ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年12月22日(日) 瀬戸際

昨夜は強い風が吹き荒れていたので今朝は雪ではないかと思っていた。

けれども思いがけずに寒さも和らぎ静穏な朝を迎える。

「北国のおじさん」はSNSで氷点下22℃だと発信していた。

北海道北部だろうか。想像もつかないような最低気温である。


日に日に年の瀬が迫ってきており何かしなければと思うだけで

結局は最低限の家事だけでごろごろと寝てばかりの一日だった。

何と怠惰なことだろう。怠け者にも程があると思う。


お昼前にまた少しだけE君と話した。

仕事の話をするE君はとても生き生きとしている。

そうして時々くすくすっと笑い声が聴こえ微笑ましくてならない。

ずっと話していたかったが今日は何故かスペースの調子が悪く

何度も回線が落ちてしまい会話が続かなくなった。

仕方なくお終いにしたが何だか後ろ髪を引かれるような気分となる。

またこれからいくらでも話せるだろう。すっかり私の楽しみとなった。




昨日アマゾンで注文していた足の殺菌クリームがもう届いた。

半信半疑ではあるが24時間効き目があるのだそうだ。

早速入浴後に塗ってみたが左足に手が届かず難儀する。

夫に助けてもらおうかと思ったが何とか自力で塗り終えた。

殺菌さえすれば足の匂いが改善されるらしいが継続が必要だろう。

毎晩のことである。しばらく自力で試してみようと思っている。

女としての最低限の沽券は保ちたいものだ。

老いに任せてどんどん廃れていくのはあまりにも虚しい。


夕飯は寄せ鍋だったが例の如くで夫が遠慮なくよく食べる。

牡蠣とグレを入れてあったが真っ先に箸を付けるのだった。

私は残り少なくなるのをはらはらしながら見ていた。

こればかりはどうしようもなく大量に買わない私が悪いのだろう。

食費を節約すれば結果は見えていると云っても過言ではない。


夫と相談し年末は大晦日に買い出しに行くことにした。

夫が一緒に行ってくれるのは年に一度限りである。

元旦だけはご馳走を用意し家族揃って祝うことが出来そうだ。

息子も休みが取れたそうでけい君と一緒に来てくれる。

息子が「金はあるのか?」と気遣ってくれて嬉しかった。

それは何とかなるだろう。会社のボーナスを当てにしているが

今のところまだ目途が立たず焦っているのは内緒である。

明日から28日までが勝負であった。精一杯に力を尽くさねばならない。


その時になってみないと分からないことは多々ある。

不安や焦りがあっても成るようにしかならない。

その為の努力は惜しまないが報われるとは限らないのが世の常であった。


ぎりぎりの瀬戸際に立っていて広大な海を眺めているような日々である。





2024年12月21日(土) 奇跡のような縁

夜明け前まで弱い雨が降っていたが日中は穏やかな晴天となる。

夜になり暴風注意報が発令され明日の朝はまたぐんと冷え込みそうだ。

二十四節気の「冬至」今日を境に明日から少しずつ日が長くなる。

古代には一年の始まりとされていたそうだ。

古代の人類にとって「太陽」は神でもあったのだろう。


「柚子風呂」「南瓜煮」が習いではあるが今年はどちらも無かった。

毎年山里の柚子農家さんが柚子を届けてくれるのだが

今年は土曜日でもあり手にすることが出来なかった。

柚子も不作だったそうで欲しがってもいけないのだろう。

丁度お歳暮で頂いた入浴剤に「柚子の香」がありそれで間に合わす。

寒さ厳しい折である。無病息災となれば越したことはない。




午前8時からまたE君とスペースを開始する。

毎週の恒例となり楽しみな土曜日であった。

それにしても便利な世の中になったものである。

電話だと通話料が発生するがスペースは無料でいくらでも話せる。

一昔前には考えられなかったことだ。

あまり長話をするのでE君の母上が通話料の心配をしていたらしい。

無料だと伝えても高齢者には納得がいかないだろう。

