冬晴れと云って良いのか今日も気温が16℃まで上がり
何と3月中旬並みの暖かさとなりおどろく。
週間天気予報では週末からまた少しずつ寒さが戻って来るそうだ。
そうして三寒四温を繰り返しながら本物の春が訪れるのだろう。
今朝の山里は0℃と冷え込み一面の霜であった。
職場の近くに小さな梅園があるがまだ蕾は見えていない。
きっと平野部よりも遅れて咲くことだろう。
大型車の車検整備がやっと完了。義父が待機してくれており助かる。
検査を終えると書類を整えやっと納車が出来るようになった。
随分と手間取りお客さんも待ち兼ねていたようだ。
まして新規のお客さんだったので今回限りかもしれなかった。
何としても来年に繋げたいがこればかりはお客さん次第である。
お昼前に納車。お客さんが思ったよりも安かったと言ってくれほっとした。
早速明日即金で支払ってくれるそうで会社も大助かりである。
いつまでもゼロではいられない。月末は刻々と近づいていた。
同僚は直ぐに次の車検整備に取り掛かってくれたが
これも厄介な修理があり一日ではとても無理な様子である。
昨日の一悶着もあったので同僚の機嫌を取りながらだった。
急かせばミスも在り得るだろう。思うようには行かないものだ。
週一のリハビリの日だったので2時過ぎに退社する。
病院の駐車場は珍しく空いていたがバックで駐車しようとして
ブロック塀に車を当ててしまった。「こつん」と小さな音がする。
おそるおそる車の後部を見ると微かに傷が付いていた。
もう10年も経たオンボロ車なのでさほどショックではないが
またやってしまったのかと自信喪失に繋がる出来事であった。
他人様の車に当てたのではないのでまあ良いかと自分を宥めるしかない。
4時半に帰宅。もう横になる時間もなかった。
さほど疲れは感じていなかったが何となく虚しい。
今日が終われば明日しかないが心に余裕がないように思う。
日々背中を押されるように「前へ前へ」と進むばかりである。
私の種は何処に埋もれているのだろう。
春になれば芽が出るのだろうかと心細くてならない。
芽
細々と続けていること やがて芽になるだろう 恵みの雨を待ちながら 土のなかで眠っている
陽射しはやわらかく もう春のようだった おひさまの声がする 空は何処までも青い
叶うことばかりではない けれども願うことは出来る
望みのない生き方など どうして選ぶだろうか
土のぬくもりを知れば 奇跡さえ訪れるだろう
芽になるために生きている ささやかなことなのだ このまま尽きることなど 決してあってはならない
朝は氷点下近くなり冷え込んだが日中は15℃まで気温が上がり
ぽかぽかと暖かく春を思わすような陽気となる。
高知城下では梅が開花したとのこと。ほっこりの春便りである。
やがては四万十も咲き始めることだろう。とても楽しみであった。
長閑な春の光景が目に浮かび心が浮き立つようである。
終らない冬などありはしない。ゆっくりと春の足音が近づいて来ている。
工場の仕事は今日も停滞しており一向に捗らない。
同僚も苛立っているのだろう。今朝は出勤するなり一悶着あった。
「大型車の車検を引き受けるからだ」と言うのである。
まるで私の責任のように受け止められむっとせずにはいられない。
仕事を選んではいけないのだ。それが商売の基本ではないだろうか。
「出来ません」とどうして断ることが出来ようか。
朝から言い争うのも厳禁でそれ以上は何も言えなかった。
黙々と整備を始めた同僚の背中が何だかとても憐れに見えて来る。
義父は今日も田んぼである。工場の忙しさを気にしているようでもあったが
口を散々挟んだ挙句に逃げるように出掛けて行った。
首の痛みも和らいでいるのか心配無用のようである。
とにかく好きなようにさせてやらなければいけない。
あちらを立てればこちらが立たずでは苦労が台無しであった。

今日は「初大師」今年初めてのお大師さんの縁日である。
早目に帰宅していたので時間の余裕は十分にあったが
すっかり足が遠のいてしまったお大師堂へ行く気にならなかった。
このままもう二度とお参りに行くことはないのかもしれない。
信仰云々よりも私の心の持ちようではないだろうか。
億劫でならないのである。何と罰当たりなことであった。
今朝は夜明け前にお遍路さんの詩を書いた。
「初大師」にせめてもと思うささやかなことに他ならない。
冬遍路
微かに響き渡っている 金剛杖の鈴だろうか 険しい峠道を越えると 一面の田園地帯だった
