ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年12月29日(日) 私を忘れないで

冬型の気圧配置であったが風もなく穏やかな冬晴れとなる。

気温は低目でも風があるとないとでは随分と違うものだ。


最小限の家事と買い物に行ったきりで後は殆ど寝て過ごす。

娘が大掃除を始めてくれていて気になっていたが

手伝う必要はないとのこと。おかげで楽をさせてもらった。


お昼前に少しまたスペースでE君と話したのだが

10分も話さないうちに接続が落ちてしまい会話が続かない。

原因は定かではないが私のパソコンがメモリ不足かもしれなかった。

元旦には息子が来てくれるので調べてもらおうと思っている。


E君の詩の話になり感想を求められたが

うまく伝えられなかった。そのせいで気を悪くさせてしまったようだ。

正直に「響かない」と言ってしまったのだ。何と酷いことを言ったのか。

言葉は一度発すると取り返しがつかないものである。

修正しようにも会話が続かずそのまま終了となってしまった。

直ぐに謝罪のメールを送ったがもう返信はなかった。

傷つけてしまったのに違いない。全て愚かな私のせいである。

私は書くことは出来ても読む力が乏しいのだ思う。

E君がどんな気持ちでその詩を書いたのか理解出来なかったのだ。



午後もひたすら寝て過ごす。娘夫婦は玄関先の掃除をしてくれ

燕の古巣も綺麗に洗い流してくれていた。

今年は葉牡丹を植えることが出来ず殺風景な玄関先だったが

お向かいの奥さんが思いがけずに葉牡丹の寄せ植えを持って来てくれた。

おかげで華やかになり何と嬉しかったことだろう。

後は玄関ドアにお正月飾りをすれば新年を迎えられそうだ。

今日は花屋さんでシクラメンを買って来ていた。

毎年千両を活けるのだがシクラメンの方が長持ちするだろう。

下駄箱の上に置けば一気に華やかになる。


明日は夫とお正月の買い出しに行く予定だが

今年は娘が蟹を注文してくれており大助かりである。

数の子もアマゾンで買い既に届いていた。

考えたら特に買う物はないが夫と一緒に行くのが楽しみであった。


「もう幾つ寝ると」今夜を入れると3日で元旦を迎える。

思い起こせば何と感慨深い一年だったことだろう。

出会いもあれば別れもあったがそれも縁あってのことだと思う。


「私を忘れないで」ふと最後にそう記したくなる。





2024年12月28日(土) 一輪の山茶花

朝の冷え込みは緩んでいたが強い北風が吹き荒れていた。

山間部の江川崎では初雪が降ったそうだ。

山里も山間部ではあるが時雨が降ったり止んだりだった。

もう少し気温が低ければ雪になっていたことだろう。


大掃除をしようと意気込んでいたが寒さに挫けてしまう。

片付けをするのが精一杯で窓を拭くことも出来なかった。

そのまま事務所の玄関にしめ飾りをしてしまう。

同僚は午前中通院だったので義父と二人で事務所を片付けていた。

義父の机の上はあらゆる書類が散乱しており大変な有り様である。

ふと思いつきホームセンターで引き出し型の書類入れを買って来た。

一枚一枚手に取り確かめながらの作業である。

不要な書類がかなりあり捨てたが保存しなければいけない物も多い。

ついには引き出しが足らなくなり後は年明けにすることになった。


午後には同僚が出勤して来てくれ工場の片付けをしてくれる。

ずっと忙しかったから掃除どころではなかったのだ。

整理整頓は重要なことだが何と散らかっていたことだろう。

それも同僚一人では手に負えず義父が大晦日までにしてくれるそうだ。


鏡餅は毎年届けてくれるお客さんがいるのだが今日は来なかった。

明日だろうか明後日だろうか必ず持って来てくれるそうだ。

来年の干支の巳の置物を飾り千両を活けようと庭に出たが

どうしたことか今年は全く実を付けていない。南天も同じくである。

やまももの木を伐ったので環境が変わったせいかもしれないが

夏の猛暑で一気に弱ってしまったのかもしれない。

ふと辺りを見渡すと山茶花がほぼ満開になっていた。

母が育てていた山茶花で母の口紅の色をしている。

「一輪だけ頂戴ね」と声を掛けて手折った。

千両や南天のように縁起物ではないかもしれないが事務所に彩を添える。

母もきっと喜んでくれることだろう。


帰宅する前に母の仏前にお線香をと思いつつもう動けなかった。

義父が「俺がちゃんとするけん」と言ってくれて助かる。

