朝の気温をそのままに日中は冷たい雨となる。
小雨であったが少しでも恵みの雨になったのだろうか。
渇いたこころには沁み渡るような潤いが感じられた。
冬枯れた尾花だったのだろう。雨が息吹になっていく。
9時になるのを待ち兼ねてATMに走った。
記帳の音がしばらく続きはらはらするばかりである。
今日は電気料と自動車保険の引き落とし等があったのだ。
事前の計算では残高はほぼゼロになる予定だったが
思いがけずに振込入金がありどれほど助かったことだろう。
おかげで月末までなんとか凌げそうである。
崖っぷちに立っていたのが誰かに救われたような気分だった。
「神さま仏さまお母さま」と思わず呟かずにはいられない。

午後は少し早めに退社させてもらい市内の文化施設へと向かった。
もう迷いはない。Nちゃんに会う決心が出来ている。
県東部の中芸地区のパネル展で何と懐かしいことだろう。
亡き父の生家がある安田町の写真もあった。
少女時代を過ごした田野町の街並みも郷愁を誘う。
Nちゃんは受付に座っており最初は私が誰か分からなかったようだ。
9年ぶりの再会である。私の何と醜く様変わりしたことだろう。
Nちゃんもすっかり白髪頭になり髪も薄くなっていた。
そうして9年前よりも少し小さくなったように見える。
何と切ない再会であろうか。歳月の流れは容赦なかった。
しばらくは思い出話に花が咲き「癌」の話を避けていたのだが
「前立腺がん」で4ヶ月の手術待ちなのだそうだ。
それだけ患者数が多いのだろう。男性にはよくある癌である。
「間寛平ちゃんもそうらしいよ」と告げると「そうか」と笑っていた。
手術さえすれば完治の可能性は大きい。
ただ待っている4ヶ月が落ち着かず辛いのだそうだ。
メンタルには強いはずのNちゃんも不眠に悩まされているようだった。
そこで心配顔を見せてはいけない。もちろん励ましてもいけない。
来年には古希の同窓会を開く計画もあるようだった。
Nちゃんは「絶対に来いよ」と言ってくれたが私は首を振った。
もうNちゃん以外の誰とも会いたいと思えないのだった。
そのNちゃんとも今日が最後になるかもしれない。
そう覚悟しながらも「また会おうね」と告げて帰路に就く。
冷たい雨が降っていたが傘も差さずに車に飛び乗った。
今日の事を夫に話したくてならなかったが言い出せない。
夫は昔から男女間の友情など在り得ないと思っていて
話してしまえば余計な心配を掛けてしまうだろう。
決して秘密にするような事ではなかったが心の奥に仕舞おうと思う。
霧のような雨が降り続いている。
今夜の私にはきっと相応しい雨なのだろう。
風もなく穏やかな冬晴れ。気温も平年並みだったようだ。
地区では野焼きが行われ狼煙のように煙が上がるのを見た。
田んぼや畑の害虫を駆除する為であり農家には重要な習わしであったが
法律では禁止されているのだそうで行政の許可が必要であるらしい。
やがて田植えの準備が始まるだろう。本格的な春の訪れもそう遠くない。
夫の運転嫌いが増々酷くなり今日も家に籠っていたが
昼食後ふと思い立ったように「川を見に行くか」言ってくれた。
先日から天然青海苔漁が始まっており気になっていたのだろう。
もう全滅と誰もが諦めていただけに奇跡のようなことだった。
我が家は昨年廃業したのでもう漁に出ることは出来ない。
もし出来たとしても夫の腰痛と私の不自由な足ではとても無理であった。
漁師仲間さん達が精を出しているのを堤防から眺めながら
夫と昔話を始め何と苦労の多かった事かと頷き合っていた。
幼い子供達の憐れだったこと。お正月もろくに休めなかったこと。
思い起こせば懐かしくもあるがもう二度と御免だと思う気持ちが勝る。
川から直ぐに帰宅かと思っていたが夫が海岸沿いへと車を走らせてくれた。
先日SNSで知ったのだが「蛇王神社」と云う蛇を祀る神社があるらしい。
私は全く知らなかったのだが夫はよく知っていて昔からあるのだそうだ。
「けんどお前の足じゃ無理だぞ」と云って駐車場まで連れて行ってくれた。
今年は巳年のせいかけっこう駐車している車が多くおどろく。
なんでも市の有名なパワースポットなのだそうだ。
お天気も良く絶好のお参り日和であったが足のせいにして諦めるしかなかった。
けれども夫の心遣いが何と嬉しかったことだろう。
良き気分転換となりとても清々しい気持ちになっていた。
帰宅すればまたお昼寝で目覚めればもう4時前である。
