曇り日。午後から少し陽射しがあったが風は真冬の冷たさであった。
予報では「最強寒波」が緩むと聞いていたのだが
九州長崎では大雪が降ったそうでおどろく。
節気は「大寒」「立春」と続くがまだまだ春は遠いことだろう。
夫の熱がやっと平熱になり今日から茶の間で過ごす。
大相撲中継が始まるので楽しみでならない様子であった。
思いがけなかったのはお風呂掃除をしてくれていたこと。
乾燥機から洗濯物を取り出して茶の間まで運んでくれたこと。
これまで当たり前のように思っていたが有難くてならない。
病み上がりだと云うのに私の足を気遣ってくれたのだろう。
優しさには優しさを。それはとても大切なことである。
夕飯には好物の炒飯をぺろりと平らげご満悦であった。
娘婿はよほどタフなのだろう。熱は直ぐに下がったそうでもう元気である。
これでもう家族全員がインフルを乗り越えることが出来たようだ。
今回は皆がÅ型であったがB型も流行り始めているらしい。
油断は禁物で今後も感染対策を怠ってはいけないようだ。

今朝は久しぶりに詩が書けて嬉しかった。
駄作ではあったが自己満足では十分に思える。
大きな目標が在る訳でもなく「ささやかなこと」を目指したい。
自分の心の声に気づいてやれるのは自分しかいないだろう。
耳を澄ませて言葉にすればそうして救われるのだと思う。
踏みにじられても書く。石を投げられても書く。
そうでなければどうして生きていられようか。
今朝も氷点下の冷え込みであったが日中は穏やかな晴天となる。
久しぶりにほっとするような暖かさを感じた。
「最強寒波」は一時的に緩んだようだが
まだまだこれからどれ程の寒波が襲って来ることだろう。
夫に引き続き今日はとうとう娘婿が発症してしまった。
これで家族6人全員となり我が家はインフルの巣と成り果てる。
しかし幸いなことに最初に感染した娘とめいちゃんは元気になり
私も頭痛が治まり食欲も出て来たのでもう大丈夫だろう。
あやちゃんも同じくでいつも通りに食べられるようになっている。
夫の熱はしぶとくまだ平熱に戻らないが
お昼には月見うどんを食べることが出来て今夜もお粥を食べられた。
熱は今夜が峠だろう。もう少しの辛抱である。
独り暮らしの同僚も心配になり夕方電話をしてみたら
熱は下がったとのこと。ほっと一安心である。
連休なのが幸いでとにかくゆっくりと休むように伝えた。
私も仕事のことは忘れようと思っている。
じたばたしても事態が好転するはずなど在りはしないのだ。
「鏡開き」であったが我が家には鏡餅を供えていなかった。
するべきことをしていなかったことを今更ながら後悔している。
「初詣」にも行っておらずなんと新年を疎かにしてしまったのだろう。
「七草粥」も食べておらず無病息災も叶う訳がなかった。
昔からのしきたりの大切さを身を持って感じずにはいられない。
おまけに母の供養まで怠り年末にはお線香を上げずに帰って来た。
年始もそれどころではなく仕事のことで頭がいっぱいだったのだ。
母の罰だとは思いたくはないがきっと寂しい思いをさせたのだろう。
最初に義父を懲らしめ次々に災難が降りかかって来た。
神も仏も信心あってこそのことである。
疎かにすればするほど災いは絶えないのではないかと思わずにいられない。
けれども母は年末の窮状を確かに見守ってくれていた。
そうでなければ奇跡のように乗り越えることは出来なかったと思う。
そう思うと今もきっと見守っていてくれるはずだと信じたかった。
悪いことばかり続くとは限らない。
きっとこれから良いことも必ずあるだろう。
弱気になってはいけない。前途を照らず光はそう遠くはないはずだ。
氷点下の朝。薄っすらではあったが積雪があった。
「最強寒波」とのことで日本海側は大雪に見舞われている。
気を強く持っていたのだがやはりウィルスには敵わず
とうとう8日にインフルエンザに感染してしまった。
同日あやちゃんも発症し家族の女性陣が総倒れとなる。
