朝のうちは雨。氷雨ほどではなかったが何とも冷たい雨であった。
午後には止んでいたが気温が10℃に満たず真冬の寒さとなる。
「小正月」であったが昔からのしきたりには疎く
特に何かをするわけでもなく仕事ばかりの一日だった。
ちょうど満月の頃であり平安時代には一年の始まりとしたそうだ。
小豆粥を食べ始めたのもおそらくその頃からだろう。
明けても暮れても仕事である。今日も目まぐるしい程の忙しさだった。
同僚が精を出してくれたおかげで車検整備が随分と捗る。
義父は昨日の疲れもあり居室で休んでいたのだが
工場が気になるのだろう何度か顔を見せてくれた。
その度に「心配ないけん」と声を掛け安静を勧める。
昼食はバナナ一本であった。そうして痛み止めを服用するのだ。
する仕事はいくらでもあったが今日はリハビリがある日。
予約時間は守らなければならず3時前に退社した。
昨日もそうだったが時間に追われるばかりである。
一日があっという間に過ぎて行く。
インフルの発熱から今日で一週間だった。
理学療法士のU君が感染したのではないかと気になっていたが
全く症状は出なかったと聞きほっと胸を撫でおろす。
大勢の患者さん相手の仕事である。今後も気掛かりでならない。
買い物を済ませ4時半に帰宅したら思いがけず娘の車があった。
毎週とは限らないが水曜日の午後は休みなのだそうだ。
以前にもあったが娘は朝何も告げてはくれなかった。
私には関りの無いことと思っているのだろうか。
その一言がないのが何だか寂しくてならない。
娘が居るとは思ってもいなかったので夕飯はすっかり手抜きであった。
今日は珍しくお昼に少し車中で休憩をしたのだが
すっかり枝を落としたヤマモモの樹を仰ぎながら色んなことを考えていた。
子供の頃から何をやっても中途半端だったこと。
どんなに一生懸命頑張っても成果が出なかったこと。
何ひとつ抜き出た才能が在る訳でもなく「そこそこ」だったこと。
負けず嫌いであったがずっと負け続けていたこと。
70歳が近くなりもう人生も残り少なくなったが
おそらくもうこれ以上の成果は在り得ないのではないだろうか。
そうなれば現状維持しかないがその現状が心細くてならない。
悪く考えれば切りがないが私はかなり落ちぶれているようだ。
その自覚に苦しみ焦り手の施しようがないように思う。
今朝は夜明け前に詩が書けなかった。
それは大きな痛手であり私を追い詰めていくばかりである。
一面の霜の朝。山里は特に雪と見間違う程だった。
冬晴れとなったが直ぐには気温が上がらずお昼になっても寒さが続く。
メダカの水槽にも氷が張っており冷たくはないかと気遣う。
昨夜は宮崎で震度5弱の地震があり不安がつのる。
気象庁の発表では南海トラフとの関連性は少ないとのこと。
それならば安心とどうして思えるだろうか。
今度は土佐沖かもしれないと誰もが思ったことだろう。
平穏であればあるほど恐怖心は膨れ上がるものである。
5日ぶりの仕事。今日からまた再スタートとなる。
心配していた同僚も出勤して来てくれ大助かりだった。
丁度5日目であるがまだ食欲不振とのことで無理はさせられず
様子を見ながらであったが車検整備に取り掛かってくれた。
義父はまだ首の痛みに耐えていたが高知市へ出張する。
どうしても出席しなければいけない大切な会があった。
痛み止めを服用していたが長距離運転が心配でならない。
義父の友人が運転を申し出てくれたが断ってしまった。
「大丈夫」と言って聞かない。本心はどれほど不安だったことだろう。
無事に着いたと連絡もなかったが心配も薄れ仕事の段取りに忙しい。
予約のお客さんに随分と迷惑を掛けてしまっていた。
このままでは一日2台の車検整備をしなければ追いつかない。
病み上がりの同僚にとっては大きな負担となるだろう。
