ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年02月26日(水) ふれあい

朝の寒さが和らぎ日中も春を思わすような陽気となった。

東京では4月並みの暖かさだっそうでおどろく。

高知県も明日は今日よりも気温が上がるのだそうだ。

暖かいのは嬉しいがもう少しゆっくりの方が好ましい。

長期予報では夏の訪れが早く今年も厳しい猛暑になりそうである。

後から後から押し寄せるように季節が巡って来るのだろう。



義父が心配でならない朝だった。倒れてはいないかと思う。

朝刊はポストにそのままであったが事務所のエアコンが効いていた。

居室から物音も聞こえておりほっと胸を撫で下ろす。


9時にはもう仕事を始めていたが両腕が上がらないとのこと。

入院中の点滴ミスだろうか両腕が膨れ上がっていた。

安静にするように伝えたが大丈夫だと云って聞かない。

また新規の大型車が入庫しており下回りの洗車を始める。

洗車機のノズルを持つ手が痛ましくてならない。

一時間程で洗い終えたがどんなにか辛かったことだろう。

寒気がすると云い出し身体が小刻みに震えているのである。

しかし発熱は無かったのでしばらく様子を見ることにした。


お昼に例の女性が来てくれたが私との会話を避けるように

問答無用の様子で二階の居室へと上がって行った。

あまりの辛さに義父が呼び寄せたのに違いない。

それだけ頼りにしているのだろう決して嫌な気分ではなかった。

しばらくすると掃除機を掛けている音が聞こえ始める。

身の回りのことをしてくれるのは有難いことだと思った。

私では何も出来ないのだ。義父もそれは承知のことだった。


2時を過ぎても女性は二階から下りて来なかったので

義父に声を掛けずに退社しリハビリに向かった。

整形外科の医師が昨夜義父に電話を掛けてくれたのだそうだ。

入院と聞き心配してくれたのだろう。有難いことである。

私の場合もそうだったがとても親身になってくれる医師だった。


リハビリでは腰から背中に掛けて重点的に施術してくれた。

療法士のU君に訊けば股関節の痛みを庇っているのだそうだ。

腰や背中の筋肉のおかげで歩くことが出来るのだと云う。

施術が終わると嘘のように楽になりU君が神様のように思えた。


4時半に帰宅。今日も炬燵どころではない。

夫に今日の報告をすると「そうか、そうか」と頷いてくれた。

義父と例の女性のことはそっと見守るのが最善だろう。

「老いらくの恋」とはどうしても思えなかった。

独りぼっちで生きて行くことは並大抵のことではない。

夜になれば尚更のこと寂しさに圧し潰されそうになるだろう。

心がふれあう人の存在は掛け替えのないことに思える。


昨日退院する時の荷物に「カエルのマスコット」があった。

「早く帰れますように」と彼女が持って来てくれたのだそうだ。



2025年02月25日(火) 奇跡のようなこと

氷点下の朝だったが日中は随分と暖かくなった。

しかしこのまま一気に春とはいかないだろう。

寒の戻りは必ずあり三寒四温を繰り返すはずである。

桜の季節になっても「花冷え」があり戸惑うことも多い。


山里は昨日の雪を山影に残し一面の霜の朝であった。

県道沿いの桃の花はまだ咲かず蕾さえ見えていない。

ラッパ水仙も同じくまだまだこれからのようだ。


9時を過ぎるなり支払いのお客さんが二人も来てくれて有難いこと。

これで月末の資金も何とか整いそうである。


同じ頃義父から電話があり退院の許可が下りたとのこと。

医師からも電話があり病状の説明もあった。

下血も治まっており貧血も改善していて後は自宅療養となる。

義父は子供のように喜んでおり一刻も早く帰りたがっていた。


午前中は仕事の段取りで忙しく迎えには行けない。

何度も催促の電話があり午後一番に病院へ向かった。

