夜が明けた頃には少し時雨れていたが直ぐに青空が見え始めた。
冷たい風に負けまいと精一杯の陽射しである。
今夜は今年最後の満月とのこと。英語では「コールドムーン」だが
日本語では「寒月」冬らしい風情のある呼び名であった。
俳句の季語にもなるだろう。寒月や黄昏を待つ人恋し。
風流人には程遠い一句である。
今朝は夫が行方不明となり自分一人で大騒ぎをした。
9時前に出掛けた切りお昼近くになっても帰って来ないのだ。
電話を三回も掛けたが呼び出し音が鳴り響くばかりである。
不吉なことが頭を過った。作業場で倒れているのかもしれない。
居ても立ってもいられなくなり作業場へ様子を見に行ったが
夫の車も夫の姿も見当たらないのだった。
困った。いったい何処に行ってしまったのだろう。
行き違いになっているかも知れず一度帰宅しようとしていたら
やっと夫から着信があり「何を騒ぎよるがぞ」とお叱りを受ける。
訊けば今日は9時から地区総会があったのだそうだ。
「夕べ言うたじゃないか」と叱られたが私は全く憶えていなかった。
そう云えば先日回覧板が回って来ていたことをやっと思い出す。
結局は笑い話になってしまったが何と人騒がせなことだろう。
夫にそう言えば「おまえが勝手に騒いだがやろうが」と怒っていた。
物忘れが酷くなったとは云えこれは大いに反省すべきことであった。

午後3時からまたスペースでE君と話す。
いつもならごろごろと寝てばかりいる日曜日だが
何と有意義な時間を過ごさせてもらったことだろう。
心地よく波長が触れ合う。ぴったりと息が通う会話であった。
これまで誰とも詩の話をすることがなかったのだ。
それが当然のように思いながら書き続けてきた半世紀であった。
まるで海に流した手紙入りのガラス瓶のようである。
見知らぬ砂浜に流れ着いたそれを拾ってくれたのがE君であった。
きっと他の誰かではいけなかったのだと思う。
届くべき人に届いたのだろう。それは「かけがえのないもの」として。
そうして私の虚しさは救われていくような気がしてならない。
これまで以上に書く意欲が湧いて来る。
最後の最期まで命がけで書き続けたいと強く思うのだった。
それは「願い」でありそうして私の人生を完結させたくてならない。
陽射しはあったが風が頬を刺すように冷たかった。
四国も山間部は雪が降っていたようだ。
やがては平野部にも雪の日が来ることだろう。
今朝は暖かい布団から直ぐに出られずぐずぐずしていたら
いつも靴下を履かせてくれる夫に「もう知らんぞ」と言われる。
それは大変と飛び起きベットに足を投げ出していた。
毎朝のことで夫には本当に感謝している。
詩を書く時間も限られあたふたとしながらだったが
いざ書き始めてしまうとけっこうすらすらと書ける。
わずか20分で「がらんどう」と云う詩が出来た。
「空っぽ」とは違う「がらんどう」なのだ。
自分で書きながらその違いが何となく分かった。
いつまで経っても満たされることのない空虚のようである。
足るを知らない限りそれは永遠に続くことだろう。

8時を過ぎてからまたスペースでE君と話した。
2度目であったがやはりずっと昔から知っているように思う。
それが不思議でならない。懐かしいとしか言いようがなかった。
よほどの縁があったのだろうと感謝するしかない。
仕事の話をするE君の目がきらきら輝いている。
顔は見えないが感じるのだ。とても意欲的であった。
心から好きな仕事に恵まれているからだろう。
それはきっと今しか出来ないことなのだと思う。
詩の話が出来るのもE君だからこそである。
私はずっと一匹狼を貫いて来たので仲間がいなかった。
当たり前のように孤独で詩と向き合って来たのだと思う。
自分の詩の良し悪しも分からず虚しさだけが残った。
それでいてちっぽけなプライドを捨てきれずにいる。
種を蒔き続け芽が出るのを待つばかりの人生ではなかっただろうか。
おそらくそれは今後も続くであろう宿命のようなものだ。
最後には詩ではなく「死」が待っているのだろう。
そんな宿命を背負って如何に生きるかである。
この世には何ひとつ残せないのかもしれない。
それこそが「がらんどう」なのではないだろうか。
ひっそりとした静寂がありその片隅に横たわる私が見える。
晴れたり曇ったり。陽射しさえあればぽかぽかと暖かい。
今夜から寒気が南下して来て明日は真冬の寒さになるのだそうだ。
