ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年02月12日(水) お粗末に

久しぶりに雨の一日となる。
 
日中の気温は6℃に留まり随分と冷たい雨だった。

けれども一雨ごとに春ではないかと思わずにいられない。

「雨水」まであと6日である。雪が雨に変わる頃である。

今日の雨は冷たかったが植物には恵みの雨になったことだろう。


職場の紅梅は咲き始めていたが先日の雪の影響だろうか

蕾は沢山見えているが寒さに戸惑っているようだ。

「頑なに口を閉ざす」沈黙を貫いているようにも見える。




仕事は今日も活気に満ちていた。順調には違いないが

例の大型車は手が付けられず義父も同僚も頭を悩ませている。

おまけに林業を営んでいるお客さんの車が現場で故障してしまい

同僚が駆け付けたが直ぐには直りそうになかった。

傘を差すことも出来なかったのだろうずぶ濡れになって帰って来る。

寒さで震えており何とも気の毒でならない。

直らないと仕事が出来ないとお客さんは困り果てていたが

簡単な修理では済みそうになかった。

入庫となると工場はまた大変なことになり先へ進めなくなるだろう。

明日も明後日も車検の予約が入っており途方に暮れるばかりである。


工場が気になりつつも2時半に退社した。

身勝手なことだが炬燵が恋しくてならない。

その上に身体が怠く眠気もあり早く帰りたくてならなかった。

きっと雨のせいだろう。雨には不思議な魔力のようなものがある。


娘が昨日に引き続き今日も休みとのこと。

今朝はちゃんと伝えてくれて嬉しかった。

水曜日は病院の検査室がお休みなのだそうだ。

毎週ではないようだが詳しくは訊けなかった。


娘が家に居てくれるととてもほっとする。

家事もしてくれておりどれ程助かることだろうか。

炬燵に潜り込み夫と「三匹が斬る」を見ていたが

いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

目覚めればもう5時である。夫の笑い声が聞こえていた。

自分では気づかなかったが鼾をかいていたのだそうだ。

娘が居てくれるだけで緊張感がすっかり薄れていたのだろう。


私はどうやらいつも気が張っているようだった。

あれもこれもしなければとどうしても自分に課してしまう。

決して完璧主義ではないがやってしまわないと落ち着かないのだろう。

けれどもいい加減なところもいっぱいある。

上出来でないところが私らしさかもしれない。

それだけお粗末な人間だと云っても過言ではあるまい。


後どれ程生きられるのか定かではないが

お粗末な一生も良いのかもしれないと思っている。

背伸びをせずに私らしく生きて行きたいものだ。



2025年02月11日(火) 夢に餅

氷点下の朝が続いているが日中は穏やかな晴天となる。

やっと最強寒波が遠ざかったのだろう。

後は本格的な春を待つばかりである。

しかし雪国では落雪や雪崩の被害が出ているようだ。

春の兆しを手放しでは喜べない複雑な心境である。



祝日返上の仕事であったが順調に捗りほっと安堵であった。

来客もあり同僚は出張修理に出掛けてくれる。

お客さんの何と喜んでくれたことだろう。

バッテリーを交換しなければならず困っていたのだそうだ。

一般修理も完了しお客さんが直ぐに支払いに来てくれる。

僅かの金額であるが「ゼロ」の懐には大助かりであった。


義父は先日壊してしまったサービスカーを直してくれる。

自分の過失だからと責任を感じていたらしく一生懸命であった。

昼食も食べないまま3時前まで頑張ってくれた。

皆の協力あってこそのことである。祝日に仕事をするのも良いものだと思う。

まだまだ今週一杯は大忙しだ。どうか順調にと願うばかりである。



3時半にはサニーマートに着いており娘に電話してみた。

何か食べたい物はないか?作りたい物はないか?

