二十四節気の「啓蟄」
春を感じた虫達が土の中から出て来る頃。
いかにも春らしく心がときめくような節気である。
虫に限らずあらゆる生き物が動き出す季節でもあるらしい。
人もそうでなければいけない。私も土を払い除けられるだろうか。
昨日とは打って変わって義父の機嫌がすこぶる悪い。
お昼になっても居室から出て来ないので心配になって電話したら
「何だ?」とその語気の荒いこと。もう何も言えなくなった。
「啓蟄」らしく「いらいら虫」が動き始めていたのだろう。
思うように仕事が出来ないこと。特に田植えの準備のようだった。
他の米農家さんよりも「種蒔き」が随分と遅れているらしい。
友人達が心配してくれるので余計に焦っているようだった。
その上に工場の仕事も順調に捗らず焦りに拍車を掛けている。
とにかく当たり散らすので同僚も私も精神的に辛かった。
けれども一番辛いのは義父だろう。どうすれば救ってやれるのだろう。
気長に見守るしかなくひたすら耐えるしかないように思う。
山あり谷ありであるがいつまでも高い山が聳えている。
ここは体力ではなく精神力である。もっともっと強くなりたいものだ。
整形外科のリハビリのある日で義父に声も掛けずに退社した。
なんだか後ろめたかったが逃げるのが得策である。
ラジオは全く聴こえない。私もいらいら虫に食べられてしまいそうだった。
週末にはまたダイハツである。ラジオの修理を予約してあった。
また灯台下暗しになるが義父はもちろん同僚にも頼むことは出来ない。
リハビリを終え4時半に帰宅。持つべきものは娘であった。
殆ど会話の無い日が続いていたが最近はよくしゃべるようになった。
それだけ娘にも余裕が出来たのだろう。何とも嬉しいことである。
台所に笑い声が響く。夕飯の支度も楽しくてならない。
私の「いらいら虫」は何処に行ってしまったのだろう。
羽根が生えて空を飛んでいるのだろうか。
冷たい雨の一日。時おり激しく降る時間帯もあった。
梅の花が満開になっており震えているように見える。
やがて春の雪のように散っていくことだろう。
菜の花も所々に咲き始めているがまだこれからのようだ。
四万十川の河川敷では毎年「菜の花まつり」が行われている。
それは見事な一面の菜の花でほっこりと心を和ませてくれるのだった。
掛かりつけの病院の直ぐ近くなので通院日に行ってみようと思う。
行動力が無いと嘆くより自ら進んで動くことが肝心だろう。

さて義父のご機嫌は如何なものか。少し緊張気味の朝であった。
右腕の痛みは治まったが左腕がまだ痛むようである。
「なんぼか痛いろう、苛々するね」と先手を打っておく。
その効果があったのか昨日のような苛立ちは全くなかった。
その上に義父の友人が「種籾」の手伝いに来てくれていた。
あまりの雨に作業は中止になったが義父の話し相手になってくれる。
それがよほど嬉しかったのだろう。意気投合し昼食も食べに行く。
ずっとまともに食事を摂れない日が続いていたので
どんなにか美味しかったことか。上機嫌で帰って来た。
お昼過ぎにお客さんからヘルプ要請があり故障車の運搬作業に行ってくれる。
村外なので運転が心配だったがいざ運転席へ座ると何とも頼もしい。
2時間程で帰って来てそれからもずっと上機嫌であった。
昨日は悪夢を見ていたのかもしれない。何と辛かったことか。
穏やかな義父の顔が神様のように見えた。
事務仕事も一段落しており2時半に退社する。
義父の友人が「もう帰るのか」と笑っていた。
私にはちょうど6時間のパート仕事が最適であった。
忙しい時には臨機応変に残業をすることにしている。
4時前には帰宅していたが娘が居てくれるので何と楽なことだろう。
思い起こせばこの9ヶ月間よく頑張ったものである。
娘の再就職が決まればまた忙しくなりそうだが
つかの間でも楽をさせてもらえて有難くてならなかった。
母親と過ごす時間が出来たせいかあやちゃんも一気に明るくなった。
もう12歳であってもやはり母親に甘えたいのだろうと思う。
