冬晴れとなり陽射しはたっぷりとあったが冷たい北風が吹く。
全国的に冷え込んでいたようで東京にも初雪が降ったそうだ。
西日本でも各地から雪の便りがあり高知市でも雪と聞きおどろく。
真冬並みの寒さはしばらく続きそうで明日の朝は氷点下の予報だった。
年末年始には最強寒波とか高知県西部も雪になるかもしれない。
血圧は正常値が続いており不安は薄れているが
以前は雪を見るなりぐんと高くなったことがあった。
それだけ雪を怖れていたのだろう。追突事故の経験もある。
案ずるより産むが易しではないがあまり神経質になってはいけない。
それは「いま」ではないのだ。その時になってみないと分からないことだ。

今日も工場はてんてこ舞いだったが義父は農作業に出掛ける。
草刈りだそうで農業公社から「草刈りまさお」を借りて来ていた。
小さな耕運機のような機械である。運転しながら草を刈るらしい。
素人目にも面白そうだなと思う。誰が発明したのだろうか。
事務仕事は年賀状を書き終えほっとしていたが
お昼に来客が二人もあり休憩時間が取れなかった。
同僚も昼食を後回しにしてくれてオイル交換をしてくれる。
お客さんにとってはお昼休みなど関係ないのだ。
断る事などもっての外である。お客さんあっての工場だと思う。
3時前に義父がよろよろしながら帰って来た。
お腹が空いたら力が出ないのは当然のことだろう。
10分で昼食を掻き込みまた直ぐに出掛けて行った。
私も同僚に後を頼み3時過ぎに退社する。
眠気こそなかったがなんだかぐったりと疲れていた。
夕食の献立が何も浮かばない。頭の中は真っ白である。
昨夜のこともあり頑張る意欲も薄れていたようだ。
捨て鉢な気分となり「どうでもいいや、何だっていいや」と思う。
お炊事が私の役目だとしても何だかちっとも報われない気がする。
けれども家族のためにと思う。それが私の使命であった。
4時半に帰宅したら夫が傷だらけになっていた。
訊けば玄関先で転倒し名誉の負傷をおったらしい。
数年前にもそんなことが度々あり挙句の果てには脱衣所で転倒した。
その時に頭を強く打ち救急搬送されたことがある。
まさか再発ではあるまいかと心配だったが夫は笑い飛ばしていた。
「なんちゃあじゃない、足がもつれただけや」と言う。
老化の波は留まることを知らない。いつ何があるのか分からないのだ。
かすり傷で済んで幸いだったが頭を打っていたらと思うとぞっとした。
数年前の悪夢のような出来事が一気に頭に浮かんで来たのだった。
そろりそろりの日々である。夫も私ももう無理は出来ない。
私は私なりに毎日の日課を精一杯にこなしているが
それもある日突然に出来なくなる日も来るだろう。
「死」はそれ程までに身近なことである。
曇り日。陽射しは殆どなく山里ではにわか雨が降る。
最高気温も10℃に満たず真冬並みの寒さとなった。
朝のうちにお客さんのお宅へ車検証を届けに行っていたら
思いがけずに皇帝ダリアが咲いていておどろく。
薄紫の花だった。まだ少しも枯れてはおらず何と逞しい。
毎年咲いていたのだろう。今まで気づかずにいたのだ。
朝の発見は嬉しいもので心に花が咲いたような気持になる。
ATMへ通帳記帳に行っていたが何処からも入金がない。
まだこれからなのだろう。25日を過ぎればきっとあるに違いない。
嘆いていても何も変わらないのだ。気を強く持たねばと思う。
自転車操業なので足を止めてはいけなかった。とにかく漕ぎ続ける。
工場は目まぐるしい程の忙しさで同僚だけが頼りだった。
義父は今日もそわそわと落ち着かず田んぼに出掛けて行く。
あまりにも多い田んぼなので少しパニック気味になっているようだ。
「今日はあれをしてこれをする」と母親に報告する子供のようである。
いつものことで決して茶々を入れてはいけなかった。
好きなようにやらせてあげるのが一番である。
年賀状をやっと書き終えたがまだ50枚ほど必要だった。
明日郵便局へ買いに行くことにして今日は一段落とする。
一人一人のお客さんへ一筆を書き添えた達成感は大きい。
真心を込めてこその年賀状ではないだろうか。
2時半過ぎに退社し整形外科へと向かった。
先週は金曜日だったので随分と早く感じる。
予約はもう来年の1月22日まで取ってあるのだ。
週に一度のこととは云え猛スピードである。
療法士のU君に一昨日の夜のことを話してみたが
疼く原因は定かではないらしい。以前医師にも同じことを言われた。