私はパソコンだがE君はスマホなので心配するのが当然である。


今日は途中から埼玉の詩人Kさんも加わり話が弾んだ。

Kさんは私と同年代だそうで落ち着いた声である。

SNSではあまり繋がりを感じることがなかったので

最初は緊張したが話しているうちに打ち解けることが出来る。


E君と二人きりとはいかない。今後も在り得ることだろう。

驚いたのは匿名のリスナーが数人居たことである。

誰なのかは全く分からず「話を聞かれているのか」と思う。

E君も少し戸惑っているように感じたがホストとしての務めを果たした。


もっと驚いたのはE君が豊中に住んでいることだった。

大阪豊中市は私にとってとても縁深い土地である。

ネットを始めたのは25年程前だが「たくちゃん」と知り合った。

掲示板やメールのやり取りも多くすっかり仲良くなったのだった。

たくちゃんはやがて結婚し3人の子供の父親になる。

その頃からメールが途絶え今ではもう音信不通になっている。


「けいちゃん」と知り合ったのは20年程前だが

なんと私の息子と同い年で某大学の大学院生だった。

精神的に不安定な病を抱えており少しでも支えになりたいと思う。

そんな彼も大学院を卒業し教職の道を歩むことになった。

もう私の役目は終わったのだと思い遠ざかる決心をする。

最後に手紙が届いたが私は返事を出すことをしなかった。

教職を続けているのか定かではないがきっと元気にしていることだろう。


そんな「たくちゃん」も「けいちゃん」も大阪豊中の人だったのだ。

その上にE君が重なり私は豊中に拘らずにいられない。

前世からの繋がりだとしたらなんだか奇跡ではないかと思う。

それ程までに「豊中」は縁深い土地だったのだろう。


ネットの世界は通りすがりも多いが魂の出会いもあるものだ。

顔が見えないからこそ魂が見えると云っても過言ではないだろう。

そこには確かな波長があり糸のように引き合う縁がある。

縁があっても去る人は去る。それも宿命なのではないだろうか。


E君とはまたこれから何度でも話すことが出来る。

私はそうして冥途の土産を頂いているのかもしれない。



2024年12月20日(金) 白い息

朝の寒さが更新されまた今季一番の冷え込みとなる。

同じ四万十市でも市街地は氷点下だったようだ。

私の住む地域は海が近いせいか僅かに気温が高いのだろう。

山里は一面の霜。氷も張っており厳しい寒さだった。

早朝からもう隣地では塀の工事が行われており

作業員の人達の吐く白い息が見えていた。

新築住宅はもう完成しているようだがまだ入居していない。

子供が4人も居るのだそうで賑やかな家族のようだ。

塀は外部から見えないように境界線を覆うらしい。

おそらく子供の顔も知らないままに過ごすことになるだろう。




朝のうちに3台の車検。義父が待機してくれており大助かりだった。

書類を書き終えるなりまた田んぼへと走って行く。

訊けば朝食も食べていないとのこと。何とも憐れである。

午前中は来客が多く忙しかったが午後はゆったりとしていた。


同僚は通院のため午後から休みである。内科と眼科だそうだ。

年内には整形外科の通院もあるそうで気忙しいことだろう。

年末年始は29日から新年5日までの休業を決めた。

何とかしてボーナスを支給したいが今はまだ目途が立たない。

大口の入金が遅れており小口ばかりである。

このままでは月末の支払いも危うい状態であった。

「何とかなるだろう」と思いつつ「どうなるのだろう」と不安になる。

経理は全て私に任されており腕の見せ所かもしれないが

いくら太っていても細腕にしか思えなかった。


留守番がてら3時までと粘っていたがすっかり根気が無くなる。

「もう嫌になった」と呟きながら2時に退社した。

自動車専用道路を時速90キロで走り抜ける。

FMラジオからは母が大好きだった三山ひろしの歌声が流れていた。

「せられん」と云う歌で高知市在住の大野研二氏の作詞作曲である。

ちなみに「せられん」は土佐弁で標準語だと「してはいけない」であった。

