明けてみっか。今夜こそは三日月である。
黄昏時に見上げる空はまるで童話のようであった。
一番星と月が随分と近く感じるが実際にはどれ程の距離があるのか。
天体には無学の身には想像もつかない遠い距離なのだろう。
日中はぽかぽか日和。風が少し強かったが陽射しには敵わない。
過去には雪のお正月もあったが今年は天候に恵まれていた。
朝のうちに買い物に行ったきり後は殆ど寝て過ごす。
午前中に一時間、午後は二時間超えのお昼寝であった。
夫は異常ではないかと気遣ってくれるがとにかく眠いのだ。
仕事が始まると休む時間もなくなるので今の内である。
未読の詩集や歌集が山積みになっているが開こうともしなかった。
怠惰に過ごせば過ごすほど時間を無駄にしているのだろう。
そうそう残されている時間は在りもしないだろうに。
生きているうちに読み終えることが出来るのだろうかと思う。
3時には目覚めておりまた自室に籠り昨年の日記を読み返す。
今日は9月分まで読み終えたがけっこう時間を費やすものだ。
ひと月分を読むのに一時間掛かるのだ。いったい誰が書いたのだろう。
それぞれの日々に思い入れがあり我ながら感慨深いものがある。
ありふれた平凡な日常でも書き残して置いて良かったと思うことが多い。
ある日突然に書けなくなっても悔いはないのかもしれない。
タイムリミットは4時で洗濯物を畳んだりとけっこう忙しい。
すっかり諦めていたE君からメールが届いていて思いがけなかった。
明日のスペースのお誘いであったが随分と迷いつつお断りする。
声枯れが酷く話すのが辛いせいもあるのだが
一番に懸念するのはまた私の失言で傷つけてしまうことだった。
もう二度とあってはならないと思うとすっかり臆病になってしまう。
気分も滅入っておりとても会話が出来る状態ではなかった。
それで切れるような縁ではないと思うが切れても仕方ないと思う。
相変わらず気分の浮き沈みが激しい。
喜怒哀楽の「哀」ばかりに囚われているような気がする。
そんな時は気分転換をするのが一番だが何も思い立つことがなかった。
そもそも行動力がないのだ。気力がないと云っても過言ではないだろう。
このままでは新しくなどなれないのではと焦りも感じている。
一日一日を縫うように。それが理想だったが
今のところ一針も進んでいないようだ。
縫っては解きを繰り返しているように感じてならない。
明日はもう四日となりいつもの日常が近くなって来た。
仕事がしたくてならない。そんな活気が待ち遠しくてならないのだ。
針に糸を通しながら何としても一針を縫いたい。
| 2025年01月02日(木) |
二日月(ふつかづき) |
明けてふつか。雲一つない青空となりたっぷりの陽射しであった。
ぽかぽかと暖かくなりまるでささやかな春のようである。
夕暮れ時に一番星を見つけるとそのすぐ傍に二日月が見えた。
新月から二日目の月を「ふつかづき」と呼ぶのだそうだ。
これも無学な私のことで今日まで知らずにいた。
細い月はみな三日月だと思っていたのだ。恥ずかしい限りである。
二日月が見えるのはつかの間の事で今はもう西の空に沈んでしまった。
なんだか貴重な光景を見たようで胸が躍るようである。
例年なら初詣に出掛けているが今年はすっかり諦めていた。
杖なしでも歩けないことはないがお寺の石段などとても無理である。
その上に億劫でならず夫の出不精も重なっていた。
寝正月も良いものだと炬燵に潜り込みひたすら怠惰に過ごす。
覚悟はしていたがやはりE君からスペースの誘いはなかった。
おそらくもう二度と声を聴くこともないだろうと思う。
それ程までに私の失言は繊細なE君の心を傷つけてしまったのだ。
今更後悔しても遅いが顔の見えないネットの世界では有りがちなことだと思う。
ネット歴は長くもう25年を過ぎたが過去にも何度かあったことだ。
どれほど信頼していてもそれは一瞬にして崩れ落ちてしまう。
「去る者は追わず」と強がっていても心を痛めずにはいられなかった。
それは相手も同じ気持ちだろう。憎まれても仕方ないことだと思う。
私はこれまでいったい何を学んで来たのだろう。
いつまで経っても懲りず同じ過ちを繰り返しているようだ。
とにかく必要以上に親しくなってはいけない。
例え縁があっても「儚い縁」であることを思い知るべきだろう。
元旦から少しずつ昨年の日記を読み返しているが
我ながらやたらと長い日記がありすらすらとは読めなかった。