自分なりに調べてみたら安静時に痛むことがあるのだそうだ。
昨夜は痛みがなくぐっすりと眠れたので不可解にも思う。
今夜はどうだろう。無事に朝を迎えられることを願うばかりであった。
今は運動療法で凌いでいるがこの先どうなるのかそれも不安である。
買い物をして4時半に帰宅。カーポートに娘の車がありおどろく。
めいちゃんが発熱でもあり早退したのではないかと思った。
訊けば病院の検査室が午後から休みだったらしい。
今朝から分かっていたはずなのに何も言ってはくれなかった。
嬉しかったのは洗濯物を畳んでくれていたこと。
台所の流しも綺麗に片付けてくれていた。
「夢に餅」とはこのことで思いがけずに楽をさせてもらった。
娘の帰りが遅いものと思い夕食は今夜も手抜きである。
それが不服だったらしくサニーマートへ買い物に行くと言う。
「好きなようにして頂きましょう」と文句の一つも言わなかった。
いつものように夫と先に食べる。二人には十分な夕食であった。
家族のようでいてちぐはぐな家族である。
会話が乏しいことが一番の原因にも思えるが
何か訊けばそれが過剰な干渉となってしまう。
なんだか常に線引きをされているようだった。
私は私なりに精一杯の日々である。
これ以上もこれ以下もないと云っても過言ではないだろう。
結婚前の優しかった娘のことが時々ふっと懐かしくなる。
今朝は今季一番の冷え込みとなる。
山里では初霜が降り初氷も見られた。
標高が高く山間部ならではのことだろう。
日中は冬晴れとなったが風が冷たい一日となった。
義父は今日もそわそわと落ち着かない。
今日こそは草焼きをするのだと意気込んでいた。
けれども工場の仕事が忙しくてんやわんやとなる。
義父なりに優先順位を決めているのだった。
「これだけは俺がしないと」と責任感は強い。
おかげで車検で入庫していた車が完了した。
外装修理も依頼されていたので義父にしか出来ない仕事である。
午後2時やっと田んぼへと送り出す。
まるで子供が遠足に行くように上機嫌であった。
やれやれと私も肩の荷を下ろし2時半に退社する。
眠気が心配になり禁断の煙草を吸いながらだった。
ここ数日咳は治まっているが声枯れは相変わらずである。
電話応対が多いのでお客さんに迷惑をかけてしまう。
「風邪かね?」と訊いてくれるお客さんばかりであった。
自業自得とは云え完治するには程遠いようだ。
美声が取り柄だったのだ。アナウンサーになるのが夢だった。
夢とは何と儚いものだろうか。今となってはもう幻である。
買い物を済ませ3時半に帰宅。いつもこの時間ならと思う。
洗濯物を畳み終えてから夫と「三匹が斬る」を見た。
炬燵に足を突っ込んだら夫に「足が臭いぞ」と言われた。
自分でも気になっていたのだが指摘されるとショックである。
まかりなりにも女性だがもう目も当てられなくなった。
お風呂で足先を洗うことが出来なくなって随分と経っている。
足の匂いはおそらくそれが原因なのだろう。
このままではいけないと取っ手の付いたブラシを購入したが
右足は洗えても左足は綺麗に洗えず四苦八苦していた。
さすがに夫に洗ってもらう訳にもいかず困り果てるばかりである。
昨夜は真夜中に左足がズキズキと疼き眠れなかった。
右に左にと寝返りを打ち足を曲げたり伸ばしたりである。
整形外科で痛み止めを処方されているが薬に頼りたくなかった。
それでなくてもどれ程の薬を服用していることだろうか。
幸い毎晩のことではないので今夜は大丈夫かもしれない。
こればかりは寝てみないと分からないことである。
夕食後、一番星を見つけてほっとした。
やはり蝋燭の炎のように見えて不思議でならない。
父だろうか母だろうかと思うが声が聴こえるはずもなかった。
一日がそうして暮れ私は黄昏人になる。
山里では時雨が降りまるで氷雨のように冷たかった。
一時間程で止み青空が見え始めたが暖かさもつかの間の事である。
晴れたり曇ったりで陽が翳ると一気に肌寒くなった。
義父は農作業に行きたかったのだろう。そわそわと落ち着かない。
田んぼの草を焼く予定だったようだ。雨で濡れたと空に文句を言う。
同僚は資格試験の受験のため高知市へ向かう。
「忘れ物はないかね」と子供に云うように送り出した。
簡単な試験らしいが不合格の人も居ると聞き気が気ではない。
還暦を過ぎてからの試験など出来る事なら避けたいものである。