昨夜は夫が発熱し今日はインフルエンザの診断を受けた。
無事なのは娘婿一人となり家族皆が頼りにしている。
それも時間の問題に思えて心配でならない。
発症から4日目となった娘は家事が出来るようになり
今日は食料品の買い出しに行ってくれていた。
洗濯物も畳んでくれて何と助かったことだろう。
私は幸い軽症で熱も微熱で済み後は食欲不振と頭痛のみである。
今日で3日目であるが後二日もすれば完治するだろう。
もう少しの辛抱である。
夫は高熱となり喘ぎ苦しんでいる。昨夜から一切食事も出来ない。
今夜のうちに熱が下がることを祈るしかなかった。
職場も大変なことになっており同僚が昨夜発熱。
今日はインフルエンザの診断を受け職場は臨時休業となった。
私が移したとしか思えず何とも気の毒でならない。
幸い義父は今のところ無事であるが首の痛みは相変わらずであった。
それでも留守番は出来るようで任せるしかない。
年始早々にこれほど悪いことが起こるとは誰が想像出来ただろう。
焦っても嘆いても仕方なく嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだと思う。
365日書き続けて来たこの日記も二日間のお休みを頂いた。
毎日読んで下さっている皆様にはご心配おかけしたことだろう。
少しずつであるが日常に戻りたいと願って止まない。
インフルエンザは大流行となり猛威を振るっている。
どれほど用心していても明日は我が身となり得るだろう。
どうか皆様のご無事を心より祈っています。
朝よりも日中の気温が低くなり厳しい寒さとなる。
冷たい風に煽られながら山里では初雪が舞った。
幸い積もるような雪ではなかったが何と冷たいことだろう。
時折は陽射しもあったがその陽を浴びながら雪が降り続ける。
義父は今日も痛みに耐えていた。とにかく首を動かすことが出来ない。
「仕事は大丈夫だから」と言い聞かせ安静にさすのが一番である。
すっかり気力も無くなっており憐れでならなかった。
今日で4日目である。このままでは全治は程遠く思えてならない。
同僚は一生懸命に頑張ってくれていたが
作業中に目に異物が入ったらしく急に痛みを訴える。
水道水で目を洗ってみたが異物が取れない。
すぐ近くの診療所に相談したら眼科へ行くようにと言われる。
午後一番に宿毛市内の眼科へと走った。
義父に続き今度は同僚である。仕事はすっかりお手上げ状態となる。
たまたま重なったのかもしれないが何だか不吉でならなかった。
罰を受けるようなことは何もない。どれほど精を尽くしていたことか。
新年早々のアクシデント続きでさすがに私も参ってしまう。
もしかしたら次は私かも知れないと思わずにはいられなかった。
それだけはあってはならないと振り払うように思い直す。
同僚の帰りを待っていたが直ぐには診てもらえなかったのだろう。
3時になっても帰らず仕方なく後ろ髪を引かれるように退社した。
帰宅すればこれもまた大変なことになっており
娘とめいちゃんがインフルエンザでダウンしていた。
昨夜のうちに発熱していたらしく今日は病院へ行っていたそうだ。
二人ともぐったりと寝ておりしばらく様子を見るしかない。
食欲もないらしく今夜は何も食べられなかった。
せめて熱さえ下がればと祈るばかりである。
一昨年のコロナの時にはあやちゃんを除き家族全員が感染した。
今度は何としても身を守らなければならない。
私は特に今仕事を休めば会社は存続不可能になってしまうだろう。
気を強く持ち決して負けてはならないと立ち向かわねばならない。
悪いことが重なる時もあれば良いことが重なる時もある。
一喜一憂は世の常だろう。嘆いても何も変わりはしないのだ。
夕方同僚に電話したらもう大丈夫とのこと何よりである。
とにかく力を合わせて明日も精を尽くそうと思っている。
良いことはなくてもいい。もうこれ以上悪いことがありませんように。
目覚めたら雨が降っていた。雨だれの音が耳に心地よい。