まだ雪の心配はなさそうだが冷たい北風に晒されることだろう。
「焚火だ焚火だ落ち葉焚き」昔は何処の家でも見られた光景であるが
昨日はその焚火が原因で火事になり民家が全焼したらしい。
毎日必ずと云って良いほど火事のニュースが絶えないこの頃である。
隣家からのもらい火で焼け落ちた家も在り気の毒でならない。
火の元には十分に用心しているがいつ何があるか分からないものだ。
空気は異常に乾燥しており出火すればボヤでは済まないだろう。
考えれば考えるほどこんなに怖ろしいことはなかった。

仕事は後から後から舞い込んで来る。嬉しい悲鳴を上げているが
同僚の負担は大きく年末まで身体が持つだろうかと心配になる。
明日は午前中通院なのだそうだ。今月はまだ2回の通院があった。
義父は相変わらずの農作業である。農機具の修理にも忙しい。
けれどもいざとなったら助けてくれるのだ。それはとても心強かった。
工場の様子が気になっていたがリハビリのある日で3時前に退社する。
今日は殆ど咳が出なかったので失禁の心配もなかった。
それが整形外科へ着くなり激しく咳込み始め苦しくてならない。
患者さんも多くどんなにか迷惑だったことだろう。
看護師さんがお水を持って駆け付けて来てくれた。
お水を飲むと一気に咳が止まり直ぐに楽になったのだった。
病院の暖房が効き過ぎていたせいかもしれない。
それにしても何と激しい咳だったことか。息が止まるかと思った。
リハビリ後に診察があり今日も時間ばかりが気にかかる。
医師から「とにかく転ぶなよ」と注意があった。
転べば即骨折である。骨折すれば入院となり股関節の手術である。
それだけは何としても避けなければいけない。
「会社が潰れるぞ」と心配してくれる医師には頭が下がるばかりであった。
一歩一歩慎重に歩き続けている日々である。
ほんの少しの段差でも転ぶ時には転ぶのだ。
誰も守ってはくれない。こればかりは自分で守るしかないのだと思う。
買い物をして大急ぎで帰宅したがもう5時になっていた。
洗濯物を畳み終え「ぶり大根」を作る。
お惣菜ばかりではあまりにも見すぼらしくてならない。
「やれば出来る」と思う程ではないがやったら出来たのだ。
今週の仕事を無事に終えたがまだまだこれからである。
資金繰りも順調ではなくまた頭を悩ませていた。
とにかくこつこつと目の前のことを遣り遂げるしかないだろう。
師も走るのならば私も走らなければならない。
決して転ばないようにである。
北風が強くなる予報だったが穏やかな冬晴れとなる。
北日本や北陸では大雪となったようだ。
夕方のニュースで札幌の雪を見た。
今は音信不通になってしまった古い友人達を思い出す。
雪には慣れていると思うがどんなにか厳しい寒さだろうか。
もう糸を辿るつもりはなかった。縁とは儚いものである。
自ずから切るか切られるかである。不思議と寂しさは感じない。
午前中に近所に住む90歳近いご老人が訪ねて来てくれた。
特に用事がある訳でもなく散歩がてらに顔を見せてくれたのだろう。
よく畑仕事をしている姿を見かけていたが今日は休みのようだった。
冬野菜の事などを話していたが耳が遠くなっているらしく
すっかりちぐはぐな会話になってしまった。
「仕事の邪魔をして済まんかったのう」そう言って10分程で帰って行く。
話し相手が欲しかったのかもしれずなんだか後味が悪かった。
数年前に奥さんに先立たれ独り暮らしのご老人である。
その奥さんは私の母と同い年なのだそうだ。
義父の甥っ子が冬タイヤの交換に来てくれていて
義父と並んで話している姿を見てどきっとする。
若い頃の義父にそっくりでまるで息子のようであった。
母がもし子供を生んでいたらと思う。
男の子とは限らないが50歳位の息子が存在しただろう。
義父にとっては会社の後継ぎとなりどれ程心強かったことか。
好きな米作りだけに励む姿が目に浮かぶようであった。
しかし母はもう子供が生めない身体になっていた。
まだ20代の頃である。卵巣を摘出する手術を行ったのだ。
その時実父が「もう弟も妹も要らないな」と言ったことをよく憶えている。
実父にとってはまさか母が第二の人生を送るとは思いもしなかっただろう。
そこで運命の歯車が大きく狂ってしまったのかもしれない。
母も義父もどんなにか子供が欲しかったことだろう。
母が亡き今となって義父が憐れに思えてならなかった。