午後、新車の納車があった。お客さんは首を長くして待っている。
先週の予定だったのが大幅に遅れてしまったのだ。
それでもお客さんは気を損ねることなく気長に待ってくれ有難いこと。
代金は即金で義父が分厚い封筒を提げて上機嫌で帰って来る。
滅多に手にすることのない札束であった。私も嬉しくてならない。
けれどもメーカーに支払うと儲けは僅かである。
せめて一割あればとつい欲張ってしまうのだ。
事務仕事が一段落していたので少しずつ年賀状を書き始める。
宛名だけなら早いのだが一筆添えるのが大変であった。
けれども手を抜く訳にはいかない。一筆が真心だと思う。
印刷のみの年賀状ほど味気ないものはない。
3時に退社。お昼休憩が無かったので少し疲れていたようだ。
高速運転をしている最中に眠気が襲って来て焦りまくる。
窓を開けて冷たい風を浴びながらやっとの思いで帰り着く。
サニーマートのお総菜売り場はもううんざりである。
とにかく手作りをと思いあれこれと食材を買った。
セルフレジで精算をしていたら義父から着信があり
取引先の中古部品店へ行かなければいけなくなった。
まだ家へは帰れない。もうひと踏ん張りだと車を飛ばす。
息子の職場のすぐ傍である。もう何ヶ月も顔を見ていない。
やっと帰宅したらもう4時半になっていた。
平野部では時雨が無かったそうで洗濯物はよく乾いておりほっとする。
夫が「三匹が斬る」を見ていたので一緒に見ながら洗濯物を畳んだ。
今日も沢山の悪者が成敗された。殺しても罪にはならないのだそうだ。
「どうして?」と夫に訊けば「ドラマじゃけんよ」と笑い飛ばす。
悪者の家来にも家族が居るだろうにと思うのは私だけのようだ。
いつもは見えている一番星が見えなかった。
なんだかぽっかりとこころに穴が開いたような気がする。
埋めるためには書くしかないと今夜もゆらゆらとこれを記した。
夜が明けた頃には少し時雨れていたが直ぐに青空が見え始めた。
冷たい風に負けまいと精一杯の陽射しである。
今夜は今年最後の満月とのこと。英語では「コールドムーン」だが
日本語では「寒月」冬らしい風情のある呼び名であった。
俳句の季語にもなるだろう。寒月や黄昏を待つ人恋し。
風流人には程遠い一句である。
今朝は夫が行方不明となり自分一人で大騒ぎをした。
9時前に出掛けた切りお昼近くになっても帰って来ないのだ。
電話を三回も掛けたが呼び出し音が鳴り響くばかりである。
不吉なことが頭を過った。作業場で倒れているのかもしれない。
居ても立ってもいられなくなり作業場へ様子を見に行ったが
夫の車も夫の姿も見当たらないのだった。
困った。いったい何処に行ってしまったのだろう。
行き違いになっているかも知れず一度帰宅しようとしていたら
やっと夫から着信があり「何を騒ぎよるがぞ」とお叱りを受ける。
訊けば今日は9時から地区総会があったのだそうだ。
「夕べ言うたじゃないか」と叱られたが私は全く憶えていなかった。
そう云えば先日回覧板が回って来ていたことをやっと思い出す。
結局は笑い話になってしまったが何と人騒がせなことだろう。
夫にそう言えば「おまえが勝手に騒いだがやろうが」と怒っていた。
物忘れが酷くなったとは云えこれは大いに反省すべきことであった。

午後3時からまたスペースでE君と話す。
いつもならごろごろと寝てばかりいる日曜日だが
何と有意義な時間を過ごさせてもらったことだろう。
心地よく波長が触れ合う。ぴったりと息が通う会話であった。
これまで誰とも詩の話をすることがなかったのだ。
それが当然のように思いながら書き続けてきた半世紀であった。
まるで海に流した手紙入りのガラス瓶のようである。
見知らぬ砂浜に流れ着いたそれを拾ってくれたのがE君であった。
きっと他の誰かではいけなかったのだと思う。
届くべき人に届いたのだろう。それは「かけがえのないもの」として。
そうして私の虚しさは救われていくような気がしてならない。
これまで以上に書く意欲が湧いて来る。
最後の最期まで命がけで書き続けたいと強く思うのだった。
それは「願い」でありそうして私の人生を完結させたくてならない。
陽射しはあったが風が頬を刺すように冷たかった。
四国も山間部は雪が降っていたようだ。
やがては平野部にも雪の日が来ることだろう。
今朝は暖かい布団から直ぐに出られずぐずぐずしていたら
いつも靴下を履かせてくれる夫に「もう知らんぞ」と言われる。