何と41日ぶりの雨だったそうで恵みの雨になったことだろう。
そんな雨も長続きはせず午後にはもう青空が見え始めていた。
陽射しはあっても風が強く冬の寒さを感じる。
やっと仕事始め。喜び勇んで出勤したのだが
義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。
休みの間も農作業をすると張り切っていたので
きっと疲れてまだ寝ているのだろうと思った。
社長不在のまま年頭の挨拶もそこそこに同僚を労う。
すると直ぐに仕事に取り掛かってくれ何とも頼もしかった。
9時前になりやっと義父が顔を見せてくれたが
げっそりとやつれており尋常ではない。
「俺は死ぬかもしれん」と云うので何と驚いたことか。
訊けば3日の夜に階段から滑り落ちたのだそうだ。
その時に首を強打しずっと痛みに耐えていたらしい。
救急車を呼ぶべきだったのだ。しかし独り暮らしでどうしようもなく
何とか二階の居室へ這い上がりそのまま布団へ倒れ込んだようだ。
幸い頭は打っていなかったようだが何と心配なことだろう。
とにかく一刻も早く病院へ行かなければならない。
私が連れて行くべきだったが10時に来客がある予定だった。
タクシーを呼ぼうとしたが絶対に嫌だと云って聞かない。
結局は無理をさせてしまい自分の運転で病院へ向かう。
はらはらと落ち着かずとても仕事どころではなかった。
お昼前に無事に帰って来たが首の骨には異常がなかったとのこと。
「むちうち症」の診断でしばらく安静が必要だった。
湿布と痛み止めを処方されており早速に痛み止めを服用した。
3日は友人宅で「新年会」だったのだそうだ。
普段はあまり飲まない日本酒を飲んだそうで悪酔いしていたのだろう。
日頃から慣れている階段を滑り落ちるのも無理はないと思う。
頭を打っていたらと思うとぞっとする。そのまま死んでいたかもしれない。
しばらくは農作業も工場の仕事も出来そうにないが
同僚と力をあわせて何としても守って行かねばならない。
新年早々のアクシデントだがもうこれ以上悪いことはないだろう。
義父もそう云ってすっかり観念しているようだった。
事務所のホワイトボードはもう20日まで予約で埋まっている。
「どうしよう」と嘆いている場合ではなかった。
お客さんに迷惑をかけないように上手にこなしていかなければならない。
気負えば気負うほど「落とし穴」があるものだ。
とにかく慎重に段取りをしなければいけないと思う。
太っていても「細腕繁盛記」である。
最後には「水戸黄門」で「この印籠が見えぬか」で行こう。
何とかなる。そのために生きているようなものだ。
二十四節気の「小寒」今日から寒の入りである。
氷点下の朝。辺り一面に霜が降りていた。
日中は風もなく暖かくなったが午後から雲が広がる。
隣家の山茶花がはらはらと散り始め我が家の庭にも舞い込む。
決して迷惑とは思っていないのだが隣家の身内の人が掃き掃除に来ていた。
奥さんは先月のこと転倒し腰を骨折したそうで入院中だった。
大晦日から正月三日まで一時帰宅をしていたがお見舞いにも行けなかった。
遠方に住む娘さんが里帰りしていたのできっと笑顔で新年を迎えたことだろう。
日頃から独り暮らしで気掛かりなことが多かったが
高齢になると転倒ほど危険なことはないのだと思う。
山茶花、水仙と主なき家の庭にはひっそりと冬の花が健気に咲いている。

長かった冬休みもやっと今日が最後となった。
もう少しの辛抱と今日もひたすら怠惰に過ごす。
初詣も諦め結局何処にも出掛けることはなかったが
よく食べてよく寝てそれも幸せなことだと思いたい。
午後のお昼寝から目覚めやっと先月の日記を読み終える。
それでも読み足らず10年前と20年前の一月の日記を読んでいた。
10年一昔と云うが本当にその通りである。
そこにはまだ生まれて間もないめいちゃんと2歳のあやちゃんが居た。
乳飲み子のめいちゃんを抱っこしてあやす夫の姿もある。
