雪は昨日の朝よりも積もっていておどろく。
雪国に比べれば些細なことだが戸惑うばかりであった。
冬タイヤが絶対に安全と過信してはならず
道路の様子を見ながらおそるおそる家を出た。
やはり四万十大橋は凍結しており皆のろのろ運転である
橋を渡り終えると坂道と急カーブがあり最も危険であった。
無事に国道まで出ると何とほっとしたことだろうか。
交通量の多い国道は凍結しておらずスムーズに走れた。
伊豆田トンネルを抜けると驚いたことに殆ど雪が積もっていない。
山道も峠道も同じで何だか狐につままれたような気分だった。
山里の民家が見え始めても全く雪が降った形跡がないのである。
同じ高知県西部でもこんなにも違うのかと思わずにいられなかった。
職場に着くなり車に積もっていた雪で雪だるまを作る。
ボンネットの上に載せれば何と微笑ましいことだろう。
何だか子供のように得意顔になっていた。
日中は陽射しがあったが風がとても冷たい。
時おりにわか雪が舞ったが風に飛ばされて行く。
日和雨ならず日和雪なのだ。陽射しを受けてきらきらと輝いていた。

気掛かりだった義父はけっこう元気でほっとする。
昨日の検査の詳細は県立病院から整形外科へネットで送信されるらしく
明後日また整形外科で説明があるのだそうだ。
昨日は首にギブスを巻かれておりそれが暖かいと気に入っている様子。
もっと早い手当てが必要だったのだろう。首を固定するのは大切なことだ。
安静にする気は全くなく今日もよく働いてくれる。
宿毛市まで納車に行ってくれ午後には廃車予定の車を搬送してくれた。
おまけに今夜はまた友人達と飲み会だそうでとても楽しみな様子である。
そうして不調のストレスを解消しているのだろう。
リハビリのある日だったので2時半過ぎに退社したが
帰り道は横殴りの雪となってしまった。
にわか雪のようであったが前が見えないほど降り怖ろしいほどである。
病院へ着くと雪も止み駐車場も空いていてほっとした。
リハビリ前に医師とスマホ越しに面談があったので
義父がお世話になる話をしたのだが「重症だぞ」と言われた。
まだはっきりとは分からないが骨折している可能性があるのだそうだ。
義父にはそれとなく伝えているらしいが私には何も言ってくれなかった。
おそらく心配をかけてはいけないと黙っていたのだろう。
それも検査の結果次第のことで騒ぎ立ててはいけないのではと思う。
とにかく完治までは程遠い。なんとしても耐え抜いて欲しいと願った。
4時半に帰宅したがもう炬燵どころではなかった。
気温はどんどん下がっており早めに台所のヒーターを点ける。
灯油が二日と持たないそうで夫は嘆くばかりであった。
今現在もそうだが娘達の団欒があり消すのは毎晩10時である。
それをどうして咎められようか。何も言えない日々が続くばかりであった。
「いま」を変えようとするのはとても困難に思える。
こうすればいいああすればいいと思うことはあっても叶えられない。
そんなことに拘っていると「幸せ」も逃げて行くような気がする。
けれども受け止めることの何と多いことだろう。
夜の雨が雪に変わり夜が明けると一面の銀世界だった。
小雪どころかぼたん雪でどかどかと怖ろしい程に降る。
日中は陽射しがあり雪は直ぐに融けたが夕方からまた降り出してしまった。
四万十市には大雪警報が出ていてどれ程降るのかと不安でならない。
全国的にも雪の地域が多く特に北海道の帯広では豪雪になったようだ。
能登の被災地でも雪が降り続いており気の毒に思う。
耐えることがあまりにも多過ぎるのではないだろうか。
今週いっぱいは最強寒波が続きそうだが今が「底」だと思われる。
ゆっくりと少しずつ春の兆しが感じられることを願ってやまない。

午前中に車検2台が完了。義父が精力的に動いてくれ助かる。
しかし腕の痛みは今朝も酷く無理をさせてしまったようだ。
来客も在り応対もしてくれ午後から県立病院へと向かった。
検査の結果を持参しまた整形外科に行かなければならず大忙しである。
連絡も出来なかったのだろう。気になりながら私も帰路に就いた。
大事に至らなければ良いがおそらく完治までには相当掛かりそうである。
「雨水」になれば田植えの準備もしなければならず
今の状態ではそれどころではないのではと気遣うばかりだった。
義父は決して弱音を吐かず「なんとかなる」と云い通す。
日頃から「諦めたら何もかもお終い」が口癖である。

お昼に少し休めたので昨日届いた詩集を開いてみたが
2編ほど読んで先に進めなくなった。
著者には悪いが少しも心に響かない詩だったのだ。
上手な詩でもそう云うことはある。上手だからこそかもしれない。