読みながら思い出すことも多く読み流すことが出来ない。
今日はやっと7月分まで読み終えることが出来たが
あやちゃんとのやり取りなど何と心に堪えたことだろう。
この日記をSNSにリンクを貼っていたのを解除した。
「私のことを書かんとってね」とも言われ複雑な思いが交差する。
在りのままを記すことは傷つけることに等しいのだった。
けれども日記である。それはあくまでも真実であるべきではないか。
大きな葛藤があったがそれ以来も私は真実を書き続けている。
それは読んで下さっている人達を心から信頼しているからこそだろう。
そんな人達を裏切るようなことは決して出来ない。
新しい年を迎え穏やかさを噛みしめている。
この先どんな試練が待ち受けていても挫けずにいたいと思う。
私でなければ書けない私の人生が続くことを願って止まない。
穏やかな晴天。風もなくぽかぽかと暖かい。
歩けるものなら土手を進みお大師堂に初詣をしたかったが
思うだけで叶わないことを改めて思い知る。
今年もずるずると押し流されてしまうのだろうか。
老いも重なり行動力は皆無に等しい。
お昼前に息子とけい君が来てくれた。
会うのは夏以来だろうかけい君の背が随分と高くなっており驚く。
この春にはもう6年生になるのだ。なんだか信じられなかった。
息子が夜勤の夜には独りで留守番をしているのだそうだ。
母親に頼ることもなくなり逞しく成長したことを感じる。
お昼にはささやかに新年会を催した。
家族揃ってのことは滅多に無く笑顔でいっぱいになる。
めいちゃんは大晦日から娘婿の実家に泊まりに行っており留守だったが
あやちゃんが「やったあ」と声を上げその心境を察する。
日頃から引け目を感じていて思わず本音が出たのだろう。
幼い頃から大の仲良し姉妹だったが随分と遠い日になってしまった。
誰とも遊びたがらないあやちゃんであったがけい君とはよく気か合う。
今日も部屋へ招き入れ肩を寄せ合ってゲームをしていた。
息子は上機嫌で酔っぱらっており早々とマンションへ送り届ける。
けい君はお年玉を数えるのに必死でそれも微笑ましいことだった。
息子は明日から仕事なのだそうだ。どうか今年も平穏にと願う。
離れて暮らしていても子供はいつまでも「こども」である。

新しい年を無事に迎えることが出来て安堵でいっぱいだった。
いつ何があるやら分からない世の中である。
一年前の能登の震災の悲劇を思い出さずにはいられなかった。
復興どころか復旧もまだ遅れているのだそうだ。
避難所で新年を迎えた人も多くその心境を察する。
失ったものは二度と返って来ない。喪失ほどの悲しみがあるだろうか。
どうか少しでも希望をと願わずにはいられなかった。
初春 一歩目の朝 新月の暗闇を飛ぶ
星はいっそう輝き 天を祝福している
哀しみの幕は下り 歓喜の幕が上がる
ここから始まる 新しい朝なのだ
心の息は絶えず 命を知らせてくれる その尊さが愛しい
春なのに違いない 芽吹く日がやって来る どれほどの老いでも 花と咲く日が来るだろう
陽が昇れば光に満ちて 真っ青な空を飛ぼう
今年最初の今朝の詩である。
命ある限りどうか書かせて欲しいと願って止まない。
小晦日。曇り空であったが風がなく暖かさを感じる。
小晦日は「こつごもり」と読むのだそうだ。
無学にも程がありつい先ほど知ったばかりである。
お向かいの奥さんに蕪を頂き千枚漬けを作った。
家族は誰も食べず私一人が好んで食べている。
こんなに美味しいものはないと思うが無理強いは出来ない。
朝のうちに夫と買い物に行っただけで後はまた殆ど寝て過ごす。
特に買う物はないと思っていたのだが結構買ってしまった。
帰宅するなり早速玄関にお正月飾りをした。
娘が床の間のある和室を片付けてくれており大助かりである。
しかし鏡餅は買って来ておらずすっかり手抜きとなった。
和室はずっと娘達の物置状態となっていたので最初から諦めていたのだ。
せめて干支の置物をして新年を迎えたいものだ。
床の間に置いてあったあやちゃんのランドセルが消えていた。
娘が押し入れに仕舞ったのかもしれないが何とも複雑な気持ちになる。
来春には卒業だがおそらく卒業式に出席することはないだろう。
3時には目覚め自室に籠り昨年と一昨年の12月の日記を読み返していた。
あんなこともあったこんなこともあったと懐かしくてならない。
特に一昨年の日記にはまだ川仕事をしていた頃の私達が居た。
今年は廃業を決めたので尚更のこと感慨深く思い出される。