いつまで経っても薄情な娘であるが母はきっと許してくれるだろう。

この年末の窮状をどれ程の思いで見守ってくれたことか。

何とか乗り越えられたのも母のおかげだと思っている。

そうでなければ奇跡は在り得なかったのではないだろうか。


3時に退社。義父と同僚にこの一年の労をねぎらい帰路に就く。

大掃除は決して完璧ではなかったが何とも心地よい達成感がある。

やれるだけのことをやったのだと思う。精を尽くした一年であった。


仕事始めは来年の6日だが一輪の山茶花が待ってくれることだろう。







2024年12月27日(金) かかって来いや

冬晴れであったが北風が強く何とも寒い一日となる。

日本列島が強い寒気に覆われているそうで

明日は高知県の平野部でも雪が降るかもしれない。

もう怖いなどと言ってはいられない。

「かかって来いや」と今は強気になっている。

雪が降っても槍が降っても仕事を納めに行かねばならない。


職場に着くなり支払いの段取りを始めていたが

お客さんがお正月用にと冬野菜を沢山持って来てくれた。

大根、白菜、小松菜と何と有難いことだろう。

しばし雑談をしているうちに気分がとても穏やかになった。


お昼には仕事納めを済ませたお客さんが支払いに来てくれる。

どこも不景気なのだろう。やっと年末手当を貰えたのだそうだ。

一生懸命働いて得たお金を頂きなんだか気の毒でならなかった。

けれどもおかげで同僚にお給料を支払えそうである。


とにかく真っ先に取引先への支払いを全て済ませた。

預金残高はすっかり無くなり社会保険料の分だけ残る。

一件、いつも月末に支払ってくれている会社があったが

午後になっても振り込みがなくどうやら年明けになりそうだった。

電話をしてみたが誰も出ない。もう仕事を納めてしまったのだろう。


手持ちの現金を数え同僚のお給料とボーナスを準備する。

ボーナスと云っても寸志であったが昨年並みに支給出来そうだった。

この一年同僚のおかげで成り立った会社である。

ささやかな気持ちであるがきっと伝わることだろう。


義父には同僚の半分であったが手渡せばとても喜んでくれた。

最初は「俺は要らんぞ」と遠慮していたのだが

お正月のお小遣いだと言えば内心は嬉しかったのだろう。


最後に私であるが残念ながら現金が底を尽いてしまっていた。

義父に云えば心配するだろうと思い何も言えなかった。

お正月の準備もあるが何とかなるだろうと思う。

まだ明日があるのだし少しは入金があるかもしれない。


それにしてもよくここまで出来たものだと達成感は大きい。

ぎりぎりの瀬戸際であったが会社も沈没せずに済んだ。

年が明ければまた大海に漕ぎ出して行けそうである。


追い詰められてこそではないかと思う。

平然と構えていては立ち向かう勇気も失っていたことだろう。

いつだって「かかって来いや」でなくてはならない。


明日は工場の大掃除をして事務所に鏡餅も供えよう。

そうして心の底から気持ちよく仕事を納めようと思っている。







2024年12月26日(木) 「いま」

朝のうち久しぶりに雨が降っていたが直ぐに止み晴天となる。

気温は平年より高めとなり11月中旬並みだったようだ。


朝刊のちらしに来年度の厄年や長寿祝いが記されていた。

市内の一条神社のもので初詣の参考になるのだろう。

何気なく見ていたらはっと驚く。

昭和31年生まれは「古希」を迎えるのだそうだ。

まだまだと思っていたが数え年ではそうなるらしい。

ついに来年は私も長寿の仲間入りであった。

なんだか信じられないような「オソロシサ」を感じる。

生きてこその日々であった。決して老いに埋もれてはならない。




仕事は今年最後の車検整備が完了する。

しかし義父が農作業に行っており検査は明日になってしまった。

今日も「まさお」と一緒である。明日はまさおとお別れなのだ。

昼食も食べないまま2時過ぎに帰って来たが

まさおを綺麗に洗ってから返却しなければいけないそうで

気忙しそうにしており車検どころではなかった。

手を止めれば機嫌が悪くなるのはいつものことである。

私も諦めてしまい2時半過ぎに帰路に就く。

とにかく明日なのだ。ついに勝負の日がやって来る。


引き落としはあったが通帳の残高は少し増えていた。

やっと振り込みがあったのだ。ほっと肩の荷を下ろす。

小口の入金もぼつぼつあり現金もまずまず集まる。

もしかしたら何とかなるかもしれないとやっと思えるようになった。