それは大変と飛び起きベットに足を投げ出していた。
毎朝のことで夫には本当に感謝している。
詩を書く時間も限られあたふたとしながらだったが
いざ書き始めてしまうとけっこうすらすらと書ける。
わずか20分で「がらんどう」と云う詩が出来た。
「空っぽ」とは違う「がらんどう」なのだ。
自分で書きながらその違いが何となく分かった。
いつまで経っても満たされることのない空虚のようである。
足るを知らない限りそれは永遠に続くことだろう。

8時を過ぎてからまたスペースでE君と話した。
2度目であったがやはりずっと昔から知っているように思う。
それが不思議でならない。懐かしいとしか言いようがなかった。
よほどの縁があったのだろうと感謝するしかない。
仕事の話をするE君の目がきらきら輝いている。
顔は見えないが感じるのだ。とても意欲的であった。
心から好きな仕事に恵まれているからだろう。
それはきっと今しか出来ないことなのだと思う。
詩の話が出来るのもE君だからこそである。
私はずっと一匹狼を貫いて来たので仲間がいなかった。
当たり前のように孤独で詩と向き合って来たのだと思う。
自分の詩の良し悪しも分からず虚しさだけが残った。
それでいてちっぽけなプライドを捨てきれずにいる。
種を蒔き続け芽が出るのを待つばかりの人生ではなかっただろうか。
おそらくそれは今後も続くであろう宿命のようなものだ。
最後には詩ではなく「死」が待っているのだろう。
そんな宿命を背負って如何に生きるかである。
この世には何ひとつ残せないのかもしれない。
それこそが「がらんどう」なのではないだろうか。
ひっそりとした静寂がありその片隅に横たわる私が見える。
晴れたり曇ったり。陽射しさえあればぽかぽかと暖かい。
今夜から寒気が南下して来て明日は真冬の寒さになるのだそうだ。
まだ雪の心配はなさそうだが冷たい北風に晒されることだろう。
「焚火だ焚火だ落ち葉焚き」昔は何処の家でも見られた光景であるが
昨日はその焚火が原因で火事になり民家が全焼したらしい。
毎日必ずと云って良いほど火事のニュースが絶えないこの頃である。
隣家からのもらい火で焼け落ちた家も在り気の毒でならない。
火の元には十分に用心しているがいつ何があるか分からないものだ。
空気は異常に乾燥しており出火すればボヤでは済まないだろう。
考えれば考えるほどこんなに怖ろしいことはなかった。

仕事は後から後から舞い込んで来る。嬉しい悲鳴を上げているが
同僚の負担は大きく年末まで身体が持つだろうかと心配になる。
明日は午前中通院なのだそうだ。今月はまだ2回の通院があった。
義父は相変わらずの農作業である。農機具の修理にも忙しい。
けれどもいざとなったら助けてくれるのだ。それはとても心強かった。
工場の様子が気になっていたがリハビリのある日で3時前に退社する。
今日は殆ど咳が出なかったので失禁の心配もなかった。
それが整形外科へ着くなり激しく咳込み始め苦しくてならない。
患者さんも多くどんなにか迷惑だったことだろう。
看護師さんがお水を持って駆け付けて来てくれた。
お水を飲むと一気に咳が止まり直ぐに楽になったのだった。
病院の暖房が効き過ぎていたせいかもしれない。
それにしても何と激しい咳だったことか。息が止まるかと思った。
リハビリ後に診察があり今日も時間ばかりが気にかかる。
医師から「とにかく転ぶなよ」と注意があった。
転べば即骨折である。骨折すれば入院となり股関節の手術である。
それだけは何としても避けなければいけない。
「会社が潰れるぞ」と心配してくれる医師には頭が下がるばかりであった。
一歩一歩慎重に歩き続けている日々である。
ほんの少しの段差でも転ぶ時には転ぶのだ。
誰も守ってはくれない。こればかりは自分で守るしかないのだと思う。
買い物をして大急ぎで帰宅したがもう5時になっていた。
洗濯物を畳み終え「ぶり大根」を作る。
お惣菜ばかりではあまりにも見すぼらしくてならない。
「やれば出来る」と思う程ではないがやったら出来たのだ。
今週の仕事を無事に終えたがまだまだこれからである。
資金繰りも順調ではなくまた頭を悩ませていた。
とにかくこつこつと目の前のことを遣り遂げるしかないだろう。
師も走るのならば私も走らなければならない。
決して転ばないようにである。
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