例の女性の姿がなかったのは入院費の支払いがあったからだろう。

頼るべきは私であるのが見え見えであった。

義父の車は置いて帰るつもりだったが乗って帰ると云う。

足元がふらついていたので心配だったが運転を任せた。


工場へ帰り着くなり直ぐに車検場へ向かう。

倒れるのでないかと気が気ではなかったがもう検査を始めていた。

内心はどんなにか辛かったことだろうに一切の弱音を吐かない。

おかげで例の大型車の車検が完了しまるで奇跡のようであった。

随分と長いこと待たせたにも関わらずお客さんは上機嫌で

明日早速に支払いに来てくれるのだそうだ。それも奇跡のようなこと。

なんだか一気に泥沼から這い出たような気分になる。


その後義父は「種籾」の準備をすると言い張っていたが

さすがにそんな無理をさせるわけにはいかなかった。

少しでも横になるようにと言い聞かせ職場を後にする。


もう4時半であった。買い物をする時間もなく夕食は「ほか弁」である。

昨日からラジオの調子が悪く全く聴こえずそれがストレスであった。

忙しい同僚の手を借りずわけにはいかずまたダイハツへ頼もうと思う。

車検の予約はもう3月の半ばまで埋まっており私の車どころではない。


事態は一気に好転したが油断は禁物だろう。

有頂天にならずとにかく慎重に日々を送らなければならない。

誰一人欠けてはならない職場である。

今回の義父の入院でどれほどそれを思い知ったことだろうか。


私も元気でいなければならない。死などもっての外である。



2025年02月24日(月) 名残り雪

今朝は予報通りの積雪であった。5センチ程だったろうか。

昨夜は雪の気配が全く無かったのでおどろく。

辺り一面が雪化粧をしており庭の桜草もすっぽりと雪に埋もれていた。

めいちゃんは大喜びで早速雪だるまを作り始める。

歓声を上げているので近所のお友達かなと思ったら娘だった。

何とも微笑ましく寒さを忘れてしまうような光景である。


晴れの予報で朝陽が射し始めると川向の山がきらきらと輝く。

雪の日ならではの景色で写真を撮らずにいられなかったが

SNSで確認するとぼやけていて投稿は諦め残念であった。

やはりガラケーの写真では限界があるようである。


10時にもなれば雪はすっかり融けてしまい山はもう緑であった。

道路の雪も融けておりサニーマートに買い物に出掛ける。

駐車場に小さな雪山が残っており少年達が楽しそうに遊んでいた。

大雪に難儀している地域の事を思うと心苦しいが

南国四万十の雪は歓喜にも等しい。




義父から電話があり玉子焼きが食べたいと云う。

作って持って行くことは可能だがやはり例の女性の顔が目に浮かんだ。

嫌味ではないつもりだが「頼めば良いのに」と告げてしまう。

もし持って行っても鉢合わせになるのはとても嫌である。

義父の声は弱々しかったがここは心を鬼にするべきだと思った。


医師の回診があり早ければ明日退院出来るかもしれないとのこと。

しかしここ数日の入院で足腰が酷く弱っているようだった。

昨日は歩けたと喜んでいたのでなんだか寝耳に水のような話である。

そんな状態で退院しても本当に大丈夫なのかと心配でならない。


お客さんからも電話がありとても困っているのだそうだ。

例の大型車の整備は完了しているが検査待ちの状態であった。

限界となれば他の検査場に依頼するしかないだろう。

義父はなるべくならそれを避けたい口ぶりである。

元来人に頼るのを嫌がる性格であるが今回は仕方ないと思う。

林業のお客さんは現場の材木がいっぱいになり本当に困っている。

よくこれまで待ってくれたと頭が下がる思いであった。

とにかく現状を「突破」しなくてはならない。

そのためには踏み出す努力を惜しんではいけないのだろう。


仕事の事で頭がいっぱいだったがこの三連休は十分に休養出来た。