それにしても何と切羽詰まっていたことだろう。

明日は月末の支払いを済ませそうであった。

後は現金がいくら残るかで給料とボーナスの支給となる。

来年はゼロからのスタートになるが仕事さえあれば大丈夫だろう。

もう1月の中旬まで車検の予約が入っている。


先の事を思い煩ってはならない。いつだって「いま」だと思う。

今朝はそんな気持ちで詩を書いた。

今日の最後にここに記しておく。


      いま

   残り少ないことより
   「いま」在ることを

   尽くし切れないことより
   ささやかな真心をと思う

   冬枯れた景色の真っ只中で
   風に晒される裸木があった
   羽根をやすめる鳥もいない
   ただ風が吹き抜けていくばかり

   寂しさは心をえぐり取るが
   決して失いはしないだろう

  「いま」しか出来ないこと
   枯葉舞う小道を歩き始める

   空ほどの希望は在りはしない
   流れる雲の行方を知らずとも



2024年12月25日(水) 古い上着

日中の気温は15℃まで上がり陽射しもあったが

やはり風は冷たく冬らしい一日となる。


ばっさりと枝を切られたヤマモモの木の寒々しいこと。

その分空が広くなったように感じていたが

もう風に揺れることもなく切り株が憐れでならない。

葉があれば木陰となり冷たい風をまともに受けるが

何も身に纏うことが出来ない素っ裸の木であった。

当然のように鳥もやって来ない。寂しさが募るばかりである。

どうして切らなければいけなかったのだろうと思えば

お隣の新居の主が切って欲しいと言って来たのだそうだ。

なんだか理不尽にも思えるが諍いになってもいけないのだろう。

初夏になれば実がお隣の庭に落ちることも考えられる。

切ってくれた義父の友人は直ぐに大きな木になると言っていたが

義父や私が生きているうちに叶うのだろうかと思う。




仕事はいよいよ大詰めとなり今年最後の車検が入庫した。

他にも一年点検の車が入庫しており同僚が精を出してくれる。

どちらも公用車なので年内の売上にはならないが

仕事があるだけで有難いことだと思う。


固定資産税や自動車保険等の引き落としがあり預金の残高が一気に減る。

振込入金は一切無く顔が青くなるほど切羽詰まって来た。

明日も明後日も引き落としがあるのだ。いったいどうなるのだろう。

嘆いても何も変わらずあと二日の勝負だと自分に言い聞かせていた。


朗報もあり義父の部分入れ歯が見つかった。

てっきり田んぼだと思っていたのが作業ズボンのポケットにあったのだ。

義父は朝のうちに歯医者さんへ行き治療を始めたようだ。

ついでに口内炎も診てもらったそうで何よりである。

10時には帰っており「まさお」を連れてまた田んぼへと走る。

27日にはまさおを返却しなければいけないのだそうだ。

何としても終わらせようと必死になっているのが伝わって来る。



2時半過ぎに退社。今日は今年最後のリハビリのある日だった。

スマホ越しに医師と対面し今年一年の感謝の気持ちを伝える。

療法士のU君にもしっかりとお礼を言って帰宅した。

治療を始めて2年が過ぎ年が明ければ3年目となる。

まだまだ先が長いだろう。ふと死ぬまでの辛抱ではないかと思った。


新年まであと6日。無事に迎えられることをひたすら願っている。

新しくはなれないかもしれないが古い上着を脱ぎ捨てるのだ。

飛躍も在り得ずただ一心に己を貫きながら生きて行きたいものである。



2024年12月24日(火) ささやかな気持ち

冬晴れの一日だったがやはり風は冷たい。

それでこその冬らしさなのだろう。


クリスマスイブだったが仕事の事で頭がいっぱいだった。

どんどんと年末が近づいており焦り始めているようだ。

今朝は出勤するなりお客さんが支払いに来てくれる。

請求書は出していたがもう諦めていただけに嬉しくてならない。

昨年の5月の修理代だった。てっきり放棄されたと思うのが当然だろう。

今日は幸先が良いなと目の前が明るくなる。

そうしたら思った通りになり次々とお客さんが来てくれたのだった。


集金もあった。半年近く入院していたお客さんで

まだ車の運転が不可能とのこと。もちろん喜んで集金に行く。

手土産に小さなクリスマスケーキを提げて行ったらとても喜んでくれる。

ご主人は施設に入居しておりずっと独り暮らしなのだった。

「嬉しい、嬉しい」と涙ぐんでおり私ももらい泣きしそうになる。