それだけの自信が伴わなければ詩集など出せないのだと思う。
言い換えればどんなに稚拙な詩でも心に響く詩があるのだ。
一度読んだら忘れられないような詩である。
残念だがもう二度とその詩集を開くことはないだろう。
著者にお礼の手紙を出すのも控えたいと思っている。
何と無礼なことかと思うが何を伝えれば良いのか分からなかった。
「書くこと」に拘り続けている日々である。
認められたい欲は随分と薄れたが読んで欲しい気持ちはいつまでもある。
身の程知らずであるが誰かの心を打ちたいと願ってやまない。
そうしてその人の心にずっと残り続けるような言葉を綴りたいものだ。
立春。名ばかりの春であるようだが今朝は随分と暖かだった。
晴れたり曇ったりだったが陽射しは優しく降り注ぐ。
午後から一気に風が強くなった。大寒波の兆しだろうか。
数年に一度の最強寒波だそうで気象庁の会見もあったほどである。
不要不急の外出を控えること。仕事はどうしたら良いのだろう。
無理をしてでも出勤する人が多いのではないだろうか。
確かに危険ではあるが恐怖心を煽るような報道に思えてならない。
注意だと受け止めれば用心に用心を重ねることだろう。
こんな時こそ「かかってこいや」である。弱気になってはいけない。

今朝は出勤するなり義父が腕の痛みを訴えていた。
幸い指は動くが痛みが激しく千切れてしまいそうだと云う。
首からの神経が悪さをしているとしか思えず心配でならない。
掛かりつけの整形外科ではなんだか心もとなく
私が通っている整形外科へ行くことになった。
先日医師が義父の首を気遣ってくれていたのだった。
受診を勧めてくれていたので良い機会だと思う。
受付に電話をして相談したら直ぐに来るようにと言ってくれた。
義父はまだ朝食も済ませていなかったが大急ぎで出掛けて行く。
お昼前には連絡がありやはり首の捻挫が原因らしかった。
首から腕に繋がっている神経が骨に当たり痛みが出ているらしい。
詳しく調べるには県立病院へ行きMRI検査が必要とのこと。
紹介状を書いてもらって早速明日検査に行くことになった。
いくら我慢強い義父でも悪化すれば大変なことになるらしい。
修理の仕事どころか農作業も出来なくなるだろう。
義父もすっかり観念しておりまるで俎板の上の鯉である。
心配し過ぎてもいかずとにかく検査の結果を待つことになった。
階段から転倒して丁度今日でひと月である。
どれ程の痛みに耐えて来たことかと思うと憐れでならない。
工場の仕事は同僚のおかげで少しずつ捗っており助かっていた。
ゼロから始めた資金繰りも今日は入金がありほっとする。
何事もなるようになっているのだろう。ようは嘆かないことだ。
帰宅したら見ず知らずの方から詩集が届いていた。
どうして私のような者にと不思議でならない。
昨年まで参加していた同人誌には執筆者の住所が記載されており
おそらくそれを見て送ってくれたのだろう。
これも何かの縁だろうと思い明日には読んでみようと思っている。
同人誌を追放されたからにはもう二度とこんなことはないだろう。
そう思うと貴重な詩集に思えてならなかった。
今の私はSNSだけが頼りである。
やがてネットの海の藻屑のように消えていくだろう。
| 2025年02月02日(日) |
何があっても「福はうち」 |
雨上がりの朝。気温は高めで随分と暖かだった。
午後には青空が見え始めすっかり春の陽気となる。
この暖かさも明日までで明後日からは大寒波の予報であった。
都心の大雪を心配していたが今日は降らなかったようだ。
過剰な程の報道になんだか振り回されているような気がする。
ゆったりの朝であった。すっかり怠け癖が付いてしまって
最低限の家事を済ますとまたごろごろと寝てばかり。
買い物には行かねばならず手巻き寿司の具材を買って来ていた。
夫が「昼飯は何だ?」と問うので特に何もないことを伝えると
久しぶりに「一風」へ行こうかと言ってくれ何と思いがけないことか。
もう行くこともないだろうとすっかり諦めていたのだった。
なんだか夢を見ているような気分になり嬉しくてならない。
11時の開店を目指して西へと車を走らす。
「一風」は宿毛市へ入ると直ぐ右手の国道沿いにある。
20分程のプチドライブであったがうきうきと心が弾んでいた。
チャーシュー麺と半炒飯のセットを食べる。
ラーメンのスープも飲み干しお腹がいっぱいになっていた。
夫も満足そうな顔をしておりよけいに嬉しくてならない。
以前のようにもう度々は来られないだろう。
私から誘うことはするまいと思う。夫の気分次第が一番である。
帰宅するなりまた炬燵に潜り込み4時前まで寝ていた。