今日はカレーが食べたいと言ったそうで娘が材料を買って来ていた。
甘えられる方も嬉しいものである。母娘の絆もそうして深まるのだろう。
「あやちゃん出来たよ〜」娘が呼べば「やった〜」と明るい声がした。
外気温20℃の朝。小雨が降っていたがやがて本降りとなる。
雨風ともに強くなりまるで春の嵐のようであった。
関東では気温が急降下し雪が降っていたようである。
昨日との温度差が18℃とは驚くばかりだった。
高知県西部も明日から気温が下がり始め寒の戻りとなりそうだ。
幸い雪の心配は無さそうだが明日は大雨の予報である。
荒れる日もあれば穏やかな日もある。それも春の兆しなのだろう。

心配していた義父は腕の腫れが治まり熱も平熱になっていた。
今日は少し動けそうだと云うので何と安堵したことだろうか。
けれども一気に仕事をさす訳にもいかずはらはらとするばかり。
あれもこれもと気が急いていたのか少し苛立っているようだった。
口調も荒くちょっとしたことで機嫌を損ね雷を落とす。
それが少なからずストレスになったのか胃がしくしくと痛んでいた。
義父の入院からこっち私も同僚もどれ程苦労したことだろうか。
一番辛かったのはもちろん義父だが高慢であってはならない。
労う気持ち思い遣る気持ちが大切なのではないだろうか。
パワハラとも思える言動が多くすっかり気が滅入っていた。
けれどもそれが義父の持って生まれた性分なのだろう。
誰が何と云おうと「社長」でありお山の大将なのである。
今日の苛立ちが尾を引かないように願うばかりであった。
そうして必要以上に無理をさせないことである。
どうかどうかもうこれ以上悪いことが起こりませんように。
お昼休憩も無かったのでぐったりと気疲れして帰路に就いた。
今日はまだ序の口である。明日はもっと忙しくなるだろう。
三人で力を合わせて荒海を乗り越えて行かねばならない。
義父に母の夢を見たことを話したら
「そうか、やっぱ近くにおるがじゃな」と頷いていた。
おそらく母は一部始終を見ているのだろう。
そうして少しでも良い方向に向かうように仕向けてくれている。
「ありがとうね母さん、明日も一緒に頑張ろうね」
曇り空であったが気温は今日も20℃を超え汗ばむ程の陽気となった。
三寒四温とはよく云ったもので火曜日辺りにはまた寒波のようだ。
寒さにはすっかり慣れてしまっているがきっと戸惑うことだろう。
太っているせいか汗がハンパない。今日も夫に異常だと云われる。
衣類の調整はしているがさすがに半袖にはなれなかった。
じっとしていても汗が流れる。少し動けば大汗である。
この有り様ではこの夏の猛暑には参ってしまうことだろう。
「多汗症」と云う病気があるらしいがただの「汗っかき」だと思いたい。
もうこれ以上の病名など勘弁して欲しいものである。

暖かさに誘われたのか夫が「一風」に連れて行ってくれた。
僅か20分程のドライブであったが嬉しくてならない。
今日も「チャーシュー麺と炒飯のセット」であった。
食べながら何と幸せなのだろうと思う。
仕事がずっと忙しかったのでまるでご褒美のようだった。
夫も労ってくれたのだろう。その優しさに感謝である。
食べ終わってから山里の義父の様子を見に行こうかと思ったが
例の女性が来ているかもしれないとそのまま帰路に就いた。
明日には会えるのだ。どうか少しでも恢復していることを願うばかりである。
帰宅するなり眠気に襲われ倒れ込むように寝ていた。
久しぶりに母の夢を見る。まるで生きているようであった。
一緒に仕事をしているのだが邪魔ばかりして手に負えない。
母は母なりに仕事をこなそうと頑張っていたのだろう。
さすがに「もう一度死ね」とは云えなかったが
喫茶店へ行くようにと告げ母を追い出していた。
「コーヒー代はあるけん」その母の声の何とリアルだったことだろう。
お金の心配をしていたのに違いない。母らしいなと思った。
はっと目覚めると寝汗をいっぱいかいていた。
うなされていなかったかと夫に訊くと鼾が凄かったぞと笑うばかりである。
