ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年02月09日(日) 沖の風

雲一つない冬晴れ。昨日までの雪が嘘のようであった。

おそらく最強寒波の峠を越えたのだろう。

このまま春らしくと願うがまだ寒の戻りがありそうである。


今日の風は南風。土地では「沖の風」と呼ばれている。

これも春の兆しに違いなく心地よく風に吹かれていた。



朝のうちに髪を切りに行く。2センチの憂鬱もさっぱりだった。

けれども鏡に映った顔の何とおぞましいことだろう。

今日ほど自分が醜いと思ったことはなかった。

若い頃の面影など何処にもない。もう手遅れだなと思う。

髪は軽くなった。そうして気分も軽くなればそれに越したことはないが。



午後は例の如くでまた炬燵でごろごろと寝るばかり。

もうお休みは要らないと思う。明日が待ち遠しくてならない。

どれほど疲れを感じても仕事が好きなのだろう。

3時過ぎに目覚めれば夫が洗濯物を取り入れてくれていた。

おひさまの匂いがする洗濯物は久しぶりである。


それからしばらく自室に籠り8年前の2月の日記を読んでいた。

母のこと。孫たちのこと。川仕事のことなど懐かしい。

毎朝孫たちを保育園に送り届けるのが日課だったようだ。

二人の写真もあり幼い頃の何と微笑ましいことだろう。


母は入退院を繰り返していた。仕事が身体に堪えていたのだと思う。

楽をさせてやりたいと願う気持ちでいっぱいだったようだ。


孫たちはもう私を頼ることはなくなり母は死んでしまった。

僅か8年とも思うが随分と歳月が流れたことを感じる。

書き残した日々は「記憶」そのものであり私の「宝物」なのだろう。

あと何年この場所で書き続けられるか定かではないが

たとえ消滅する定めであっても書き続けたいと強く思う。



娘達が夕食不要とのこと。夫と牛肉多めの野菜炒めを食べた。

宿毛市内に「天下茶屋」と云う焼き肉店がありそこのメニューである。

お店にはもう何年も行ったことがないが家で手軽に食べられるのが良い。


娘はどうやら「気志團」のコンサートに行っているようだ。

何も話してはくれなかったがあやちゃんが教えてくれた。

若い頃には追っかけをしていて名古屋まで行ったこともあった。

どんなにかテンションが上がっていることだろうか。

もう40代だが一瞬で20代に変わってしまうことが出来る。


何でも話してくれた20代の娘はもういない。

知らないことがどんどん増えて行くばかりであった。



歳月は確かに「記憶」に違いないが「過去」にだって成り得るだろう。

私のように波乱万丈に生きて来た者には「傷」だって残る。

その「傷」が「罪」になり死ぬまで背負っていかなければならない。

それでも生きたいと願う。それが私の「人生」なのに違いない。







2025年02月08日(土) 冬が終われば

昨夜の暴風はやはり雪の兆しだったのだろう。

今朝は3センチ程であったが雪が積もっていた。

幸い日中は降らず積もっていた雪がどんどん融けて行く。

お隣の宿毛市では朝のうちに大雪となり大変だったそうだ。

眼科に行っていた同僚から電話があり前が見えないほど降っていると云う。

次は四万十市内の整形外科だそうで雪の心配をしていた。

青空が見えており陽射しが降り注いでいることを伝える。

同じ高知県西部でも油断できない最強寒波であった。



午前中にカーブスへ行き心地よく汗を流して来た。

異常な程の汗である。けれども代謝が良くなっているとは思えない。

計測日であったが体重計などにどうして載れようか。

お腹周りはおそらく一メートルに達しているだろう。

今日もお仲間さんが声を掛けてくれて足の痛みを気遣ってくれる。

必ず治ると言ってくれたのがとても励みになった。



義父から3回の着信。最初は仕事のことであったが

最後には整形外科の医師から電話があり県立病院へ転院が決まったとのこと。

よほど重症なのだろう。手に負えなくなったようだった。

義父はそれを全く深刻に受け止めてはおらず笑い飛ばしていた。