夫は大相撲の千秋楽に夢中で私も一緒に観戦していた。
最終的には巴戦となり目が離せなくなる。
豊昇龍が優勝して涙ぐむ姿に思わずもらい泣きしそうになった。
夫はすっかり燃え尽きたようで明日からの楽しみを失ったようだ。
夕食はカレーだったがあやちゃんがお代わりをしてくれて嬉しい。
タブレットを操作しながらであったがにこにこと微笑んでいた。
もう明日が月曜日だと思い悩むこともないのだろう。
誰も背中を押そうとはしない。そんな自由を謳歌しているように見えた。
私は仕事の事で頭がいっぱいになっており武者震いをしている。
明日になってみないと分からないがまた資金が底を尽きそうだった。
ゼロになれば一から始めれば良いが月末が迫るばかりである。
いったいいつまで試されるのだろうか。とにかく弱気になってはいけない。
現実は厳しいが気の持ちようで乗り越えられる気がする。
明日は真冬だろうか。今日のように陽射しがいっぱい降り注ぎますように。
晴れの予報だったが雲が広がり午後には少し陽射しがあった。
気温は今日も3月並みの暖かさとなる。
明日の朝は一気に冷え込み氷点下になりそうである。
寒暖差で体調を崩さないように用心しなければならない。
幸い血圧は正常値が続いているが油断は禁物である。
週末はつかの間のスローライフとなりのんびりと過ごす。
朝寝はもう恒例になっており10時前まで寝ていた。
それからカーブスへ行き心地よく汗を流す。
異常な程の汗である。代謝の良い証拠らしいが効果は感じられない。
体重は増えるばかりで70キロの大台に近づいている。
なんだか年齢に比例しているようで愉快でもあった。
昼食後もひたすら寝るばかりである。目覚めればもう3時を過ぎていた。
気力はゼロに等しく何もする気にならない。
流し台の食器の山も見て見ぬふりをしていた。
夫が洗濯物を取り入れてくれていて「よう乾いちょるぞ」と
陽射しが弱かったので思いがけずに嬉しかった。
所帯じみた夫も微笑ましいものである。毎日が「洗濯物係」なのだ。
どれほど助かっていることだろう。感謝の気持ちを忘れてはならない。
今朝気づいたのだが茶の間に飾ってあった孫達の写真が一枚消えていた。
5歳のあやちゃんと3歳のめいちゃんの入浴中の写真である。
私はその写真が一番好きでいつも眺めては微笑んでいたのだが
娘が云うにはあやちゃんがとても嫌がっていたのだそうだ。
たとえ幼い頃の姿でも思春期のあやちゃんには耐えられなかったのだろう。
さすがに破って捨てはしなかったようだがもう行方不明となった。
些細なことに思えたが傷つけていたのかと思うと心が痛む。
もしかしたら不登校の原因も身体の成熟ではなかったのだろうかと思う。
しかし真実は未だ分からずまるで霧に包まれているようだった。
もう硝子細工だとは思えない。しっかりとした考えを持っているようだ。
何も悩まない暮らしなど在りはせず皆日々を耐えながらであった。
のほほんとお気楽に過ごせて行ければどんなにか楽だろうか。
それも気の持ちようであるが精神的な強さは程遠く思える。
「かかってこいや」が口癖の私もどれほど頼りないことだろう。
そうこうしているうちに命はどんどん最期に近づいている。
生きて全う出来る事などほんの僅かではないだろうか。
負けたくはないが負けてしまう。現実は果てしなく厳しいものである。
異常な暖かさも今週いっぱいのようだ。
来週からはまた真冬の寒さが戻って来そうである。
職場の紅梅の蕾が膨らみ始めているが
きっと寒さに戸惑うことだろう。
義父の友人が建設会社を経営しており
数日前から重機を運び入れ隣地との境を整地している。
流石に義父も田んぼへ行く訳にも行かず手伝っているのだが
今日は右腕が上げられないほどに痛むらしく辛そうであった。
おそらく首からの神経が悪さをしているのだろう。
病院へ行くことを勧めたが「それどころではない」と云って聞かない。
なんと我慢強いことだろうか。心配であったが見守る事しか出来なかった。
重機であらゆるところを掘り起こしていたので
紅梅も薙ぎ倒されるのではないかとはらはらしていたが
母の紅梅である。義父もそれは承知していてちゃんと残してくれていた。
枯れ草は綺麗に刈り払われ紅梅がいっそう引き立つ。
母もきっと喜んで微笑んでいることだろう。

昨日の喉の痛みは嘘だったかのように薄れていた。
喉に少し違和感があったが気になる程ではない。