まるで雪のような霜である 朝陽を浴びてきらきらと輝く その光こそが希望におもえる
同行二人であったが なんと孤独な旅であろうか 肩を寄せ合う人もいない
黙々と歩き続けている 誰を想い誰のためだろう
苦しみも哀しみも遠ざかり ただひたすらの歩みであった
旅は続くその道が空であるかのように
二十四節気の「大寒」一年で最も寒さが厳しい頃であるが
今日は随分と暖かくなりまるで春のようであった。
過ごし易かったがこれも異常気象なのかと思う。
やはり暖冬なのだろう。地球温暖化が原因かもしれない。
夜明け前にいつものように詩を書いたが
何を勘違いしていたのだろう「大寒」を「大雪」と書いてしまった。
直ぐに気づけば書き直すことが出来たのに全く気づかなかったのだ。
詩はそれなりに最後まで書けていたがお粗末この上ないものとなる。
まあどんな時もあるものだと笑ってごまかすしかない。
昨夜夜中に雨が降っていたらしく今朝は濃い霧が立ち込めていた。
車のライトを点灯しおそるおそる職場へと向かう。
やがて霧が晴れると真っ青な青空が見えた。
何と清々しいことだろう。心の霧も晴れたような気がしたのだった。
工場の仕事はまた糞詰まり状態となる。
金曜日から入庫している車検整備がまだ済んでいなかった。
大型車なので同僚も手こずっているのだろう。急かしてはならない。
今日は今日の予約があったが手を付けることが出来なかった。
その上に新たな予約がありいったいどうなることだろう。
同僚には大きな負担を掛けるが精を出してもらうしかない。
経理は大口の支払いがあり切羽詰まっていた。
ありったけの現金と預金を搔き集めぎりぎりセーフとなる。
またゼロからのスタートであった。月末までの勝負である。
荒波に放り出された気分となり無我夢中で泳ぐしかない。
溺れる者は藁をもつかむがその藁さえ見つからないのだった。
嘆いたところで何も変わりはしないので「負けるもんか」と思う。
私ならきっと乗り越えられる。不思議とそんな自信が湧いて来ていた。
午前中整形外科へ行っていた義父がお昼に帰って来る。
今日は首にギブスをはめる予定だったが取り止めたとのこと。
首を全く動かすことが出来なくなるので車の運転も出来なくなるのだそうだ。
引き続き痛み止めと湿布で様子を見ることに決めたらしい。
そんな状態だと云うのに午後から田んぼへ行くと言うからおどろく。
早く田起こしを済ませないと田植えの準備が出来ないのだそうだ。
まだまだ先の事だと思っていたが米作りの何と気忙しいことだろう。
勇ましく出掛けて行くのをはらはらしながら見送る。
とても81歳の傷病者とは思えなかった。
どれ程心配しても本人次第なのだろう。「やる気」が義父を助けている。
日が暮れてから電話があり随分と捗ったとのこと。
その話しぶりがまるで子供のようで微笑ましく思った。
義父の辞書には「無理」がないのだろう。常に「やれば出来る」のである。
明日は明日の風が吹くが心配し過ぎてもいけない。
成るようにしか成らないのが世の常である。
私には与えられた日常があり織るように過ごすしかなかった。
これ以上もなければこれ以下もないだろう。
やがては一枚の布を織りあげることがきっと出来るのに違いない。
曇り日。午後から少しだけ霧雨が降る。
まるで春先のような優しい雨であった。
朝のうちに桜草の苗を植えたが座ると立ち上がることが出来ず
犬のように四つん這いになってやっとの思いであった。
このところ足の痛みが和らいでおり出来ると過信していたようだ。
やはり思うようにはいかずいささかショックであった。
桜草には小さな花芽が見え始めており立春までには咲きそうである。
早春の庭が目に浮かび微笑まずにはいられない。

午後は少しだけお昼寝。昨日は寝過ぎてしまって夜眠れなかったのだ。
天井が落ちて来て圧し潰されるのではないかと思った。
夫の忠告もありなるべくテレビを見るように努めていた。
けれども直ぐに鼾をかいて寝ていたそうで困ったものである。
読書離れをしてしまい随分と経ったが
活字中毒には変わりなくまた過去の日記を読み返していた。
3年前の一月の日記で我ながら読みごたえがある。
つい3年前のことなのに懐かしくてならない。
他の誰の為でもなく自分の為に書いたのだろうと思った。
過ぎ去った日々は二度と返って来ないのだ。だからこその日記である。
母が生きていた。あやちゃんも毎日学校に通っていた。