県立病院なら安心であるが気長に通わなければいけないだろう。

例年通りに農作業が出来るだろうか。それが心配の種になった。

一刻も早く痛みが和らぐことを祈ることしか出来ない。



午後は例の如くで炬燵に潜り込み寝てばかりだった。

とうとう3時過ぎまで寝てしまい何と怠惰なことだろうか。

夫はテレビを見ていたがCMの「リライブ」シャツを欲しがる。

もう長いこと慢性の腰痛に耐え続けている日々であった。

ネットで調べたら8800円もする高価なシャツである。

「めっちゃ高いよ」と伝えるとよほど欲しかったのだろう

「お前は自分の欲しい物をぽいぽい買うくせに」とのたまう。

それを言われたらどうして反論出来ようか。

来月が誕生日なのでプレゼントを兼ねて買うことにした。

それで夫の腰痛が和らげば安い物かもしれない。


贅沢は禁物であるが日々の暮らしは何とか成り立っている。

食費は私のお給料で賄い光熱費などは夫の年金で支払っているが

先月分の光熱費の何と多かったことだろう。

電気料だけでも5万円を超えガス代、灯油代で10万円に達する。

夫の年金だけではとても賄いきれない金額であった。

娘夫婦に相談出来れば良いのだがそれが出来ず頭を悩ましている。

言えば角が立つだろう。夫もそれを心配していた。


いつかは私も職を失う日が来るだろう。

それは義父次第であるが今回の怪我で前途はそうそう明るくはない。

もう高齢の義父である。いつ何があっても不思議ではあるまい。

もしものことがあれば会社存続は不可能であった。


あれこれと考えていると目の前が真っ暗になってしまう。

それは決して「いま」ではないのだと思いたい。


冬が終われば春である。その真っ只中を生きている。





2025年02月07日(金) すっからかん

夕方から強い風が吹き荒れており雪の兆しを感じている。

午前中は思いがけずに晴れて気温も10℃まで上がった。

しかし予報通りに午後から小雪が舞い始める。

今夜も雪の予報なので明日の朝はまた雪景色かもしれない。

なんだかここ数日ですっかり慣れてしまって騒ぎ立てることもなくなった。

最強寒波ももう少しの辛抱である。来週には一気に暖かくなりそうだ。

昨年の夏の猛暑を思うと春は短く直ぐに夏になってしまうかもしれない。

地球温暖化なら今の厳しい寒波はどうしたことだろうか。

戸惑うことが多いが受け止めながら過ごすしかないのだろう。





午前中に義父は整形外科へと向かった。

お昼過ぎに帰って来たがあまり詳しい説明はなかったらしい。

県立病院の医師と連携して治療に当たるものだと思っていたので

なんだか肩透かしをくらったような複雑な気分になった。

当の義父はけろっとしておりそのうち治ると楽観的である。

深刻に考えるよりその方が完治の近道かもしれない。


昼食を食べ終えると作業着に着替え精力的に仕事を始めていた。

大型車の車検整備が完了しており車検場に乗り入れる際に

大きな物音がして何事かと外に飛び出してみると

大型車の後部がサービスカーに接触していた。

バックドアのガラスは飛び散り大きな凹みが出来ている。

首にギブスを巻いているため後部の確認が出来なかったようだ。

へらへらと笑い飛ばす義父。まるで子供の悪戯のようであった。

これが同僚であったらどんなにかお叱りを受けたことだろう。

幸い中古のバックドアが見つかり近いうちに修理をすることになる。

お客さんの車だったら大変なことになるところだった。


金曜日は同僚にお給料を支給する日である。

月給制ではなく週給制の我が社であった。

一度には払えないので分割払いだと云えば聞こえは良いが

それだけ資金繰りに頭を悩ませている証である。

今日も預金残高はほぼゼロ。現金も数千円しかなかった。

しかしそこで嘆くような私ではない。

ここは立て替えておこうと自分の貯金から引き出して来た。

貧乏人であるが年金を少しずつ貯めているのである。

今日はそれが役に立ち「我ながらすごいな」と思った。

近いうちの大口の入金がある予定なのでその時に返してもらうのだ。

