽射しがある。
気温は20℃と高くなり4月並みの気温だったようだ。
そろそろ桜の開花予想があるのかもしれない。
今朝は夫が体調不良で朝食も食べられなかった。
食あたりのような症状で胃の不快感と吐き気を訴える。
どうやら昨夜食べた「ほたるいか」が悪かったようだ。
半額物だったので鮮度が落ちていたのだろう。
安さに飛びついた私にも落ち度がある。
ちょうど内科の通院日だったので安心して仕事に出掛けたのだが
帰宅したら発熱しておりとても辛そうな様子である。
それでも私の帰りを待っていてくれたのだろう。
「もう限界じゃ」と呟きすぐさま寝室のベッドに潜り込んでしまった。
内科では胃薬と吐き気止めを処方されていたが
解熱剤はインフルエンザの時の残薬がありそれを服用させた。
もしかしたら食あたりではないのかもしれない。
悪い方に考え出したら切りがなく脳の異常ではないかと思う。
数年前に「硬膜下出血」で手術をしており再発も考えられた。
まさかまさかと不安を払いのけているところだ。
原因は「ほたるいか」に違いない。きっとそうだと不安を宥めている。
とりあえず明日の朝まで様子を見るべきなのだろう。
山里の義父も今日は突然の胃痛に苦しんでいた。
胃薬を飲ませ背中をとんとんと叩いたりして何とか痛みが治まる。
友人達が籾の種蒔きを手伝いに来てくれていて気負い過ぎたのだろう。
最初は顔色が青白くなっており何とも心配でならなかった。
木の芽起こしの頃である。身体の不調が著しくなる頃でもあった。
何でもその人の一番弱い部分が変調を起こすのだそうだ。
私の場合は「頭」であるが今のところ正常のようである。
頭は使うほど良くなるらしいがこの老いぼれに何が出来よう。
もうこれ以上もこれ以下もないくらいに追い詰められている。
努力もせずに背伸びをしようとしている愚か者に他ならない。
ああ嫌だ嫌だ。どうしてこんな日記を書いてしまったのだろう。
静かに霧雨が降る。まだ春雨とは呼べず肌寒さを感じた。
国道沿いの白木蓮の蕾が日に日に膨らんでおり
あと数日もすれば花が開くだろう。
幼子が手のひらを合わせたような純で無垢な花であった。
東日本大震災から14年。未だに心が痛んでいる。
今朝は14年前の3月の日記を読み返し胸が詰まりそうになった。
平穏な日々があれほど心苦しかったことはない。
「普通にしていればいいよ」と言ってくれたのはRだったが
音信不通になってからもう随分と歳月が流れた。
大勢の尊い命が失われ未だ行方不明の人が2500人を超す。
どんな姿でもいい帰って来て欲しいとどれほど祈ったことだろう。
まだ終わってなどいないのだ。どれ程の春であっても変わりはしない。

職場に古い友人のるみちゃんが訪ねて来てくれた。
先日新車を購入してくれてその支払いに来てくれたのだった。
電話では時々話すことはあったが会うのは14年ぶりである。
共に汗を流したバドミントン仲間であり何とも懐かしくてならない。
るみちゃんは私よりずっと若いがそれなりに年を重ねていた。
70歳が近くなった私はどんな風に見えたのだろうか。
亡き母にそっくりになったねと言ってくれたのが意外だった。
それもそのはずるみちゃんは70歳頃の母しか知らなかったのだ。
仕事が忙しくつかの間の再会であったが「また会おうね」と
るみちゃんは車の窓から手を振って帰って行った。
嬉しいような切ないようなもしかしたらもう会えないのかもしれない。
また歳月に押し流されてしまうだろう。そうして私は老いて行く。
やがて最後の春を迎えれば桜が散るように逝かなければならない。
けれどもそんな儚さに挫けていてはいけないのだろう。
負けない程の勇気はないが立ち向かうことは出来るかもしれない。
一歩一歩踏みしめるように与えられた道を進むことは出来るだろう。
終らない人生など在りはしない。けれども精一杯に生きることは出来る。
晴れのち曇り。陽射しの無い午後は少し肌寒く感じる。
お天気は下り坂で明日、明後日と雨が降るようだ。
催花雨になるかもしれないが桜はまだ蕾も見えていない。
朝の道を行けば山肌からこぼれるような白い花が見えた。
「馬酔木」に違いない。早春に花を咲かすツツジ科の低木である。
葉には毒があり馬が食べると酔ったようにふらつくのだそうだ。
綺麗な花には毒があると云うが鈴なりの花は何とも可憐である。
私も馬だろうか、今朝は少し鼻息が荒くなっていた。