それが現実でなくて何だろうと思う。
詩のことや短歌のことも書いていたが今とは少しかけ離れていた。
認められたい「欲」を手放しているようだった。
まだ石も投げられていない踏みにじられてはいない頃である。
それだけ自由だったのだろう。生き生きとしているように感じられた。
「初心」とは少し違うが戻れないものかと思う。
私はもっと自由であるべきなのだ。
欲のないありのままの姿で「書く」ことを貫いて生きたい。
今日もやがては過去になるだろう。
生きてさえいればまた出会える「今日」である。
その為に書き残していると云っても過言ではないだろう。
昨夜はあと10年かと記してしまったが
欲を許されるのならば20年生きたくなってしまった。
書いて書き尽くして終れる人生ならそれこそが本望だろう。
ちっぽけな人間である。けれどもこの命を誇りに思っている。
息吹
やわらかくなる 触れるとつるっと こぼれ落ちてしまう
指先にはこころが宿り 息を伝えようとしている
石を投げられたこと 踏みにじられたこと もう忘れられるだろう
誰もが等しく在ること 疎外されてはならない
やわらかくなる それは春の芽のように 息吹そのものであった
私のような者だからこそ 見失ってはならない こぼれ落ちるその前に いのちを注ぎ込んでいる
風もなく穏やかな冬晴れ。冬の陽射しのなんと有難いこと。
今朝は右隣の奥さんが桜草の苗を届けてくれていた。
ブロック塀に添うようにそっと置いてくれており嬉しくてならない。
桜草は一年草ではないので管理さえ怠らなければ毎年咲くのだが
昨年花が終わった時に切り揃えてしまったのがいけなかったようだ。
今年は全く芽が出ておらず残念でならなかった。
奥さんにそれとなく話していたので気遣ってくれたのだろう。
早速プランターに植えようと思いつつ今日は何も出来なかった。
明日こそはと思っている。心遣いを無駄にしてはならない。

朝ドラ「カーネーション」を見終わってからずっと寝ていた。
9時を過ぎてやっと目覚め大急ぎで洗濯物を干す。
青空が眩しい。陽射しが洗濯物を歓迎しているように見えた。
10時からはカーブスである。先週は行けなかったので楽しみでならない。
筋トレを始めたら直ぐに身体が温もり心地よく汗が流れる。
それが良き気分転換になったのだろう。帰り道には気分爽快だった。
やはり身体を動かすと心も動くのに違いない。
そうするように自ずから働きかけることが大切に思えた。
それにしても何と鬱々と過ごしていたことだろう。
仕事の疲れもあっただろうが心も酷く疲れていたように思う。
昼食後はまた炬燵に潜り込み何と4時間も寝てしまった。
夫はすっかり呆れ返っており異常だと言われる。
とにかく起きて何かをしようとは全く思えないのだった。
何だか寝るために生きているような気がしないでもない。
考えることは生きることではなく死ぬことばかりであった。
あと20年はとても無理に思える。せいぜい10年ではないか。
その10年の間に私は何を成し遂げられるのだろう。
詩も短歌も極められない。毎日墓穴を掘り続けているように思う。
救えるのは自分しかいないと思うのだがその自分が心細くてならない。
今日は生きていた。明日も生きていたい。
そんな欲に毎日振り回されている。
そのうち罰が当たるかもしれないがそれも定なのだろう。
その罰を受け止めながら立ち向かって行くべきかもしれない。
棘
棘が抜けなくなった ちくちくと痛い
指先まで通う血が その温もりのまま 言葉を奏でている
たいしたことではない ほんのささやかなこと
生きて在ればこそ 叶うことがきっとある
棘はやがて傷になり 苦しみを歌うだろう 嘆けば嘆くほどに 行き場を失ってしまう
いったい何の罰だろう 取り返しのつかないことなら 何としても守ってやりたい
仕打ちに耐えている ありったけの命で 立ち向かうしかない
冬晴れとなり陽射しはたっぷりとあったが風は冷たかった。
長期予報では暖冬傾向となり随分と暖かい日があるらしい。
けれども日本全国とはいかないようで北国は豪雪となっている。
暖冬を手放しで喜ぶにはいささか不平等ではないだろうか。
阪神淡路大震災から30年が経った。
あの朝は厳しい冷え込みでどれ程の人々が被災したことだろう。
決して忘れてはならないことだが震災を知らない世代も多くなっている。
失った尊い命はもう二度と返ってこないのだ。

