| 2025年02月02日(日) |
何があっても「福はうち」 |
雨上がりの朝。気温は高めで随分と暖かだった。
午後には青空が見え始めすっかり春の陽気となる。
この暖かさも明日までで明後日からは大寒波の予報であった。
都心の大雪を心配していたが今日は降らなかったようだ。
過剰な程の報道になんだか振り回されているような気がする。
ゆったりの朝であった。すっかり怠け癖が付いてしまって
最低限の家事を済ますとまたごろごろと寝てばかり。
買い物には行かねばならず手巻き寿司の具材を買って来ていた。
夫が「昼飯は何だ?」と問うので特に何もないことを伝えると
久しぶりに「一風」へ行こうかと言ってくれ何と思いがけないことか。
もう行くこともないだろうとすっかり諦めていたのだった。
なんだか夢を見ているような気分になり嬉しくてならない。
11時の開店を目指して西へと車を走らす。
「一風」は宿毛市へ入ると直ぐ右手の国道沿いにある。
20分程のプチドライブであったがうきうきと心が弾んでいた。
チャーシュー麺と半炒飯のセットを食べる。
ラーメンのスープも飲み干しお腹がいっぱいになっていた。
夫も満足そうな顔をしておりよけいに嬉しくてならない。
以前のようにもう度々は来られないだろう。
私から誘うことはするまいと思う。夫の気分次第が一番である。
帰宅するなりまた炬燵に潜り込み4時前まで寝ていた。
異常としか思えないが寝れば寝るほど元気になるようだ。
明日からはまた仕事である。お昼休憩もまともに在りはしない。
娘が鶏の唐揚げを揚げてくれ私は手巻き寿司の準備をした。
昨年北海道の友が送ってくれた海苔がまだ残っており助かる。
節分は恵方巻が習いだが手巻き寿司の方が家族には好評であった。
恵方を向くこともせずにひたすら巻いて食べる。
豆撒きは残念ながら出来なかった。
「鬼が来るよ」と云っても孫達はもう無関心である。
娘も同じでなんだか「節分」を忘れているような様子であった。
寂しいものだなと思う。それでも福が舞い込んでくれるだろうか。
平穏無事を祈るばかりの日々であった。
いつ何があってもおかしくない世の中である。
家族の健康はもちろんだが大地震の不安も大きい。
それはある日突然の事で避けられはしないのだ。
どれほど精一杯に生きていても命の保証などあってないに等しい。
だからこそ守らなければいけないが何と心細いことだろう。
「鬼はそと福はうち」と心の中で呟くばかりの夜であった。
| 2025年02月01日(土) |
「おんな」はもう嫌だ |
午後から本格的な雨となり雨音が耳に心地よい。
気温が低ければ大雪になっていたことだろう。
猛烈な寒波が南下しており都心の明日は雪になりそうである。
大都会に雪。どんなにか戸惑うことであろうか。
四万十は明日も雨で水曜日は雪の予報になっている。
積雪は毎年の事で慣れてはいるがやはり不安になってしまう。
どうか降り過ぎないようにと祈るばかりであった。
朝のうちに一時間程寝てカーブスへ行ったが
今日はどうしたことか駐車場が満車状態で停めることが出来ない。
カーブスは市内のショッピングセンター内の一角にあり
第二第三と駐車場があるが何処も満車状態であった。
諦めて帰ろうかと思ったがしばし待機していたらやっと空きスペースが出来る。
他にも待機している車が数台あったがお先に失礼させてもらった。
カーブスは一階にありエスカレーターで降りなければいけない。
そこで一歩踏み出すことが出来なかった。咄嗟に転びそうになってしまう。
決して怖くなどないのに足が云うことを聞いてくれないのだ。
やっとの思いで一階に降りて杖を付きながらカーブスへ辿り着く。
その時点でもう汗が流れておりふうふうと息切れがしていた。
筋トレを始めれば息切れが増し心拍数が異常に高くなる。
コーチに心配をかけてしまったがなんとか一周をまわり終えた。
もう汗びっしょりである。脂肪燃焼とはとても思えない。
それだけ体力が無くなっているのだろう。肥満が身体に堪えているようだ。
昼食後は倒れ込むように寝ていた。何とまた三時間もである。
それだけ時間を無駄にしているのだが情けないとは思わなかった。
週末はとにかく寝ることである。そうして再生されているのだと思う。
寝ている間に不可解な夢を見た。深層心理だとしても納得がいかない。
夢の中の私は「おんな」なのだ。何とおぞましいことだろう。
否定すればするほど同じような夢を何度も見てしまうのだ。
めいちゃんのダンス教室があり娘達は夕食不要とのこと。
このところ毎週のことで随分と助かっている。
夫は好きな物が一品あれば一切文句を言わなかった。
今夜は「こてっちゃん」とても嬉しそうに食べてくれる。