そうでなければ私もすっからかんになってしまう。


車検に手間取り書類を書き終えたらもう4時である。

これでこそ金曜日だと心地よい達成感があった。

今夜は娘達が夕食不要とのことで簡略しようと思っていたが

無性に焼き肉が食べたくなり普段は買えないような「黒毛和牛」を買う。

夫の何と嬉しそうな顔。ビールの後に日本酒も飲んでいた。

二人暮らしも良いものだなと思ったが毎日となると寂しいことだろう。


あやちゃんが二階から降りて来る。

一緒に食べないかと誘ったが遅くなっても両親と食べるのだそうだ。

あやちゃんの姿を見て驚いたのは夏の短パンを履いているではないか。

いかにも寒そうで気遣わずにはいられなかった。

「ぜんぜん平気」と笑顔が返って来る。それが若さなのかもしれない。



夜が更けるに従って風が一段と激しくなった。

まるで地震のように窓ガラスががたがたと鳴っている。

ふとあやちゃんが独りきりならどんなにか心細いことだろうと思った。

私達の存在も決して無駄ではないのだろう。

眠る前には必ず「おやすみい」と声を掛けるようにしている。

あやちゃんも大きな声で「おやすみい」と言ってくれるのが嬉しい。







2025年02月06日(木) 白い道

今朝も厳しい寒さだったが雪は降っておらずほっとする。

安心していつも通りに家を出たのだが

昨日とは正反対に伊豆田トンネルを抜けると雪が積もっていた。

真っ白な道である。それはそのまま峠道まで続く。

いくら冬タイヤでも怖くなり緊張しハンドルを握りしめていた。

やっとの思いで峠を越えると山里はまた雪の形跡が全くない。

なんだか今日も狐につままれたような気分だった。


日中の気温は3℃と厳しい寒さであったが

まるで春であるかのように陽射しが降り注ぐ。

紅梅が一輪二輪と咲き始めてやがて満開になることだろう。

終らない冬など在りはしない。春の足音がゆっくりと近づいている。




朝一でタイヤ交換のお客さんが来てくれたが

タイヤチェンジャーの調子が悪く順調にはいかない。

仕方なく平田町のガソリンスタンドまでタイヤを持って行く。

外注となると工賃は右から左となり儲けはゼロである。

損得ばかりが商売ではないのだと自分に言い聞かせていた。

機械類は寒さに弱いのだそうだ。さて修理費はとまた悩みが増える。


義父は二日酔いだったのか昼過ぎまで姿を見せなかった。

特に急ぎの仕事もなかったので休養日でも良かったのだが

何かしていないと落ち着かない様子である。

明日はまた整形外科なのであれこれと考えていたのかもしれない。

気丈な義父だが心細くなる時もあるのだろう。

話したくてならない素振りであったがそれが果てしなく続く。


逃げる訳ではなかったが2時過ぎに退社した。

一刻も早く炬燵に潜り込みたくてならない。

3時半には帰宅出来てそれが叶った。

何と幸せなことだろう。炬燵愛がどんどん大きくなる。


4時からのテレビは「新三匹が斬る」だった。

これもシリーズで33年前の時代劇である。

とにかく役者さんの若いこと。高橋英樹はまだ40代に見えた。

ラストには悪者を斬りまくるのだが思わす「やれ〜」と声が出る。

血は一切流れない。決して残虐ではないところが好ましい。


テレビを見ながらであったが夫とあやちゃんの話をした。

今朝は早起きをしており私に「行ってらっしゃい」と言ってくれたのだ。

その後茶の間に入る姿を見たので気になっていた。

訊けば時々ふらっと茶の間に来て炬燵に潜り込むのだそうだ。

そうしてたわいのない雑談をするらしい。

夫はそれが嬉しいらしくあやちゃんも良き気分転換になっているようだ。

そんなあやちゃんをどうして独りぼっちに出来ようか。

何かが変わるのだとしても娘達との別居は在り得ないと思う。


卒業式も行かなくていい。中学生にならなくてもいい。

にこにこ笑顔で鳩ぽっぽのようにくくっと笑うあやちゃんでいて欲しい。








2025年02月05日(水) 雪だるま

雪は昨日の朝よりも積もっていておどろく。