最初私はてっきり大野氏の歌声だと思っていたのだ。

何とも懐かしく嬉しくてならなかったが三山ひろしがカバーしていたようだ。

大野氏は元気にしているだろうか。遠い昔の思い出がよみがえる。

私の詩に曲を付けて歌ってくれた唯一の恩人でもあった。


買い物を済ませ3時過ぎに帰宅する。

サニーマートでバウムクーヘンを買い食べながら帰った。

普段は甘い物を控えているので金曜日のご褒美である。

洗濯物を畳み終え「三匹が斬る」を見ようと炬燵に潜り込んだが

10分もしないうちに眠り込んでいたようだ。

大きな鼾をかいていたそうでよほど疲れていたのだろう。



夕食後、窓を開けて一番星を見た。

やはりそれは蝋燭のように見えたが微笑んでもいた。

「今週もよく頑張ったね」と声が聴こえて来る。

何と精一杯の日々だったことだろう。

誰も褒めてはくれないが一番星だけは知っているようだ。





2024年12月19日(木) 私の使命

冬晴れとなり陽射しはたっぷりとあったが冷たい北風が吹く。

全国的に冷え込んでいたようで東京にも初雪が降ったそうだ。

西日本でも各地から雪の便りがあり高知市でも雪と聞きおどろく。

真冬並みの寒さはしばらく続きそうで明日の朝は氷点下の予報だった。

年末年始には最強寒波とか高知県西部も雪になるかもしれない。


血圧は正常値が続いており不安は薄れているが

以前は雪を見るなりぐんと高くなったことがあった。

それだけ雪を怖れていたのだろう。追突事故の経験もある。

案ずるより産むが易しではないがあまり神経質になってはいけない。

それは「いま」ではないのだ。その時になってみないと分からないことだ。




今日も工場はてんてこ舞いだったが義父は農作業に出掛ける。

草刈りだそうで農業公社から「草刈りまさお」を借りて来ていた。

小さな耕運機のような機械である。運転しながら草を刈るらしい。

素人目にも面白そうだなと思う。誰が発明したのだろうか。


事務仕事は年賀状を書き終えほっとしていたが

お昼に来客が二人もあり休憩時間が取れなかった。

同僚も昼食を後回しにしてくれてオイル交換をしてくれる。

お客さんにとってはお昼休みなど関係ないのだ。

断る事などもっての外である。お客さんあっての工場だと思う。


3時前に義父がよろよろしながら帰って来た。

お腹が空いたら力が出ないのは当然のことだろう。

10分で昼食を掻き込みまた直ぐに出掛けて行った。

私も同僚に後を頼み3時過ぎに退社する。

眠気こそなかったがなんだかぐったりと疲れていた。

夕食の献立が何も浮かばない。頭の中は真っ白である。

昨夜のこともあり頑張る意欲も薄れていたようだ。

捨て鉢な気分となり「どうでもいいや、何だっていいや」と思う。

お炊事が私の役目だとしても何だかちっとも報われない気がする。

けれども家族のためにと思う。それが私の使命であった。


4時半に帰宅したら夫が傷だらけになっていた。

訊けば玄関先で転倒し名誉の負傷をおったらしい。

数年前にもそんなことが度々あり挙句の果てには脱衣所で転倒した。

その時に頭を強く打ち救急搬送されたことがある。

まさか再発ではあるまいかと心配だったが夫は笑い飛ばしていた。

「なんちゃあじゃない、足がもつれただけや」と言う。


老化の波は留まることを知らない。いつ何があるのか分からないのだ。

かすり傷で済んで幸いだったが頭を打っていたらと思うとぞっとした。

数年前の悪夢のような出来事が一気に頭に浮かんで来たのだった。


そろりそろりの日々である。夫も私ももう無理は出来ない。

私は私なりに毎日の日課を精一杯にこなしているが

それもある日突然に出来なくなる日も来るだろう。


「死」はそれ程までに身近なことである。



2024年12月18日(水) ちぐはぐ

曇り日。陽射しは殆どなく山里ではにわか雨が降る。

最高気温も10℃に満たず真冬並みの寒さとなった。


朝のうちにお客さんのお宅へ車検証を届けに行っていたら

思いがけずに皇帝ダリアが咲いていておどろく。