異常としか思えないが寝れば寝るほど元気になるようだ。
明日からはまた仕事である。お昼休憩もまともに在りはしない。
娘が鶏の唐揚げを揚げてくれ私は手巻き寿司の準備をした。
昨年北海道の友が送ってくれた海苔がまだ残っており助かる。
節分は恵方巻が習いだが手巻き寿司の方が家族には好評であった。
恵方を向くこともせずにひたすら巻いて食べる。
豆撒きは残念ながら出来なかった。
「鬼が来るよ」と云っても孫達はもう無関心である。
娘も同じでなんだか「節分」を忘れているような様子であった。
寂しいものだなと思う。それでも福が舞い込んでくれるだろうか。
平穏無事を祈るばかりの日々であった。
いつ何があってもおかしくない世の中である。
家族の健康はもちろんだが大地震の不安も大きい。
それはある日突然の事で避けられはしないのだ。
どれほど精一杯に生きていても命の保証などあってないに等しい。
だからこそ守らなければいけないが何と心細いことだろう。
「鬼はそと福はうち」と心の中で呟くばかりの夜であった。
| 2025年02月01日(土) |
「おんな」はもう嫌だ |
午後から本格的な雨となり雨音が耳に心地よい。
気温が低ければ大雪になっていたことだろう。
猛烈な寒波が南下しており都心の明日は雪になりそうである。
大都会に雪。どんなにか戸惑うことであろうか。
四万十は明日も雨で水曜日は雪の予報になっている。
積雪は毎年の事で慣れてはいるがやはり不安になってしまう。
どうか降り過ぎないようにと祈るばかりであった。
朝のうちに一時間程寝てカーブスへ行ったが
今日はどうしたことか駐車場が満車状態で停めることが出来ない。
カーブスは市内のショッピングセンター内の一角にあり
第二第三と駐車場があるが何処も満車状態であった。
諦めて帰ろうかと思ったがしばし待機していたらやっと空きスペースが出来る。
他にも待機している車が数台あったがお先に失礼させてもらった。
カーブスは一階にありエスカレーターで降りなければいけない。
そこで一歩踏み出すことが出来なかった。咄嗟に転びそうになってしまう。
決して怖くなどないのに足が云うことを聞いてくれないのだ。
やっとの思いで一階に降りて杖を付きながらカーブスへ辿り着く。
その時点でもう汗が流れておりふうふうと息切れがしていた。
筋トレを始めれば息切れが増し心拍数が異常に高くなる。
コーチに心配をかけてしまったがなんとか一周をまわり終えた。
もう汗びっしょりである。脂肪燃焼とはとても思えない。
それだけ体力が無くなっているのだろう。肥満が身体に堪えているようだ。
昼食後は倒れ込むように寝ていた。何とまた三時間もである。
それだけ時間を無駄にしているのだが情けないとは思わなかった。
週末はとにかく寝ることである。そうして再生されているのだと思う。
寝ている間に不可解な夢を見た。深層心理だとしても納得がいかない。
夢の中の私は「おんな」なのだ。何とおぞましいことだろう。
否定すればするほど同じような夢を何度も見てしまうのだ。
めいちゃんのダンス教室があり娘達は夕食不要とのこと。
このところ毎週のことで随分と助かっている。
夫は好きな物が一品あれば一切文句を言わなかった。
今夜は「こてっちゃん」とても嬉しそうに食べてくれる。
いつかはまた夫婦二人の暮らしが始まるだろうが
今のところ娘達が出て行く気配は感じられない。
娘が「いつまでも居ないから」と言ってからもう何年も過ぎた。
あれは確か洗濯機が壊れた時だった。娘はちゃっかりしている。
我が家は既に乗っ取られており私達が居候になっているようだ。
老いるばかりの二人である。そのうち追い出されてしまうかもしれない。
夫とよくそんな話をする。笑いながらであっても決して愉快な事ではなかった。
明日のことが分らないのだものどうして未来のことが分るだろうか。
一日ごとに寿命は縮まり天に召される日が近づいて来ている。
朝は氷点下の冷え込みだったが日中は随分と暖かくなる。
空は春霞を思わせたがたっぷりの陽射しが降り注いでいた。
朝の山道で6人のお遍路さん。最近では珍しいことである。
皆さんリュックを背負っていたが野宿とは思えなかった。
おそらく近くの民宿から夜明け前に出立したのだろう。
一人一人の横顔に会釈をしながら追い抜いて行く。
お遍路さんの少ない季節で何だか得をしたような気分になった。
声を掛けたり触れ合うことは殆ど無くなってしまったが
旅の無事を祈る気持ちはいつまでも変わらない。

メダカの水槽に氷が張っており山里は一段と冷え込んでいた。
事務所に入ると暖房が効いており義父の心遣いを感じる。