気負い過ぎてもいけない。とにかく慎重に事を運ばなければと思う。
こんな日に限って内科の薬を切らしてしまい病院へ行く予定だった。
来客があり思うように退社出来ない。時間ばかりが気に掛かる。
なんとか3時前に退社出来たが病院の待ち時間の何と長いこと。
医師と面談しなければ処方箋だけを貰うことが出来ないのだ。
インフルが猛威を振るっており医師も大変なことだろう。
やっと薬局で薬を貰えたがもう4時を過ぎていた。
ぐったりと疲れておりもう何もする気になれない。
なんとか買い物を済ませ帰宅したらもう5時になっていた。
夫は大相撲に夢中で早めにお風呂に入ると言う。
大急ぎで洗濯物を畳み休む間もなく夕食の支度である。
夫のためにとは思えなかった。もはやどうでも良かったのだ。
今週いっぱいは臨時休業の挽回に尽くさねばならない。
老体にムチを打ちながら精一杯に頑張ろうと思っている。
やったらやっただけのことはあるだろう。
ぐるぐると色んなことを考えているがそればかりでは
「こころ」が持たない。いったい誰が守るのか
自分の力を信じる時が来たのに違いない。
たっぷりの陽射しが降り注ぎ冬晴れの一日となる。
「成人の日」で祝日であったが
四万十市は既に1月3日に祝典が行われており実感は湧かず。
近隣市町村も同じくでこれも田舎ならではのことだろう。
都会から帰省する若者が多いお正月にするのが習いであった。
息子や娘の成人式を懐かしく思い出すことはあったが
それももう20年以上も昔の事となり遠い記憶となった。
それよりも孫達であるがあやちゃんは後8年。めいちゃんは10年である。
何としても長生きをして晴れ姿を見たくてならない。
この三連休はまるでお正月休みの続きのようであった。
ゲンキンなものでインフルだったことも忘れるぐらいである。
朝から寝て午後も寝る。ほぼ一日中炬燵に潜り込んでいた。
怠惰を貪りつつ無気力を愉しんでいたのだろう。
「新しくなる」ことなどとても考えられなかった。
E君に紹介して貰っていたネット詩誌への投稿を諦める。
もうその件に関してE君と語り合うこともないだろう。
唯一の仲間のように思っていたが私の思い違いだったようだ。
全て私に落ち度がありE君には何の責任もないのである。
E君は私の詩をあれ以来全く読まなくなった。
もちろん反応もなければ感想もあるはずはない。
それが「仕打ち」なのだと思わずにいられなかった。
仲間がいなくなればまた独りぼっちである。
けれどもそれは私が望んでいたことではないのだろうか。
今日はふっとそんなことを考えていて気が楽になった。
決して群れることのない「はぐれ鳥」なのに違いない。
大空を自由気ままに飛び交っていても満たされはしないだろう。
それは決して「飛躍」ではないからである。
私は飛躍するために空を選んだのではないのだと思う。
あくまでも生きるための空であった。
詩は「いのち」であり唯一の「糧」である。
芽
むくむくとしている いま私は土に埋もれ 雪の気配を感じている
夢だったのだろうか 確かに声が聴こえたが 応えることが出来ない
群れるほどの強さはなく 独りはぐれてしまった 大空では在り得ないのだ どれ程あがいても鳥にはなれない
辺り一面の雪である 私は顔どころか頭も出せない
ただ土はあたたかく 命の在処をおしえてくれる
やがて春の息吹を感じたら ひとつきりの芽になりたい
曇り日。午後から少し陽射しがあったが風は真冬の冷たさであった。
予報では「最強寒波」が緩むと聞いていたのだが
九州長崎では大雪が降ったそうでおどろく。
節気は「大寒」「立春」と続くがまだまだ春は遠いことだろう。
夫の熱がやっと平熱になり今日から茶の間で過ごす。
大相撲中継が始まるので楽しみでならない様子であった。