薄紫の花だった。まだ少しも枯れてはおらず何と逞しい。

毎年咲いていたのだろう。今まで気づかずにいたのだ。

朝の発見は嬉しいもので心に花が咲いたような気持になる。



ATMへ通帳記帳に行っていたが何処からも入金がない。

まだこれからなのだろう。25日を過ぎればきっとあるに違いない。

嘆いていても何も変わらないのだ。気を強く持たねばと思う。

自転車操業なので足を止めてはいけなかった。とにかく漕ぎ続ける。


工場は目まぐるしい程の忙しさで同僚だけが頼りだった。

義父は今日もそわそわと落ち着かず田んぼに出掛けて行く。

あまりにも多い田んぼなので少しパニック気味になっているようだ。

「今日はあれをしてこれをする」と母親に報告する子供のようである。

いつものことで決して茶々を入れてはいけなかった。

好きなようにやらせてあげるのが一番である。



年賀状をやっと書き終えたがまだ50枚ほど必要だった。

明日郵便局へ買いに行くことにして今日は一段落とする。

一人一人のお客さんへ一筆を書き添えた達成感は大きい。

真心を込めてこその年賀状ではないだろうか。


2時半過ぎに退社し整形外科へと向かった。

先週は金曜日だったので随分と早く感じる。

予約はもう来年の1月22日まで取ってあるのだ。

週に一度のこととは云え猛スピードである。

療法士のU君に一昨日の夜のことを話してみたが

疼く原因は定かではないらしい。以前医師にも同じことを言われた。

自分なりに調べてみたら安静時に痛むことがあるのだそうだ。

昨夜は痛みがなくぐっすりと眠れたので不可解にも思う。

今夜はどうだろう。無事に朝を迎えられることを願うばかりであった。

今は運動療法で凌いでいるがこの先どうなるのかそれも不安である。



買い物をして4時半に帰宅。カーポートに娘の車がありおどろく。

めいちゃんが発熱でもあり早退したのではないかと思った。

訊けば病院の検査室が午後から休みだったらしい。

今朝から分かっていたはずなのに何も言ってはくれなかった。


嬉しかったのは洗濯物を畳んでくれていたこと。

台所の流しも綺麗に片付けてくれていた。

「夢に餅」とはこのことで思いがけずに楽をさせてもらった。


娘の帰りが遅いものと思い夕食は今夜も手抜きである。

それが不服だったらしくサニーマートへ買い物に行くと言う。

「好きなようにして頂きましょう」と文句の一つも言わなかった。

いつものように夫と先に食べる。二人には十分な夕食であった。


家族のようでいてちぐはぐな家族である。

会話が乏しいことが一番の原因にも思えるが

何か訊けばそれが過剰な干渉となってしまう。

なんだか常に線引きをされているようだった。


私は私なりに精一杯の日々である。

これ以上もこれ以下もないと云っても過言ではないだろう。

結婚前の優しかった娘のことが時々ふっと懐かしくなる。





2024年12月17日(火) 黄昏人

今朝は今季一番の冷え込みとなる。

山里では初霜が降り初氷も見られた。

標高が高く山間部ならではのことだろう。

日中は冬晴れとなったが風が冷たい一日となった。


義父は今日もそわそわと落ち着かない。

今日こそは草焼きをするのだと意気込んでいた。

けれども工場の仕事が忙しくてんやわんやとなる。

義父なりに優先順位を決めているのだった。

「これだけは俺がしないと」と責任感は強い。

おかげで車検で入庫していた車が完了した。

外装修理も依頼されていたので義父にしか出来ない仕事である。


午後2時やっと田んぼへと送り出す。

まるで子供が遠足に行くように上機嫌であった。

やれやれと私も肩の荷を下ろし2時半に退社する。

眠気が心配になり禁断の煙草を吸いながらだった。


ここ数日咳は治まっているが声枯れは相変わらずである。

電話応対が多いのでお客さんに迷惑をかけてしまう。

「風邪かね?」と訊いてくれるお客さんばかりであった。

自業自得とは云え完治するには程遠いようだ。


美声が取り柄だったのだ。アナウンサーになるのが夢だった。

