朝のうち久しぶりに雨が降っていたが直ぐに止み晴天となる。
気温は平年より高めとなり11月中旬並みだったようだ。
朝刊のちらしに来年度の厄年や長寿祝いが記されていた。
市内の一条神社のもので初詣の参考になるのだろう。
何気なく見ていたらはっと驚く。
昭和31年生まれは「古希」を迎えるのだそうだ。
まだまだと思っていたが数え年ではそうなるらしい。
ついに来年は私も長寿の仲間入りであった。
なんだか信じられないような「オソロシサ」を感じる。
生きてこその日々であった。決して老いに埋もれてはならない。

仕事は今年最後の車検整備が完了する。
しかし義父が農作業に行っており検査は明日になってしまった。
今日も「まさお」と一緒である。明日はまさおとお別れなのだ。
昼食も食べないまま2時過ぎに帰って来たが
まさおを綺麗に洗ってから返却しなければいけないそうで
気忙しそうにしており車検どころではなかった。
手を止めれば機嫌が悪くなるのはいつものことである。
私も諦めてしまい2時半過ぎに帰路に就く。
とにかく明日なのだ。ついに勝負の日がやって来る。
引き落としはあったが通帳の残高は少し増えていた。
やっと振り込みがあったのだ。ほっと肩の荷を下ろす。
小口の入金もぼつぼつあり現金もまずまず集まる。
もしかしたら何とかなるかもしれないとやっと思えるようになった。
それにしても何と切羽詰まっていたことだろう。
明日は月末の支払いを済ませそうであった。
後は現金がいくら残るかで給料とボーナスの支給となる。
来年はゼロからのスタートになるが仕事さえあれば大丈夫だろう。
もう1月の中旬まで車検の予約が入っている。
先の事を思い煩ってはならない。いつだって「いま」だと思う。
今朝はそんな気持ちで詩を書いた。
今日の最後にここに記しておく。
いま
残り少ないことより 「いま」在ることを
尽くし切れないことより ささやかな真心をと思う
冬枯れた景色の真っ只中で 風に晒される裸木があった 羽根をやすめる鳥もいない ただ風が吹き抜けていくばかり
寂しさは心をえぐり取るが 決して失いはしないだろう
「いま」しか出来ないこと 枯葉舞う小道を歩き始める
空ほどの希望は在りはしない 流れる雲の行方を知らずとも
日中の気温は15℃まで上がり陽射しもあったが
やはり風は冷たく冬らしい一日となる。
ばっさりと枝を切られたヤマモモの木の寒々しいこと。
その分空が広くなったように感じていたが
もう風に揺れることもなく切り株が憐れでならない。
葉があれば木陰となり冷たい風をまともに受けるが
何も身に纏うことが出来ない素っ裸の木であった。
当然のように鳥もやって来ない。寂しさが募るばかりである。
どうして切らなければいけなかったのだろうと思えば
お隣の新居の主が切って欲しいと言って来たのだそうだ。
なんだか理不尽にも思えるが諍いになってもいけないのだろう。
初夏になれば実がお隣の庭に落ちることも考えられる。
切ってくれた義父の友人は直ぐに大きな木になると言っていたが
義父や私が生きているうちに叶うのだろうかと思う。

仕事はいよいよ大詰めとなり今年最後の車検が入庫した。
他にも一年点検の車が入庫しており同僚が精を出してくれる。
どちらも公用車なので年内の売上にはならないが
仕事があるだけで有難いことだと思う。
固定資産税や自動車保険等の引き落としがあり預金の残高が一気に減る。
振込入金は一切無く顔が青くなるほど切羽詰まって来た。
明日も明後日も引き落としがあるのだ。いったいどうなるのだろう。
嘆いても何も変わらずあと二日の勝負だと自分に言い聞かせていた。
朗報もあり義父の部分入れ歯が見つかった。
てっきり田んぼだと思っていたのが作業ズボンのポケットにあったのだ。
義父は朝のうちに歯医者さんへ行き治療を始めたようだ。
ついでに口内炎も診てもらったそうで何よりである。
10時には帰っており「まさお」を連れてまた田んぼへと走る。
27日にはまさおを返却しなければいけないのだそうだ。
何としても終わらせようと必死になっているのが伝わって来る。
2時半過ぎに退社。今日は今年最後のリハビリのある日だった。
スマホ越しに医師と対面し今年一年の感謝の気持ちを伝える。
療法士のU君にもしっかりとお礼を言って帰宅した。
治療を始めて2年が過ぎ年が明ければ3年目となる。
まだまだ先が長いだろう。ふと死ぬまでの辛抱ではないかと思った。
新年まであと6日。無事に迎えられることをひたすら願っている。
新しくはなれないかもしれないが古い上着を脱ぎ捨てるのだ。
飛躍も在り得ずただ一心に己を貫きながら生きて行きたいものである。