仕事の事で頭が一杯になっており気負い過ぎていたのだろう。
義父は機嫌よく田んぼの草刈りに出掛けて行ったが
あまりの忙しさに胃がきりきりと痛んでいた。
工場の仕事の段取りもしなければならず同僚だけが頼りである。
月曜日から飛ばし過ぎてはいけないとお昼休憩をしようとしたら
義父が帰って来てすったもんだが始まった。
田んぼの事だけ考えていれば良いのに工場の仕事も気になるのだろう。
二足の草鞋を履くと誰しもそうなるのに違いない。
わあわあととにかく五月蠅い。耳を塞ぎたくなった。
空腹でもあったのだろう。昼食を終えるとまた直ぐに出掛けて行く。
「やれやれ」である。けれども休憩は出来ずもう一時になっていた。
義父の留守を良いことに2時過ぎに帰路に就く。
取引先の中古部品屋さんに寄らなければならなかった。
また息子の職場の目と鼻の先である。
ずっと音沙汰の無い息子も気掛かりであるが
便りのないのは元気な証拠なのだろう。
今夜は夜勤かもしれないと想像するばかりの母であった。
4時前に帰宅。夫と大相撲中継を観る。
途中からいつの間にか寝入っていたようだ。
5時になり夫は大相撲を観たくてたまらない様子だったが
私の車をダイハツに持って行ってくれた。
今日からまた一週間の入院である。
何でも整備士が大喜びするような不具合なのだそうだ。
何としても原因を追究しようとする整備士魂を感じる。
きっと完璧に直って帰って来るだろう。楽しみなことだった。
娘が牡蠣フライ、海老フライ、新玉葱のリングフライをあげてくれる。
揚げ物が得意な娘に再就職先はお惣菜屋さんだと言って笑い合った。
帰宅した夫が代車が凄いぞと興奮気味である。
新車なので私は運転に自信がなく夫としばらく交換することにした。
明日からは夫の車で出勤である。煙草は絶対に吸ってはならない。
目まぐるしい職場から帰ると何と穏やかな我が家なのだろう。
まるで天国と地獄のように思うが地獄を怖れてはならない。
必要とされることほど有難いことはないのだと思う。
そんな地獄にも桜の花が咲く季節がきっとやって来るだろう。
| 2025年03月09日(日) |
待てば海路の日和あり |
朝は少し冷え込んだが日中は穏やかな晴天となる。
気温も15℃まで上がりすっかり春の陽気であった。
昨年暮れにお向かいの奥さんから頂いた葉牡丹の寄せ植えが
ぐんぐんと育ちもう少しで花が咲きそうである。
ろくに水遣りもせずにいたのに何と健気なことだろう。
今朝は労うようにたっぷりと水を与えた。
そろそろ土筆の坊やが顔を出しているかもしれない。
かつての散歩道だった土手の風景を目に浮かべる。
あの頃は随分と歩いたものだ。思い出すと切ないものである。
医師からは手術をしない限り完治は在り得ないと云われているが
リハビリの効果だろうか最近は杖に頼らずに歩けるようになった。
しかしほんの数十メートルが限界で土手まではとても無理である。
緑のよもぎ。可愛らしいたんぽぽ。土筆の坊やにも会えはしないだろう。
ほんの3年前には出来ていたことがもう出来なくなってしまった。

今朝は朝刊を開いていた夫が「おい、出ているぞ」と教えてくれた。
これでもかこれでもかと投稿し続けていた短歌がやっと入選していた。
諦めることは容易いがまるで執念のような投稿であった。
これまでどれ程踏みにじられて来たことだろう。
やっと光が射し込んだようで救われたような気分になる。
もしかしたらお情けだったかもしれないが素直に嬉しさが込み上げて来た。
どれ程の荒波でも船を漕ぎ出して行くべきなのだろう。
まさに「待てば海路の日和あり」である。
昼食を食べ終わるなりまた炬燵に潜り込み寝ていた。
浅い眠りだったらしく一時間程で目覚める。
夫が大相撲の春場所を観ておりしばし一緒に観戦していた。
幕下の取り組みも興味深くけっこう見応えがある。
今日から2週間であるが夫の楽しみが出来て良かった。
夕食も大相撲を観ながらで大の里は勝ったが豊昇龍は負けて残念である。
新横綱としての威厳も在り本人もどんなにか悔しかったことだろう。
気負い過ぎたのかもしれんなと夫も嘆いていた。
私は豊昇龍が何だか可哀想でならない。
話しは前後するが三時頃、あやちゃんの同級生達が訪ねて来てくれた。
夫が対応してくれたがあやちゃんは部屋に閉じ籠って出て来ない。
会いたくないのだそうだ。きっと複雑な心境なのだろう。