40年以上も続けて来た家業であった。夫婦の歴史と云っても良いだろう。
読み始めたら夢中になり今年一年の日記も読みたかったが
夕刻となってしまい明日に持ち越すことにする。
どんな一年だったのかこの目で確かめて見なくてはいけない。
書くことに必死だった一年だったが報われることはなかったのか。
詩はこれでもかと仕打ちを受け踏みにじられたように思う。
短歌も同じくで新聞に投稿してもことごとく落選であった。
けれどもSNSのおかげでどれほど救われたことだろうか。
絶望ばかりではない希望の光が確かに射し込んでいたように思う。
捨てる神あれば拾う神ありと云っても過言ではないだろう。
この日記もずっと読み続けてくれている人達のおかげで書くことが出来た。
毎日必ず投票ボタンを押してくれ人がいてとても励みに思っている。
日常のあれこれもそうして光に恵まれることが出来たのだ。
命はとても心細くてならないが生きている限りと改めて思う。
「私を忘れないで」その一言に尽きるだろう。
四万十川のほとりでひっそりと生きている名もない草であった。
その草を見つけてくれ触れてくれた恩ほど掛け替えのないものはない。
私の日々が少しでも心に響きますようにと願って止まない。

毎年のことですが小晦日をもって一年の最後の日記とさせて頂きます。
毎日欠かさず読んで下さった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
決して明るいことばかりではなかった一年ですが
どうか心穏やかに清々しい新年をお迎え下さい。
どうもありがとうございました。
冬型の気圧配置であったが風もなく穏やかな冬晴れとなる。
気温は低目でも風があるとないとでは随分と違うものだ。
最小限の家事と買い物に行ったきりで後は殆ど寝て過ごす。
娘が大掃除を始めてくれていて気になっていたが
手伝う必要はないとのこと。おかげで楽をさせてもらった。
お昼前に少しまたスペースでE君と話したのだが
10分も話さないうちに接続が落ちてしまい会話が続かない。
原因は定かではないが私のパソコンがメモリ不足かもしれなかった。
元旦には息子が来てくれるので調べてもらおうと思っている。
E君の詩の話になり感想を求められたが
うまく伝えられなかった。そのせいで気を悪くさせてしまったようだ。
正直に「響かない」と言ってしまったのだ。何と酷いことを言ったのか。
言葉は一度発すると取り返しがつかないものである。
修正しようにも会話が続かずそのまま終了となってしまった。
直ぐに謝罪のメールを送ったがもう返信はなかった。
傷つけてしまったのに違いない。全て愚かな私のせいである。
私は書くことは出来ても読む力が乏しいのだ思う。
E君がどんな気持ちでその詩を書いたのか理解出来なかったのだ。
午後もひたすら寝て過ごす。娘夫婦は玄関先の掃除をしてくれ
燕の古巣も綺麗に洗い流してくれていた。
今年は葉牡丹を植えることが出来ず殺風景な玄関先だったが
お向かいの奥さんが思いがけずに葉牡丹の寄せ植えを持って来てくれた。
おかげで華やかになり何と嬉しかったことだろう。
後は玄関ドアにお正月飾りをすれば新年を迎えられそうだ。
今日は花屋さんでシクラメンを買って来ていた。
毎年千両を活けるのだがシクラメンの方が長持ちするだろう。
下駄箱の上に置けば一気に華やかになる。
明日は夫とお正月の買い出しに行く予定だが
今年は娘が蟹を注文してくれており大助かりである。
数の子もアマゾンで買い既に届いていた。
考えたら特に買う物はないが夫と一緒に行くのが楽しみであった。
「もう幾つ寝ると」今夜を入れると3日で元旦を迎える。
思い起こせば何と感慨深い一年だったことだろう。
出会いもあれば別れもあったがそれも縁あってのことだと思う。
「私を忘れないで」ふと最後にそう記したくなる。
朝の冷え込みは緩んでいたが強い北風が吹き荒れていた。
山間部の江川崎では初雪が降ったそうだ。
山里も山間部ではあるが時雨が降ったり止んだりだった。
もう少し気温が低ければ雪になっていたことだろう。
大掃除をしようと意気込んでいたが寒さに挫けてしまう。
片付けをするのが精一杯で窓を拭くことも出来なかった。
そのまま事務所の玄関にしめ飾りをしてしまう。
同僚は午前中通院だったので義父と二人で事務所を片付けていた。
義父の机の上はあらゆる書類が散乱しており大変な有り様である。