「鶏と茄子の南蛮漬け」が食べたいと言ってくれて嬉しかった。

普段は殆ど会話がないのでまるで子供のように思ったのだ。

母親であることを再認識する。確かに私が産んだ娘だった。


帰宅すると娘が洗濯物を畳んでくれており何と助かったことだろう。

おかげですぐさま炬燵に潜り込み夫と「三匹が斬る」を見れた。

今日は「夢に餅」と夫に云えば「またそれか」と笑われてしまう。

亡き姑さんの口癖だったのだ。いつの間に似てしまったのだろう。

他にも美味しい物を食べた時に「馬勝った牛負けた」もある。

姑さんとは折り合いがあまり芳しくなく良い思い出も少なかったが

私は嫁として認められて姑さんを手本にして暮らしていたのだろう。

涙したこともいっぱいあったが姑さんのおかげで今の私があるのだと思う。


夢に搗き立てのお餅が出て来る。それは柔らくてとても美味しい。





2025年02月10日(月) 北風と太陽

朝は氷点下の冷え込みであったが日中はたっぷりの陽射しが降り注ぐ。

けれども風の何と冷たいことだろう。まるで「北風と太陽」であった。

山里は所々に雪を残し田畑は一面の霜である。

気温も平野部よりも低くぶるぶると震えあがるような厳しい寒さだった。

看板猫のみい太は何処で眠っていたのだろう。

義父が目覚めた時には姿が見えなかったそうだ。

朝食係のお客さんの車が見えると走り寄って来たらしい。

猫は寒さに弱いがみい太はとても逞しかった。

家の中では飼ってはやれず可哀想に思う時もあるが

野良猫の思いをすればどれ程恵まれていることだろうか。




工場は怒涛の忙しさである。大型車の車検整備が終わらないうちに

新たな車検や一般整備が舞い込む。私の段取りが悪いのだろう。

代車を貸して帰ってもらったがこのままではとても手に負えない。

私の一存であったが明日の休みを返上することになった。

義父も賛成してくれ同僚も頷いてくれとてもほっとする。

とにかく今週中に引き受けた車検を完了しなければならない。

問題は古い大型車でやっと部品が揃ったところだった。

複雑な修理のため義父の腕が頼りである。

首の痛みも忘れたかのように今日も精を出してくれた。


医師から仕事は控えるように言われているらしい。

そんな忠告を素直に聞くような義父ではなかった。

来週には県立病院を受診するが医師が紹介状を書いてくれているとのこと。

私がリハビリの日に受け取る手筈が整っている。


あれこれと忙しかったが3時に退社させてもらった。

帰り道に平田町のお客さんに車検証を届けに行く。

郵送はなるべくしないように心掛けている。

今朝も山里のお客さんに届けに行ったのだが

義父が書いてくれた地図を頼りにまるで探検気分であった。

それが人里離れたぽつんと一軒家でなんだかわくわくする。

猪や猿が出て来そうな谷深い場所で薄暗い程日当たりが悪い。

なんと午後2時を過ぎないと日が当たらないのだそうだ。

わざわざ来てくれたのかとお客さんは上機嫌であった。

それこそが車検証を届ける意義なのだろうと思う。


買い物を済ませ4時には帰宅していた。

自室で一服してから洗濯物を畳む。

「三匹が斬る」は途中からだったがやはり面白くてならない。

今の俳優さん達で令和番が出来ないものかと思った。

例えばauのCMの桐谷君とかの3人組である。

きっと高視聴率間違いないと思うのだがどうだろう?