けれどもそれが運命だとしたらもう受け止めるしかないのだと思う。
つい決して在り得ないことを考えてしまったが
私を含め誰もが運命に翻弄されて生きて来たのだと思う。
そこに「間違い」はないのだ。予め決められていたことなのだろう。
だからこそ運命に逆らってはいけないのだと思う。
そうして誰もが死んでいく。それも運命であった。
冬晴れの予報だったが青空は見られずしゅんしゅんと寒い一日となる。
冬の優しい陽射しの有難さをつくづくと感じた。
昨夜は熱が出るかもしれないと思いつつ眠ったのだが
今朝はすっきりと気分が良く鼻水も治まっていた。
夜中に咳き込むこともなく久しぶりに熟睡が出来る。
その上に足の痛みもずいぶんと楽になっていた。
ゲンキンなもので「よっし、今日は楽勝だ」と思う。
ちょっとした不調で気分が滅入るものだ。
いつも元気溌溂とは行かないが身体の機嫌を取りながらである。
若い頃のような活力はもうないがやる気を出すことは出来るのだった。
それで十分に思う。欲を云えばきりがないのだもの。
朝の道の皇帝ダリヤがいつの間にか姿を消していた。
枯れてしまって切り落とされてしまったのかもしれないが
つい先日まで花を咲かせていたのが嘘のようである。
切り落とされてもまた来年咲くのだろうか。
詳しいことは調べてみないと分からないが
一年草には思えずひたすら来年のことを考えている。
職場のすぐ近くの銀杏の木もすっかり葉を落としてしまった。
寒空に裸木のなんと切ないことだろうか。
侘しい思いが込み上げて来てしんみりとするばかりである。
根元には黄金色の葉が一面に敷き詰められているが
それもやがては風に運ばれて消えてしまうことだろう。
ひしひしと冬である。もうどうしようもなく冬であった。

朝から仕事が忙しく師走らしさを感じる。
午後も来客があり残業になってしまった。
帰宅すればもう4時半を過ぎており横になる暇もない。
夫が洗濯物を取り入れてくれていたが生乾きであった。
「そんなはずはない乾いていたぞ」と云うので一悶着ある。
いつもなら乾燥機に入れてくれるのにと文句を言ってしまった。
仕事の疲れもあり苛々していたのだろう。夫には悪いことをした。
「一日中遊んでいるくせに」そんなことは口が裂けても言えない。
サニーマートのお惣菜ばかりの夕食であった。
娘が帰宅し詫びれば「別にええよ」と笑顔を見せてくれる。
その後が驚きであった。娘婿が伊勢海老を調理し始める。
娘はパスタを湯がきペペロンチーノであった。
そっか、そうなのかといささかショックである。
買って来たお惣菜には一切手を付けないのだった。
それなら何も買って来なければ良かったといじけてしまうのである。
伊勢海老が食べたかった訳でもパスタが食べたかった訳でもないが
なんだか踏みにじられたような敗北感を感じた。
しかしこれくらいのことでめげていては先が続かないだろう。
私は私の出来ることをせっせとやるしかないのだと思う。
もう寝室に行っている夫がこんこんと咳をしている。
日中も咳が酷く私の咳止めを服用したのだそうだ。
あまり長引くようなら病院で診てもらった方が良さそうだ。
日に日に寒さが厳しくなっている。体調を崩し易い季節であった。
家族がみな健康に。毎日そればかりを祈っている。
昨日程ではなかったが今朝も厳しい冷え込みとなる。
寒さのせいか足の痛みが酷くなり何とも辛いこと。
家の中では杖なしで歩けていたのに今朝は歩けなくなっていた。
何のこれしきと思う。嘆いたとて痛みが薄れることはない。
夜が明けるのを待ち兼ねて洗濯物を干す。
両手を使わないと干せないので一苦労だった。
足を引き摺りながらやっとの思いである。
いつもは運転中に痛むことはないが今朝は痺れたような痛みがあった。
とにかく我慢である。仕事を休むわけにはいかない。
何とか職場に着いたが平野部よりも2℃程気温が低かった。
咳は相変わらずだが風邪でも引いたのか鼻水が止まらない。
踏んだり蹴ったりである。なんだか微熱もあるような気もする。
馬鹿は風邪を引かないと云うが嘘っぱちなのだろう。
負けるもんかと仕事に励んだ。これくらいのことでと思うばかり。
咳き込めば失禁がありナプキンも役に立たない。
とうとうお昼までにズボンを濡らしてしまい笑い話のようだった。
こればかりはどうしようもなく笑ってごまかすしかない。
お昼休憩は在って無いようなものだが今日は車で少し仮眠する。