ふと思いつきホームセンターで引き出し型の書類入れを買って来た。
一枚一枚手に取り確かめながらの作業である。
不要な書類がかなりあり捨てたが保存しなければいけない物も多い。
ついには引き出しが足らなくなり後は年明けにすることになった。
午後には同僚が出勤して来てくれ工場の片付けをしてくれる。
ずっと忙しかったから掃除どころではなかったのだ。
整理整頓は重要なことだが何と散らかっていたことだろう。
それも同僚一人では手に負えず義父が大晦日までにしてくれるそうだ。
鏡餅は毎年届けてくれるお客さんがいるのだが今日は来なかった。
明日だろうか明後日だろうか必ず持って来てくれるそうだ。
来年の干支の巳の置物を飾り千両を活けようと庭に出たが
どうしたことか今年は全く実を付けていない。南天も同じくである。
やまももの木を伐ったので環境が変わったせいかもしれないが
夏の猛暑で一気に弱ってしまったのかもしれない。
ふと辺りを見渡すと山茶花がほぼ満開になっていた。
母が育てていた山茶花で母の口紅の色をしている。
「一輪だけ頂戴ね」と声を掛けて手折った。
千両や南天のように縁起物ではないかもしれないが事務所に彩を添える。
母もきっと喜んでくれることだろう。
帰宅する前に母の仏前にお線香をと思いつつもう動けなかった。
義父が「俺がちゃんとするけん」と言ってくれて助かる。
いつまで経っても薄情な娘であるが母はきっと許してくれるだろう。
この年末の窮状をどれ程の思いで見守ってくれたことか。
何とか乗り越えられたのも母のおかげだと思っている。
そうでなければ奇跡は在り得なかったのではないだろうか。
3時に退社。義父と同僚にこの一年の労をねぎらい帰路に就く。
大掃除は決して完璧ではなかったが何とも心地よい達成感がある。
やれるだけのことをやったのだと思う。精を尽くした一年であった。
仕事始めは来年の6日だが一輪の山茶花が待ってくれることだろう。
冬晴れであったが北風が強く何とも寒い一日となる。
日本列島が強い寒気に覆われているそうで
明日は高知県の平野部でも雪が降るかもしれない。
もう怖いなどと言ってはいられない。
「かかって来いや」と今は強気になっている。
雪が降っても槍が降っても仕事を納めに行かねばならない。
職場に着くなり支払いの段取りを始めていたが
お客さんがお正月用にと冬野菜を沢山持って来てくれた。
大根、白菜、小松菜と何と有難いことだろう。
しばし雑談をしているうちに気分がとても穏やかになった。
お昼には仕事納めを済ませたお客さんが支払いに来てくれる。
どこも不景気なのだろう。やっと年末手当を貰えたのだそうだ。
一生懸命働いて得たお金を頂きなんだか気の毒でならなかった。
けれどもおかげで同僚にお給料を支払えそうである。
とにかく真っ先に取引先への支払いを全て済ませた。
預金残高はすっかり無くなり社会保険料の分だけ残る。
一件、いつも月末に支払ってくれている会社があったが
午後になっても振り込みがなくどうやら年明けになりそうだった。
電話をしてみたが誰も出ない。もう仕事を納めてしまったのだろう。
手持ちの現金を数え同僚のお給料とボーナスを準備する。
ボーナスと云っても寸志であったが昨年並みに支給出来そうだった。
この一年同僚のおかげで成り立った会社である。
ささやかな気持ちであるがきっと伝わることだろう。
義父には同僚の半分であったが手渡せばとても喜んでくれた。
最初は「俺は要らんぞ」と遠慮していたのだが
お正月のお小遣いだと言えば内心は嬉しかったのだろう。
最後に私であるが残念ながら現金が底を尽いてしまっていた。
義父に云えば心配するだろうと思い何も言えなかった。
お正月の準備もあるが何とかなるだろうと思う。
まだ明日があるのだし少しは入金があるかもしれない。
それにしてもよくここまで出来たものだと達成感は大きい。
ぎりぎりの瀬戸際であったが会社も沈没せずに済んだ。
年が明ければまた大海に漕ぎ出して行けそうである。
追い詰められてこそではないかと思う。
平然と構えていては立ち向かう勇気も失っていたことだろう。
いつだって「かかって来いや」でなくてはならない。
明日は工場の大掃除をして事務所に鏡餅も供えよう。
そうして心の底から気持ちよく仕事を納めようと思っている。
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