いつかはまた夫婦二人の暮らしが始まるだろうが
今のところ娘達が出て行く気配は感じられない。
娘が「いつまでも居ないから」と言ってからもう何年も過ぎた。
あれは確か洗濯機が壊れた時だった。娘はちゃっかりしている。
我が家は既に乗っ取られており私達が居候になっているようだ。
老いるばかりの二人である。そのうち追い出されてしまうかもしれない。
夫とよくそんな話をする。笑いながらであっても決して愉快な事ではなかった。
明日のことが分らないのだものどうして未来のことが分るだろうか。
一日ごとに寿命は縮まり天に召される日が近づいて来ている。
朝は氷点下の冷え込みだったが日中は随分と暖かくなる。
空は春霞を思わせたがたっぷりの陽射しが降り注いでいた。
朝の山道で6人のお遍路さん。最近では珍しいことである。
皆さんリュックを背負っていたが野宿とは思えなかった。
おそらく近くの民宿から夜明け前に出立したのだろう。
一人一人の横顔に会釈をしながら追い抜いて行く。
お遍路さんの少ない季節で何だか得をしたような気分になった。
声を掛けたり触れ合うことは殆ど無くなってしまったが
旅の無事を祈る気持ちはいつまでも変わらない。

メダカの水槽に氷が張っており山里は一段と冷え込んでいた。
事務所に入ると暖房が効いており義父の心遣いを感じる。
今日はいつも通りに早起きが出来たようだ。
朝のうちに車検が2台完了。書類も整いほっと胸を撫で下ろす。
例の大型車は部品が揃わずしばらく保留することになった。
2月も既に中旬まで予約が入っており忙しくなりそうだ。
経理はまるで決戦日である。全ての支払いを済ませると
算用していた通り預金残高が底を尽く。
手持ちの現金で同僚のお給料を準備するとこれも底を尽いてしまった。
思わず「すっからかんじゃ」と声が出るほど愉快でならなかった。
嘆くことはいくらでも出来るが何事も気の持ちようである。
またゼロから始めれば良い。それも楽しみに変わるだろう。
それよりも遣り切った達成感で満たされていた。
諦めずによくここまで辿り着いたものだと我ながら感心するばかりである。
きっと母も見守ってくれたのだろう。おかげさまとしか言いようがない。
るんるんと2時半に退社。何とも爽快な気分であった。
明日は同僚が通院のため休業となり心置きなく休めるだろう。
もう2月である。何と駆け足の日々だったことか。
2月は「逃げる」と云うから追い駆けて行かなければならない・
買い物を済ませ3時半には帰宅していた。
夫に今日の報告をすれば「ようやったな」と褒めてくれて嬉しかった。
すっからかんになったことを話せば俺と同じだと笑っている。
そう云えばしばらく「お小遣い」を渡した記憶がなかった。
我が家も貧乏所帯であるが最低限の暮らしは出来ているようだ。
この寒空に電気を止められ灯油も買えない人も世の中に居る
それを思えば何と恵まれていることだろう。
貧困に喘ぐ人達が救われるような世の中になることを願って止まない。
暖房の効いた部屋でぬくぬくと暮らしている。
それがどうして当たり前のことだろうか。
冬晴れの一日。強風注意報が出ていたが風は次第に弱まる。
三寒四温の「温」が近いのではと思っていたが
来週には猛烈な寒波となり雪が降る日もあるようだった。
梅の蕾はまだ固くしばらく咲きそうにない。
立春を過ぎればと待ち望むばかりであった。
国道沿いの山茶花は随分と散ってしまい歩道を紅く染めている。
そんな道を白装束のお遍路さんが歩く姿はまるで絵のようであった。
冬遍路から春遍路へ。やがて桜の季節がやって来るだろう。
今朝は義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。
来客があり声を掛けたが返事もなく居室は電気も点いていない。
これまでもそんなことが度々あったのだがやはり心配でならなかった。
何か異変があり倒れているのではないか。もしや死んでいるのでは。
同僚に相談したら「二日酔いじゃないか」と笑い飛ばす。
昨夕義父の友人が訪ねて来ていたのだそうだ。
そうなれば当然のように飲み会である。
まだ首の痛みがあるのにまた無理をしてしまったのかと思う。
お昼になっても姿が見えなかったが2階の居室から物音が聞こえていた。
無事であることがわかりほっと胸を撫で下ろす。
午後また来客があり今度はやっと姿を見せてくれた。
例の大型車のお客さんで詳しく状態を説明しなければならなかった。
同僚では頼りなく義父の説明で納得してくれて助かる。
日数もお金も掛かるがなんとしても車検まで漕ぎつけなければいけない。
月末を明日に控え資金繰りに頭を悩ませていたが