思いがけなかったのはお風呂掃除をしてくれていたこと。
乾燥機から洗濯物を取り出して茶の間まで運んでくれたこと。
これまで当たり前のように思っていたが有難くてならない。
病み上がりだと云うのに私の足を気遣ってくれたのだろう。
優しさには優しさを。それはとても大切なことである。
夕飯には好物の炒飯をぺろりと平らげご満悦であった。
娘婿はよほどタフなのだろう。熱は直ぐに下がったそうでもう元気である。
これでもう家族全員がインフルを乗り越えることが出来たようだ。
今回は皆がÅ型であったがB型も流行り始めているらしい。
油断は禁物で今後も感染対策を怠ってはいけないようだ。

今朝は久しぶりに詩が書けて嬉しかった。
駄作ではあったが自己満足では十分に思える。
大きな目標が在る訳でもなく「ささやかなこと」を目指したい。
自分の心の声に気づいてやれるのは自分しかいないだろう。
耳を澄ませて言葉にすればそうして救われるのだと思う。
踏みにじられても書く。石を投げられても書く。
そうでなければどうして生きていられようか。
今朝も氷点下の冷え込みであったが日中は穏やかな晴天となる。
久しぶりにほっとするような暖かさを感じた。
「最強寒波」は一時的に緩んだようだが
まだまだこれからどれ程の寒波が襲って来ることだろう。
夫に引き続き今日はとうとう娘婿が発症してしまった。
これで家族6人全員となり我が家はインフルの巣と成り果てる。
しかし幸いなことに最初に感染した娘とめいちゃんは元気になり
私も頭痛が治まり食欲も出て来たのでもう大丈夫だろう。
あやちゃんも同じくでいつも通りに食べられるようになっている。
夫の熱はしぶとくまだ平熱に戻らないが
お昼には月見うどんを食べることが出来て今夜もお粥を食べられた。
熱は今夜が峠だろう。もう少しの辛抱である。
独り暮らしの同僚も心配になり夕方電話をしてみたら
熱は下がったとのこと。ほっと一安心である。
連休なのが幸いでとにかくゆっくりと休むように伝えた。
私も仕事のことは忘れようと思っている。
じたばたしても事態が好転するはずなど在りはしないのだ。
「鏡開き」であったが我が家には鏡餅を供えていなかった。
するべきことをしていなかったことを今更ながら後悔している。
「初詣」にも行っておらずなんと新年を疎かにしてしまったのだろう。
「七草粥」も食べておらず無病息災も叶う訳がなかった。
昔からのしきたりの大切さを身を持って感じずにはいられない。
おまけに母の供養まで怠り年末にはお線香を上げずに帰って来た。
年始もそれどころではなく仕事のことで頭がいっぱいだったのだ。
母の罰だとは思いたくはないがきっと寂しい思いをさせたのだろう。
最初に義父を懲らしめ次々に災難が降りかかって来た。
神も仏も信心あってこそのことである。
疎かにすればするほど災いは絶えないのではないかと思わずにいられない。
けれども母は年末の窮状を確かに見守ってくれていた。
そうでなければ奇跡のように乗り越えることは出来なかったと思う。
そう思うと今もきっと見守っていてくれるはずだと信じたかった。
悪いことばかり続くとは限らない。
きっとこれから良いことも必ずあるだろう。
弱気になってはいけない。前途を照らず光はそう遠くはないはずだ。
氷点下の朝。薄っすらではあったが積雪があった。
「最強寒波」とのことで日本海側は大雪に見舞われている。
気を強く持っていたのだがやはりウィルスには敵わず
とうとう8日にインフルエンザに感染してしまった。
同日あやちゃんも発症し家族の女性陣が総倒れとなる。
昨夜は夫が発熱し今日はインフルエンザの診断を受けた。
無事なのは娘婿一人となり家族皆が頼りにしている。
それも時間の問題に思えて心配でならない。
発症から4日目となった娘は家事が出来るようになり