雪国に比べれば些細なことだが戸惑うばかりであった。

冬タイヤが絶対に安全と過信してはならず

道路の様子を見ながらおそるおそる家を出た。

やはり四万十大橋は凍結しており皆のろのろ運転である

橋を渡り終えると坂道と急カーブがあり最も危険であった。

無事に国道まで出ると何とほっとしたことだろうか。

交通量の多い国道は凍結しておらずスムーズに走れた。


伊豆田トンネルを抜けると驚いたことに殆ど雪が積もっていない。

山道も峠道も同じで何だか狐につままれたような気分だった。

山里の民家が見え始めても全く雪が降った形跡がないのである。

同じ高知県西部でもこんなにも違うのかと思わずにいられなかった。


職場に着くなり車に積もっていた雪で雪だるまを作る。

ボンネットの上に載せれば何と微笑ましいことだろう。

何だか子供のように得意顔になっていた。


日中は陽射しがあったが風がとても冷たい。

時おりにわか雪が舞ったが風に飛ばされて行く。

日和雨ならず日和雪なのだ。陽射しを受けてきらきらと輝いていた。



気掛かりだった義父はけっこう元気でほっとする。

昨日の検査の詳細は県立病院から整形外科へネットで送信されるらしく

明後日また整形外科で説明があるのだそうだ。

昨日は首にギブスを巻かれておりそれが暖かいと気に入っている様子。

もっと早い手当てが必要だったのだろう。首を固定するのは大切なことだ。


安静にする気は全くなく今日もよく働いてくれる。

宿毛市まで納車に行ってくれ午後には廃車予定の車を搬送してくれた。

おまけに今夜はまた友人達と飲み会だそうでとても楽しみな様子である。

そうして不調のストレスを解消しているのだろう。


リハビリのある日だったので2時半過ぎに退社したが

帰り道は横殴りの雪となってしまった。

にわか雪のようであったが前が見えないほど降り怖ろしいほどである。

病院へ着くと雪も止み駐車場も空いていてほっとした。


リハビリ前に医師とスマホ越しに面談があったので

義父がお世話になる話をしたのだが「重症だぞ」と言われた。

まだはっきりとは分からないが骨折している可能性があるのだそうだ。

義父にはそれとなく伝えているらしいが私には何も言ってくれなかった。

おそらく心配をかけてはいけないと黙っていたのだろう。

それも検査の結果次第のことで騒ぎ立ててはいけないのではと思う。

とにかく完治までは程遠い。なんとしても耐え抜いて欲しいと願った。


4時半に帰宅したがもう炬燵どころではなかった。

気温はどんどん下がっており早めに台所のヒーターを点ける。

灯油が二日と持たないそうで夫は嘆くばかりであった。

今現在もそうだが娘達の団欒があり消すのは毎晩10時である。

それをどうして咎められようか。何も言えない日々が続くばかりであった。


「いま」を変えようとするのはとても困難に思える。

こうすればいいああすればいいと思うことはあっても叶えられない。

そんなことに拘っていると「幸せ」も逃げて行くような気がする。

けれども受け止めることの何と多いことだろう。



2025年02月04日(火) 心を打つ

夜の雨が雪に変わり夜が明けると一面の銀世界だった。

小雪どころかぼたん雪でどかどかと怖ろしい程に降る。

日中は陽射しがあり雪は直ぐに融けたが夕方からまた降り出してしまった。

四万十市には大雪警報が出ていてどれ程降るのかと不安でならない。


全国的にも雪の地域が多く特に北海道の帯広では豪雪になったようだ。

能登の被災地でも雪が降り続いており気の毒に思う。

耐えることがあまりにも多過ぎるのではないだろうか。


今週いっぱいは最強寒波が続きそうだが今が「底」だと思われる。

ゆっくりと少しずつ春の兆しが感じられることを願ってやまない。





午前中に車検2台が完了。義父が精力的に動いてくれ助かる。

しかし腕の痛みは今朝も酷く無理をさせてしまったようだ。

来客も在り応対もしてくれ午後から県立病院へと向かった。

検査の結果を持参しまた整形外科に行かなければならず大忙しである。