高齢者は時代劇に飢えていると云っても過言ではないはずである。


「想像のつばさ」は朝ドラの「花子とアン」だったか

私もよく想像のつばさを広げる時がある。

けれども私の場合は「妄想」が正しいのかもしれない。

決して在り得ないことを如何にもあるかのように想像するのだった。

例えば私の死後にこの日記が書籍化されるとか。

SNSの詩が認められ詩集が発刊されるとか。

そうなれば草葉の陰でどれほど報われるだろうかと思う。


叶わないことほど切ないことはなく儚い夢と消える運命であった。





2025年02月09日(日) 沖の風

雲一つない冬晴れ。昨日までの雪が嘘のようであった。

おそらく最強寒波の峠を越えたのだろう。

このまま春らしくと願うがまだ寒の戻りがありそうである。


今日の風は南風。土地では「沖の風」と呼ばれている。

これも春の兆しに違いなく心地よく風に吹かれていた。



朝のうちに髪を切りに行く。2センチの憂鬱もさっぱりだった。

けれども鏡に映った顔の何とおぞましいことだろう。

今日ほど自分が醜いと思ったことはなかった。

若い頃の面影など何処にもない。もう手遅れだなと思う。

髪は軽くなった。そうして気分も軽くなればそれに越したことはないが。



午後は例の如くでまた炬燵でごろごろと寝るばかり。

もうお休みは要らないと思う。明日が待ち遠しくてならない。

どれほど疲れを感じても仕事が好きなのだろう。

3時過ぎに目覚めれば夫が洗濯物を取り入れてくれていた。

おひさまの匂いがする洗濯物は久しぶりである。


それからしばらく自室に籠り8年前の2月の日記を読んでいた。

母のこと。孫たちのこと。川仕事のことなど懐かしい。

毎朝孫たちを保育園に送り届けるのが日課だったようだ。

二人の写真もあり幼い頃の何と微笑ましいことだろう。


母は入退院を繰り返していた。仕事が身体に堪えていたのだと思う。

楽をさせてやりたいと願う気持ちでいっぱいだったようだ。


孫たちはもう私を頼ることはなくなり母は死んでしまった。

僅か8年とも思うが随分と歳月が流れたことを感じる。

書き残した日々は「記憶」そのものであり私の「宝物」なのだろう。

あと何年この場所で書き続けられるか定かではないが

たとえ消滅する定めであっても書き続けたいと強く思う。



娘達が夕食不要とのこと。夫と牛肉多めの野菜炒めを食べた。

宿毛市内に「天下茶屋」と云う焼き肉店がありそこのメニューである。

お店にはもう何年も行ったことがないが家で手軽に食べられるのが良い。


娘はどうやら「気志團」のコンサートに行っているようだ。

何も話してはくれなかったがあやちゃんが教えてくれた。

若い頃には追っかけをしていて名古屋まで行ったこともあった。

どんなにかテンションが上がっていることだろうか。

もう40代だが一瞬で20代に変わってしまうことが出来る。


何でも話してくれた20代の娘はもういない。

知らないことがどんどん増えて行くばかりであった。



歳月は確かに「記憶」に違いないが「過去」にだって成り得るだろう。

私のように波乱万丈に生きて来た者には「傷」だって残る。

その「傷」が「罪」になり死ぬまで背負っていかなければならない。

それでも生きたいと願う。それが私の「人生」なのに違いない。







2025年02月08日(土) 冬が終われば

昨夜の暴風はやはり雪の兆しだったのだろう。

今朝は3センチ程であったが雪が積もっていた。

幸い日中は降らず積もっていた雪がどんどん融けて行く。

お隣の宿毛市では朝のうちに大雪となり大変だったそうだ。

眼科に行っていた同僚から電話があり前が見えないほど降っていると云う。

次は四万十市内の整形外科だそうで雪の心配をしていた。

青空が見えており陽射しが降り注いでいることを伝える。

同じ高知県西部でも油断できない最強寒波であった。



午前中にカーブスへ行き心地よく汗を流して来た。

異常な程の汗である。けれども代謝が良くなっているとは思えない。

計測日であったが体重計などにどうして載れようか。

お腹周りはおそらく一メートルに達しているだろう。

今日もお仲間さんが声を掛けてくれて足の痛みを気遣ってくれる。