今日は食料品の買い出しに行ってくれていた。
洗濯物も畳んでくれて何と助かったことだろう。
私は幸い軽症で熱も微熱で済み後は食欲不振と頭痛のみである。
今日で3日目であるが後二日もすれば完治するだろう。
もう少しの辛抱である。
夫は高熱となり喘ぎ苦しんでいる。昨夜から一切食事も出来ない。
今夜のうちに熱が下がることを祈るしかなかった。
職場も大変なことになっており同僚が昨夜発熱。
今日はインフルエンザの診断を受け職場は臨時休業となった。
私が移したとしか思えず何とも気の毒でならない。
幸い義父は今のところ無事であるが首の痛みは相変わらずであった。
それでも留守番は出来るようで任せるしかない。
年始早々にこれほど悪いことが起こるとは誰が想像出来ただろう。
焦っても嘆いても仕方なく嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだと思う。
365日書き続けて来たこの日記も二日間のお休みを頂いた。
毎日読んで下さっている皆様にはご心配おかけしたことだろう。
少しずつであるが日常に戻りたいと願って止まない。
インフルエンザは大流行となり猛威を振るっている。
どれほど用心していても明日は我が身となり得るだろう。
どうか皆様のご無事を心より祈っています。
朝よりも日中の気温が低くなり厳しい寒さとなる。
冷たい風に煽られながら山里では初雪が舞った。
幸い積もるような雪ではなかったが何と冷たいことだろう。
時折は陽射しもあったがその陽を浴びながら雪が降り続ける。
義父は今日も痛みに耐えていた。とにかく首を動かすことが出来ない。
「仕事は大丈夫だから」と言い聞かせ安静にさすのが一番である。
すっかり気力も無くなっており憐れでならなかった。
今日で4日目である。このままでは全治は程遠く思えてならない。
同僚は一生懸命に頑張ってくれていたが
作業中に目に異物が入ったらしく急に痛みを訴える。
水道水で目を洗ってみたが異物が取れない。
すぐ近くの診療所に相談したら眼科へ行くようにと言われる。
午後一番に宿毛市内の眼科へと走った。
義父に続き今度は同僚である。仕事はすっかりお手上げ状態となる。
たまたま重なったのかもしれないが何だか不吉でならなかった。
罰を受けるようなことは何もない。どれほど精を尽くしていたことか。
新年早々のアクシデント続きでさすがに私も参ってしまう。
もしかしたら次は私かも知れないと思わずにはいられなかった。
それだけはあってはならないと振り払うように思い直す。
同僚の帰りを待っていたが直ぐには診てもらえなかったのだろう。
3時になっても帰らず仕方なく後ろ髪を引かれるように退社した。
帰宅すればこれもまた大変なことになっており
娘とめいちゃんがインフルエンザでダウンしていた。
昨夜のうちに発熱していたらしく今日は病院へ行っていたそうだ。
二人ともぐったりと寝ておりしばらく様子を見るしかない。
食欲もないらしく今夜は何も食べられなかった。
せめて熱さえ下がればと祈るばかりである。
一昨年のコロナの時にはあやちゃんを除き家族全員が感染した。
今度は何としても身を守らなければならない。
私は特に今仕事を休めば会社は存続不可能になってしまうだろう。
気を強く持ち決して負けてはならないと立ち向かわねばならない。
悪いことが重なる時もあれば良いことが重なる時もある。
一喜一憂は世の常だろう。嘆いても何も変わりはしないのだ。
夕方同僚に電話したらもう大丈夫とのこと何よりである。
とにかく力を合わせて明日も精を尽くそうと思っている。
良いことはなくてもいい。もうこれ以上悪いことがありませんように。
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