ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月29日(水) 命がけ

気温はさほど低くはなかったが山里では今日も雪が舞っていた。

市内は昨夜のみぞれ混じりの雪が納まっており霜も降りていない。

なんだか狐につままれたような朝であった。

風は昨日よりも強く吹き荒れており雪の気配を感じたが

日中は青空が広がりたっぷりの陽射しが降り注いでいた。


先ほどSNSで知ったのだが今日は旧正月なのだそうだ。

昔は姑さんがお餅を搗いていたことを思い出す。

新暦になったのは明治時代だがずっと昔からの風習だったのだろう。

その姑さんも今は亡く旧正月と聞いても何も感じなくなった。


中国では「春節」で約8日間の休暇になるのだそうだ。

一年の始まりである。中国ならではの国民性を感じずにいられない。




工場の仕事は今日も停滞気味でやきもきとするばかりであった。

もう一人整備士が居ればと思うが雇う余裕もない会社である。

同僚は一生懸命に頑張ってくれており「当てつけ」にもなるだろう。

義父も部品の段取りなど積極的に動いてくれ助けてくれていた。

大型車の車検整備は車が古い程故障個所が多く頭を悩ませている。

車検に適合しないのだ。検査員の義父はとても厳しい。


整形外科に行かなければならず2時半過ぎに退社した。

駐車場は今日も空いておりけっこう上手に停めることが出来る。

受付を済ますなり腰のレントゲンを撮ると云うので戸惑う。

看護師さんが説明に来てくれて医師からの指示だと云う。

前回の診察時に立ち仕事が辛い旨を伝えていたのでそのせいらしかった。

医師も腰を心配してくれたのだろう。異常がなければ安心である。


リハビリを終えてから診察だった。幸い腰の骨には異常がないとのこと。

しかしあちらこちらに動脈硬化が見られる。

レントゲン写真で見ると白いミミズのようであった。

医師は血圧やコレストロール値の心配をしてくれたが

血圧は今のところ落ち着いておりコレストロールは肥満が原因だろう。

10キロも太ってしまったのだ。もう手の施しようがない。

それにしても親身になってくれる医師で増々信頼感が強まっていた。


身体が資本である。僅かの異変でも見逃してはならない。

けれども「どうにでもなれ」と思う時もある。

私の性格ではそれは避けられないことなのだろう。

身体のために何かを我慢することが出来ないのだった。

喫煙も食欲も「病気」としか思えない異常な有り様である。

例えこのままでは死にますよと云われても我慢できないと思う。


そのくせ生きたくてならないのだから大きく矛盾している。

命がけで書いているのも何と滑稽なことだろうか。

もしかしたら明日死ぬのかもしれないといつも思っている。









2025年01月28日(火) みぞれ混じりの雪

冬晴れかと思いきや山里では時おり小雪が舞っていた。

気温はさほど低くはなかったが北西の冷たい風が強く吹く。

明日にかけて平野部でも雪とのこと。まさかと思いつつ

窓を開ければみぞれ混じりの雪が降っていて驚いている。

積もる心配は無さそうだが明日の朝はどんな景色が見られるのだろう。



工場は怒涛の忙しさであったが義父はまた高知市へ出張する。

大切な会議があるとのことスーツ姿で出掛けて行った。

首と右腕の痛みはまだ続いており痛み止めを服用させたかったのだが

運転中に眠気があるやも知れず用心してひたすら我慢することになった。

元気そうに見えてもどんなにか辛いことだろう。

義父の我慢強さには頭が下がる思いであった。


同僚はまた大型車と格闘しており一向に捗る様子がない。

そうして仕事は停滞して行くのだが後から後から車検の予約が入る。

スケジュールが順調には組めず頭を悩ますばかりであった。

今日は一般修理の依頼もあったが仕方なくディーラーに頼むことにする。

仕事のあるのは有難いことだが今の現状ではとても手に負えなかった。


事務仕事は一段落しており少し早めに2時半に退社する。

4時前には帰宅出来そうで炬燵が恋しくてならない。

炬燵で仕事が出来ればどんなにか良いだろうかと馬鹿なことを考える。


大相撲ロスの夫は退屈を持て余しているようだった。

時代劇は「破れ新九郎」で何と47年前の古いドラマである。

主役は芦屋錦之助で「破れ奉行」と同じであった。

おそらく当時は「破れシリーズ」として放送されていたのだろう。

最後に悪者が成敗されるのはどれも同じで何とも豪快である。


大相撲もそうだったが夫と一緒にテレビを見るのが好きだった。

日頃から部屋に閉じ籠って書き物ばかりしている私である。

なんだか罪滅ぼしをしているような気分にもなった。

夫婦共通の時間はとても貴重に思えてならない。