今日はいつも通りに早起きが出来たようだ。
朝のうちに車検が2台完了。書類も整いほっと胸を撫で下ろす。
例の大型車は部品が揃わずしばらく保留することになった。
2月も既に中旬まで予約が入っており忙しくなりそうだ。
経理はまるで決戦日である。全ての支払いを済ませると
算用していた通り預金残高が底を尽く。
手持ちの現金で同僚のお給料を準備するとこれも底を尽いてしまった。
思わず「すっからかんじゃ」と声が出るほど愉快でならなかった。
嘆くことはいくらでも出来るが何事も気の持ちようである。
またゼロから始めれば良い。それも楽しみに変わるだろう。
それよりも遣り切った達成感で満たされていた。
諦めずによくここまで辿り着いたものだと我ながら感心するばかりである。
きっと母も見守ってくれたのだろう。おかげさまとしか言いようがない。
るんるんと2時半に退社。何とも爽快な気分であった。
明日は同僚が通院のため休業となり心置きなく休めるだろう。
もう2月である。何と駆け足の日々だったことか。
2月は「逃げる」と云うから追い駆けて行かなければならない・
買い物を済ませ3時半には帰宅していた。
夫に今日の報告をすれば「ようやったな」と褒めてくれて嬉しかった。
すっからかんになったことを話せば俺と同じだと笑っている。
そう云えばしばらく「お小遣い」を渡した記憶がなかった。
我が家も貧乏所帯であるが最低限の暮らしは出来ているようだ。
この寒空に電気を止められ灯油も買えない人も世の中に居る
それを思えば何と恵まれていることだろう。
貧困に喘ぐ人達が救われるような世の中になることを願って止まない。
暖房の効いた部屋でぬくぬくと暮らしている。
それがどうして当たり前のことだろうか。
冬晴れの一日。強風注意報が出ていたが風は次第に弱まる。
三寒四温の「温」が近いのではと思っていたが
来週には猛烈な寒波となり雪が降る日もあるようだった。
梅の蕾はまだ固くしばらく咲きそうにない。
立春を過ぎればと待ち望むばかりであった。
国道沿いの山茶花は随分と散ってしまい歩道を紅く染めている。
そんな道を白装束のお遍路さんが歩く姿はまるで絵のようであった。
冬遍路から春遍路へ。やがて桜の季節がやって来るだろう。
今朝は義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。
来客があり声を掛けたが返事もなく居室は電気も点いていない。
これまでもそんなことが度々あったのだがやはり心配でならなかった。
何か異変があり倒れているのではないか。もしや死んでいるのでは。
同僚に相談したら「二日酔いじゃないか」と笑い飛ばす。
昨夕義父の友人が訪ねて来ていたのだそうだ。
そうなれば当然のように飲み会である。
まだ首の痛みがあるのにまた無理をしてしまったのかと思う。
お昼になっても姿が見えなかったが2階の居室から物音が聞こえていた。
無事であることがわかりほっと胸を撫で下ろす。
午後また来客があり今度はやっと姿を見せてくれた。
例の大型車のお客さんで詳しく状態を説明しなければならなかった。
同僚では頼りなく義父の説明で納得してくれて助かる。
日数もお金も掛かるがなんとしても車検まで漕ぎつけなければいけない。
月末を明日に控え資金繰りに頭を悩ませていたが
今日は振込入金が数件あり預金残高が一気に増える。
早速算用をしてみたらぎりぎり何とかなりそうだった。
またもやゼロになってしまうが山越え谷越えである。
とにかく目の前の山を越えることが大切に思えた。
仕事がある限り収入が途絶えることはないだろう。
どれほどの崖っぷちでも目前の海の広さを忘れてはならない。
3時前に退社。夫から電話がありお昼に茶碗を割ってしまったらしい。
買い忘れないよう「ちゃわんちゃわん」と呟きながら帰った。
百均でそこそこの茶碗を見つけたがいかにも安っぽい。
仕方なくサニーマートの食器売り場で買うことにしたが
たかが茶碗なのに何と高いことだろう。750円もするのだ。
けれども夫の喜ぶ顔を見たさにレジに向かっていた。
夕飯時、夫の何と嬉しそうなことだろう。
単純な人なのだ。そう云うところが憎めず好きであった。
若い頃から価値観の違いに悩むこともあったが
長く連れ添っているうちにそれもあまり気にならなくなる。
老いるほどに優しくなり怒ることなど殆ど無くなってしまった。
「やはりこの人だったのだ」と運命さえ感じるのだった。
だからこそ失うのが怖い。私独りでは生きる自信などあるはずはない。
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