明日から月末に掛けてはまるで戦のような日々となるだろう。

いったい何処まで試されるのか分からないが闘わなければならない。


寒気は一気に緩み明日からは春らしくなるのだそうだ。

種を蒔こう。きっと芽が出て花が咲きますように。




2025年02月23日(日) 圧力

連日の冬晴れ。気温は低目だったがさほど寒さを感じなかった。

冬の陽射しの何とありがたいことだろうか。

強い寒波到来で今夜から明日の明け方にかけて雪が降るらしい。

けれども雪風は吹いておらず信じ難い空模様である。



今朝は圧力鍋で猪肉を煮た。山里のお客さんから頂いていたのだが

平日には煮ることが出来ず今日になってしまった。

皮が厚く身もぷりぷりしていて切るのに一苦労する。

お醤油、お酒、味噌、砂糖で味付けは完璧だったが

うっかり煮過ぎてしまって大失敗となってしまう。

圧力鍋だと15分で出来るのを30分も煮てしまったのだ。

夫が味見をしてくれたのだが一番美味しい皮の部分は煮溶けており

肉は柔らかさを通り越してぼろぼろになっていた。

残念でならなかったが食べられないことはないと夫が宥めてくれた。

圧力鍋は便利だが調理時間を間違うと大変なことになる。

山里には猟師さんが多いが猪肉は高価なのでそうそう頂けないだろう。

もったいないことをしたが「失敗は成功の基」と思うことにした。




お昼に巨大なお好み焼きを食べてからまた長いお昼寝であった。

桜の花がいっぱい咲いている夢を見た。もうすっかり春である。

例年なら三月中旬のことあとひと月もすれば桜の季節がやって来るだろう。


今日も目覚めたら四時である。そんな怠惰も愉快でならない。

不思議なことにお腹が減ってぐうぐうと鳴っていた。

寝ていても胃は活発に動いている証拠なのだろう。

夫が「だから太るんだぞ」と呆れ顔で笑っていた。


久しぶりに娘と肩を並べて夕食の支度をする。

夫は失敗作の猪肉でビールを飲み始めていた。

娘婿も好きなので「酒の肴」はもう作らなくても良い。

娘がシチューを作ってくれて何と美味しいことだろう。

私はご飯を入れて二杯も平らげてしまった。

ご飯にシチューを掛けるのではなくシチューにご飯を入れるのがお勧めだ。

ふっと弟の顔が浮かんだ。弟もシチューご飯が大好きだった。

母のいない夕食には二人でよくシチューを作ったことも懐かしい。

料理上手だった母のことなどもう恋しがりもしなかった頃だ。



夕食後、今朝の新聞を切り抜く。

「高新文芸」に久しぶりに短歌が入選していて嬉しかった。

毎週必ず投稿しているが入選確率は低く打ちのめされることが多い。

選者の先生は昔ながらの短歌を好み私の短歌が気に食わないのだろう。

「下手」と云ってしまえばそれまでだがとても厳しかった。

そこで諦めるような私ではなく「これでもか、これでもか」と

まるで挑むように投稿を続けている日々である。


実にもなれず花にもなれないがそれが私の「種」であった。



2025年02月22日(土) 硝子細工

晴れたり曇ったり。強風注意報が出ており冷たい北風が吹く。

午前中空が霞んで見えたのは黄砂だったのだろうか。

春霞には程遠く真冬の寒さとなった。


朝のうちにダイハツへ。パワーウインドウの修理がもう出来たようだ。

やはり義父の診立ては正しくヒューズ交換で治ったらしい。

しかも代金は不要とのことでおどろく。

会社がダイハツ専門店なのでサービスしてくれたのだろう。

本来なら同僚に直してもらうべきだった。

「灯台下暗し」ではないが何とも頭が下がる思いである。


その足でカーブスへ行ったがショッピングモール内で

「雛人形展」をやっており足を止めずにいられない。

ずらりと並んだ雛人形の何と豪華絢爛なことだろう。

心がとても和みほんわりと春の気持ちになった。


カーブスでは今日も汗だくになる。

異常に思われたが真冬の汗はとても心地よい。