今日は振込入金が数件あり預金残高が一気に増える。
早速算用をしてみたらぎりぎり何とかなりそうだった。
またもやゼロになってしまうが山越え谷越えである。
とにかく目の前の山を越えることが大切に思えた。
仕事がある限り収入が途絶えることはないだろう。
どれほどの崖っぷちでも目前の海の広さを忘れてはならない。
3時前に退社。夫から電話がありお昼に茶碗を割ってしまったらしい。
買い忘れないよう「ちゃわんちゃわん」と呟きながら帰った。
百均でそこそこの茶碗を見つけたがいかにも安っぽい。
仕方なくサニーマートの食器売り場で買うことにしたが
たかが茶碗なのに何と高いことだろう。750円もするのだ。
けれども夫の喜ぶ顔を見たさにレジに向かっていた。
夕飯時、夫の何と嬉しそうなことだろう。
単純な人なのだ。そう云うところが憎めず好きであった。
若い頃から価値観の違いに悩むこともあったが
長く連れ添っているうちにそれもあまり気にならなくなる。
老いるほどに優しくなり怒ることなど殆ど無くなってしまった。
「やはりこの人だったのだ」と運命さえ感じるのだった。
だからこそ失うのが怖い。私独りでは生きる自信などあるはずはない。
気温はさほど低くはなかったが山里では今日も雪が舞っていた。
市内は昨夜のみぞれ混じりの雪が納まっており霜も降りていない。
なんだか狐につままれたような朝であった。
風は昨日よりも強く吹き荒れており雪の気配を感じたが
日中は青空が広がりたっぷりの陽射しが降り注いでいた。
先ほどSNSで知ったのだが今日は旧正月なのだそうだ。
昔は姑さんがお餅を搗いていたことを思い出す。
新暦になったのは明治時代だがずっと昔からの風習だったのだろう。
その姑さんも今は亡く旧正月と聞いても何も感じなくなった。
中国では「春節」で約8日間の休暇になるのだそうだ。
一年の始まりである。中国ならではの国民性を感じずにいられない。

工場の仕事は今日も停滞気味でやきもきとするばかりであった。
もう一人整備士が居ればと思うが雇う余裕もない会社である。
同僚は一生懸命に頑張ってくれており「当てつけ」にもなるだろう。
義父も部品の段取りなど積極的に動いてくれ助けてくれていた。
大型車の車検整備は車が古い程故障個所が多く頭を悩ませている。
車検に適合しないのだ。検査員の義父はとても厳しい。
整形外科に行かなければならず2時半過ぎに退社した。
駐車場は今日も空いておりけっこう上手に停めることが出来る。
受付を済ますなり腰のレントゲンを撮ると云うので戸惑う。
看護師さんが説明に来てくれて医師からの指示だと云う。
前回の診察時に立ち仕事が辛い旨を伝えていたのでそのせいらしかった。
医師も腰を心配してくれたのだろう。異常がなければ安心である。
リハビリを終えてから診察だった。幸い腰の骨には異常がないとのこと。
しかしあちらこちらに動脈硬化が見られる。
レントゲン写真で見ると白いミミズのようであった。
医師は血圧やコレストロール値の心配をしてくれたが
血圧は今のところ落ち着いておりコレストロールは肥満が原因だろう。
10キロも太ってしまったのだ。もう手の施しようがない。
それにしても親身になってくれる医師で増々信頼感が強まっていた。
身体が資本である。僅かの異変でも見逃してはならない。
けれども「どうにでもなれ」と思う時もある。
私の性格ではそれは避けられないことなのだろう。
身体のために何かを我慢することが出来ないのだった。
喫煙も食欲も「病気」としか思えない異常な有り様である。
例えこのままでは死にますよと云われても我慢できないと思う。
そのくせ生きたくてならないのだから大きく矛盾している。
命がけで書いているのも何と滑稽なことだろうか。
もしかしたら明日死ぬのかもしれないといつも思っている。
冬晴れかと思いきや山里では時おり小雪が舞っていた。
気温はさほど低くはなかったが北西の冷たい風が強く吹く。
明日にかけて平野部でも雪とのこと。まさかと思いつつ
窓を開ければみぞれ混じりの雪が降っていて驚いている。
積もる心配は無さそうだが明日の朝はどんな景色が見られるのだろう。
工場は怒涛の忙しさであったが義父はまた高知市へ出張する。
大切な会議があるとのことスーツ姿で出掛けて行った。
首と右腕の痛みはまだ続いており痛み止めを服用させたかったのだが
運転中に眠気があるやも知れず用心してひたすら我慢することになった。
元気そうに見えてもどんなにか辛いことだろう。
義父の我慢強さには頭が下がる思いであった。
同僚はまた大型車と格闘しており一向に捗る様子がない。
そうして仕事は停滞して行くのだが後から後から車検の予約が入る。