ささやかなほんの気持ちだったのによほど嬉しかったのだろう。

ちょっとした心遣いは大切なことだなと改めて思った。



義父は今日も農作業に励んでいたが口内炎はまだ治らず

おまけに昨日部分入れ歯を田んぼに落としてしまったのだそうだ。

最悪の事態となり増々食事が十分に摂れなくなってしまった。

お粥と豆腐で凌いでいたが今日も昼食を食べようとしない。

気になってならなかったがどうしようもなかった。


お得意さんにお歳暮を届けなければならず2時半に退社する。

ご本人は生憎留守だったが奥さんが居てくれて良かった。

これもささやかな気持ちであるがきっと伝わることだろう。


帰り道は自動車専用道路を走らずのんびりと国道を行く。

クリスマスイブなので「ちきん館」で「丸っぽ鶏」を買い求めた。

人気店であるだけに大勢のお客さんが押し掛けている。

売れ残ることはないだろうが「丸っぽ鶏」の量に驚く。

今日のためにどれほどの鶏が殺められたのだろうかと思った。

だからこそ有難く頂かなければならない。


例の如くで夫と先に夕食を済ませたがクリスマスケーキが気になる。

夫は既に諦めている様子で「別に食べんでもええわ」と言っていた。

食い意地の張っている私はそう云うわけにはいかない。

帰宅した娘がケーキの箱を提げていたので期待でいっぱいになった。

けれどもその箱が直ぐに開けられることはなかった。


子供の頃は楽しみでならないクリスマスイブだったが

大人になり老いてしまうと寂しいものだなと思う。

今日のお客さんも独りぼっちでケーキを食べていることだろう。


一番星はもちろんのこと満天の星空となった。

どうか寂しい人がいませんようにと手を合わせている。






2024年12月23日(月) 困った時の神頼み

一面の霜の朝。車のフロントガラスも真っ白に氷付いていた。

日に日に寒さが厳しくなり週末には雪の予報になっている。

年末年始は穏やかな晴天とはいかないようだ。


とうとう今年の仕事も最終週となる。

気負えば気負う程に落とし穴があるようで怖い。

気を落ち着ければついつい焦りが出てしまう。

「成るようにしかならないのだ」と言い聞かすばかりであった。


今日も通帳入金はゼロで肩を落とす。

今まで催促をしたことなどなかったが電話作戦を始めた。

春から支払いが滞っているお客さんが数人いたのだった。

かと云って強いことも言えず電話越しに頭をひたすら下げる。

一人は午後に支払いに来てくれた。明日も一人約束まで漕ぎつける。

小口の入金であってもどれ程助かることだろうか。

お客様は神様であるが困った時の神頼みであった。


年内の車検は後2台となった。他に点検や簡単な一般修理が残っている。

義父の助けを必要とする程でもなく今日も田んぼに送り出す。

しかし「草刈りまさお」の調子が悪いらしく何度も帰って来た。

そうしてまさおの治療をするとまた大急ぎで出掛けて行くのだった。

「草刈りまさお」は駄目だなと思う。「草なぎつよし」が良かったのだろう。


午後三時、義父は朝から何も食べていないと言う。

訊けば大きな口内炎が出来て痛みが酷いのだそうだ。

病院へ行くことを勧めたがそれよりも農作業であった。

口内炎も無理が祟ったのだと思う。血糖値も心配でならない。

それなのにふらつくこともなく何とも勇ましい姿であった。


そんな義父に年末の資金の心配を掛ける訳にはいかない。

ここは何としても自力で乗り越えようと心に誓う。

同僚にボーナスは分割払いになるかもしれないと話したら

「そんな話は聞いたことがないぞ」と大笑いしていた。

同僚も事情を察してくれているのだろう。少し気が楽になった。



3時半に退社。FMラジオは「希望特集」で何とも癒される。

岸洋子の「希望」や坂本九の「上を向いて歩こう」が流れていた。

希望という名のあなたが居るのなら私も是非会いたいものだ。


買い物を済ませ4時半過ぎに帰宅。大量の洗濯物が待っており休む間もない。

ぶつぶつと愚痴を云うべきではない。とにかく自分の役目を果たす。

いったいこれはどうしたことだろうと思う位に疲れていた。

お昼休憩も無かったのだ。流石に老体には厳しい一日であった。


毎日が「出来ること」で押し流されているのだろう。

当然のことであるが出来ないことは出来ない。

いったい私はいつまで試されるのだろうか。






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