必ず治ると言ってくれたのがとても励みになった。



義父から3回の着信。最初は仕事のことであったが

最後には整形外科の医師から電話があり県立病院へ転院が決まったとのこと。

よほど重症なのだろう。手に負えなくなったようだった。

義父はそれを全く深刻に受け止めてはおらず笑い飛ばしていた。

県立病院なら安心であるが気長に通わなければいけないだろう。

例年通りに農作業が出来るだろうか。それが心配の種になった。

一刻も早く痛みが和らぐことを祈ることしか出来ない。



午後は例の如くで炬燵に潜り込み寝てばかりだった。

とうとう3時過ぎまで寝てしまい何と怠惰なことだろうか。

夫はテレビを見ていたがCMの「リライブ」シャツを欲しがる。

もう長いこと慢性の腰痛に耐え続けている日々であった。

ネットで調べたら8800円もする高価なシャツである。

「めっちゃ高いよ」と伝えるとよほど欲しかったのだろう

「お前は自分の欲しい物をぽいぽい買うくせに」とのたまう。

それを言われたらどうして反論出来ようか。

来月が誕生日なのでプレゼントを兼ねて買うことにした。

それで夫の腰痛が和らげば安い物かもしれない。


贅沢は禁物であるが日々の暮らしは何とか成り立っている。

食費は私のお給料で賄い光熱費などは夫の年金で支払っているが

先月分の光熱費の何と多かったことだろう。

電気料だけでも5万円を超えガス代、灯油代で10万円に達する。

夫の年金だけではとても賄いきれない金額であった。

娘夫婦に相談出来れば良いのだがそれが出来ず頭を悩ましている。

言えば角が立つだろう。夫もそれを心配していた。


いつかは私も職を失う日が来るだろう。

それは義父次第であるが今回の怪我で前途はそうそう明るくはない。

もう高齢の義父である。いつ何があっても不思議ではあるまい。

もしものことがあれば会社存続は不可能であった。


あれこれと考えていると目の前が真っ暗になってしまう。

それは決して「いま」ではないのだと思いたい。


冬が終われば春である。その真っ只中を生きている。





2025年02月07日(金) すっからかん

夕方から強い風が吹き荒れており雪の兆しを感じている。

午前中は思いがけずに晴れて気温も10℃まで上がった。

しかし予報通りに午後から小雪が舞い始める。

今夜も雪の予報なので明日の朝はまた雪景色かもしれない。

なんだかここ数日ですっかり慣れてしまって騒ぎ立てることもなくなった。

最強寒波ももう少しの辛抱である。来週には一気に暖かくなりそうだ。

昨年の夏の猛暑を思うと春は短く直ぐに夏になってしまうかもしれない。

地球温暖化なら今の厳しい寒波はどうしたことだろうか。

戸惑うことが多いが受け止めながら過ごすしかないのだろう。





午前中に義父は整形外科へと向かった。

お昼過ぎに帰って来たがあまり詳しい説明はなかったらしい。

県立病院の医師と連携して治療に当たるものだと思っていたので

なんだか肩透かしをくらったような複雑な気分になった。

当の義父はけろっとしておりそのうち治ると楽観的である。

深刻に考えるよりその方が完治の近道かもしれない。


昼食を食べ終えると作業着に着替え精力的に仕事を始めていた。

大型車の車検整備が完了しており車検場に乗り入れる際に

大きな物音がして何事かと外に飛び出してみると

大型車の後部がサービスカーに接触していた。

バックドアのガラスは飛び散り大きな凹みが出来ている。

首にギブスを巻いているため後部の確認が出来なかったようだ。

へらへらと笑い飛ばす義父。まるで子供の悪戯のようであった。

これが同僚であったらどんなにかお叱りを受けたことだろう。

幸い中古のバックドアが見つかり近いうちに修理をすることになる。

お客さんの車だったら大変なことになるところだった。


金曜日は同僚にお給料を支給する日である。

月給制ではなく週給制の我が社であった。

一度には払えないので分割払いだと云えば聞こえは良いが

それだけ資金繰りに頭を悩ませている証である。

今日も預金残高はほぼゼロ。現金も数千円しかなかった。

しかしそこで嘆くような私ではない。

ここは立て替えておこうと自分の貯金から引き出して来た。