母に会えたのだ。死んだとは思えないほど確かに母であった。
3時を過ぎており「おでん」を煮込み始める。
無性に食べたくてならなかったのだがもう季節外れかもしれない。
台所の窓を開け放し風に吹かれながらおでんを煮た。
夕食後、夫は義妹宅に招かれ浮き浮きした様子で出掛ける。
娘夫婦とめいちゃんも後を追うように出掛けて行く。
私とあやちゃんはお留守番だが「二人きり」も良いものだなと思う。
相変わらず会話は無かったが気配を感じるのが嬉しい。
鉛筆を削る音。学校へ行かなくてもしっかり勉強をしている。
もう直ぐ中学生だが少しも迷いはないように思えた。
未来はきっとあるだろう。全力で見守るのが家族の務めである。
三月の声を聞くなり最高気温が20℃を超え四月並みの暖かさとなった。
暖かいのは嬉しいが異常だと思えば不気味なものである。
これで寒の戻りがあればどんなにか戸惑うことだろう。
職場の紅梅が一気に花盛りになった。
まるで三月になるのを待ちわびていたようだ。
生前の母が愛でいたことを思い出し少し切なさを感じる。
重機で整地をした時に義父が残しておいてくれたおかげだった。
お隣は随分と前に老夫婦が亡くなり今は空家になっている。
数日前からチェーンソーの音がしており庭の大きな木を伐採していた。
嫁いでいる娘さんも管理が出来なくなったようである。
それはそれで仕方ないことだが今日は家の前を通りはっと驚く。
何と毎年綺麗な花を咲かせていた桜の木まで伐採されていたのだ。
おそらく娘さんが幼い頃からあった木ではないだろうか。
それを惜しげもなく伐る。いったいどれほどの覚悟なのかと思う。
切り株の何と無残なことだろう。思わず涙が出そうになった。
これから蕾を付けて二十日もすれば花が咲いたのに違いない。
なんだか殺められたように思った。もう二度と咲けはしないのだ。

義父は昨日よりも少し楽になっているようだったが昨夜も発熱である。
幸い高熱ではなかったが三日目となるとさすがに辛そうであった。
食欲もなく何かを口にする気力もないように見えた。
患部を冷やすことしか手立てはなくアイスノンで冷やし続ける。
せめて例の女性が看病してくれたらと思うが今日は姿が見えなかった。
私は二階に上がるのがやっとで何もしてやれない。
心苦しくてならないが義父は「大丈夫やけん」と言ってくれる。
後ろ髪を引かれるような思いであったが2時半に退社した。
一刻も早く患部の腫れが治まることを願うばかりであった。
点滴の液漏れさえなければこんなことにはならなかったのだ。
あまりにも無責任ではないかと思い病院への不信感がつのる。
それにしても悪いことばかりどうして続くのだろう。
もしかしたら母が寂しがっているのではないかと思った。
供養も疎かにしており遺骨の埋葬も出来ずにいる。
けれども義父も私も精一杯の日々であった。
母ならばきっと理解してくれるはずだと信じたい。
義父を救ってはくれまいか。朝に晩に母の遺影に手を合わせている。
それが私に出来る唯一の供養であった。
気温はそう低くはなかったが少し冷たい雨となった。
催花雨にはまだ早いかもしれないが植物にとっては恵みの雨である。
一雨ごとにと思う。きっと春を呼び寄せてくれることだろう。
郵便配達員さんが工場にバイクを乗り入れ雨合羽を着込んでいた。
春雨にしては冷たく濡れたら風邪を引いてしまいそうである。
雨の日も雪の日も郵便物を届けてくれて頭が下がる思いであった。
職場に着くなり2階の義父の様子を見に行く。
昨夜も高熱が出ていたそうでぐったりと寝ている。
両腕が炎症を起こしているのは確かでそのせいかもしれないが
二日も熱が続くのは尋常には思えなかった。
例の女性が受付の段取りをしてくれており県立病院へ向かった。
義父の友人が運転を申し出てくれたが自分で行くと云って聞かない。
足元はふらついており何と危なっかしいことだろう。
体力はすっかり無くなっており気力だけが頼りに思えた。
お昼には帰って来たが治療の策も無かったようだ。