脂肪が筋肉に変わっているのなら尚更のことである。




義父から電話がありボールペンが必要だと云う。

とっさに例の女性の顔が浮かび「持って来てもらえば」と告げる。

義父は狼狽えはしなかった。午後からでは遅いのだそうだ。

その後また電話があり病院の売店で買い求めたとのこと。

久しぶりに歩けたのが嬉しかったのか声が弾んでいた。


午後また電話があり病室が相部屋から個室に変わった報せだった。

最初から希望していたのだが空き部屋がなく待っていたらしい。

電話魔の義父のことこれで周りを気にせずに通話が出来るだろう。

それも嬉しかったのか随分と長電話になってしまった。


詳しい容態はまだ分からず医師からの説明も無かったが

三食の食事が摂られるようになったので少しは好転してるのだろう。

連休明けには退院出来るだろうと例の如くで勝手に決めつけている。

それに越したことはないが早過ぎてもいけないように思う。

とにかく容態次第であり安静第一ではないだろうか。



仕事の事は忘れて午後はひたすら寝ていた。

とにかく心身を休めなくてはならない。

「そろそろ起きないか」と夫に声を掛けられたのが四時である。

娘達が夕食不要と言ってくれたので夕食は「ほか弁」にした。

夕陽を仰ぎながら市街地へと向かう。ラジオは浜田省吾だった。

何と幸せなのだろうと思う。まるで夢を見ているようである。


入浴後に寝室で身支度を整えていたら「おばあちゃ〜ん」と呼ぶ声。

最初はめいちゃんの声だと思っていたらあやちゃんだった。

トイレのドアノブが壊れておりトイレに閉じ込められていたのだ。

「早く開けて〜」と叫んでいる。どんなにかパニックになっていたことか。

夜だから良かったが昼間独りの時だったら大変なことになるところだった。

「ありがとう、おやすみ〜」とにっこりの笑顔が嬉しかった。


子供部屋に閉じ籠ってしまうと顔も見られない日が多い。

会話も殆ど無く声を掛ければ機嫌が悪いのが常だった。

なんだか腫れ物に触れるような日々が続いているが

もう硝子細工ではないのだと思いたい。

しっかりとした意思を持ち自分を貫こうとしている。

そんなあやちゃんに「光」を当ててやりたくてならない。









2025年02月21日(金) 二人三脚

雲ひとつない冬晴れ。風が弱かったせいか暖かさを感じる。

強い寒波は明日からのようでまた雪の日がやって来そうだ。

名残り雪となるかもしれないがかつて三月に大雪が降った年もある。

春彼岸までは油断が出来ず春らしさも手放しでは喜べない。

梅の花があちらこちらで咲き始めているが例年より2週間も遅いのだそうだ。

「梅は咲いたが桜はまだかいな」と云うが桜も遅れるかも知れない。



早朝義父からやっと電話があったが泣きそうな声で「帰りたい」と云う。

入院してから医師の説明が全くないそうで戸惑っているようだった。

その上に丸二日一切食事は出来ず水も飲ませてはもらえなかったらしい。

痛み止めの薬が飲めずもう限界を通り越しているようだった。


「帰るから迎えに来てくれ」と云うので逆らう訳にもいかず

一度職場に着いてから県立病院へ向かった。

そうしたらまた電話があり医師が許してはくれないとのこと。

まだ三日目である。それが当然のことだろう。


病棟の詰所まで行ってみたが面会も出来なかった。

午後からなら15分だけ許されるのだそうだ。

仕事もあり諦めて一度職場へと帰って来た。


週末までに車検完了を約束していたお客さんがいて

事情を話し待ってもらおうと思ったのだが絶対に駄目だと言い張る。

「もう他の車検場に頼む」と云うので困り果ててしまった。

仕方なく義父に相談して検査だけしてくれる工場が見つかった。

同僚と段取りをしてんやわんやの大忙しである。


午後、義父に見せなくてはならない大切な書類があり

再度県立病院に向かったが駐車場にまた例の女性の車があった。