今週は4日しか仕事をしていないのにどっと疲れが襲って来る。
幸い仕事は捗りお客さんに迷惑を掛けずに済んだ。
義父もやれるだけのことをしてくれどれ程助かったことだろう。
明日の新年会はやはり出席するとのこと。もう止めても無駄である。
午後には事務仕事も一段落しており2時に退社した。
疲れが酷くもう限界であった。一刻も早く横になりたくてならない。
3時過ぎには帰宅しておりすぐさま炬燵に潜り込む。
大相撲を観ながら少しうたた寝をしていたようだ。
無気力にまた無気力を重ねるように夕食の支度をしたが
6時半になってやっと娘が帰って来る。
あれこれと食材を買ってきており私の作った物は無駄のようだった。
いっそのこと別所帯にすれば良いと思ったが言い出せはしない。
私の苦労は行き場を失い増々気分が落ち込むばかりである。
このところ低迷が続いており思うように浮上出来ない。
一度落ち込んでしまうと得体の知れない渦に巻き込まれてしまうのだ。
詩や短歌が唯一の救いのように思えたがそれも芳しくはなかった。
ずっと誰かから石を投げられているような気がしてならない。
石が当たれば当然のように痛いのだ。傷だって出来るだろう。
その度に「負けるもんか」と思うのだが実際には負けているようだった。
前途は不安だらけで光が見えない。
私のような者がと自らを貶めるばかりであった。
救いの手を待っていてはいけないのだろう。
自分以外に誰が私を救えるだろうか。
種
このままではいけない きっと壊れてしまうだろう
冬の陽射しと冷たい風 手のひらには一粒の種
夢のように春を待っている その息吹を感じるままに
土色をしたこころを耕し 少しの肥糧が必要である
雨はためらいながら降り 微かな恵みになろうとする
分不相応であることは 哀しみに似ているけれど 仕打ちであってはならない
生きるために与えられた種 失うわけにはいかないだろう
このままではいけない 壊れてしまうその前に 一粒の種を蒔こうとしている
晴れたり曇ったり。陽射しが遮られると何とも冷たい。
冬のおひさまの有難さをつくづく感じた一日だった。
インフルエンザの後遺症だろうか夫は食欲不振である。
胃の痛みこそないが胸やけが酷いらしい。
胃薬を服用しても治らず溜息ばかりついている。
私も食欲がイマイチで何を食べても美味しいと思わない。
それでも食事は作らなくてはならずいささか気分が滅入る。
おまけに情緒が不安定になっており少し鬱気味のようであった。
プラス思考になれないのだ。つい悪い方へと考えが及ぶ。
仕事の忙しさもあるだろう。気分転換が必要かもしれない。
今朝は義父が事務所に居てくれて車検完了の書類が整った。
糞詰まり状態になっていたのでどれ程助かったことだろう。
まだ首の痛みがあり本調子ではないが無理を強いてくれたのだった。
このまま順調に快復してくれたらと願わずにはいられない。
友人から電話があり土曜日に新年会の第二段を行うのだそうだ。
てっきり断ると思っていたが迷わず了承したのでおどろく。
今の状態ではとても無理である。いったい何を考えているのか。
誘う友人も友人である。あまりにも無謀に思えてならない。
それでも義父は上機嫌となり痛みも忘れている様子であった。
在り得ない話であるが「飲んだら治る」と信じているらしい。
心配でならなかったが義父の好きなようにさせてやろうと思う。
やり残した仕事はあったが3時に退社する。
お昼休憩もなかったのでぐったりと疲れていた。
帰り道にはくよくよと考えることばかりである。
20日には大口の支払いがあったが資金が足りそうにない。
今年はゼロからのスタートだったのだ無理もないだろう。
それにしても20日になるのが何と早く感じられた。
次は月末であるがいったいどうすれば良いのだろう。
私には穴のようなものがあって冷たい風が吹き抜けている。
塞げば済むことだが両手はかじかむばかりであった。
穴
つきは月満ちて輝く やがて尽き失うが 消えるのではない
わたしには穴がある 空っぽの空である 浮かべるものはなく ただ風が吹き抜けていく
塞ぐにはちからが及ばず 添える手はかじかむばかり
真冬の月は空を温めるが 穴はいつまでも冷たい 墓穴を掘り続けたあげくに いのちは心細く儚いものだ
せめてもの光であろうか 穴の向こう側で月が満ちる
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