照れ臭いのかもしれないが会わないことを決めたようだ。
中学生になれば今以上に距離が広がることだろう。
もう丸2年も学校に行っていないのに誰も忘れてはいない。
それがどれ程有難いことなのかあやちゃん自身も分かっているのだと思う。
けれどもおとなが考える以上にその「殻」は強固なのかもしれなかった。
「ねえねえ、今夜は何?」階下へ降りて来たあゆあちゃんは
いつになく朗らかで明るい笑顔を見せてくれたのだった。
午前中は雨、気温は10℃に届かず肌寒い一日だった。
そうして一雨ごとに春らしくなって行くのだろう。
明日は穏やかな晴天とのこと。ほっこりと楽しみでならない。
ダル重の朝。背中に針金が刺さっているように痛む。
肩凝りも酷くとても元気とは云えなかった。
それがカーブスへ行って筋トレをしたら一気に楽になる。
普段はそれ程効いているとは思えなかったが今日はてき面であった。
身体はぽかぽかと温まり心地よく汗を流す。
週に一度しか出来ないがこれからも続けなくてはと思った。
帰宅するなりダイハツから電話があり修理が長引くとのこと。
ラジオは聴こえるようになったがパワーウインドウがまた作動しない。
配線がショートしている可能性があり詳しく調べたいと云う。
取り合えず車を引き取りに行ったが再度月曜日にまた預けることになった。
一週間ほど掛かりそうだが今日は代車が無いのだそうだ。
またまた灯台下暗しとなるが山里の工場に頼むよりずっと気が楽である。
仕事は休ませてもらっていたが今日も忙しかったようで
義父から3回も着信があり同僚からもある。
何から何まで私に報告しなければいけないようで責任を感じた。
もう雇われの事務員ではないのだ。れっきとした専務なのだろう。
昼食後は炬燵に潜り込みひたすら寝て過ごす。
3時頃に一度目を覚ましたが結局4時まで寝ていた。
今夜は娘達が夕食不要とのことでローソンで買い物を済ます。
食器洗いも少なく随分と楽をさせてもらった。
あやちゃんが珍しく階下へ降りて来てあれこれと話す。
テレビのニュースで大船渡の山火事の様子が流れていて
ほぼ鎮火となり避難していた人達が帰宅する様子であった。
帰っても家が焼けて住む場所を失った人達も居ることを話すと
真顔になりしばらくニュースを見入っていた。
「お家が焼けてしまったらどうする?」と問えば「それは嫌だ」と応える。
親身になる気持ち。気遣う気持ちがあるようだった。
今は自分の事で精一杯だと思うが災害や事故は他人事であってはならない。
成長する過程においてそれはとても大切なことだと思う。
娘達がめいちゃんのダンス教室へ出掛けて行った。
「行ってらっしゃい、早く帰って来てね」あやちゃんは大きな声で見送る。
寂しくてもそうとは言えない健気な12歳の少女であった。
雲一つない晴天。気温はそう高くはなかったが陽射しが暖かい。
来週には春の陽気になるとのこと楽しみなことである。
朝の山道の途中に小さな集落があり道端に良心市を備えている。
毎朝覗くのが日課だが今朝は新鮮な野菜が並んでいた。
春キャベツは150円、ブロッコリーは100円の安さである。
その上に無農薬で身体にも優しく買わずにはいられなかった。
料金入れは小さなマグカップを置いてあり何とも無防備であるが
おそらくこれまで盗難にあったことはないだろう。
良心を問われているのだ。それでこその良心市だと思う。
直ぐ近くには桜の木がありやがてタラの芽の季節がやって来る。
「タラの芽あります」の看板が立つのが待ち遠しくてならない。

今朝も義父の機嫌が良かった。笑顔で「おはよう」を交す。
今日は快晴なので「種籾」を天日干しにするのだそうだ。
鉄工所のKちゃんが暇らしく手伝ってくれて義父は大喜びである。
工場の仕事も捗り今日も車検が一台完了した。
おかげで明日は休めそうでほっと肩の荷が下りる。
今週は気疲れもあったが体力的にもかなり疲れているようだ。
血圧はやはり高めで肩凝りと背中の張りが辛い。
来週も忙しくなりそうなのでとにかく休養が必要であった。
今日は仕事中にパソコンが詐欺被害に遭い焦りまくる。
いきなり警告音が鳴り出し「ウィルスに感染しました」と声がするのだ。
「直ぐに電話を」と画面には電話番号が表示されていた。
そこで何となく不信に思いシステムサポートに相談したところ
詐欺なので絶対に電話してはならないと教えてくれる。