一回きりの抗生剤であったがおそらくそれが効いたのだろう。
副作用の心配もあり今日はもう服用しなかった。
ゲンキンな者で喫煙も我慢することをしない。
まさに怖いもの知らずであった。
そのうちまた罰が当たるだろうがその時はその時のことである。
死に至るのであれば覚悟をしておかなければいけないだろう。
帰宅前に親友のNちゃんからメールが届いた。
返信よりも声が聴きたくなり直ぐに電話してみる。
来週仕事で四万十市に来るのだそうだ。
郷土史のガイドをしており市内で「パネル展」が開催されるとのこと。
是非見に来て欲しいと頼まれたが平日なので即答出来なかった。
何よりもNちゃんに会うのが躊躇われてならない。
足が不自由になってから一度も会ったことがなかった。
決して惨めには思わないが何となく気が進まないのである。
Nちゃんだけではなかった。他の友達とももう会いたいとは思わない。
今回が今生の別れになってしまうかもしれないがそれでも決心出来なかった。
最後にNちゃんから重要な話があり耳を疑う。
「俺、癌になったから」と笑いながら云うのであった。
幸い早期発見で手術をすれば命に関わる事はないようである。
笑っていても内心はどんなにか不安だろうかと思った。
これまで一度たりとも弱音を吐いたことない彼である。
他の友達には誰にも話していない事を報せてくれたのだった。
それだけ私を信頼してくれているのだろう。私ももちろん同じであった。
会わなければいけないのではないか。帰宅しながらずっと考えていた。
そうしなければきっと後悔するような気がしてならない。
いつが最後になるのか分からない。
ある日突然は誰にでもあることなのだ。
空はにわかに曇り夕陽を見ることが出来なかった日。
最高気温が20℃近くなり異常な程の暖かさとなる。
まだ寒の真っ最中なのに戸惑うばかりであった。
天変地異の前触れのようにも思えて少し不安にもなって来る。
寒さは苦手だがやはり平年並みの気温が一番なのだろう。
今朝はどうした訳か職場に着くなり喉の辺りが激しく痛む。
鏡で見ると腫れていて触ると飛び上がる程の痛さであった。
数日前から歯茎が腫れていたのでそのせいかもしれないが
どうして喉なのか理解出来ず困り果ててしまった。
しばらく我慢していたが耐えられなくなり近くの診療所へ走る。
内科であり専門外にも関わらず医師はとても親身になってくれた。
唾液線が炎症を起こしているらしく何かの細菌が悪さをしているらしい。
本来なら咽喉科を受診するべきところだが応急の処置をしてくれた。
抗生剤と鎮痛剤を処方してくれたので昼食後に早速服用する。
そうしたら30分もしないうちに今度は眩暈に襲われてしまった。
とても仕事どころではなくなり車中でしばらく横になり様子を見る。
おそらくどちらかの薬の副作用ではないかと思われた。
直ぐに医師に相談するべきだったが敢えてそれをしなかった。
喉の痛みは既に治まっており足の痛みまで楽になっていたのだ。
午後は少し仕事が出来たが義父に相談し早めに終わらせてもらった。
何とか買い物を済ませ帰宅するなり一時間程寝ただろうか。
目覚めたら眩暈は治まっており随分と楽になっていた。
夫に心配を掛けてしまったが夕食の支度もちゃんと出来てほっとする。
喫煙はどうしても止めることが出来ず唾液腺の炎症もそのせいに思えた。
それ程までに喉を酷使しているのだろう。これも自業自得である。
またかと思いつつひたすら自己嫌悪に陥るばかりであった。
どうすれば良いのか分からない。自分を制御することが出来ない。
意志の弱さよりも精神的な弱さとしか思えなかった。
幸い今夜は痛みが治まっているが明日はどうだろうと不安でならない。
なんだか自分で身を切り刻んでいるような気持になった。
刻んでしまえば私は欠片になるのだろうか。
それでも生きて行けるのだろうか。
冬晴れと云って良いのか今日も気温が16℃まで上がり
何と3月中旬並みの暖かさとなりおどろく。
週間天気予報では週末からまた少しずつ寒さが戻って来るそうだ。
そうして三寒四温を繰り返しながら本物の春が訪れるのだろう。
今朝の山里は0℃と冷え込み一面の霜であった。
職場の近くに小さな梅園があるがまだ蕾は見えていない。
きっと平野部よりも遅れて咲くことだろう。
大型車の車検整備がやっと完了。義父が待機してくれており助かる。
検査を終えると書類を整えやっと納車が出来るようになった。