貧乏人であるが年金を少しずつ貯めているのである。

今日はそれが役に立ち「我ながらすごいな」と思った。

近いうちの大口の入金がある予定なのでその時に返してもらうのだ。

そうでなければ私もすっからかんになってしまう。


車検に手間取り書類を書き終えたらもう4時である。

これでこそ金曜日だと心地よい達成感があった。

今夜は娘達が夕食不要とのことで簡略しようと思っていたが

無性に焼き肉が食べたくなり普段は買えないような「黒毛和牛」を買う。

夫の何と嬉しそうな顔。ビールの後に日本酒も飲んでいた。

二人暮らしも良いものだなと思ったが毎日となると寂しいことだろう。


あやちゃんが二階から降りて来る。

一緒に食べないかと誘ったが遅くなっても両親と食べるのだそうだ。

あやちゃんの姿を見て驚いたのは夏の短パンを履いているではないか。

いかにも寒そうで気遣わずにはいられなかった。

「ぜんぜん平気」と笑顔が返って来る。それが若さなのかもしれない。



夜が更けるに従って風が一段と激しくなった。

まるで地震のように窓ガラスががたがたと鳴っている。

ふとあやちゃんが独りきりならどんなにか心細いことだろうと思った。

私達の存在も決して無駄ではないのだろう。

眠る前には必ず「おやすみい」と声を掛けるようにしている。

あやちゃんも大きな声で「おやすみい」と言ってくれるのが嬉しい。







2025年02月06日(木) 白い道

今朝も厳しい寒さだったが雪は降っておらずほっとする。

安心していつも通りに家を出たのだが

昨日とは正反対に伊豆田トンネルを抜けると雪が積もっていた。

真っ白な道である。それはそのまま峠道まで続く。

いくら冬タイヤでも怖くなり緊張しハンドルを握りしめていた。

やっとの思いで峠を越えると山里はまた雪の形跡が全くない。

なんだか今日も狐につままれたような気分だった。


日中の気温は3℃と厳しい寒さであったが

まるで春であるかのように陽射しが降り注ぐ。

紅梅が一輪二輪と咲き始めてやがて満開になることだろう。

終らない冬など在りはしない。春の足音がゆっくりと近づいている。




朝一でタイヤ交換のお客さんが来てくれたが

タイヤチェンジャーの調子が悪く順調にはいかない。

仕方なく平田町のガソリンスタンドまでタイヤを持って行く。

外注となると工賃は右から左となり儲けはゼロである。

損得ばかりが商売ではないのだと自分に言い聞かせていた。

機械類は寒さに弱いのだそうだ。さて修理費はとまた悩みが増える。


義父は二日酔いだったのか昼過ぎまで姿を見せなかった。

特に急ぎの仕事もなかったので休養日でも良かったのだが

何かしていないと落ち着かない様子である。

明日はまた整形外科なのであれこれと考えていたのかもしれない。

気丈な義父だが心細くなる時もあるのだろう。

話したくてならない素振りであったがそれが果てしなく続く。


逃げる訳ではなかったが2時過ぎに退社した。

一刻も早く炬燵に潜り込みたくてならない。

3時半には帰宅出来てそれが叶った。

何と幸せなことだろう。炬燵愛がどんどん大きくなる。


4時からのテレビは「新三匹が斬る」だった。

これもシリーズで33年前の時代劇である。

とにかく役者さんの若いこと。高橋英樹はまだ40代に見えた。

ラストには悪者を斬りまくるのだが思わす「やれ〜」と声が出る。

血は一切流れない。決して残虐ではないところが好ましい。


テレビを見ながらであったが夫とあやちゃんの話をした。

今朝は早起きをしており私に「行ってらっしゃい」と言ってくれたのだ。

その後茶の間に入る姿を見たので気になっていた。

訊けば時々ふらっと茶の間に来て炬燵に潜り込むのだそうだ。

そうしてたわいのない雑談をするらしい。

夫はそれが嬉しいらしくあやちゃんも良き気分転換になっているようだ。

そんなあやちゃんをどうして独りぼっちに出来ようか。

何かが変わるのだとしても娘達との別居は在り得ないと思う。


卒業式も行かなくていい。中学生にならなくてもいい。

にこにこ笑顔で鳩ぽっぽのようにくくっと笑うあやちゃんでいて欲しい。







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