面会は家族のみと制限されているはずだがどうやって叶えているのだろう。

詰所で面会届けを記入しなければならず続柄も必須であった。

まさか「妻」ではあるまい。「妹」ならなんとかごまかせるか。

すると正面玄関からその女性が出て来て危うく鉢合わせしそうになる。

手には義父の洗濯物だろうか大きめの袋を提げていた。

私は俯いて顔を背けたのでなんとか顔を合わせずに済んだ。

実のところそれほど拘る事でもあるまいと思う。

義父も独身でありその女性も独身である。誰も咎める筋合いはない。


15分の面会を終えまた職場へとんぼ返りだった。

お客さんが車を引き取りに来てくれて上機嫌で帰って行く。

来週には支払いに来てくれるとのこと大助かりである。

今日は他にも消防車のタイヤ交換もあって何と忙しかったことだろう。

タイヤチェンジャーの調子が悪く思うように作業が出来ない。

仕方なくまた平田町のガソリンスタンドに頼むことになった。

軽トラックにタイヤを積み込み2往復する。

お昼休みも無かったがそれどころではない忙しさだった。

同僚もパニック気味になっており「胃潰瘍になりそうだ」と嘆く。

私は気が張っていたのだろうけっこう元気に活躍した。


午後4時過ぎに退社。遣り切った感がハンパない。

明日は11日の振り替えで休業を決めていたので一気に気楽になる。

とにかくゆっくりと休み来週に備えなければいけない。


山あり谷ありであるがそれを「苦」だと思わないことだ。

何事も何とかなるものだと今日ほど思ったことはない。



2025年02月20日(木) 当たって砕けろ

夜明け前の気温は0℃だったが市街地では氷点下だったようだ。

海が近いせいか毎朝少しだけ気温が高いようである。

山里は気温が低く10時頃まで氷点下が続いていた。

メダカの水槽の氷がいつまで経っても溶けない。

昨日からみい太が行方不明になっており今朝も姿が見えなかった。

この寒空にいったい何処で夜を明かしているのだろう。



ばたばたと仕事。焦りは禁物であるがつい慌ててしまう。

「車検」は出来ないが整備は出来るのが幸いだった。

同僚と相談してとにかく整備を済ませることにする。

義父が退院したら一気に車検を完了させる予定だった。


その義父からは一切連絡がない。携帯の電池切れかもしれず

こちらから電話をするのは躊躇われた。

面会に行くことも考えたがそれも規制があるらしい。

それにまた例の女性と鉢合わせになるのも嫌だった。


昨夜のうちに数人の友人に報せたらしく

心配して電話を掛けて来てくれた人もいた。

けれども容態は全く分からず何も応えることが出来ない。

義父は「直ぐに帰る」と言ったのだ。その言葉を信じるしかない。


事務仕事は一段落しており2時半に退社する。

気分は落ち着かないが考えても仕方ないことだろう。

悪い方へではなく良い方へ考えるべきだった。

明日一日乗り越えれば後は何とかなると思う。

今こそ思い悩んではいけない時だった。


資金繰りはまずまずで今日も3件の振込入金があった。

預金は今のところ潤っているが月末まで持つだろうか。

車検が完了しないと現金収入は皆無に等しい。

そこが腕の見せ所だがこの太腕の何と心細いことだろう。

当たって砕けろである。とにかく月末に向けて進むしかない。


勤続36年目であるがこれまでどれ程の苦難を乗り越えて来たことか。

母が現役だった頃は共に力を合わせて来たが今は単独である。

経営難はまるで谷底のように泥の水で満ちているように思う。


試されているのなら試して頂こうと気が張っているが

その「気」が崩れ落ちてしまうのが怖くてならなかった。


ゴールは見えない。私はいったいいつまで走り続けるのだろうか。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加