処方は腕に塗る薬だけでまるで子供だましのようである。
どうして熱の原因を究明してくれないのだろうか。
せめて抗生剤でも処方してくれたら楽になるように思えた。
けれどもそれも素人考えなのだろう。医師の判断に任せるしかない。
月末の資金繰りはぎりぎりセーフとなりほっと安堵する。
取引先への送金を済ませると資金はまたゼロとなってしまった。
同僚のお給料が支払えずひたすら大口の入金を待つばかりである。
例の大型車のお客さんが来てくれるまでは気が気ではなかった。
必ず来てくれると約束していたので信じて待っていた。
お昼前に大金を持って来てくれた時には神様だとしか思えない。
どれほど助かったことだろう。なんだか涙が出そうになった。
退社前にまた義父の様子を見に行く。
熱は下がっているようで顔色も随分と良くなっていた。
工場の仕事が気になるのだろう。あれこれと心配していたが
何とかなっていることを伝えるとほっとした様子である。
明日は同僚が午前中通院のため私が出社することにした。
カーブスどころではない。仕事を優先するべきだと思う。
そうして精一杯でいよう。何としても会社を守らなければいけない。
帰宅するなりカレンダーを三月にした。
もう二月は逃げ去ったのだと思う。追ってなど行く必要もない。
年明けから災難続きであったが希望を持って歩み出したいものだ。
春の足音が近づいている。終わらない冬などありはしない。
最高気温が18℃と3月中旬並みの暖かさとなった。
宿毛市の「楠山公園」では梅の花が見頃とのこと。
娘や孫達と出掛けたのはもう6年も前のことである。
今では一緒に出掛けることは全くなくなって懐かしい思い出となった。
今朝は夫とその話をしていて「もう無理だな」と云われた。
駐車場から梅園まで歩かなければならず私の足を気遣ってくれたのだろう。
「一度行ったからもういいよ」私はもうすっかり諦めている。
その上に老いも重なり出来ないことが増えるばかりのこの頃であった。
新鮮なものが遠ざかっていく。意欲も行動力も既に無きに等しい。
そのくせ「あたらしくなりたい」と願うのは大きな矛盾であった。
梅の花が匂う。私の心には梅園があるらしい。

今朝は義父が体調不良。昨夜はやはり発熱していたそうだ。
風邪の症状はなくおそらく過度の疲労ではないかと思われる。
退院が早過ぎたのだろう。もうしばらく安静が必要だったのに違いない。
例の女性が夕方まで居てくれたそうでどれ程心強かったことか。
今日も来てくれるかもしれないと待っていたが姿が見えなかった。
午前中に整形外科に向かった。医師に相談に行ったのだが
両腕の腫れも発熱も専門外で成す術もなく帰って来る。
その後は居室でずっと寝ていたようだった。
気掛かりであったが声も掛けずに退社する。
後ろ髪を引かれるような複雑な気分であった。
工場は怒涛の忙しさであったが義父に無理をさせてはいけない。
同僚も一生懸命やってくれており有難くてならなかった。
明日は明日の風が吹くだろう。どうか穏やかな風であって欲しい。
4時に帰宅したら思いがけずに娘の車があった。
訊けば今日半日でもう退職になったのだそうだ。
本来なら明日までであったがする仕事がもうないらしい。
どんなにか居心地が悪かったことだろう。
逃げるように帰って来る姿が目に浮かび可哀想でならない。
わずか9ヶ月の間であったが慣れない仕事をよく頑張ったと思う。
「ご苦労さんやったね」と声を掛ければ「まあね」と微笑んでいた。
来月からまたハローワークだがしばらくはゆっくりと過ごして欲しい。
あやちゃんのこともあり母親が傍に居るのが一番に思えた。
卒業式、中学進学と今が最も大切な時期ではないだろうか。
夫からは決して口を挟むなと強く釘を刺されており
老婆心を抑え込みながらの日々となることだろう。
季節は春に向かっている。全てのことが「春」ならと願って止まない。
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