対処法はパソコンの電源を強制終了するのが一番なのだそうだ。
おかげで5分もしないうちに解決した。
他人事のように思っていたがまさか会社のパソコンが狙われるとは。
油断できない怖い世の中になったものである。
仕事も一段落していたので2時過ぎに帰路に就いた。
そうしたら不思議なことに今朝は聴こえなかったラジオが聴こえる。
ダイハツに修理を予約してあったのでどうしようかと迷ったが
取り合えず行ってみたら店先でまた聴こえなくなった。
接触不良だと思われるが「これは面白い症状ですね」と言われる。
夫に迎えに来てもらって愛車を預け帰宅した。
月曜日までに直るだろうか。通勤には無くてはならない車である。
帰るなり炬燵に潜り込み至福のひと時であった。
「三匹が斬る」は終り先日から「大岡越前」を放送している。
これも見ていれば面白くまたはまりそうである。
娘が「今夜は何を作るの?」と今日も笑顔であった。
メインは「牛肉とにんにく葉の炒め煮」であったが
あやちゃんが食べないかもと云うのでいささかショックである。
メニューにはいつも頭を悩ませているが今日は花丸とはいかなかった。
どんな日もあるもので思い通りにはいかない。
あれもこれもと考えることが多過ぎるこの頃であった。
怠け者の私でも精一杯の日々が続いている。
曇り日、気温は10℃に留まり寒い一日となる。
明日は朝から晴天となり少し暖かくなりそうだ。
寒の戻りももう少しの辛抱だろう。
あと二週間もすれば春彼岸である。
朝の国道を行けば白木蓮の木に蕾がいっぱい見えていた。
毎年楽しみにしている春を告げる花である。
樹齢は定かではないが随分と昔からある木だった。
そのてっぺんは二階建ての民家の屋根よりも高い。
残念なのは国道沿いなので写真を撮ることが出来ない。
花が咲く期間は短く直ぐに散ってしまうのも切ないものだ。

ここ数日の心労だろうか今朝は血圧が170と高く驚く。
おまけに職場に着くなり胃がしくしくと痛み始めた。
義父の姿が見えるなり緊張で逃げ出したいような気分になる。
とにかく余計な会話をしないことだと言い聞かせていた。
それがどうしたことだろう。「さあやるぞ」と義父の明るい声がした。
車検整備の終わった車が5台もあり次々に検査を始める。
まるで何かを吹っ切ったような義父の姿であった。
訊けばまだ左腕の痛みが治っておらず辛い様子である。
けれども無理をしてでもやるべきことをやろうとしていたのだった。
あの不機嫌はいったい何だったのだろう。まるで狐につままれたようだ。
おかげで仕事は順調に捗どり私も肩の荷が下りた気がする。
胃の痛みも無くなりおそらく血圧も下がっていたのだろう。
終始上機嫌の義父に救われたような一日だった。
車検完了の事務仕事に追われ3時半に帰路に就く。
途中でラジオが突然聴こえ始め嬉しくてならない。
けれどもトンネルでライトを点けたらまた聴こえなくなるのだ。
まるで義父みたいなラジオだなと可笑しくなってしまった。
買い物を済ませ4時半に帰宅。娘の車を見ると何ともほっとする。
夫は生乾きの洗濯物を乾燥機に入れてくれたのだそうだ。
それを自慢気に話すので娘と一緒に笑い転げていた。
「おじいやんはえらいね」とよいしょよいしょしておく。
娘はまだハローワークには行っていないとのこと。
ネットで求人情報は確認しているがまだ迷っている風だった。
実は私も仕事の合間に求人情報を見ておりそれとなく娘に話す。
余計なお世話だと叱られると思っていたが娘が頷いてくれて嬉しかった。
けれどもいくら母親でも老婆心は程々にしなければならない。
私はフルタイムで働くよりもパートの方が助かるが
娘はどちらを選ぶのだろうか。それも口出しは禁物である。
あやちゃんの卒業式も刻々と近づいているが
やはり出席する気はないようで娘も諦めているようだった。
昔は卒業式には中学の制服を着るのが習いだったが
今はどうなのだろう。女の子は袴姿なのだろうか。
あれこれと叶いもしない姿を想像するばかりであった。
何とも侘しいものである。こんなに切ないことはないように思う。
変わること変わらないことの間で人は皆精一杯に生きている。
何が正しくて正しくないのかも誰にも分からないだろう。
日常が繰り返される真っ只中で季節は移り変わっていく。
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