あやちゃんは私とよくお大師堂へ行っておりお菓子を楽しみにしていた。
それは今では考えられないような微笑ましい光景である。
もう遠い思い出になってしまいなんだか胸が切なくてならない。
あやちゃんは何も憶えてはいないだろう。私だけの大切な思い出である。
20年は大昔となり元気溌溂とした私が居た。
今となっては信じられないようなことだがバドミントンに励んでいる。
まだ閉経も迎えておらず情調不安定な時もあったが
まだ女盛りだったのだろう。恋もしていたようだった。
出会いと別れの間で揺れ動く女心が垣間見れる。
全てのことが過ぎ去ったことであるがそうして生きて来た。
もう二度と戻ることのない「記憶」そのものである。
書き残して置かなければどうして思い出すことが出来ただろう。
毎夜の課題だったのだろう。何としても記そうとしている。
それ程までに「書く」ことは大切なことだったのだと思う。
先のことは何も分からな。いつか最後になるのだとしても
一日一日に心を込めて書き続けようと心に誓った。
永遠に続く「明日」など在りはしないが
「今日」ならば確かに在るのだった。
やがては記憶になるが今日の私は「いま」を生きている。
気温は低目であったが冬晴れとなり暖かさを感じた。
お天気は下り坂で明日の夜には雨になるとのこと。
雪でなくて何よりに思う。しっとりと潤うことだろう。
今朝は声枯れが増々酷くなり声が出難くなっていた。
自業自得なので仕方ないが夫との会話にも引け目を感じる。
煙草のせいだとどうして言えよう。夫は風邪だと思っているようだ。
年末からの休暇も7日目となり気分が塞ぐばかりだった。
とにかく早く仕事がしたくてならない。
今日は月曜日が車検の予定のお客さんから電話があった。
声がまともに出ず会話には苦労したが順調に段取りが整う。
義父に報せようと電話をしたが呼び出し音が鳴り続けるばかりだった。
おそらくトラクターで田起こしを始めているのだろう。
いつもは電話魔の義父だがこの年末年始は一切音沙汰がなかった。
午前中だけカーブスが営業しているとのこと喜び勇んで出掛ける。
寒い朝だったが直ぐに身体が温もり心地よく汗を流した。
お仲間さんの一人が声を掛けてくれ私と同じ股関節変形症なのだそうだ。
それなのに少しも痛そうにはなく元気溌溂としているのに驚く。
詳しく訊けば発症は私よりも古くリハビリも三年目らしい。
とにかく気長にリハビリを続けることだと励ましてもらった。
私も決して諦めてはいけない。きっと救われる日が来るのだと思う。
そのお仲間さんとは毎週一緒になるのに話したのは今日が初めてだった。
ずっと気に掛けてくれていたのだろうと有難くてならない。
午後はまた三時過ぎまでひたすら寝るばかりだった。
この七日間ずっとそうして怠惰に過ごして来た。
寝起きの珈琲を飲みながらまた過去日記を読み耽る。
やはり時間を費やしその間の煙草の量がハンパない。
集中しているせいかひっきりなしに火を点けてしまうのだった。
一箱があっという間である。さすがに自己嫌悪に陥るばかりである。
やっと11月の日記を読み終えたがついこの前のように思っても
記憶が薄れていることも多くはっと思い出してばかりいた。
決して嬉しいことばかりではなく辛いこともあった。
その度に「なんのこれしき」と立ち向かった自分の姿を見る。
そうして何よりも生きることである。「いのち」あってこその日々であった。
明日は12月の日記を読み過ぎ去った日々と潔く別れようと思っている。
それでこそ念願の「新しくなること」に近づけるのではないだろうか。
詩も短歌も低迷しており飛躍には程遠いが
決して遊び半分で書いているのではなかった。
それは「一日一生」でありどれ程の精を尽くしていることだろう。
その精こそが私の命であり掛け替えのないものだと信じて止まない。
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