思い起こせば「書く」ことでどれほど夫を拒絶して来たことだろう。

まだパソコンの無い時代にはノートに書き押し入れに隠していた。

それを偶然見つけた夫は激怒しノートを引き千切ったのだった。

その時「何を書いても良いが金になるもんを書け」と言い放った。

夫とは価値観が全く違い「書く」と云う行為が理解できなかったのだろう。

その出来事は私を苦しめ一生忘れられない言葉となったが

夫も歳を重ねずいぶんと丸くなり穏やかな老人となった。

けれども新聞の文芸欄などは決して見ることはない。

その方が気楽だった。私はおかげで好きなように書いていられる。



雪がまたみぞれに変わったようだ。気温は7℃さほど冷え込んではいない。

まだ8時過ぎだがそろそろ夫が寝床に入る時間であった。

夜中に代わる代わるトイレに行くのが習いであるが

つい夫の寝顔を見るのが癖になっている。

寝息を確かめるとほっとして私もまたぐっすりと眠れるのだった。







2025年01月27日(月) 慈雨

朝の気温をそのままに日中は冷たい雨となる。

小雨であったが少しでも恵みの雨になったのだろうか。

渇いたこころには沁み渡るような潤いが感じられた。

冬枯れた尾花だったのだろう。雨が息吹になっていく。



9時になるのを待ち兼ねてATMに走った。

記帳の音がしばらく続きはらはらするばかりである。

今日は電気料と自動車保険の引き落とし等があったのだ。

事前の計算では残高はほぼゼロになる予定だったが

思いがけずに振込入金がありどれほど助かったことだろう。

おかげで月末までなんとか凌げそうである。

崖っぷちに立っていたのが誰かに救われたような気分だった。

「神さま仏さまお母さま」と思わず呟かずにはいられない。




午後は少し早めに退社させてもらい市内の文化施設へと向かった。

もう迷いはない。Nちゃんに会う決心が出来ている。

県東部の中芸地区のパネル展で何と懐かしいことだろう。

亡き父の生家がある安田町の写真もあった。

少女時代を過ごした田野町の街並みも郷愁を誘う。


Nちゃんは受付に座っており最初は私が誰か分からなかったようだ。

9年ぶりの再会である。私の何と醜く様変わりしたことだろう。

Nちゃんもすっかり白髪頭になり髪も薄くなっていた。

そうして9年前よりも少し小さくなったように見える。

何と切ない再会であろうか。歳月の流れは容赦なかった。


しばらくは思い出話に花が咲き「癌」の話を避けていたのだが

「前立腺がん」で4ヶ月の手術待ちなのだそうだ。

それだけ患者数が多いのだろう。男性にはよくある癌である。

「間寛平ちゃんもそうらしいよ」と告げると「そうか」と笑っていた。

手術さえすれば完治の可能性は大きい。

ただ待っている4ヶ月が落ち着かず辛いのだそうだ。

メンタルには強いはずのNちゃんも不眠に悩まされているようだった。

そこで心配顔を見せてはいけない。もちろん励ましてもいけない。


来年には古希の同窓会を開く計画もあるようだった。

Nちゃんは「絶対に来いよ」と言ってくれたが私は首を振った。

もうNちゃん以外の誰とも会いたいと思えないのだった。

そのNちゃんとも今日が最後になるかもしれない。

そう覚悟しながらも「また会おうね」と告げて帰路に就く。

冷たい雨が降っていたが傘も差さずに車に飛び乗った。



今日の事を夫に話したくてならなかったが言い出せない。

夫は昔から男女間の友情など在り得ないと思っていて

話してしまえば余計な心配を掛けてしまうだろう。

決して秘密にするような事ではなかったが心の奥に仕舞おうと思う。


霧のような雨が降り続いている。

今夜の私にはきっと相応しい雨なのだろう。







2025年01月26日(日) あふれる陽射し

風もなく穏やかな冬晴れ。気温も平年並みだったようだ。

地区では野焼きが行われ狼煙のように煙が上がるのを見た。

田んぼや畑の害虫を駆除する為であり農家には重要な習わしであったが

法律では禁止されているのだそうで行政の許可が必要であるらしい。

やがて田植えの準備が始まるだろう。本格的な春の訪れもそう遠くない。


夫の運転嫌いが増々酷くなり今日も家に籠っていたが

昼食後ふと思い立ったように「川を見に行くか」言ってくれた。

先日から天然青海苔漁が始まっており気になっていたのだろう。

もう全滅と誰もが諦めていただけに奇跡のようなことだった。


我が家は昨年廃業したのでもう漁に出ることは出来ない。

もし出来たとしても夫の腰痛と私の不自由な足ではとても無理であった。

漁師仲間さん達が精を出しているのを堤防から眺めながら

夫と昔話を始め何と苦労の多かった事かと頷き合っていた。

幼い子供達の憐れだったこと。お正月もろくに休めなかったこと。