連絡も出来なかったのだろう。気になりながら私も帰路に就いた。

大事に至らなければ良いがおそらく完治までには相当掛かりそうである。

「雨水」になれば田植えの準備もしなければならず

今の状態ではそれどころではないのではと気遣うばかりだった。

義父は決して弱音を吐かず「なんとかなる」と云い通す。

日頃から「諦めたら何もかもお終い」が口癖である。




お昼に少し休めたので昨日届いた詩集を開いてみたが

2編ほど読んで先に進めなくなった。

著者には悪いが少しも心に響かない詩だったのだ。

上手な詩でもそう云うことはある。上手だからこそかもしれない。

それだけの自信が伴わなければ詩集など出せないのだと思う。

言い換えればどんなに稚拙な詩でも心に響く詩があるのだ。

一度読んだら忘れられないような詩である。

残念だがもう二度とその詩集を開くことはないだろう。

著者にお礼の手紙を出すのも控えたいと思っている。

何と無礼なことかと思うが何を伝えれば良いのか分からなかった。


「書くこと」に拘り続けている日々である。

認められたい欲は随分と薄れたが読んで欲しい気持ちはいつまでもある。

身の程知らずであるが誰かの心を打ちたいと願ってやまない。

そうしてその人の心にずっと残り続けるような言葉を綴りたいものだ。



2025年02月03日(月) 俎板の上の鯉

立春。名ばかりの春であるようだが今朝は随分と暖かだった。

晴れたり曇ったりだったが陽射しは優しく降り注ぐ。

午後から一気に風が強くなった。大寒波の兆しだろうか。

数年に一度の最強寒波だそうで気象庁の会見もあったほどである。

不要不急の外出を控えること。仕事はどうしたら良いのだろう。

無理をしてでも出勤する人が多いのではないだろうか。

確かに危険ではあるが恐怖心を煽るような報道に思えてならない。

注意だと受け止めれば用心に用心を重ねることだろう。

こんな時こそ「かかってこいや」である。弱気になってはいけない。




今朝は出勤するなり義父が腕の痛みを訴えていた。

幸い指は動くが痛みが激しく千切れてしまいそうだと云う。

首からの神経が悪さをしているとしか思えず心配でならない。

掛かりつけの整形外科ではなんだか心もとなく

私が通っている整形外科へ行くことになった。

先日医師が義父の首を気遣ってくれていたのだった。

受診を勧めてくれていたので良い機会だと思う。

受付に電話をして相談したら直ぐに来るようにと言ってくれた。

義父はまだ朝食も済ませていなかったが大急ぎで出掛けて行く。


お昼前には連絡がありやはり首の捻挫が原因らしかった。

首から腕に繋がっている神経が骨に当たり痛みが出ているらしい。

詳しく調べるには県立病院へ行きMRI検査が必要とのこと。

紹介状を書いてもらって早速明日検査に行くことになった。

いくら我慢強い義父でも悪化すれば大変なことになるらしい。

修理の仕事どころか農作業も出来なくなるだろう。

義父もすっかり観念しておりまるで俎板の上の鯉である。

心配し過ぎてもいかずとにかく検査の結果を待つことになった。

階段から転倒して丁度今日でひと月である。

どれ程の痛みに耐えて来たことかと思うと憐れでならない。


工場の仕事は同僚のおかげで少しずつ捗っており助かっていた。

ゼロから始めた資金繰りも今日は入金がありほっとする。

何事もなるようになっているのだろう。ようは嘆かないことだ。




帰宅したら見ず知らずの方から詩集が届いていた。

どうして私のような者にと不思議でならない。

昨年まで参加していた同人誌には執筆者の住所が記載されており

おそらくそれを見て送ってくれたのだろう。

これも何かの縁だろうと思い明日には読んでみようと思っている。

同人誌を追放されたからにはもう二度とこんなことはないだろう。

そう思うと貴重な詩集に思えてならなかった。


今の私はSNSだけが頼りである。

やがてネットの海の藻屑のように消えていくだろう。


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