スケジュールが順調には組めず頭を悩ますばかりであった。
今日は一般修理の依頼もあったが仕方なくディーラーに頼むことにする。
仕事のあるのは有難いことだが今の現状ではとても手に負えなかった。
事務仕事は一段落しており少し早めに2時半に退社する。
4時前には帰宅出来そうで炬燵が恋しくてならない。
炬燵で仕事が出来ればどんなにか良いだろうかと馬鹿なことを考える。
大相撲ロスの夫は退屈を持て余しているようだった。
時代劇は「破れ新九郎」で何と47年前の古いドラマである。
主役は芦屋錦之助で「破れ奉行」と同じであった。
おそらく当時は「破れシリーズ」として放送されていたのだろう。
最後に悪者が成敗されるのはどれも同じで何とも豪快である。
大相撲もそうだったが夫と一緒にテレビを見るのが好きだった。
日頃から部屋に閉じ籠って書き物ばかりしている私である。
なんだか罪滅ぼしをしているような気分にもなった。
夫婦共通の時間はとても貴重に思えてならない。
思い起こせば「書く」ことでどれほど夫を拒絶して来たことだろう。
まだパソコンの無い時代にはノートに書き押し入れに隠していた。
それを偶然見つけた夫は激怒しノートを引き千切ったのだった。
その時「何を書いても良いが金になるもんを書け」と言い放った。
夫とは価値観が全く違い「書く」と云う行為が理解できなかったのだろう。
その出来事は私を苦しめ一生忘れられない言葉となったが
夫も歳を重ねずいぶんと丸くなり穏やかな老人となった。
けれども新聞の文芸欄などは決して見ることはない。
その方が気楽だった。私はおかげで好きなように書いていられる。
雪がまたみぞれに変わったようだ。気温は7℃さほど冷え込んではいない。
まだ8時過ぎだがそろそろ夫が寝床に入る時間であった。
夜中に代わる代わるトイレに行くのが習いであるが
つい夫の寝顔を見るのが癖になっている。
寝息を確かめるとほっとして私もまたぐっすりと眠れるのだった。
朝の気温をそのままに日中は冷たい雨となる。
小雨であったが少しでも恵みの雨になったのだろうか。
渇いたこころには沁み渡るような潤いが感じられた。
冬枯れた尾花だったのだろう。雨が息吹になっていく。
9時になるのを待ち兼ねてATMに走った。
記帳の音がしばらく続きはらはらするばかりである。
今日は電気料と自動車保険の引き落とし等があったのだ。
事前の計算では残高はほぼゼロになる予定だったが
思いがけずに振込入金がありどれほど助かったことだろう。
おかげで月末までなんとか凌げそうである。
崖っぷちに立っていたのが誰かに救われたような気分だった。
「神さま仏さまお母さま」と思わず呟かずにはいられない。

午後は少し早めに退社させてもらい市内の文化施設へと向かった。
もう迷いはない。Nちゃんに会う決心が出来ている。
県東部の中芸地区のパネル展で何と懐かしいことだろう。
亡き父の生家がある安田町の写真もあった。
少女時代を過ごした田野町の街並みも郷愁を誘う。
Nちゃんは受付に座っており最初は私が誰か分からなかったようだ。
9年ぶりの再会である。私の何と醜く様変わりしたことだろう。
Nちゃんもすっかり白髪頭になり髪も薄くなっていた。
そうして9年前よりも少し小さくなったように見える。
何と切ない再会であろうか。歳月の流れは容赦なかった。
しばらくは思い出話に花が咲き「癌」の話を避けていたのだが
「前立腺がん」で4ヶ月の手術待ちなのだそうだ。
それだけ患者数が多いのだろう。男性にはよくある癌である。
「間寛平ちゃんもそうらしいよ」と告げると「そうか」と笑っていた。
手術さえすれば完治の可能性は大きい。
ただ待っている4ヶ月が落ち着かず辛いのだそうだ。
メンタルには強いはずのNちゃんも不眠に悩まされているようだった。
そこで心配顔を見せてはいけない。もちろん励ましてもいけない。
来年には古希の同窓会を開く計画もあるようだった。
Nちゃんは「絶対に来いよ」と言ってくれたが私は首を振った。
もうNちゃん以外の誰とも会いたいと思えないのだった。
そのNちゃんとも今日が最後になるかもしれない。
そう覚悟しながらも「また会おうね」と告げて帰路に就く。
冷たい雨が降っていたが傘も差さずに車に飛び乗った。
今日の事を夫に話したくてならなかったが言い出せない。
夫は昔から男女間の友情など在り得ないと思っていて
話してしまえば余計な心配を掛けてしまうだろう。
決して秘密にするような事ではなかったが心の奥に仕舞おうと思う。
霧のような雨が降り続いている。
今夜の私にはきっと相応しい雨なのだろう。
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