思い起こせば懐かしくもあるがもう二度と御免だと思う気持ちが勝る。


川から直ぐに帰宅かと思っていたが夫が海岸沿いへと車を走らせてくれた。

先日SNSで知ったのだが「蛇王神社」と云う蛇を祀る神社があるらしい。

私は全く知らなかったのだが夫はよく知っていて昔からあるのだそうだ。

「けんどお前の足じゃ無理だぞ」と云って駐車場まで連れて行ってくれた。

今年は巳年のせいかけっこう駐車している車が多くおどろく。

なんでも市の有名なパワースポットなのだそうだ。

お天気も良く絶好のお参り日和であったが足のせいにして諦めるしかなかった。

けれども夫の心遣いが何と嬉しかったことだろう。

良き気分転換となりとても清々しい気持ちになっていた。


帰宅すればまたお昼寝で目覚めればもう4時前である。

夫は大相撲の千秋楽に夢中で私も一緒に観戦していた。

最終的には巴戦となり目が離せなくなる。

豊昇龍が優勝して涙ぐむ姿に思わずもらい泣きしそうになった。

夫はすっかり燃え尽きたようで明日からの楽しみを失ったようだ。



夕食はカレーだったがあやちゃんがお代わりをしてくれて嬉しい。

タブレットを操作しながらであったがにこにこと微笑んでいた。

もう明日が月曜日だと思い悩むこともないのだろう。

誰も背中を押そうとはしない。そんな自由を謳歌しているように見えた。



私は仕事の事で頭がいっぱいになっており武者震いをしている。

明日になってみないと分からないがまた資金が底を尽きそうだった。

ゼロになれば一から始めれば良いが月末が迫るばかりである。

いったいいつまで試されるのだろうか。とにかく弱気になってはいけない。

現実は厳しいが気の持ちようで乗り越えられる気がする。


明日は真冬だろうか。今日のように陽射しがいっぱい降り注ぎますように。








2025年01月25日(土) のほほんとお気楽に

晴れの予報だったが雲が広がり午後には少し陽射しがあった。

気温は今日も3月並みの暖かさとなる。

明日の朝は一気に冷え込み氷点下になりそうである。

寒暖差で体調を崩さないように用心しなければならない。

幸い血圧は正常値が続いているが油断は禁物である。



週末はつかの間のスローライフとなりのんびりと過ごす。

朝寝はもう恒例になっており10時前まで寝ていた。

それからカーブスへ行き心地よく汗を流す。

異常な程の汗である。代謝の良い証拠らしいが効果は感じられない。

体重は増えるばかりで70キロの大台に近づいている。

なんだか年齢に比例しているようで愉快でもあった。


昼食後もひたすら寝るばかりである。目覚めればもう3時を過ぎていた。

気力はゼロに等しく何もする気にならない。

流し台の食器の山も見て見ぬふりをしていた。

夫が洗濯物を取り入れてくれていて「よう乾いちょるぞ」と

陽射しが弱かったので思いがけずに嬉しかった。

所帯じみた夫も微笑ましいものである。毎日が「洗濯物係」なのだ。

どれほど助かっていることだろう。感謝の気持ちを忘れてはならない。



今朝気づいたのだが茶の間に飾ってあった孫達の写真が一枚消えていた。

5歳のあやちゃんと3歳のめいちゃんの入浴中の写真である。

私はその写真が一番好きでいつも眺めては微笑んでいたのだが

娘が云うにはあやちゃんがとても嫌がっていたのだそうだ。

たとえ幼い頃の姿でも思春期のあやちゃんには耐えられなかったのだろう。

さすがに破って捨てはしなかったようだがもう行方不明となった。

些細なことに思えたが傷つけていたのかと思うと心が痛む。

もしかしたら不登校の原因も身体の成熟ではなかったのだろうかと思う。

しかし真実は未だ分からずまるで霧に包まれているようだった。

もう硝子細工だとは思えない。しっかりとした考えを持っているようだ。



何も悩まない暮らしなど在りはせず皆日々を耐えながらであった。

のほほんとお気楽に過ごせて行ければどんなにか楽だろうか。

それも気の持ちようであるが精神的な強さは程遠く思える。

「かかってこいや」が口癖の私もどれほど頼りないことだろう。


そうこうしているうちに命はどんどん最期に近づいている。

生きて全う出来る事などほんの僅かではないだろうか。

負けたくはないが負けてしまう。現実は果てしなく厳しいものである。



2025年01月24日(金) 紅梅の蕾

異常な暖かさも今週いっぱいのようだ。

来週からはまた真冬の寒さが戻って来そうである。

職場の紅梅の蕾が膨らみ始めているが

きっと寒さに戸惑うことだろう。


義父の友人が建設会社を経営しており

数日前から重機を運び入れ隣地との境を整地している。

流石に義父も田んぼへ行く訳にも行かず手伝っているのだが

今日は右腕が上げられないほどに痛むらしく辛そうであった。