陽射しが降り注ぎ何と暖かかったことだろう。
陽だまりはまるで天の贈り物のようだ。
市内のauショップに行かなければならず2時半に退社した。
ずっとカード支払いにしていたのが未納になっており
カードの更新手続きをしなければならなかった。
今後も在り得ることなので預金引き落としに変更する。
店員さんのアドバイスで12月分も支払って来た。
1月からの引き落としだがもう未納になることはないだろう。
夕食後いつものように入浴をしたがやはり不安が押し寄せて来る。
まずどんなふうに死ぬのだろうと思う。
心地よく湯船に浸かりながら意識が薄れて行くのだろうか。
その時に備え付けの呼び出しブザーを押せるのだろうか。
押せなかったらそのまま湯船の中で息絶えてしまうのだろう。
今夜のお風呂は長いねと娘が様子を見に来る。
その時にはもう遅いのだ。私の魂は狼狽えるばかりであった。
いやだいやだそんな死に方はしたくない。
ゆっくりと湯船に浸かるのも怖くカラスの行水となってしまう。
パジャマを着ながら「よし大丈夫だった」とほっとするのだった。
毎晩こんな有り様では身が持たないだろう。
不安はそのうち薄れて行くと思うがもうしばらくの辛抱である。
元来入浴は一日の疲れを癒す至福のひと時であるべきだった。
それがいつから不安の種になってしまったのだろう。
老いるばかりのこの身をこの命を何としても守らなければいけない。
今朝は一段と寒く全国的に今季一番の冷え込みだったようだ。
「北国のおじさん」が何処に住んでいるのか定かではないが
氷点下10℃と聞けば北海道の内陸部ではないかと思われる。
雪も20センチ程積もっているらしく厳しい寒さであった。
根雪となればまだその上に雪が降り積もるだろう。
毎朝「雪はね」をしてから仕事に行くのだそうだ。
南国土佐では想像もつかない暮らしを強いられている。
四万十市も今朝は1℃まで気温が下がっていたらしい。
4時に目覚めた時には5℃だったのであまり気にならなかったが
車のフロントガラスが凍る寸前であった。
しかしまだ初霜は降りていない。それも直ぐに霜の季節になるだろう。
血圧は幸い正常値であったが用心に越したことは無く
とにかく暖かくして過ごすことを心掛けている。
光熱費を気にせずに電気も灯油も使い放題であった。
貧困家庭ではあるが我慢は命取りになるだろう。
暑ければ熱中症。寒ければ心臓麻痺と命は常に危険に晒されている。

午前中は目まぐるしい程の忙しさだった。
段取りが悪いとまた義父の雷が落ちるので気が気ではない。
同僚に指図するのも気が引けるが伝えなくては前へ進めない。
同僚がまるでロボットのように思えて憐れでならなかった。
義父は田んぼの草刈りに行きたくてそわそわと落ち着かない。
私が段取りさえちゃんとすれば行けるのにと言わんばかりであった。
ばたばたしながらではあったがお昼前に田んぼへと送り出した。
やっと一息である。なんだか「隠れストレス」ではないかと思う。
午後は郵便局へ行き年賀状を購入した。
取り合えず百枚にしたが何と高いことだろう。
今年は取引先から次々に年賀状廃止の連絡が届き戸惑っている。
我が社もと思うのは当然だろう。しかしそこは思い切れない。
義父に相談したらお客さんだけには出すべきだと云う。
私もそれに賛成だった。やはり礼を尽くすべきだと思う。
筆ぐるめで作成した年賀状をプリントする。
明日から少しずつ宛名を書き込むつもりであった。
宛名も印刷ではあまりにも手を抜くため毎年手書きを心掛けている。
そうして出来る限り一筆添えるのが習いであった。
最近の郵便事情はとても悪くなるべく早めに出した方が良さそうだ。
年賀状の準備を始めた時点で気分が押し詰まって来る。
カレンダーを見ながらまだまだと思っていてもあっという間だろう。
急がず慌てずであるがなんだか背中を押されているようだ。
私は今年も達成出来ず完全燃焼には程遠かった。
いくら命を楯に書き続けていても手ごたえは殆ど無いに等しい。
きっと欲深いからだろう。もっともっとと求めるばかりである。
その上に老いが重なり諦めることが随分と多くなった。
来年はいったいどんな年になるのだろう。
生きてみなければ分からないことがどんどん増えていくばかりである。
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