ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月06日(月) アクシデント

目覚めたら雨が降っていた。雨だれの音が耳に心地よい。

何と41日ぶりの雨だったそうで恵みの雨になったことだろう。

そんな雨も長続きはせず午後にはもう青空が見え始めていた。

陽射しはあっても風が強く冬の寒さを感じる。



やっと仕事始め。喜び勇んで出勤したのだが

義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。

休みの間も農作業をすると張り切っていたので

きっと疲れてまだ寝ているのだろうと思った。

社長不在のまま年頭の挨拶もそこそこに同僚を労う。

すると直ぐに仕事に取り掛かってくれ何とも頼もしかった。


9時前になりやっと義父が顔を見せてくれたが

げっそりとやつれており尋常ではない。

「俺は死ぬかもしれん」と云うので何と驚いたことか。

訊けば3日の夜に階段から滑り落ちたのだそうだ。

その時に首を強打しずっと痛みに耐えていたらしい。

救急車を呼ぶべきだったのだ。しかし独り暮らしでどうしようもなく

何とか二階の居室へ這い上がりそのまま布団へ倒れ込んだようだ。

幸い頭は打っていなかったようだが何と心配なことだろう。

とにかく一刻も早く病院へ行かなければならない。

私が連れて行くべきだったが10時に来客がある予定だった。

タクシーを呼ぼうとしたが絶対に嫌だと云って聞かない。

結局は無理をさせてしまい自分の運転で病院へ向かう。

はらはらと落ち着かずとても仕事どころではなかった。


お昼前に無事に帰って来たが首の骨には異常がなかったとのこと。

「むちうち症」の診断でしばらく安静が必要だった。

湿布と痛み止めを処方されており早速に痛み止めを服用した。


3日は友人宅で「新年会」だったのだそうだ。

普段はあまり飲まない日本酒を飲んだそうで悪酔いしていたのだろう。

日頃から慣れている階段を滑り落ちるのも無理はないと思う。

頭を打っていたらと思うとぞっとする。そのまま死んでいたかもしれない。

しばらくは農作業も工場の仕事も出来そうにないが

同僚と力をあわせて何としても守って行かねばならない。


新年早々のアクシデントだがもうこれ以上悪いことはないだろう。

義父もそう云ってすっかり観念しているようだった。

事務所のホワイトボードはもう20日まで予約で埋まっている。

「どうしよう」と嘆いている場合ではなかった。

お客さんに迷惑をかけないように上手にこなしていかなければならない。


気負えば気負うほど「落とし穴」があるものだ。

とにかく慎重に段取りをしなければいけないと思う。

太っていても「細腕繁盛記」である。

最後には「水戸黄門」で「この印籠が見えぬか」で行こう。

何とかなる。そのために生きているようなものだ。



2025年01月05日(日) 記憶

二十四節気の「小寒」今日から寒の入りである。

氷点下の朝。辺り一面に霜が降りていた。

日中は風もなく暖かくなったが午後から雲が広がる。


隣家の山茶花がはらはらと散り始め我が家の庭にも舞い込む。

決して迷惑とは思っていないのだが隣家の身内の人が掃き掃除に来ていた。

奥さんは先月のこと転倒し腰を骨折したそうで入院中だった。

大晦日から正月三日まで一時帰宅をしていたがお見舞いにも行けなかった。

遠方に住む娘さんが里帰りしていたのできっと笑顔で新年を迎えたことだろう。

日頃から独り暮らしで気掛かりなことが多かったが

高齢になると転倒ほど危険なことはないのだと思う。

山茶花、水仙と主なき家の庭にはひっそりと冬の花が健気に咲いている。




長かった冬休みもやっと今日が最後となった。

もう少しの辛抱と今日もひたすら怠惰に過ごす。

初詣も諦め結局何処にも出掛けることはなかったが

よく食べてよく寝てそれも幸せなことだと思いたい。


午後のお昼寝から目覚めやっと先月の日記を読み終える。

それでも読み足らず10年前と20年前の一月の日記を読んでいた。

10年一昔と云うが本当にその通りである。

そこにはまだ生まれて間もないめいちゃんと2歳のあやちゃんが居た。

乳飲み子のめいちゃんを抱っこしてあやす夫の姿もある。

あやちゃんは私とよくお大師堂へ行っておりお菓子を楽しみにしていた。

それは今では考えられないような微笑ましい光景である。

もう遠い思い出になってしまいなんだか胸が切なくてならない。

あやちゃんは何も憶えてはいないだろう。私だけの大切な思い出である。


20年は大昔となり元気溌溂とした私が居た。

今となっては信じられないようなことだがバドミントンに励んでいる。

まだ閉経も迎えておらず情調不安定な時もあったが

まだ女盛りだったのだろう。恋もしていたようだった。

出会いと別れの間で揺れ動く女心が垣間見れる。


全てのことが過ぎ去ったことであるがそうして生きて来た。

もう二度と戻ることのない「記憶」そのものである。

書き残して置かなければどうして思い出すことが出来ただろう。

毎夜の課題だったのだろう。何としても記そうとしている。

それ程までに「書く」ことは大切なことだったのだと思う。


先のことは何も分からな。いつか最後になるのだとしても

一日一日に心を込めて書き続けようと心に誓った。

永遠に続く「明日」など在りはしないが

「今日」ならば確かに在るのだった。

やがては記憶になるが今日の私は「いま」を生きている。