おそらく首からの神経が悪さをしているのだろう。

病院へ行くことを勧めたが「それどころではない」と云って聞かない。

なんと我慢強いことだろうか。心配であったが見守る事しか出来なかった。


重機であらゆるところを掘り起こしていたので

紅梅も薙ぎ倒されるのではないかとはらはらしていたが

母の紅梅である。義父もそれは承知していてちゃんと残してくれていた。

枯れ草は綺麗に刈り払われ紅梅がいっそう引き立つ。

母もきっと喜んで微笑んでいることだろう。




昨日の喉の痛みは嘘だったかのように薄れていた。

喉に少し違和感があったが気になる程ではない。

一回きりの抗生剤であったがおそらくそれが効いたのだろう。

副作用の心配もあり今日はもう服用しなかった。

ゲンキンな者で喫煙も我慢することをしない。

まさに怖いもの知らずであった。

そのうちまた罰が当たるだろうがその時はその時のことである。

死に至るのであれば覚悟をしておかなければいけないだろう。


帰宅前に親友のNちゃんからメールが届いた。

返信よりも声が聴きたくなり直ぐに電話してみる。

来週仕事で四万十市に来るのだそうだ。

郷土史のガイドをしており市内で「パネル展」が開催されるとのこと。

是非見に来て欲しいと頼まれたが平日なので即答出来なかった。

何よりもNちゃんに会うのが躊躇われてならない。

足が不自由になってから一度も会ったことがなかった。

決して惨めには思わないが何となく気が進まないのである。

Nちゃんだけではなかった。他の友達とももう会いたいとは思わない。

今回が今生の別れになってしまうかもしれないがそれでも決心出来なかった。


最後にNちゃんから重要な話があり耳を疑う。

「俺、癌になったから」と笑いながら云うのであった。

幸い早期発見で手術をすれば命に関わる事はないようである。

笑っていても内心はどんなにか不安だろうかと思った。

これまで一度たりとも弱音を吐いたことない彼である。

他の友達には誰にも話していない事を報せてくれたのだった。

それだけ私を信頼してくれているのだろう。私ももちろん同じであった。


会わなければいけないのではないか。帰宅しながらずっと考えていた。

そうしなければきっと後悔するような気がしてならない。


いつが最後になるのか分からない。

ある日突然は誰にでもあることなのだ。


空はにわかに曇り夕陽を見ることが出来なかった日。



2025年01月23日(木) アクシデント

最高気温が20℃近くなり異常な程の暖かさとなる。

まだ寒の真っ最中なのに戸惑うばかりであった。

天変地異の前触れのようにも思えて少し不安にもなって来る。

寒さは苦手だがやはり平年並みの気温が一番なのだろう。


今朝はどうした訳か職場に着くなり喉の辺りが激しく痛む。

鏡で見ると腫れていて触ると飛び上がる程の痛さであった。

数日前から歯茎が腫れていたのでそのせいかもしれないが

どうして喉なのか理解出来ず困り果ててしまった。


しばらく我慢していたが耐えられなくなり近くの診療所へ走る。

内科であり専門外にも関わらず医師はとても親身になってくれた。

唾液線が炎症を起こしているらしく何かの細菌が悪さをしているらしい。

本来なら咽喉科を受診するべきところだが応急の処置をしてくれた。

抗生剤と鎮痛剤を処方してくれたので昼食後に早速服用する。

そうしたら30分もしないうちに今度は眩暈に襲われてしまった。

とても仕事どころではなくなり車中でしばらく横になり様子を見る。

おそらくどちらかの薬の副作用ではないかと思われた。

直ぐに医師に相談するべきだったが敢えてそれをしなかった。

喉の痛みは既に治まっており足の痛みまで楽になっていたのだ。

午後は少し仕事が出来たが義父に相談し早めに終わらせてもらった。

何とか買い物を済ませ帰宅するなり一時間程寝ただろうか。

目覚めたら眩暈は治まっており随分と楽になっていた。

夫に心配を掛けてしまったが夕食の支度もちゃんと出来てほっとする。


喫煙はどうしても止めることが出来ず唾液腺の炎症もそのせいに思えた。

それ程までに喉を酷使しているのだろう。これも自業自得である。

またかと思いつつひたすら自己嫌悪に陥るばかりであった。


どうすれば良いのか分からない。自分を制御することが出来ない。

意志の弱さよりも精神的な弱さとしか思えなかった。

幸い今夜は痛みが治まっているが明日はどうだろうと不安でならない。

なんだか自分で身を切り刻んでいるような気持になった。


刻んでしまえば私は欠片になるのだろうか。

それでも生きて行けるのだろうか。


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