冬晴れの一日だったがやはり風は冷たい。
それでこその冬らしさなのだろう。
クリスマスイブだったが仕事の事で頭がいっぱいだった。
どんどんと年末が近づいており焦り始めているようだ。
今朝は出勤するなりお客さんが支払いに来てくれる。
請求書は出していたがもう諦めていただけに嬉しくてならない。
昨年の5月の修理代だった。てっきり放棄されたと思うのが当然だろう。
今日は幸先が良いなと目の前が明るくなる。
そうしたら思った通りになり次々とお客さんが来てくれたのだった。
集金もあった。半年近く入院していたお客さんで
まだ車の運転が不可能とのこと。もちろん喜んで集金に行く。
手土産に小さなクリスマスケーキを提げて行ったらとても喜んでくれる。
ご主人は施設に入居しておりずっと独り暮らしなのだった。
「嬉しい、嬉しい」と涙ぐんでおり私ももらい泣きしそうになる。
ささやかなほんの気持ちだったのによほど嬉しかったのだろう。
ちょっとした心遣いは大切なことだなと改めて思った。
義父は今日も農作業に励んでいたが口内炎はまだ治らず
おまけに昨日部分入れ歯を田んぼに落としてしまったのだそうだ。
最悪の事態となり増々食事が十分に摂れなくなってしまった。
お粥と豆腐で凌いでいたが今日も昼食を食べようとしない。
気になってならなかったがどうしようもなかった。
お得意さんにお歳暮を届けなければならず2時半に退社する。
ご本人は生憎留守だったが奥さんが居てくれて良かった。
これもささやかな気持ちであるがきっと伝わることだろう。
帰り道は自動車専用道路を走らずのんびりと国道を行く。
クリスマスイブなので「ちきん館」で「丸っぽ鶏」を買い求めた。
人気店であるだけに大勢のお客さんが押し掛けている。
売れ残ることはないだろうが「丸っぽ鶏」の量に驚く。
今日のためにどれほどの鶏が殺められたのだろうかと思った。
だからこそ有難く頂かなければならない。
例の如くで夫と先に夕食を済ませたがクリスマスケーキが気になる。
夫は既に諦めている様子で「別に食べんでもええわ」と言っていた。
食い意地の張っている私はそう云うわけにはいかない。
帰宅した娘がケーキの箱を提げていたので期待でいっぱいになった。
けれどもその箱が直ぐに開けられることはなかった。
子供の頃は楽しみでならないクリスマスイブだったが
大人になり老いてしまうと寂しいものだなと思う。
今日のお客さんも独りぼっちでケーキを食べていることだろう。
一番星はもちろんのこと満天の星空となった。
どうか寂しい人がいませんようにと手を合わせている。
一面の霜の朝。車のフロントガラスも真っ白に氷付いていた。
日に日に寒さが厳しくなり週末には雪の予報になっている。
年末年始は穏やかな晴天とはいかないようだ。
とうとう今年の仕事も最終週となる。
気負えば気負う程に落とし穴があるようで怖い。
気を落ち着ければついつい焦りが出てしまう。
「成るようにしかならないのだ」と言い聞かすばかりであった。
今日も通帳入金はゼロで肩を落とす。
今まで催促をしたことなどなかったが電話作戦を始めた。
春から支払いが滞っているお客さんが数人いたのだった。
かと云って強いことも言えず電話越しに頭をひたすら下げる。
一人は午後に支払いに来てくれた。明日も一人約束まで漕ぎつける。
小口の入金であってもどれ程助かることだろうか。
お客様は神様であるが困った時の神頼みであった。
年内の車検は後2台となった。他に点検や簡単な一般修理が残っている。
義父の助けを必要とする程でもなく今日も田んぼに送り出す。
しかし「草刈りまさお」の調子が悪いらしく何度も帰って来た。
そうしてまさおの治療をするとまた大急ぎで出掛けて行くのだった。
「草刈りまさお」は駄目だなと思う。「草なぎつよし」が良かったのだろう。
午後三時、義父は朝から何も食べていないと言う。
訊けば大きな口内炎が出来て痛みが酷いのだそうだ。
病院へ行くことを勧めたがそれよりも農作業であった。
口内炎も無理が祟ったのだと思う。血糖値も心配でならない。
それなのにふらつくこともなく何とも勇ましい姿であった。
そんな義父に年末の資金の心配を掛ける訳にはいかない。
ここは何としても自力で乗り越えようと心に誓う。
同僚にボーナスは分割払いになるかもしれないと話したら
「そんな話は聞いたことがないぞ」と大笑いしていた。
同僚も事情を察してくれているのだろう。少し気が楽になった。
3時半に退社。FMラジオは「希望特集」で何とも癒される。
岸洋子の「希望」や坂本九の「上を向いて歩こう」が流れていた。