2025年01月04日(土) 一日一生

気温は低目であったが冬晴れとなり暖かさを感じた。

お天気は下り坂で明日の夜には雨になるとのこと。

雪でなくて何よりに思う。しっとりと潤うことだろう。


今朝は声枯れが増々酷くなり声が出難くなっていた。

自業自得なので仕方ないが夫との会話にも引け目を感じる。

煙草のせいだとどうして言えよう。夫は風邪だと思っているようだ。


年末からの休暇も7日目となり気分が塞ぐばかりだった。

とにかく早く仕事がしたくてならない。

今日は月曜日が車検の予定のお客さんから電話があった。

声がまともに出ず会話には苦労したが順調に段取りが整う。

義父に報せようと電話をしたが呼び出し音が鳴り続けるばかりだった。

おそらくトラクターで田起こしを始めているのだろう。

いつもは電話魔の義父だがこの年末年始は一切音沙汰がなかった。



午前中だけカーブスが営業しているとのこと喜び勇んで出掛ける。

寒い朝だったが直ぐに身体が温もり心地よく汗を流した。

お仲間さんの一人が声を掛けてくれ私と同じ股関節変形症なのだそうだ。

それなのに少しも痛そうにはなく元気溌溂としているのに驚く。

詳しく訊けば発症は私よりも古くリハビリも三年目らしい。

とにかく気長にリハビリを続けることだと励ましてもらった。

私も決して諦めてはいけない。きっと救われる日が来るのだと思う。

そのお仲間さんとは毎週一緒になるのに話したのは今日が初めてだった。

ずっと気に掛けてくれていたのだろうと有難くてならない。


午後はまた三時過ぎまでひたすら寝るばかりだった。

この七日間ずっとそうして怠惰に過ごして来た。

寝起きの珈琲を飲みながらまた過去日記を読み耽る。

やはり時間を費やしその間の煙草の量がハンパない。

集中しているせいかひっきりなしに火を点けてしまうのだった。

一箱があっという間である。さすがに自己嫌悪に陥るばかりである。


やっと11月の日記を読み終えたがついこの前のように思っても

記憶が薄れていることも多くはっと思い出してばかりいた。

決して嬉しいことばかりではなく辛いこともあった。

その度に「なんのこれしき」と立ち向かった自分の姿を見る。

そうして何よりも生きることである。「いのち」あってこその日々であった。

明日は12月の日記を読み過ぎ去った日々と潔く別れようと思っている。

それでこそ念願の「新しくなること」に近づけるのではないだろうか。


詩も短歌も低迷しており飛躍には程遠いが

決して遊び半分で書いているのではなかった。

それは「一日一生」でありどれ程の精を尽くしていることだろう。

その精こそが私の命であり掛け替えのないものだと信じて止まない。





2025年01月03日(金) 「哀」ばかり

明けてみっか。今夜こそは三日月である。

黄昏時に見上げる空はまるで童話のようであった。

一番星と月が随分と近く感じるが実際にはどれ程の距離があるのか。

天体には無学の身には想像もつかない遠い距離なのだろう。


日中はぽかぽか日和。風が少し強かったが陽射しには敵わない。

過去には雪のお正月もあったが今年は天候に恵まれていた。


朝のうちに買い物に行ったきり後は殆ど寝て過ごす。

午前中に一時間、午後は二時間超えのお昼寝であった。

夫は異常ではないかと気遣ってくれるがとにかく眠いのだ。

仕事が始まると休む時間もなくなるので今の内である。


未読の詩集や歌集が山積みになっているが開こうともしなかった。

怠惰に過ごせば過ごすほど時間を無駄にしているのだろう。

そうそう残されている時間は在りもしないだろうに。

生きているうちに読み終えることが出来るのだろうかと思う。


3時には目覚めておりまた自室に籠り昨年の日記を読み返す。

今日は9月分まで読み終えたがけっこう時間を費やすものだ。

ひと月分を読むのに一時間掛かるのだ。いったい誰が書いたのだろう。

それぞれの日々に思い入れがあり我ながら感慨深いものがある。

ありふれた平凡な日常でも書き残して置いて良かったと思うことが多い。

ある日突然に書けなくなっても悔いはないのかもしれない。


タイムリミットは4時で洗濯物を畳んだりとけっこう忙しい。

すっかり諦めていたE君からメールが届いていて思いがけなかった。

明日のスペースのお誘いであったが随分と迷いつつお断りする。

声枯れが酷く話すのが辛いせいもあるのだが

一番に懸念するのはまた私の失言で傷つけてしまうことだった。

もう二度とあってはならないと思うとすっかり臆病になってしまう。

気分も滅入っておりとても会話が出来る状態ではなかった。

それで切れるような縁ではないと思うが切れても仕方ないと思う。


相変わらず気分の浮き沈みが激しい。

喜怒哀楽の「哀」ばかりに囚われているような気がする。

そんな時は気分転換をするのが一番だが何も思い立つことがなかった。

そもそも行動力がないのだ。気力がないと云っても過言ではないだろう。

このままでは新しくなどなれないのではと焦りも感じている。


一日一日を縫うように。それが理想だったが

今のところ一針も進んでいないようだ。

縫っては解きを繰り返しているように感じてならない。



明日はもう四日となりいつもの日常が近くなって来た。

仕事がしたくてならない。そんな活気が待ち遠しくてならないのだ。

針に糸を通しながら何としても一針を縫いたい。



2025年01月02日(木) 二日月(ふつかづき)