夢とは何と儚いものだろうか。今となってはもう幻である。



買い物を済ませ3時半に帰宅。いつもこの時間ならと思う。

洗濯物を畳み終えてから夫と「三匹が斬る」を見た。

炬燵に足を突っ込んだら夫に「足が臭いぞ」と言われた。

自分でも気になっていたのだが指摘されるとショックである。

まかりなりにも女性だがもう目も当てられなくなった。

お風呂で足先を洗うことが出来なくなって随分と経っている。

足の匂いはおそらくそれが原因なのだろう。

このままではいけないと取っ手の付いたブラシを購入したが

右足は洗えても左足は綺麗に洗えず四苦八苦していた。

さすがに夫に洗ってもらう訳にもいかず困り果てるばかりである。


昨夜は真夜中に左足がズキズキと疼き眠れなかった。

右に左にと寝返りを打ち足を曲げたり伸ばしたりである。

整形外科で痛み止めを処方されているが薬に頼りたくなかった。

それでなくてもどれ程の薬を服用していることだろうか。

幸い毎晩のことではないので今夜は大丈夫かもしれない。

こればかりは寝てみないと分からないことである。



夕食後、一番星を見つけてほっとした。

やはり蝋燭の炎のように見えて不思議でならない。

父だろうか母だろうかと思うが声が聴こえるはずもなかった。


一日がそうして暮れ私は黄昏人になる。



2024年12月16日(月) 忘れ物はないかね

山里では時雨が降りまるで氷雨のように冷たかった。

一時間程で止み青空が見え始めたが暖かさもつかの間の事である。

晴れたり曇ったりで陽が翳ると一気に肌寒くなった。


義父は農作業に行きたかったのだろう。そわそわと落ち着かない。

田んぼの草を焼く予定だったようだ。雨で濡れたと空に文句を言う。


同僚は資格試験の受験のため高知市へ向かう。

「忘れ物はないかね」と子供に云うように送り出した。

簡単な試験らしいが不合格の人も居ると聞き気が気ではない。

還暦を過ぎてからの試験など出来る事なら避けたいものである。



午後、新車の納車があった。お客さんは首を長くして待っている。

先週の予定だったのが大幅に遅れてしまったのだ。

それでもお客さんは気を損ねることなく気長に待ってくれ有難いこと。

代金は即金で義父が分厚い封筒を提げて上機嫌で帰って来る。

滅多に手にすることのない札束であった。私も嬉しくてならない。

けれどもメーカーに支払うと儲けは僅かである。

せめて一割あればとつい欲張ってしまうのだ。


事務仕事が一段落していたので少しずつ年賀状を書き始める。

宛名だけなら早いのだが一筆添えるのが大変であった。

けれども手を抜く訳にはいかない。一筆が真心だと思う。

印刷のみの年賀状ほど味気ないものはない。


3時に退社。お昼休憩が無かったので少し疲れていたようだ。

高速運転をしている最中に眠気が襲って来て焦りまくる。

窓を開けて冷たい風を浴びながらやっとの思いで帰り着く。

サニーマートのお総菜売り場はもううんざりである。

とにかく手作りをと思いあれこれと食材を買った。

セルフレジで精算をしていたら義父から着信があり

取引先の中古部品店へ行かなければいけなくなった。

まだ家へは帰れない。もうひと踏ん張りだと車を飛ばす。

息子の職場のすぐ傍である。もう何ヶ月も顔を見ていない。


やっと帰宅したらもう4時半になっていた。

平野部では時雨が無かったそうで洗濯物はよく乾いておりほっとする。

夫が「三匹が斬る」を見ていたので一緒に見ながら洗濯物を畳んだ。

今日も沢山の悪者が成敗された。殺しても罪にはならないのだそうだ。

「どうして?」と夫に訊けば「ドラマじゃけんよ」と笑い飛ばす。

悪者の家来にも家族が居るだろうにと思うのは私だけのようだ。



いつもは見えている一番星が見えなかった。

なんだかぽっかりとこころに穴が開いたような気がする。

埋めるためには書くしかないと今夜もゆらゆらとこれを記した。


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