随分と手間取りお客さんも待ち兼ねていたようだ。
まして新規のお客さんだったので今回限りかもしれなかった。
何としても来年に繋げたいがこればかりはお客さん次第である。
お昼前に納車。お客さんが思ったよりも安かったと言ってくれほっとした。
早速明日即金で支払ってくれるそうで会社も大助かりである。
いつまでもゼロではいられない。月末は刻々と近づいていた。
同僚は直ぐに次の車検整備に取り掛かってくれたが
これも厄介な修理があり一日ではとても無理な様子である。
昨日の一悶着もあったので同僚の機嫌を取りながらだった。
急かせばミスも在り得るだろう。思うようには行かないものだ。
週一のリハビリの日だったので2時過ぎに退社する。
病院の駐車場は珍しく空いていたがバックで駐車しようとして
ブロック塀に車を当ててしまった。「こつん」と小さな音がする。
おそるおそる車の後部を見ると微かに傷が付いていた。
もう10年も経たオンボロ車なのでさほどショックではないが
またやってしまったのかと自信喪失に繋がる出来事であった。
他人様の車に当てたのではないのでまあ良いかと自分を宥めるしかない。
4時半に帰宅。もう横になる時間もなかった。
さほど疲れは感じていなかったが何となく虚しい。
今日が終われば明日しかないが心に余裕がないように思う。
日々背中を押されるように「前へ前へ」と進むばかりである。
私の種は何処に埋もれているのだろう。
春になれば芽が出るのだろうかと心細くてならない。
芽
細々と続けていること やがて芽になるだろう 恵みの雨を待ちながら 土のなかで眠っている
陽射しはやわらかく もう春のようだった おひさまの声がする 空は何処までも青い
叶うことばかりではない けれども願うことは出来る
望みのない生き方など どうして選ぶだろうか
土のぬくもりを知れば 奇跡さえ訪れるだろう
芽になるために生きている ささやかなことなのだ このまま尽きることなど 決してあってはならない
朝は氷点下近くなり冷え込んだが日中は15℃まで気温が上がり
ぽかぽかと暖かく春を思わすような陽気となる。
高知城下では梅が開花したとのこと。ほっこりの春便りである。
やがては四万十も咲き始めることだろう。とても楽しみであった。
長閑な春の光景が目に浮かび心が浮き立つようである。
終らない冬などありはしない。ゆっくりと春の足音が近づいて来ている。
工場の仕事は今日も停滞しており一向に捗らない。
同僚も苛立っているのだろう。今朝は出勤するなり一悶着あった。
「大型車の車検を引き受けるからだ」と言うのである。
まるで私の責任のように受け止められむっとせずにはいられない。
仕事を選んではいけないのだ。それが商売の基本ではないだろうか。
「出来ません」とどうして断ることが出来ようか。
朝から言い争うのも厳禁でそれ以上は何も言えなかった。
黙々と整備を始めた同僚の背中が何だかとても憐れに見えて来る。
義父は今日も田んぼである。工場の忙しさを気にしているようでもあったが
口を散々挟んだ挙句に逃げるように出掛けて行った。
首の痛みも和らいでいるのか心配無用のようである。
とにかく好きなようにさせてやらなければいけない。
あちらを立てればこちらが立たずでは苦労が台無しであった。

今日は「初大師」今年初めてのお大師さんの縁日である。
早目に帰宅していたので時間の余裕は十分にあったが
すっかり足が遠のいてしまったお大師堂へ行く気にならなかった。
このままもう二度とお参りに行くことはないのかもしれない。
信仰云々よりも私の心の持ちようではないだろうか。
億劫でならないのである。何と罰当たりなことであった。
今朝は夜明け前にお遍路さんの詩を書いた。
「初大師」にせめてもと思うささやかなことに他ならない。
冬遍路
微かに響き渡っている 金剛杖の鈴だろうか 険しい峠道を越えると 一面の田園地帯だった
まるで雪のような霜である 朝陽を浴びてきらきらと輝く その光こそが希望におもえる
同行二人であったが なんと孤独な旅であろうか 肩を寄せ合う人もいない
黙々と歩き続けている 誰を想い誰のためだろう
苦しみも哀しみも遠ざかり ただひたすらの歩みであった
旅は続くその道が空であるかのように
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