希望という名のあなたが居るのなら私も是非会いたいものだ。
買い物を済ませ4時半過ぎに帰宅。大量の洗濯物が待っており休む間もない。
ぶつぶつと愚痴を云うべきではない。とにかく自分の役目を果たす。
いったいこれはどうしたことだろうと思う位に疲れていた。
お昼休憩も無かったのだ。流石に老体には厳しい一日であった。
毎日が「出来ること」で押し流されているのだろう。
当然のことであるが出来ないことは出来ない。
いったい私はいつまで試されるのだろうか。
昨夜は強い風が吹き荒れていたので今朝は雪ではないかと思っていた。
けれども思いがけずに寒さも和らぎ静穏な朝を迎える。
「北国のおじさん」はSNSで氷点下22℃だと発信していた。
北海道北部だろうか。想像もつかないような最低気温である。
日に日に年の瀬が迫ってきており何かしなければと思うだけで
結局は最低限の家事だけでごろごろと寝てばかりの一日だった。
何と怠惰なことだろう。怠け者にも程があると思う。
お昼前にまた少しだけE君と話した。
仕事の話をするE君はとても生き生きとしている。
そうして時々くすくすっと笑い声が聴こえ微笑ましくてならない。
ずっと話していたかったが今日は何故かスペースの調子が悪く
何度も回線が落ちてしまい会話が続かなくなった。
仕方なくお終いにしたが何だか後ろ髪を引かれるような気分となる。
またこれからいくらでも話せるだろう。すっかり私の楽しみとなった。

昨日アマゾンで注文していた足の殺菌クリームがもう届いた。
半信半疑ではあるが24時間効き目があるのだそうだ。
早速入浴後に塗ってみたが左足に手が届かず難儀する。
夫に助けてもらおうかと思ったが何とか自力で塗り終えた。
殺菌さえすれば足の匂いが改善されるらしいが継続が必要だろう。
毎晩のことである。しばらく自力で試してみようと思っている。
女としての最低限の沽券は保ちたいものだ。
老いに任せてどんどん廃れていくのはあまりにも虚しい。
夕飯は寄せ鍋だったが例の如くで夫が遠慮なくよく食べる。
牡蠣とグレを入れてあったが真っ先に箸を付けるのだった。
私は残り少なくなるのをはらはらしながら見ていた。
こればかりはどうしようもなく大量に買わない私が悪いのだろう。
食費を節約すれば結果は見えていると云っても過言ではない。
夫と相談し年末は大晦日に買い出しに行くことにした。
夫が一緒に行ってくれるのは年に一度限りである。
元旦だけはご馳走を用意し家族揃って祝うことが出来そうだ。
息子も休みが取れたそうでけい君と一緒に来てくれる。
息子が「金はあるのか?」と気遣ってくれて嬉しかった。
それは何とかなるだろう。会社のボーナスを当てにしているが
今のところまだ目途が立たず焦っているのは内緒である。
明日から28日までが勝負であった。精一杯に力を尽くさねばならない。
その時になってみないと分からないことは多々ある。
不安や焦りがあっても成るようにしかならない。
その為の努力は惜しまないが報われるとは限らないのが世の常であった。
ぎりぎりの瀬戸際に立っていて広大な海を眺めているような日々である。
夜明け前まで弱い雨が降っていたが日中は穏やかな晴天となる。
夜になり暴風注意報が発令され明日の朝はまたぐんと冷え込みそうだ。
二十四節気の「冬至」今日を境に明日から少しずつ日が長くなる。
古代には一年の始まりとされていたそうだ。
古代の人類にとって「太陽」は神でもあったのだろう。
「柚子風呂」「南瓜煮」が習いではあるが今年はどちらも無かった。
毎年山里の柚子農家さんが柚子を届けてくれるのだが
今年は土曜日でもあり手にすることが出来なかった。
柚子も不作だったそうで欲しがってもいけないのだろう。
丁度お歳暮で頂いた入浴剤に「柚子の香」がありそれで間に合わす。
寒さ厳しい折である。無病息災となれば越したことはない。

午前8時からまたE君とスペースを開始する。
毎週の恒例となり楽しみな土曜日であった。
それにしても便利な世の中になったものである。
電話だと通話料が発生するがスペースは無料でいくらでも話せる。
一昔前には考えられなかったことだ。
あまり長話をするのでE君の母上が通話料の心配をしていたらしい。
無料だと伝えても高齢者には納得がいかないだろう。
私はパソコンだがE君はスマホなので心配するのが当然である。
今日は途中から埼玉の詩人Kさんも加わり話が弾んだ。
Kさんは私と同年代だそうで落ち着いた声である。
SNSではあまり繋がりを感じることがなかったので
最初は緊張したが話しているうちに打ち解けることが出来る。
E君と二人きりとはいかない。今後も在り得ることだろう。