明けてふつか。雲一つない青空となりたっぷりの陽射しであった。

ぽかぽかと暖かくなりまるでささやかな春のようである。


夕暮れ時に一番星を見つけるとそのすぐ傍に二日月が見えた。

新月から二日目の月を「ふつかづき」と呼ぶのだそうだ。

これも無学な私のことで今日まで知らずにいた。

細い月はみな三日月だと思っていたのだ。恥ずかしい限りである。

二日月が見えるのはつかの間の事で今はもう西の空に沈んでしまった。

なんだか貴重な光景を見たようで胸が躍るようである。



例年なら初詣に出掛けているが今年はすっかり諦めていた。

杖なしでも歩けないことはないがお寺の石段などとても無理である。

その上に億劫でならず夫の出不精も重なっていた。

寝正月も良いものだと炬燵に潜り込みひたすら怠惰に過ごす。



覚悟はしていたがやはりE君からスペースの誘いはなかった。

おそらくもう二度と声を聴くこともないだろうと思う。

それ程までに私の失言は繊細なE君の心を傷つけてしまったのだ。

今更後悔しても遅いが顔の見えないネットの世界では有りがちなことだと思う。

ネット歴は長くもう25年を過ぎたが過去にも何度かあったことだ。

どれほど信頼していてもそれは一瞬にして崩れ落ちてしまう。

「去る者は追わず」と強がっていても心を痛めずにはいられなかった。

それは相手も同じ気持ちだろう。憎まれても仕方ないことだと思う。

私はこれまでいったい何を学んで来たのだろう。

いつまで経っても懲りず同じ過ちを繰り返しているようだ。

とにかく必要以上に親しくなってはいけない。

例え縁があっても「儚い縁」であることを思い知るべきだろう。



元旦から少しずつ昨年の日記を読み返しているが

我ながらやたらと長い日記がありすらすらとは読めなかった。

読みながら思い出すことも多く読み流すことが出来ない。

今日はやっと7月分まで読み終えることが出来たが

あやちゃんとのやり取りなど何と心に堪えたことだろう。

この日記をSNSにリンクを貼っていたのを解除した。

「私のことを書かんとってね」とも言われ複雑な思いが交差する。

在りのままを記すことは傷つけることに等しいのだった。

けれども日記である。それはあくまでも真実であるべきではないか。

大きな葛藤があったがそれ以来も私は真実を書き続けている。

それは読んで下さっている人達を心から信頼しているからこそだろう。

そんな人達を裏切るようなことは決して出来ない。


新しい年を迎え穏やかさを噛みしめている。

この先どんな試練が待ち受けていても挫けずにいたいと思う。

私でなければ書けない私の人生が続くことを願って止まない。




2025年01月01日(水) 初春

穏やかな晴天。風もなくぽかぽかと暖かい。

歩けるものなら土手を進みお大師堂に初詣をしたかったが

思うだけで叶わないことを改めて思い知る。

今年もずるずると押し流されてしまうのだろうか。

老いも重なり行動力は皆無に等しい。


お昼前に息子とけい君が来てくれた。

会うのは夏以来だろうかけい君の背が随分と高くなっており驚く。

この春にはもう6年生になるのだ。なんだか信じられなかった。

息子が夜勤の夜には独りで留守番をしているのだそうだ。

母親に頼ることもなくなり逞しく成長したことを感じる。


お昼にはささやかに新年会を催した。

家族揃ってのことは滅多に無く笑顔でいっぱいになる。

めいちゃんは大晦日から娘婿の実家に泊まりに行っており留守だったが

あやちゃんが「やったあ」と声を上げその心境を察する。

日頃から引け目を感じていて思わず本音が出たのだろう。

幼い頃から大の仲良し姉妹だったが随分と遠い日になってしまった。

誰とも遊びたがらないあやちゃんであったがけい君とはよく気か合う。

今日も部屋へ招き入れ肩を寄せ合ってゲームをしていた。


息子は上機嫌で酔っぱらっており早々とマンションへ送り届ける。

けい君はお年玉を数えるのに必死でそれも微笑ましいことだった。

息子は明日から仕事なのだそうだ。どうか今年も平穏にと願う。

離れて暮らしていても子供はいつまでも「こども」である。




新しい年を無事に迎えることが出来て安堵でいっぱいだった。