驚いたのは匿名のリスナーが数人居たことである。
誰なのかは全く分からず「話を聞かれているのか」と思う。
E君も少し戸惑っているように感じたがホストとしての務めを果たした。
もっと驚いたのはE君が豊中に住んでいることだった。
大阪豊中市は私にとってとても縁深い土地である。
ネットを始めたのは25年程前だが「たくちゃん」と知り合った。
掲示板やメールのやり取りも多くすっかり仲良くなったのだった。
たくちゃんはやがて結婚し3人の子供の父親になる。
その頃からメールが途絶え今ではもう音信不通になっている。
「けいちゃん」と知り合ったのは20年程前だが
なんと私の息子と同い年で某大学の大学院生だった。
精神的に不安定な病を抱えており少しでも支えになりたいと思う。
そんな彼も大学院を卒業し教職の道を歩むことになった。
もう私の役目は終わったのだと思い遠ざかる決心をする。
最後に手紙が届いたが私は返事を出すことをしなかった。
教職を続けているのか定かではないがきっと元気にしていることだろう。
そんな「たくちゃん」も「けいちゃん」も大阪豊中の人だったのだ。
その上にE君が重なり私は豊中に拘らずにいられない。
前世からの繋がりだとしたらなんだか奇跡ではないかと思う。
それ程までに「豊中」は縁深い土地だったのだろう。
ネットの世界は通りすがりも多いが魂の出会いもあるものだ。
顔が見えないからこそ魂が見えると云っても過言ではないだろう。
そこには確かな波長があり糸のように引き合う縁がある。
縁があっても去る人は去る。それも宿命なのではないだろうか。
E君とはまたこれから何度でも話すことが出来る。
私はそうして冥途の土産を頂いているのかもしれない。
朝の寒さが更新されまた今季一番の冷え込みとなる。
同じ四万十市でも市街地は氷点下だったようだ。
私の住む地域は海が近いせいか僅かに気温が高いのだろう。
山里は一面の霜。氷も張っており厳しい寒さだった。
早朝からもう隣地では塀の工事が行われており
作業員の人達の吐く白い息が見えていた。
新築住宅はもう完成しているようだがまだ入居していない。
子供が4人も居るのだそうで賑やかな家族のようだ。
塀は外部から見えないように境界線を覆うらしい。
おそらく子供の顔も知らないままに過ごすことになるだろう。

朝のうちに3台の車検。義父が待機してくれており大助かりだった。
書類を書き終えるなりまた田んぼへと走って行く。
訊けば朝食も食べていないとのこと。何とも憐れである。
午前中は来客が多く忙しかったが午後はゆったりとしていた。
同僚は通院のため午後から休みである。内科と眼科だそうだ。
年内には整形外科の通院もあるそうで気忙しいことだろう。
年末年始は29日から新年5日までの休業を決めた。
何とかしてボーナスを支給したいが今はまだ目途が立たない。
大口の入金が遅れており小口ばかりである。
このままでは月末の支払いも危うい状態であった。
「何とかなるだろう」と思いつつ「どうなるのだろう」と不安になる。
経理は全て私に任されており腕の見せ所かもしれないが
いくら太っていても細腕にしか思えなかった。
留守番がてら3時までと粘っていたがすっかり根気が無くなる。
「もう嫌になった」と呟きながら2時に退社した。
自動車専用道路を時速90キロで走り抜ける。
FMラジオからは母が大好きだった三山ひろしの歌声が流れていた。
「せられん」と云う歌で高知市在住の大野研二氏の作詞作曲である。
ちなみに「せられん」は土佐弁で標準語だと「してはいけない」であった。
最初私はてっきり大野氏の歌声だと思っていたのだ。
何とも懐かしく嬉しくてならなかったが三山ひろしがカバーしていたようだ。
大野氏は元気にしているだろうか。遠い昔の思い出がよみがえる。
私の詩に曲を付けて歌ってくれた唯一の恩人でもあった。
買い物を済ませ3時過ぎに帰宅する。
サニーマートでバウムクーヘンを買い食べながら帰った。
普段は甘い物を控えているので金曜日のご褒美である。
洗濯物を畳み終え「三匹が斬る」を見ようと炬燵に潜り込んだが
10分もしないうちに眠り込んでいたようだ。
大きな鼾をかいていたそうでよほど疲れていたのだろう。
夕食後、窓を開けて一番星を見た。
やはりそれは蝋燭のように見えたが微笑んでもいた。
「今週もよく頑張ったね」と声が聴こえて来る。
何と精一杯の日々だったことだろう。
誰も褒めてはくれないが一番星だけは知っているようだ。
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