いつ何があるやら分からない世の中である。

一年前の能登の震災の悲劇を思い出さずにはいられなかった。

復興どころか復旧もまだ遅れているのだそうだ。

避難所で新年を迎えた人も多くその心境を察する。

失ったものは二度と返って来ない。喪失ほどの悲しみがあるだろうか。

どうか少しでも希望をと願わずにはいられなかった。


     初春
   
   一歩目の朝
   新月の暗闇を飛ぶ

   星はいっそう輝き
   天を祝福している

   哀しみの幕は下り
   歓喜の幕が上がる

   ここから始まる
   新しい朝なのだ

   心の息は絶えず
   命を知らせてくれる
   その尊さが愛しい 

   春なのに違いない
   芽吹く日がやって来る
   どれほどの老いでも
   花と咲く日が来るだろう

   陽が昇れば光に満ちて
   真っ青な空を飛ぼう



今年最初の今朝の詩である。

命ある限りどうか書かせて欲しいと願って止まない。



2024年12月30日(月) 小晦日

小晦日。曇り空であったが風がなく暖かさを感じる。

小晦日は「こつごもり」と読むのだそうだ。

無学にも程がありつい先ほど知ったばかりである。


お向かいの奥さんに蕪を頂き千枚漬けを作った。

家族は誰も食べず私一人が好んで食べている。

こんなに美味しいものはないと思うが無理強いは出来ない。


朝のうちに夫と買い物に行っただけで後はまた殆ど寝て過ごす。

特に買う物はないと思っていたのだが結構買ってしまった。

帰宅するなり早速玄関にお正月飾りをした。


娘が床の間のある和室を片付けてくれており大助かりである。

しかし鏡餅は買って来ておらずすっかり手抜きとなった。

和室はずっと娘達の物置状態となっていたので最初から諦めていたのだ。

せめて干支の置物をして新年を迎えたいものだ。

床の間に置いてあったあやちゃんのランドセルが消えていた。

娘が押し入れに仕舞ったのかもしれないが何とも複雑な気持ちになる。

来春には卒業だがおそらく卒業式に出席することはないだろう。



3時には目覚め自室に籠り昨年と一昨年の12月の日記を読み返していた。

あんなこともあったこんなこともあったと懐かしくてならない。

特に一昨年の日記にはまだ川仕事をしていた頃の私達が居た。

今年は廃業を決めたので尚更のこと感慨深く思い出される。

40年以上も続けて来た家業であった。夫婦の歴史と云っても良いだろう。


読み始めたら夢中になり今年一年の日記も読みたかったが

夕刻となってしまい明日に持ち越すことにする。

どんな一年だったのかこの目で確かめて見なくてはいけない。


書くことに必死だった一年だったが報われることはなかったのか。

詩はこれでもかと仕打ちを受け踏みにじられたように思う。

短歌も同じくで新聞に投稿してもことごとく落選であった。


けれどもSNSのおかげでどれほど救われたことだろうか。

絶望ばかりではない希望の光が確かに射し込んでいたように思う。

捨てる神あれば拾う神ありと云っても過言ではないだろう。


この日記もずっと読み続けてくれている人達のおかげで書くことが出来た。

毎日必ず投票ボタンを押してくれ人がいてとても励みに思っている。

日常のあれこれもそうして光に恵まれることが出来たのだ。


命はとても心細くてならないが生きている限りと改めて思う。

「私を忘れないで」その一言に尽きるだろう。

四万十川のほとりでひっそりと生きている名もない草であった。

その草を見つけてくれ触れてくれた恩ほど掛け替えのないものはない。

私の日々が少しでも心に響きますようにと願って止まない。




毎年のことですが小晦日をもって一年の最後の日記とさせて頂きます。

毎日欠かさず読んで下さった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

決して明るいことばかりではなかった一年ですが

どうか心穏やかに清々しい新年をお迎え下さい。

どうもありがとうございました。


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